ヒデの救援レポート、012年6月25日:76
以前にもリポートした、5月11日の大阪府大東市主催、ゆめ風基金協賛の憲法週間イベント紙ふうせんライブと牧口代表のトークについて、大東市長からの礼状が郵便ではなく、担当課長がわざわざ持参して届けてくれました。
もちろん、市長が書いたものではなく、秘書課あたりで作成したものであろうことは自明のことですが、持参するというのがなかなかの律儀さではありますまいか。
牧口一二様 大東市長・東坂浩一公印
憲法週間記念のつどいについてお礼
初夏の侯、牧口様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、先日は憲法週間記念のつどいにご出演いただき、ありがとうございました。
おかげさまで、879人の参加があり、大盛況のうちに無事終了することができました。阪神・淡路大震災や東北・関東大震災・大津波・原発事故で、避難所等のバリアフリーが不十分であったことや障害者への支援が後回しになってしまう現状のお話など、障害者が直面している問題がよく分かり、改めて同じ人として私たち一人ひとりにできることは何かを考える良い機会となりました。
参加者のアンケートには、「障害をもった当事者としての立場からの話はよくわかりました」、「障害者の方が生きやすい社会は障害のない人も生きやすい社会であるとつくづく思いました」、「人間は障害の有る無しに関わらず、1人では生きていけない。助け合うつながりというのが大切だと思いました」、などの感想がありました。アンケートで回答のあったものの一部を同封いたしますので、ご査収ください。
最後になりましたが牧口様、特定非営利活動法人ゆめ風基金関係者の皆様の今後益々のご活躍を祈念いたします。
略儀ながら、書面にて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
みんなの笑顔がこぼれる社会とは、アンケート集約
○私も、精神障害者ですが、人に頼って良いんだと思うと心が楽になりました。紙ふうせん大好きです。次回も来たいです。
○普段自分が気づかないような話が聞けた。第二部はハーモニーがとても良かった。
○障害者は特に人権を尊重されなければならないにもかかわらず、差別等で肩身の狭い思いをしている。私は、何ができるだろうか。
○障害者から見た視点が語られて、そうした考えや、やり方が有るのかと思った。
○違う視点で、障害者問題を考えさせられました。コンサートは懐かしい曲ばかりで良かったです。竹田の子守歌の意味を知り歌の深さを改めて知りました。
○障害をもっている人の話、めったに聞けない本音が聞けた。
○日常生活の行動に対し反省した。
○障害のある人も元気で明るく、また支える人のあたたかさ、暗さがなく、楽しい元気な催しでした。来て良かった。
○障害をもった人たちの自立を超えた心に感心した。これまで、気の毒だと思うのみだった自分が恥ずかしく思えた。コンサート等々応援されていることにも再認識を持った。
○障害者の人達の見方を変え、自立できる様に協力すべきだと教わった。
○障害をもった当事者としての立場からの話はよくわかりました。障害者の方が生きやすい社会は障害のない人も生きやすい社会であるとつくづく思いました。
○障害者自身の方のお話で今まで思っていなかったことを聞けて良かった。コンサートは素晴らしい歌声で感動しました。
○できないことは助けてもらえばいい、助けてもらったら助ければいい。人間関係がうまく行くと思う。牧口さんの言葉が心に残りました。
○牧口さんのお話はとても身近な言葉で、分かりやすく普段あまり接することのない障害者のかたの日常がまだまだ大変なのだと感じました。でも心に残ったのは、人間は障害の有る無しに関わらず、1人では生きていけない。助け合うつながりというのが大切だと思いました。
○障害と人権のこと、とてもわかりやすく素晴らしいコンサートであたたかい気持ちになりました。
○今日は良いお話が聞けて良かったです。障害者の自立人間みんなそういう考えで暮らせる社会づくりが大切ですね。どうすればいいのだろう。まずはみんなで考えることが大事ですね。できることを探します。今日コンサートを聞きに来てお話を聞けたおかげです。ありがとうございました。
