ヒデの救援レポート、8月15日

ヒデの救援レポート、8月15日:33
 ゆめ風基金ネットワークかがわの正木美幸さんが、仲間の3人の教師とともに、四国、香川県から、8月1日から1週間、被災地仙台の障害者センターに入りました。
 当初、救援の方法を巡って、波が立ちましたが、話し合いの結果、支援学校名簿を元に、学校、地域、避難所、仮設住宅などを回り、障害者市民への調査活動をすることになりました。途中経過では、たくさんの素敵な方々に出会えて、ずいぶん学ぶことになり、嬉しいとのメールが届きました。
 ところで、ボランティア派遣のことですが、被災地3県の障害者センターでは、派遣受け入れには、慎重になっています。救援ボランティアのお世話に回す余力が無く、活動方針の指示も滞りがちになっています。大震災後、半年を迎えようとしている今、被災地の人たちの疲労は、すでにピークに達しているので、短期ではなく、なるべく長期のひと、自立して活動出来るひとを条件に、ゆめ風基金と相談しながら、派遣を決めようとなっています。 もし、ゆめ風基金ネットワークのひとで、救援ボランティアを志望するひとは、ゆめ風基金事務所に連絡を取り、ご相談ください。電話06-6324-7702
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、8月11日までに、172637802円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
言葉を信じないものは、言葉に滅ぼされ、言葉を信じるものは、言葉でひととしてのゆめが語れる。ヒデ語録
ヒデの自宅の近くに、小さな、夫婦ふたりで経営している呑み屋さんがあります。ヒデも時折利用しているのですが、その呑み屋さんで、時折、顔を合わす青年がいるのですが、常は、他愛のない会話、挨拶を交わす程度の付き合いでした。
ところが、台風が接近中の夜。店に顔を出すと、他に客がいなくて、件の青年が独りきりでぽつねんと呑んでいるだけでした。青年の隣に席を取り、呑み始め、ポツポツと会話を交わし始めたのですが、その内に、だんだんと青年は、饒舌になったのです。それによると・・・・。
俺は、今年、24歳になるんやけど、家が貧乏で、その上、頭が悪い。勉強も嫌いですねん。ほいで、中学校しか出てへん。いろんな仕事を探したんやけど、俺に合う仕事はあれへん。それで今の仕事仮枠大工をやってますねん。明日は、台風みたいやから、現場仕事は、パーやね。風が強いと転落事故になるからなぁ。月収は、手取りで月30万円ちょっとになるんやけど、まぁ、大卒のヤツらよりは多いように見えるけども、ボーナスも退職金も、なんの保障もないし、怪我なんぞしたら、労災だけが頼りやな。
でも、一生懸命、仕事はやってるんやで。でもなぁ、世間のヤツらは、俺らのことを、まともには見てへん。俺らの仕事は汚れ仕事やからなぁ。でも、誰かがやらなアカン仕事やろ?先日、昼飯の弁当を買うために、コンビニに行ったんやけど、店の若い姉ちゃんが、足を洗ってから入ってくださいってぬかすんや。腹立つでぇ。
腕を怪我して、病院に通院してた時もそうやった。治療のために解いた俺の包帯を見て、看護師が誰や、こんな汚い包帯を持って来たんはって、俺の目の前で、包帯をハシでつまんでほかしよんねん。俺らのことを人間として見てへん。汚れた虫くらいにしか思うてへんねん。やっぱ腹立つでぇ。と。
そして、青年とヒデは、焼酎をゴクリと飲み下した。続けて青年は、言葉を継いだ。
俺、今悩んでんねん。元請けの会社が、大震災復興工事を請け負ったから、俺らも被災地に行かないかんねんけど、行き先が、岩手県なんか、宮城県なんか、福島県なんか、知らされてへんねん。被災地で困っている人たちのことを考えたら、行きたいのは、山々なんやけど、俺らは、将棋の駒ちゃうんやから、行き先くらい教えてくれたらなぁ。と。
ヒデは、どんな言葉を吐けばいいのか、ためらいが口を占拠して、沈黙でした。青年も長い沈黙に入り、ふたりの沈黙が宙を舞い、黙ったまま、呑むだけでした。店のノレンが、台風の前触れの風の中で、激しく乱舞しているだけの夜です。これを読んだ方は、どう感じますか?
被災者障害者支援センターいわて活動報告の3
5月に訪問した時よりガレキが撤去されていた。岩手県沿岸部の障害者と接してエ沿岸部の障害者は健常者の復興ムードとは違いまだまだ悲惨な状況を強いられているように感じました。地元近所の社会資源、医療が完全に津波で流され、今まで送ってきた日常は全くおくれていない状況でした。
人工透析をしている方は通院が不可欠ですが、通院するための病院が流されため遠くの病院までタクシーを使わなくてはいけません。それにかかる費用が莫大になり生活していくうえで多大な負担になっていました。家族も付き添う必要があるため、仕事探し、日常の生活を送るのにも大きな負担がかかっていました。
公共の交通手段がなくなり、町にあった買い物をする市場、髪を切る理髪店、薬などを買う薬局等、すべてが津波によって流され、物資を調達するにも役所やボランティアまで取りにいったり、連絡をしてしばらく待たなくてはいけない状況もあるそうです。
物資は本人が来ないともらえないという対応の悪さもあるとか保守的な傾向のある岩手ではまだまだ障害者の権利という考え方が浸透していないため、なかなか近所との関わりがもてない人が多く、数少ない知人との交流も、デイサービス等での活動も外に出ていけない状況によってもんもんと家の中で暮らしている人が多くいました。
介助制度も乏しいうえに、非常時ということもあってか役所の対応もかなり悪く、人によっては家族と生活をしている人には派遣しないということもありました。
このままでは障害のある人のいる家は一家共倒れになってしまうということは目に見えているのに、その状況を把握するだけの余裕は行政にはない状況でした。それに緊急事態だから自分は我慢しなければというような傾向も少なからずあり、困っていることを強く言えない状況にもあるように思います。
仮設住宅もいたるところで 建設が進んでいますが、私たちが訪問したところすべて仮設住宅の周りは砂利が敷き詰められて、スロープはついていませんでした。残念ながら内装は見ることができませんでしたが、支援者の中には入浴ができない、家の中が車いすを利用できないくらい狭いため這って生活をしなくてはいけない、洗面台にいけない、トイレに入れないため簡易トイレが必要な人もいました。
非常時であることは仕方がないことかもしれませんが、こういった避難生活をおくらなくてはいけない障害者たちはなかなか情報も得られず、どこに伝えればそれが解決できるのかということも知らない人が多く、また今は無理だろうとあきらめている人も相当いるという状況でした。
そんな状況下被災地に当事者が行くことは本当に意味があることだと思いました。支援や情報提供だけでなく、ちゃんと要望していこうということを伝え、悲惨な生活状況を一人や家族が抱え込むのではなく、一緒に解決していこうということが訪問するというだけで伝えられます。
被災している障害者の共通することは孤立化していることだと思います。外出もままならず、地域の交流もできず、普段もんもんとしている生活状況を解決する原動力になるのは障害当事者が訪問し一緒に解決をしていくネットワークを作っていくことだと強く感じました。以上
奈良県に住む、ヒデの先輩友人のひとりで、吉田智弥さんという人物がいます。その人が出している、ミニコミ紙蛇行社通信からの、奈良からの視線 がんばろう日本てか。連絡電話FAX0742-49-0170
日本人の多くは、日頃から全能の神を信じる習慣をもたないので、今回の大惨事を神が自分たちに与えた試練であるとは受け取らなかった。地の隅々から神仏に助けを求める祈りの大合唱も湧いてこなかった。代わりにがんばろうの声が広がった。
がんばろうに対しては一般的にはそうだ、がんばろうと返される。誰も反対しない。事実、反対しにくい。しかし、世の中にはがんばらねばと思えば思うほど精神的な病状を悪化させる人もいれば、がんばりたいけれど基礎的な条件が整わない人、いくらがんばっても成果の現れが遅い人もいるだろう。
またがんばろうは、それを言う側からは100バーセント善意にもとづくとしても、同じ言葉を何度も聞かされる側、被災地の人たちの耳にはもっと我慢せよと響いたりもする。これ以上、どうがんばるのだと言いたい気持ちが抑圧されたまま。それらの人たちが置き去りにされる。心からがんばりたいと思っているのに。
それでも、避難所にいる人たちの場合にはがんばる方向はハッキリしている。体育館から出て自立することであり、もとの生活を再建することである。悲しみはいったん脇に置いてでも、挫けずにがんばろうということになる。
だががんばろう+日本になると、日本中の人たちが力を合わせての意味は分かるけれど、その場合には、この国に住む・外国籍を含む・全ての人たちに、これから先の日本は、どういう方向に向かって・がんばる・のかが問われる。我が運命共同体のめざす先・行き着く先が必ずしも自明ではないことに気付かされる。
果たして、ふたたび原発を稼働させるためにがんばるのか。そうではなく、これまでとは別の豊さを求めて方向転換をするのか。がんばるためには何よりも失敗から学ぶことが先決だろう。すでに大量の放射能を大気中や海洋に向けて排出させたことで、諸外国の人たちと、これから先に生まれてくる生命に対して、がんばっても償えない失敗を犯してしまったのだから。
むろん、その前に、政府と電力会社には、最悪の事態を回避させるためにがんばってもらわねばならない。彼らに声援を送るためではない。責任をとらせるためにである。逆に原発建屋内で、時々刻々に放射能を浴びながら危険作業を担わされている人たちに対してはあまりに申し訳なくて、とてもがんばれとは言えない。
がんばろう日本の声は、現に対立する現実の諸関係を隠蔽し、本来のなすべき議論を遠ざける役割を果たしている。ボランティアの多さには・可能性としての・社会の復元力を感じさせたが、根本的な原発論争が盛り上がらないことへの不安は大きい。
もしかしたら、目の前にあるのは地獄への道は善意で敷き詰められている場面か、2度目の「安らかにお眠り下さい。過ちはくりかえしません」からの場面か。以上。
大平洋戦争敗戦の日。いのちの軽重を問うてはならぬ考
2007年7月に、連れ合いが亡くなり、8月には、母方の最後の叔母を亡くしました。また、今日のヤクザなヒデの生き方を決定づけた、中国東北部での父親の戦死という事実があります。この僅か70年有余の間に、人間社会は、驚くばかりの、大勢のいのちを失ってきました。
ヒデにとっては、7月、8月は、いのちの記憶の季節です。世界大戦の中で、戦災死したひと、戦死者。日本の侵略によって死んだひとたち。沖縄地上戦、広島原爆、長崎原爆。阪神淡路大震災他の自然災害。ボクたちは、数え切れないいのちを失いながら、歴史を形作ってきたのです。
そして、今回の東日本大震災です。黙然と首を垂れ、被災地支援に走り回るしかありませんが、でも、記憶の季節に、少し立ち止まり、来し方、行く行方に視線を放ち、考えることが必要ではありますまいか。あまりよく考えなくても、いのちの死には、人間の力が及ばないものもありますが、人間のせいでのものや、人間の力で止めることが出来るものもあります。以上!

