ヒデの救援レポート4月5日

==ヒデの救援レポート4月5日====================
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
 4月2日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は9969449円になりました。
 未調査。支援した、団体、個人と金額。被災障害者救援本部東京に、500万円。現地救援本部、仙台たすけっとに、500万円。福島現地救援本部、郡山ILに、500万円。現在です。
 当面の救援方針は、東北関東被災障害者救援本部、被災地障害者センター宮城、福島の障害者救援活動。被災現地で障害者救援活動を行う団体。被災地で被害を受けた障害者活動拠点に、救援金をお送りするのが、3例示の原則ですが、もちろん、状況が状況ですから、例外、状況判断の救援もあり得ると考えています。
 4日には、バクバクの会の平本さんから、ゆめ風基金事務所での救援活動参加の申し出。そよ風編集部の井沢さんから、英文翻訳なら参加できますとのこと。障害児の高校進学を考える会の片岡さんからは、事務所での手伝いは無理だけれど、自宅でできることは、やりますとのことで、振り込み用紙のパソコン打ち込みを依頼しました。
 ゆめ風基金会員が東北地方に300名ほどおられ、その方々に安否確認の往復ハガキを出したところ、約50名ほどの方々から、返信がありました。その大半は、多少の被害はあったものの無事でしたとのこと。当たり前ですよね。酷い被災者には、返信も出来ないでしょうから。その中の1通の仙台市のSさんからのものを紹介します。
 当方では、特に今はありません。人工呼吸器使用者への電力供給がなかった。停電時は、その電源確保が大変でした。また、水などのライフラインが止まったことが今回最大の課題でしたが、今は大丈夫です。衣食住ともに、大丈夫です。避難所にいられない障害者の方々が出ています。個別には支援していますが、全体把握はできていません。その方々を含め、自宅在宅でお過ごしの方々が増えていると思いますが、支援は不十分だと思います。
 とありました。
 広島では、バクバクの会副会長の穏土さんや、事業所てごーすのメンバーが、広島市で一番人通りの多い、そごうデパート前の、大通りを挟んだ向かいの場所で、ゆめ風基金のチラシをまきながら、救援カンパ活動を、3日に敢行されました。とても、元気な穏土さんからのメッセージ付で、お知らせメールを頂きました。ありがたいことです。
 ある、大阪府下の自治体消防士の話。そのお連れ合いが、友達に話したこと。
 その友達がボクの友達です。大震災直後、岩手県被災沿岸部に派遣され、安否捜索活動に従事したけれど、高い木の上に、何人もの遺体があり、それを収容するのが、とても辛かった。そんな光景や、遺体安置所の光景は、メディアの映像には、採用されてはいない。
 あの作業は、1週間が限界だ。それ以上は無理。精神的に持ちこたえられない。本当に伝えられないことが多過ぎると憤慨しているとのこと。それにしても、自分たちは、大阪に帰ることが出来るけれど、被災地の人たちは、ずっといるわけだから、その人たちのことを想うと、言葉を失うと。
 
 大震災救援の中のボクの風景。季節がヘンです。いつもの季節には、桃の花の後に、桜が咲くのに、今年は、同時に、花の季節を歌い上げています。季節の変節は、あまりの動転に右往左往するしかない、愚かな人間存在への、自然破壊への報復の歌かもしれません。人として、 自分を認識して、人としてのつながりを創れますように!ボクには、想定外はありません。
 ゆめ風基金が派遣した八幡理事の現地救援活動には、目を見張るものがあります。八幡理事の他に、各団体から派遣された方々から、毎日膨大なレポートが届きます。
 福島レポートに、わらじの会の友人、新野さんから。茨城からは、ゆめ風基金さいたまの吉田さんなどです。いずれも、誠実な長文のレポートなので、少し悠長かもしれませんが、要約を順次お伝えします。どうか、状況に対応しえない、能力の無い河野のことだからと、あきらめて、お読みください。ボクは、能力主義の反対側にいるものですからして。
以上!
 大震災救援の中のボクの風景。桜があちこちに咲き始め、暖かい風が吹き流れる季節の時間になりました。早く被災各地がこの風に覆われるように。困難に立ち向かって、桜を見上げられることを心から願います。
 