○トークでは、障害者のお気持ちがより多くわかり、1人の人間として共に歩んで行きたいと思いました。紙ふうせんのコンサートは初めてでしたがハーモニーがとっても素敵でした。
○人権についてあらためて考えさせられました平和な日々を過ごすには、他者への思いやりの大切さを感じます。
○牧口さんのお話、重度障害者の方こそ真の自立をしているという話に胸打たれました。紙ふうせん唄声がいいですね。初めて聞きました。ファンになりました。
○勇気を出して本当のことを話して下さったから。
○人を思う心があったコンサートでした。
○牧口さんの今までのご苦労を少しだけでも感じることができました。唄に感動し泪が出ました。又、リズムにのって楽しかったです。
○牧口一二さんより人が助け合うことは豊かになれることを教えられました。
○話し方が良かった。神戸に親が居たので震災の時のことを思い出した。
○障害者から見た世の中を聞けたこと。
○私も福祉センターでボランティアをしています。人々が手をつないで頑張って行きたいと思います。
○世の中から、笑顔がこぼれる世の中になってほしいと末永く思っています。
○応援歌とっても良い歌です。テレビ等でも歌ってもらって全国民が覚えられる様にして下さい。
○障害者の心、親子さんの心、1人の人間として見てほしい。みんな助け合いながら生活しているということを忘れてはいけない。
○小学生の頃から授業で自分がそう言われたら、そうされたら、と相手を思って行動に移せるそう言う心を育てて欲しい。大人も言葉使いに気をつける笑顔ある大東市を作って欲しい。
○障害者の人達の人権理解を深めたいと思いますが、手を差し伸べる勇気もなく、気分を害されたらどうしょうとか自分勝手な思いをしていました。無の気持ちでお話しょうと思いました。
○障害認定を受けることができない程度のハンディの者は収入も得られず、生きることが難しい。そういう者のことに心を寄せて欲しい。
○支え合って生きていける社会の実現へ運動を。格差を解消する為みんなで力を合わせよう。
○人権は大事ですね。ついつい忘れがちです。良い話を聞かせてもらいました。コンサートも良かった。
○日々感謝の気持ちでみんなの笑顔がこぼれる社会を目指して行きたい。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた基金総額、288046817円(012年2月29日現在)。
東日本大震災救援金額は、5月13日までに、230876514円です。
これまでに支援した団体、個人への金額。東北関連、5月2日までに、129999050円です
その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
社会福祉法人ネット・久米川共同作業所
○連絡TEL、042-396-5649 FAX042-396-5731
○機関誌・久米川共同作業所だより・第36号からの抜粋
…震災から一年…日本人…職員A・Mさん
○東日本大震災から一年が過ぎました。信じられませんが、本当なんですね。月日がたつのは早いです。今回の事で、全世界から注目された日本。自分は、同じ日本に住んでいますが、何もできていません。海外の人達が日本人は冷静でおちついているとコメントしていましたが、当日の私は、とても落ち着いている…とは言えない状態でした。避難訓練もやっていたけど、やっぱりできませんでした。現地の人達は、どれ程の恐怖だったのか…。考えただけで、鳥肌が立つくらいです。今回の事をきっかけに、私も日本人として、冷静で落ち着いた行動ができるようになりたいです。それと、今回の事を、絶対忘れない。そして、あきらめない。今、日本が一つになる時だと思います。まずは、自分が独りから一つになれるようね……がんばります。
hideからの余計な一言。純情な心の吐露ですねぇ…。でも、被災したのは、日本人だけじゃありません。そして、日本人と定義する根拠は、なんでしょうね?以上。
各地からの声 12月~2月
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
各地からの声 12月~2月