ヒデの救援レポート、8月8日

ヒデの救援レポート、8月8日:32
 福島、新潟に豪雨が降り、洪水・停電が発生しました。停電は、医療的ケアを必要とする人たちには、いのちに関わる事柄です。
 脊髄性筋萎縮症家族の会ALSさくら会人工呼吸器をつけた子の親の会・バクバクの会ベンチレーター使用者ネットワーク全国頸椎損傷者連絡会&連合会東京進行性筋萎縮症協会日本ALS協会日本筋ジストロフィ協会などの団体が、東京都に対して、緊急時の非常用電源確保の要望書を提出するそうです。
 蘇生バッグ、足踏み式吸引器、バッテリーなどは、使用者が自由に選べるように。自家発電機所有が、それを必要としているひとの全体の1割に満たない現状から、発電機の貸し出しなどです。
 問い合わせ先は、東京都福祉保険局疾病対策課・03-5320-4471。
 8月の被災障害者救援本部統一共同カンパ行動は、8月27日(土)午後1時~5時、大阪・難波、高島屋前です。参加者が少しずつ減ってきています。短時間の参加でもかまいませんので、参加方、よろしくお願いします。 8月の被災障害者救援本部大阪の会合は、8月26日(金)、午後6時半より、パーティー&パーティー(地下鉄大国町駅下車すぐです。)で行われます。ご参加をよろしくです。
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、8月2日までに、170572082円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、67164600円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
 広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
 3・11から、4ヶ月の間に3回目の東京訪問となる、凸凹コンビです。トウキョウ物語7月11日、ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんの音楽活動50周年記念ライブ復興に参加すべく、牧口代表と新大阪駅で落ち合い、新幹線に乗り込みました。品川駅に到着。駅ホームのムッとする暑さに、呼吸困難になりそう。東京では、すでに、猛暑日が何日も続いているそうな。
 駅では、東電、関電からの要請で、節電のために、電力を落としています。お客さまのご協力をお願いしますとのアナウンスが流れ続く。思わず協力出来ないと、どうするんだ。結局、節電するんやろ。つまり、それは、押し付けと言うんだと悪態をつく。山手線に乗り換えて新宿を目指す。どのホームにも、暑さで顔を火照らした乗客の群れが並ぶ。本当に暑い。あちこちの街角で、節電に協力するために、無料のうちわを配布しておりますと、企業名がデカデカと入ったうちわが係員によって、配布されていたり、素足の女性も目立つ。
 新宿駅南口から、会場の全労災ホールまでの道のりは、日傘の群れ。午後5時過ぎ、凸凹コンビは、へろへろと会場に到着。すでに朝から来ていた、ゆめ風基金スタッフ4名の手によって、ゆめ風基金展示ブースが立派に完成しとりました。ロートルの出番なし、ガックシ。
 ライブの開演は、6時30分より。6時頃から参加者が並び始めた。開演10分前には、凸凹コンビも協賛団体の招待客として、指定席に陣取る。ゆめ風ネットさいたまの樋上さんも電動車椅子で参加。この段階で指定席チケットは完売されている。全席400名。
 いよいよ開演。ゲストも半端じゃあない。演じられた音楽や、トークもボクなりの乏しい感性で受け止めて、感動的だったけれど、その感想については、ゆめ風基金スタッフの細谷さんが堪能なので、細谷さんに譲ります。ゆめ風基金ブログでごらんください。ここでは、ボクの浅はかな知識に引っかかるゲストだけをランダムに敬称略で紹介します。
 永六輔さん。谷川俊太郎詩人さん。井上陽水歌手さん。林英哲和太鼓奏者さん。坂田明サックス奏者さん。谷川賢作音楽監督さん。小室ゆい歌手さん。李政美歌手さん。梅津和時フリージャズさん。などなど多士済々。ボクなんかは、当日パンフレットでしか分からない、一流奏者や歌手の方々が15名以上登場して、セッションは、大盛り上がりでした。復興への想いがギッシリ詰まった音楽が、会場を占拠して、お客さんもノリノリ。ボクの脳の中は、ゆめの音の大洪水で、渦巻いてしまいました。午後8時半に終了する予定が、幕が下りたのは、午後10時半でした。
 トークでは、ゆめ風基金活動のことが、沢山話され、終演後のロビーでは、永六輔さん自ら募金箱を持って、救援基金を呼びかけられるという、びっくりするような場面もありました。その後お願い片付けを済ませて、ゆめ風基金スタッフだけのささやかな打ち上げの夕飯をし、ホテルにたどり着いたのは、12時を過ぎていました。それから、また打ち合わせ。復興コンサートの模様は、秋にCD化されるそうです。
 さて、その事務局が予約してくれたホテルなんですが、かの新宿の歌舞伎町のど真ん中の格安ホテル。コンサートホールからは、歩いて30分。夜の店の呼び込みを避けながら、大汗かきながら、一年分は、歩きました。(笑)次の日は、全員で朝食を取り、東京に居残るひと。仙台に行くひと。早く帰り、事務所を開けるひととに別れ、新宿駅で、解散。
 ボクたち凸凹コンビは、カタログハウスでの、冬のゆめ風基金東京イベントの打ち合わせに臨みました。それも上首尾に済ませて、午後2時半の新幹線に乗り込み、座ったとたんに、ふたりとも眠り込んだまま、新大阪駅に帰着。無事に汗だく解散でした。これで、3回目のトウキョウ物語は、オワリ。行き帰りともに、富士山は、雲に隠れて見られませんでした。以上。
ゆめ風基金に届いたお便りから
ゆめ風基金さまへ!風のようにフォークは流れその10・プレミアムコンサート第2弾・における義援金の明細・於・めぐろパーシモン大ホール、5月28日(土)開催
コンサート開催利益分の全額、433057円、コンサート開催時に用意した義援金瓶から集金した全額、170155円で、義援金トータル、603212円。
私たち、OTアール・リィユニオンと、当日のお客さまのお気持ちをお届け致します。どうかよろしくお願い致します。7月2日(土)。郵便251-0035-藤沢市片瀬海岸3-21-8- 代表古西のりこ
ボランティアのつぶやき
 私のボランティア活動はいよいよ残り数日となりました。先月6月5日に仙台に入り、全国各地からあつい想いを持って集まった老若男女のボランティアの皆さんと、日中はチームとして夜は共同生活者として過ごしてきた1ケ月半でした。
 九州地方から参加されたベテラン介護士さんに元短距離選手のヘルパーさん、四国から来られた一級建築士さん、中国地方から参加の元宮大工のヘルパーさん、東海地方からの福祉住環境コーデネィターさん、関東から来られた訪問看護師さん、北海道から参加のラガーマン兼ヘルパーさん、そして大阪を中心に全国各地の福祉関連団体に従事されている皆さんとともに、それぞれの方言で多種多様な意見を交換しあった1ケ月半でした。
ここ被災地障害者センターみやぎに来なければ一生お会いすることが無かったであろうボランティアの皆さんに出会えたことは、私にとって宝だと思っています。
 そして、主に私の被災地障害者センターみやぎでのボランティア活動は、市役所等の公共機関から情報収集したり、仮設住宅のスロープ付き住宅や避難所・自宅等で生活されている障害をお持ちの被災者の方々を一軒一軒訪問し生活状況などをお聞きすることでした。
 こういう身体になったからこそ見えて感じる視点があるはずと、福祉住環境コーデネィターに挑戦し続けている、親戚宅に3世代10数人で避難生活中の若い男性。
震災後に自宅に入ることができなくなった障害を持つ子どものために、日中は自家用車を中心に子どもと生活するお母さん。
 自らの障害と家庭の問題?抱え、その解決のために越してきた転居先で震災に会い、ほとんどの家電製品が壊れたアパートでこの先の生活に戸惑う女性。
 障害を持つ次男と震災で仕事が減少した長男を抱え、自らは関節の痛みをこらえて家事を営み、車いすに乗りタクシーとJRを乗り継いで次男の通院に付き添うお母さん。
 家族4人二間で生活する仮設住宅から就労支援先に通いながら、両松葉杖の移動では困難な仮設住宅内の諸々のバリアの改善を単独で町役場に訴え続けている男性。
 ショートステイを利用中の百歳の旦那さんの夏服の不足を気遣いながら、自らは4つの病院に通院し、ボタン操作が複雑な家電製品が並ぶ仮設住宅に暮らすご高齢の奥さん。
 奥さんを震災で亡くされ、寝たきりのお母さんを近所に住む兄弟と共に介護しながら、車を流されたため片道一時間かけて自転車で通勤する状況を健康のためと気高く答えられた男性。
 津波の爪痕残る地域で、身重の娘を気遣いながら末期癌の夫を自宅で介護する奥さん。
 避難所から何とか仮設住宅に入れたけれど、これで生活が終わりじゃあない。生活はこれからが始まり。寝たきりの母には出来る限り心地よい生活環境を整えたい。と、市役所に仮設住宅の改修を相談したが思うような返答はもらえず、自ら業者に依頼し自費で住宅改修し、そして炎天下の日中にお母さんの車いすを押して通院介助する娘さん。
 こうした皆さんの生活のしずらさに、ボランティアとして即答できる立場はなくただただ聞いてくるだけの自分に自問自答した1ケ月半でもあったように思います。それでも、この国難の中、目の前の課題や生活に前を向いて立ち向かおうとされている被災地の皆さんの声と姿は、私のこれからの人生に筆舌しがたい貴重な学びの機会となりました。
 5月末に日本に帰国し仙台で1ケ月半を過ごした私自身は、この後日本を離れ再びアセアンの途上国を生活の拠点とすることになります。日本を経済成長の模範と尊ぶアセアン諸国にとって、東北を含めた日本のゆるぎない復興は祈りであり必然でもあります。祖国日本の力強い復興をアセアンの皆さんと共に信じております。
                     7月18日・被災地障害者センターみやぎ・ボランティアH
ふたつのイベントのお知らせです!
8月23日(火)、午後5時半~7時半。仙台市あすと長町仮設住宅・交流広場。永六輔さん・小室等さんと話そう会in長町!永さんと小室さんがやってくる!小室さんの歌もお楽しみに!入場無料。手話通訳あります。
お問い合わせ・被災地障害者センターみやぎ・022-746-8012
主催・被災地障害者センターみやぎ 共催・NPO法人ゆめ風基金
協力・一般社団法人 パーソナルサポートセンター
東日本大震災支援第12回ルピナス会チャリティーコンサート
被災地に心を寄せて
第1部・小室等さんの歌とトーク。第2部・鹿児島大学ハーモニカバンド。
9月19日(月・敬老の日) 開演14時・開場13時
(台風などで延期の場合は、12月18日)
場所・鹿児島県肝付町文化センター
入場料・大人千円、小中高生五百円
12時から、2時まで、リサイクルバザーも開催します!
問い合わせ、実行委員会・0994-63-8839
第28回共同連全国大会・東京大会
大震災からの再生・仕事起こし
8月20日(土)午後1時から8時分科会・交流会
午前10時から4時30分
会場は、オリンピック記念青少年総合センター
21日全体特別報告
東日本大震災における障害者の状況ゆめ風基金理事、八幡隆司
問合わせ・052-916-5308

