街頭募金のご報告~4月12日(土)

だいぶん暖かくなってきた4月12日土曜日、ナンバ高島屋前で行われる毎月の恒例行事「街頭募金」に行ってきました!
いい気候になってきたのもあり、新しい参加者のかたも!
まだまだ大阪はやるぞ~!という意気込みが伝わってきます。

観光シーズン到来!なのか、外国人の方がたくさん目の前を通っていきまして…。
少し珍しそうにこちらをチラッと見ていました。
震災から3年を過ぎ、皆さんの関心が薄らいできているかなと思いましたが、
何人ものかたに
「応援しています!」
「頑張ってくださいね!」と言われたのが、本当に本当に嬉しかったです。
かわいいアニメキャラの財布から、大事そうに100円玉を募金箱に入れてくれた子。
この子が大きくなる頃、復興はどこまで進んでいるのでしょうか…。
皆様からお預かりした大事なお金。
必要なところにお届けします。
募金額  68,888円
参加人数     28名
         

(長崎 圭子)

hide の救援レポート 2014年4月14日№155

●4月12日、チサンホテル新大阪で行われた「法橋さんご苦労さ~ん会」に、ゆめ風基金の牧口代表理事、橘高事務局長、永村理事とhideが参加しました。
法橋さんは、19年前からゆめ風とお付き合いがあり、近畿労働金庫の地域共生推進部の中心であり、ゆめ風と共に、障害者事業所への融資制度「ゆめのタネ」を立ち上げ、東日本大震災に当たっては、復興支援定期預金「サポートV」の利子分をゆめ風基金に寄贈する(年間1千万円規模×10年間)という支援金融も立ち上げられました。
この度、お連れ合いさん(車イス使用)の体調不良で、その介護もあって、1年前倒しして、早期定年退職をされることになったのです。
惜しいひとが、近畿労働金庫から去られます。
ボクたちは、何らかの形でつながり続けていくことを願っています。
法橋さん、本当にご苦労様でした!