◆貸したお金が返ってきた分です。そのまま生活費に使う気がしなくて・・(長崎県佐世保市)◆元旦からケータイがトイレに流れ、アメリカでピストルでうたれそうになり、2階の階段から落ちて大ケガしました(千葉県市川市)◆信頼しております。どうぞ上手に使ってください(東京都荒川区)◆ネットオークションで不要CDを売った分に加算しました(北海道河東郡)◆誰もが分けられず地域で生き続ける為に!(東京都江戸川区)◆資金が最も有効に使われていると感じさせてくれる団体です!(千葉県松戸市)◆振込用紙を同封してくださると次につながります。押しつけでないのでマイペースで送金できます(さいたま市)◆鈴木絹江さんのリレーエッセイを読ませていただき、原発への怒り、恐怖、悲しみに同じ思いです(横浜市泉区)◆夫は原因不明の間質性肺炎を患い、発病から16年、54歳でこの世を去りました。生前、特別支援学校に勤務した経験があり、障害者の方々には事務長先生と呼ばれ慕われていたとききました。葬儀の際に皆さまからいただいたお香典を難病対策と障害者支援のために使っていただきたく、そのような団体をさがしていたところ、ゆめ風基金が障害者に直接届く活動をなさっているのを知り、募金させていただくことにいたしました(兵庫県西宮市)◆「ひととしての荷物」・・・あまり大きな荷物は持てないけれど、持ち続けることを忘れないようにしたい(さいたま市)◆息子に冬のボーナスが出ました。彼が3.11以降も変わりなく作業所に通え、ボーナスまでもいただけている環境に感謝し、その気持ちを息子とふたりして送ります(川崎市幸区)◆職場でミニミニバザーをして、ゆめ風基金の活動も紹介しました(石川県金沢市)◆また送金しますのでどんどん使ってくださいね(長崎県諫早市)◆人間の無力さと可能性を同時に感じた一年でした(仙台市青葉区)◆平成23年に届いた風だよりを振り返ってみました。情報がいり乱れる中でゆめ風だけは100%信じられます(静岡市葵区)◆東北⇔関西ポジティブ生活文化祭に妻と子供たちと一緒に参加しました。未来への希望の光が一筋見えたようなすばらしい祭でした(奈良市)◆私自身も難しい病気のため収入がなく、ささやかで心苦しいのですが送らせていただきます(東京都品川区)◆政治家のドタバタに溜息が出るばかり。小さな集団がひとつひとつ積み上げて、そのエネルギー、素晴らしい(島根県松江市)◆ほんの少しです。息子が病気でお金がかかります。でも前を向いてみなさんと一緒に!(東京都足立区)◆まだまだ優しい心の人がたくさんおられる事を嬉しく思っています(京都市西京区)◆風だよりで貴重な情報をいただきありがとうございます。「自分で考えて答えを探そう」の姿勢に共感!(東京都多摩市)◆細く長く、伴走者として生きたいです。「一度の人生笑って生きるゾ!!」(東京都日野市)◆今の便利すぎる生活をおかしいと思い、訴えつづけていきたいです。少々の不便を楽しみたいです(長野県佐久市)◆入金状況を報告いただき、誠実な運営ぶりがうかがえ信頼できます(山口県宇部市)◆少しでも助けになりますように。私も周囲の情けや思いやりに助けられています(岡山県倉敷市)◆昨年亡くなった母が、障害を持つ兄のために遺してくれた預金の中から寄付させてもらいます。少しでも被災地の方の役に立てば、母も喜ぶと思います(さいたま市)◆今回は小6の娘が自分の貯金の中から寄付してくれました(川崎市高津区)◆TBSラジオからたった一回流されたゆめ風基金のことが、私を強く動かしてくれ迷うことなく協力の形をとることが出来ました(東京都府中市)◆毎週金曜日の夕食は「おにぎりの日」と決め、1000円を貯金してためました(熊本県玉名郡)◆先日うちの鍼灸院で小さなバザーをひらき、被災地の支援にとご協力いただいた収益金です!(大阪市中央区)◆明るい春の陽ざしは、人の心をやさしく温めてくれるでしょう。私も募金をしてHOTな気持をお届けします(栃木県那須烏山市)◆「忘れない」ということが大切です。忘れません(大阪府豊中市)◆被災地の救援センターなどの活動費が1000万円/月、かかることを知り、じゃあまた入金しなくちゃと思った次第です(愛知県愛知郡)
2012.3.11 レポート郡山
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