ヒデの救援レポート、8月1日

ヒデの救援レポート、8月1日・31
 7月15日~16日の、精神障害者地域生活支援協議会全国大会での、ヒデの記念講演に対しての、反応ハガキが届きましたので、テレ印付きですが転載します。
 あみ全国大会in徳島で沢山お話しを聞かせてもらって、とても嬉しかったです。それで、やっぱり河野さんは素敵やと思いました。もちろん真実を見抜く眼やブルドーザーのような馬力もすごい素敵なのですが、なにより惹かれるのは、話しの端々から現場でがっつり本人たちと向き合ってるっていうのが伝わってきちゃうところです。大震災救援活動も一緒です。本人たちと本気でぶつかって、楽しんでやりとりしている臭いみたいなものがぷんぷん臭ってきて、ぼくもそう在りたいと想ったのです。またお酒を飲みながら、沢山お話しさせてもらえたらと思います。茨木の実家に帰る時に、一度お寄りしたいとも思っています。
徳島県板野郡、障害者就業・生活支援センター・わーくわく・S
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月25日までに、167586438円。7月30日までに、168752004円です。これまでに支援した団体、個人への金額。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
京都からの情報発信の風景文化を変えるには
京都花園大学の八木晃介さん発行の個人情報紙・試行社通信よりの抜粋。
連絡電話075-221-2672
 たとえ電力が不足しても、しなくても、原子力発電はいらないのだ。否、あってはならないのだと私はようやく判然と宣言する決断がつきました。いまごろ何を寝惚けたことをいっておるのかと、きびしい批判が集中しそうですが、原発由来の電気の約三割方を依存してきた従来の生き方を総括しないままに脱原発や反原発を主張することに、どこか多少の後ろめたさがあったことは否定できません。
 だが、問題は過去ではなく現在であり、今後なのです。今、そして、これから自分はどのようにどんな生き方を選びとるのか、そこから考えなおす以外にありません。戦争中のことはしりませんが、戦後、私にものごころがついて小学校に入学した1950年中頃まで、しょっちゅう停電していたことは記憶に鮮明です。戦後の混乱期における電力不足ですね。あわてて蝋燭をさがして灯をともした途端、突然、何事もなかったように、再び電灯がつくことの繰り返しでした。電化製品といってもラジオ以外なにもなく節電などしようにもできなかった時代です。
 いまはライフラインを電力とITに依存しているので、突然の停電がおおいなる混乱をもたらすことはいうまでもありません。3.11以後、無意識に節電している自分に気づくことがあります。これまで使っていない部屋の電気を点けっぱなしにするということはあまりなかったのですが、今はそれが飛躍的に徹底できています。各部屋のエアコンその他の電化製品もパソコンと冷蔵庫以外はコンセントから引っこ抜いています。
 マンションの部屋は八階で、おまけに軽症ながら椎間板ヘルニアの持ち主なのでさすがにエレベーターをもちいますが、大学の研究室は四階なので昇降とも大部分歩きです。その他いろいろ。原発が全部停止しても電力が不足しないことは理解していますが、それとは別に、大袈裟にいえば自分の文化を少しかえたくなっているのかも。とはいえ、まだまだ不十分ですが。ウンヌン。
被災地3県障害者センター統合本部のある、仙台市の自立生活センター・シィILたすけっと機関誌ステップ震災特別号より転載
○震災、そして復興へ・・・たすけっと代表・及川智○
 2011年3月11日14時46分、M90、最大震度7という凶暴な地震は、津波というより凶悪な怪物をつれ、東日本太平洋岸を襲った。発災時、たすけっとでは重苦しい会議中で、弱く始まった揺れに乗じて軽口を言いながらいた。揺れは大きく強くなっていき、私は電動車いすの上におり、頭を抱えたり、アーレストを抑えたりと、無意味な行動を取っていた。5分以上にも及ぼうかという揺れが治まったとき電動車いすはよっぽど重いのだななどと倒れなかったことに感心した。
 雪が降る中、車いすを小学校へと走らせる。途中で貸して頂いた毛布は雪にまみれていた。16時過ぎ、暗くなりかけていた体育館でじいっと待つ。余震が起きる度にどよめく館内は次第に人数が増え、トイレへ動くことさえままならない。時間を追って配られる、毛布やバナナをもらいに行くことさえ、ためらわれた。22時を回り、通路が確保できなくなった頃に、水が出て、石油ストーブがあったたすけっとの事務所へトンボ返りしたのである。
 事務所には同じように避難所にいられずに戻ったメンバーがおり、相談室として使っていた部屋に15名程度固まり、毛布にくるまりながら、ラジオから流れる情報に聞き入った。横になれず、一睡もしなかったが、いつも一緒にいるメンバーがそばにいるということで安心だった。夜が明けると、安否確認とともに、事務所を緊急避難場所にすべく、寝具や食料、日用雑貨などを持ち寄った。
 3月12日夜には、事務所に電気が通った。拍手が起こり、明かりのありがたみが身に染みる。携帯が動く、PCが使える!一斉に安否確認のメールを送信した。事務所前で携帯電話の充電サービスをはじめた。できる限りのことをしよう、そういう思いだった。
 震災から一週間後、全国からあったかい気持ちがたっぷり詰まったたくさんの救援物資が届き、それを障害を持つ方へお届けする活動を始めた。普段受けている支援が受けられない、普通支援を受けていなくても震災で支援が必要になる場合もある。たとえば震災でけがをしたとか。
 私も普段の介助体制ではなく、なるべく少ない人数で介助を受けた。災害が起こると、一番置き去りにされやすいのは障害者だ。サポートをする人も被災していれば、どうしても支援・救援は遅れる。裏を返せば、普段からの支援者からしか支援が受けられない。もっと広い関係性を持つことが重要だと反省も込めて思う。
 自宅アパートは奇跡的にもさほど被害はなかった。書類や本が落ち、風呂のタイルが一部はがれただけだった。電気が通った3月14日、事務所からアパートに戻った。マンションのエレベーターが動かず、部屋に戻れないメンバーとの共同生活だ。灯油使用も最小限にするために設定温度を最低にした。相当節約できたので、現在も設定は最低のまんまだ。
 津波の被害があった地域と被害がない地域、この震災はそこで生活が二分されるように思う。津波の被害がない地域は電気、ガス、水道、物流が戻りほぼ元の生活が可能である。私も生活自体はもとに戻った。しかしながら、3月31日に立ち上げた被災地障害者センターの活動を通して見えるニーズは、震災があったから生まれたニーズよりも震災前にもあったが表に出てこなかったニーズが多いと思う。これらのニーズに応えられる街をつくっていかねばならないと思っている。以上
サポートグループ風からのお便りゆめ風基金事務局の方へ!
 先日は、お電話で失礼致しました。早速、リーフレットとたよりを送って頂き、ありがとうございます。私たち「風」の新しいパンフレット「売り上げを被災地の障害をもつ方々へ」を作りました。そこにゆめ風基金さんを通して行うこと等書かせて頂きました。フエルト作品を買って下さった方には、このパンフレットとゆめ風さんのリーフレットをお渡しして頂こうと思っています。
 このフエルト作品を常時置いて下さっているのは、鎌倉にあるお店で、
 アジアンCafe「ソンベ カフェ」さん
 フェアートレードの店「かまくら富士商会」さん
 岩盤浴の店「ハマム」さん(おしゃれな女性専用)
です。
 この他にも、フリーマーケット等にも、余裕があれば出していきたいと思います。夏はフエルトのシーズンオフですが、同封致しました虹とお日さまは、少しずつ売れています。
 秋はハロウィンシリーズ。冬はクリスマスシリーズ。春はおひなさま。そして、バラのコサージュを作っております。私たちの活動をそちらのブログで紹介してくださるようなお話しをして頂き、ありがたいです。このパンフレットの文章は、どこでも使って下さい。
 彼らの写真はなしでお願いします。作品はOKです。
 売上は、ほんの少しずつですが、貯まりましたら、振り込みますね。4、5月分の売上プラス今までの分が少しありますので、7月中に振り込みます。どうぞこれからもよろしくお願い致します。
                        6月30日・サポートグループ風代表・関原和佳子
                        
被災地障害者支援センターいわて活動報告の2
 CiLもりおかの事務局長である今川さんを代表として、責任者八幡さん、専従スタッフ5名と全国からのボランティアが集まり、被災沿岸部を中心に被災障害者を支援しています。
 主に、避難所や仮設住宅、自宅で生活をしている障害者への物資提供や人的支援などを行っています。物資提供のみの支援は、7月末で終了し、人的支援や移送サービス、社会資源への引き継ぎに移行していく。その他では仮設住宅の調査スロープの設置状況、集会所の有無、障害者の入居状況、住宅改修の相談等を行っています。
開設当初は、被災されている障害者がどこにいるのか町の人に聞いたり、ポスティングを行ったりしていました。 6月半ばくらいから何人かの支援がはじまり、そこから口コミで支援センターのことが伝わり、支援が本格化していきました。現在は見守り支援、移送、自宅への介助者を派遣、引き続き聞き込み、ポスティングを行っています。以上。つづく
福島の子どもたちを招く夏休みキャンプボランティア募集と募金のお願い
 3月11日に起きた東北関東大震災と原発事故により、今、福島県では多くの子どもたちが被災の苦しみに加え、屋外での活動を制限され、不自由な毎日を送っています。
子どもたちに、夏休みの一時期だけでも、放射能汚染の不安を感じることなくのびのびと遊べる環境で過ごしてもらいたい。その思いから、明石を中心に、主に子育てに関する市民活動をしてきたメンバーが福島の子どもを招きたい!明石プロジェクトを立ち上げ、二週間の夏休みキャンプを企画しました。
 どうか多くの方にこのキャンプをご支援をいただきたく、お願い申し上げます。
 明石であそぼう!たこ焼きキャンプ
 期間011年7月30日(土)~8月11日(木)
 場所・明石公園内・兵庫県高等学校野外活動センターあさぎり寮
 対象・福島県内の小中学校生、乳児およびその保護者30名
 はんごう炊さん、海でのカヌー体験、ミニ縁日、近郊施設の見学など、様々なメニューを考えています。子どもたちが楽しくゆったりと過ごせ、リフレッシュした気持ちで帰れるようなキャンプを目指します。
 ボランティアを募集します。子どもたちと遊ぶ、子どもたちを見守る遊びボランティア・子どもたちの食事や洗濯など、生活面を支えてくれるホストペアレント、明石近郊の方・食材の提供、炊き出しをしてくれる炊き出しボランティア・そのほか、楽しい企画の持ち込みなど。
 どうぞ、募金をお寄せください。子どもたちの家庭への負担は最小限に抑え、費用の大部分は募金でまかないます。ぜひ多くのみなさんのご協力をお願いします。
賛同団体・市民まちづくり研究所・被災地NGO協働センター・NPO法人フリースクールふぉーらいふ協力団体・NPO法人寺子屋万丈舎、会津若松市・NPO法人ビーンズふくしま、福島市・コープともしびボランティア振興財団・神戸大学ボランティア支援室
以上!

被災地の、ほんとうに困っている仲間に一日も早く出会いたい 牧口一二

被災地の、ほんとうに困っている仲間に一日も早く出会いたい                                                                                                             
               被災障害者支援NPOゆめ風基金 代表理事 牧口 一二
 カタカナ文字(英語など)の氾濫にはついていけない年齢になった(でもまだ七四才、とカラ元気)。便利だから仕方なく、苦手ながら手を染めてしまったパソコンもなかなか思うように動いてくれず、何が原因かと、「ヘルプ」をクリックしてみても説明文が日本語なのにカタカナ語で皆目わからない。
 そんな毎日をすごしているボクに、ほんとに久しぶりにこの欄の原稿を、との依頼がきた。もう現役を引きつつある身に(軽~いジャブ)なんでだろう? きっと今回の東北関東大地震大津波そして福島原発大事故がらみに違いなかろう、と思いきや…………その通りだった。
 阪神淡路大震災のとき、障害者仲間はあちこちで後回しにされた。わからないことを尋ねると「いま、それどころではありません」とまで言われた。今回の東北でも「あなたの来るところではない」と言われた、と聞く。
 ほんとうは世の中全体が大騒動になったとき、いちばん先に助けられるのは、障害者・高齢者・子どもたち・社会的ハンディを負わされた人々だろう。ところが、「そんなの理想論」と世の中という顔がうそぶく。緊急時には、そんな論争をしているヒマがないから、われら障害者は何度も繰り返される苦い体験から、いざという時に備えてふだんからお金を蓄えておこう、と「ゆめ風基金」運動を始めた。 
 今回の原稿は、東北関東大地震大津波そして福島原発大事故(長く書けない、ということか、早くからマスコミなどは「東日本大震災」としたが、東北や原発があいまいにされそうで、ボクは略さない)のことに関連づけて述べよ、ということらしい。
 「ゆめ風基金」は十六年かかって多くの人々のおかげで、二億六千万円ほどを蓄えた。その内、この間に起こった海外を含めた三〇件ほどの被災地の障害者に合計六千万円強を届けてきた(当初は海外は念頭になかったが、災害が起こると知らん顔はできなかった)。そして今回の大災害、残り二億円をそっくり東北関東の障害者たちに活用してもらおうと、緊急の理事会ではみんながそう思っていた。
 そこで「ゆめ風ネット」(いま全国に51か所)に参加している「ネットみやぎ」と「ネットいわき」に連絡を取り、すぐに八幡隆司理事が現地に入り、二億円の届け先を探し始めたが簡単ではなかった。避難所めぐりをし、「困っている人は? 障害者はいませんか?」のビラを配ったが反応は鈍かった。「ゆめ風基金」はNPO法人といえど民間の勝手連みたいなものだから不平等が許される。ほんとうに必要としている障害者に手渡すごとく必要な額を届けたい。八幡理事は懸命に探してくれたが、あまりにも被災した地域が広く、なかなか見つからなかった。
 で、その前段階の拠点づくりから始めることになった。岩手、宮城、福島にそれぞれ被災地障害者センター(盛岡市、仙台市, 郡山市)と緊急避難所(宮守町、登米町、亘理町)を現地の障害者を中心にした活動で設置できたところだ。これらの拠点を軸に、ほんとうに困っている障害者との出会いを求めて本格的な活動が展開されようとしている。
 今回の大災害の後も全国から支援金がどんどん寄せられ、「ゆめ風」に寄せられただけでも新たに一億六千万円が加わった(7/8現在)。これらの支援金は全国の障害者と仲間たちに届けられたもの、どうか困っている仲間のことを知っておられる人はゆめ風事務局(TEL06-6324-7702~3/FAX06-6321-5662)にご一報ください。急いで理事が集まり検討させていただきます。
 ところで、全国連の運動趣旨に沿っていうと、災害が起こり避難所に逃げ込むとき、障害者の多くは避難所で暮らせるか否か、が問題になる。阪神淡路のときは車いす常用者がトイレに困り、半壊の車いす住宅に戻るしかなかった。また、愛知の水害では知的障害グループのリーダーから伺ったのだが、「避難所では落ちつかないし、他の避難者からトヤカク言われたくないので、知り合いのスーパーの屋上に避難させてもらって難を免れたけれど、後で考えると、まずは避難所に行き「どっこい生きてるよ」と伝えるべきだったかな」とのこと。
 今回の東北の避難所でも「福祉避難所」の必要性が大合唱される。つまり、障害者にはそれぞれ特別なニーズがあるから、その設備が整った避難所が絶対に必要だ、という声だ。そのように言いつつ、地域社会から山深い施設に障害者を追いやったのではなかったか。また、専門家がいる、仲間がいる、設備が整っている、と地域の学校から遠い支援学校(なんか、これもウソっぽい言い換えだなぁ、ほんとうの支援は障害児の壁を取り除くことだ)へのバス通学を強いてきたのではないか(本気の右ストレート)。
 それぞれのニーズに応える設備は当然必要だが、それは一般の避難所から障害者を分けることではない。そうではなくて、一般の避難所とそれらのニーズに応え得る備えとがパイプで繋がっていてほしい。必要のないところまで設備を整えろ、ではない。まずは、どのような人も拒まない、というのが避難所の(社会の、学校の)原則で、特別な手立てのルートをつねに準備をしておく、ということだ。そうした場では、急に障害者と同じニーズが必要になった障害なき人も救うことができるし、同じ場でさまざまな人が生き合っていることを実感できることにもなる。そこに現れる諸問題をどのようにこなしていくかが「生きる」ということだと考える。だが、そう簡単なことではないので悩み続けているボクである。だけど、しつこく悩み続けてやろうと思う。

