ヒデの救援レポート、012年・1月10日

ヒデの救援レポート、012年・1月10日:53
2011年・春先の豪雪被災、新燃岳の噴火、東日本大震災被災、原発事故の無限被災、2度の台風被災、海外での地震、洪水などにより、最悪の世界史的記憶にとどまる2011年が去り、不安と希望ない交ぜの、2012年が始まりました。
 またまたの非日常の日常の被災地支援の開始です!hideメール通信のハジマリでもあります!本年もありがとうです!hide拝
 昨年の12月20日のメディアは新聞各紙とも、17日に国内視察途中の列車の中で心筋梗塞で死去した朝鮮民主主義人民共和国の最高権力者、総書記、キム・ジョンイル氏のことを、1面トップで報じていた。
世襲政治、独裁政治の権化のように語られてきた人物のあっけない死去に、hideの心が何がしか揺れた。もう、随分と昔のことになるが、日本障害者市民解放運動の先駆者で、関東身体障害者定期刊行物協会の代表、翻訳家だった、故二日市安さんが舌鋒鋭く、世襲政治は国家を腐らせ、差別を加速させると論じられていたことを思い出した。
 東日本大震災被災過程にある今、原発事故のことも重なる。奇しくも、でもないか。キム氏は69歳での死去。hideもまた、69歳。hideたちが生まれた1942年には世界で初めて原子力発電が開発され、以後、核爆弾、核開発の連続図を世界的に描き出し、今の大震災による福島原発事故につながっている。
 キム氏は、その核開発の一方の人物としてあった。キム氏の死去によって権力の動向や国際政治の枠組みがどのように動くのかは、hideの知力では計りようがないけれど、隣国の核のバランスのありようには無関心ではいられない。キム氏の後継者がどうあれ、戦後の核時代の巨大な1ページが静かにめくられたことは間違いない。その真っ只中に東日本大震災救援活動もあることを忘れてはいけないと、hideは愚考するのであります。
読売福祉文化賞を、ゆめ風基金として受賞しました。
主催・読売新聞社・読売光と愛の事業団
後援・厚労省・日本福祉文化学会
2011年12月6日、読売新聞記事より
 21世紀にふさわしい福祉活動に取り組む個人や団体を顕彰する読売福祉文化賞2011年の受賞者が決まった。一般部門は、オリジナルの建材づくりで障害者の自立を後押しする千葉県流山市の橋田隆明さんのほか2団体、高齢者福祉部門では、お年寄りの健康を守るため地産地消の食堂を運営する青森市の活き粋あさむしなど3団体が選ばれた。
 副賞活動支援金として各100万円が贈られる。東日本大震災を受け、絆の大切さが見直される中、地道な活動で地域に笑顔を広げている受賞者を紹介する。
 受賞式が12月5日、東京の読売新聞本社で行われ、橘高事務局長が参加し入賞の記念楯と副賞100万円を受け取りました。ゆめ風基金が組織として受賞したのは初めてのことです。帰り道、骨折で入院中の永六輔さん・権代表をお見舞いに行き、受賞のことを報告すると、涙を流して喜ばれましたとのことです。
 被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、12月22日までに、203275257円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、12月26日までに、118839050円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
JDF被災地障害者支援センターふくしま第1次避難所訪問調査報告・からの抜粋
始めに
 2011年3月11日、観測史上最大の地震・津波の大災害をうけ、福島県さらに日本では経験したこともない原発事故による深刻な放射能問題が加わり、未曽有の危機的状況をむかえました。4月6日、全国の支援のもと、福島県の障害関係団体が集まり、福島県内の被災した障害者・関係者への支援を目的にJDF被災地障害者支援センターふくしまを設立しました。