2012.3.11 レポート郡山
3月10日、郡山市内でシンポジウム「障がいを持つ人の東日本大震災」~その時何が起きたのか~が開催された。冒頭、3.11から1ヶ月間の地元紙一面記事が映され連日の驚愕ニュース、炉心溶融、放射能漏れ、制御不能、大量被ばくなどの活字が踊り、起きたことの重大さが改めて胸に迫った。作業員の足が放射能汚染水に浸かった事故を報じる記事に、あの方々は今どうしておられるのだろうと思わざるを得なかった。
シンポジウムでは、ALS協会の方から、震災直後の緊迫した様子が報告された。
ガソリンがなく、ヘルパー、訪問看護も途絶え、病院に電話しても自分でなんとかしてと言われ、必要な医療品が底をつき途方にくれていたが、偶然通りかかった看護師に助けられ、なんとか乗り切ったとの報告。医療ケアの必要な人は、とにかく自力で3日間乗り切ることを日頃から考えておくことと話された。
4日目からはなんとか支援が届くからと。すなわち3日間は支援がないということだ。南相馬の障害者拠点ぴーなっつの青田さんも話された「無支援の恐怖」、役所も消防署も病院も警察も自衛隊も助けにこなかった。非常時には支援がないことを覚悟しないといけない。そんな「先進国」がほかにあるのか。なんのために税金を払っているのか私たち国民は。
続いて原発事故で東京に一時集団避難した自立生活センターの報告、低線量長期被曝の危険から生命を守る相談活動の報告がなされた。線量の高い地域でも子どもを含め多数がとどまらざるをえない現実、教育委員会や自治体、県は「国が安全と言うのだから安全だ」という姿勢で避難支援に難色を示し、「危険だ」と発言しにくい空気がつくられていくなど、驚きの実態が明らかにされ、出口の見えないトンネルにいるような中、「ひたすら我慢するオールド福島人から脱却するぞ」の発言に賛同の拍手がわき起こった。
翌3月11日は市内の野球場で市民2万人が参加して原発の停止を訴える集会が開催され、被災者の報告に続いて大江健三郎さんが「今こそ倫理の力で国を動かそう。原発を停止させよう、ドイツはできたではないか」と訴えた。集会後デモがあり、通りに「怒」「原発はいらない」ののぼり旗が翻った。当地では初の規模だとか。通りの線量計の一つは国の「除染支援対象値」を超える毎時0.4マイクロシーベルトを示していた。
「福島は復興のふの字も、希望のきの字も見えない闇の中におります。何をどうすればこの闇がはれるのか?教えてください」(障害者自立生活センターの声)
国民のいのちと生活と人権を守り抜くのが政治、行政の一番の仕事ではないか。人として、被災者、国民の悲鳴をしっかり受けとめてほしい。
ゆめ風基金事務局 橘高千秋
2012.3.11 レポート仙台
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
2012.3.11 レポート仙台
あの日あのときあれから1年、3月11日、神戸のソングスタァ加納さんほか関西人数名とともに、仙台で、被災地障がい者センター宮城の活動報告会「ありがとう そして、これから」に参加してきました。
今回、3度目の宮城訪問、すっかり顔なじみというわけで、2日前から石巻の事務所にお邪魔して、石森、阿部両氏ともしっかり交流することも出来ました。
この間、被災地支援のさまざまな活動に参加して思うのは、被災地のことに関わる、あるいは語り合うことによってむしろ、自分たち関西の仲間たちの想いがつながって深まっているのじゃないだろうかということ。そんなことを考えつつ報告会に参加していて、不覚にも目頭が熱くなってしまったのであったんだ。
きっと色んなところにそんな想いがあるんじゃないかしら。そんな想いがつながるよう「ありがとう。そして、これから」と、その言葉を仙台の皆さんにおかえししたい。支援から友情へ、またいくぜ。
豊能障害者労働センター 石原礼
2012.3.11 レポート宮古
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
2012.3.11 レポート宮古