ヒデの救援レポート7月25日

ヒデの救援レポート、7月25日:30
 梅雨明けが告げられたのに、セミがなかなか鳴かなかった。やっと鳴き始めた頃の、7月15日~17日の2泊3日間。徳島で開催された精神障害者地域生活支援協議会あみ第15回全国大会に、記念講演者として招かれ、行ってきました。記念講演、分科会助言者、シンポジウム助言者の三役というコキ使われ方に、へろへろになりました。(笑)
 700名以上の全国からの参加者があり、活発な議論百出で、面白い大会でした。ゆめ風基金からも支援した、津波で流され、日中活動の家屋の土台しか残らなかった、仙台市のみどり会からの現地特別報告もあり、楽しい雰囲気の中にも、緊張感のある集会でした。ちなみに、みどり会では、津波による被災者は出なかったそうです。ボクも、可能な限り、被災地救援の情報を伝えたつもりです。
大会実行委員会の中心人物でもある、旧知の徳島市のハートランド・アップルの山下さんから、徳島でも、ゆめ風基金ネットワーク活動の本格化に力を入れたいとのお申し出をいただきました。それにしても、暑さと盛り沢山な日程に、さすがに疲れました。そして、その後、台風がやって来て、徳島にも一時上陸したのです。危機一髪でした。
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月20日までに、166783557円。7月23日までに、167314655円です。これまでに支援した団体、個人への金額は7月1日現在67,164,600円。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ゆめ風基金に届いた、鎌倉からの救援風景。
みんなに届け、わたしたちの風
 売り上げをすべて被災地の障害を持っ方々へ障害が重く、外に出て活動することがあまりできない方々と、自宅や病院のベッドサイドで、小さなフエルト作品を作り始めて、3年半が経ちました。この間、たくさんの方々のご支援とご協力で、いろんな方のお手元に作品を届けることができ、自宅や病院から、社会参加への大切な歩みとなりました。みなさん本当にありがとうございます。
 この3年半の間に、メンバーの中には天国へ引っ越しした方、新たに人工呼吸器をつけたり、濃密な医療ケアが必要になったりと、身体状況的には少しずつ厳しくなっている方もおります。それでも気持ちは、元気いっぱい!生きることにとても前向きです。
 どんな状況でも生きていきたい。生きていってほしいそう願い、これまでは売り上げの4割を、海外・アジア・の厳しい状況にある障害を持つ方々の支援にあててきました。そして今回の大震災…
 想像を絶する被害、3ケ月経った今も、まだまだ大変な状況にいる大勢の方たち、そして障害を持つ方たちは、避難所で生活することも厳しく、必要なサポートや物資を手に入れることが健常の方より難しく、生命の危機的状況(実際、避難生活中に亡くなった方もいます)の中にいます。現地に飛んで行って何かお手伝いしたい…私たちみんな、そういう思いでいます。
 しかし、実際に動くことが難しい中、その思いをフエルト作品にこめ、売り上げのすべてを、被災地の障害を持っ方を支援する団体被災障害者支援ゆめ風基金に寄付することにしました。
ゆめ風基金は、阪神淡路大震災の際に発足し、これまでさまざまな自然災害に対し、日本だけではなく海外の障害を持っ方々へも基金を届けてきました。そして今回の大震災に対し、基金の全てを投入しています。詳しくは、別紙リーフレットをご覧ください。
 これからもどうぞよろしくお願いします。風代表・関原和佳子
全国移動ネット災害支援の会災害支援だより3号巻頭言より
 泥との格闘が続く被災地では5月も半ば過ぎると暑さも増して、大変な状況が続いているのだろう。被災地に豪雨とニュースが流れたが、こんな状況でも被災された方々は、一時避難の状態から普通の生活を取り戻すために、仮であっても新しい住まいや仕事を捜しているだろう。
 遠くで思いを巡らすだけではなく、現地に足を運ぶ人たちが我々の関係者にも増えてきた。しかし、まだまだこれからである。
雑誌・介護保険情報7月号冊中18ページ
論壇東日本大震災と障害者の医療・介護について
人工呼吸器をつけた子どもたちとともに歩む立場から
人工呼吸器をつけた子どもの親の会・穏土ちとせさんの9ページに及ぶ文章からの抜粋
 支援の実際・繋がりに助けられて中略・阪神・淡路大震災では、被災家族のニーズを把握後、ケアに必要な医療物品や衛生材料や生活用品を会員が持ち寄り、大阪方面からバイクで神戸まで緊急配送するなどの直接支援がかろうじて可能でした。
 しかし、今回の震災では、地震の規模も範囲もはるかに上回るうえ、事務局大阪から遠く、会だけの力で実質的な支援を行うことは困難でした。しかも東北支部は会員が点在していることから、支部内で助け合うことも不可能な状況でした。
 幸いなことに震災数日後には、NPO法人ゆめ風基金(阪神・淡路大震災を機に設立された、国内外の自然災害で被災した障害者の支援をする団体)、DPI障害者インターナショナル日本会議、J1L全国自立生活センター協議会をはじめとする全国の障害者団体が連携して東北関東大震災障害者救援本部が立ち上げられ、被災障害者支援の活動が開始されました。
 バクバクの会もゆめ風基金の緊急支援要請に応えて医療物品調達・輸送協力、街頭募金活動などに参加しました。会員への支援は、安否確認をしながら、困っている状況がないか確認するところから始まりました。
宮城県では、会員やバクバクっ子と関わりの深い医師とメールで連絡を取り合い、必要な支援についても確認しましたが、自分たちはどうにか頑張れるからと、むしろ同様の状態で踏ん張っている在宅の他の子どもたちへの物資供給のことを心配されたため、現地の障害者救援センターの支援情報を提供しました。
震災と原発事故で孤立状態だった福島県では、物資の不足に加え、先行きが不透明なことから病院機能も混乱し、精神的にも追い詰められていた会員のSOSに対してゆめ風基金を通じ現地の障害者支援センターに連絡し、直接会いに行っていただきました。
 このように、物資の支援にとどまらず、会員のところへ出向いての相談支援にも対応していただき、真っ先に、一番支援が届きにくいところに支援を届けよう!と全国の力を結集したネットワークの動きが、どれほど心強かったことでしょうか。また、これまでいろいろな問題で共闘してきた当事者団体のみなさんからも、救援物資で困っていないか、同じ人工呼吸器ユーザーやそのサポーターとして声をかけていただき、日頃の繋がりの大切さを痛感しました。後略
 簡潔な文体で書かれ、読みやすく、震災、被災、救援、復活の道筋が鮮明に表現された、素敵な文章です。ぜひ、雑誌を手に入れられて御一読されることを、お薦めします。
DPI女性障害者ネットワークのチラシより
○避難所などでの障害がある人への基礎的な対応・あなたのまわりにこんな方がいたら・
○障害がある人は、かわいそうな人や、自分では何も判断ができない人ではありません。その人の年齢にふさわしい態度で接してください。
○障害がある被災者は、一般的な情報があっても、危険に対して理解・判断しにくく、危険に対して適切な行動が取りにくい状況に置かれがちです。
○外から見ても分からない障害もあります。不思議と思われる行動をしている人がいたら、正面から困ったことはないですか等、話しかけてください。そして、その人の希望とペースに合わせた手助けをしてください。
○障害のある女性は、ふだんから情報が届きにくく、声をあげることがさらに難しい、ニーズを出しにくい立場におかれています。
○介助や補助が必要な人や呼吸器をつけている人などのなかでも、特に女性は、生きる優先順位を自分でも低めがちです。平時の社会でも、人工呼吸器の装着が必要になった場合、女性のほうが男性より、呼吸器をつけて生きることを選ぶ人の割合が低いというデータがあります。
○女性の身の回りの介助、とくに着替え・トイレ・入浴は、女性による支援を徹底してください。以上
7月4日・被災地障害者支援センターいわて・での活動報告
 活動にあたって5月に盛岡を訪問したときに話し合った結果、障害者の存在をアピールすることが大事だという話しになりました。そのためにはJ1Lの加盟団体が障害当事者を被災地に派遣して、被災者のお宅を回って障害があるから他人に迷惑をかけるからとかの無用な遠慮をすることはない、震災前と変わりない当たり前の生活ができるということ、更にはもっと当たり前に地域で暮らしていける社会ということを障害当事者自身が伝えていく必要があります。 
 岩手の障害者はただでさえ引きこもりがちだそうです。今回の震災後ますますその傾向が強くなるおそれがあり、そういった状況を変えていくためにも日本全国から障害を持っている人に来てもらって、肩身の狭い思いをする必要がないと言うことを伝えて欲しいと被災地障害者支援センターの今川さんは言っていました。
 そこでメインストリーム協会として障害当事者スタッフ一名と健常者一名が岩手に行き、被災された障害当事者に直接会いに行くことになりました。
 岩手県沿岸部の状況沿岸部の状況は5月に訪問した際に比べて整地が進み、新しく家を建てているところ、住居の補修作業なども至るところで見ることができました。しかし、場所によって道路の交通事情もあるのか、整地作業が重機を使って行われているところもまだ残っています。避難所や親戚等へ避難していた人たちが、やっと出来はじめた仮設住宅へ入居申請をしたり、入居を始めているという状況です。物資はある程度行き渡っているように感じました。
 大船渡市の役所でも救援物資の支給活動は6月末で終了し、残った物資等はボランティア活動を行っているところなどに委託となっていました。町の中では津波によって海水が浸水し、それによって打ち上げられた魚や海藻が腐っているのかかなりの異臭が漂い、大量のハエが発生していました。今後気温が高くなってくるにつれてそれに伴う被害が増えるのか心配です。節電の中、ハエによって窓が開けられずそれに伴う室温の上昇による熱中症が心配されています。
 たくさんの不安要素がありますが、それでも地元の健常者の人たちは復興ムードが出てきていると感じました。つづく。
ゆめ風基金に届いたお便りから。
ゆめ風基金事務局御中・奈良県生駒郡住所&電話のSさん。
 東北支援のため、三万円を通帳から振り替えておきました。入金されても通知は行かないかと思いますが、お確かめください。私は高齢で労働キャンプには参加していませんが、奈良拠点の国際労働キャンプFIWシィのキャンパーが支援に行ってくれているので、カンパだけしています。視覚障害者のための音訳ボランティアの技術を生かして、一度、避難所訪問をしてみょうと思っています。みなさま、おつかれさまです。僅かですが足しにしてください。6月3日。以上!

