南三陸訪問ご報告~その1

私ごとですが、10月上旬、帰宅途中に、障害のある足の指2本を骨折しまして・・・。
一か月ほど、休職させて頂いていました。
いろいろご報告が遅くなったり、ご迷惑をおかけしました。
不運続きの10月は、まず南三陸訪問のため移動するその日の朝に、杖が破損。
10日に南三陸で行われた「にこま~る感謝祭」のあと、体調を崩し、石巻で夜間救急へ駆け込み・・・
帰阪後も、体調が悪く、早退途中の骨折でした。
「お祓い行くレベルやね」と事務局で話題になりました。
さて、前置きはこれぐらいで、遅くなりましたが、南三陸訪問ご報告です。
【東日本大震災障害者救援活動】
障害児・者や高齢者、住民らの交流拠点「ハレバレー」完成!

ゆめ風基金など、多くの人が関わっている、被災地障がい者センター南三陸。
2013年2月には、「NPO法人 奏海(かなみ)の杜(もり)」としてスタート。
“子ども広場 にこま~る”を中心に、宮城県南三陸町で障がい児・者の日中活動を支援しています。
2015年6月には、「こども広場~にこま~る」が拠点として開所できました。
今回は、いろんな人に「ありがとう!」を伝えたいと、「にこまる祭」が開催されました。
たくさんの人に愛され、応援されているんだなと実感できる【子ども広場 にこま~る】
中はこんなに広いです!

感謝のダンス、炊き出し、震災からの歩みスライドショー、など盛りだくさんの内容で、
あっという間に2時間が過ぎました。
近所のおばさまがふらっと立ち寄ったり、駐在さんなども参加。
地域に根付いて活動してきたんだなあと、人とのつながりを大事にしてきた軌跡が伝わってきます。
また、炊き出しなどのボランティアには、大阪からもたくさんの人が駆け付け、
名物:粉もん「たこ焼き」をせっせと焼いたりと大活躍でした。
この日は、全国から、また、さまざまな立場からの参加があり、交流できました。
最近、涙腺が弱いので・・・。
にこまるさんたちの写真などを見てもうるっとしてしまいます。

まだまだ、東北での生活は厳しいと思います。
車社会、進まぬ復興、障害への理解不足。
スタッフの皆さんのご苦労を思うと、便利な大阪でぬくぬくしているのが申し訳ない、と思えてしまいます。
でも、それぞれ、できるところで、できることをやればいいのだと、東北への思いを強くした訪問でした。
~つづく~
(長崎 圭子)