3月10日、被災地障がい者センター宮古に行ってきました。センター宮古では月1回、地元の人たちを招いて交流会を開いており、今回は少し大きな催しとなりました。大阪市生野の保育園から贈られた子どもたちの元気な絵が天井いっぱいに飾り付けられました。
交流会では被災した時のこと、この一年間の現状などが話し合われました。
そのあとはゆめ風呼びかけ人加納浩美さんのライブがあり、おおいに盛り上がりました。中でも一番印象に残ったのは被災した車いすの女性の一言です。「笑顔、笑顔。せっかく生きてるんだから」。そういって周りのみんなを和ませていた彼女でしたが、ライブのあと、眼には涙があふれていました。
ゆめ風基金事務局 南純子
2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第二組
2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第二組
(2012年6月11日~18日)
鍛治 克哉
脇 英二郎
私たちは6月11日~18日まで盛岡、宮古の周辺で活動してきました。
主な活動内容としては、「みちのくTRY」に参加してくれる、健常者ボランティア、障がい当事者を探す事や、その参加してもらう為の呼びかけや宣伝の仕方などを現地のスタッフに伝えることなどをしてきました。
6月11日(月)
・「みちのくTRY会議」 場所;CIL盛岡
出席:八幡、川畑、川口、広瀬、山下、岡村(ゆうのゆう)、鍛治、脇(メインストリーム協会)
この日の会議ではTRYのおおまかな内容はきまってきているようで細かいことを決めて行きました。コース一日ごとを細かくチェックすることや(トイレや危険箇所など)役割分担などを決めました。僕らメインストリーム協会の役割は様々な場所(大学、短大、専門学校、作業所、社協、支援学校)を周り、参加者を集う事に決まりました。
それらを踏まえて会議後は明日周る大学などをピックアップして予定をたてました。
予定;盛岡大学、岩手大学、岩手県立大学
6月12日(火)
・学校周り 場所;盛岡
この日は学校周りに重点を置きました、最初に行った大学は盛岡大学でアポイント無しで行きました。学生部の次長さんが対応してくれました。突然行ったにもかかわらずこちら側の話をゆっくりと聞いてくださり、学生部の方から生徒さんに周知してくれるとか卒業生の障がい当事者に連絡してくれるなどをしてくれるといってくれました。
次に岩手大学に行きました。この大学には被災地センターとつながりがある方がおられてその方にアポイントをとって伺いました。話をゆっくり聞いてくださり、学校内の3つあるボランティアサークルにビラをまわしてくれたり話をしてくれるとの事でした。
その次は岩手県立大学に行きました。この大学にはボランティアセンターがありそこにアポイントを取り伺いました。ここの大学のボランティアセンターは学生自身が運営しておりとても活気にあふれていました。話も聞いてくれてかなり興味をもってくれたのですが、ここのセンター自体が夏に700人規模で岩手の沿岸部にボランティアの学生を派遣するプロジェクトがあるようでTRYの日程とかぶっていて全日程の参加は難しいとの事だったんですが空いている日程で数日でも参加できる日を調整するようにしてくれるということでした。
この日はそこから宮古市のほうへ移動しました。
岩手県立大学でボランティアサークルの代表の方にTRYについて説明している様子。
最後に記念撮影。とても熱心に話を聞いていただきました。文中にも触れましたが、TRYの日程と学生たちのスケジュールが合わずに残念ですが、一人でも参加してくれると嬉しいです。
6月13日(水)
・作業所、社会福祉協議会(以下、社協)周り 場所;宮古市(山田町)
この日は山田町の社協に伺うとのことなので、その前に作業所を周ることになりました。
山田共生作業所さんに伺いました。TRY参加の宣伝を職員のかたにして参加者を集うとともに、TRYで山田町を通る際にふれあうイベントなどの協力をお願いしてきました。
そのあと山田町の社協に伺いました。事務局の次長さんが対応してくれて山田町の知り合いの当事者や施設などに周知してくれるとのことでした。