●東北関東大震災障害者救援本部特集号№10号からの転載(自立情報発信基地)
連絡先 TEL 042-660-7747
    FAX 042-660-7746
「被災地は今…震災から、2年半が過ぎて」阿部俊介・被災地障がい者センター石巻代表
・私が東日本大震災で被災して、被災地障がい者センターにかかわるようになり、2年半が過ぎました。
この間には色々な事がありました。
様々な方々との出会いと別れなど、今までには経験したことがないような事が沢山ありました。
まさか、自分が地方に行き、講演するなんて、夢にも思いませんでした。
センター石巻を立ち上げから、この2年間を思い起こすと、たくさんの活動や行動をしてきたなと思います。
活動してきた中で一番成功したと思うのは、私達の情報紙「にょっきり!」です。
石巻という場所は、震災前から障がい者が街の中を自ら出歩くということがありませんでした。
それは、街に行ってみたい場所はあるけれど、車椅子で行けるかどうかわからなかったからです。
一般的なタウンガイドみたいな物はあるけれど、車椅子利用者にとってのバリアフリー情報はありません。
行きたい所がバリアフリーとはかけ離れている場合もあります。
そこで私達の出番で、「にょっきり!」は、私達障がい者が自ら取材に行き、街のお店の紹介をし、バリアフリーかどうかのチェックもします。
私達は、バリアフリーの店ばかりは行きません。
わざと、車椅子では無理だと思われる場所に行き、店員やお客さんにお手伝いをお願いします。
それは、私達みたいな人達も来るんだということを店の人や周りの方々にアピールするためです。
その中で、お店の方にご理解をしていただきます。
店を作り直すことはできないけど、障がいがある人も入れるように、配慮してくれたり、お手伝いをして下さると言われた時は嬉しかったです。
石巻の人々は私達障がい者を見たり、接したことがない人達がほとんどです。
そんな石巻で障がい者の存在を知ってもらうには、自分達が外に出てアピールすることが必要だと思います。
バリアフリーな街にするのであれば、やはり障がい者自身が出歩いて存在をアピールすることや、いろいろな人達と話し合いをしたり関わりあいをもつのが必要な事だと私は思います。
「復興するなら、以前の石巻ではなくて、誰もが暮らしやすい街にすること」が私の目標です。
●「不安を抱えながら」宮下三起子・あいえるの会(郡山市)
・3月11日の震災から、2年8ケ月が経とうとしています。
まだ3年過ぎていないんだ、というのが実感です。
被災に合われました皆様には、復興も中々前に進まず、生活しずらいのに申し訳ないと思いますが、何だか昔にそんな事があったなーと思えるくらい、遠い昔の出来事のような感じがあり、日々の生活に流されてしまっているのが現状です。
しかし、その一方で毎日のように放射能のニュースが流れて、本当にこのままで大丈夫なのかと思う気持ちも全くないという事ではありません。
「あいえるの会」は、障がい者の方の地域生活を支援しています。
震災当時は、今後の生活がどのようになるのか不安を抱えながら、また、今後、同じような震災が起きた時に、どのような対応をしていけば良いのかと、6ケ月位職員で話し合いをしてきました。
緊急連絡簿の作成や、防災に関してのマニュアルの作成等を行っていきました。
また、一時的に避難できる場の確保という事で、他県で近くの自立生活センターへの協力依頼等をしていましたが、現在は、正直「同じような災害は起こらない」と思っている人が、多いのではないでしょうか。
本来であれば、もっと今後について話し合いや行動を起こす必要があると思います。
例えば、災害が起きた場合、逃げる手段の確保・人の確保は、今回の震災の時にガソリン不足の事や、1車両に最大でも3台の車いすしか乗らないので、現在のあいえるの会の車両では足りない。
また障がいの無い人も被災にあっているという環境で、介助者不足はかなり大きなダメージを受けます。
避難所に避難出来たとしても、介助者がいなければトイレ等にも行けないという事になります。
この問題は、被災に遭ったから大きくなった問題なのかというと、その事も原因の一つとは思われますが、以前からの課題でもありました。
交通の問題は、障がい者の方が利用しやすい交通機関になっていない事や、車社会なので車がなければ移動が困難となります。
また、介助者不足は震災前からの課題でしたが、他市町村から避難してこられた高齢者・障がい者の方も支援が必要という事で、利用者は増えるが、新しい事業所が増えていないという事もあります。
そのため、どこの事業所も対応が難しいという事で、ヘルパー派遣を断られる事が多々あります。
重度の障がいになればなる程、介助の必要性は大きいです。
今まで、あいえるの会の理念でもある、どんなに重度の障がいがあっても、地域で生活をしていくための活動という事で行ってきましたが、介助者がいないとなると、地域での生活が難しくなるという事になってしまいます。
今後どのように介助者を集めていくのか考えていく事が、今一番重要ですが、中々介助者が集まらない状況です。
被災にあって、本当はやらないといけないという事は、きっと山積みのようになっていると思いますが、現実は日々の事を行うのが精一杯となっています。
また、今の状態では同じような災害が起きても、何一つ改善できていないのでは、と不安もあります。
普段からゆとりが無いと、何か特別な事が起きても対応できません。
障がい者問題はごく一部の人の問題だと思われ、広く伝えていくには時間がかかるように、被災者の問題も、当初は大きく取り上げられていましたが、徐々に被災に遭っている人だけの、自分には関係ない事と思われるようになってきています。
被災地の現状を伝えていく事は大事な事だと思い、今後も活動していきたいと思います。
また、この場をお借りしまして、被災地にご支援頂きました皆様に、深く感謝いたします。
ありがとうございました。


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これまで届けた救援金
301,261,224円(2014年2月28日現在)
内・東日本大震災救援金総額
255,252,139円(2014年2月28日現在)
ただいまの基金残高
238,331,044円(2013年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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ゆめ風ネット新潟からのお便りです

