盛岡に被災地障害者支援センター岩手設立

岩手盛岡に拠点を作ることになりました。
昨日 八幡さんがCIL盛岡の人たちと話をして
とりあえず盛岡に被災地障害者支援センター岩手の事務所を開いて
各障害者団体が集まって被災地支援をする体制を整える必要があるので 事務所を開きたいと連絡がありました。
盛岡は沿岸部から70kも離れているけれど
とりあえずの支援拠点が必要なので
やむをえないとのことと判断し、了承しました。
120平米の広さで家賃15万円だそうです。
敷金はまだわかりません。
来週月曜には事務所オープンの段取りで進めていくということです。
当面の活動費として200万円を送りました。

ヒデの救援日記4月8日

4月7日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は66914023円です。
支援する団体、個人と金額。岩手県盛岡の被災地障害者支援センター準備会に、立ち上げ資金としての200万円。新潟県の自立生活福祉会へ、避難障害者用に、自立生活体験室の改造と風呂の設置のために、150万円。仙台市のすまいる作業所の豆腐作り用のボイラー倒壊再建のために、110万円。を検討中です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
大震災救援の中のボクの風景。昨日7日は、大阪では、小学校、中学校での入学式の日でした。保護者に付き添われ、子どもたちの、おニューな服装、セーラー服、制服などで装う、晴れやかな表情と得意そうな顔が街に溢れました。その中には、障害のある子どもたちもいます。しかしながら、被災地では、学校の再開がバラバラで、入学式がずれ込むようです。そして、晴れやかな入学式を夢見ていた、沢山の子どもたちが、地震と大津波によって、いのちを奪われ、無念の想いを残して、逝ってしまったのです。この記憶は、生き残ったひとたち、ボクたちへの伝言だと思います。子どもたちの晴れやかな表情を曇らせないように、大人は、しっかりせよと。人びとの未来、子どもたちが輝くような世界を、困難に立ち向かって創造せよとの。
ゆめ風基金の救援活動には、決定的に、人手が足りていません。多分、どこの団体、個人の方も、お忙しいとは思いますが、時が時ですから助けてくださーい!連絡電話:06-6324-7702です。
7日:宝塚市の市民オンブズマンを名乗る、高田某から、ゆめ風事務所に電話がありました。知り合いの家に、救援金を要請し、チラシを置いていった人物がいて、そのチラシが、ゆめ風基金のもので、新手の詐欺ではないのかと、問い合わせがあったから、警察に届けた。今、新大阪にいるので、弁護士と一緒に、確認のために、そちらに行く。警察が先に行くかも知れない。とのこと。その後同じ人物から、同様の電話があり、事務所内には、一瞬緊張した空気が流れましたが、待てど暮らせど、高田某は現れなかった。どうも、新手の愉快犯の嫌がらせらしい。こんな時に、ヒマな人間が多いなぁと。ニガ(笑)
現地の八幡理事から、連絡があり、CIL盛岡のひとたちと話し合って、盛岡に被災地障害者支援センターを立ち上げるために、事務所を開設することになりました。障害者団体が集まり、被災地支援をする体制を構築する。盛岡は、沿岸部から70キロも離れているが、とりあえずの支援拠点が必要なので、来週には、立ち上げたい。120平米の広さで、家賃が15万円。敷金は、今不明。ゆめ風基金事務局長橘高さんが近々の内に、現地事情を把握するために、仙台市に入ることになりました。
厚労省や大阪府などが、被災者向けの、生活情報提供を始めるとの情報が届きましたが、あまりの遅さにあ然としてしまいます。ほとんど、行政情報の寄せ集めになりそうなので、あまり役立ちそうにはありませんが、利用出来る所は、利用しないと。
八幡理事から連絡があり、昨日に起きた、震度6強の地震で、仙台市の拠点事務所内は、ぐちゃぐちゃになったとのこと。あんな強い揺れは、初めての経験だと。八幡理事は、24日~27日に、一旦帰阪するとのこと。その後、再々度、仙台市に入ります。現地状況報告会があるかも知れません。
障害児の高校進学を考える会の片岡さんが、連日、救援金振り込み用紙の束を持ち帰り、自宅でのPC名簿打ち込み作業をしてくださっています。感謝です。9日の救援本部大阪統一共同カンパ活動は、難波の高島屋前ではなく、千日前のビッグカメラ前に変更になりました。急な変更になり、申し訳ありませんが、参加される方は、ご注意ください。以上!

