被災地NGO協働センター 増島様のレポートを転載いたします。
3年半が過ぎた被災地の「今」です。
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東日本大震災から3年半の節目を迎えました。
紙面では「24万人避難生活続く」「進まぬ住宅再建」「入札不調震災前の4倍」
「仮設生活 今も8.9万人」「」などまだまだ先行きが見えない深刻な見出しが。
道路をつくるため、防潮堤の工事など公共工事は進んでいますが、
それより先に、高台への避難路、復興住宅、高台移転など、被災者の暮らしを優先した復興が
なぜ後回しになるのでしょうか?
釜石市で、当時の津波の話を伺うと、
「あの時は、高い方高い方に逃げて、やっと避難所にたどりついた」
「お父さん(息子さん)の遺体の上を知らずに通っていた。」
「私は、チリ津波、十勝沖津波、今回と3回も津波に遭った」
恐ろしかったであろう出来事を、ぽつぽつと語ってくださいました。
陸前高田の、第一期の復興住宅が完成し、来月から入居が始まる方は
「毎日、津波の話、聞かねぇ日はないな」
「仮設もバラバラ、またバラバラだ」
「また、せまっこい中、はいらな、わかんねぇんだ」
(次も狭い復興住宅に入らないといけないんだ)
「復興住宅入ったら、もう花もできねぇ、今年で終わりだ!」
と、安心した暮らしがまだまだ送られていない声が。
動物も一緒に住める住宅も建設され、小さな配慮も考えらけているようですが、
基本的なコミュニティが、どんどん崩壊しています。
阪神・淡路の教訓が、充分にいかされず、2度も3度もコミュニティを崩され、
復興住宅での孤独死などはいまも続いています。
釜石で復興住宅へ入居した方は、ボランティアも減っていく中で
入居後は、ほとんど外に出ることもなく、
家の中で過ごし体調が思わしくないという方も少なくありません。
今回広島で起きた土砂災害の被災地では、仮設は建設されず、
既存の住宅への入居が進められています。こちらでもコミュニティの崩壊が起きつつあります。
住み慣れた環境においてコミュニティの崩壊は、心も体も崩壊させてしまいます。
そんな声なき声に耳を傾けることが、本当の意味での町の復興には欠かせません。
ある方は、「最近私は傾聴ボランティアの講習を受けている。避難所でも何もやらせてもらえず、
私たちに何かやらせて欲しい」と、おっしゃいました。
人は、支え、支えられる・強者、弱者り関係ではなく、
双方向に支え合える関係が大切なのだと、実感しました。