先日、総会に出席してくださった、ゆめ風ネット新潟の遁所さんから頂いた文書です。
皆様にもご紹介したく、是非ご一読くださいませ。
ここから
「ゆめ風基金に参加して」
今この原稿を書いている中、4月2日チリで大きな地震があったこと、4月3日神戸市三宮で解体工事現場での事故で首の骨を折る負傷者が出たことなど、胸が痛む出来事が続きました。
心からお見舞い申し上げます。
総会に参加する前に、3月2日、法人職員で被災地に行ったことがない若者と一緒にゆりあげ漁港に行ってまいりました。昨年訪問した時に、日和山神社の手すりが皆さんの寄付のおかげで再建されたこと、また避難している人たちの住宅をつくる前に公園にするための工事が行われていたその現場は 1年たっても同じ風景でした。
高速道路を挟んで津波の被害の差を垣間見たこの3年、避難所のわきに大きなパチンコ店がつくられていたことが私としては物悲しく感じました。
今回、大阪に出張することになり、相変わらず自家用車で参加したのですが、行きは10時間、帰りは11時間ほどかかりました。
高速道路を使ってもこのぐらいの時間がかかりました。
東日本大震災の時に滋賀県の自立生活センターの佐野さんが高速道路を使い新潟で一泊をし、した道を通って山形を通り仙台に入った時のことを思うと、仮に東海地震が起きた時に高速道が寸断されていた場合被災地では避難経路が確保されるのか、そしてガソリンがあるのかということを再度思った次第です。
総会に参加するその日の午前中、箕面市にある「バクバクの会」をたずねました。
目的は、人工呼吸器で生活する人の支援についてそのノウハウを持っている「バクバクの会」との連携を確認すること。
現在、特別支援学校に通っている生徒さんが、修学旅行でみんなと一緒にディズニーランドに行きたいと希望されたのですが、人工呼吸器を利用する重度の方なので、学校がそれを一緒に考えてもらうためには何かアイデアがないかということもお聞きしたいと思ったことからでした。
昨年、中学校への進学を目の前にして亡くなった人工呼吸器を利用する女の子のことを、副理事長の河野さんが新潟総会でのあいさつでおっしゃって下さいました。
その女の子は、小学生の時に、みんなとディズニーランドに行けたのです。
「バクバクの会 東京支部」の皆さんのお力が大きかったと聞いております。
ちなみに、現在、中学部に通う女の子は、私たちが開催した介護職員等の痰の吸引行為の研修(第3号研修)を終了した在宅サービスの事業所が、長時間支援にかかわってくれています。
これも、震災の年に ( 2011年 1月 )「バクバクの会」が、人工呼吸器を利用して、地域で暮らしている皆さんの話しと研修を開催してくださったことがきっかけでした。
この第3号研修のノウハウを、2013年5月に、南相馬の青田さんのデイサポートセンターでお伝えする機会を得られたことも、ゆめ風のネットワークのおかげだと思っています。
総会では、移動サービスのことが中心に討論されておりました。
現在、福祉有償運送サービスをするときに、運転協力者の講習を修了した者でないと業務に就くことはできませんが、新潟市の場合、単独事業で、日中一時支援については送迎加算をつけること、現在は通所サービスには移動加算があり、来年度から地域活動支援センターの送迎にも、移動加算(一回\240ぐらい)つくことになっています。
新潟市のボランティアセンターには、昔から、「テントウムシ号」というボランティアサービスがあり、福祉車両をボランティアセンターが所有して、提供会員と利用会員が、外出したい時にガソリンを満タンにして満タンにして返すという方法で人件費の謝礼は発生しない仕組みをとっていました。
が、今は福祉有償運送の影響を受け中止しています。
被災地での復興支援の移動サービスは、この「テントウムシ号」の方法を踏襲するとよいのではないかと思いますが、移動サービスを生活の糧としていくのであれば、運営協議会でタクシーの料金の半額以下というところを気をつけて、十分論議していただきたいと思います。
キロ\100くらいだと運営が安定しますが、新潟市の場合、キロ\30から \50と低価格に設定されガイドヘルパーを併用しないと運営することは困難になっています。
そのせいか、福祉有償運送の事業をする NPO法人が増えませんし、運営協議会を通さないで白タク行為で運営しているところも出てしまい、課題は山積みです。
福祉タクシーのぶら下がりというところで、私有自動車を福祉有償運送のように使う方法もあり (KKや有限会社)NPO法人や社会福祉法人が運営する福祉有償運送の在り方とその仕組みが違うので、利用者が戸惑うことも多いのです。
震災に備えた場合、福祉車両の確保が大切で、そのためにも、日ごろから社会資源の開拓を考えていますが、上記のように、一つ手をつけると一つ制度の壁が立ちはだかり、それでも立ち止まりながら考えまた進んでいきます。
避難場所として確保した、「地域活動支援センターぴあポート」の場所も、地域活動支援センターの補助金が縮小され、維持することが困難となりつつあります。
福島県田村市の方が避難所として使っていた場所も維持することが難しく、大家さんが売りに出しています(六百万円)
新潟市で活動する私たちの防災の課題を考えながら、又、ゆめ風のノウハウも教えて頂きながら継続していきます。
(遁所 直樹)