 このセンターの最初の活動として、この大災害による被害状況やニーズをきちんとひろい上げていく事を目的に第1次避難所訪問調査活動を展開しました。200か所近くの避難所訪問調査を全国のJDFの応援ももらいながら、2週間の短期間で行いました。しかし、私たちが考えた以上に避難所で生活している障害者が少ない状況にありました。
 一方で、1か月経過した避難所での障害者の生活実態やニーズがいろんな内容でうかびあがりました。命に直接かかわる問題や様々な方の精神的な問題など様々な問題が浮かび上がってきています。また、すでに避難所は第2次避難所として、旅館・ホテルに移り住まわれ、避難所の継続的使用の問題や集団生活の問題など3次、4次の避難所を移らざるをえない人、避難所では生活が難しく、やむなく民間アパートを借りた人など新たな生活に移りつつも生活上の問題が見えづらくなりつつもあります。
 今回、第1次避難所訪問調査活動の内容をまとめ、今手をうつべきこと、時間の経過とともに手をうつべきこと、これから考えていくべきことなどを検討するにあたって、何らかの示唆を提供することを目的にこの報告書を作成しました。ただ、これは実態やニーズ把握の入り口であって、まだまだ多くの障害者の生活上の困難さやニーズは顕在化していない。様々な形で実態を明らかにニーズを拾い出していくことを私たちの取り組みの柱とします。
福島県第1次避難所調査の目的
 福島県内の第1次避難所を直接訪問し、障害者の避難状況、そこでの生活状況をつかみ、実態を明らかにする。 さらに障害者・家族のニーズをつかみ、緊急かつ専門性がいるものは、支援センターにつなぎ、物資支援などセンターで対応できるものは、対応する。生活実態・ニーズを整理する中で市町村・県・国で対応すべき問題は、要望活動につなげていく。
調査範囲
第1次避難地域の学校・公民館などの公共施設調査期間・4月5日~18日
調査方法
1チーム2、3人で各避難所をまわり、責任者・行政関係者・障害当事者・家族などから直接話しを聞く。調査した内容・避難所に障害者がいるか。どういう状況の生活状況か。そこで困っていること、ニーズ 後略
参考資料事務連絡・宮城県保健福祉部地域福祉総務課長宛て
厚生労働省社会・援護局総務課・災害救助・救援対策室長補佐避難所の生活環境の整備及び応急仮設住宅の設置等による避難所の早期解消について
留意事項
 東北地方太平洋沖地震においては、多数の者が避難して継続的に救助を必要としているところであり、1日も早く被災者の方々の生活環境を整えることが重要である。特に高齢者や障害者等の災害時援護者については十分な配慮が必要である。このため、避難所の生活環境の整備及び応急仮設住宅の設置等による避難所の早期解消について下記のことに留意の上、十分な配慮をお願いしたい。
1・避難所の設置期間の長期化が見込まれる場合は、次の設備や備品等を整備し、被災者に対するプライバシーの確保、暑さ対策、入浴及び洗濯の機会確保等、生活環境の改善対策を講じること。
 畳・マット・カーペット等の整備
 間仕切り用パーティションの設置
 冷暖房機器の設置
 仮設洗濯場(洗濯機・乾燥機を含む)・簡易シャワー・仮設風呂場等の設置
 高齢者、障害者等の災害時要援護者が使いやすい洋式の仮設トイレの設置
 等、必要に応じて行うこと。
2・炊き出しその他による食品の給与を実施する場合には、長期化に対応してメニューの多様化、適温食の提供、栄養バランスの確保、高齢者や病弱者に対する配慮等を必要に応じて行うこと。以上
ゆめ風基金運動にも多大なご助力をいただいた、ひとり話芸の達人、マルセ太郎さんを偲ぶ没後11年、マルセ太郎を偲ぶ会
2012・文忌・もんき
ゆめ風基金呼びかけ人・権代表の永六輔さん、呼びかけ人代表の小室等さん、呼びかけ人のオオタスセリさんと、雑誌「上方芸能」の木津川計さんが出演します。
主催・神戸芝居カー二バル実行委員会
協力・NPO法人ゆめ風基金
お問い合わせ・TEL090-1914-4907中島
FAX0797-77-4657
参加費・一般前売り2500円・当日3000円
会場・神戸新聞松方ホール
マルセ太郎ゆかりの人々による・・・
日時、012年1月29日(日)、12時開場。
ご参加を呼びかけます!以上!