なこそ授産所訪問他・長崎 圭子

2015年5月19、20日と、八幡理事と、5月19日、9:37分新大阪発の新幹線に乗り、被災地助成金申請のあった福島県いわき市で35年活動している「認定非営利活動法人 なこそ授産所」などを訪問してきました。以下、ご報告いたします。
法人本部でもあるなこそ授産所は、就労継続支援B、他にも自立生活「きらきら」(生活介護・就労継続支援B)、綴町就労支援センター(就労支援センターかぜ)を運営している。
今回、主な収入源の味噌作りに欠かせない味噌倉庫建て替え工事800万円のうち、500万円の支援要請があったので、他の福島の作業所訪問も兼ねて行った。
まずは東京で「特急ひたち」(いわき行)に乗り換える。
予約の段階で、車いす席があったので油断していたが、その席に行くまでは、車いすトイレが広すぎて、通路に大きくはみ出している状態。
なんと、電動車いすでは通れず(切り返しもできない)結局、車いすは隅っこに置いて座席に移乗した。
全く歩けない人はきついと感じた。(グリーン車には車いす席あり)手動車いすなら通れるかもしれない?)
しかも「勿来(なこそ)駅」にエレベーターがなく、高架橋を渡らないと、駅外に出られない。
東京行きの上りホームからは出られるとのことで、いったん勿来を通り過ぎ、泉駅で下車し、そこから勿来駅に行く予定で切符を取っていた。
が、いわき自立生活支援センターの長谷川さんのお連れ合いと、なこそ授産所・理事長の高村さんが古くからの友人で「ゆめ風から電動車いすの人が来る」と聞き、リフトカーを出してくれることになり、泉駅からなこそ授産所までおよそ20分ほどの道中を車で移動できた。
助かった~~。
到着は午後3時過ぎ。
周囲は田畑と民家、すぐ目の前には川が。
震災のときは、もう少しで、川が氾濫するところだったそうだ。
なこそ授産所の高村理事長とは、NHK時代からの知り合いで、震災後もいろんな情報を取材させて頂いていたがお会いしたことはない。やっとこの日、念願かなってお会いできた。
主に知的障害がある人たち、19人がここで「しあわせ味噌」を作り、35年もこの地で地域住民たちと一緒に活動してきた。
本棟は、丸紅の助成金と、グループホーム建設のために貯蓄していたお金で修理したそうだ。
(丸紅500万円、なこそ1000万円)。
その他の「きらきら」は福島県共同募金会から補助を受け、耐震強化工事を行っている。
今回、助成申請のあったのは「みそ蔵建て替え工事」だが、2棟のうち、1棟はすでに壊し、更地になっていた。
もう1棟がこの写真である。
なこそ1
35年前に開所したとき、譲り受けたプレハブ倉庫。
ぼろぼろである。
今にも床が抜けそうだ…。
(クリーム色のものが味噌樽)
なこそ2
以前に、ここの「しあわせ味噌」を買ったが、とてもとてもおいしいお味噌なのだ。
震災直後は、このお味噌で地域住民に炊き出しもしている。
土地は、市から無償で借りているので、土地を担保に借金するのは無理。
また、高村さんは、福島の障害者福祉において、先駆的な「地域と一緒に」を実践してきた人でもあり、震災直後は、お金を持って、あちこちの授産所や作業所を回ったらしい。
翌日に伺った二本松の「さくら」にも支援金を持って行ったそうだ。さくらの理事長は「あのときのお金は本当に助かったし、高村さんが頑張ってるんだからわたしたちも踏ん張らないと」と強く感じたそうだ。
何回か東北を訪問して思うのは、交通網がない、車移動が基本、障害者が外出できる場所が少ない、障害者を見かけない、などの地域間格差をとても感じる。
大阪で住んでいると、つい、「大阪の物指し」で物事を図りがちだが、少ない社会資源を最大限活用して、「地域で生きる」ことを実践している人々の辛抱強さに尊敬の念を抱く。
震災後、4年経て、ようやくゆめ風基金に辿り着いた「なこそ授産所」をどうか支援して頂きたいと、心から願うものである。
【二本松編】
20日には、郡山から在来線に乗り、福島県二本松市に移動。
駅のちょっとした広場には、『安達太良山の上に澄み渡る青空を指す、智恵子像』がある。
二本松駅前
詩集「智恵子抄」の一節の
「智恵子は遠くを見ながらいふ、安達太良山の上に 
毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だといふ。
あどけないそらの話である。」に由来するとか。
高校生の頃は、
『そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ』
と暗唱できたのだが・・・。
この像の奥にある白い壁の建物が二本松市市民交流センターで、この中に、精神障害のある人たちの作業所「NPO法人コーヒータイム」が店を出している。
避難区域に指定された浪江町から避難してきた皆さん。
理事長の橋本さんにいろいろお話しを伺った。
東電からの保障のあるなし、被災民の中でも広がる格差・・・。
とても複雑な糸が絡み合っている。
東電賠償訴訟をしようとしているが、当時、赤字だったので、賠償が難しいこと、それでも
弁護士と相談して、訴訟準備をしようとしていること、今の場所が手狭になっているので、移転したいが、どこも土地建物が高騰し、なかなか難しいこと、2軒、候補があるものの、一長一短だということ、なこそ授産所の高村さんが震災後、救援金を持ってきてくれたのが嬉しかったこと、あのひとは尊敬すべきお手本にしたい人だ、などなど…。
店舗はかなり狭く、テーブルは2つ。
電動車いすが1台入ると、テーブル一つが占領されてしまう。
お客の回転数をあげようと思えば、広いところへ移転したいという気持ちもわかる。
場所が決まったらまた申請を、とお伝えし、アクセスホームさくらへ移動。
同じく浪江町から避難してきて、ゆめ風も救援金をお送りしたところ。
理事長の渡邊さんが迎えに来てくれたのだが、リフトカーではなかったので、電動車いすをコーヒータイムさんに預け、走ること15分。
入口に掲げられていた「近畿ろうきん」のプレートが光っていた。
ちょうど昼食前で、皆さんは作業中。浪江にいた頃から仕事を発注してくれた自動車部品工場が、二本松に来ても同じように発注してくれるので助かる、と。
また、いろんな助成金で買った「ラスク」を作る機械なども見た。ネット注文ができるようにして、全国に発送しているらしい。
昼食後は、皆さんが「手話コーラス」を3曲、披露してくれた。
また、震災後から移転するまでの記録をスライドショーにしたものも見せてくれた。
(http://acsakura.in.coocan.jp/index.html)
震災直後は、予算4000万円で移転しようとしたが、あっという間に高騰し、最終的には6000万円にもなった、というのには驚いた。また、今回訪問した3人とも顔見知りで、それぞれが福島で踏ん張っている女性だということに、元気を頂いた。
被災地ならではの、たくさんのしんどさも抱えつつ、歩み始めようとしているかた、または一歩を踏み出した皆さんをこれからも応援したいと強く願った訪問だった。
(長崎 圭子)

石巻の講演お知らせ

【お知らせ】
被災地障がい者センター 石巻からメールで連絡がありました。
5月10日に開催する講演会のチラシができましたので、添付いたします。
今回は、石巻赤十字病院のご協力をいただくこととなりました。
ゆめ風のブログなどで広報していただけるとうれしいです。
よろしくお願いいたします。

とのこと。
詳しくは、↓↓をクリックしてください。
「呼吸器をつけて地域で暮らす」~平本 歩さん講演会チラシ
お近くのかたは、是非どうぞ!!!
また、お知り合いのかた、ご友人などに、広めて頂けると、助かります!!
よろしくお願いします!!!