2014被災地の移動送迎支援活動セミナーご報告

「災害時における障がい者・移動制約者の実態と取組の課題」
必要な移動送迎支援活動(201被災地の移動送迎支援活動セミナー)報告~八幡 隆司

3月30日(日)に、たかつガーデンで、「災害時における障がい者・移動制約者の実態と取組の課題」というシンポジウムが行われました。
以下、どんな会だったのか、ご報告します。
【はじめに】
ゆめ風基金・代表の牧口さんからは、
『30年前に始まった京都の地下鉄に障害者が乗れるようにする運動に影響を受けて大阪でも地下鉄に乗る運動が始まった。駅にエレベーターを設置する運動は最初は一つから始まるが、一つ乗れる、または降りられる駅ができてもそこから降りる、またはそこへ行くために乗る駅がないとどうしようもないということが起きる。その矛盾をを何とかするために他の駅にもエレベーターが設置されるという矛盾から始める運動だった』という話がありました。
【吉田樹さん講演】
福島大学で福祉送迎の調査研究を行っている吉田 樹(よしだ いつき)さんが、まず講演。
吉田さんからは、
『特に福島の現状について、放射能汚染により人口流出が続き、地元で雇用すべき人が集まらない、人口減少が続いている、家族が地元と避難先に分かれているという2重生活の人も多い。』という話がありました。
さらに、
『若者の流出で高齢化率がどんどん上がっている、高齢者は引きこもり生活で健康状態が悪くなっているためお出かけを支援することが大事だ。』とも。
『福島では、中央通りと浜通りを結ぶ交通が不足していて、今は、いろいろな省庁の補助金を得て、受け入れる自治体の担当部局もばらばらなままにいくつかの路線バスを走らせているが、計画的なネットワークを誰も主導しないために、補助金が切れれば、すべてのバス路線が打ち切られる。
福島大学でも、一時帰宅を支援するバスを出しているが、墓参り、仏壇の手入れ、掃除、草引きが主目的で、交通を支えるというよりはお出かけを支援し、お出かけする人のコミュニティを作ることが主な目的。
単位採算性だけを考えて「移動・交通」を整備することは難しい。
地域の生活力を高めるという視点で、あらたな移動サービスを作り上げていくことが大事だ。』と話をされました。
その意味で、市町村、移送事業者、市民をつなぎ、三者が三方良しになるために、三位一体の文化を作り上げる第三者による仕事人の必要性も強調されました。
【パネルディスカッション】
石巻市 NPO法人移動支援レラ 村島 弘子さんの発表
『石巻は約6000人の死者・行方不明者を出した最も被害の多い地域。
そこで移動支援のニーズが高いことがわかり活動を始めた。
当初は避難所に障害者がいないといわれたが、障害者に限らず、みんな車をなくして移動に困っていたためすべての移動ニーズにこたえていった。
やがて、自力や家族での移動ができるようになると、今度は障害者・高齢者のニーズが増えていった。
利用者層は自然に変わっていった。
その中でも高齢者の割合は高く、9割が通院目的での利用。
これは震災に関わらず病院が遠く、バスなどの公共交通機関が利用できないという問題。
被災地支援から日常支援になっているともいえる。
利用者の経済状況から言ってもタクシー代はとても払えない。
災害の影響が強い一方で、災害と関係なく移動困難な人々がいるという状況。
今後もいろいろな角度から地元のNPOとして移動サービスが提供できるように頑張りたい。』ということでした。
岩手県田野畑村 NPO法人ハックの家 竹下 敦子さん
『田野畑は人口3500人ほどの小さな村。
ふだんはそこで就労継続B型の事業所として活動している。
ただ、今回の震災で水産加工の部門がやられた。
その日は、たまたま仕事が午後1時くらいと早くに終了したので、みんな無事だった。
いつも通りだと3時くらいになるので、そのことを思うとぞっとする。
津波は27.6メートルというすごい規模。
被害額はこの小さな村で280億円超。
震災直後特に通院や薬の確保、交通手段がないことで困っている人がいっぱいいた。
ハックとしても何とか力になりたいと頑張っていたが、通常業務もあり、頭を抱えていた。
そこで「ゆめ風基金」と出会って、移動送迎サービスの補助が出るようになった。