国連の「世界ボランティア白書」

 ボランティア国際年の10周年を記念して、国連(UNV)が初の報告書となる「世界ボランティア白書」を発表し、その中の「社会包摂の力としてのボランティア活動」として、ゆめ風基金の「障害当事者派遣プロジェクト」の活動が取り上げられました。
 英文で約120ページの白書は日本人の活動にも触れながら、ボランティアと幸福の関係や、すべての人を排除せずに包み込む「社会包摂」の理念など、活動の未来像も提示しています。
 「障害当事者派遣プロジェクト」は、ゆめ風基金の被災地障害者支援活動の中でも、被災地の障害者の提案から生まれた重要な活動で、障害者ボランティアが介護者と共に被災地を訪れ、障害当事者による被災障害者へのピアカウンセリング的な聞き取り、働きかけによるニーズ発掘をすすめようというプロジェクトです。
 障害者が遠くから応援に来てくれたことで、健全者ボランティアには言いにくかったことも話してくれるようになり、ほんとうに必要な支援活動を進めていくことができました。
 また、ボランティアとして被災地を訪れた各地の障害者にとっても、被災地の障害者とつながっていくことで現状を共有し、被災地の障害者の自立生活をすすめるために行動を共にしようとしています。
わたしたちはこの活動が、当面の支援活動としても日本全体の障害者の自立生活運動としても大きな足跡を残す予感を感じます。
 国連(UNV)の「世界ボランティア白書」の中で「障害当事者派遣プロジェクト」が取り上げられたことは、わたしたちにとっても心強く思います。
2011年12月24日 京都新聞朝刊

2012年の活動 被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部

被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部
~2012年の活動について~
日時:2011年12月27日(火)
文責:大薗 拓郎
◇はじめに
 被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部(以下「石巻支部」)は2011年10月1日に事務所を設立し、活動を開始しました。以前からの活動として、障がい者や関係者からの物資の支援や悩み事の相談、行政や福祉事業所の調査、避難所や仮設住宅の戸別訪問や調査などの活動を行ってきました。その活動を通じて障がい者や関係者の方々と出会うことが出来ました。
 石巻事務所を設立して、まず最初に何をしたのかと言えば、障がい者や関係者の方との話し合いでした。ボランティアとして5月下旬から宮城県に入り、主に石巻を中心に上記の活動を行ってきた者と、石巻地域で障がいを抱えながら実際に生活をされ、地域の中で育った方や、実際に行政と話し合いを持ったり、地域資源を活用し重度の障害を抱えながらも在宅生活の実現をされたり、地域福祉活動を展開されてきた方々との話し合いは、まず「何の話し合いをしたらいいのか?」から始まったように記憶しております。
 ボランティアの立場と地域で生活をしている立場。この立場の違いに双方ともに戸惑っていました。私が「地域の中で自立的な生活を送るための話し合いです」といえども、私自身、具体的な提案が出来なかったのは事実です。しかし、こうやって様々な立場の方々が良くわからないままであったとしても、場所に集い何かを話し合う空間が、きっとこの閉塞した地域を打開していけるであろう、という不確定な確信だけは持っていました。
 それから3か月余りが過ぎました。その間、様々な活動を通じ「何の話し合いをしたらいいのか?」という議題が少しずつですが、明確に見えてきたように思います。身体障がい者の方は、自らビラを作成し地域の中でポスティングを始めました。今まで行ったことのない東京や大阪などで講演も体験しました。
 その様々な活動の中から、震災前には現実的に不可能と思われてきた人との繋がりが生まれました。地域福祉活動を行っていた団体も、少しずつではありますが活動を再開しました。知的障がい者の方は自分の人生に新たな選択肢が増えました。医療的ケアが必要な障がい者の方の中には、震災前とは比べるべくも無いほどの支援という人との繋がりを構築された方もいます。
 「何の話し合いをしたらいいのか?」から「(自分の障がいに合わせて)実際にどのような活動をするにはどのような支援が必要なのか?」という「話し合い」が出来るようになったと感じております。
 2012年も引き続き、様々な活動を実現するための支援やアイデアが必要です。2011年の出来事が単なる「障がい者支援活動」で終息するのではなく、継続性のある「障がい者の地域での自立生活の支援」に発展できるような石巻支部の活動と支援をこれからも、皆様と話し合いが出来るような形にしていきたいと考えております。以下の活動はあくまでもわたくし個人の提案でありますが、その他、様々なアイデアやご批判などを承りたく提案させて頂きます。
◇2012年障がい者の活動の提案とボランティアの支援活動
*阿部・石森の活動
・石巻地域の店舗などの取材活動の支援
・取材活動の報告と記事の作成
・活動や取材などの冊子作りの支援
*知的障がい者の方の支援
・レスパイトやガイドヘルプの支援
・絵画が得意な当事者の支援
*地域福祉活動団体
・時折に依頼される活動の支援
*調査
・行政や社会福祉協議会
・福祉事業所
・ボランティア団体
・仮設住宅
・仮設グループホーム
・サポートセンター
・地域資源
*企画
・毎月行う予定の勉強会などの企画の提案と実行支援
・イベントの企画と実行支援
◇終わりに
 石巻地域及び石巻支部の活動は、被災地の復興との関連であったり、障がい当事者や関係者の考え一つで、活動が変更する場合が多々ございます。その変更を柔軟に対応しつつボランティアとしての支援をしていただければ幸いと考えております。また上記の提案以外にも様々な支援があると思いますが、そのような支援や企画やイベントなどのご提案を合わせてして頂ければとも考えております。