ヒデの救援レポート、7月18日

ヒデの救援レポート、7月18日:29
 7月11日・12日は、東京。15日から17日までは、徳島行きと、何が何やらのテンテコ舞いのへろへろ1週間をなんとかやり過ごして、今日やっと、このメール通信を発信します。
 トウキョウ物語、阿波の徳島物語については、救援風景として、後日に報告します。ところで、タバコを吸うひとが、東京に行くときの必需品は、携帯灰皿ですね。路上喫煙が禁止ですし、場所によっては、全面禁煙になっていますから。それ以上に、タバコを吸う姿に、眉をひそめて、嫌悪感を露骨に示すひとが実に多い。タバコを吸う人間は、悪党だみたいなね。クソっ!
 ところで、ホテルでの新聞、テレビの情報で、妙なことに気づきました。それは、関西では、震災情報は、全体情報の三割程度で、被災地三県の情報が割と平等にありますが、東京では、震災情報が全体の七割位。それも、福島の原発事故関連が圧倒的でした。この違いは、なんでしょうかね?
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月9日までに、163071957円。7月11日までに、163841948円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 ロボット掃除機顛末記!3月11日から、始まったヒデ的大震災救援動乱の結果、日常生活がてんやわんや。自宅の掃除などがほったらかし。さすがに、これはいかんと反省しきりのおり、ふとテレビに目をやると、ルンバというロボット掃除機のコマーシャルが目に留まった。
 こりゃあ便利なものがあると、早速飛びつき、量販店で買い込んだ。4万5千円うんぬん。高いねー!これで安心して救援活動に専念と、すぐに動かした。しかしながら思い込みは、アカンなぁ。テレビに映し出されたロボット掃除機は、広い室内の動きです。ボクの自宅は、自慢じゃあないけれど、とても狭く、ゴタゴタといろんな物が置いてあるのです。それを失念しておりましたねぇ。
 ロボットを動かしたのはいいけれど、ロボットがお行きになる場所ごとに、ロボットの鼻先にあるゴタゴタ物を片付けて、ロボットのお通りを願うことになった。これが結構疲れる。これだったら、自分で掃除機をかけていた以前のスタイルの方が、はるかに楽なのだ。救援にかまけて、手を抜いていた日常生活のツケが、こんな形で現れるとは、なんともかんとも、間の抜けた話ですよね~。現在、只今、愛しのロボット掃除機は、次なる出番を待ちつつ、充電されつつ、台所の片隅で、おねむりになっておられます。
 テレビからは、福島原発事故の余波による、関西電力からの15%節電の呼びかけが垂れ流され続けている。それにしても、まだ7月半ばなのに、なんという暑さなのか。夜眠れなく、からだがついて行かない。今夜もエアコンをつけて眠るぞぉ~。節電なんか絶対しないぞぉと、ほざき続けるヒデですよ。
全国移動ネット災害支援の会災害支援だより2号巻頭言より
電話03-3706-0626
 震災から2ケ月たっても避難者の過酷な生活状況が大きく改善されたように思えないが、阪神大震災や新潟地震などで被災者と一緒に考え、もがいた人たちが現地に入っている。これからどうすれば良いのか見えないものを少しでも見えるように、少しでも状況が変わるようにと考える人たちがいることに元気づけられる。
 東日本大震災・宮城、石巻地方沿岸部の記録と題されたDVDが発売されています。この売り上げの一部は、石巻地方沿岸部に、義援金として寄付されるとのこと。この映像は、ふるさと石巻の被災状況を知りたいという声に応えて製作したものです。変わり果てた故郷、消えた故郷、M9、0の巨大地震、そして大津波の襲来。多くの尊い命と日常が奪われた。誰もが想像しなかった受け入れがたい現実。その時、、、明と暗生と死を分けたものはいったい何か。記録映像と証言は次世代に何を問いかけているのか。
撮影地・石巻沿岸部、新北上川周辺、河北町、北上町、雄勝町、牡鹿半島周辺、東松島市、女川町
監修・三陸河北新報社、製作・ビデオプラザ神奈川・本社石巻市。
電話090-2987-3036
本編30分・2800円。
ゆめ風基金は、自身の基金活動もしますが、他の基金への補助金申請も行います。これからの長期支援活動と、膨大な支援金消費を考えれば、どのような形のお金であれ、集めねばなりませんから。みなさんも、補助金申請は、救援活動活性化のために、どんどん取り組まれてはどうでしょうか。今回、ゆめ風基金は、2件の申請を行います。
申請先日本財団。
東北地方太平洋沖・災害にかかる支援活動助成対象事業障害者・高齢者に対するもの・被災された方の心のケア。補助金100万円・補助率100%。
具体的な補助内容、2011年11月3日、於、大阪において被災障害者を迎えて、みんなで元気になるイベント。被災地の授産施設の作品の物品販売、被災障害者との交流イベント。補助金100万円・補助率100%費用対象事業障害者・高齢者に対するもの・被災された方の心のケア会場費、宿泊費、交通費、印刷代チラシ、ポスターなど
赤い羽根災害ボランティア・NPO活動サポート基金対象事業
被災した方を支援するボランティア活動全般。復興支援と新たなコミュニティーづくり。補助金一週間以内、10万円、1ヶ月以内、50万円、中長期300万円補助率10
0%会場費、宿泊費、印刷代チラシ、ポスターなど。
ヒデのちっぽけな友人こぼれ話。
 ボクの住まいする、大阪府北部のちっぽけな街、箕面市の男性の友人の話です。Hさんは、丸々30年、箕面市役所の職員として、働き続けてきたひとです。ボクも障害児教育、障害者施策、人権行政に、古くから、箕面市行政には、コミットしてきましたから、小さな街の小さな役所です。たいていの職員とは顔見知りの関係性にありますし、ある時は味方。ある時は、敵として、行政と市民として、いろんな仕事を共有してきました。しかしながら、Hさんとは、なぜか一緒に仕事をしたことがありません。それは、Hさんが現業畑の職員で、ボクが関わってきたのが、ソフト面の施策関係であったことが、大きく関係していたと思われます。
 そんな、あまり関係ないふたりが友人になれたのは、ふたりが行く、安物の呑み屋が偶然にも一緒だったからにほかなりません。ざっと15年ほど、呑み友達です。このHさんは、ボクの目から見ても、少し変わった人物です。別な役所の友人に聞いても、あのひとは、変人で、職場には友人がいないよとのことだった。
 先日も、同じ呑み屋で顔を合わせると、ヘンに気負って、話しかけてきました。あのな、河野はん(Hさんは、いつもボクのことをそう呼ぶ)、ワシもな、長い間役所で働いてきたけど、役所の人間は、どいつもこいつも、役所の中では、上ばっかりみてる。市民に対しては、上から目線のクセにな。ワシも含めて、役所人間は、サラリーマンじゃなくて、ヒラメーマンやね。上ばっかりみてる。今回の東日本大震災の救援にしても、役所から派遣されて行くのは、あれは仕事で行ってるだけや。月給もろうて行ってるんや。個人として、悔しかったら、自腹切って行かんかいや。河野はんがやってる救援活動とは、質的に違うねん。その事を職場で話したら、職場で大ゲンカになってしもうた。ようやってられんわ。ここまで一気にしゃべると、泡の消えたビールをグイッとあおった。ボクは、Hさんのその妙な正義感のあるところが好きなんだけど。
 そして数日後、また呑み屋でゴッツンこ。今度は、少し神妙な語り口で、やっぱり、今の職場で働き続けるのは、無理やと、長い時間がかかったけど、それに気づいたんや。しやから、6月一杯で、役所を退職する事にした。退職届けも出したしな。と。またまた、ビールをグイッと。
 ボクは、正直なところ驚いた。あまりに急な話しだったから。そして、その後、話は、急展開した。ほんでな、河野はん。ワシを河野はんがやってる被災障害者救援活動に加えてくれへんかな?退職したら、7月からヒマになるから、被災地で、救援ボランティアをさせてくれへんかな。本当のことが知りたいねん。少しくらいなら、長期でもエエで。と。なにがなにやらワケ分からないけれど、とりあえず、三県統合本部総合ボランティア窓口につないだ結果、7月11日から、仙台の障害者センターに行くことになってしまった。
 ひとの出会いと運命は分からない。Hさんが被災地から、帰って来たとき、どのような変貌を遂げているのか。ボクは、どのような顔つきで出迎えるのか?さっぱり分からない展開に、ボク、口あんぐり。ちなみに、Hさんは、織田信長に反旗を翻した、明智光秀の所領地、京都の奥、兵庫県丹波地方の出身ではあります。どうなるんでしょうね。
立命館大学の立岩真也さんのブログに掲載されている文章に、凄い文章がありました。
 筆者は、63才の男性で、成人の子どもさんひとりには、障害があります。あまりの長編なので、転載は出来ません。内容は、福島原子力発電所の近くに住み、自身も原発で働いた経験がある人が、原発事故が起きた、次の日の3月12日から、18日までの一週間の逃避行、五回の避難所移転の記録です。
 防災スピーカーから流れる震災による福島原子力発電所の事故で、放射能漏れの危険があるので、町民のかたは全員、大至急避難せよの告知に急かされて、家族、一族が、着の身着のままで3台の車に分乗して避難、少しも動かない渋滞している道路から始まっています。文章は、決して上手いとは、言えませんし、急いで書いたようで、誤字脱字があり、言い回しのおかしいところもあるのですが、言葉で伝わる範囲を凌駕しています。
 文章は、上手い、下手ではなくて、真実の経験や、人間の苦悩、想いが伝える原動力なのだと痛感致せられました。逃避行の原因への怒り、家族への想い、人間の関係性、社会的場の雰囲気などなどが、経験したものでなければ書けないこととして、刻み込まれ、展開されています。ボクは、読み進むつれ、気分が悪くなると同時に、人間の持っている、不思議と、絆の有り様を、深く、深く、考えさせられました。みなさんにも、立岩さんのブログを開いての御一読をお薦めします。以上!