3500人の村とはいえ、見知らぬ障害者と一杯知り合った。
救援活動には終わりがある。
今後1年は支援を受けることができるが、その後の問題がある。
三陸鉄道全線開通で少しは変化があるか?
しかし車いすに対応していない鉄道なのであまり期待もできない。
自分たちの事業を膨らませてその余力でやっていくしかないと感じていた。
ただ昨日、今日といろいろな話を聞いて、別な可能性があることを感じた。
しっかり村とも協議していきたい。』とのことでした。
日本障害者フォーラムJDFいわて支援センター 小山貴さん
『JDFいわては、2011年9月に発足。
陸前高田市より障害者世帯の全数調査を受けた。
調査の中でもやはり移動に関するニーズは高かった。
陸前高田市では、基本的に仮設住宅の近くにバス停を作るといっていたが、実際には1キロ近く、しかもかなりの斜面が急で、かなりの道のりを行かないとバス停にたどり着かないところもある。
また、病院がもとから少なく、近隣の市まで行かないと病院がないという家も多い。
片道タクシーでは1万円近くかかるので、経済的負担も大きい。
その他が学校への送迎もニーズが高い。
移動送迎について当事者も交えて、これまで市と協議を続けてきた。
その結果、今年度より市から補助金が出るようになった。
これをきっかけに、東北の沿岸市町村で移送送迎の補助金出るようになってくれればと思う。』
【討論】
八幡:石巻ではこれまでいろいろな補助金を活用してきたと思うが、今後の運営について財政面ではどう考えているか?
村島:これまで第3の公共という費目で補助金があり、それがまた名称が変わって続いてきた。今後の補助金については全く見通しが立っていないが、4月以降の応募状況を見ながら申請していきたい。福祉有償運送についても今年度中には道を作っていきたい。
八幡:田野畑ではどうか_
竹下:これまであと1年で補助金が切れたら、自前でやっていくしかないと思っていたが、陸前高田市の話を聞いて、自分も村と交渉していけば良いんだと可能性が出てきた。頑張ってみようと思う。
八幡:これまで国も補助金がタクシーやバス会社などに重点を置き、NPOまでお金が回ってこなかった。このような対応について吉田さんはどう考えるか?
吉田:確かにこれまで国はバス会社やタクシー会社に補助金を出していたが、移動送迎は採算性だけでは語れない部分がある。今後はNPOなどにも補助を出すという感が肩ができると思う。
八幡:被災したということだけでなく、元から移動送迎に困難があった地域、仮設住宅以外の送迎はどうなっているか?
村島:石巻は合併をしたので、とても市域が広い。仮設住宅でなくても送迎に困っている人が多く、送迎をしている。
小山:やはり病院が遠いので、普通の人も病院までの送迎がほしいという状態。
八幡:田野畑村は隣りといっても1軒1軒相当離れている。孤立している人も多いのでは?
竹下:元からの孤立も相当多い。車のない人はみんな外出を我慢している。
八幡:東北の人は我慢強いというか、みんな送迎に困っているからと言って声を上げない。そういう面で当事者の声が上がるということは少ないのでは?
村島:確かに自分から声を上げていくという面は少ないが、今後つながりを持てたことで声が上がっていくのではと期待している。
八幡:陸前高田では当事者参加のもと行政との話し合いがあったというが、それは小山さんがいたからできたのか?
小山:そういう面はあると思う。やはり陸前高田の人もあまりふだんは声を上げていかないので。
八幡:田野畑では見知らぬ障害者との出会いがあったというが、人口3500人ほどの地域で見知らぬ存在というのは障害を隠している人が多いのか?
竹下:そういうわけではないと思う。ただ外出をあきらめてしまっている人が多くて、これまで出会わなかったという感じ。
八幡;今後東北だけががんばれば良いという問題ではないと思う。私たちも含めて今後取り組むべき問題とは何か、吉田さんから一言。
吉田:移動送迎に困っているのは何も東北に限ったものではない。都会にも存在する問題。お出かけをどう支援するのか、これはみんなに共通している。この5年間で国土交通省も変化を見せている。今後5年間自分たちが声を上げていくことでどう変わるかという問題。