12月24日 街頭カンパ活動報告

2011年12月24日街頭募金
 クリスマスの買い物客、クリスマスデートのカップルが行きかう高島屋前で恒例の街頭カンパ活動を行ないました。私は3時から5時までの2時間だけ立ちました。いつも立っている柿久保さんの話によると、いつもより入りは多いとのこと。
 カンパを入れてくれるのは若い人が多かったように思います。中学生(?)高校生くらいのグループや、20代、30代とおぼしき人たちが結構入れてくれました。一人の男性は、突然、箱の中を覗き込み「たいしたことないなあ」とポツリ。財布を出してお札を捜すも0だったみたいで、小銭いれから500円玉を「ちょこっとですいません」と言って入れてくれました。隣では馬券(?)でもいいかと聞いて入れてくれた若い男性もいました。
 また、「うちにも障害の子がいるからわかります、がんばってくださいね」と言ってカンパを入れて下さった方もいます。途中でチラシもニュースもなくなってしまったのは少し残念でした。
 とても寒かったので大声で呼びかけると、少しは体が温まるような気がして、「お願いします」「ご支援ください」を連呼。関心を向けてくれる通行人も多かったように思います。
 立っている間は気がつかなかったのですが、終わってみると障害がある方の足が完全に固まるというか、しびれているというか、感覚がなくなっていて歩くのにガクガク。淡路島から来ていたN君たちと鍋を囲んで温まってから家に戻りました。
 みんなとても元気に声を出し続けてカンパを呼びかけていました。皆さん、ご苦労様でした。
 N
2011年12月24日街頭募金

「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」

2011年~なぜ「東北⇔関西」だったのか
 11月23日の「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」ではお世話になりました。
 本当に多くの思いのある人が扇町公園にお集まりいただきました。そして、東北からも障害当事者や支援者。震災以降、関西に県外避難してきた方々。
“東北と関西”が双方向な関係になれるきっかけとなりました。
 今回の東北・東日本大震災で強く感じたことは、「自分たちがどう生きていくのか、生き抜いていくのか」ということでした。
 この震災は遠い東北の問題ではなく、わたしたちひとりひとりが考えなければいけない、動かなければいけない問題でした。
 震災以降の被災地での現実や放射能のこと。わたしたちは棄てられるし、見殺しにされる。
 3月後半より、東北3県(岩手・宮城・福島)で被災された障害者救援活動に関西のみんなの力を結集して、取り組んできました。
 わたしたちは阪神・淡路大震災の経験を基に、救援活動をずっ~と5年、10年、それ以上でも続けていかなければならない決意で今回の震災に向き合おうとしています。
 わたしたちの活動をより多くの人に知ってもらおう!!
 ということで、なにかおまつりをやろうと実行委員会が発足したのが6月。
 「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」
 東北での救援活動でも、現場からいろんな声が聞こえてきました。
 東北の人は○○だからとか、関西の人はやっぱり○○だとか・・
 生活感も土地柄も人柄も違うそれぞれの異文化がむき出しのまま、ぶつかっていました。
 逆に東北から関西に県外避難してきている方々も不安や心細さを抱えながら、いま生活しているのではとも感じていました。
 こんなきっかけだけど、関西のわたしたちの思いや土壌を知ってほしい。東北の風土やそれぞれのみなさんが持たれている生活文化をわたしたちも知りたい。
 東北と関西、これも何かの縁ですから双方向にお互いが交わることできっと新しい自分たちの生活文化が芽生えてくるのではという思いからスタートしました。
 関西からだけではなく、日本中から様々なかたちで東北を応援している人同士が結びつくことや、東北のなかでも今、奮闘されている人やこれからのことを考えている人。
 わたしたちのテーマは、障害があってもなくても、いかに生きていくのか・・多くの方のどんなに小さなアクションでもいい。そのアクションが集まっていくことにも、このおまつりがきっかけになればと今でも考えております。
 11月23日を終え、この一年をふりかえったときに感じたことは「みんなで生きていける」ということでした。
 みんながひとつになってではなく、それぞれがそれぞれの思いやアクションで被災地支援を含めた東北の復興へ向き合ってきました。そしてみんなそれぞれの立ち位置で日々、関西での営みとも向き合っています。
 わたしたちは引き続き、東北被災障害者救援活動を続けていきます。
 なんば・高島屋前での第2・4土曜日の募金活動も続けていきます。
 また、みんなが集まれるような「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」も続けていきます。
 さあ、2012年はどうしていきましょうか?
 来年もゆめ風基金及び東北被災障害者救援活動を何卒、よろしくお願いいたします。
         特定非営利活動法人 日常生活支援ネットワーク パーティパーティ
                                             椎名保友