被災地のゆめ風基金会員様からNO.14

【4月4日付 宮城県仙台市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
今回の震災では早速にお見舞いの葉書を頂き有り難うございました。幸い私の住い周辺は家屋の被害はありませんでした。ただ3週間過ぎてもガスの復旧にメドがたたず不自由しています。一時期食料品を買うのが大変でしたが、今はまずまずの品揃えとなりホッとしております。
以前基金へ気持ちばかりを送らせて頂いたのにこの様に気遣いを示して下さり感謝いたします。
【4月6日付 宮城県本吉郡】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
精神障害者に関して
・作業所が無くなってしまい、又、行き場と話し相手が居なく、不安定になっている
・避難所での人間関係が、うまくできない。
・病院が無くなったり、通院が困難になっている。
・家族会が機能していない。
・他県からの医師団が巡回してくれて助かっている
ご支援ありがとうございます。

CILたすけっとのスタッフのメッセージ

CILたすけっとのスタッフのメッセージです。
2011年3月11日の14時45分ごろ、東北地方太平洋沖地震が発生し、宮城県をはじめ広い範囲で多大なる被害を受けました。
僕たちCILたすけっとでも、被害を受けた障がい者の支援を行っているところです。
元の美しい東北に戻るには、長い年月が必要だと思いますが、一歩一歩前へ、時に休みながら復興へ歩いて行こうと思います。
全国の皆さん、本当にあたたかいご支援ありがとうございます。
(W)
私はいま、生きています。
もしあの地震のとき、一人でいたら動けずにケガをしたかもしれません。もしかしたら死んでいたかもしれません。
仲間といてよかった、一人じゃなくて、本当によかったです。
ヘルパーさんや大切な仲間とともに過ごせる毎日を大切に自分たちにできることを積み重ねていきたいと思います。
(I)
皆様へ
 連日連夜皆様の支援、心から感謝申し上げます。3月11日を境に生活が一変しました。
宮城県沖地震に備えて避難所を整備せねば、と言っていた立場から自分が避難所へ。
一般避難所がに「居られない」ことを身をもって思い知りました。事務所に十数人、ストーブにより毛布にくるまり、声をひそめておりました。
 事務所のある地域は津波による被害はありません。ライフラインは徐々に復旧し、地下鉄も走っています。
津波の被害を受けた地域は安否確認に追われ、高齢者が野戦病院のごとき所に避難されています。
こんなギャップに愕然としながらも、とにかくつながって、復興、再生へ向けて動いています。
 元気を出して、永く地道に活動したいと思います。ご協力に感謝!
(O)

被災地のゆめ風基金会員様からNO.13

【4月5日付 宮城県仙台市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
ご心配いただきありがとうございます。
私はすんでの処で難をのがれ、生存しています。
自宅には諸事情で帰っておりませんが、同じ市内の姉宅に身を寄せております。
ライフラインが整っていないので(県全般)さまざまな不便がありますが、命あればこそ感じるものです。これから落ち着いて来たら命を落とされた方々のために自分の出来る限りを尽くして、残された人々の役に立ちたいと思います。
*皆様もこれからが忙しくなる事と思います。頑張って下さい。
☆障害者の様子がわかればお知らせください。なんでもかまいません。
一度荷物を取りに戻った時、近所に有る「ありのまま舎」を通りましたが、救援物資をボランティアの方々、職員の方々が運んでいらっしゃったので、少しは物資が届いているのかしら?と感じました。個人でおつき合いのある方が無いので、他はくわしくわかりません。
【4月5日付 宮城県白石市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
この度の大震災につきまして、ご心配大変ありがたく存じます。
私共の地域につきまして、海辺の方々から見ますと、被害が少なく(屋根カワラ落下)(外へきの落下)等、人件等にはあまり影響がなくほっとしております。
☆障害者の様子がわかればお知らせください。なんでもかまいません。
私たちボランティアは学生さんたちに昼食へのおにぎりの等の提供をさせていただいております。
お互いに頑張ろうの気持ちで力づけております。
【4月5日付 宮城県仙台市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
3/11(金)当日は、全介助の母(2/28で96才です)ですが、デイサービスの後、泊まりをお願いしておりましたので、とても助かりました。
私は数日間避難所で過ごし、電気復旧後、散乱した部屋の片付け等で動じていたため体重が自然減。(ヤッターと思ったけれどすぐに戻ってしまい…)
母と私がなんとか生活できる場所は確保二階の部屋は見なかったことに。(トホホ…)
お見舞いの葉書、本当にありがとうございました。
全国、全世界の方々のあたたかい、お心使いたくさんの力をいただきました。