ヒデの救援レポート7月11日

ヒデの救援レポート7月11日:28
東日本大震災4ヶ月目です。このメール通信は、先日お知らせしたように、ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんのデビュー50周年&被災地支援コンサートに駆けつけるべく、牧口代表とのデコボココンビで、東京に向かう新幹線乗車前に、発信しています。まぁ、それがどうしたですがね。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月6日までに、160406611円。7月7日までに、160631420円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
ゆめ風ネットワークしまね呼び掛け人、太田明夫さんが投稿した中国新聞・今を読む・からの、島根県からの救援風景。16年前の阪神大震災。私は被災地に行けない後ろめたさを感じながら地域の障害者団体とともに小さなコンサートを開き、後方支援をしていた。
3月11日、東日本大震災の発生を知った時、今度こそ被災地へと思い立った。折しも自治会活動の防災訓練を続けていた縁で日本赤十字社日赤島根県支部の要請を受け、4月初めの一週間、災害ボランティアとして宮城県に赴いた。亘理町などで住宅に流れ込んだ土砂の除去、避難所のテント張りなど、日赤だからというわけではなく要請があれば何でもした。ただ、活動できる人は多いのに、多額の義援金と活動とが直結しないもどかしさもこの時に感じた。
そこで4月下旬、阪神大震災をきっかけに生まれたNP0法人・ゆめ風基金(大阪市)などが運営する被災地障害者センターいわての活動にあらためて参加した。ゆめ風基金は一番困っているところにすばやく届けるのがモットー。ゆめ風ネットしまね呼び掛け人の私は、幸い事務局の人たちと顔が見える間柄だった。
今回の活動は2、3人のグループで避難所や行政機関、福祉施設などを回って被災した障害者を探し、心配事、困りごとを聞き出して動くこと。早い時期に入ったメンバーは寝袋で車中泊したり、雪で帰れず訪ねた施設に泊めてもらったりしたこともあったという。
私の役割は彼らをフォローし必要な物資を届ける、新たな課題を見つける、被災施設の詳しい調査を、行う、といったことだった。電池、紙おむつから施設の修復資金まで、必要と判断すればすぐに届けるのである。私が会った岩手県山田町の車いすの女性Kさん。兄と認知症の父親の三人暮らし。自宅近くまで押し寄せた津波の直接の被害はなかったが、よく通っていた商店が流され、買い物に困っていた。私たちはこの家庭に医療器具や衣類、食料などを届け、通院や買い物の介助を続けている。Kさんはいったん避難所に入ったが、障害者の居場所はなく、あなたの来るところじゃないという言葉まで投げつけられる。こんな体になった自分が悪いと、悔しい思いで自宅に帰った。死にたいとも思った。そうした話をじっくり聞くことも私たちの仕事だ。
同県大船渡市の精神障害のある男性Kさんは8ケ月前に県外から転居したばかり。直接の被害はなかったが、津波で病院が被災したため障害者手帳交付に必要な診断書をもらえず、年金が支給されていない間接的被災者だ。なぜ今、私がこの町で…と思いながらも行政などの窓口を回り、生活保護や生活福祉資金貸付などの道筋をつけた。つなぎ役が私の仕事だと思ったからだ。そして次の町へカーナビを頼りに走るが、浸水でルート通り進めず、突然、がれきの中でナビが終了。目的の同県陸前高田市役所は倒壊していた。近くを歩く人に道を尋ねると、まだ見つからない家族を探していた。私たちは言葉を失う…。
しかし、同じ町で早くも将来に向けて動き始めた人たちもいた。被災した障害者を受け入れ、グループホームをつくりたいという。震災を教訓にソーラーと井戸水を組み合わせた電力を使う、と夢は広がる。自らも母親を失い、ようやく火葬を済ませたという男性も休みなく働いている。
私たちはつらく厳しい状況を目にしてきたけれども、温かい心、熱い思いにもたくさん出会うことができた。単なる復興ではなく、障害者が自立して生きるまちづくりへ、応援したい。そしてボランティアはどこでどう動いても、主役ではない。それだけは忘れず、できることをできるところで、力まず続けたいものだ。
少し古い記事ですが、6月25日(土)の読売新聞から。
見出し、障害者を被災地派遣へ
メインストリーム協会の会議風景の写真付き
全国各地の障害者団体などでつくる東北関東大震災障害者救援本部は、障害者自身をボランティアとして東日本大震災被災地に派遣する事業を始める。障害者同士の交流を通じ、前向きな気持ちを持ってもらうとともに、必要とされる支援の掘り起こしを図る。
同本部は岩手、宮城、福島の3県に被災地障害者センターを設立し、障害者の状況調査や介助、移送などの支援を行っている。今回の派遣活動は、同本部世話人で、兵庫県西宮市の障害者自立生活センターメインストリーム協会事務局長の佐藤聡さん(44才)が5月に被災地を訪れた際、現地のスタッフから支援のニーズが把握しにくい。健常者だけでなく、障害者にも来てもらい、被災障害者の声を聞いてほしいと要望されたのがきっかけという。
もともと東北は、自立生活センターや福祉サービスを提供する事業所が少なかった。施設入所や家族介護など、障害者が閉じこもりがちな生活を送っていたことが背景にあるのではと佐藤さん。震災以前の状態に戻すだけではなく、障害者が暮らしやすい街に変えるためには、障害者自身の意識の変革が必要。他地域で自立している障害者をロールモデル・ひな型・として示す意義は大きいと話す。27日から同協会のメンバーが1週間ずつ、介助者とともに被災地入り。現地のボランティアとともに、仮設住宅の巡回などの活動を行う。秋以降は同本部を通じて現地入りする障害者を募り、来春まで続ける予定。同本部では、被災障害者への救援金や1週間以上現地で活動できるボランティアも募集している。問い合わせは同本部の大阪事務局を務めるNP0法人ゆめ風基金06-6324-7702へ。
この事業には、ゆめ風基金から300万円の支援をしました。
バクバクの会人工呼吸器をつけた子の親の会2011年度全国総会が8月6日(土)午後1時より、開催されます。場所・大阪、エルおおさか旧・府立労働会館京阪電車、天満駅下車すぐ。時期が時期なので、記念講演は、ゆめ風基金の八幡理事による、被災地特別報告講演になり、会員以外の一般参加も広く呼びかけられています。ご参加をどうぞ!電話072-724-2007
全国移動ネット災害支援の会・電話03-3706-0626
東日本大震災災害支援だより創刊号巻頭言より
いま、試される市民の力・災害支援の会プロジェクト代表柿久保浩次
今回の震災で被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。震災当日から大変なことになったという思いが心を占めて、押しつぶされそうでした。阪神大震災の時の経験は持っていても今回はそれを大きく上回っています。これはいかんと自分にできることを探し始め、関係者に声をかけて全国移動ネットの中に災害支援の会プロジェクトを発足させました。幸い被災地の当会の理事たちが無事で、また山本理事が東京から素早く被災地に足を運んで支援物資を届けてくれたことも、我々を元気づけてくれました。しかし、1ケ月を経た今でも被災地や避難場所で多くの方々が生活とは言えない不自由な避難生活を強いられ苦しんでいます。我々ひとり一人ができる小さなことを集めて、この人たちを支援することはできないでしょうか。
今回の震災復旧は長期に渡ると言われていますが、この国の制度や支援体制を十分に機能させてこの方々を救えないでしょうか。市民の力が試されています。被災した方々に寄り添って考え、支援していきたい。
6月27日の朝日新聞の朝刊39面の半分を使ったデカい記事が掲載されました。障害者自活に箕面流内閣府の障害者制度改革推進本部の最終報告書に、全国で唯一の障害者事業所賃金補助金制度を持つ箕面流がモデル事業候補として盛り込まれたことの報道です。
被災障害者救援バザー活動を継続積極的に担ってくれている、豊能障害者労働センターが大きく取り上げられています。興味のある方はご一読ください。問い合わせは、豊能障害者労働センター・電話072-724-0324
6月30日、朝日新聞朝刊のボランティア情報欄に掲載されました。障害者支援ボランティア募集。被災した障害者を支援しているNPO法人ゆめ風基金06-6324-7702が、岩手・宮城・福島で活動する。障害者の支援に携わった経験がある人が望ましい。期間は最低1週間。特技・専門分野、活動希望場所、活動できる時期を申請。
7月7日、七夕の日。いつも、ゆめ風基金事務所に、事務仕事を手伝いに来所される森田さんという女性が、先週土曜日に放送された、永六輔さんのラジオ番組を録音して持って来られたので、事務所で聴きました。ゲストは、小室等さんで、ゆめ風基金活動の話しをされたとのこと。聞いていると、話しの方向が被災地のことになり、永さんと小室さんが意気投合されて、被災地に行って、何かやろうじゃないかと、展開していた。
そして、テープが終わると、ほぼ同時に、電話が鳴り、出ると、小室さんご本人。今、永さんのラジオ番組録音を聴いていたんですよと伝えると、笑いながら、それじゃあ話しが早い。永さんとふたりで、8月の23日に、仙台市に行くことになったので、会場を押さえて、何か企画を考えて欲しいとのこと。
あまりの急展開に、こちらがへどもど。急いで、牧口代表に連絡して、了解を得、仙台市の八幡理事に連絡。8日、朝には、仙台市の障害者センターのたすけっとから、会場を押さえたとの返事がありました。なんという、速さでしょうか。ちなみに、8月23日は、奇しくも、ゆめ風基金橘高事務局長の誕生日でもあります。何かの因縁ですかねぇ。
今回は、新聞記事ばっか。次回から、すっきりさせます。以上

ヒデの救援レポート7月4日

ヒデの救援レポート7月4日・27
 怪人20面相もどきのヒデです。7月に入ると、後段でお知らせするように、ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんのデビュー50周年&被災地支援コンサートが、11日に開催されます。そのために、牧口代表理事と、副代表理事の面相をしたヒデが、東京まで馳せ参じます。
 また、15日16日に開催される、「あみ・全国精神障害者地域生活支援協議会第15回全国大会in徳島」が阿波の国から、きれいごとばかりじゃどないもしゃあない、くんだら、くんだらと銘打って行われます。怪人ヒデは、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長の面相をして、天翔るがごとく被災障害者救援と、障害者市民現代史・筆舌に尽くし難しをテーマに、記念講演とシンポジウムをこなします。その内容は、後日にレポートしますが、入手した情報では、東北地方方面の参加者は、やはり激減しているそうです。怪人20面相もどきヒデは、パタパタばかりです。被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、6月30日までに、157838362円です。
支援した団体、個人への金額
 NPO法人フルハウス。フリースペース・ソレイユに500万円。支援金決定の電話は、すごく嬉しくて興奮してしまいました。感謝するばかりです。ありがとうございました。利用者の皆さんが安心して作業ができるよう、新築費用に使わせていただきます。
 社会福祉法人みのり会に375万円、東北関東大震災被災障害者救援本部・障害者ボランティア被災地派遣事業に300万円を支援しました。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 一週間、宮城県障害者センターに、救援ボランティアとして活動して来た、箕面市の豊能障害者労働センタースタッフ、Iさんと、少し呑みながら、話し合いました。その中で、ちょっぴり不良っぽくてシャイなIさんは、青年らしい責任感と心の揺らぎを吐露していました。被災地に救援ボランティアとして行くと決めてから、ずいぶん心とからだが揺らいだ。本当に自分が行って役立つのかなぁと。どんなことをすればいいのかも心配だった。
 結局、現地に行くことに、結構ビビっていたんやね。障害者センターに着くと、現地のスタッフは、相当に疲れきっていて、それは、そのスタッフ自身も被災者に他ならないからで、当然だと感じた。だから、やるべきことを指示するだけで、具体的な指示は、ない。先発のボランティアが残していった、申し送り書類を頼りに、チームを組み、避難所回りや、訪問活動をやった。ボランティアにやって来るひとは、何か、心に期するものを持っていて、ガチガチに力が入っている。だから、ちょっとした事柄で、意見が食い違ってしまう。自分が行った時には、多くのひとが、いっぱい、いっぱいのように見えた。その対抗軸として、自分が考えたのは、適当に、ゆっくりとして、しっかりしょうと、チームメイトに話しかけることだった。毎日、人間関係が気にかかった。
 ある避難所で、中年の女性精神障害者のひとに出会った。そのひとは、避難所の自治組織の役を積極的に担い、自分から見ても、限界筒いっぱいに踏ん張っていて、傍目から見ていても、頑張り過ぎていると感じ、大丈夫かなぁと心配したけれど、そのひとは、そうでもしていないと心が保てないのかもしれないと思い、見守るしかできなかった。自分が申し送り書類に書いたのは、そのひととは、つかず離れずに距離感を持って、キチンと見守ることだった。毎日の活動は、やったことのないことで、自分も素人だけど、現地スタッフも素人なのだと気づかされた。上から目線や、思い上がりな考え方は、絶対禁物だね。それを活動から学んだなぁと。
 いよいよ、帰る段になって、もう少し活動に残りたいという気持ちが強くした。大阪に帰ってきてからは、自分の気持ちをなだめるのに四苦八苦してる。現地では、チームメイトと、毎晩呑んで、意見交換をしたので、カネが底を突いてしまった。チャンスがあれば、また行きたい。とニヤリと笑った、Iさんではありましたね。
 どんな時でも、心の自在が、つながりの基礎ですねと思った風景の中のヒデです。
手をつなぐ育成会・京都、右京支部からの呼びかけ!障害を持つ子ども、青年たちの将来を考える学習会
 東北大震災!その時、知的障害者は!この経験から学んで、子供として?親として?地域にとって、何が必要で何が大切なのか?
7月22日・(金)・午前10時-12時、さんさ右京5階会議室(右京区役所内)
特定非営利法人・ゆめ風基金、八幡理事の被災地現地報告講演。ゆめ風基金は、阪神淡路大震災を機に、地震などで被災した障害者を支援しょうと、永六輔さん達の呼びかけで発足して以来、被災障害者支援活動を続けていられます。今回も、殆ど東北に張り付いて障害者の支援をされています。現地での体験談や、知的障害者の自立への挑戦と地域のつながりの大切さを改めて感じたとのことです。会員以外でも、右京地域以外の人でも、参加歓迎です。悩みは一緒です。子供や親のつながりこそが、親なき後の子ども達の明るい未来をつくります。連絡先・872-5376
ヒデの友人の吹田市の千里寺の住職、武田達城さんが出している寺報:如是:第824号のレポートの2です。
 震災支援の報告
 5月29日朝9時、阪急淡路駅近くにある拠点から、10トントラックに物資を積み込みました。作業も2回目、少し要領もよくなり1時間ほどで終了。このトラックは、桑名市の拠点で300セットを積み込み、翌日再び宮城県亘理町で再会します。ご門徒の法事をお勤めして、長男と一緒に午後3時15分伊丹発で空路仙台へ向かいました。
 翌30日は、台風2号から変わった温帯低気圧が梅雨前線を刺激し、被災地各地で記録的豪雨となりました。8時にレンタカーのトラック2台で仙台駅前を出発、予定より30分遅れて亘理町到着。まず避難所になっている体育館へ向かい、再会した10トントラックから284セットを下ろしました。これで亘理町へ1000セットの約束を果たすことができました。新たに近隣の新地町からの要請を受けておりましたので、真光寺で町民の皆さんとセット化作業を始めました。段ボールに入れて物品ごとに運んだ物を衣装ケースに入れていく作業です。これがなかなか手間がかかります。未使用品の食器も、ほこりやシミがついている物は洗い直して納めます。夜7時半に作業終了。
 31日は、手分けして数カ所の仮設住宅で無料バザーを行いました。仙台からトラックを借りたのはこのためです。皆さまからお寄せいただいた中に、お願いした物以外のいわゆる番外品がたくさんありました。お気持ちを無駄にしたくないと思いついたことで、各地で好評でした。一連の作業で出来たゴミを行政指定の場所まで運び、このたびの作業完了。仙台午後5時25分発で伊丹に帰りました。
 行動してわかったことですが、ボランティアには、はい、これでおしまいというような、きりはありません。6月中に新地町に合計586セット、福島第1原発事故に関連して、福島県楢葉町の被災者に対して、同様の生活用品500セットの提供を進めています。さらに仮設に入られた方には、食事の支援がないこと、限られた電力事情でこれから迎える猛暑、その次に来る厳冬と問題は山積みです。ひとまずの区切りを報告いたしました。今後は、息の長い支援の輪を広めていきたいと考えております。有り難うございました。2011年6月中旬。住職
障害者問題総合誌そよ風編集部の福本さんからのお知らせ!
7月30日午後4時より。武田さんのお寺、千里寺で:阪急千里山駅西口下車、徒歩5分:電話、06-6384-0747。参加費1000円。救援活動を兼ねた、視覚障害者の落語家・桂福点さんの落語会が開かれます。みなさんの参加を呼びかけます。ゆめ風基金代表理事の牧口さんも参加します。
6月25日に行われた、被災障害者救援本部おおさかの統一共同救援カンパ行動には、久しぶりに晴れたとはいえ、台風の接近による、猛烈な猛暑になりました。外を歩いているだけで、肩で息をしなければならない暑さでした。そんな中、45人以上の仲間が、難波、高島屋前で、午後1時から5時まで、被災障害者救援を声を枯らして、訴えました。集まった救援金は、111845円でした。本当にご苦労様でした。7月の統一共同カンパ行動日は、9日と23日です。(土)難波高島屋前で、午後1時から5時まで。みなさんの参加をお願いします。
ゆめ風基金に届いた振り込み用紙のメモから。
 最寄り駅の山陽本線中庄駅前で約30名の生徒たちが、5月31日(火)の放課後、自分の都合のよい時間に、ゆめ風基金の街頭募金活動をしました。その時の募金を送ります。よろしくお願いします。清心中学校・清心女子高等学校
 7月11日・午後6時より、ゆめ風基金呼びかけ人代表の歌手、小室等さん、デビュー50周年記念and被災地支援コンサートが、ゆめ風基金との共催で、東京新宿、全労災ホールで行われます。大阪のゆめ風基金事務局からもスタッフが参加します。
 
