ヒデの救援レポート:2012年11月26日№97

ヒデの救援レポート:2012年11月26日№97
★【hideの70歳の「闘争宣言」】その6
・今に至る記憶
70年代後半から、80年代前半は、まさに、分秒刻みの障害者市民世界は、激動だった。
hideも、西に東に、駆けずり回っていた。
その中で、それまで個別に、課題別にバラバラに活動、運動をしていた、
全国各地の障害者団体が、「解放」の理念の下に、結集の動きが強まっていた。
その動きを推進したのが、全国青い芝の会の横塚さん、
障害者解放委員会の楠さん、
フリーハンドの八木下さんだった。
何回かの会議が、その頃、まだ、ガランとしていた、新大阪駅構内の喫茶店で持たれ、
hideも同席させてもらった。
結成大会は、暑い夏の最中、バリアだらけの、大阪市立大学で行われ、
全国障害者解放運動連絡会議「全障連」が結成された。
それも新左翼各党派の付録つきで。
現在は、新左翼の姿は無い。
初代の代表者には、横塚さんが選出された。
ただ、残念なことに、全障連の行動綱領を巡って、議論百出し、
全国青い芝の会は、1年で全障連を脱退してしまった。
hideたちの上映事務局は、現在の【障害者問題資料センター「りぼん社」】に移行して、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」創刊に至り、現在につながっている。
その後、青い芝の会も、全障連も、時代の動向の下、離合集散を重ね、
解放運動の質と量を繰り広げてきた。
hide自身は、りぼん社に席を置き、運動で出来た借金返済のために、
トレーラー運転手になった3年間を除いて、40歳代前半、この頃に、
ゆめ風基金代表理事の牧口さんとの交流が生まれ、それからは同行ふたりの関係。
50歳代、60歳代を、大阪北部の街、箕面市に住みつき、人権運動に関わってきた。
残念を通り越して、無念なことは、青い芝の会の全障連脱退後、
hideのお師匠さんとも言える、横塚さんが、癌のために、42歳で他界されたことだ。
17年前、阪神淡路大震災が起こり、hideは牧口さんと共に、ゆめ風基金を設立することになった。
その推進力になったのは、各地で、それぞれに、自分たちの世界を構築していた、浅からぬ交流があった、障害者団体や、障害者仲間だった。
そして、2011年3月11日、東日本大震災。
まだまだ、hideたちには、つながるチカラ、明日を考えるチカラが求められている。
hideもヘロヘロながら、70歳にして、闘争宣言を発して、
生きるように死ぬまでの残された時間を、ひととして闘いますので、
みなさんには、よろしくお付き合いをお願いします!
以上、hideの闘争宣言、オシマイ
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連:   2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、
バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い「吾亦紅」と咲くのです。


・カフェ「地球村」オープンのお知らせ
皆様、こんにちは!工房地球村です。
工房地球村への日頃のご支援に対しまして、改めて御礼申し上げます。
さて、このたび工房地球村、敷地内にて「カフェ地球村」がオープンします!
山元町が復興を目指す中、私たちの出来る事で、復興の活動に参加したいと考え、
お世話になった方々や地域の方々へのご恩返しとして「ほっ」と出来る
癒やしの場を提供できたらと思い、カフェを作ることにしました。
工房地球村の仲間たちの思いがつまったカフェ地球村を
今後も、工房地球村共々、応援下さいますよう、どうぞよろしくお願いします。
工房地球村一同
2012年11月15日(木)オープン!
営業時間:午前10時~午後3時
休業日:日曜日、月曜日、祝日
場所:山元町共同作業所「工房地球村~敷地内」
(宮城県亘理郡山元町真庭字名生東75-7)
お問い合わせ:工房地球村 TEL0223-37-0205
メニューは、コーヒー、紅茶、工房地球村のお菓子、その他もろもろお楽しみに!


【河北新報の記事】
「被災者 今より『地域を元気にしたい』】

桜井光君(11才)
「海近くにあった自宅が、津波で流されました。家族と内陸部のアパートで暮らし、
教室がある東宮城野小まで20分ぐらいかけてバスで通学しています。
震災から1年以上たち、少しずつ慣れてきました。
今頑張っているのは、仙台の全校で進めている「故郷・ふるさと・復興プロジェクト」。
地域が元気になるために自分たちができることを探り、実行する取り組みです。
まずは、あいさつなど気軽にできることから始めようと思います。
自分たちが元気だと、周りの大人たちも笑顔になってくれるように思います。
休みの日に時々、自分が住んでいた荒浜の海を見に行きます。
あの海は好きだけど、あそこに人は住んでほしくない。
危ない場所だからです。
正しい復興の方法を、みんなで考えてほしいです
『障害者支援 輪を広げて』和山栄輔さん(35)
仙台市太白区長町1丁目 障害者自立支援団体「CILたすけっと」事務局長
「住んでいたマンションが地震で被害を受け、近所の体育館に一時、身を寄せました。
脳性まひがあるため、避難する際は大変でした。
一緒に避難した仲間や支援者の支えが身に染みました。
5月に「たすけっと」の事務局長に就任しました。
重責を感じています。
震災で生活が困窮したり生きがいを失ったりした障害者がいないか、とても心配です。
健常者にも助け合いの輪を広げながら、気軽に相談してもらえる事務所の雰囲気づくりを目指しています。
復興をめぐる議論に、不満があります。
テレビの国会中継を見ていても、物事が前に進んでいる感じが全くしない。
政治家は、被災地の声を本当に聞いているのでしょうか。
地震前より住みよい環境をつくるぐらいの気持ちで、政策づくりに臨んでほしいです。」
ヒデの救援レポート:2012年11月26日№97 以上