その後は被災地障害者センターの送迎の仕事で栗津さんを自宅まで送迎しました。 栗津さんは去年、当事者派遣プロジェクトで宮古市に来た時もお会いしており、変わらずお元気そうで、TRYにも数日間、参加してくれるようでした。
6月14日(木)
・宮古看護大学訪問 場所;宮古市
この日は宮古看護大学に行きました。学院長のかたが対応してくれました。話をゆっくりと聞いてくださり生徒のみなさん全員に周知してくれるとともに生徒さんの前でじかに話をさせてもらう日をまた後日くださるとのことでした。それと障害をもった子のお母さんの知り合いが多くいるとの事で、そこにも宣伝してくれるとの事でした。この日は宮古の被災地障害者センターの現地スタッフの黒柳さんが同行してくれたのですが気付いた事がありました。やはり現地の方がいたほうが私たち他府県の者よりもTRYの話の入りがスムーズになり警戒心が薄れるのも早く感じたので次週から来るメンバーにも現地のスタッフと同行したほうがいいことを伝えました。
6月15日(金)
・被災地障害者センター大船渡訪問 場所;大船渡
この日は大船渡に住んでおられる当事者のかたと被災地障害者センター大船渡で会えるアポイントがとれたので大船渡にいきました。
この当事者のかたは被災しており、今は仮設に住んでいます。TRYの話を聞いてもらい全日程での参加は仕事をもっておられて難しいとのことでしたが、大船渡近辺での何日間かの参加は都合があえばするとのことでした。 あと働いている作業所のほうにも宣伝してくださるとのことでした。
大船渡からの帰りに復興屋台村がプレハブで出来ておりバリアフリーチェックもかねていきました。19時くらいに行ったのでその時間帯は仕事帰りのかたのお酒の場として盛り上がっていましたがランチの時間帯から営業しているようで中央に大勢で食事をとれるスペースもありTRYの昼ご飯の時に是非つかってほしいです。
大船渡被災地障害者センターにて
6月16日(土)
・募金の看板作りなど 場所;被災地障害者センター宮古
この日は土曜日ということもあり大学、作業所などが休みということなので宮古の事務所で募金の看板作りなどをしました。大阪の「ゆうのゆう」からボランティアで来ている岡村君と現地のセンターのかたと一緒にTRYの話とか障害者運動とかメインストリームの活動の話とかで交流しながら募金の看板作りをしました。
仕上がったTRYの看板。キャラクターにはマンボウを添えました。
6月17日(日) 場所;被災地障害者センター宮古
・一日OFF
6月18日(月) 場所;CIL盛岡
・TRY会議、 取材、次メンバー(茂上、林)に引継ぎ
この日は朝に宮古のセンターを後にして盛岡のCIL盛岡に向かいました。
次メンバーに一週間の報告と引継ぎをして、TRY会議に毎日新聞の記者のかたが取材にきていたので取材を受けてCIL盛岡から花巻空港にむけて帰途につきました。
一週間を終えて
昨年私たちが当事者派遣プロジェクトで宮古におとずれて事務所の物件探しでみつけた物件が今現在、被災地障害者センター宮古として活動していて嬉しく思いました、また今年行われる「みちのくTRY」をとおして一人でも多くの障がい当事者の人が「街に出て行ける」ということを、認識してもらえるようなイベントになればと願っています。今後も微力ながら岩手県の障害者福祉の発展に貢献できればと願っています。
鍛治克哉 脇 英二朗
被災障害者発! No.2 200字メッセージ
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
被災障害者発! No.2
「一番つらい時に来てくださった事、忘れません」
山元町社会福祉協議会 工房地球村 田口ひろみ
私は震災を経験して、人と人との繋がり「絆」を強く感じました。「障害者どころじゃない」というのがその頃の上司の指示。自分の考えが正しいのかさえ見えなくなっていた一番つらかった時、全国からの助けに、私は前に進む勇気を頂きました。被災地となっても、障がいのある方々が、これまで以上安心して生活していけるよう、柔軟な支援が必要と痛感します。この度のご縁でご指導頂いた事を忘れずに今後の職務に取り組んでいく所存です。これからもよろしくお願いします。
「決して一人ではない」 仙台 フリースペースソレイユ 菅井