「宮古はいま・・・」

「宮古はいま・・・」
と、いう原稿依頼を受けて何を求められているのか、何を発したらよいのか考えました。
 また、ブログへ掲載ということは公表ですので、毎度のことながらどこまで書いたらいいか悩みます。
 昨月(平成27年2月)に、被災地の現状が知りたいという方へ原因を含めて現状を話したところ、かなり落胆されており、その方の表情を思い出すと、真実を伝えない方が良かったのではないかとさえ思ってしまいます。
 あくまで、私的な考えとお断りさせていただいて、宮古市の「ひと・まち・くらし」の今のほんの一部を。
 災害公営住宅や高台・嵩上地で、今年の春以降に多くの人が新しい場所での生活を向かえます。
 港湾・道路・橋・堤防等が直ったり、新しい所が次々と出来て目に見える“復興”は進んでいます。
 災害公営住宅への入居はすでに始まっているところもあるようですが、各地の受入れ状況は様々で、既存自治会の反発がある所や既存住民との境をなくしていこうとしている所、公営住宅と自立再建の差に不満が出ている所、地区を細かく分けて地域住民主体で地区毎に再建が進んでいる所、災害公営住宅のみで自治会を作る方向の所等、場所ごとに対応や進め方は様々です。
 宮古市のボランティアや支援団体に関しては、昨年からは宗教関連の団体が大多数で、その他は公益系のものばかりで、市民活動といわれるものはゼロに等しいです。
 ボランティアや支援活動といわれるものの多くへ疑問を感じます。
 予算ありきの活動や、必要性のない活動、地域住民ではなく支援者主体の活動が殆どで、地域住民の自立や将来性を考えた活動は無いのが現状です。
 この事に関しては、宮古市に限らず多くの被災地でも同様のようです。
 産業に関しては、宮古市の主力産業である漁業ですが、港湾や漁業設備などは多くの資金が投入されて新しい設備が次々と整備されて、回復している面もありますが設備や施設・道具がそろっても、そこで働く人が減っていて人材確保がままならないところも多々あります。また、震災後の支援という名で契約した大手に当時の値段のままで買いたたかれて売れば売るほど赤字になるものもあります。
 宮古市に限らず岩手県では求人倍率が一時(震災前)より上がり景気が上向きになったと捉えられているようですが、実際には復興関連の公共事業が多く、地域の継続的な雇用とはならず、一過性のものばかりですし、公共事業の多くは地域への還元が多くないものが殆どです。
 被災地の人が現在どう思っているかは、多様な考えがあるので一概には言えませんが、いわゆる一般住民と話す時に出てくる話の多くが暗い話です。
 住宅再建後の収入が確保できるか?住宅再建の場所の安全性は?地域で今後も生活できるか?仕事はあるのか?地域のコミュニティーは?買い物に行けるか?病院は?等々。
 実際、人口減や超高齢化、福祉従事者の不足、交通が不便、買い物が不便、孤立等様々な現実が今現在あるものよりさらに悪化していきます。
 また、震災後の様々な事案に対する不公平についてのわだかまりがあり、そのことが地域住民の間に根深いものを残したことにより、復興や地域課題への対応が進まない一因となっているのも事実でしょう。
仮設住宅の状況ですが、入居者が3割程度退去しています。
 しかし、実際の入居者や世帯数を把握しているところはどこも無いのが事実です。
 それは、世帯分離や書類上は入居していても物置や別荘のように使用している場合も
あるからです。
 仮設住宅へ入居してから3年以上が経過し、住宅のあちこちにガタがきています。
 元々、応急仮設住宅ですし、仮設住宅毎に同じ予算で建てられたものですが、
建築関係者が指摘しているように、とても同じ予算とは思えない造りに差があります。
 また、混乱しながら突貫工事で建てられたもので、入居当初から不具合が多々ありました。
 現在は、プレハブタイプの仮設で、木の部分が腐ってきて抜けていたり、壁の隙間が
外の光や隣の光がしっかりとわかる程まで広がっていたりします。
 これらについては「無料で住まわせてもらっているから文句は言わない」という方もいれば、
「あまりにも酷過ぎる」と、意見は多様です。
 さて、雑多にまとまりも無くほんの一部を書かせて頂きましたが、東日本大震災からの現在までや、現状に関して話したり書き始めるときりがないのが事実ですし、課題の多くは、被災の有無に関わらず多くの市区町村で抱えているものであったり、潜在しているものだと感じています。
 本当の真実を知りたければ、実名を出して話さなければならない事が多いですし、その方がわかりやすいでしょう。被災地だけの事ではないのがわかります。
 それと、ある一部の話(又は、一人の話)を聞いて、それが事実だと思わないでください。私個人の経験や資料が無断で勝手な解釈で使われていたこともありますので。
 この災害で学ぶべき事や改善できる事があったはずなのですが、実際には多くの善意が無にされたり、お金の多くが無駄に使われたり、人が数字の1として使われたりしています。
 夢や希望が先にあるのはとても良い事ですが、現実をしっかりと見つめた中での夢や希望に向けて進みたいです。
 一つ、最近の話ですが地域住民との話のなかで、災害公営住宅や自主再建で高台や嵩上地に引っ越す事で新しい生活の希望がある反面、安全性が確保されていないところへ行くのが不安だとの話がありました。
 「今の所は、津波から逃げなくてもいいけど、今度の所はどこに逃げたらいいべ?」
 と。
 これが、一部ですが現在の復興案の真実を物語っているように思います。
 最後に、真実をうまく伝えることが出来ずに申し訳ありません。
                            
                       うましか 延足 圭祐(宮古市田老在住)

地域の防災訓練、などに参加してきました!