ヒデの救援レポート:2012年11月19日№96

【hideの70歳の「闘争宣言」その5】
○今に続く記憶
さぁ~やってくるぞとhideが身構える新大阪駅&事務所に詰めかけている、障害者世界の新人達。
その眼前に姿を現したのが、日本脳性マヒ者協会・神奈川県連合会の横塚晃一さんだった。
横塚さんは、駆け寄ったhideに、軽く挨拶をして、ひょこたん、ひょこたんと歩き出した。
階段にさしかかると、手にした風呂敷包みで、バランスを取りながら歩く。
途中で、hideがその風呂敷包みを持ちましょうと手を出すと、横塚さんは、
ぐらりとバランスを崩し、危うく、階段から転げ落ちそうになった。
その夜、横塚さんは、優しい言葉だったが、凛とした口調で、hideにお説教。「河野さん!」
(横塚さんの方が年上なのに、横塚さんは、終生、hideのことを、そう呼んだ)
「ボクは、誰かの支えが必要な時は、ボクがそのことを伝える。
ボクの意思を無視して、ボクのことに手を出さないで欲しい。
小さなことだけど、障害者の人権にとっては、大切なことなんだよ。」と。
hideは、心底から恥じた。
本当に、事の本質を理解していない自分を恥じた。
さぁ、それからは、右の眼が左に回り、左の眼が右に回るような、
多忙という単語では、表現できない日常が展開した。
毎夜、横塚さんを囲んだ、若い障害者たちの学習会。
各地から要請がある「さようならCP」の上映会に、横塚さんと、若い障害者がひとり。
hideは、送迎、介護、映画上映の映写技師、フィルム担ぎ役と、人手の無さを嘆くばかり。
その合間に、新しい上映先探しなんだから、自宅に帰る時間は、爪の垢ほどもなく、
連れ合いの保子さんから、ずいぶんとなじられたものだった。
そんな時期が3ケ月ほど続いたが、その動きの中から、若い脳性マヒ者の塊が生まれて、
横塚さんの代わりに、上映会で話をするひとも台頭してきたが、その大部分が、
兵庫県姫路市出身だった。
この塊が、「さようならCP」上映運動から生まれた、映画「カニは、横に歩く」の
制作、上映会運動につながり、
その後、自立障害者集団・グループリボン&自立障害者集団友人組織・グループゴリラにつながり、
またまた、その後、日本脳性マヒ者協会・関西青い芝の会連合会の大阪、兵庫県、京都府、滋賀県、奈良県、和歌山県の各青い芝の会につながった。
そして、さらに、全国障害者解放運動連絡会議結成に連なる。
時あたかも、優生保護法改悪阻止闘争も同時進行中の、1973年から、76年頃の、hideなりの激動期だった。とにもかくにも、上映実行委員会を、健全者不足のために、上映事務局に衣替えして、縮小し、それなりに、必死の形相で、東は、金沢、西は、長崎の全国転戦。
hideは、横塚さんと行脚して回る一方、事務局に集まった50名を超える障害者の介護役。
なんせ、健全者は、5名から、10名未満しかいないのだから。
その上に 、優生保護法改悪阻止闘争が収束にさしかかると、次には、
79養護学校義務化阻止や、障害の無い子どもを産む運動対決、
和歌山県福祉センター闘争、バスに車イスで乗る運動、車イスの教師を創る運動、
79養護学校義務化阻止を挟んだ、個別の就学運動などが渦巻いた70年代後半から、80年代。
79養護学校義務化阻止共闘会議や全障連結成、青い芝の会関西連合会・全国連合会結成などの姿が
ちらちらと見えだしていた。
そんな状況の中で、hideは、就学運動を成し遂げた、偉大なポン友・八木下浩一と知り合った。
続く。
【兵庫の遊び雲の通信機関誌「こんちくしょう」133号より転載!
連絡先:TEL、0798-75-6340
FAX:0798-75-6341
「被災地・福島、原発被害に対して行動を起こしたい!」福永年久
・7月29日、東京の日比谷公園に着くと、あちこち10ケ所位から怒号が聞こえてくる。
公園に入ったが、人だらけ。
約束していた友人を探しても、人が多過ぎて見つからない。
そうしているうちにデモ行進が始まった。
もう1人約束していたテレビカメラマンのM君とはデモの最中に出会う事ができた。
人の数が多く何が何やら分からなかったが、とにかくデモ行進には参加した。
帰って来てから参加者の人数が分かりビックリ。
何と20万人もの人々が参加していたのです。
福島で何が起きているのか?
津波と原発被害により避難所を転々とさせられ多くの障害者や高齢者が亡くなり、
現在も福島県は人口が減少している。
友達も家族も町もバラバラにさせられ、避難した人も留まっている人も、
みんな先が見えない。
東京電力への損害賠償を求める裁判だけでなく、福島の子どもたちの集団疎開を求める裁判も
9月に始まった。
しかし、マスコミはこのような現状を一切報じようとしない。
「NPO法人 ゆめ風基金」からも福島の子どもたちや障害者を、
沖縄で避難場所を確保できるようにできないかと要請があり、
10月9日から沖縄に行き、HKさんにお願いに行きます。
無念の中で亡くなった障害者や高齢者、この人たちの怨みをはらさんでおれるか。
何とか原発を止める行動を起こしていきたい。
障害者の仲間や子どもたちを放射能から守る取り組みをしているお母さんたちとも相談して
取り組みを考えていきたい。
M君と相談して取り組みを映像化して社会に訴えていける映画を作って行きたい。
また、遊び雲でも案内ビラにあるように、
11月24日(土):西宮市勤労会館で集会を行います。
皆さんのご協力をお願いします!


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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、
バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のhideの風景】
被災障害者救援本部・おおさかの統一街頭カンパ活動報告!
毎月の第2土曜日・午後1時~5時に、大阪、難波、高島屋前で行われているカンパ活動。
2011年=18回
2012年=11回。
直近の10月13日には、参加者、37人。
カンパ額は 、104,803円。
累計で、  2,678,035円となりました。
皆さんの、ご参加をお願いします!
以上。
【ヒデの救援レポート:2012年11月19日№96】

hideの救援レポート:2012年11月12日№95

hideの救援レポート:2012年11月12日№95
★またまた、自分勝手約束の、hideの70歳の「闘争宣言」が、ぶっ飛びました。
集い告知の日程が迫っていたのが原因ですが、すんまへんでしー!
民主党野田政権を揶揄していましたが、hideもザマーアありません。
ここで、またまたのお約束。
「近いうちに脱稿いたします」笑けますねぇ!
その内、離脱が続いて、自然崩壊かも?


★hideの畏友のおひとり、大阪府吹田市にある「千里寺の住職:武田達城さん」が発行している「寺報・如是~第840号」からの抜粋
連絡TEL:06-6384-0747 FAX06-6385-8950
【念仏を主とし、煩悩を客人として】
前略 沖縄の友人の住職から8月4日の「琉球新報」が送られてきました。
内容は「8月5日の県民大会・オスプレイ問題別刷り特集」です。
大阪との温度差を痛感します。
先日、沖縄県知事を先頭に、あれだけ反対をしているにもかかわらず、
アメリカ軍は12機のオスプレイ配備を強行しました。
沖縄における、戦後アメリカ空軍機の墜落事故は47件を数えます。
今から55年前、茨城県東海村と同時に茨木市の安威川上流に原子炉建設計画が浮上しました。
京都府宇治の計画が変更されたのです。
宇治川が汚染されれば、その下流の大阪市民500万人の生活に影響するが、
茨木市民5万人なら「何とかなる」という説明でした。
「何とかなる」の意味を質問すると
「それは答えられない」というものでした。
市民は、物理学者の武谷三男氏を招いて勉強会を開催し、市長、市議会、自治会、各市民団体が連帯して反対運動を展開し、計画を撤回させました。
このたびのフクシマで「何とかなる」の答えが出ました。
汚染圏内の住民を追い出せばいいのです。
本願の念仏を申しながら生きることは、苦悩を離れて安らかに過ごすことではなくて、
いろんな問題から逃げずに、立ち向かっていくことかも知れません。
あまり力みすぎずに、肩の力を抜きながら。
2012年10月中旬・住職
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
台風12号関連    2,942,828円。
フィリピン洪水関連、1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、
「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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★東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
【ふたつの集いのお知らせ!?】
●シンポジウム
「災害時における個人情報の適切な取り扱い~高齢者・障がい者の安否確認、支援、情報伝達のために」
・主催・日本弁護士連合会・近畿弁護士会連合会・大阪弁護士会
連絡先:池見さん 06-6364-1248
日時:2012年11月20日(火)午後1時30分から5時まで
場所:大阪弁護士会2階ホール
参加費無料
交通:地下鉄御堂筋線、淀屋橋駅下車、天満警察署隣り
2011年3月11日に発生した東日本大震災では「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」(内閣府)に従った要援護者台帳の作成や運用が不十分であったことや、自治体の有する高齢者、障がい者等の安否確認や個別の支援に重大な遅れが生じ、多くの犠牲を生み出しました。
また、広域にわたる避難者の支援にあたっても、避難者情報の開示が大きな課題として浮かび上がっていす。
このような東日本大震災・福島第1原発事故における実態を踏まえ、日弁連では、
2011年6月17日付けで「災害時要援護者及び県外避難者の情報共有に関する意見書」を出しましたが、
本シンポジウムでは、近いうちに発生が予想されるといわれている大規模災害等に備えるために、
この意見書で提案した内容の各地方自治体での実現を目指し、自治体や福祉関係者と一緒に、
災害時における高齢者・障がい者等要援護者情報や広域避難者の情報の適切な扱いについて
議論・検討します。
さらに、各自治体における自発的な取り組みに役立つよう、具体的な取り組み方法や
ガイドライン案の提案をいたします。
「基調報告」~東日本大震災における災害時要援護者や被災者の個人情報の取り扱いについて
・青田由幸氏(NPO法人「さぽーとセンターぴあ」代表理事
・鳥井静夫氏(東京都産業労働局)
・山本和広氏(岩手県大阪事務所)


