ヒデの救援レポート2012年10月1日№89

ヒデの救援レポート2012年10月1日№89
★50歳の時にも、60歳の時にも、hideは、「闘争宣言」をへろへろと語りました!
今年、9月23日に、hideは、70回目の誕生日を日常の風景のごとく、迎えました。
70年、こんなに生きるとは、若い頃には、想像もしていませんでした!
戦死した父親、病死した母親の年齢を超えて、今在ります。
逆縁の親不孝をクリアーしました。
まぁ、本当のところは、実感はありません!
ゆめ風基金代表理事の牧口さんの背中を見つめながら、ただ、人権の世界の前の方を
凝視するだけです!
そこで、このhideレポートのひと隅に、次回から何回かに分けて、
70歳の闘争宣言をつぶやきたいのです!
みなさん、我慢してお付き合いくださいませ!!
hide拝
★「津波てんでんこ」
最近の防災関連で使われだしている言葉。
他者を助けることを止め、自分の命は、自分で守れ。てんでに逃げる。
その方が犠牲者が少なくなるとの論理。
【岩手県方面の地方紙の記事より連載の中~
「弱者避難・教訓と課題」

見出し「在宅障害者・移転しか対策なく・地域全体で支援構築を」
「津波てんでんこは健常者の発想。動けない子どもを絶対置いていけない。」
釜石市上中島町の仮設住宅で佐野嘉誉子さん(44)がダウン症のわが子、和樹君(11)を見つめる。
同市鵜住居町の自宅アパートは津波で流失。
今は仮設住宅で、家族4人で身を寄せ合う。
和樹君は重度の知的障害と身体障害があり、話ができない。
てんかんも抱え、日常生活は介助者が不可欠だ。
震災時は嘉誉子さんと一緒に同市大渡町の市保健福祉センター内の釜石のぞみ病院で
リハビリ訓練中だった。建物は1階部分が浸水。同センターに多くの市民が詰めかける中、
病院関係者の協力で上階に素早く避難できた。
時間と場所を選ばない災害。今回は、被災した場所が幸運だった。
「もしも自宅で被災していたら、息子も私も津波にのまれていた」と
嘉誉子さんは振り返る。障害者が自分自身や家族だけで避難がままならないのは、
同市だけで少なくとも60人以上もの障害者が命を落としたことでも明らか。
ただ、現行の施策は同市に限らず、障害者らが常に優先される訳ではない。
同市内陸部の災害公営住宅への入居を希望する佐野さん一家。
しかし、域外からの入居希望者は抽選となる可能性がある。
嘉誉子さんは「(息子の命を守るには)生活を絶対に津波の来ない所に移すしか、
決定的な対策はない」と語る。ただ、公営住宅への入居は「運」任せに近い。
不安は消えない。
同市野田町の相談支援専門員、藤原伸哉さん(38)は震災の経験から「障害者の
避難を成功させるには、家族という最小単位の支えを地域へ広げていく必要がある」と
訴える。同市は防災計画に本年度、福祉避難所の開設などを含めた新たな
障害者対策を盛り込む。
ポイントは障害の種類や生活環境など個々のケースに応じた対策を構築するとともに、
支援の輪を広げることができるかにかかる。
【本県沿岸部の障害者の震災被害】
県によると、沿岸12市町村の障がい者手帳所持者の震災犠牲者数(2011年3月31日現在)は陸前高田市と宮古市の2市(未回答)、大槌町(精査中)を除き、
1万1035人中181人。うち釜石市は2556人中65人だった。
今回の津波を受け、県は本年度、従来の対応を見直し、障害者用の災害マニュアルを
新たに整備する方針。


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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
その他の届けた救援金
●台風12号関連        2,942,828円。
●フィリピン洪水関連     1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、
小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、
わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
「われも、また、赤い=吾亦紅」と咲くのです。


★河北新報社の記事からの転載
見出し「障害者難しい災害対応」
●南相馬の1139人対象NGO調査、108人、避難一度もせず。
346人、3週間後に戻る。
「生活、介護の変化心配」
障害者団体で組織するNGO非政府組織「日本障害フォーラム」(JDF)の「被災地障害者支援センターふくしま」は30日までに、南相馬市で行った「緊急避難時における要援護者」の調査結果を公表した。
○福島第1原発事故によって緊急時避難準備区域になった原町区と区域外の鹿島区には、
調査時点でなお障害者492人が居住。
このうち346人は一度避難したが、生活環境や介護の問題から平均3週間程度で
自宅に戻ったといい、障害者の災害対応の難しさが浮き彫りとなった。
調査は65歳未満で身障者手帳や療育手帳を持つ1139人が対象。
情報公開制度で市が公開した名簿を元に4~8月、JDF職員らが聞き取り調査を行った。
警戒区域に指定されている小高区は対象外。
時間の経過などから、事故後の行動が不明な障害者もいた。
調査結果によると、障害者492人のうち、108人は症状の重さなどを理由に
一度も避難していなかった。
「体を曲げられないので、床で寝られない」「薬の手配や透析が避難先でできるのかどうか心配」など、
生活や医療環境の変化を理由に挙げる人が多かった。
知的障害のため、避難が必要かどうか本人が状況認識できないケースもあったという。
492人のうち、現在も緊急時の搬送や介助が必要なのは192人。
避難した場合、避難先で支援が必要なのは340人だった。
また、168人は緊急生活支援や継続的な支援を要望した。
被災地障害者支援センターふくしまによると、東日本大震災で被災した
東北の太平洋沿岸の自治体のうち、
これまでに障害者名簿を公開したのは南相馬市だけだという。
センターは「障害者が避難できなかったということは、介助する家族も避難していないということで影響は大きい。行政と民間で要援護者の情報を共有し、避難支援の計画を具体化すべきだ」と話している。
以上
ヒデの救援レポート2012年10月1日№89

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