ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92

ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92
★18日~19日の2日間、hideは、福島県郡山市に行ってきました!
そよ風本誌特集取材のためです。
当初、編集部の長老・牧口(ゆめ風基金代表理事)と「へろへろコンビ」のつもりが、
16日に牧口が急性肺炎で入院してしまい(現在は、快方に向かっています)
やむなく、ゆめ風基金スタッフの長崎さんにピンチヒッターを頼み旅でした。
東北は、やはり遠いなぁが実感です。
郡山市内に入ると、なんか特別な雰囲気。
ひと通りが少なく、街が静か。
公園、学校、駅前、ホテルの至る所に、放射線自動測定器が設置されており、
駅内の飲食店も、午後9時には、閉店です。
人口も減っているとの事でしたね。
これらのリポートは、順次、お届けします!


京都大学原子炉実験所助手の小出裕章さんが、河合文化教育研究所から、
「福島原発事故-原発を今後どうすべきか」というブックレットを出版されました。
●定価900円+税
連絡先TEL 03-5354-8241
・とても、優しく、丁寧な、原発の解説で、原発の今まで、今、これからが明快に説明されていて、読み応えのある、読みやすい解説書になっています。
「核」とは何かが、判然と分かる本でもあります。
ぜひ、ご一読ください。
121ページA5版
↓クリックしてみてください。
福島原発事故 原発を今後どうすべきか


★hideの70歳の「闘争宣言」その3
○左側世界の記憶
突然現れた左側世界。
マルクス・エンゲルス全集のページの冒頭にあった「共産党宣言」を読んで、
目からウロコがバ~ラバラ。
そこに、浅沼日本社会党書記長暗殺事件。
幼いhideの脳がパッチリ。
「日本は民主主義国ではないのか?」と、駅前でもらったビラを頼りに、
日本社会主義青年同盟を訪ねて、あっさりと加盟した。
前後のみさかいが全然ない!
中小企業を転々とする生活にピリオド。
日本社会党東淀川総支部の書記。
続いて、日本社会党大阪府本部のオルグとしての左側世界の記憶が始まった。
とは言え、大阪府本部にいる人たちは、例外なく、東大を始めとした、国立大学出か、
労働組合活動家。
中卒で中小企業出は、hideだけ。
議論しょうにも、左側知識の量が違い過ぎて、話しにならない。
だから、もっぱら、肉体労働か労組回りが主になった。
おかげで、数々の闘争現場に出会った。
お巡りにボコボコにされるオマケ付き。
それらの闘争を大ざっぱに書き連ねると。
・警職法改正反対闘争「オイコラ警察の復活を許すな」
・三池闘争
・原水爆禁止運動・全国行進
・8・6広島大会、8・9長崎大会など
・春、冬の労働運動
・反公害反対闘争
・水俣病闘争
・選挙運動(選挙は、年中あり、国政選挙、知事選挙、市町村地方選挙は、全て経験させられた)
・様々な労組の争議にも参加した。組合作りも。
・憲法改悪反対闘争(いわゆる、護憲運動)
・60年安保反対闘争(かじりつき。)
・70年安保闘争、この時、初めてヘルメットを被った
・日韓条約反対運動
・左側世界の尻尾の頃に、大学闘争にも参加した
・記憶が錯綜しているので、順序がバンラバラは、お許し願いたい。
hideの特技の中小企業の若い人たちと一緒に、「若い仲間の会」というサークル運動にも手をつけて、柄にもなく、フォークダンスなどもやった(笑)
社会党青少年局が発行した「若い仲間」という雑誌が元。
最後の方は、沖縄奪還闘争。
・この中でのある事件で、hideは、左側世界から脱落&追放になった。
・反戦青年委員会、反戦高校運動なども。
hideは、22歳で結婚して、27歳で離婚した。
とてもつまらない理由で。
そして、左側世界に別れを告げた。
それから、1年は、ぶらぶら上の空。
それから脱したのは、狭山差別裁判反対闘争と部落解放運動のおかげだった。
また、この頃から、人権意識に敏感になり始めた。
このメールをモノしている横では、たくさんのボランティアさんたちが、
ゆめ風基金の機関誌「ゆめごよみ 風だより-58号」の発送作業を、
ワイワイガヤガヤと賑やかに行っている。
ゆめ風基金は、実に多くの人たちによって支えられているのを実感する。
hideもまた、たくさんの友人に出会い、支えられて、今を生きている。
・・・・・・・続く
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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年9月30日現在:只今の基金残高!
            258,210,574円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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★東日本大震災救援活動の中のhideの風景
hideの畏友のお一人、吹田市の千里寺住職・武田達城さんが発行されている寺報「如是」第839号からの転載~連絡TEL 06-6384-0747 FAX 06-6385-8950
「加害者の側にいたこと」
2003年7月に、静岡県にある浜岡原発の運転を止めるよう、近隣住民から裁判が起こされました。
将来発生するであろう地震によって、原発施設に重大事故が発生することがあり、
放射線被曝の極度の危険にさらされ、安全で平穏な環境を享受する権利を侵害されているという理由です。
2007年2月16日におこなわれた第8回証人尋問で、
のちに原子力安全委員会委員長になる斑目春樹氏は、電力会社国側の証人として出廷しました。
原告から「地震時に碍子と非常用ディーゼル発電機が同時に壊れることはありますね?」
と問われた斑目氏は
「ふたつ同時にはない。割り切って考える。割り切らなくては、設計できない。
ちょっとの可能性まで考えていたら、モノは作れない。」
と答えました。
小学校の算数で「割り切れないときの、小数点以下は切り捨て」という言葉を習いました。
「割り切る」とは「切り捨て」です。
いったい何を切り捨ててきたのでしょうか。
福島の苦しみは聴こうとしないと聞こえてこないようです。
福島を離れることを決断した人に冷たい眼差しが向けられ、
ようやくたどり着いた落ち着き先で、偏見や差別が待ちかまえています。
放射能の影響が大きい子どもへの罪悪感が親のストレスを増加させています。
日本で原発ができて以来、原発の中で被曝した労働者数は50万人を超えると言われます。
まさに闇から闇へ葬られた数字です。
大谷派の寺院住職である長田浩昭さんは、
「私たちは決して被害者ではない。自社の管轄内に1基の原発も作らず、自分の庭先に置きたくない面倒なものを、過疎地に押しつけてきた東京電力と同様に、私たちは加害者の側にいた。
自分の足下にあった『いのち』の犠牲に、本当は薄々気づきながらも、
大多数の者の為に見えないところで、一部の『いのち』が踏みにじられ、
犠牲になることを認めてしまってはいなかったか」と、訴えています。
親鸞聖人が引用された「涅槃経」には
「現世の楽を見て、未来の不善の苦果を見ず」、そして
「無慙愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」とあります。
加害者であることを忘れずに、金曜日に官邸前に行ける日をさがしています。
2012年9月中旬:住職
ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92  以上

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