●パネルディスカッション
「災害時における要援護者や被災者の個人情報の取り扱いについての問題点、適切な取り扱い、課題等」
・被災地福島の原発放射能漏れ汚染による被害の現状~障害者・子ども・女性
ゲスト
・白石清春さん(被災地障がい者センターふくしま代表)
・黒田節子さん(子供たちを放射能から守る福島ネットワーク)
日時:2012年11月24日(土)午後1時半より4時半まで
会場:兵庫県西宮市勤労会館第8会議室
連絡先:NPO法人障害者生活支援センター遊び雲
電話 0798-75-6340
・震災から1年半が過ぎました。
9月11日、福島県の子どもたちの甲状腺検査結果で重大な発表がありました。
東京電力への損害賠償裁判だけでなく、福島の子どもたちの集団疎開を求める裁判も始まりました。
マスコミでほとんど報じられる事のない「福島」の「原発被害」。
私たちは、声高に「原発反対」と叫べなくとも、「原発も必要なのでは」と思っている人も、
まず福島の人達が生きる現実を知る事~福島で暮らす、障害を持つ人たち、子どもたち、女性たちが生きる現実を、その苦しみを、その声を聞き知らなければならないのではないでしょうか。
今回、東日本大震災直後から現地福島で障害者救援活動に取り組んで来られた、「被災地障がい者センター・ふくしま」代表の白石清春さん、そして「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の黒田節子さんをお招きして、集会を開催します。
多くの皆さんの参加お願いします。
hideの救援レポート:2012年11月12日№95  以上。

ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94

ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94
完成!
東北関東大震災障害者救援本部制作・ドキュメンタリー映画
「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者」
●大震災のなか、障害者はどう逃げたのか。
どんな避難生活をすごしたのであろうか。
この事実を多くの方々に知っていただきたい、また記憶から
忘れ去ることがないようにしたい。
そんな願いから制作にかかりました。
詳細は救援本部まで、お問い合わせください。
TEL 042-660-7747 FAX 042-660-7746


★「南相馬ファクトリー通信3号」から
南相馬ファクトリーは、6つの作業所の震災復興プロジェクトです。
福祉事業所が、共同でカンバッジを作っています。
連絡TEL&FAX 0244-23-4177
・震災と原発事故の時、障がい者は避難できたのか?
福島第一原発事故により、南相馬の市民7万人のうち、約6万人が避難したと言われている。
その当時、「屋内退避」が求められ、食料やガソリンも手に入らない状況だった。
避難できなかったのは、病人、老人、そして障がいを持った人達とその家族だ。
避難した障がい者も、避難生活になじめず、4月に入ると戻りはじめた。
原発から30キロ圏内は、「緊急時避難準備区域」となり、緊急時は避難しなくてはならない。
市は、要援護者リストに基づき、避難計画を策定したが、多くの障がい者が入っていなかった。
JDF被災地障がい者支援センターふくしまと地元の福祉施設「ぴーなつ」は、
市からの委託で、障害者の手帳の保有者1139人にローラーをかけ、訪問調査を行った。
調査に加わったのは、全国からかけつけてくれた障がい者の事業所の職員である。
避難しても、障がいを持つ人が避難所で生活することは困難だった。
障がいの重い軽いに関係なく、支援の必要に迫られ、支援者も避難している中で、
障がい者の事業所が再開していった。
●カンバッジで「福島」を支援してください!
・例えば…特注バッジ~あなたの会社、団体、イベントで、オリジナルバッジを作りませんか?
25ミリ、30ミリ:1個125円
44ミリ、57ミリ:1個150円
カンバッジ・マグネットもあります。
デザイン加工料は、相談ください!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
        224,247,749円(2012年10月19日現在)
被災障害者支援ゆめ基金が東北被災障害者支援した救援金(東日本大震災への救援金総額)
        175,909,050円(2012年10月19日現在)
ただいまの基金残高
        258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
台風12号関連    2,942,828円。
フィリピン洪水関連、1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、
「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
「hideの70歳の『闘争宣言』その4
○サヨナラとコンニチハの記憶
・左側世界を追放され、ぶらぶら無職生活の中で、ゴッツンしたのは、
部落解放運動&狭山差別裁判糾弾闘争だった。
詳しく書くことは、出来ないが、東京・日比谷公園の中央集会や狭山現地調査などに、
たびたび参加した。
それらの活動の中で出逢ったのが、片足を引きずって歩く、SP障害者のO君だった。
hideの身近に登場した最初の障害者。
話し込んでみると、妙にウマが合い、なんの知識のないままで、O君が「障害者解放の会」、
hideが「障害者の闘いを支援する会」のふたつの組織を旗揚げ。
組織を名乗っても、どちらも、会員1名ずつ。
活動は、もっぱら、「障害者の人権を守れ」のステッカーを、
夜な夜な電柱に貼ることばかり。
何度も、警察のお世話になりました。
そのたびに、ふたりの意気は、天を衝く。
ふたり共、無職無頼。
ものスゴく、ビンボーだった!
そんな日常の中に、青麦印刷という、小さな印刷所を経由して、
hideたちの前に現出したのが、アノ、名画「映画『さようならCP』~青い芝の会神奈川連合会制作」だった。
その時点から、hideたちの生活は一変した。
上映実行委員会を組織するべく、右往左往。
各大学の障害者関連のクラブを回って、委員会に参加を呼びかけ、
事務所が必要だからと、当時、hideが関係していた、水俣病反公害団体が借りていた、
新大阪駅前のマンションの一室に押しかけた。
もちろん、無料の押しかけ事務所。
上映実行委員会は、その後、議論百出。
学生共は、理屈まむし。
さんざん議論した挙げ句、障害者がひとりしかいない上映実行委員会では、
上映の責任が持てないと、大半の学生共は、去って行き、残ったのは、
近畿大学と、神戸大学のチョロッとと、hideたちだけ。
勝手にしゃがれという、メチャメチャの体制で、無謀上映運動開始!
会場を借りて、あちこちにポスターを貼り、上映をする。
映写機を操作出来るのは、hideのみという心細さ。
そんなワケ判らずの無謀ができたのは、hideたちが観た『さようならCP』が、
hideたちの持っていた、障害者観を粉々に砕き、
えもいわれぬ感動を与えてくれたからにほかならなかったからなのだ。
まぁ、とはいえ、お客が集まらないと、上映会にならないからと、気を揉んでいたが、
案ずるよりも、産むが易しで、初回より、観客が詰めかけた。
何よりも嬉しかったのは、障害者の姿が多かったことだった。
その中から、今日の障害者解放運動を担う人たちが多く輩出された。
そんなこんなの状況の中、上映依頼、フィルム貸し出しが、徐々に増えて、
財政も安らかになり、上映規模も全国化していった。
こうして、hideは、障害者市民運動に、コンニチハをしたのだった。
そして、神奈川連合会からの連絡。
上映会ごとに、障害者自身が、話しをするべしとの指示が届いた。
すでに、上映委員会には、障害者が増えていたけれど、話ができるひとは、皆無、
だったから、神奈川連合会から、人を派遣するときた。
さぁ、やってくるぞの、「日本脳性マヒ者協会・青い芝の会!」
続く


ゆめ風基金事務所の出入り口のドアが、自動式に改造されました。
これで、車イス使用者の方も、入り口で、右往左往せずに済みます。
トイレも広くて、使い勝手がよろしい!
どうぞ、いつでも、おいでくださいな!?
以上!
ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94