ヒデの救援レポート、12月26日

ヒデの救援レポート、12月26日:52
 今回のhideのメール通信で、2011年における送信を終わります!非日常の日常のお休みです。おめでとうや年賀状の無いhideにとって、年が開ければ、当然のごとく、被災地支援の非日常の日常にまた入ります!
他の動植物には無い、新年を暖かく、お迎えください!hide拝
障害のある方・介助が必要な方お電話ください。
被災地復興障がい者センターおおふなと(通称・センター1・2・3、ワン・ツゥ・スリー)
大船渡市大船渡町字笹崎13-8 電話0192-27-6203
 NPO法人ゆめ風基金の協力を得て、すべて無料で行います。(ゆめ風基金は阪神大震災を契機に生まれた、被災地障害者支援のための基金です。)
 送迎・通院、通学、お買い物、お墓参り、観光、理美容などの送り迎え介助、介護・外出のお手伝い、見守りなどその他・ご相談に応じたお手伝い。すべてのことはできないけれど、できる事だけをする今を受けとめ、遠い道のり、ゆっくり進んでいきましょう。みんなして、がんばっぺし!
 東日本大震災被災地障害者センター3県では、被災の激しい沿岸部に行くには遠くなる、内陸部のセンターではなく、沿岸部に救援拠点を次々と設置して、被災現地での活動を広げています。ただ、これからの東北は、雪の季節に入り、がぜん、人手が足りなくなり、そこで、改めて、救援ボランティアを募集することになっています!
 条件は、少なくとも、一週間以上、現地にいることが出来る人。
 自動車の運転が出来る人。
 ゆめ風基金(電話06-6324-7702)を通しての派遣であることの3点です。
 被災障害者支援の志しのある方たちのご連絡をお待ちしております!
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、12月14日までに、200025849円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、12月9日までに、117342372円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
hideの畏友のおひとり、京都花園大学の特任教授、八木晃介さんの私的メディア試行社通信302号からの抜粋
TEL/FAX075-221-2672
原発事故とことば
 私が勤務している花園大学の正門付近にも、3・11以降、(がんばろう日本!)という標語がかかげられています。ひとことでいえば、気色がわるい、非常に。
 そもそもがんばろう日本!のメッセージが誰から発信され、誰を受信者として想定しているのかがわからない。花大の正門にあるからといって花大という学校法人のオリジナル・コピーでないことはあきらかであり、現に街のいたるところに似たようなポスターが貼りつけられています。
 3・11後、相当長期にわたってテレビのエィシイ広告で、それこそミミタコ状態になるまでこのフレーズがもちいられていたので、断言はできませんが、たぶん出所は電通ではないか。仮に電通が出所だとしても、電通がサービス精神を発揮してボランタリーにこのキャッチ・コピーを創作することはありえず、エィシイジャパン(旧公共広告機構)自身がスポンサーであったことはあきらかです。そして、エィシイに参加する有力企業の一つが東電など電力会社でした。
 さて、このコピーは、察するところ、がんばれ、日本という意味なのかもしれませんが、それでは命令口調になるので、英語でいうレット・アス雰囲気に変調させているというところでしょうか。また、仮にこのように理解したとして、この標語の主語は何なのか。これも察するところウィ・セイというところにおちつくのでしょうか。まさか、ウィ・ヒアとかゼイ・ヒアではあるまい。
 しかし、これらは結局のところ全部同じ意味に収斂するのであって、要するに、主語不在の無責任標語である以外になりたたぬ構文です。がんばろう日本にせよがんばれ日本にせよ、その場合にがんばらねばならない日本とは、何か。抽象名詞たる日本ががんばることはありえないのですから、国名なのか、国民なのかどちらかでしょうが、国名もがんばりようがないので、結局、国民ということにならざるをえず、そうなると在日日本人以外の人々はがんばる必要がない、というか、がんばってはいけない、ということにもなります。