「3.11」から、東日本大震災から4年が経ちました。
2~3日前から、メディアでは特集が組まれています。
もう4年
まだ4年
時が止まったままのかた
たくさんのかたが、それぞれの立場でこの日を悼んだことと思います。
改めて、お亡くなりになられたみなさまのご冥福をお祈りします。
そして、今なお厳しい状況におられる被災地のみなさまにはお見舞いを・・・。
ゆめ風基金は、同じような災害が起こっても、災害弱者が置き去りにされることのない社会作りをめざし、
防災活動に励みます。
3月7日には、ゆめ風の地元、啓発小学校で、防災訓練が行われました。

大人気の、起震車。
私も乗ってみましたが・・・
震度6強の揺れ方は、とにかく恐ろしい。
ベッドに寝ていたら、吹っ飛ばされる揺れだと、恐怖で叫ぶばかりでした。
そのあと、地域の方々に、「車いす体験」をしてもらいました。
介助する側、される側。
両方の気持ちをわかって頂けるよう、老健施設のスタッフと、住民のかたと一緒に時間を過ごしました。

翌8日は、たかつガーデンで、「移動送迎活動」についてのシンポジウムが行われました。

震災後、すぐに東北へと行った柿久保さんの話を聞いたあと、グループワークを。
紙に震災が起こったら、「事業所として困ること」「障害当事者として困ること」を書き、共通の困ったことは真ん中に貼っていく、という作業をします。

そして、そのあと、それらの問題を解決するにはどうしたらいいか、という「解決策」を話し合います。
盲導犬を連れたかたも参加していて、阪神淡路のときは、盲導犬の協会さんが、一時、犬を引き取ったそうです。
そんないろんな立場のかたの話をききながら、備えはいくらしても足りないことはない、との思いが広がりました。
平時の備えをやってもやっても、無駄にはならないと思います。
改めて、こういった取り組みを広めていく必要性を感じました。
(長崎圭子)

<仮設住宅>高齢化率43%超える・宮城県調査

眼の会の榊原さんから、防災関連情報を頂きました。
ここから
<仮設住宅>高齢化率43%超える・宮城県調査
河北新報2015年3月2日(月)12:17
 
東日本大震災の仮設住宅で、65歳以上の入居者の割合が43.8%に上っていることが、県の調査で分かった。
高齢化率は上昇基調にあり、県平均(24.0%)を大きく上回る。
独居高齢者世帯の割合も2割を超えており、孤立への懸念が強まっている。
調査は2012年から年1回行われており、直近では14年秋に実施された。
各年の高齢化率と独居高齢者世帯率はグラフの通り(略)。
いずれも3年連続で伸びた。
14年の独居世帯率は県平均(10.0%)のほぼ倍となっている。
住民の職業は無職が36.9%と最も多く、13年比で2.3ポイント増えた。
自宅再建するなどした現役世代の退去が進み、経済基盤の弱い高齢者が取り残されている様子がうかがえる。
住民の高齢化に伴い、孤立防止に向けてコミュニティー維持がより重要になる。
県社会福祉課は「社会と接点が薄い人の仮設暮らしが長期化している可能性がある。
戸別訪問などの際、より丁寧な対応が必要になる」と話す。
14年の調査は石巻、気仙沼、名取、岩沼、東松島5市と亘理、山元、南三陸3町のプレハブ仮設住宅で生活する約1万3000世帯が対象。
回収率は50.2%。


重度心身障害児の避難支援 医療従事者の8割対応考えず
神戸新聞2015年3月7日(土)11:00
在宅で人工呼吸管理、管理栄養などの医療を受ける重度心身障害児が増加している中、神戸大大学院保健学研究科の高田哲教授(小児保健)が、治療に日常的に関わっている全国60施設の医師・看護師らを対象にアンケートを実施したところ、8割が「災害時の対応について考えていない」と答えた。
重度心身障害児の避難をめぐっては、東日本大震災でも課題が浮き彫りになったが、支援態勢はほぼ未整備のままだ。
兵庫県小児科医会の調査では、重度の肢体不自由と重度の知的障害が重複し、在宅で医療を受けている20歳未満の障害者・児は2007年には県内に118人いたが、14年には734人と6倍に増えた。
医療が発展したほか、入院施設の不足などが背景にあるとみられ、全国的な傾向という。
一方で、災害時の避難受け入れ態勢は進んでいない。
阪神・淡路大震災では、重度障害児がいる家庭の半数以上は自宅にとどまり、14%は自家用車の中や病院に避難
していたが、東日本大震災でも、その比率はほぼ同じだったという。
アンケートでは、災害時の対応について、「よく考えている」は3%、「かなり考えている」は15%にとどまり、「あまり考えていない」が72%、「全く考えていない」も8%に上った。
地域で避難支援を受けるための要援護者情報登録制度についても、治療対象者の家族らと「話す」と答えたのは5%にとどまり、18%は「あまり話さない」、75%は「全く話さない」と答えた。
高田教授は「重度心身障害児の在宅医療は、一般に思われている以上に高度で、当事者や医療関係者の関与なくして福祉避難所の態勢整備は難しい。
重度障害者に対処できる医療機関のすそ野を広げることも災害時の対応強化につながる」と話す。
(森本尚樹)


