ヒデの救援レポート7月25日

ヒデの救援レポート、7月25日:30
 梅雨明けが告げられたのに、セミがなかなか鳴かなかった。やっと鳴き始めた頃の、7月15日~17日の2泊3日間。徳島で開催された精神障害者地域生活支援協議会あみ第15回全国大会に、記念講演者として招かれ、行ってきました。記念講演、分科会助言者、シンポジウム助言者の三役というコキ使われ方に、へろへろになりました。(笑)
 700名以上の全国からの参加者があり、活発な議論百出で、面白い大会でした。ゆめ風基金からも支援した、津波で流され、日中活動の家屋の土台しか残らなかった、仙台市のみどり会からの現地特別報告もあり、楽しい雰囲気の中にも、緊張感のある集会でした。ちなみに、みどり会では、津波による被災者は出なかったそうです。ボクも、可能な限り、被災地救援の情報を伝えたつもりです。
大会実行委員会の中心人物でもある、旧知の徳島市のハートランド・アップルの山下さんから、徳島でも、ゆめ風基金ネットワーク活動の本格化に力を入れたいとのお申し出をいただきました。それにしても、暑さと盛り沢山な日程に、さすがに疲れました。そして、その後、台風がやって来て、徳島にも一時上陸したのです。危機一髪でした。
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月20日までに、166783557円。7月23日までに、167314655円です。これまでに支援した団体、個人への金額は7月1日現在67,164,600円。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ゆめ風基金に届いた、鎌倉からの救援風景。
みんなに届け、わたしたちの風
 売り上げをすべて被災地の障害を持っ方々へ障害が重く、外に出て活動することがあまりできない方々と、自宅や病院のベッドサイドで、小さなフエルト作品を作り始めて、3年半が経ちました。この間、たくさんの方々のご支援とご協力で、いろんな方のお手元に作品を届けることができ、自宅や病院から、社会参加への大切な歩みとなりました。みなさん本当にありがとうございます。
 この3年半の間に、メンバーの中には天国へ引っ越しした方、新たに人工呼吸器をつけたり、濃密な医療ケアが必要になったりと、身体状況的には少しずつ厳しくなっている方もおります。それでも気持ちは、元気いっぱい!生きることにとても前向きです。
 どんな状況でも生きていきたい。生きていってほしいそう願い、これまでは売り上げの4割を、海外・アジア・の厳しい状況にある障害を持つ方々の支援にあててきました。そして今回の大震災…
 想像を絶する被害、3ケ月経った今も、まだまだ大変な状況にいる大勢の方たち、そして障害を持つ方たちは、避難所で生活することも厳しく、必要なサポートや物資を手に入れることが健常の方より難しく、生命の危機的状況(実際、避難生活中に亡くなった方もいます)の中にいます。現地に飛んで行って何かお手伝いしたい…私たちみんな、そういう思いでいます。
 しかし、実際に動くことが難しい中、その思いをフエルト作品にこめ、売り上げのすべてを、被災地の障害を持っ方を支援する団体被災障害者支援ゆめ風基金に寄付することにしました。
ゆめ風基金は、阪神淡路大震災の際に発足し、これまでさまざまな自然災害に対し、日本だけではなく海外の障害を持っ方々へも基金を届けてきました。そして今回の大震災に対し、基金の全てを投入しています。詳しくは、別紙リーフレットをご覧ください。
 これからもどうぞよろしくお願いします。風代表・関原和佳子
全国移動ネット災害支援の会災害支援だより3号巻頭言より
 泥との格闘が続く被災地では5月も半ば過ぎると暑さも増して、大変な状況が続いているのだろう。被災地に豪雨とニュースが流れたが、こんな状況でも被災された方々は、一時避難の状態から普通の生活を取り戻すために、仮であっても新しい住まいや仕事を捜しているだろう。
 遠くで思いを巡らすだけではなく、現地に足を運ぶ人たちが我々の関係者にも増えてきた。しかし、まだまだこれからである。
雑誌・介護保険情報7月号冊中18ページ
論壇東日本大震災と障害者の医療・介護について
人工呼吸器をつけた子どもたちとともに歩む立場から
人工呼吸器をつけた子どもの親の会・穏土ちとせさんの9ページに及ぶ文章からの抜粋
 支援の実際・繋がりに助けられて中略・阪神・淡路大震災では、被災家族のニーズを把握後、ケアに必要な医療物品や衛生材料や生活用品を会員が持ち寄り、大阪方面からバイクで神戸まで緊急配送するなどの直接支援がかろうじて可能でした。
 しかし、今回の震災では、地震の規模も範囲もはるかに上回るうえ、事務局大阪から遠く、会だけの力で実質的な支援を行うことは困難でした。しかも東北支部は会員が点在していることから、支部内で助け合うことも不可能な状況でした。
 幸いなことに震災数日後には、NPO法人ゆめ風基金(阪神・淡路大震災を機に設立された、国内外の自然災害で被災した障害者の支援をする団体)、DPI障害者インターナショナル日本会議、J1L全国自立生活センター協議会をはじめとする全国の障害者団体が連携して東北関東大震災障害者救援本部が立ち上げられ、被災障害者支援の活動が開始されました。
 バクバクの会もゆめ風基金の緊急支援要請に応えて医療物品調達・輸送協力、街頭募金活動などに参加しました。会員への支援は、安否確認をしながら、困っている状況がないか確認するところから始まりました。