【被災地における障がい者、移動制約者への移動送迎支援活動基金設立について】
移動支援活動を長年行っている、関西STS連絡会の、柿久保さんから、
『今後、どこかで災害があっても、移動支援は必要になるし、そのことに特化した組織やお金が必要になる。
そのために使える基金の設立を今考えている。』
と、基金設立議案書と実施要綱についての説明がありました。
●長時間のセミナーで、午前中は大雨が降り、参加者が集まるのか不安でしたが、
午後からたくさんの方が来てくださり、会場は熱気に包まれました。
交通機関が整っていない地域での移動は、本当に切実な問題です。
大阪のように、公共交通機関が整っていない所のほうがが大部分で、そんなところで大災害が起こったら・・・。
次の一歩を踏み出すことを決意させられるセミナーでした。

(午前中、大雨でしたが、会場は満員に!皆さんの熱気が感じられるシンポジウムでした。)

菅原地区防災訓練ご報告

菅原地区防災訓練について(八幡 隆司)
とても熱心に、防災活動を行っておられる、大阪市東淀川区の菅原地区。
4回目となる今回は、住民のかたが、実際に菅原小学校に避難してきて・・・という状態で、3月30日(日)に行われました。
朝から大雨警報が出るほどのひどいどしゃ降り。
9時半ごろにプロジェクターとパソコンを設置し、準備はしたものの、人が来るのだろうかと思っていたら、10時過ぎに、次々に避難訓練に来る人が押し寄せてきました。
警察が誘導して一緒に避難、という設定もありました。

(満員の体育館)
最初は、ビデオ「逃げ遅れる人々」の上映をして、ある程度人が集まってからは地元の手話サークル「ほたる」による、手話コーラスを行いました。
そうしているうちに体育館は満杯になり、10時半から主催者挨拶がスタートしました。
挨拶のあと、私のほうから災害時における要援護者防災の話をし、次に手話サークル「ほたる」の会長さんから聴覚障害者に対する理解について話をしました。
その後、11時過ぎから各班に分かれての行動。
残念ながら雨のため、起震車とはしご車体験は中止。
残るは煙体験、水消火器訓練、AEDの使用法訓練。
それと視覚、車いす、聴覚障害者との接し方の3つの障害者部門に分かれて、それぞれ講座を受講してもらいました。
視覚障害者については地元の赤星さんにお願いし、アイマスクを使って視覚障碍者の手引きの方法などを住民のかたに伝授。
車いすについてはゆめ風基金の長崎さんが車いすの操作方法などについて教えていました。
また、聴覚障害の分野は、手話サークル「ほたる」が担当し、手話の話や聴覚障害者が地震で困ることなどを話されました。
参加人数はおよそ500人程度でした。



(消防署の煙体験テント。テントの中を煙だらけにして、パニックにならないよう、腰を落としてハンカチを口に当てて・・・ともしものときを体験。思ったよりも視界が奪われ、焦る!と感じたかたが多かったようです。電動車いすの私も中に入りたかったのですが、入口が狭くて断念。入口で煙がモクモク!という体験はしました。)
「何かお手伝いしましょうか?」と声をかけてくださるかたが何人もいて、嬉しかったです。
何回か参加しているうちに、顔なじみになったかたもいて・・・。
やはり、参加し、存在をアピールすることで、地域のコミュニテの支援も受けやすくなるという実感がありました。
全国のいろんな地区でこういう訓練が行われたらいいなと改めて思いました。(長崎 圭子)

「あるくる」の前田さんと「あるる」の安原さんが基金を届けてくださいました。

 4月4日、特定非営利活動法人「あるる」の前田さんと安原さんが事務所に来られました。
前田さんは作業所「あるくる」で最初のバザーを開き、その売り上げ金をゆめ風基金にと届けてくださいました。
また、安原さんは「あるる」有志の方々からの基金を届けてくださいました。
 ゆめ風基金の事務所に直接届けたいということでしたので、牧口一二・ゆめ風基金代表理事が「あるる」のみなさんの思いがこもった基金を受け取りました。
 バザーの売上金の方は硬貨がほとんどで、ずっしりと重い封筒の中の硬貨のひとつひとつに「あるくる」のみなさんの心と、バザー用品をお買い求めいただいた方々の思いが重なっているようでした。
 また、安原さんから頂いた基金の封筒にはたくさんのメモがきがしてあり、ゆめ風基金に届くまでに「あるる」の方々の心から心に手渡されてきたことがつぶさにわかりました。
 また、安原さんは障害者救援本部の会議や秋の「東北⇔関西ポジティブ生活文化交流祭」などで事務所に来られたこともありますが、前田さんははじめてゆめ風基金の事務所に来て下さり、牧口代表理事から直接ゆめ風基金の活動についてお話し、新しい出会いとなりました。
 前田さん、安原さん、「あるる」のみなさん、ありがとうございました。
 今後ともよろしくお願いします。
2014年4月4日あるる訪問
左から、安原さん、前田さん、牧口代表理事
2014年4月4日あるる訪問