【正論】防災に障害者の視点は不可欠だ 日本財団会長・笹川陽平
産経新聞  2015.03.06
3回目となる「国連防災世界会議」が3月14日から5日間、宮城県仙台市で開催される。
東日本大震災をはじめ各地の大災害では障害者や高齢者など「要援護者」が災害の矢面に立たされ、より多くの被害を受けた。
これを受け、向こう10年間の世界の防災戦略を策定するこの会議では、今回初めて「障害者と防災」が公式会議の正式なセッションに盛り込まれた。
 ≪横浜、神戸に次ぐ世界会議≫
会議には全国連加盟国193カ国の代表や国際NGOなど1万人を超す人が参加する。
災害多発国としてハード、ソフト両面の豊富な知識を持つ日本は、今後の国際的な防災戦略を主導する立場にある。
災害被害を少しでも減らすためにも会議では、要援護者を視野に置いた防災・減災害対策が打ち出される必要がある。
外務省の資料によると、2000年から12年までに世界で発生した自然災害で29億人が被災し、120万人が死亡。
損害額は1・7兆米ドル(約202兆円)に上り、被害の90%が途上国に集中した。
こうした中、国連防災世界会議は1994年に横浜市、2005年には神戸市で開催され、横浜会議では「より安全な世界に向けての横浜戦略」が採択された。
神戸会議では直前(04年12月)に22万人の犠牲者が出たスマトラ沖大地震・インド洋大津波が起きたこともあり、世界各国の閣僚級が参加して、15年まで10年間の「兵庫行動枠組」をまとめた。
兵庫行動枠組では防災を国や地方の優先課題に位置付け、早期警報の向上、防災文化の構築、公共施設やインフラの耐震性の強化などを打ち出したものの、障害者に関しては「最も脆弱(ぜいじゃく)な地域やグループに焦点を当て、災害準備や緊急事態対応計画を準備する」といった簡単な記述を盛り込むにとどまった。
しかし神戸会議の後、ミャンマーで13万人を超す死者・行方不明者が出た大型サイクロン・ナルギス(08年5月)、31万人の死者が出たハイチ地震(10年1月)、さらに11年3月の東日本大震災と大災害が続き、多くの障害者や高齢者、子供が犠牲となった。
≪向こう10年間の国際防災戦略≫
日本財団は1986年、世界の防災に顕著な功績を挙げた個人や組織を表彰する国連笹川防災賞を設け、国際防災の強化を目指してきた。
今回はこれら関係機関とも協力して東京やニューヨーク、バンコクなど世界7都市で障害者と防災をテーマにした国際会議を重ね、最終的に世界会議に「障害者と防災」のセッションを盛り込むことができた。
東日本大震災で障害者手帳所有者1655人が犠牲となり、死亡率が当該地域住民の約2倍1・5%に達したことが初めて数字で裏付けられた点も契機となった。
災害が発生した場合、障害者にはあまりにも多くの困難が待ち受ける。
聴覚障害者は避難の呼び掛けがあっても情報を受け取れず、視覚障害者は避難しようにも電柱や建物の倒壊など周囲の状況を把握できない。
倒壊した家屋の中に取り残された聴覚障害者や言語障害者は「誰かいますか」と声を掛けられても、返答ができない。
車いすなど肢体不自由者が混乱の中で避難するのは難しく、避難場所に着いても車いすのため、人に遠慮せざるを得ない。
避難生活で体調を悪化させ死亡する「震災関連死」も東日本大震災では既に約3200人に達し、阪神・淡路大震災の3倍を超えた。
世界会議では兵庫行動枠組の後継となる新たな国際防災の枠組みを策定するほか、日本が多くの災害から得た教訓や防災技術、ノウハウ、さらに東日本大震災の経験や被災地振興の現状を報告。
障害者と防災のセッションでは地域防災と障害者の関わりなどについて議論が行われる予定だ。
≪復興、地域創生にも道拓く≫
今年は国際社会の共通の開発目標である「ミレニアム開発目標」(MDGs)の達成期限を迎え、9月の国連総会では「ポスト2015年開発アジェンダ」が採択される予定。
年末には国連気候変動枠組み条約の「第21回締約国会議(COP21)」もフランス・パリで開催され、20年以降の世界の気候変動・温暖化対策の大枠が合意される見通しだ。
近年の異常気象が地球温暖化の影響か単なる自然現象か、専門家の研究を待つしかないが、地震に伴う大津波と同様、巨大台風が引き起こす高潮も大きな脅威となりつつある。
世界規模の災害が今後、間違いなく増える気がする。
経済成長が著しい東南アジア諸国連合(ASEAN)などで引き続き新たな開発が進む。
その場合、障害者や高齢者を守る視点をどこまで持つかによって発生する被害の程度も変わる。
「弱い人々」に目線を合わせ防災・減災対策を取れば、その分、人的被害は確実に減るということだ。
障害者に視点を当てた地域づくりこそ、安心して暮らせる地域社会の建設や東日本大震災の被災地復興、ひいては喫緊の課題である地域創生にも道を拓(ひら)く。(ささかわ ようへい)