 主語不在の無責任標語になるのは、いわば論理的必然であって、その理由は、取り返しつかぬ原発事故をおこした東電自身がエィシイ広告の有力スポンサーであるからです。エィシイが有力スポンサーの東電の顔をたてながら、なんらかの有意味的なメッセージを発信しょうとした時に、これも論理必然的に徹底的に、無意味ながんばろう日本のキャッチ・コピーにならざるをえなかったのです。私にはあのがんばろう日本の甲高いシイエムが、がんばれ東電にきこえたのですが、以上のようにかんがえると、必ずしも私の神経過敏だったともいえないのではないか。
 原発被害者をふくむ地震・津波被害者にも、このキャッチ・コピーがとどいた時、被害者の一人ひとりがどのようにそれを聞き取られたのであろうかと気づかわないではいられません。がんばれ東電とは聞き取らなかったかもしれぬが、少なくとも原発被害者にたいして加害者・東電の姿を見えなくする効果ないし機能を発揮したのではないでしょうか。
 がんばろう日本は、結局、大震災を契機にして、肝心要の問題を封印しながら、この国の人びとのある種の統合をはかる一定の戦略用語だったというほかありません。後略
南三陸から・2011,3・11~2011,9,11,佐藤信一写真集が発行されました。
発売・株式会社、日本文芸社
電話03ー3294-8931
本体1500円プラス税
 この写真集の売り上げ1冊につき、300円が宮城県南三陸町へ義援金として寄付されます。これまでも、いろんな写真集が発行されましたが、ほとんどが、東日本大震災後、被災中の撮影ですが、この写真集は、撮影者が、大震災以前の街を撮影しており、大震災の前と後の対比が出来るように構成されています。
 あの日以来、多くの人たちが南三陸を訪れて、心を繋いでくれています。本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
 私は町の小さな写真屋の二代目。皆さんに支えられて今日まで頑張ってこれました。先日、私の撮影した昔の町並みの写真を見ていた方が泣いていた。ガレキの中から探し出した一枚の写真を私に見せ、これでまた生きて行けるよと大切に胸にしまった人もいた。
 ホント写真の力ってすごいなと感じた。私の店も家もすべて流されたけど、この町に生かされた写真屋ができる事。それはやはり写真で恩返しする事、そう強く感じています。写真はありのまま写す。時に辛い場面も写し出す。だから喜びも悲しみも心を込めてシャッターを切ろう。そう心に決めました。かけがえのないふるさとと人々の心の強さあたたかさを伝える為に、今を写せば未来へ繋がる。写真の力を信じて頑張ろう
                                    南三陸 佐藤信一
 hideが日頃から、人権活動を共にしている団体に、NPO法人・暮らしづくりネットワーク北芝という団体があります。住まいする箕面市にある、被差別部落の部落解放同盟北芝支部の関連団体です。今年の市民人権フォーラムを準備する中で、いろいろ話し合っていると、ネット北芝の若い人たちが、東日本大震災被災地に、交代で、救援ボランティアに入っているとのことでした。
 ネット北芝が所属しているのは東北関東大震災・共同支援ネットワークだそうで、宮城県仙台市に支援拠点があるそうです。若い人たちは、避難所、仮設住宅などを訪ね回って、各種の調査活動をしているとのことです。
仙台市青葉区千代田町1-13・ひなたぼっこ内
TEL022-301-8820 FAX022-301-8821 東北福祉大学の前
 活動内容は、介護職・看護職派遣介護施設や在宅介護サービス事業所、避難所や高齢者住宅などへの訪問、地域サロンの実施など生活支援スタッフ、本部での調理、配食、見守り、洗濯、掃除、介護など
事務局スタッフ、共同支援ネットの仙台本部事務局、石巻市事務局でのニーズとボランティアの調整、事務、電話応対など。
 ネット北芝の人たちと、何とかして、つながりが持てればいいねと、話し合いました。被災地障害者センターでは、石巻市などで、医療的ケア研修会実施などが、検討課題に上がっていて、お互いに救援ボランティア不足の現在、何らかのつながりができればいいのにと。ゆめ風基金事務局長の橘高さんが、被災地障害者センターみやぎの石巻市支部と連絡を取るように、働きかけることになりました。縁は異なもので、どこでつながっているのか、分かったものではありませんね。以上