 東北関東大震災被災障害者救援本部とうきょうの会合が、12日午後、戸山サンライズで開かれます。
 東北関東大震災被災障害者救援本部おおさかの会合は、22日午後6時半より、地下鉄大国町駅下車、徒歩5分、バーティー・バーティーで開催されます。八幡理事の被災地報告もあります。以上!

この3か月、血のめぐりがわるくなった頭だけれど、いろいろ考えた。

この3か月、血のめぐりがわるくなった頭だけれど、いろいろ考えた。
               被災障害者支援NPOゆめ風基金 代表理事 牧口一二
 この原稿を書いている今日は6月11日、つまり東北関東大震災大津波そして福島第一原発大事故からちょうど丸3か月が経過したわけだ。ボクは3月27日ごろからランダムに、4月に入ってからは毎日、わが手帳に……新聞に載っている「いままでの死者数、行方不明数、避難所暮らしの人数」をメモるようになった。6/10は死者15,401名、行方不明8,136名、避難所暮らし91,523名(ちなみに避難所暮らしが10万人を切ったのは6/2のこと)となっていて、6/11は死者15,405名、行方不明8,095名、避難所暮らし90,109名とある(警察庁発表による前日のまとめ)。
 前日とのことだから、9日と10日の24時間の間に亡くなられた(あるいは遺体が発見された)人が4名増え、行方不明だった人の51名が安否確認できたことになる。地震が起きて丸3か月の時点だから瓦礫に埋もれていて助け出された、とは考えにくい。どこかに逃げられていて消息がやっと確認できた人や大海原に呑み込まれていて(海上保安庁などの捜索で)遺体が見つかった人、ということになるのだろう。つまり、3か月後のこの日の24時間に、なんらかの理由で47人が生き残って身元確認されたことになる。メモを取っていると毎日毎日2桁の人たちが生きて発見されている。3桁の生存が確認されていたのは5/7までの記録で、それ以後は2桁になった。しかしながら3か月にもなれば、遺体発見も身元確認も日々難しくなっている、と新聞は伝えている。
                   ◆
 なぜ、ボクが死者や行方不明などの推移をメモるようになったか。それは、まだ東北に(車いすの)車輪跡を残せないでいるが、テレビ画面に映し出される大津波によって根こそぎ大海原に呑み込まれていった跡の、人間社会の風景とは思えない映像やほとんど何も残っていない焼け跡ごとき景色など、それだけでも息をのむシーンなのに、周り360°が同じように荒れはてて暮らしの残骸しか残っていない真ん中に立てば、ボクはどんな言葉を発するか、いや何の言葉も出てこなくて、ただ頭が真っ白になってしまうにちがいない。
 だけど日が経つにつれ、あの残骸のいまはどんな風になっているのだろう、知りたくて知りたくて……という想いがつよくなってきた。3度にわたって津波が襲った、という。2度目が最も大きかったと聞いたが、実際はあくる日まで何度も何度も寄せては返す津波だったらしい。そのリアス式海岸沿いは450キロにおよぶという。あの地域は、いまどうなっているのだろうか?
 1,000キロ以上離れた大阪から被災地のいまを感じたい、そこで思いついたのが毎日の新聞に乗っている警察庁調べの「今日までの(前日の)死者と行方不明そして避難所で暮らす人々」の数字を拾い出してみることだった。きのうからきょうへの何かが掴めるかもしれない。もちろん、人々の暮らしぶりは数字の推移だけで分かるものではない。もっと多面的で複雑で、数字ごときで簡単に推し量れないが、何か、臨場感がほしかった。
                   ◆
 3か月経ってもなお、2桁の生存者が日々確認できることはとてもうれしい意外であった(その対象軸に日々確認される死者の数が増える事実がある)。阪神大震災の最終的な行方不明者が3人で、伊勢湾台風の最終行方不明者が401人だった、と新聞記事にある。大海にさらわれてしまったこと、被災地が広い範囲にわたっていることが、まことに捜索を困難な状況にしている。そのうち、障害者はどれぐらい死んでしまったのだろうか。
 5月に入って、隣り近所の知り合いなどから「障害者の人たちの状況がいっこうに聞こえてこないけど、どうしているんですか」と尋ねられることが多くなった。確かに一般の大災害関連ニュースで、障害者の状況はあまり出てこない。マスコミが取材しなかったのか、そうでもない。例えば、NHK教育テレビは3/17から福祉ネットワークで災害関連情報を毎日ナマ番組で流し始めた(3/29にボクも東京で出演した)。だが、障害者はいま、どこで、どうしているのか、なかなか見えてこなかった。
 「ゆめ風基金」の成り立ちなどは後で書こうと思うが、16年間の活動で全国に51か所のネットワークができ、その1つ「ゆめ風ネットみやぎ」(じつは仙台の「CILたすけっと自立生活センター」)にゆめ風・理事の八幡隆司が3/18に入り、当地の活動を手伝うことになった。「たすけっと」は当初、自分たちと仲間の避難所になったそうだが、八幡が加わった頃には障害者支援の拠点として活動を始めた。最初の仕事は各避難所を回って、「困っている人はいませんか、障害のある人を教えてください」というビラまきだった。だけど、反応は鈍かったらしい。車いすや白杖など目立つものがあれば分かりやすいが、ほとんどの障害者は付き合いを始めないと分からない。孤立して困っている障害者を見つけ出すのは大変な作業になったようだ。
 5/24朝刊の新聞報道によると、東北3県の津波で被害を受けた沿岸37市町村に住む障害者は約15万人で、内閣府が障害者団体などに聞き取り調査した結果、9,000人のうち2.5%にあたる約230人が死亡または行方不明になっていた、とある。住民全体に占める死者・行方不明の比率は1%弱というから、障害者の死亡・行方不明は2~3倍ということになる。だが、少し疑問を抱く。ボクもそうだが複数の団体に顔を出している。ダブルやトリプル・カウントされていないだろうか。この疑問を、東京のこうした道に詳しい仲間に問い合わせたところ「大きな誤差はないだろう」とのこと。ならば、想像したくなかったことだが、相当数の障害者が大津波に呑み込まれてしまったのではないか。1度目の津波から逃れて、やれやれとひと息ついたところに2度目の大津波がきて呑み込まれてしまった障害者も多かったのではないか、その無念を想った。
                   ◆
 16年前の阪神淡路大震災、世の中全体が大混乱になったときの障害者の置かれた立場は、やはり危ういものだった。伝言や伝達が取りにくい視覚・聴覚障害者たちが避難所のリーダー格に、「何の列ですか?」と尋ねると「いま、それどころではありません」と後回しにされてしまったケースがあちこちで起きていた。今回の東北の避難所でも「あなたたちの来るところではありません」と言われた障害者がいた、と聞く。
 阪神淡路大震災のとき、大阪もそこそこ揺れたが、ひと息ついたところで神戸の障害者のことを想った。長田あたりで火の手が出て、炎がぐんぐん広がり、脳性まひの友が柱に足を挟まれ、必死に逃げだそうとしているところに火の手が回って、意識がはっきりしているのに焼け死んだなら……と勝手に想像し、さぞ怖かっただろうな、と思ったり。
 その次の日、障害者運動の仲間の女性が崩れ落ちた屋根の下敷きになって亡くなった、とのファクスが神戸からの第1報だった。まるで,イヤな予感が当たってしまったようなファクス、ところが第2報に驚いた。ふだんからの助け合いネットワークが機能し、他の救援物資が交通停滞の中、いち早く届いた食料で炊き出しを始め、寒さに震える地域の人々に「日頃お世話になってるお礼です」と豚汁を配って回った、というではないか。
 このファクスにどれだけ励まされたことか。30年ほどやってきた障害者による市民運動が1つの実りを示してくれた感動だった。ボクの体内からふつふつとエネルギーが湧いてくる不思議な体験をした。それが「ゆめ風基金」運動に発展するとは……
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 神戸や西宮の障害者たちが地域の人々に豚汁をふるまったことにエネルギーを得て、被災地神戸のようすを知りたかったが、テレビ画面からは不通になっている鉄道レールの上をリックを背負って神戸に向かって歩く人々の列が映しだされていた。当時、松葉杖をついていたボクにはマネのできないことだった。
 そんな折、我らが『そよ風』編集長、河野秀忠が「とりあえず、オレが行ってくる」と神戸に向かう。着くや「えらいことになってるでぇ。金や金、お金を集めなあかん。10億円は要るなぁ」と受話器の向こうで叫んだ。そのとき、ボクは「5億円ぐらいにしないか」と募金目標を値切っていたのだ(笑)。河野の10億もボクの5億も大した根拠もない直観の出まかせだった。ただ、河野は全国を、ボクは近畿を念頭にしていただけのこと。
 こうして、被災した障害者を支援する「ゆめ風基金」運動がスタートした。永六輔さんは「10年計画なのが、とてもいい」と快く呼びかけ人代表を引き受けてくださり、10年間を本気で大きな仕事をしてくださって、小室等さんにバトンタッチされ、いまもラジオなどで大いに呼びかけてくださっている。そのとき電話は鳴りっぱなし、事務局は大わらわ。
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 今回は津波の恐ろしさを痛感させられたが、それにも増して原発による放射能のしつこさには驚きと怖さを思い知らされた。ボクはあまりにも原発のことを知らなさすぎた。だが、専門家や当事者たちがあんなにアタフタするなんて想定外。ボクでも、原発危うしとなった当初のヘリコプターから建屋に水をかけるシーンを眺めていて(多くは的ハズレ)、なんとチャチな、と思ったものだ。これが、放射能漏れの危険性を社会が2分するほど騒いだ後に出てきた安全宣言のなれの果てだったのか、背筋がゾクッとした。
 原発推進派といえど、したり顔で解説していた政治家や大学教授が、後から次々と出てくる失態をすでに知っていて、のうのうと顔色も変えずにウソを宣っていたなら、ボクは放射能よりそのほうがはるかに恐ろしい。
 危ない、安全、が取り沙汰されていた40年ほど前、ボクは廃棄処分できないものを後世の人たちに残すのは現代人の傲慢だと考えて原発反対の側にいた。故・松下竜一さん(じつは広瀬隆さんと思い込んでいた)が書かれた『暗闇の思想』を読んで、夜の暗闇は静かに語らったり物事をじいっと考えるとき、と教わり、深い感銘を受けたことを思い出していた。いま、電動車いすがなければ一歩も外に出られない身になっているが、節電なんて言わずに夜は暗闇で静かに過ごそうと思う(歳をとったせいかな)。
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 もう1つ、気になることがある。今回の東北の避難所でも「福祉避難所」の必要性が大合唱される。つまり、障害者にはそれぞれ特別なニーズがあるから、その設備が整った避難所が絶対に必要だ、というのである。
 そのように言いつつ、地域社会から山深い施設に障害者を追いやったのではなかったか。また、専門家がいる、仲間がいる、設備が整っている、と地域の学校から遠い支援学校(なんか、これもウソっぽいなぁ)へのバス通学を強いてきたのではないか。
 それぞれのニーズに応える設備は当然必要だが、それは一般の避難所から障害者を分けることではない。そうではなくて、一般の避難所とそれらのニーズに応え得る備えが繋がっていてほしいのだ。必要のないところまで設備を整えろ、と言っているのではない。まずは、どのような人も拒まない、というのが避難所の(社会の、学校の)原則で、特別な手立てのルートをつねに準備をしておく、ということだ。そういた社会では、急に障害者と同じニーズが必要になった人も救うことができるし、同じ避難所でさまざまな人が生き合っていることを実感できる場にもなる。そこに現れる諸問題をどのようにこなしていくかが、「生きる」ということだと、ボクは考えている。
                   ◆
 いま理事の八幡は、長期間にわたって東北に入り込み、当地の障害者たちを側面から支える難しい立場で活動している。もちろん主目的は、ゆめ風基金を本当に必要としている人(ところ)に手渡すごとく届けるためである。だが、さまざまな市民から託された大切なお金を確実に届けるのは簡単なことではなかった。そのためには、拠点を創り出すお膳立てから関わることなのだ。現在、福島の郡山市、宮城の仙台市、岩手の盛岡市に被災地障害者支援センターを立ち上げ、続いて緊急避難の駆け込み寺的な拠点を福島の亘理町、宮城の登米市、岩手の遠野市に設けたところである。でも、復興に向けてお金を必要とするのはこれからだ。ぜひ、ご支援をお願いします。ゆめ風基金・事務局のTEL:06-6324-7702/FAX:06-6321-5662/E-mail:yumekaze@nifty.comへご連絡のほどを。
        (編集部だより「そよかぜ」139号/「そよ風のように街に出よう」より)