ヒデの救援レポート:2012年10月29日№93

ヒデの救援レポート:2012年10月29日№93
「市民による健康を守るネットワークの機関誌~『たむら市民ネットニュース・No.4』からの転載。
●連絡TEL:090-2978-8123
●福島県田村市船引町東部台2-285
・新潟にて保養…放射能から離れる事の大切さ
去る7月22日から8月12日まで、今回は子どもを中心に、
夏休みを利用した保養を新潟県聖籠町(放射線量は聖籠町0.06~0.09、船引町0.16~0.20)
(参加者は、0歳から16歳まで11人。)
・夏休みの間、子供達を保養させては、というお話を頂き、新潟の聖籠町に行って来ました。
チェルノブイリの原発事故の時には、保養や一時避難、病気治療のために、
日本にも沢山の子供達が来ていました。
今は、同じことが私達の身に起こっています。
今回、3日という短い期間でしたが、改めて放射能から離れる事の大切さ、
いかに毎日の生活が放射能によって苦しめられているのかを感じました。
子供達が無邪気に砂浜に転がったり、草むらを駆け回っている姿を安心して見ていられる。
今の福島では考えられませんね。
近所の人が持って来てくれた、取れたての野菜や果物!
心から味わう事が出来ました。
こんな、当たり前の幸せを、原発事故は、国や東電、県の行政は奪っているのです。
そして、原発の問題は、既に終わったかの様な国、県の態度には、
改めて怒りが込み上げて来ます。
特に、県民を守る立場の人間が、先頭に立って県民を苦しめている事に対して、
怒りが収まりません。
放射能測定をしていると、福島県は本当に汚染されてしまった事を感じます。
そして、福島県ほどではなくとも、関東圏まで汚染があるという状況を知ると、
本当に日本はどうなってしまうのだろうと考えます。
そんな事ばかり考えていると落ち込んでしまうので、
今は、自分に出来る事だけ見つめて全力を尽くそうと思っています。
最後に、新潟保養でのエピソードです。
今回の保養には、我が家族5人に猫一匹が加わって新潟に向かいました。
子供達との約束であるキャンプも兼ねて、到着してすぐに庭にテントを張り、
夜は猫と一緒にテントで寝る事を楽しみにしていた子供達!
夕食のバーベキューに舌鼓を打っていたその時です。
近所の野良猫が参入…!
驚いたウチの猫は、野良猫を追って見知らぬ土地を疾走!
そして失踪…!
その晩から帰る日まで、猫探しに明け暮れました。
ポスターを作り、あちこち貼って。
猫探しの合間の休養!?
結局見つからず福島に帰ることに!
翌日、ポスターを見たという人から連絡があり、急きょ新潟へ…!
そんなこんなの新潟保養でしたが、いい思い出になった事は間違いありません。
ちなみに猫は、福島の我が家で幸せに暮らしています。


NPO法人・ケアステーションゆうとぴあ・介護事業・地域活動、
まち子ちゃんの店みらくる・障がい者自立生活支援センター
○福島県田村市船引町字山ノ内129-8
○連絡TEL:FAX0247-82-5508
「機関誌あくせす~101号からの転載」
「放射能に関する市民意識調査~今でも避難したい~福島市民の34%」
これは2012年5月14日に福島市民に郵送し、5月中に回答を得た(3022人:54.9%)の報告書です。
「今でも避難したい」と思っている人の割合は、全体で33.7%(男性34.6%、女性33.3%)です。
この調査(避難したいと思っている人)は、子どもを持つ家庭を対象としたものではなく、
子どもを持つ人も持たない人も独身者も、高汚染地域も低汚染地域も市外避難者も含めた福島市に籍を置く、
20歳以上を対象とした調査であり、50歳以上が6割以上で、さらに市外避難者は全体の9.7%と
少数であるにもかかわらずというものです。
その年齢別は、20代44.4%、30代53.2%、40代46.1%、50代28.1%、
60代25.1%、70歳以上16.2%です。
世帯構成別は、本人と未婚の子52.2%、夫婦と未婚の子38.2%、三世代32.3%、
単身31.2%、夫婦26.4%です。
子どもがいない人でも、3割程度が避難することを望んでいる。
一方、市外避難者のうち、福島市に「ぜひ戻りたい」人が15%、
「できれば戻りたい」人が40%で、過半数が戻りたいと考えている
その一方、「戻りたくない」が27%、と「出来れば戻りたくない」も19%いた。
市外避難者のうち、62%は、家族との別居を強いられている。
このうち「再び一緒に暮らせるめどが立っていない」人が71%に達した。
市外避難者は7千人以上いるとみられ、母子による避難が多いとされる。
また、「子どもたちの将来が不安」と答えた人は全体の89%、
「福島は孤立している」と感じる人が62%にのぼった。
市の担当者は「非常に厳しい結果。対策をとる必要がある」と話している。


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これまで届けた救援金
        224,247,749円(2012年10月19日現在)
 東日本大震災への救援金総額
        175,909,050円(2012年10月19日現在)
ただいまの基金残高
        258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
台風12号関連    2,942,828円。
フィリピン洪水関連、1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、
「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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「東日本大震災救援活動の中のボクの風景」
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、
赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
「われも、また、赤い『吾亦紅』と咲くのです。」
「hideの70歳の闘争宣言」その4は、字数がオーバーしてしまうので、次回に延期します!
高校生を組織して、「高校反戦」を名乗り、沖縄奪還闘争の端っこにいた中で、
ある時、大阪教職員組合「大教組」の沖縄奪還集会が開催された。
高校反戦も同じスローガンなんだから、参加させろと会場の扇町プールに、
300名の高校生どもと押しかけた。
ところが、参加を拒否された上に、会場入り口にhideたちの天敵とも言える、
民主主義青年同盟「民青」がピケを張ったものだから、逆上した高校生どもが、
ピケラインを強行突破。
会場になだれ込んだ。
出た所の目の前が演壇で、国会議員さん達が居並んでいた。
興奮している高校生は、その国会議員さん達を竹竿で、ボコボコにしてしまったー。
この事件後、大教組から社会党府本部に
「社会党のオルグが組織した高校生組織が、集会を妨害した」と抗議がなされ、
その結果、hideは、党籍を剥奪され、追放。
から書くつもりだったんですが、物事は、なかなかうまく運ばないもので、次回に先送りです。
なんだか野田政権みたいだなぁと…!?
ヒデの救援レポート:2012年10月29日№93 以上

ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92

ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92
★18日~19日の2日間、hideは、福島県郡山市に行ってきました!
そよ風本誌特集取材のためです。
当初、編集部の長老・牧口(ゆめ風基金代表理事)と「へろへろコンビ」のつもりが、
16日に牧口が急性肺炎で入院してしまい(現在は、快方に向かっています)
やむなく、ゆめ風基金スタッフの長崎さんにピンチヒッターを頼み旅でした。
東北は、やはり遠いなぁが実感です。
郡山市内に入ると、なんか特別な雰囲気。
ひと通りが少なく、街が静か。
公園、学校、駅前、ホテルの至る所に、放射線自動測定器が設置されており、
駅内の飲食店も、午後9時には、閉店です。
人口も減っているとの事でしたね。
これらのリポートは、順次、お届けします!