 ゆめ風基金が派遣した八幡理事の現地救援活動の報告の要約です。
 3月30日、現地入りしましたが、目を見張るものがあります。前回19日に入った時には、街は、真っ暗で、人通りは、ほとんどなかったけれど、今は、同じところなのかと見違える位の、賑わいで、びっくりしました。ライフラインもかなり復旧していますが、拠点から少し離れた海岸線は、津波のキズ跡がそのままあります。しかし、ガソリン不足は続いています。
 31日、市社会福祉協議会で聞くと、精神障害者の日中活動拠点1ケ所が津波で消失。知的障害者の作業所が1ケ所、地震で全潰だそうです。
 午後からは、地元障害者団体、13団体が集まり、現状報告、意見交換をして、宮城県内被災障害者支援のための、:被災地障がい者センターみやぎ:を立ち上げることを決めました。その中のひとつに、石巻市の避難所になっている、遊学館がひどい状況になっているとの報告もありました。
 4月1日、打ち合わせ。ゆめ風ネット埼玉の吉田さんの友人、新野さんと一緒に石巻市に行くことにする。三陸自動車道は、車で走れるものの、地震のせいでデコボコになっており、制限速度が50キロ。最初の訪問先のしょう心会事務所は、海岸に近く、車がひっくり返り、船が打ち上げられていました。それから、ひたかみ園:知的障害者更生入所施設:を訪問。施設は、建て替え中で、土地が少しだけ高くなっているので、津波からギリギリで被災しなかった。そのおかげで、町民の避難所になっており、40人程のひとたちが避難しており、6人程の、車イス障害者を確認しました。
 19時に拠点に帰り着く。東京のJILのメンバー2人が、救援物資を持って到着。夕食を取りながら、意見交換。東京の杉田さんが合流。新宿よりバスで。
 4月2日、埼玉の吉田さんの友人、本吉さんたち2人が救援物資を持って到着。
9時、毎日新聞の取材を受ける。10時、名古屋わっぱの会からボランティア2人到着。明日からの活動説明。明日以降も、何人かのボランティアが入るので、訪問は中止。資料作りに専念。たすけっとの障害者の井上さんが、県内の福祉サービス事業所に電話入れ。障害者の安否確認。今後、ネットワークに属さない団体、個人の安否やニーズを調べる。
 大阪は、宮城県。東京は、福島県と言う枠組みを取り払い、全体的な取り組みにし 、長期に支援に入れるボランティアを集める。福島県は、原発事故があるので、事情説明の資料を作る。
 4月4日、わっぱの会の2人に、多賀城市などの調査に行ってもらう。大阪から、新たなボランティア松浦さん到着。
 八幡理事の報告の他に、新野さんの報告。茨城県の報告のゆめ風ネット埼玉の吉田さんのものもあります。少し古くなっても、大事なものは、順次流します。
 いずれも、誠実な長文のレポートなので、要約になりますが。
 新野さんの報告の一部。ほとんど寝たきりの障害者、140人程が避難している避難所に出会いました。市、社会福祉協議会、医師、看護師などもいながら、その避難所の運営主体は、誰なのか不明のままです。一般避難所では、難しいひとたちが、ここに集められたらしい。その中に、子どもが4人いたのが不思議な光景で、声をかけてみると、友達に誘われて来たボランティアとのこと。全員裸足で、2週間程続けていると。しかも、中学生1、2年生で、かなり疲れている感じがした。体育館のようなフロアに布団が敷き詰められているのは、他の避難所と同様だが、座位を保てるひとがほとんどおらず、排泄もその場で行っている光景は、他の避難所と明らかに異なっている。子どもたちのボランティア姿が、痛ましく見えて、胸が締め付けられた。
以上!

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