ヒデの救援レポート、6月27日

ヒデの救援レポート、6月27日:26
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、6月19日までに、153887963円。6月22日までに、155492521円です。これまでに支援した団体、個人への金額。総額52314600円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 6月4日5日と仙台市で開かれた、とっておき市民音楽祭は、とても沢山の人びとが参加して盛り上がり、大成功の内に終わりました。その音楽祭のために、仙台市入りしていた、ゆめ風基金事務所スタッフ三名も、それぞれに任務を終えて、大阪に戻り、ゆめ風基金事務所は、ほぼ空っぽの状況から、オールキャストの状態に戻り、元気にお仕事にいそしんでいます。
 その他にも、救援ボランティアとして、被災地に入っていた人たちも、順次帰り着き、現地をレポートしてくれています。そして、異口同音に話すことは、壊滅状態の沿岸部の風景も身の竦むものだけれど、後何年、復活にはかかるだろうかと思うと共に、その匂いのすざましさには、耐えられないと語ります。それは、第二次世界大戦の被災者、特に、沖縄戦、広島、長崎の被爆地を語り継いでいる人たちが漏らす言葉と共通するところがあります。その人たちもまた、文字や映像では伝えられない事実として、あの耐えられない匂いがあると語っています。
 また、ゆめ風基金代表の牧口さんと話し合ったのは、ボクたちの人生で記憶されている災害では、戦災、阪神淡路大震災、東日本大震災があるなということです。戦災を覚えている最後の年代として、ふたりの記憶が重なります。それは、人間の暮らしの痕跡が、ありありと残っているのに、何も残っていない、荒涼とした空間の広がる風景です。そこでは、絶望が風になって、吹き流れているのです。そして、決定的に、天災であれ、人災であれ、ひとのつながりを奪ってしまいます。だからこそ、にんげんは、にんげんであることを証明するために、つながりを求め、つながりを構築するのです。それが、ボクたちの救援の本質ではありますまいか。
ゆめ風基金事務所に届いたお便りからゆめ風基金を支援なさる皆様へ。
 私は、4月の末に、心ばかりの救援金をおおくり致しました。その後、領収書をお忙しい中をおおくり頂き、御礼申し上げます。まだまだ災害の様子を知ると心がいたみます。私事ですが、戦争中をたいけんいたしましたが、東北の海岸のあたりを見ますと、国の救援もあるのでせうが、お若いボランティアの方々のお働きもあって、人事の身体に出来ない事もあって、大変なことと、感謝するばかりでございます。どうぞ、皆様ご健康とご活躍をねがって居ります。かしこ。
6月12日もうひとつの救援・防災寝屋川市の義務教育における医療的ケアを考える会・通信よりの抜粋
 今年3月22日、寝屋川市の義務教育における医療的ケアを考える会・以下、考える会・としますは、寝屋川市に対して、教育委員会指導課に窓口になっていただき、要望書を提出しました。4月15日、教育長名による回答書では、看護師さんの配置について次の2点が確約されました。
各小学校に配置されている看護師さんの勤務日数は、週5日維持遠足など校外学習にも看護師さん配置まずは、看護師さんの勤務日数を減らされてしまうという、昨年の苦い経験を絶対に繰り返したくないという私たちの願いは聞き届けられました。
 また、毎日の授業ばかりでなく、児童が、親や保護者に頼ることなく、学校行事を受けられるかどうかは大切なことであり、たとえば子どもが遠足にいけるかどうかが、親が付き添えるかどうかにかかっていた状況を変えていただいたことはとてもありがたいことです。泊を伴なう校外学習において看護師さんの配置が認められたことは大きな前進です。
 とはいえ、回答書は昨年同様いたって簡素であり、他の項目については、市教委指導課の方々とお話しをしていても、まだまだ私どもの要望の趣旨が必ずしも理解されているとは思われず、行き違いも多々あるようで、今後の課題はいくつもあります。
 ところで、昨年は、たとえば市立小学校に神奈川県の議員さん4名や石川県立看護大学の先生が視察に来られました。また、読売新聞が大阪府下における医療的ケアの地元学校ついて大きく取り上げられるなど、マスコミの関心も高まり、府の施策や寝屋川市の実践について、全国の人々から注目があつまりました。いうまでもなく、これらは、みなさまの厚いご支援の賜物です。どうか引き続き応援をいただきますようよろしくお願い申し上げます。
 このように、直接の被災地への救援ではなくても、いのちを大切にする取り組みの積み重ねが、子どもたちの学校を防災拠点化し、家族だけの介護に頼らず、保護者に心と体力に余裕を生み出して、子どもたちの自立心を育むのですね。これらの実践は、自然災害に強い学校、街づくりにつながっていくものです。
DPI女性障害者ネットワークの障害のある人に共通して望まれる支援・施設内は、できるだけバリアフリーにし、見やすい案内標識等を表示するチラシからの抜粋。
1/移動しやすい環境の整備段差の解消、通路の幅の確保、障害物を置かない等が必要。
2/車いすが通れる通路直線での幅は90センチ以上必要。
3/案内所・物質配布所・トイレ等の表示は、大きな表示板・色別テープなどでわかりやすく。
4/集団生活に適応しにくい人々には二次的避難所を設ける。
5/できるだけその人の事情が分かっている人と共に過ごすことができるような配慮。
6/盲導犬、聴導犬、介助犬は、使用者の移動や生活にとって、必要なので、使用者とともに避難し、避難所内で一緒に過ごし、必要な食事や給水を受けられるようにする。
7/混乱の中で支援が効果的に実行できるよう、障害当事者及び支援者介助・介護者は分かりやすい名札などで識別・表示も考えられる。ただし表示を希望しない人へは強要しないように。
8/情報伝達機器のうち、テレビは字幕付き、電話は、ファクス付きを設置する。
9/トイレには手すり等を取り付ける。
10/大人用紙オムツ、尿取りパッドは、各サイズ別に多く備える。
11/非常食としておかゆ・パック用をを用意する。またトロミ剤、ストローを用意する。12/簡易な医療器具を設置する。酸素吸入器及びボンベを設置する
13/避難生活のなかでのトイレや着替え等女性のプライバシーを確保し、安全対策をとることが必要。
14/避難生活のなかで性暴力がおこるおそれがあり、特に障害をもつ女性は暴力から逃れるのが困難なことがある。性暴力の防止対策、被害があった場合の相談・支援体制を用意する。
西宮市のメインストリーム協会のSさんから!
 お世話になります。6月1日の被災障害者救援本部世話人会議で承認された被災地センターいわてへの当事者派遣の件ですが、企画書が出来ましたのでご確認ください。6月10日に盛岡にいって、Iさん、Nさんと企画内容について打ち合わせをしました。当初は、一週間の派遣と長期の派遣を組み合わせ、ILPなど本格的に行って、自立する人を発掘し、CILの活動に関わってくれる人材をつくるという目標で考えていました。
しかし、Iさん、Kさんは、新しく自立する障害者がでてきても、支える自信がないので、いまはそこまで考えられないということでした。そこで少し残念ではあるのですが、一週間交替の派遣で取り組むことにしました。6月27日から一週間交替で派遣します。8月末まではメインストリーム協会のスタッフを派遣し、様子を見ながらシステムを作りたいと思います。その上で、8月末くらいからいろんな団体の人に行ってもらおうと思います。初めての取り組みなので、やりながら修正してつくっていくという感じになると思います。そのため、ポイントポイントで僕が盛岡に行き、Iさんと打ち合わせをして修正していきたいと思います。まずは、6月27日から派遣し、様子を見て、7月15日に再度僕がいってIさんと話し、3週間の取り組みを振り返り、企画をしっかり作って、7月20日のJ1L総会で、行ってくれる障害者を募集しようと思います。
費用は、朝日新聞厚生文化事業団にどのくらい助成していただけるか、聞いているところです。足らない部分は、ゆめ風基金にお願いします。
東日本大震災チャリティーイベントのご案内
 日頃の取り組みに敬意を表します。本会は、平松邦夫大阪市長を支援する団体です。発足以来市民協働を柱に学習会等を開催してきました。今回は、東日本大震災をふまえ市民協働と地域社会の絆をテーマで開催します。1部の特別講演は日本辺境論街場のメディア論等の著書で有名な内田樹先生です。2部のトークショーでは羽衣国際大学の斎藤努教授の進行で、女優の鳳蘭さん、平松大阪市長、内田樹先生、天神橋筋三丁目商店街の土居理事長、大阪ボランティア協会の早瀬常務理事、そして、NPオ日本防災士会大阪北摂支部長高槻牧田郵便局の小松局長から、地域社会の絆や被災地への想いを語っていただきます。皆さまのご参加をお待ちしております。
7月2日(土)午後6時15分より
大阪商工会議所7階国際ホール・中央区本町橋2の8
オープン・被災地に想いをこめたエイサー舞踊。
参加費、大人3000円、学生1000円
収益は、全額義援金に
問い合わせ・元気ネット大阪電話06ー6312ー0382
以上!