ヒデの救援レポート、8月15日

ヒデの救援レポート、8月15日:33
 ゆめ風基金ネットワークかがわの正木美幸さんが、仲間の3人の教師とともに、四国、香川県から、8月1日から1週間、被災地仙台の障害者センターに入りました。
 当初、救援の方法を巡って、波が立ちましたが、話し合いの結果、支援学校名簿を元に、学校、地域、避難所、仮設住宅などを回り、障害者市民への調査活動をすることになりました。途中経過では、たくさんの素敵な方々に出会えて、ずいぶん学ぶことになり、嬉しいとのメールが届きました。
 ところで、ボランティア派遣のことですが、被災地3県の障害者センターでは、派遣受け入れには、慎重になっています。救援ボランティアのお世話に回す余力が無く、活動方針の指示も滞りがちになっています。大震災後、半年を迎えようとしている今、被災地の人たちの疲労は、すでにピークに達しているので、短期ではなく、なるべく長期のひと、自立して活動出来るひとを条件に、ゆめ風基金と相談しながら、派遣を決めようとなっています。 もし、ゆめ風基金ネットワークのひとで、救援ボランティアを志望するひとは、ゆめ風基金事務所に連絡を取り、ご相談ください。電話06-6324-7702
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、8月11日までに、172637802円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
言葉を信じないものは、言葉に滅ぼされ、言葉を信じるものは、言葉でひととしてのゆめが語れる。ヒデ語録
ヒデの自宅の近くに、小さな、夫婦ふたりで経営している呑み屋さんがあります。ヒデも時折利用しているのですが、その呑み屋さんで、時折、顔を合わす青年がいるのですが、常は、他愛のない会話、挨拶を交わす程度の付き合いでした。
ところが、台風が接近中の夜。店に顔を出すと、他に客がいなくて、件の青年が独りきりでぽつねんと呑んでいるだけでした。青年の隣に席を取り、呑み始め、ポツポツと会話を交わし始めたのですが、その内に、だんだんと青年は、饒舌になったのです。それによると・・・・。
俺は、今年、24歳になるんやけど、家が貧乏で、その上、頭が悪い。勉強も嫌いですねん。ほいで、中学校しか出てへん。いろんな仕事を探したんやけど、俺に合う仕事はあれへん。それで今の仕事仮枠大工をやってますねん。明日は、台風みたいやから、現場仕事は、パーやね。風が強いと転落事故になるからなぁ。月収は、手取りで月30万円ちょっとになるんやけど、まぁ、大卒のヤツらよりは多いように見えるけども、ボーナスも退職金も、なんの保障もないし、怪我なんぞしたら、労災だけが頼りやな。
でも、一生懸命、仕事はやってるんやで。でもなぁ、世間のヤツらは、俺らのことを、まともには見てへん。俺らの仕事は汚れ仕事やからなぁ。でも、誰かがやらなアカン仕事やろ?先日、昼飯の弁当を買うために、コンビニに行ったんやけど、店の若い姉ちゃんが、足を洗ってから入ってくださいってぬかすんや。腹立つでぇ。
腕を怪我して、病院に通院してた時もそうやった。治療のために解いた俺の包帯を見て、看護師が誰や、こんな汚い包帯を持って来たんはって、俺の目の前で、包帯をハシでつまんでほかしよんねん。俺らのことを人間として見てへん。汚れた虫くらいにしか思うてへんねん。やっぱ腹立つでぇ。と。
そして、青年とヒデは、焼酎をゴクリと飲み下した。続けて青年は、言葉を継いだ。
俺、今悩んでんねん。元請けの会社が、大震災復興工事を請け負ったから、俺らも被災地に行かないかんねんけど、行き先が、岩手県なんか、宮城県なんか、福島県なんか、知らされてへんねん。被災地で困っている人たちのことを考えたら、行きたいのは、山々なんやけど、俺らは、将棋の駒ちゃうんやから、行き先くらい教えてくれたらなぁ。と。
ヒデは、どんな言葉を吐けばいいのか、ためらいが口を占拠して、沈黙でした。青年も長い沈黙に入り、ふたりの沈黙が宙を舞い、黙ったまま、呑むだけでした。店のノレンが、台風の前触れの風の中で、激しく乱舞しているだけの夜です。これを読んだ方は、どう感じますか?