京都大学原子炉実験所助手の小出裕章さんが、河合文化教育研究所から、
「福島原発事故-原発を今後どうすべきか」というブックレットを出版されました。
●定価900円+税
連絡先TEL 03-5354-8241
・とても、優しく、丁寧な、原発の解説で、原発の今まで、今、これからが明快に説明されていて、読み応えのある、読みやすい解説書になっています。
「核」とは何かが、判然と分かる本でもあります。
ぜひ、ご一読ください。
121ページA5版
↓クリックしてみてください。
福島原発事故 原発を今後どうすべきか


★hideの70歳の「闘争宣言」その3
○左側世界の記憶
突然現れた左側世界。
マルクス・エンゲルス全集のページの冒頭にあった「共産党宣言」を読んで、
目からウロコがバ~ラバラ。
そこに、浅沼日本社会党書記長暗殺事件。
幼いhideの脳がパッチリ。
「日本は民主主義国ではないのか?」と、駅前でもらったビラを頼りに、
日本社会主義青年同盟を訪ねて、あっさりと加盟した。
前後のみさかいが全然ない!
中小企業を転々とする生活にピリオド。
日本社会党東淀川総支部の書記。
続いて、日本社会党大阪府本部のオルグとしての左側世界の記憶が始まった。
とは言え、大阪府本部にいる人たちは、例外なく、東大を始めとした、国立大学出か、
労働組合活動家。
中卒で中小企業出は、hideだけ。
議論しょうにも、左側知識の量が違い過ぎて、話しにならない。
だから、もっぱら、肉体労働か労組回りが主になった。
おかげで、数々の闘争現場に出会った。
お巡りにボコボコにされるオマケ付き。
それらの闘争を大ざっぱに書き連ねると。
・警職法改正反対闘争「オイコラ警察の復活を許すな」
・三池闘争
・原水爆禁止運動・全国行進
・8・6広島大会、8・9長崎大会など
・春、冬の労働運動
・反公害反対闘争
・水俣病闘争
・選挙運動(選挙は、年中あり、国政選挙、知事選挙、市町村地方選挙は、全て経験させられた)
・様々な労組の争議にも参加した。組合作りも。
・憲法改悪反対闘争(いわゆる、護憲運動)
・60年安保反対闘争(かじりつき。)
・70年安保闘争、この時、初めてヘルメットを被った
・日韓条約反対運動
・左側世界の尻尾の頃に、大学闘争にも参加した
・記憶が錯綜しているので、順序がバンラバラは、お許し願いたい。
hideの特技の中小企業の若い人たちと一緒に、「若い仲間の会」というサークル運動にも手をつけて、柄にもなく、フォークダンスなどもやった(笑)
社会党青少年局が発行した「若い仲間」という雑誌が元。
最後の方は、沖縄奪還闘争。
・この中でのある事件で、hideは、左側世界から脱落&追放になった。
・反戦青年委員会、反戦高校運動なども。
hideは、22歳で結婚して、27歳で離婚した。
とてもつまらない理由で。
そして、左側世界に別れを告げた。
それから、1年は、ぶらぶら上の空。
それから脱したのは、狭山差別裁判反対闘争と部落解放運動のおかげだった。
また、この頃から、人権意識に敏感になり始めた。
このメールをモノしている横では、たくさんのボランティアさんたちが、
ゆめ風基金の機関誌「ゆめごよみ 風だより-58号」の発送作業を、
ワイワイガヤガヤと賑やかに行っている。
ゆめ風基金は、実に多くの人たちによって支えられているのを実感する。
hideもまた、たくさんの友人に出会い、支えられて、今を生きている。
・・・・・・・続く
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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年9月30日現在:只今の基金残高!
            258,210,574円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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★東日本大震災救援活動の中のhideの風景
hideの畏友のお一人、吹田市の千里寺住職・武田達城さんが発行されている寺報「如是」第839号からの転載~連絡TEL 06-6384-0747 FAX 06-6385-8950
「加害者の側にいたこと」
2003年7月に、静岡県にある浜岡原発の運転を止めるよう、近隣住民から裁判が起こされました。
将来発生するであろう地震によって、原発施設に重大事故が発生することがあり、
放射線被曝の極度の危険にさらされ、安全で平穏な環境を享受する権利を侵害されているという理由です。
2007年2月16日におこなわれた第8回証人尋問で、
のちに原子力安全委員会委員長になる斑目春樹氏は、電力会社国側の証人として出廷しました。
原告から「地震時に碍子と非常用ディーゼル発電機が同時に壊れることはありますね?」
と問われた斑目氏は
「ふたつ同時にはない。割り切って考える。割り切らなくては、設計できない。
ちょっとの可能性まで考えていたら、モノは作れない。」
と答えました。
小学校の算数で「割り切れないときの、小数点以下は切り捨て」という言葉を習いました。
「割り切る」とは「切り捨て」です。
いったい何を切り捨ててきたのでしょうか。
福島の苦しみは聴こうとしないと聞こえてこないようです。
福島を離れることを決断した人に冷たい眼差しが向けられ、
ようやくたどり着いた落ち着き先で、偏見や差別が待ちかまえています。
放射能の影響が大きい子どもへの罪悪感が親のストレスを増加させています。
日本で原発ができて以来、原発の中で被曝した労働者数は50万人を超えると言われます。
まさに闇から闇へ葬られた数字です。
大谷派の寺院住職である長田浩昭さんは、
「私たちは決して被害者ではない。自社の管轄内に1基の原発も作らず、自分の庭先に置きたくない面倒なものを、過疎地に押しつけてきた東京電力と同様に、私たちは加害者の側にいた。
自分の足下にあった『いのち』の犠牲に、本当は薄々気づきながらも、
大多数の者の為に見えないところで、一部の『いのち』が踏みにじられ、
犠牲になることを認めてしまってはいなかったか」と、訴えています。
親鸞聖人が引用された「涅槃経」には
「現世の楽を見て、未来の不善の苦果を見ず」、そして
「無慙愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」とあります。
加害者であることを忘れずに、金曜日に官邸前に行ける日をさがしています。
2012年9月中旬:住職
ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92  以上

hideの救援レポート:2012年10月15日№91

★hideの70歳の「闘争宣言」その2
・hideの若者時代の記憶
○テクテクと夜の闇の中を歩き続けて、夜が白々と明ける頃、hideは、大阪の十三の街にいた。
プィッの家出なものだから、お金は一銭もなし。
腹はペコちゃん。
その夜の寝床のアテもナイ。
ナイナイ尽くしの身ひとつ。
ふと傍らの酒店のガラス戸を視ると、下手くそな字で「住み込み店員求む!要面談」のチラシの貼りだしが目に飛び込んできた。
これぞ天佑。と勝手に思いこんで、店が開けるのを待って飛び込んだ。
もちの論、履歴書なんという気の利いたものの持ち合わせもない!
hideと面談してくれたお店の主人Oさんは、ちょっと極道っぽい、株投資が趣味のオッサンだった。
hideは、Oさんに、これこれしかじかと、家出の顛末と、行くあてのない自分のことを、
16歳の真剣さで、打ち明けた。
話し終わると、しばらく考えていたOさんは、「よ~う分かった。俺も若い頃、家出したことがある。今日から働いてもらうー。3食部屋付きで、月給3万円や」
と即断してくれた。
hideは、本当に「地獄に仏」とは、このことかと心底ホッした記憶が残る。
お店兼自宅兼倉庫のOさん家族は、連れ合いさん、中学生の男の子、Oさんとお妾さんの間にできた、高校生の女の子の4人暮らしだった。
hideに与えられたのは、屋根裏の3畳の小部屋と、息子さんの使い古し下着と、
酒メーカー印入りの作業服だった。
当時、大卒の初任給が1万3千8百円と、うたわれていたから、hideの月給3万円は、
破格といってよろしい。
もちろん、破格には、破格のワケがあることが、だんだん明らかになった。
こうして、怪しい環境でのhideの賃労働人生が始まった~。
5月始めの頃だった。
・月給が高いワケとは、休みが月1回。
朝は、近くに十三職業安定所があり、当時、「ニコヨン」と呼ばれた日雇い労働者が、
職安の前に行列を作っていて、その日の仕事にあぶれた人たちが、朝早くから、立ち呑みに訪れる。
午前7時には来るので、hideは、6時半には、店を開け、掃除をして、立ち呑み場に立つ。
それが一段落すると、大急ぎで朝ご飯をかっこみ、自転車で、得意先に御用聞き回り。
昼ご飯を済ますと、注文を受けた酒類、調味料類を配達に回る。
夕方からは、十三は、繁華街なもので、呑み屋、飲食店を回り、その日の注文を取りに回り、その注文品を配達。
十三は、屋台の呑み屋も多く、仕入れはギリギリ。
だから、次々とビールが切れたからと電話が入り、配達の追加をこなす。
そして、夜半になると、もう時効になっているだろうから、書いてしまうが、
一升瓶に入っている酒を1合抜き、代わりに水を入れて、9本の酒から、
10本の酒を作り出す、魔法作業をやるのだ。
それが終わると、店に風呂が無いので、近所の仕舞い風呂屋に行き、屋根裏部屋で、
バタンキュウするのが、午前2時。
それが年がら年中続く。
それにくじけず、あれこれやるのが、hideの特技。
近所の商店で働く店員仲間とグループを作り、不良ごっこをしたり、
近所に極道の組事務所があったので、出入りして、極道ぶったり。
休みの日は、映画三昧、3館をハシゴしたりしていた。
でも、心のどこかが空白の状態にあり、それを埋めるために、
大手前高校通信教育に通ったりしたが、賃労働の圧力の前に、3ヶ月で挫折してしまった。
でも、自分の生き方そのものへの疑問がついて回り、それが何か分からぬままに、
日毎をウロウロとやりすごすばかりだった。
・そんな心情のある日、近所の古本屋で、マルクス・エンゲルス全集を見つけてしまった。
それも、エンゲル係数の本と間違えて。
突然現れた「左側の世界」
続く


