●3月29日、大阪市の上本町にある、「たかつガーデン(大阪府教育会館)」にて、ゆめ風基金定期法人総会が開催されました。
ゆめ風ネットワーク15団体、理事役員10名、ネットワーク委任状、計42団体の参加で成立。
役員改選期なので、理事11名中、先日亡くなられた、楠敏雄さんに代わり、「ネットぎふ」の戸田さんが立候補されて、全員信任されました。
任期は、2年で、牧口代表理事とhideの副代表理事も任命され、来年の20周年イベントを担うことになりました。
●30日には、シンポジウム「大災害時における障がい者・移動制約者の実態と取り組みの課題」が、総会と同じ会館で行われ、150名強の参加がありました。
その中で「移動送迎支援基金」の立ち上げが確認されました。
東北関東大震災障害者救援本部特集号№10「自立情報発信基地」より転載。
連絡先 TEL 042-660-7747
FAX 042-660-7746
●手探りからの2年と3ケ月…岩手県大船渡NPO法人センター123(被災地障がい者センターおおふなと)代表 千葉秀一
・立ち上げ
岩手県沿岸南部の町「大船渡」、サンマとセメントと新沼謙治が特産品の小さな町です。
自宅は流され、車で逃げて高台の娘の家にもう少しという時に津波と遭遇、車を捨てもうだめだと思いながらも逃げ切ることができました。
私は震災前からCILもりおかの職員として障害者の自立支援に携わっており、その経緯から避難所の障がい者・家族の身の回り支援を行っていました。
その活動がセンターいわての一員であるゆめ風基金の理事の目に留まり、大船渡の障害者支援をぜひお願いしたいというお話しになったのです。
通常であれば会うことのない関西のゆめ風基金の理事にお会いしたこと、それが全ての始まりです。
「被災地の障がい者を救っては頂けませんか」と。
しかし、私は被災者の身、ボランティアの経験も全くないため悩みました。
大いに悩んだ末に決意、2011年8月に「被災地障がい者センターおおふなと」を立ち上げました。
妻と二人で。
・手探りからの2年と3ケ月
あの震災後の混乱している状態の中、今何をすれば、どこから聞けばなど不安からのスタートでした。
医療班チーム会議・ボランティア定例ネットワーク会議などに出席し、ニーズの把握に努めている時、医療班チームの主任ドクターの山野目ドクターには送迎支援の強い要望を受け、たくさんの人を紹介いただき勇気をもらったことを思い出します。
被災当初は、物資提供、介助、買い物、見守り、救援物資の受け取り代行、送迎と様々な支援を行いました。
翌年(2012年)からは仮設住宅にほとんどが入居し、物のほうも各方面のボランティア団体の温かい配慮がいきわたり、最低限の環境が整い始めた頃から今のセンターおおふなとの送迎支援というカタチができました。
新しく若い才能のある職員を入れ団体として機能し、この年の4月にNPO法人化しました。
2013年9月までの送迎実績は、人数2007人、回数3462回。
月平均にして、人数88人、回数160回です。
その他の活動として、家族への生活介助と視覚障害・言語障害団体、家族会への送迎とイベントのサポート、それから3年目になる「利用者との交流会バーベキュー」を行います。
また被災地支援として、小さな仮設住宅4~5か所で開催する秋の「みんなでサンマを焼いて食べよう」の会などは非常に好評で喜ばれています。
利用者は支援に対し皆さん感謝し、ありがたがっています。
全国の募金された多くの善意と、ゆめ風基金、東北関東大震災障害者救援本部にかかわるすべての人に対して…
私も支援された人の一人です。
手探りからの2年3ケ月の支援を振り返ると、当初から掲げた「すべてのことをやろうとせず、できることをやる」が負担を軽くし、そして何より、数え切れないくらいの人に支えられて継続できたと思います。
・この先も手探り
今、センターおおふなとは、来年の4月に就労継続支援B型事業所の開所に向け指定申請、作業所建設と大事な時期にいます。
ニーズの多い送迎支援と事業所運営は両立できるのか。
送迎支援の受け皿はなく、中止すれば利用者の気持ちは・・・
自立できなければ認証を受けNPO法人格を得た意味もなくなる・・・など、など、たくさんの超えなければならない坂をひとつずつ…
この先も手探りが続きます。
亡き妻の見えない力に背中を押されながら。
・遠くから応援してくれる皆様へ
被災地のことを「今もまだ」忘れていないことに感謝し、とてもありがたく、大きな励みになっています。
皆様の優しさに対し、少しばかりのお返しと思い、私たちのできることは微力ですが、これからも支援活動していきます。
以上
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これまで届けた救援金
301,261,224円(2014年2月28日現在)
内・東日本大震災救援金総額
255,252,139円(2014年2月28日現在)
ただいまの基金残高
238,331,044円(2013年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・社会福祉法人 えんぴつの家機関誌「えんぴつの家だより」№345より転載
連絡先 TEL 神戸252-0109
・震災の傷痕
1月12日(日)、阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた長田区の復興した町を巡る「こうべあいウォーク」に参加した。このウォークは1999年に始まり、毎年この時期に行われていたようだが、私は友人からの年賀状で今年初めて知り、初参加した。
JR鷹取駅の南にある大国公園に集合。
この公園は震災当日火災が発生したこの地域の人々の避難所となったところである。
その後、第1回被災地メーデーを開催した所でもある。
ガイドの人の説明で、公園のクスノキを見上げた。
この樹木が火災からの延焼を食い止めてくれたのだという。
幹の右側半分が黒く焦げている。
これでも随分と新しい樹皮が育ち傷口が目立たなくなったのだという。
そういえば震災の傷痕が神戸の町からほとんど消えていったことに気づかされた。
JR新長田駅の南の国道2号線の地下に焼け残り、今は淡路島に保存されて居る「神戸の壁」の土台石がベンチになって並んでいるのを初めて知った。
この日、カトリックたかとり教会、JR新長田駅周辺、大正筋、旧二葉小学校、六間道、水笠公園、御蔵通と随分歩いた。旧二葉小学校では「震災の企画展」が開催されていたのだが、歩き疲れて入り口のベンチに座って休憩だけした。
美しくなった町、高く聳える高層住宅、せせらぎが流れる公園、クスノキと土台石以外、どこにも震災の傷痕は見当たらなかった。
これで良いのだろうか。
震災はもう神戸では忘れ去られるのではないか。
なんとも言えぬ複雑な気持ちになった。
10日余り経って、近くのコンビニへ弁当を買いにゆく途中で、「震災の企画展を当センター4階でしています」というポスターを見つけた。
当センターとは目の前の「コミスタこうべ」だ。
弁当を買わずに駆け登った。
震災当時を写す数々のパネルの中に、今もなお残っている数少ない震災の傷痕が写されていた。
崩れた港の岸壁、浜手バイパスの座屈した橋脚、地盤沈下で傾いた湊小学校の手洗い場、地盤沈下で一段ずれた東遊園地のフェンス、そして焦げたクスノキ。
傷痕は僅かだがまだあったのだ。
安堵感のような気持ちがわいてきた。
傷痕が見えなくなると震災の忘却や体験の風化が進むのではないかと思えたのだ。
解説の看板を付けてみんなに知ってほしいとも思った。
まだ他にもあるかもしれない、探し出したいとも思った
(松村)
以上