ヒデの救援レポート4月5日

==ヒデの救援レポート4月5日====================
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
 4月2日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は9969449円になりました。
 未調査。支援した、団体、個人と金額。被災障害者救援本部東京に、500万円。現地救援本部、仙台たすけっとに、500万円。福島現地救援本部、郡山ILに、500万円。現在です。
 当面の救援方針は、東北関東被災障害者救援本部、被災地障害者センター宮城、福島の障害者救援活動。被災現地で障害者救援活動を行う団体。被災地で被害を受けた障害者活動拠点に、救援金をお送りするのが、3例示の原則ですが、もちろん、状況が状況ですから、例外、状況判断の救援もあり得ると考えています。
 4日には、バクバクの会の平本さんから、ゆめ風基金事務所での救援活動参加の申し出。そよ風編集部の井沢さんから、英文翻訳なら参加できますとのこと。障害児の高校進学を考える会の片岡さんからは、事務所での手伝いは無理だけれど、自宅でできることは、やりますとのことで、振り込み用紙のパソコン打ち込みを依頼しました。
 ゆめ風基金会員が東北地方に300名ほどおられ、その方々に安否確認の往復ハガキを出したところ、約50名ほどの方々から、返信がありました。その大半は、多少の被害はあったものの無事でしたとのこと。当たり前ですよね。酷い被災者には、返信も出来ないでしょうから。その中の1通の仙台市のSさんからのものを紹介します。
 当方では、特に今はありません。人工呼吸器使用者への電力供給がなかった。停電時は、その電源確保が大変でした。また、水などのライフラインが止まったことが今回最大の課題でしたが、今は大丈夫です。衣食住ともに、大丈夫です。避難所にいられない障害者の方々が出ています。個別には支援していますが、全体把握はできていません。その方々を含め、自宅在宅でお過ごしの方々が増えていると思いますが、支援は不十分だと思います。
 とありました。
 広島では、バクバクの会副会長の穏土さんや、事業所てごーすのメンバーが、広島市で一番人通りの多い、そごうデパート前の、大通りを挟んだ向かいの場所で、ゆめ風基金のチラシをまきながら、救援カンパ活動を、3日に敢行されました。とても、元気な穏土さんからのメッセージ付で、お知らせメールを頂きました。ありがたいことです。
 ある、大阪府下の自治体消防士の話。そのお連れ合いが、友達に話したこと。
 その友達がボクの友達です。大震災直後、岩手県被災沿岸部に派遣され、安否捜索活動に従事したけれど、高い木の上に、何人もの遺体があり、それを収容するのが、とても辛かった。そんな光景や、遺体安置所の光景は、メディアの映像には、採用されてはいない。
 あの作業は、1週間が限界だ。それ以上は無理。精神的に持ちこたえられない。本当に伝えられないことが多過ぎると憤慨しているとのこと。それにしても、自分たちは、大阪に帰ることが出来るけれど、被災地の人たちは、ずっといるわけだから、その人たちのことを想うと、言葉を失うと。
 
 大震災救援の中のボクの風景。季節がヘンです。いつもの季節には、桃の花の後に、桜が咲くのに、今年は、同時に、花の季節を歌い上げています。季節の変節は、あまりの動転に右往左往するしかない、愚かな人間存在への、自然破壊への報復の歌かもしれません。人として、 自分を認識して、人としてのつながりを創れますように!ボクには、想定外はありません。
 ゆめ風基金が派遣した八幡理事の現地救援活動には、目を見張るものがあります。八幡理事の他に、各団体から派遣された方々から、毎日膨大なレポートが届きます。
 福島レポートに、わらじの会の友人、新野さんから。茨城からは、ゆめ風基金さいたまの吉田さんなどです。いずれも、誠実な長文のレポートなので、少し悠長かもしれませんが、要約を順次お伝えします。どうか、状況に対応しえない、能力の無い河野のことだからと、あきらめて、お読みください。ボクは、能力主義の反対側にいるものですからして。
以上!
 大震災救援の中のボクの風景。桜があちこちに咲き始め、暖かい風が吹き流れる季節の時間になりました。早く被災各地がこの風に覆われるように。困難に立ち向かって、桜を見上げられることを心から願います。
 