災害公営住宅の住民、薄い復興実感 
河北新報2015年3月10日(火)06:05
河北新報社と東北大、被災者アンケート 
東日本大震災の被災者が暮らしの中で感じる復興の手応えを居住形態別に見ると、災害公営住宅の入居者ほど復興を実感できずにいることが、宮城県沿岸12市町の被災者を対象としたアンケートで分かった。
自力再建が難しい事情を抱えながら、自立を求められる災害公営住宅入居者の実態が浮き彫りになった。
震災発生から11日で4年となるのを前に、河北新報社と東北大災害科学国際研究所が共同で調査した。
アンケートは「生活の充実度」「生活の満足度」などに関する計15項目を5段階で評定してもらった。
評定結果を点数に置き換え、75点満点で「生活復興感得点」を算出した。
居住形態別の得点はグラフ(略)の通り。
最低点は災害公営住宅の入居者の34.3点。
生活復興の象徴とされる災害公営住宅だが、入居を果たした被災者の主観評価は低かった。
既に耐用年数を過ぎたプレハブ仮設住宅も36.6点にとどまる。
いまだに転居できない入居者の不安や不満が得点に表れた。
最も得点が高かったのは、被害のなかった持ち家。
以下、民間賃貸住宅、修繕した持ち家、再建した持ち家、借り上げ仮設住宅と続いた。
災害研の佐藤翔輔助教は
「阪神大震災でも同様の結果が出ている。災害公営住宅の入居者は、もともと経済面、健康面の問題から自力再建が困難な層。さまざまな場面で復興の手応えを感じられずにいるのではないか」と分析した。
その上で「比較的得点の高かった借り上げ仮設住宅が、今後の復興のヒントになり得る」と助言した。
平均は40.0点で前年調査から2.0ポイント上向いた。
市町村別の得点推移(グラフ略)では、仙台(41.5点)名取(40.8点)亘理(40.7点)岩沼(40.5点)が平均を上回った。
[調査の方法]2013年2月に宮城県内の被災12市町でアンケートを行った仮設住宅の入居者1150人のうち、継続調査に同意した374人にことし1月下旬、調査票を郵送。
255人(14年2月調査は354人)から回答を得た。
性別は男性38.4%、女性58.4%。
平均年齢は65.3歳。
調査会社のサーベイリサーチセンター東北事務所の協力を得た。


防災の視点、全政策に=「仙台宣言」原案―国連会議
時事通信 3月11日(水曜日)2時31分配信
仙台市で14日から開かれる国連防災世界会議で採択を目指す政治メッセージ「仙台宣言」(仮称)の原案が10日、判明した。
各国や国際機関の全ての政策に防災の視点を盛り込む「防災の主流化」の必要性を提唱。
気候変動による災害増加も取り上げ、防災は「気候変動対策の柱」と強調し、防災対策の強化を国際社会に求めている。
原案は、公衆衛生や教育、農業などあらゆる政策分野が防災に関わるとした上で、災害時の被害を軽減するため、特に開発分野で防災の思想を取り入れるよう要請。
国連が年内に策定する2030年までの国際社会の新たな共通開発目標「ポスト2015年開発目標」をめぐる政府間交渉への反映も求めた。
また防災会議の議論が、年末にパリで開かれる国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)での温室効果ガス削減交渉につながることへの期待も表明した。
この他、防災対策を進めるに当たり、子供や若者、高齢者、障害者ら災害弱者と成り得る人々が積極的に参画するよう求め、女性のリーダーシップの重要性を強調。
事前防災への投資の必要性なども訴えた。
仙台宣言は2030年を見据えた国連の新たな防災指針と共に、18日の会議最終日で採択される見通しだ。 
以上

東日本大震災から3年9カ月・仮設住宅の現状

「眼の会」榊原様より
防災関連情報としていただきました。
いつも、ご協力ありがとうございます。 
 
被災地の現状と
進まない復興のもとでの人々の思い・・・。
みなさま、お読みください。
■:老朽化進む仮設住宅 雨漏り、カビ発生で肺炎不安も…
大震災の被災地に疲労色濃く
産経新聞2015年1月3日(土)13:23
 東日本大震災から3年9カ月が過ぎたが、被災3県では11月末現在で
いまだ約8万5千人がプレハブ仮設住宅で生活を送る。
そもそも災害救助法では、仮設住宅の長期使用は「原則2年間」としか想定されていない。
住宅の老朽化も進み、月日とともに増していく人々の疲労を感じた1年だった。
 
