JILより 現地レポート

JIL(全国自立生活センター協議会)のスタッフからの現地レポートです。
■4月1日(金)~2日(土) 宮城
CILたすけっとは、夢かぜ基金から八幡さんも現地入りされ
障害者への物資配給や救援活動の拠点となっています。
CILたすけっとの皆さんは、休みもなく
障害者団体や事業所名簿などをもとにニーズ調査などを精力的に活動されています。
今回、CILたすけっとからの要請で、障害固有のニーズ(呼吸器の充電池やおむつ、エンシュア、清拭用のシート等の消耗品)にもとづく物資や救援活動で必要なバイク(小平提供)等を運びました。
まだ仙台市内は、スーパーも開店前に行列ができたり、
ガソリンスタンドも給油制限があるなど生活上も支障があるようでした。
ホテルは、館内の損壊や被災者の受け入れに使われていることもあり、宿泊できる場所もなく
職員の方の自宅に泊めていただきました。
翌日は、多賀城や石巻の避難所の様子を見てきました。
多賀城の文化センターが大きな避難所になっていましたが、重度障害者は見つけられませんでした。
(高齢者で車椅子利用の方は1名見かけました)
遊学館という寝たきりの高齢者ばかり150人ぐらい?を集めた避難所にも行って来ました。
医師や看護師が常駐しているものの、広い体育館に布団が敷き詰められ
高齢者がずらっと仕切りも何もなくただ寝ている状況でした。
■4月3日~5日 福島
◎福島市・ILセンター福島
私たちがちょうど伺った時に、南相馬市からの障害者の避難を受け入れされたところでした。
南相馬市には、福祉避難所がなく、ILセンター福島の所有するバリアフリーアパートで受け入れされるそうです。
福島市内は、避難地域には入っていませんが、市内は放射性物資の数値が高く、
子供と母親だけは、地方へ疎開させる判断をする人もいるそうです。
避難をした人に対して中傷する人も出てきており、地域の中でも分断がおき始めているとのこと。
「『福島県の人と結婚すると障害児が生まれる』とか今後、長年の差別と向き合っていくことになるでしょう。
でも私たちは差別に向き合っていくことになれています、福島県民のさだめとして受け止めます」と話される言葉を重く感じました。
◎郡山市・あいえるの会
あいえるの会も被災障害者の救援活動を担っています。
いま、きょうされんからも15人ほどが現地に入り、障害者の安否確認などを行っています。
原発から20キロ圏内の町から集団避難しているビッグパレットにも行って来ました。
1万人くらい?が避難されていましたが、ここでも障害者を見つけることはできませんでした。
通路もないぐらいに敷き詰められた布団とダンボールの環境の中では、
障害者が避難生活を送れるはずもなく、20キロ圏内で障害者が自宅に取り残されているのではないかと思います。
◎南相馬市・市役所・南相馬社会福祉協議会
隣の相馬市には、救援物資はたくさんとどいているそうですが
風評被害で救援物資も入らず、物流も途絶え、週に2回、市からの配給のみ。
市役所に取りに来れない障害者や高齢者の生活がどうなっているのか非常に心配です。
「屋内退避」の指示が出ているにも関わらず、週に2回の市の配給のみが
食料など生活物資を手に入れるチャンスのため、市役所の周りをぐるっと何重にも
市民が長時間並んで配給をうける矛盾が起きているとのこと。
2万人がとどまっているそうですが、全然物資が足りていないようでした。
◎いわき市・いわき自立生活センター
物流もガソリンもだいぶもどり、4月の中旬には水道も復旧するとのこと。
いまは、給水所から毎日水をくみにいっているそうです。
4月17日をめどに戸山サンライズの避難中の方々もいわきに戻られる予定。
◎田村市・福祉のまちづくりの会
田村市も物流やガソリンはだいぶもどっていました。
今週からまちづくりの会も事業を再開されたとのこと。
いま、一部の介助者と障害者が今も新潟で避難生活をされています。
ゆくゆくは、新潟に避難している方も田村に戻ってくる予定だけれど
女性介助者を確保することが難しく、介助応援して欲しいとのこと。
福島のCILの皆さんからは、介助者の中でも自主避難を決めた方がいるため
介助者が不足している状況をお聞きしました。
しかし現在、自前で介助研修をすることが難しく、
介助者の養成をすることができない状況なので
昔の全身性のように、無資格で介助に入れるように規制緩和をしてもらえるように働きかけて欲しいとの要請を受けました。
明日は、被災地支援のNPOと各省庁の連絡会議が開催されますので
被災障害者支援についての支援策や状況を聞いてくる予定です。

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