 ゆめ風基金が派遣した八幡理事の現地救援活動の報告の要約です。
 3月30日、現地入りしましたが、目を見張るものがあります。前回19日に入った時には、街は、真っ暗で、人通りは、ほとんどなかったけれど、今は、同じところなのかと見違える位の、賑わいで、びっくりしました。ライフラインもかなり復旧していますが、拠点から少し離れた海岸線は、津波のキズ跡がそのままあります。しかし、ガソリン不足は続いています。
 31日、市社会福祉協議会で聞くと、精神障害者の日中活動拠点1ケ所が津波で消失。知的障害者の作業所が1ケ所、地震で全潰だそうです。
 午後からは、地元障害者団体、13団体が集まり、現状報告、意見交換をして、宮城県内被災障害者支援のための、:被災地障がい者センターみやぎ:を立ち上げることを決めました。その中のひとつに、石巻市の避難所になっている、遊学館がひどい状況になっているとの報告もありました。
 4月1日、打ち合わせ。ゆめ風ネット埼玉の吉田さんの友人、新野さんと一緒に石巻市に行くことにする。三陸自動車道は、車で走れるものの、地震のせいでデコボコになっており、制限速度が50キロ。最初の訪問先のしょう心会事務所は、海岸に近く、車がひっくり返り、船が打ち上げられていました。それから、ひたかみ園:知的障害者更生入所施設:を訪問。施設は、建て替え中で、土地が少しだけ高くなっているので、津波からギリギリで被災しなかった。そのおかげで、町民の避難所になっており、40人程のひとたちが避難しており、6人程の、車イス障害者を確認しました。
 19時に拠点に帰り着く。東京のJILのメンバー2人が、救援物資を持って到着。夕食を取りながら、意見交換。東京の杉田さんが合流。新宿よりバスで。
 4月2日、埼玉の吉田さんの友人、本吉さんたち2人が救援物資を持って到着。
9時、毎日新聞の取材を受ける。10時、名古屋わっぱの会からボランティア2人到着。明日からの活動説明。明日以降も、何人かのボランティアが入るので、訪問は中止。資料作りに専念。たすけっとの障害者の井上さんが、県内の福祉サービス事業所に電話入れ。障害者の安否確認。今後、ネットワークに属さない団体、個人の安否やニーズを調べる。
 大阪は、宮城県。東京は、福島県と言う枠組みを取り払い、全体的な取り組みにし 、長期に支援に入れるボランティアを集める。福島県は、原発事故があるので、事情説明の資料を作る。
 4月4日、わっぱの会の2人に、多賀城市などの調査に行ってもらう。大阪から、新たなボランティア松浦さん到着。
 八幡理事の報告の他に、新野さんの報告。茨城県の報告のゆめ風ネット埼玉の吉田さんのものもあります。少し古くなっても、大事なものは、順次流します。
 いずれも、誠実な長文のレポートなので、要約になりますが。
 新野さんの報告の一部。ほとんど寝たきりの障害者、140人程が避難している避難所に出会いました。市、社会福祉協議会、医師、看護師などもいながら、その避難所の運営主体は、誰なのか不明のままです。一般避難所では、難しいひとたちが、ここに集められたらしい。その中に、子どもが4人いたのが不思議な光景で、声をかけてみると、友達に誘われて来たボランティアとのこと。全員裸足で、2週間程続けていると。しかも、中学生1、2年生で、かなり疲れている感じがした。体育館のようなフロアに布団が敷き詰められているのは、他の避難所と同様だが、座位を保てるひとがほとんどおらず、排泄もその場で行っている光景は、他の避難所と明らかに異なっている。子どもたちのボランティア姿が、痛ましく見えて、胸が締め付けられた。
以上!

