hideの救援レポート:2012年10月15日№91

★hideの70歳の「闘争宣言」その2
・hideの若者時代の記憶
○テクテクと夜の闇の中を歩き続けて、夜が白々と明ける頃、hideは、大阪の十三の街にいた。
プィッの家出なものだから、お金は一銭もなし。
腹はペコちゃん。
その夜の寝床のアテもナイ。
ナイナイ尽くしの身ひとつ。
ふと傍らの酒店のガラス戸を視ると、下手くそな字で「住み込み店員求む!要面談」のチラシの貼りだしが目に飛び込んできた。
これぞ天佑。と勝手に思いこんで、店が開けるのを待って飛び込んだ。
もちの論、履歴書なんという気の利いたものの持ち合わせもない!
hideと面談してくれたお店の主人Oさんは、ちょっと極道っぽい、株投資が趣味のオッサンだった。
hideは、Oさんに、これこれしかじかと、家出の顛末と、行くあてのない自分のことを、
16歳の真剣さで、打ち明けた。
話し終わると、しばらく考えていたOさんは、「よ~う分かった。俺も若い頃、家出したことがある。今日から働いてもらうー。3食部屋付きで、月給3万円や」
と即断してくれた。
hideは、本当に「地獄に仏」とは、このことかと心底ホッした記憶が残る。
お店兼自宅兼倉庫のOさん家族は、連れ合いさん、中学生の男の子、Oさんとお妾さんの間にできた、高校生の女の子の4人暮らしだった。
hideに与えられたのは、屋根裏の3畳の小部屋と、息子さんの使い古し下着と、
酒メーカー印入りの作業服だった。
当時、大卒の初任給が1万3千8百円と、うたわれていたから、hideの月給3万円は、
破格といってよろしい。
もちろん、破格には、破格のワケがあることが、だんだん明らかになった。
こうして、怪しい環境でのhideの賃労働人生が始まった~。
5月始めの頃だった。
・月給が高いワケとは、休みが月1回。
朝は、近くに十三職業安定所があり、当時、「ニコヨン」と呼ばれた日雇い労働者が、
職安の前に行列を作っていて、その日の仕事にあぶれた人たちが、朝早くから、立ち呑みに訪れる。
午前7時には来るので、hideは、6時半には、店を開け、掃除をして、立ち呑み場に立つ。
それが一段落すると、大急ぎで朝ご飯をかっこみ、自転車で、得意先に御用聞き回り。
昼ご飯を済ますと、注文を受けた酒類、調味料類を配達に回る。
夕方からは、十三は、繁華街なもので、呑み屋、飲食店を回り、その日の注文を取りに回り、その注文品を配達。
十三は、屋台の呑み屋も多く、仕入れはギリギリ。
だから、次々とビールが切れたからと電話が入り、配達の追加をこなす。
そして、夜半になると、もう時効になっているだろうから、書いてしまうが、
一升瓶に入っている酒を1合抜き、代わりに水を入れて、9本の酒から、
10本の酒を作り出す、魔法作業をやるのだ。
それが終わると、店に風呂が無いので、近所の仕舞い風呂屋に行き、屋根裏部屋で、
バタンキュウするのが、午前2時。
それが年がら年中続く。
それにくじけず、あれこれやるのが、hideの特技。
近所の商店で働く店員仲間とグループを作り、不良ごっこをしたり、
近所に極道の組事務所があったので、出入りして、極道ぶったり。
休みの日は、映画三昧、3館をハシゴしたりしていた。
でも、心のどこかが空白の状態にあり、それを埋めるために、
大手前高校通信教育に通ったりしたが、賃労働の圧力の前に、3ヶ月で挫折してしまった。
でも、自分の生き方そのものへの疑問がついて回り、それが何か分からぬままに、
日毎をウロウロとやりすごすばかりだった。
・そんな心情のある日、近所の古本屋で、マルクス・エンゲルス全集を見つけてしまった。
それも、エンゲル係数の本と間違えて。
突然現れた「左側の世界」
続く


★少し早いのですが、昨年もお知らせした、hideの住む街、箕面市の
「第27回・みのお市民人権フォーラム~がんばるのは私たちパートⅡ いま、自分ができること であう、考える、行動する」
全体会:2012年12月8日・午後1時より
場所:グリーンホール大ホール(阪急電車箕面線、箕面駅下車徒歩10分)
記念講演:「人と人との豊かなつながり・無縁社会の現場から、地域コミュニティーのあり方を見つめ」
講師:板垣淑子さん(NHKプロデューサー)
全体会+分科会フリーパス1000円
問い合わせ:実行委員会事務局 
TEL 072-722-5838・FAX、072-722-8042
●分科会は、6課題ありますが、東日本大震災関連の2会場だけをお知らせします。
・第1・障害者問題分科会:8日(土)午後6時より
場所:グリーンホール1F大会議室
「頼りになるのは地域のつながり・防災訓練に向けた課題を学ぶ」
東日本大震災での支援活動の経験から、災害弱者といわれるお年寄りや障害のある人々を含めた、
地域での日ごろの取り組みの大切さが、あらためて注目されています。
今回、大阪市の城東区障害者防災訓練など、先進的事例に学び、防災に向けて、
私たちの街での具体的課題について考えます。
・パネルディスカッション
コーデイネーター・八幡隆司さん(ゆめ風基金理事)、
「パネリスト」荒川輝男さん(城東区地域自立支援協議会事務局次長)
片野坂和幸さん(箕面市障害者の生活と労働推進協議会事務局長)
地区防災委員会から、上田健太さん(箕面市社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
●弟5・地方自治分科会:9日(土)午後1時30分から
会場:みのお市民活動センター多目的室・萱野ヴィソラ内
・「東日本大震災、被災地の現場でみたものは~市職員、学生奮闘録」
東日本大震災からはや1年半以上がたちました。
現在でも箕面市では、岩手県大槌町を中心に、派遣職員を送り込んで被災地支援を行っていることをご存知でしたか?また、身近にも支援活動を続けている方がたくさんおられます。
今回、市の派遣職員、被災地支援に入っていたボランティアの学生さんに
現場で感じた生の声を熱く語ってもらいます。
地方自治の分科会ではおなじみの、倉田市長も参加!!
被災地で、行政ができること、地域ができること、われわれにできることを一緒に考えましょう。
「パネリスト」
倉田市長、action・大阪大学学生ボランティアサークルすずらん、被災地支援参加市職員。
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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
その他の届けた救援金
●台風12号関連        2,942,828円。
●フィリピン洪水関連     1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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hideの救援レポート:2012年10月15日№91 以上。

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