被災者障害者支援センターいわて活動報告の3
5月に訪問した時よりガレキが撤去されていた。岩手県沿岸部の障害者と接してエ沿岸部の障害者は健常者の復興ムードとは違いまだまだ悲惨な状況を強いられているように感じました。地元近所の社会資源、医療が完全に津波で流され、今まで送ってきた日常は全くおくれていない状況でした。
人工透析をしている方は通院が不可欠ですが、通院するための病院が流されため遠くの病院までタクシーを使わなくてはいけません。それにかかる費用が莫大になり生活していくうえで多大な負担になっていました。家族も付き添う必要があるため、仕事探し、日常の生活を送るのにも大きな負担がかかっていました。
公共の交通手段がなくなり、町にあった買い物をする市場、髪を切る理髪店、薬などを買う薬局等、すべてが津波によって流され、物資を調達するにも役所やボランティアまで取りにいったり、連絡をしてしばらく待たなくてはいけない状況もあるそうです。
物資は本人が来ないともらえないという対応の悪さもあるとか保守的な傾向のある岩手ではまだまだ障害者の権利という考え方が浸透していないため、なかなか近所との関わりがもてない人が多く、数少ない知人との交流も、デイサービス等での活動も外に出ていけない状況によってもんもんと家の中で暮らしている人が多くいました。
介助制度も乏しいうえに、非常時ということもあってか役所の対応もかなり悪く、人によっては家族と生活をしている人には派遣しないということもありました。
このままでは障害のある人のいる家は一家共倒れになってしまうということは目に見えているのに、その状況を把握するだけの余裕は行政にはない状況でした。それに緊急事態だから自分は我慢しなければというような傾向も少なからずあり、困っていることを強く言えない状況にもあるように思います。
仮設住宅もいたるところで 建設が進んでいますが、私たちが訪問したところすべて仮設住宅の周りは砂利が敷き詰められて、スロープはついていませんでした。残念ながら内装は見ることができませんでしたが、支援者の中には入浴ができない、家の中が車いすを利用できないくらい狭いため這って生活をしなくてはいけない、洗面台にいけない、トイレに入れないため簡易トイレが必要な人もいました。
非常時であることは仕方がないことかもしれませんが、こういった避難生活をおくらなくてはいけない障害者たちはなかなか情報も得られず、どこに伝えればそれが解決できるのかということも知らない人が多く、また今は無理だろうとあきらめている人も相当いるという状況でした。
そんな状況下被災地に当事者が行くことは本当に意味があることだと思いました。支援や情報提供だけでなく、ちゃんと要望していこうということを伝え、悲惨な生活状況を一人や家族が抱え込むのではなく、一緒に解決していこうということが訪問するというだけで伝えられます。
被災している障害者の共通することは孤立化していることだと思います。外出もままならず、地域の交流もできず、普段もんもんとしている生活状況を解決する原動力になるのは障害当事者が訪問し一緒に解決をしていくネットワークを作っていくことだと強く感じました。以上
奈良県に住む、ヒデの先輩友人のひとりで、吉田智弥さんという人物がいます。その人が出している、ミニコミ紙蛇行社通信からの、奈良からの視線 がんばろう日本てか。連絡電話FAX0742-49-0170
日本人の多くは、日頃から全能の神を信じる習慣をもたないので、今回の大惨事を神が自分たちに与えた試練であるとは受け取らなかった。地の隅々から神仏に助けを求める祈りの大合唱も湧いてこなかった。代わりにがんばろうの声が広がった。
がんばろうに対しては一般的にはそうだ、がんばろうと返される。誰も反対しない。事実、反対しにくい。しかし、世の中にはがんばらねばと思えば思うほど精神的な病状を悪化させる人もいれば、がんばりたいけれど基礎的な条件が整わない人、いくらがんばっても成果の現れが遅い人もいるだろう。
またがんばろうは、それを言う側からは100バーセント善意にもとづくとしても、同じ言葉を何度も聞かされる側、被災地の人たちの耳にはもっと我慢せよと響いたりもする。これ以上、どうがんばるのだと言いたい気持ちが抑圧されたまま。それらの人たちが置き去りにされる。心からがんばりたいと思っているのに。
それでも、避難所にいる人たちの場合にはがんばる方向はハッキリしている。体育館から出て自立することであり、もとの生活を再建することである。悲しみはいったん脇に置いてでも、挫けずにがんばろうということになる。
だががんばろう+日本になると、日本中の人たちが力を合わせての意味は分かるけれど、その場合には、この国に住む・外国籍を含む・全ての人たちに、これから先の日本は、どういう方向に向かって・がんばる・のかが問われる。我が運命共同体のめざす先・行き着く先が必ずしも自明ではないことに気付かされる。
果たして、ふたたび原発を稼働させるためにがんばるのか。そうではなく、これまでとは別の豊さを求めて方向転換をするのか。がんばるためには何よりも失敗から学ぶことが先決だろう。すでに大量の放射能を大気中や海洋に向けて排出させたことで、諸外国の人たちと、これから先に生まれてくる生命に対して、がんばっても償えない失敗を犯してしまったのだから。
むろん、その前に、政府と電力会社には、最悪の事態を回避させるためにがんばってもらわねばならない。彼らに声援を送るためではない。責任をとらせるためにである。逆に原発建屋内で、時々刻々に放射能を浴びながら危険作業を担わされている人たちに対してはあまりに申し訳なくて、とてもがんばれとは言えない。
がんばろう日本の声は、現に対立する現実の諸関係を隠蔽し、本来のなすべき議論を遠ざける役割を果たしている。ボランティアの多さには・可能性としての・社会の復元力を感じさせたが、根本的な原発論争が盛り上がらないことへの不安は大きい。
もしかしたら、目の前にあるのは地獄への道は善意で敷き詰められている場面か、2度目の「安らかにお眠り下さい。過ちはくりかえしません」からの場面か。以上。
大平洋戦争敗戦の日。いのちの軽重を問うてはならぬ考
2007年7月に、連れ合いが亡くなり、8月には、母方の最後の叔母を亡くしました。また、今日のヤクザなヒデの生き方を決定づけた、中国東北部での父親の戦死という事実があります。この僅か70年有余の間に、人間社会は、驚くばかりの、大勢のいのちを失ってきました。
ヒデにとっては、7月、8月は、いのちの記憶の季節です。世界大戦の中で、戦災死したひと、戦死者。日本の侵略によって死んだひとたち。沖縄地上戦、広島原爆、長崎原爆。阪神淡路大震災他の自然災害。ボクたちは、数え切れないいのちを失いながら、歴史を形作ってきたのです。
そして、今回の東日本大震災です。黙然と首を垂れ、被災地支援に走り回るしかありませんが、でも、記憶の季節に、少し立ち止まり、来し方、行く行方に視線を放ち、考えることが必要ではありますまいか。あまりよく考えなくても、いのちの死には、人間の力が及ばないものもありますが、人間のせいでのものや、人間の力で止めることが出来るものもあります。以上!

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