JILより 現地レポート

JIL(全国自立生活センター協議会)のスタッフからの現地レポートです。
■4月1日(金)~2日(土) 宮城
CILたすけっとは、夢かぜ基金から八幡さんも現地入りされ
障害者への物資配給や救援活動の拠点となっています。
CILたすけっとの皆さんは、休みもなく
障害者団体や事業所名簿などをもとにニーズ調査などを精力的に活動されています。
今回、CILたすけっとからの要請で、障害固有のニーズ(呼吸器の充電池やおむつ、エンシュア、清拭用のシート等の消耗品)にもとづく物資や救援活動で必要なバイク(小平提供)等を運びました。
まだ仙台市内は、スーパーも開店前に行列ができたり、
ガソリンスタンドも給油制限があるなど生活上も支障があるようでした。
ホテルは、館内の損壊や被災者の受け入れに使われていることもあり、宿泊できる場所もなく
職員の方の自宅に泊めていただきました。
翌日は、多賀城や石巻の避難所の様子を見てきました。
多賀城の文化センターが大きな避難所になっていましたが、重度障害者は見つけられませんでした。
(高齢者で車椅子利用の方は1名見かけました)
遊学館という寝たきりの高齢者ばかり150人ぐらい?を集めた避難所にも行って来ました。
医師や看護師が常駐しているものの、広い体育館に布団が敷き詰められ
高齢者がずらっと仕切りも何もなくただ寝ている状況でした。
■4月3日~5日 福島
◎福島市・ILセンター福島
私たちがちょうど伺った時に、南相馬市からの障害者の避難を受け入れされたところでした。
南相馬市には、福祉避難所がなく、ILセンター福島の所有するバリアフリーアパートで受け入れされるそうです。
福島市内は、避難地域には入っていませんが、市内は放射性物資の数値が高く、
子供と母親だけは、地方へ疎開させる判断をする人もいるそうです。
避難をした人に対して中傷する人も出てきており、地域の中でも分断がおき始めているとのこと。
「『福島県の人と結婚すると障害児が生まれる』とか今後、長年の差別と向き合っていくことになるでしょう。
でも私たちは差別に向き合っていくことになれています、福島県民のさだめとして受け止めます」と話される言葉を重く感じました。
◎郡山市・あいえるの会
あいえるの会も被災障害者の救援活動を担っています。
いま、きょうされんからも15人ほどが現地に入り、障害者の安否確認などを行っています。
原発から20キロ圏内の町から集団避難しているビッグパレットにも行って来ました。
1万人くらい?が避難されていましたが、ここでも障害者を見つけることはできませんでした。
通路もないぐらいに敷き詰められた布団とダンボールの環境の中では、
障害者が避難生活を送れるはずもなく、20キロ圏内で障害者が自宅に取り残されているのではないかと思います。
◎南相馬市・市役所・南相馬社会福祉協議会
隣の相馬市には、救援物資はたくさんとどいているそうですが
風評被害で救援物資も入らず、物流も途絶え、週に2回、市からの配給のみ。
市役所に取りに来れない障害者や高齢者の生活がどうなっているのか非常に心配です。
「屋内退避」の指示が出ているにも関わらず、週に2回の市の配給のみが
食料など生活物資を手に入れるチャンスのため、市役所の周りをぐるっと何重にも
市民が長時間並んで配給をうける矛盾が起きているとのこと。
2万人がとどまっているそうですが、全然物資が足りていないようでした。
◎いわき市・いわき自立生活センター
物流もガソリンもだいぶもどり、4月の中旬には水道も復旧するとのこと。
いまは、給水所から毎日水をくみにいっているそうです。
4月17日をめどに戸山サンライズの避難中の方々もいわきに戻られる予定。
◎田村市・福祉のまちづくりの会
田村市も物流やガソリンはだいぶもどっていました。
今週からまちづくりの会も事業を再開されたとのこと。
いま、一部の介助者と障害者が今も新潟で避難生活をされています。
ゆくゆくは、新潟に避難している方も田村に戻ってくる予定だけれど
女性介助者を確保することが難しく、介助応援して欲しいとのこと。
福島のCILの皆さんからは、介助者の中でも自主避難を決めた方がいるため
介助者が不足している状況をお聞きしました。
しかし現在、自前で介助研修をすることが難しく、
介助者の養成をすることができない状況なので
昔の全身性のように、無資格で介助に入れるように規制緩和をしてもらえるように働きかけて欲しいとの要請を受けました。
明日は、被災地支援のNPOと各省庁の連絡会議が開催されますので
被災障害者支援についての支援策や状況を聞いてくる予定です。

静岡朝日テレビの報道

JIL(全国自立生活センター協議会)より
静岡朝日テレビさんが地元の静岡障害者自立生活センターさんの募金活動を情報番
組で取り上げるそうです。その際に救援本部blogの写真やCILたすけっとさんからご
提供頂いた現地の様子、活動写真がご紹介されることになりました。
<放送時間帯>
4/8(金)静岡朝日テレビ(朝日テレビ)
16:45~17:30の間で放送予定