ゆめ風基金第13回定時総会のご報告

3月29日(土)、大阪市天王寺区の「たかつガーデン」にて、特定非営利活動法人 ゆめ風基金、第13回定時総会が行われました。

ゆめ風ネットから15団体、役員理事10人、委任状16団体、正会員の出席者総数63人で開会。
●総会では、2013年度の活動報告、2013年度決算及び監査報告等が可決されました。
このブログでも、決算報告書を近日中に公開いたします。
●2014年度活動計画や、収支予算についても承認・可決。
●役員の任期満了に伴う改選は、現役員の再選と、新たにネット岐阜の戸田二郎氏を増員することを承認・可決。

会議室は満員!
活気のある議論が行われました。
総会の後は、懇親会が行われ、各地の活動報告をしたり、一年ぶりの再会を喜び、また来年会おうね!と声を掛け合いました。
災害は、いつどこで起きるかわかりません。
日本全国、どこにいても、
「障害ゆえに助からない」ということがないよう、これからも防災活動や、災害支援に力を注ぎます。

防災活動についての取り組み~ゆめ風ネットからのご報告です

「ゆめ風ネット伊丹」の氏田さんから、防災活動についての取り組み報告を頂きましたので、ご紹介します!


「サプライズの防災についての取り組み」サプライズ 管理者 氏田 祐資
就労継続支援B型「サプライズ」は、昨年の3月に「びっくり屋」から大阪市東淀川区にあるNPO法人Flat・きたに引き継ぎました。
びっくり屋は伊丹市で作業所と地活時代を含めると16年活動していました。
ゆめ風とのかかわりは、6~7年前に伊丹市でのゆめ風コンサートに永六輔さんらを招き盛況に開かれました。
その後伊丹での障害者の防災についてのイベントを考えていて大阪で行っている中学生プロジェクトを企画しましたが、なかなかうまく行かず時が過ぎました。
そして昨年から、伊丹市内で活動している防災ボランティア団体と事業所の防災についての会議を重ね、利用者が通勤時に災害があった時のために通勤ルートの危険箇所を調べたり、防災センターに登録したりしました。
また事業所で災害があった時は、近隣の人に助けてもらえるシステムづくりに、まず地域の人達に僕らのことを知ってもらう事が大切ということで社協と地域のまちづくり協議会と共に月に1度の会議を行い、地域に知ってもらえる企画を考え、避難訓練と講演会を行うことにしました。
ある日、小学校で避難訓練を1月17日(阪神淡路大震災の日)に行うという情報が入り,その日に合わせて学校に避難することにしました。
学校側は難色を示しましたが、あまり児童とは関わらずに学校に避難すると言うことで承諾を得ました。
そして講演会を避難訓練の1ヶ月前に、障害者の理解と防災についての講演を考え、ゆめ風の八幡さんにお願いして12月15日に行うことにしました。
講演会当日は、地域から約20名、サプライズの利用者とスタッフを合わせると50名ぐらい集まりました。
講演会ではグループワークで避難所の役割など話し合い有意義な時間を過ごしました。
そのほかにも市の防災センターから非常時の注意事項と非常食の寄付もあり、また防災グッツの展示や車椅子講習も行い避難訓練の参加を呼びかけなど、盛りだくさんの企画になりました。
避難訓練当日は少し寒かったですが天候もよく、地域の自治会や事業所、近隣企業、まちづくり協議会などから28名、サプライズ10名で訓練を行いました。
朝9:30にサプライズに集合して、電動車椅子の者は手動車椅子に乗り換え、参加者に介助をお願いして社協職員にリードしてもらい小学校に避難しました。
学校のグランドに児童が避難するのを待ち、全校集会に参加して校長先生からサプライズのことを紹介してもらい挨拶しました。
その後、校内の会議室に移り、地域の人達と意見交換して、実際の時にはこんなに人が集まって助けてもらえるのか、停電時の車椅子の充電はどうしたら良いかなどが、出ました。
また、感想としては、車椅子を押して学校に避難できたことが良かったと言う地域の人が多くいました。
今回初めての企画でしたが、これからは同じ地域内にある他の障害者事業所も参加を呼びかけてまちづくり協議会と共に避難訓練を重ねて行きたいと思います。

事務局員・福本千夏のちょっと行ってきました!