東北の冒険、わたしたちの冒険 障害者救援本部大阪の会議

 12月21日、障害者救援本部大阪の会議がありました。今年最後の会議となりましたが、30人の参加があり、地震発生後9ヶ月がたち、現在の支援活動の報告とともに今後の支援活動のあり方について熱心に話し合われました。
現在の支援活動
 大阪ではたくさんの団体、個人のみなさんのご協力で、11月23日の「東北⇔関西ポジティブ生活文化交流会」を成功させることができました。ありがとうございました。
 今後も定期的な街頭募金、救援本部会議、そして「東北⇔関西ポジティブ生活文化交流会」の第2弾として2月24日、25日に応典院で11月23日の山西福祉記念会館の被災地報告会のDVD上映会、3月25日に扇町公園と山西福祉記念会館でイベントを開催する予定です。
現在の支援拠点
岩手県盛岡市 「被災地障がい者センターいわて」(「CILもりおか」と連携)
   田野原村 「ハックの家」と連携
   宮古市 「被災地障がい者センター宮古」(当事者プロジェクトと連動)
   釜石市 「AJU自立の家」と連携
   大船渡市 「被災地障がい者センター大船渡」
   陸前高田市・気仙沼市 「すずらんとかたつむり」と連携
宮城県仙台市 「被災池障がい者センターみやぎ」(「CILたすけっと」と連携)
   登米市 被災池障がい者センターみやぎ県北(登米)支部(南三陸町をふくむ)
   石巻市 被災地障がい者センター石巻
   亘理町 被災地障がい者センターみやぎ県南支部(「ささえあい山元」と3月まで連携、山元町をふくむ)
福島県郡山市 「被災地障がい者支援センターふくしま」(JDF)
支援の主な内容
1.通院、買い物、作業所への通所などの移送サービス
2.支援を必要とする障害者への戸別訪問
3.仮設住宅での交流のためサロン活動
4.家の改造、周辺整備の協力
5.行政制度の活用の支援や政策提起
各地の動き
岩手
1.障害当事者が主体となって現地に障害当事者を派遣する「いわて当事者派遣プロジェクト」が全国自立センター協議会(JIL)を中心にとり組まれてきています。一時中断していましたが、11月半ばから再開されています。
2.田野畑村の「ハックの家」との連携で、戸別訪問と移送サービスをお願いしていますが、地域の人々とのつながりも増え、送迎の途中などでも「ここに障害者がいるよ」と紹介され、「ハックの家」や「すずらんとかたつむり」の仲間になった障害者が数名いるとのことでした。
3.被災地障がい者センター宮古が始動し、「いわて当事者派遣プロジェクト」や、「ハックの家」の児童デイサービスにも利用する予定になっています。今後地元雇用による専従体制を整え、将来的にはCILもりおかと連携することを視野に入れて、活動を多様かつ本格化しようと思います。
宮城
 10月1日に被災地障がい者センター石巻が活動を始めました。
 地元雇用による専従体制を確立しながらボランティアの方々の力をお借りし、送迎、見守り、役所や社会福祉協議会への調査、仮設障がい者グループホームへの調査、バリアフリーガイドブック作成のための調査などを進めていきます。
福島
 原発については予断を許さない状況が続いています。長期的に避難することを希望する障害者もいます。
1.個別で県外に移住することを希望するひとたちの支援
現状は各人から地域の団体に直接連絡し、個別で調整している形です。何人かの移住がすでに実行され、また移住を計画しています。
2.移転のための県外拠点として、神奈川県相模原市に「サテライトCIL」が設置されました。一時的な受け入れとしての「一時避難所」と自立生活に向けた「体験室」と、支援センターの役割を担うことになります。
 この秋に閉鎖の予定だったケア付住宅「シャローム」借り上げました。定員4名。
 12月から「体験ツアー」を実施しています。「体験ツアー」のうえだで、移住のための自立支援に結びつけていきたいと思います。移住のための仕組みについては「FIL・福島自立生活センター協議会が担います。
今後の活動
 報告の中で明らかになったように、支援拠点がようやく沿岸部にでき、今後は沿岸部の支援活動の強化が急務になります。これら新しい支援拠点はまだ専従体制も確立されておらず、一方でいままで隠れていたニーズが一挙に現れています。持続可能な支援に向けて地元の状況と要望をていねいに把握し、あくまでも現地優先で無理をせず、少しずつ現地雇用による専従体制のもと、可能なものは「障害福祉サービス事業」に転化していくように支援を継続していく。また、公的助成や各種基金も最大活用していくことと、地道な街頭募金やイベントもふくめて、支援のよびかけを進めていくことなどが話し合われました。
 次回の会議は来年の2月8日(水)、午後6時半より、パーティパーティで開きます。