★少し早いのですが、昨年もお知らせした、hideの住む街、箕面市の
「第27回・みのお市民人権フォーラム~がんばるのは私たちパートⅡ いま、自分ができること であう、考える、行動する」
全体会:2012年12月8日・午後1時より
場所:グリーンホール大ホール(阪急電車箕面線、箕面駅下車徒歩10分)
記念講演:「人と人との豊かなつながり・無縁社会の現場から、地域コミュニティーのあり方を見つめ」
講師:板垣淑子さん(NHKプロデューサー)
全体会+分科会フリーパス1000円
問い合わせ:実行委員会事務局 
TEL 072-722-5838・FAX、072-722-8042
●分科会は、6課題ありますが、東日本大震災関連の2会場だけをお知らせします。
・第1・障害者問題分科会:8日(土)午後6時より
場所:グリーンホール1F大会議室
「頼りになるのは地域のつながり・防災訓練に向けた課題を学ぶ」
東日本大震災での支援活動の経験から、災害弱者といわれるお年寄りや障害のある人々を含めた、
地域での日ごろの取り組みの大切さが、あらためて注目されています。
今回、大阪市の城東区障害者防災訓練など、先進的事例に学び、防災に向けて、
私たちの街での具体的課題について考えます。
・パネルディスカッション
コーデイネーター・八幡隆司さん(ゆめ風基金理事)、
「パネリスト」荒川輝男さん(城東区地域自立支援協議会事務局次長)
片野坂和幸さん(箕面市障害者の生活と労働推進協議会事務局長)
地区防災委員会から、上田健太さん(箕面市社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
●弟5・地方自治分科会:9日(土)午後1時30分から
会場:みのお市民活動センター多目的室・萱野ヴィソラ内
・「東日本大震災、被災地の現場でみたものは~市職員、学生奮闘録」
東日本大震災からはや1年半以上がたちました。
現在でも箕面市では、岩手県大槌町を中心に、派遣職員を送り込んで被災地支援を行っていることをご存知でしたか?また、身近にも支援活動を続けている方がたくさんおられます。
今回、市の派遣職員、被災地支援に入っていたボランティアの学生さんに
現場で感じた生の声を熱く語ってもらいます。
地方自治の分科会ではおなじみの、倉田市長も参加!!
被災地で、行政ができること、地域ができること、われわれにできることを一緒に考えましょう。
「パネリスト」
倉田市長、action・大阪大学学生ボランティアサークルすずらん、被災地支援参加市職員。
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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
その他の届けた救援金
●台風12号関連        2,942,828円。
●フィリピン洪水関連     1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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hideの救援レポート:2012年10月15日№91 以上。

ヒデの救援レポート:2012年10月9日№90

ヒデの救援レポート:2012年10月9日№90
★急なお知らせ
「共同連マラソントークin箕面」
○10月20日(土)午後2時~5時
○参加費500円
○箕面市立グリーンホール・阪急箕面駅下車、南へ10分
○連絡TEL、072-735-7901・FAX、072-725-0244
第1部で、恥ずかしながら、hideが記念講演をぶち上げます。
「箕面の障害者運動の歴史・はじまり、はじまり~そして今」
○御用とお急ぎの無い方は、ぜひ、ご参加くださりませ!!


★hideの70歳の「闘争宣言」その「hideの子ども時代の記憶」
hideは、1942年9月23日に、大阪市天王寺区帝塚山の高級住宅地の洋館建ての住宅で産まれた!
奇しくも、あの、チェ・ゲバラと同い年で、世界で初めて原子炉が稼動した年でもある。
戦死した徳島県出身の父親が、結構働き者で、徴兵されるまで、手広く木綿問屋を営んで、小金を持っていたので、暖炉付き、ネエや子守り付きの生活だったらしいが、戦争でみんな焼けてしまい、hideの記憶には無い。写真が数枚残されているだけだ~。
hideは、3歳前に、父親の実家がある徳島に、単身疎開しており、大阪に帰って来たのは、
5歳の時だった。
父親は、hideを母親が妊娠したての頃に、徴兵され、すぐに中国に派兵されたので、
hideの顔を見ていない。
その後、満州「中国東北部」で戦死したことになっている。
今でも記憶に残っている風景がある。
ひとつは、徳島から大阪に帰るために船に乗り、神戸港に着いた時、船上から見た、
神戸の光景。
なぁんにも無かった。
いきなり六甲山が眼の前にあり、その光景は、大阪にまで続いていた。
東日本大震災で、津波にのまれた、東北の沿岸部と酷似している。
大震災と戦争の違いはあるものの!?
もうひとつは、母親におぶわれ、何回か舞鶴の引き揚げ港に行った時の光景。
父親の戦死公報は届いていたが、当時、戦死公報が届いていても、帰って来るひとは
沢山いた。
母親は、それに希望を託していたのだろう。
道路の至る所に、隙間無く貼られ、ひるがえり続いていた「身元、連絡先、尋ねびと」の
手書きのチラシ。hideは、かすかに覚えている。
その後、母親は、再婚して、2人の妹たちが産まれたが、
妹たちの氏名は、養父の遠山姓、hideは、河野姓のままだった。
それが不思議だと、思っていたが、若者に育った頃に判明した。
それは、養父の籍に入れば、hideの父親の軍人恩給が受け取れないからだった。
小学生4年の頃に、借金の圧力に屈して、夜逃げ。
大阪府茨木市の山の中に移る。
そこでいろいろあったけれど、義務教育を終えて、府立高校を受験、入学。
1年間、授業料滞納で除籍処分。
その事が原因で、養父と大喧嘩の殴り合い。
ぷいと、家出して、山の中から、歩いて大阪の街を目指した。
hide16歳の時だった。続く
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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
・新刊本の紹介です!
東北人自身による、東北の声〔鎮魂と再生・東日本大震災・東北からの声100〕
赤坂憲雄編集、荒蝦夷編集協力
発売:2012年3月19日、藤原書店
○A5版488ページ、3360円

鎮魂と再生 〔東日本大震災・東北からの声100〕 鎮魂と再生 〔東日本大震災・東北からの声100〕
(2012/03/19)
不明

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★インタビューではない。
聞き取り調査でもない。
コメントが欲しいわけでもない。
そして語り手の人生が透けるような聞き書きは短くては達成できない。
私たちは400字詰め原稿用紙にしてひとり10枚の聞き書きを重ねてきた(中略)
テーマはただ「被災地を生きるとはどういうことなのか」だった。
それこそがこの災害列島に生きる私たちが日々の生活の基盤として持つべき「情念」なのではないか。
そう思ったからである。(土方正志「本書:あとがき」より!)