「事務局員・福本千夏のちょっと行ってきました!」
3月27日(木)【東淀川いのちとくらしを守る会】主催・交流会の巻
地域で活動している非営利団体の横のつながりを持つことを目的に、「交流茶話会」が行われました。
様々な分野で活躍されている団体との情報交換は、とても大切です。
ですが、日々の業務に追われなかなかできない・・・密な連携は、明日の課題でした。
「共助の力」をたかめる、地域の中で顔が見える関係を、まず、私たちNPO団体がつくる第一歩の素晴らしい企画でした。
点在する社会的困窮者を支援する団体のお話は、毎日、声なき声に耳を傾けたものばかりでした。
今、東北で起きていることは、大阪でも起きていることを、深く学びました。
外国人や言語に障害があるものは、病院があっても、納得いく医療が受けられません。
災害や高齢で、家族同様のペットと住めなくなった方がいます。
原発事故や公害で、青空の下で遊べなくなった子供がいます。
しかし、行政は顕在する問題にしか目が向かず、その解決も難しい状況です。
「貧困とは、ただお金がない状況だけではない。
社会とつながらない状況をいう」
私たち一人一人が社会資源にならなくては!を合言葉に、次回に続きます。
(次からは、各団体の紹介をかねて、写真入りで報告させていただきます。)

振込用紙のコメントご紹介

2014年3月10日から31日に頂いた振込用紙のコメントご紹介♪
先日、チリ沖で地震が起き、日本に津波が来るかもしれないとのニュースが流れました。
でも、今年も桜が咲きました。
はらはらと散る花びらのした、笑ったり泣いたり・・・生きているんですよね。
振込用紙のコメントは、皆様に背中を押してもらって、生きているって思えます。
いつも、あたたかい手をありがとうございます。
それでは、そんなコメントをご紹介させていただきます。
◆早く暖かくなりますように。皆様お身体に気をつけてください。丸三年です。いつまでも忘れません。(千葉県佐倉市)
◆あれから3年・・・。原発を海外へ輸出しようという気がしれません。(北海道上川郡)
◆ひとえとに三年と申しますが、今まだ苦しい生活をしていることを想うと、心が痛いです。(さいたま市)
◆安心して暮らせる日が来るまで、小さな支援ですが、続けていきます。(大阪市平野区)
◆今年も3110円応援します。(広島県世羅郡)
◆人災たる原発の被害者に対しての継続・不断の思いを。(神奈川県横浜市)
◆支え合える関係があることに、感謝しています。まだ寒い日もありますが、みなさま、お身体を大切にお過ごしくださ
い。(島根県松江市)
◆またまだ三年、やっと三年。悔し涙が出ます。弟の作業所での工賃と、私のパート代です。お役立てください。(東京都台東区)
◆3月8日・近鉄八尾駅前で街頭募金を行いました。(大阪府八尾市)
◆国の復興が進んでいませんが、素晴らしいゆめ風活動を支援します。(東京都東大和市)
◆スーパーマンにはなれないし、スーパースポンサーにはなれないので、カメさん、アリさんを見習って、投げやることなく続けます。(滋賀県甲賀郡)
◆気を楽に長くして、しのいでいきましょう。(千葉県市川市)
◆3・9のイベント時の募金です。(埼玉県本庄市)
◆ゆめ風だより64号、とても読みやすく、牧口さんの冒頭エッセイに、心の底から感動しました。重度の療育手帳を持つ息子が、高校を卒業し、ぼちぼち「子離れ」(大阪府枚方市)
◆ラジオ深夜便で八幡さんの話を聞きました。(埼玉県戸田市)
◆3年が過ぎても、大変な東北ですね。長―く応援しています。(大阪府寝屋川市)
◆若いころ携わっていたボランティアサークル・物販の売り上げが残っていたので。あれから20数年・・・(東京都品川区)
◆被災地の復興が進まない。何もできないことがはがゆいです。(東京都練馬区)
◆あきらめたら終わりです。政治のことも、何も言わないのは、納得しているわけではない。(滋賀県東近江市)
◆チャリティコンサートの収益です。(群馬県観林市)
◆できることを希望をもって続けることが、未来につながると思います。(東京都八王子市)
この言葉をお借りして、私たちは歩み続けます。
チリ沖で被災された方の生活が、一日でも早く回復されますよう、
お祈りしております。