はり灸レンジャー ~鍼灸震災ボランティア~

 3月11日の東日本大震災を受け、鍼灸師のボランティア・グループが被災地での支援活動をされていると、以前このブログでも紹介しましたが、現在7名の方がメーリングリストで連絡を取り合い、情報を共有し、支援活動を継続されています。
 5月の第一次訪問は、被災地障がい者センターみやぎの支援活動として、障がい者の安否確認や介護、障がい者のいる家庭の生活支援、津波の被害にあった家屋のゴミだし、行政などに情報をつなぐソーシャルワークなどに従事されました。
9月の第2弾ボランティア活動は、
 1.鍼灸の業界団体とは別ルートで、現地の組織・人々と連携し、主に障がい者・高齢者の施設・団体・仮設住宅を回る。
2.可能な限り継続性をもって、顔と顔、名前と名前のなじむ関係作りを企図する。
3.一過性の治療のみでなく、ローラー鍼やせんねん灸など簡易灸を配布し、ツボの処方を行ない、被災された方々が自己ケアできるよう提案する。
4.鍼灸治療が第一義であるが、治療を通じて聞き取った被災者の声を受け止め、福祉機関などと連携し、一種のソーシャルワーク的な活動も視野に入れる。
などを念頭に、仮設住宅を中心に苦しみの声を挙げきれない被災者と出会い、少しでも心身の苦痛を取り除く活動をされました。
 2012年3月に第3回目の訪問を計画中とのことです。
「前回訪れた被災者や現地スタッフのその後の様子をうかがう(継続支援)。大震災から1年経過した現地での生活ぶり、健康状態を確認し、鍼灸支援の方法の練り直しも行なう。
 訪問先が、宮城県の北東部(三陸町)から、福島県の郡山市まで広域であるため、チーム編成を行ない、地域ごとに鍼灸師グループで担当者を決めるのも一案。たとえ頻繁に訪問できなくとも、顔なじみのAさんが季節ごとに鍼灸治療に来てくれる、と受け止めていただけると嬉しい。細くとも長く支援が続くことが、被災者の方々を「いつまでも忘れずに見守っている」というメッセージを送ることにもなるだろう。」(ブログより)
 くわしいレポートは、ブログを開かれましたので、ぜひごらんになってください。
はり灸レンジャー ~鍼灸震災ボランティア~

街頭募金を行います。

本日24日(土)午後1時より午後5時まで、大阪なんば高島屋前で街頭募金を行います。
今日は特別に寒くて、参加されるみなさんはほんとうに大変だと思います。
どうか暖かい服装でご参加ください。午後1時より午後5時までの時間帯のどの時間に参加していただいても結構です。
よろしくお願いします。