東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック

東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック(初任者用演習テキスト) 東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック(初任者用演習テキスト)
(2011/12)
東北関東大震災共同支援ネットワーク被災者支援ワークブック編集委員会

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初任者用演習テキスト(2012年6月18日発売)
編集:東北関東大震災・共同ネットワーク被災者支援ネットワーク編集委員会
発行:全国コミュニティーライフサポートセンター
発売:筒井書房
定価:2000円+税
★一人でも多くの人が携われるように。
被災者支援の研修本リニューアル○被災地では、仮設住宅やみなし仮設(自治体が被災者の住居に充てるため借り上げた公営住宅など)で慣れない生活を続ける住民への生活支援が求められている。
そこで、仮設住宅等を訪問し支援する有給スタッフ(生活支援相談員・地域復興支援員・絆サポーターなど)向けに、現場で活躍するために必要な知識を学ぶことのできる、
「東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック・初任者用演習テキスト」の
改訂版が今年6月に発行された。
本書は仮設住宅等を支援する有給スタッフを「サポーター」と統一して呼ぶ。
サポーターは自身も被災者であることが多い。
そして、これまで福祉関係の仕事の経験のない人もいるため、
本書のような入門研修書は役に立つだろう。
内容は、○サポーターとしての活躍理念、目標と役割についてのワーク
○具体的な事例に即して被災者を取り巻く環境、必要な支援と方法について学ぶーという手順になっている。
もともと本書は阪神・淡路大震災での知見をもとに作成されていたが、
東日本大震災では異なる課題も生じたため、新たな事例やコラムの追加がなされている。
加えて、「みなし仮設に入った人への支援は?」「孤独死が生じてしまった後は?」
などの問題も、ストーリー仕立てで紹介されており、サポーターが
より身近に考えやすいつくりになっている。
本書は、「宮城県被災者支援従事者基礎研修公式テキスト」で、
サポーター向けの研修での利用を目的にしている。
だが、被災生活の実体験に即して学ぶことができるため、個人の利用でも
十分参考になる。
(大阪ボランティア協会機関誌ウォロ9月号より転載)
○連絡TEL06-6465-8395FAX06-6465-8393
★9月18日に、ゆめ風基金理事会が開かれ、被災地での活動や当面する支援活動方針、
東京被災障害者救援本部報告、被災地支援要請金申請などが議論されました。
まぁ、目立った変更は、ありませんが、特徴点については、ボチボチとリポートします!
理事会の後に、新人女性障害者、長崎さん、福本さんの歓迎会を、
ちょっぴりの食べ物と、ちょっぴりのビールで、ちょっぴり、ささやかに行いました。
新人とは言え、ご両人とも、花の●●歳(長崎が伏字にしました!)
しっかり社会経験を積んでおられ、頼もしい限りです。
歓迎会には、ゆめ風基金関係者も沢山参加していただきました。
これからも、よろしくお願いします!
ヒデの救援レポート:2012年10月9日№90 以上!

ヒデの救援レポート2012年10月1日№89

ヒデの救援レポート2012年10月1日№89
★50歳の時にも、60歳の時にも、hideは、「闘争宣言」をへろへろと語りました!
今年、9月23日に、hideは、70回目の誕生日を日常の風景のごとく、迎えました。
70年、こんなに生きるとは、若い頃には、想像もしていませんでした!
戦死した父親、病死した母親の年齢を超えて、今在ります。
逆縁の親不孝をクリアーしました。
まぁ、本当のところは、実感はありません!
ゆめ風基金代表理事の牧口さんの背中を見つめながら、ただ、人権の世界の前の方を
凝視するだけです!
そこで、このhideレポートのひと隅に、次回から何回かに分けて、
70歳の闘争宣言をつぶやきたいのです!
みなさん、我慢してお付き合いくださいませ!!
hide拝
★「津波てんでんこ」
最近の防災関連で使われだしている言葉。
他者を助けることを止め、自分の命は、自分で守れ。てんでに逃げる。
その方が犠牲者が少なくなるとの論理。
【岩手県方面の地方紙の記事より連載の中~
「弱者避難・教訓と課題」

見出し「在宅障害者・移転しか対策なく・地域全体で支援構築を」
「津波てんでんこは健常者の発想。動けない子どもを絶対置いていけない。」
釜石市上中島町の仮設住宅で佐野嘉誉子さん(44)がダウン症のわが子、和樹君(11)を見つめる。
同市鵜住居町の自宅アパートは津波で流失。
今は仮設住宅で、家族4人で身を寄せ合う。
和樹君は重度の知的障害と身体障害があり、話ができない。
てんかんも抱え、日常生活は介助者が不可欠だ。
震災時は嘉誉子さんと一緒に同市大渡町の市保健福祉センター内の釜石のぞみ病院で
リハビリ訓練中だった。建物は1階部分が浸水。同センターに多くの市民が詰めかける中、
病院関係者の協力で上階に素早く避難できた。
時間と場所を選ばない災害。今回は、被災した場所が幸運だった。
「もしも自宅で被災していたら、息子も私も津波にのまれていた」と
嘉誉子さんは振り返る。障害者が自分自身や家族だけで避難がままならないのは、
同市だけで少なくとも60人以上もの障害者が命を落としたことでも明らか。
ただ、現行の施策は同市に限らず、障害者らが常に優先される訳ではない。
同市内陸部の災害公営住宅への入居を希望する佐野さん一家。
しかし、域外からの入居希望者は抽選となる可能性がある。
嘉誉子さんは「(息子の命を守るには)生活を絶対に津波の来ない所に移すしか、
決定的な対策はない」と語る。ただ、公営住宅への入居は「運」任せに近い。
不安は消えない。
同市野田町の相談支援専門員、藤原伸哉さん(38)は震災の経験から「障害者の
避難を成功させるには、家族という最小単位の支えを地域へ広げていく必要がある」と
訴える。同市は防災計画に本年度、福祉避難所の開設などを含めた新たな
障害者対策を盛り込む。
ポイントは障害の種類や生活環境など個々のケースに応じた対策を構築するとともに、
支援の輪を広げることができるかにかかる。
【本県沿岸部の障害者の震災被害】
県によると、沿岸12市町村の障がい者手帳所持者の震災犠牲者数(2011年3月31日現在)は陸前高田市と宮古市の2市(未回答)、大槌町(精査中)を除き、
1万1035人中181人。うち釜石市は2556人中65人だった。
今回の津波を受け、県は本年度、従来の対応を見直し、障害者用の災害マニュアルを
新たに整備する方針。


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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
その他の届けた救援金
●台風12号関連        2,942,828円。
●フィリピン洪水関連     1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、
小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、
わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
「われも、また、赤い=吾亦紅」と咲くのです。