宮城県では、会員やバクバクっ子と関わりの深い医師とメールで連絡を取り合い、必要な支援についても確認しましたが、自分たちはどうにか頑張れるからと、むしろ同様の状態で踏ん張っている在宅の他の子どもたちへの物資供給のことを心配されたため、現地の障害者救援センターの支援情報を提供しました。
震災と原発事故で孤立状態だった福島県では、物資の不足に加え、先行きが不透明なことから病院機能も混乱し、精神的にも追い詰められていた会員のSOSに対してゆめ風基金を通じ現地の障害者支援センターに連絡し、直接会いに行っていただきました。
 このように、物資の支援にとどまらず、会員のところへ出向いての相談支援にも対応していただき、真っ先に、一番支援が届きにくいところに支援を届けよう!と全国の力を結集したネットワークの動きが、どれほど心強かったことでしょうか。また、これまでいろいろな問題で共闘してきた当事者団体のみなさんからも、救援物資で困っていないか、同じ人工呼吸器ユーザーやそのサポーターとして声をかけていただき、日頃の繋がりの大切さを痛感しました。後略
 簡潔な文体で書かれ、読みやすく、震災、被災、救援、復活の道筋が鮮明に表現された、素敵な文章です。ぜひ、雑誌を手に入れられて御一読されることを、お薦めします。
DPI女性障害者ネットワークのチラシより
○避難所などでの障害がある人への基礎的な対応・あなたのまわりにこんな方がいたら・
○障害がある人は、かわいそうな人や、自分では何も判断ができない人ではありません。その人の年齢にふさわしい態度で接してください。
○障害がある被災者は、一般的な情報があっても、危険に対して理解・判断しにくく、危険に対して適切な行動が取りにくい状況に置かれがちです。
○外から見ても分からない障害もあります。不思議と思われる行動をしている人がいたら、正面から困ったことはないですか等、話しかけてください。そして、その人の希望とペースに合わせた手助けをしてください。
○障害のある女性は、ふだんから情報が届きにくく、声をあげることがさらに難しい、ニーズを出しにくい立場におかれています。
○介助や補助が必要な人や呼吸器をつけている人などのなかでも、特に女性は、生きる優先順位を自分でも低めがちです。平時の社会でも、人工呼吸器の装着が必要になった場合、女性のほうが男性より、呼吸器をつけて生きることを選ぶ人の割合が低いというデータがあります。
○女性の身の回りの介助、とくに着替え・トイレ・入浴は、女性による支援を徹底してください。以上
7月4日・被災地障害者支援センターいわて・での活動報告
 活動にあたって5月に盛岡を訪問したときに話し合った結果、障害者の存在をアピールすることが大事だという話しになりました。そのためにはJ1Lの加盟団体が障害当事者を被災地に派遣して、被災者のお宅を回って障害があるから他人に迷惑をかけるからとかの無用な遠慮をすることはない、震災前と変わりない当たり前の生活ができるということ、更にはもっと当たり前に地域で暮らしていける社会ということを障害当事者自身が伝えていく必要があります。 
 岩手の障害者はただでさえ引きこもりがちだそうです。今回の震災後ますますその傾向が強くなるおそれがあり、そういった状況を変えていくためにも日本全国から障害を持っている人に来てもらって、肩身の狭い思いをする必要がないと言うことを伝えて欲しいと被災地障害者支援センターの今川さんは言っていました。
 そこでメインストリーム協会として障害当事者スタッフ一名と健常者一名が岩手に行き、被災された障害当事者に直接会いに行くことになりました。
 岩手県沿岸部の状況沿岸部の状況は5月に訪問した際に比べて整地が進み、新しく家を建てているところ、住居の補修作業なども至るところで見ることができました。しかし、場所によって道路の交通事情もあるのか、整地作業が重機を使って行われているところもまだ残っています。避難所や親戚等へ避難していた人たちが、やっと出来はじめた仮設住宅へ入居申請をしたり、入居を始めているという状況です。物資はある程度行き渡っているように感じました。
 大船渡市の役所でも救援物資の支給活動は6月末で終了し、残った物資等はボランティア活動を行っているところなどに委託となっていました。町の中では津波によって海水が浸水し、それによって打ち上げられた魚や海藻が腐っているのかかなりの異臭が漂い、大量のハエが発生していました。今後気温が高くなってくるにつれてそれに伴う被害が増えるのか心配です。節電の中、ハエによって窓が開けられずそれに伴う室温の上昇による熱中症が心配されています。
 たくさんの不安要素がありますが、それでも地元の健常者の人たちは復興ムードが出てきていると感じました。つづく。
ゆめ風基金に届いたお便りから。
ゆめ風基金事務局御中・奈良県生駒郡住所&電話のSさん。
 東北支援のため、三万円を通帳から振り替えておきました。入金されても通知は行かないかと思いますが、お確かめください。私は高齢で労働キャンプには参加していませんが、奈良拠点の国際労働キャンプFIWシィのキャンパーが支援に行ってくれているので、カンパだけしています。視覚障害者のための音訳ボランティアの技術を生かして、一度、避難所訪問をしてみょうと思っています。みなさま、おつかれさまです。僅かですが足しにしてください。6月3日。以上!

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