海から湿った風が流れ、蒸し暑さが続いた今年の夏。
狭く気密性が高い仮設住宅では、多くの人が室内にしつこく発生するカビに悩んでいた。
宮城県気仙沼市の仮設住宅に住む50代の女性は、
平成23年8月の入居直後から室内にカビが生え、
掃除と布団干しを毎日欠かさなかったという。
カビの悪臭で、1部屋に3つずつ脱臭剤を置いていたことも。
しかし、同年の冬からせきが止まらなくなり、昨年肺炎と診断され、入院も経験。
「カビの掃除で吸い込んでいたのでは」と不安そうに話す。
今でもカビや結露、雨漏れに悩まされる日々が続く。
 肌寒さが増してきた今年の秋。福島県南相馬市の仮設住宅を訪ねると、
住民の青砥(あおと)宗男さん(86)が玄関の壁に取り付けた木の板を指さした。
「これ、自分で作ったんです」板は、雨漏りやすきま風を防ぐためのもの。
3年以上がたった仮設住宅は劣化が進み、住民自ら修繕などの工夫を施した住宅を多く見た。
保温性に乏しい仮設住宅は「朝晩本当に寒い」と10月下旬にこたつを出し、
やがて来る冬に身構える男性もいた。
 宮城県名取市の仮設住宅では、多くの高齢女性が津波の夢を見たり、
将来への不安が襲ってきたりして、「いまだ睡眠薬を手放せない」と話していた。
同県石巻市の女性(87)は4畳半一間に1人で暮らし、
「家に1人でいるとおかしくなってしまいそう」と漏らす。仮設住宅の物理的な劣化と比例するように、
住民の気苦労や不安疲労も増大している。
 現在仮設住宅に住む多くの人は高齢で、自宅の自力再建は困難だ。
建てたばかりの自宅が津波に流され、
「もう住めない家のローンが3千万円ほど残って払い続けている」と打ち明けてくれた女性もいる。
そのため多くは市町が整備する集合住宅か、戸建て住宅で賃貸の「災害公営住宅」に移ることになるが、
完成したのは宮城県でも11月末時点で1割ほど。
用地取得などの遅れから、何年先に入居できるのかがはっきりしていない場所もあり、
被災者の不安をあおっている。
 「若く元気な人は抜けていき、高齢者や体調に問題を抱える人が凝縮する」
石巻市包括ケアセンターの長(ちょう)純一所長(48)に取材した際、
これからの仮設住宅が迎える問題をこう表現したのが印象に残っている。
自宅を再建できる経済力や働き続けられる体力を持つ若い世代が抜け、
仮設住宅団地からも徐々に活気が失われている。
仮設住宅に残った人々にとっては暮らしが長期化するほど、焦りばかりが募ってしまう。
 「ぜいたくは言わない。ここまでみんなに支えられて生きてこられただけでありがたい」
そう答え、決して十分とはいえない生活環境の中で、
毎日を懸命に生きる被災地の人々の姿を見てきた。人々が1日も早く終のすみかへ移り、
来年はより多くの人が新年を暖かな新居で迎えられるよう、復興がさらに進むことを願う。(安藤歩美)

東日本大震災の「今」

被災地NGO協働センター 増島様のレポートを転載いたします。
3年半が過ぎた被災地の「今」です。  
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 東日本大震災から3年半の節目を迎えました。
紙面では「24万人避難生活続く」「進まぬ住宅再建」「入札不調震災前の4倍」
「仮設生活 今も8.9万人」「」などまだまだ先行きが見えない深刻な見出しが。
道路をつくるため、防潮堤の工事など公共工事は進んでいますが、
それより先に、高台への避難路、復興住宅、高台移転など、被災者の暮らしを優先した復興が
なぜ後回しになるのでしょうか?
釜石市で、当時の津波の話を伺うと、
「あの時は、高い方高い方に逃げて、やっと避難所にたどりついた」
「お父さん(息子さん)の遺体の上を知らずに通っていた。」
「私は、チリ津波、十勝沖津波、今回と3回も津波に遭った」
恐ろしかったであろう出来事を、ぽつぽつと語ってくださいました。
陸前高田の、第一期の復興住宅が完成し、来月から入居が始まる方は
「毎日、津波の話、聞かねぇ日はないな」
「仮設もバラバラ、またバラバラだ」
「また、せまっこい中、はいらな、わかんねぇんだ」
(次も狭い復興住宅に入らないといけないんだ)
「復興住宅入ったら、もう花もできねぇ、今年で終わりだ!」
と、安心した暮らしがまだまだ送られていない声が。
動物も一緒に住める住宅も建設され、小さな配慮も考えらけているようですが、
基本的なコミュニティが、どんどん崩壊しています。
阪神・淡路の教訓が、充分にいかされず、2度も3度もコミュニティを崩され、
復興住宅での孤独死などはいまも続いています。
釜石で復興住宅へ入居した方は、ボランティアも減っていく中で
入居後は、ほとんど外に出ることもなく、
家の中で過ごし体調が思わしくないという方も少なくありません。
今回広島で起きた土砂災害の被災地では、仮設は建設されず、
既存の住宅への入居が進められています。こちらでもコミュニティの崩壊が起きつつあります。
住み慣れた環境においてコミュニティの崩壊は、心も体も崩壊させてしまいます。
そんな声なき声に耳を傾けることが、本当の意味での町の復興には欠かせません。
ある方は、「最近私は傾聴ボランティアの講習を受けている。避難所でも何もやらせてもらえず、
私たちに何かやらせて欲しい」と、おっしゃいました。
人は、支え、支えられる・強者、弱者り関係ではなく、
双方向に支え合える関係が大切なのだと、実感しました。