★河北新報社の記事からの転載
見出し「障害者難しい災害対応」
●南相馬の1139人対象NGO調査、108人、避難一度もせず。
346人、3週間後に戻る。
「生活、介護の変化心配」
障害者団体で組織するNGO非政府組織「日本障害フォーラム」(JDF)の「被災地障害者支援センターふくしま」は30日までに、南相馬市で行った「緊急避難時における要援護者」の調査結果を公表した。
○福島第1原発事故によって緊急時避難準備区域になった原町区と区域外の鹿島区には、
調査時点でなお障害者492人が居住。
このうち346人は一度避難したが、生活環境や介護の問題から平均3週間程度で
自宅に戻ったといい、障害者の災害対応の難しさが浮き彫りとなった。
調査は65歳未満で身障者手帳や療育手帳を持つ1139人が対象。
情報公開制度で市が公開した名簿を元に4~8月、JDF職員らが聞き取り調査を行った。
警戒区域に指定されている小高区は対象外。
時間の経過などから、事故後の行動が不明な障害者もいた。
調査結果によると、障害者492人のうち、108人は症状の重さなどを理由に
一度も避難していなかった。
「体を曲げられないので、床で寝られない」「薬の手配や透析が避難先でできるのかどうか心配」など、
生活や医療環境の変化を理由に挙げる人が多かった。
知的障害のため、避難が必要かどうか本人が状況認識できないケースもあったという。
492人のうち、現在も緊急時の搬送や介助が必要なのは192人。
避難した場合、避難先で支援が必要なのは340人だった。
また、168人は緊急生活支援や継続的な支援を要望した。
被災地障害者支援センターふくしまによると、東日本大震災で被災した
東北の太平洋沿岸の自治体のうち、
これまでに障害者名簿を公開したのは南相馬市だけだという。
センターは「障害者が避難できなかったということは、介助する家族も避難していないということで影響は大きい。行政と民間で要援護者の情報を共有し、避難支援の計画を具体化すべきだ」と話している。
以上
ヒデの救援レポート2012年10月1日№89

ヒデの救援レポート:2012年9月24日№88

ヒデの救援レポート:2012年9月24日№88
★訂正情報です!
以前にお知らせした、11月23日祭日、被災地障害者の方々を招いて開催予定の
「東北⇔関西ポジティブ生活文化交流祭」の会場のことですが、会場を、
大阪市北区の扇町公園とご案内しましたが、公園は、すでに、
大阪市に押さえられていて、市民マラソン会場に使われるそうです!
残念ですが、やむなく、交流祭会場を、長居公園に変更することになりました。
長居公園:地下鉄長居公園駅すぐ。
先日、突然の荒天の落雷で、お二人の女性が亡くなられた公園です。
時間、内容等については、変更はありません!
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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの
個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので転送自由
自由にお使いください。

息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
ゆめ風基金が「認定NPO法人」になったことで、仕組みがどう変わるのかの
解説記事がありますので転載します。
★毎日新聞・2011年年7月12日版より●NPOへの寄付より気軽に
4割相当額を所得税から差し引き・対象団体も増加へ
「税額控除」今年1月分から適用。国が認定したNPO法人に寄付すると、約40%相当額が所得税から差し引かれる
新たな制度が導入され、今年1月以降の寄付から適用になる。
寄付文化が希薄と言われてきた日本だが、昨年末からの「タイガーマスク運動」や
東日本大震災を機に、善意の行為は広がっている。
寄付者のメリットが増した新しい寄付税制を紹介する。
NPOを巡る税制改正は09年の政権交代後から検討が進められ、
税制改正法と改正NPO法が今年6月に成立した。寄付者のメリットを高めることで、
経済基盤が弱いNPO法人への寄付を促すのが狙い。
NPO法人が政府機関に代わる公共サービスの担い手となることを期待している。
●寄付に伴う所得税の特別控除は、01年から実施されているが、
今回の税制改正のポイントは「税額控除」の導入だ。
2000円を超える分の寄付金の40%相当額が、所得税から引かれる。
寄付金の実質的な負担額が、約6割で済むともいえる。
従来は「所得控除」だけだったが、今後はどちらか有利な方式を選べる。
「所得控除」が所得税率によって減額分が変わるのに対し、「税額控除」は
所得税率に関係なく寄付額に応じて決まるのが特徴。
所得税率が低い中・低所得者は、税額控除の方がメリットが大きい。
逆に、所得税率が高い高額所得者が多額の寄付をする場合は「所得控除」の方が
得になる。
「この法律改正を待っていました」
こう話すのは、40年以上前からユニセフや「国境なき医師団」などに
寄付してきた東京都世田谷区の矢崎さちこさん(68)。
高校時代から「持っているものはみんなと分かち合う」という考えで育ち、
コンサルタント会社に勤めながら毎年数十万円を寄付してきた。
退職後も、翻訳などの収入から年約20万円を寄付に回している。
「控除された分は地道に頑張ってきた目立たないNPO法人に寄付したい。
法改正は人々の寄付意欲をかきたてる。
友人にも教えたい」と声を弾ませる。
法改正を訴えてきたNPO法人シーズ「市民活動を支える制度をつくる会」の
松原明副代表は、「自分の寄付金の半分近くを税金が手当てしてくれ、
寄付の価値が2倍になる画期的な法改正。税金の使い道の一部を
自分で選べるため、政治参加にもなる」と話す。
税額控除の対象は、国税庁に認定された「認定NPO法人」への寄付であること。
ただし、認定NPO法人は全国に223団体(1日現在)しかなく、
全NPO法人約4万2500団体の約0.5%に過ぎない。
認定NPO法人の半数近くは東京に集中し、「空白県」も10県以上ある。
認定の要件が煩雑だったためだ。
今回の法改正では、要件の「パブリックサポートテスト」などが簡素化された。
サポートテストは、市民に支持される活動であることを証明するもので、
改正後は「3000円以上の寄付を2事業年度で平均100人から受けている」ことで可能になった。
フリースクールを運営する「NPO法人東京シューレ」も、新制度になり
認定申請の準備を進めているという。
中村国生・事務局長は「不登校の子どもたちの受け皿となってきたのに
優遇措置がないのは不公平と思っていた。
今後寄付が増えれば、設備や教職員の待遇を改善したい」と期待する。
来年4月には改正NPO法が施行され、認定機関が身近な都道府県・政令市に移行される。
設立5年以内の団体はサポートテストを満たしていなくても「仮認定」される制度も
導入され、認定法人の増加が期待されている。
大阪大学大学院の山内直人教授(公共経済学)は
「寄付文化が進んでいる米国では、NPO・196万団体のうち、128万団体が
寄付控除の対象。
日本でも今後、認定NPOは増えていくだろうが、
NPO自身が魅力的な活動を行い、積極的に意義を広報するなど努力しなければ、
寄付の大幅な増加は期待できない」と話す。
また、寄付控除を受けるにはサラリーマンでも確定申告をしなければならないことから、
「年末調整などでも控除を申請できる仕組みを取り入れるべきだ」と指摘している。
寄付控除改正のポイント
●税額控除と所得控除の有利な方を選べる。
●所得税率が低い人は、税額控除の方がメリットが大きい。
●税額控除は所得税額の25%が上限
(所得税20万円の場合は、20万円×0.25=5万円)
●個人住民税でも、10%の税額控除が制度化されている
●実施は自治体により異なる
●東日本大震災関連で、日本赤十字社や中央共同募金会、被災自治体や公益法人に寄付した場合も
税額控除の特例がある。
申請するには、寄付後に認定NPO法人から送られてくる寄付の受領書や、
認定NPO法人と証明する書類を、確定申告の際に提出する。
納税者名義の受領書が必要。
振り込み証明書で代替できる場合もある。
国税庁のウエブサイトで確定申告の手続きが紹介されている。
以上
ヒデの救援レポート:2012年9月24日№88