昨年、発生した東日本大震災は、誰もが予想もできない未曾有の大災害をもたらしました。この経験を通し私たちは、決して一人ではないこと、そして人の心の温かさを知りました。 あれから一年が経過し、心を一つにして復興に向けて、動き始めています。
全国からたくさんの皆様からご支援をいただき、私たちの施設は新しく生まれ変わります。そして、新たな仲間も迎え、より一層元気に楽しく活動していきたいと思います。
「当事者が切り拓いていく」 仙台 みどり会 今野真理子
現在は拠点を持ち再建の道半ばにおります。利用者と共に一から作り上げ、以前よりも更に信頼関係が強くなりました。当事者は震災時生きるしなやかな強さを見せてくれました。「生きているだけで丸もうけ」と視点が変わり自身の人生と丁寧に向き合うようになりました。症状の改善にも繋がり生活環境や発想の転換で大分好転する処を目にしました。皆さんは切り拓いていく力をお持ちです。その力を全国の仲間たちの心に留めて欲しいです。
「海に生きる町づくり」 被災地障がい者センター宮古 杉田美由紀
2011年3月11日の次の日より夫と私は叔父家族の捜索活動を開始した・・。
叔父家族は妻と40代の障がいを持った息子と3人で暮らしていました。息子が障がい者ということから奥さんは周囲の目を気にしてほとんど外へ出なかった。そして大津波のあったあの日も外へ出ることなく真っ黒な津波の渦の中へ飲み込まれてしまいました。私は4月より被災地障がい者センタースタッフとして働いています。今回の経験を胸に被災地の障害者の方のために地域コミュニティづくりや安心して住める町づくりに力を注いでいきたいたいと思っています。
「当事者の力で乗り越えられる」 相馬 ひまわりの家 山下剛
東日本大震災を経験して、私たちが皆さんにお伝えしたいことは、その人の人格を尊重して自分のことは自分で決められる環境が身近に整っていれば、地域社会で生活をしていくことは可能であるということです。今回の震災により、精神科医療は崩壊し危機的な状況に陥りながらも、この震災を乗り越えられたのは、当事者たちが持っている力(エンパワメント)のおかげだと実感しています。私たちが考えている以上に力を持っているということなのです。全国の支援者の皆さん、当事者の力を信じていろいろ挑戦をさせてあげてはいかがですか。
被災障害者発!NO.1 200字メッセージ
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
被災障害者発! No.1
「人はもしかして」 大船渡 さんりく・こすもす 里見節子
明日が見えなかったあの日。ここに住み暮らす人全てが、失う筈のないものを一瞬で失ってしまった震災でした。しかしその後、出会う筈のなかった多くの人に出会い、たくさんの愛をいただきました。何より気付かされた事は、人には弱い強いの区別はない事。人はもしかしてどんなことも乗越えていけるのではないかという確信でした。障害のある皆さんにむしろ支えられながら、この与えられた時を過ごしていきたいと思っています。ご支援に感謝いたします。
「共に助けあって」 仙台 心のネットワークみやぎ 佐川美紀
心のネットワークみやぎと宮城精神しょうがい者団体連絡会議の仲間達は、この生きづらい世の中、精神を病む仲間と助け合って生きてきました。そうした私達の生きざまより、震災で心がなえている方のお力になれる面があると考え、心のピアサポート相談電話を始めました。このような非常事態には、健常者も障害者もないと思います。お互い心が壊れそうな時こそ、絆を思い起こすべきです。全国の皆さん、震災で繋がった心を忘れないでください。
「どんな逆境においても」 宮古 ワークハウスアトリエsun 刈屋 百恵
震災で津波1mの浸水を受けました。利用者、職員の多くが家や車をなくした中、職場の片付けに追われました。当時はどこから手をつけていいのか全く分からない状態でしたか、日本全国から支援をいただき、なんとか授産活動を継続してきました。現在は仮店舗で活動を続けています。今回の震災で、どんな逆境においても人々の支え合いで困難は乗り越えられると感じました。今後は地域の人と交流できる場づくりを目指して地域の復興に役立っていきたいです。
「普通の日々」 田野畑村 ハックの家 竹下 敦子