広島避難所訪問ー被災地NGO恊働センターからのご報告を転載ー

被災地NGO恊働センターからのご報告を転載いたします。
土砂災害にあわれ避難所でお暮しの方の声を聞き、
私たちのすべきことを教えてくれる報告文です。
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8月29日・広島県安佐南区にある八木小学校に行きました。
八木小学校はピーク時で200人以上の方が避難していましたが、
現在は半数の100人ほどです。
日中は、お仕事に行かれる方、自宅を片付ける方など、様々です。
でも、まだ避難指示区域やライフラインの確保などが優先され
片付けたくても片付けられなかったり、お年寄り一人ではなかなか作業もできず
ボランティアも少ないので、片付けが思うように進まず、
避難所で悶々と一日を過ごしている方もいらっしゃいます。
土石流や濁流が家の中まで押し寄せ、60センチくらいまで足が水の中に埋まり、
4時間くらい水の中にいたという人もいらして、
水が恐いからずっと半ズボンでいるという人もいらっしゃいました。
「ほんとに水は恐ろしいよ」「恐ろしかった」という声が聞こえてきました。
土砂や岩が凄く、家の中にまで岩が入ってきて、
隙間が数十センチくらいしかなく、掘り出せず、何もせずに帰ってきたという人も。
避難所では、何もすることがなく、最初に逃げてきたときのズボンが入らなくなった。
お酒もここへ来てから一滴も飲んでなのに、太っちゃってね。こんなの初めてだよといわれる方も。
小さなお子さんを持つ若い女性の方は、足湯をしながら、「足湯で便秘が治るかしら」と。
避難所では、毎日お弁当や炭水化物ばかりで野菜がないからずっと便秘だとか。
彼女は「一度野菜たっぷりの豚汁が炊き出しに来たとき、それが一番おいしかった」とつぶやきました。
ちょっとでも煮炊きができれば、インスタントのお味噌汁にネギをはなって、
サラダをあいているお店で買って・・・。
避難所の改善をまだまだ求めていかなくては。
被災者の疲労も、すでに限界を超えています。
もちろん家の片付けなどを、優先的に行わなければなりませんが、
それも、休憩をしながらでないともちません。
一日二日で終わるような土砂の量では到底ないのですから。
避難所には地元の多くのボランティアのみなさんもたくさん関わっています。
しかし、一週間も続くと疲労の色は隠せません。
ボランティアも、交代の時期にさしかかっています。
被災された住民の中でも、被災翌日から自宅前にイスやテーブルを並べて
一瞬でも被災を忘れるように、憩いの場を提供している住民もいるそうです。
いっしょに足湯をした女の子は「あ~幸せじゃ~」と言ってくれました。
まけないぞうをプレゼントすると「きゃーかわいい」と、遊んでくれました。
(まけないぞうは、被災地NGO協慟センターのタオル型自主製品です)
こんな出来事が、辛い災害をほんの一瞬忘れさせてくれます。
2日の速報で、
大規模な土砂災害で安佐南区のおよそ3万人を対象に出していた避難指示と避難勧告のうち、
午前11時半ですべての避難指示が解除、、
八木地区と緑井地区の一部を除いて避難勧告を解除されました。
一段とボランティア活動が、展開されることを願います。
被災地NGO恊働センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL:078-574-0701/FAX:078-574-0702  E-mail:info@ngo-kyodo.org

にょっきりフェスタ

みちのくにょっきりフェスタ イン石巻2014年7月27日
こんにちは。
【小西寿一(ノーマライゼーション協会)】の
にょっきりフェスタ報告文です。
みなさま、感動を分かち合っくださいませ。
7月26日(土)午後6時30分大阪空港発のプロペラ機に乗り、
仙台空港から仙台駅⇒仙石線経由で石巻行き最終電車で、
午後10時40分頃あたりに石巻駅に到着。
ヘロヘロになりながら、翌日7月27日(日)の「みちのく にょっきりフェスタin石巻」
「公式写真記録」担当の僕は、某宿泊先でシャワーを浴び、倒れるように寝ました(笑)
27日(日)は、ものすごい晴天
石巻や南三陸、仙台のメンバーなど、同志や関係者が次々集まってのオープニング、
手作り舞台に、中瀬公園自由広場の風が心地よく通り抜けました。
「ピアノ演奏」「ダンス」この日に向けて練習し、思い切り、楽しく、のびのびと披露されました。
この後、レイ・ドロシーさんによるノリノリの歌は、会場全体が盛り上がりました。
イベント中は、司会者の出展の紹介で、買い物やご当地グルメを満喫。
私は、写真撮影に集中してしまい、お腹がグー(苦笑)。
午後からは、障害者プロレス団体「ODAZUNA」の「戦い」
おちゃらけに見せながら、すさまじい「全身全霊のバトル」
会場は感動と笑いとリスペクトの渦に包まれました。
HM(ボーカル&ギター・仙台市)はさわやかな歌声!!
「西村組」は歌う「介護福祉士」西村茂樹さんが今回のためにセッション。
!ソウル・フラワー・ユニオンは、今回はソロギターで登場。
中川さんの魂の歌声と西村さんのコラボ!は、「これを見れるとは、ほんま幸せです」と涙しました。
これで終わるかと思いきや、なんとなんと、レイ・ドロシーさんが、みんなと歌いたいと。
うれしい~!!と、会場参加者全員で炎天下の熱さを忘れて、歌い踊りました。
大感動の「みちのく にょっきりフェスタin石巻」でした
総合司会の方、手話通訳の方、本当にありがとうございました。
この熱き思いを、11月23日の「第5回東北⇔関西ポジティブ生活文化交流祭」につなげたい。
みんな、1人ひとりが心に思いを刻んだことだろう。