2012年3月11日、私は息子とゆっくり遊んだり家事をしたり、本当に普通の1日を過ごしました。普通がこんなにも愛おしいと思った日はありませんでした。ハックの家に通ってくる障害を持った方々にも何をしたのか聞くと、「買物に行った」など多くが普通の1日でした。本当の意味で全ての方が「いつもの日常」を送れるように、皆様にご協力いただくことも多々あるかと思いますが、私達なりに頑張って行きたいと思います。
「温かい人の繋がりが生きているところ」
被災地障がい者センター宮城県北 太齋京子(南三陸)
震災直後は、荒野を目の前にして今を生きるのに精一杯でした。しかしその後学校が再開し、仮設住宅や仮設商店街もでき、被災地にはゆっくりと日常が戻ってきています。
全国の方々からたくさんご支援をいただき、絆に感謝すると同時に、この地域はそういった温かい人の繋がりが生きているところだったと、改めて良さも感じています。まだまだ復旧には程遠い現状ですが、先には前より輝いた未来があると信じて、進んで行きたいと思います。
「笑顔が戻ってきました」 浪江町~二本松 アクセスホームさくら 渋谷久美子
原発事故により利用者・職員共にバラバラになり、私達が生きがいを感じて働ける場所は、なくなってしまうと思いました。しかし様々な方々のご支援や、何より利用者・職員の「また皆と仕事がしたい」という強い気持ちにより、避難場所で再開することが出来ました。まだまだ心配事はありますが、今は以前のように利用者さんの笑い声が事業所に戻ってきています。人の強い想いと支え合いが、今のさくらを支え、前進させてくれています。
ヒデの救援レポート、012年6月18日
ヒデの救援レポート、012年6月18日:75
神坂さんの任官拒否を考える市民の会ハガキ通信から、講演会のお知らせ!!
連絡先、TEL・06-6366-5253
FAX・06-6366-5255
参加費500円
内から見た裁判所、外から見た裁判所、原発訴訟に関わって
講演・井戸謙一さん弁護士、元裁判官
7月1日(日)午後1時30分より
エルおおさか
(大阪地下鉄、京阪、天満橋駅下車すぐ)
今回講演いただくのは、昨年3月に起きた福島第1原発の事故をまるで予測したかのように6年前、北陸電力志賀原発訴訟において、差し止めを認める住民側勝訴の判決を言い渡した井戸謙一さんです。
井戸さんは、昨年から弁護士として活動し、福島県で放射能の危険から子どもたちを守ろうと住民が起こしたふくしま集団疎開裁判の弁護団として活動されています。井戸さんはこの間、原発訴訟にかかわって裁判所官の現状追認、国策追認の姿勢をきびしく指摘してこられました。
今回原発訴訟を裁判所の内からと外から関わってきたことを踏まえて、ご自身が感じてこられた裁判所の内と外を存分に語っていただき、市民の会として改めて、裁判所、最高裁の本丸に迫る足がかりとしたいと思います。
多くのご参加をお待ちしています。
これまでの救援活動費総額は、178,547,749円(2012年6月7日現在)。これまでに支援した団体、個人への金額は東北へ130,209,050円(2012年6月7日現在)、台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円、フィリピン大洪水10000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043 ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のhideの風景
NPO法人、ちくほう共学舎虫の家機関誌虫の家だより98号から
連絡先、TEL・FAX、09496-2-6003
最近の出来事と思うこと・M・O
東北大震災が起きて直ぐ、私に出来ることは何かと考え、とりあえず義援金を送ることにしました。その後も何か出来ることはないかと考えていたところ、津波で流され汚れた写真を水で洗い、綺麗にして被災地に送り届けるボランティアのことをニュースで知りました。しかし、すでに募集定員が一杯で断念しました。
それからしばらくして、虫の家の会員でもあるMさんから、あるボランティアの依頼があり、これなら私にも出来るかもしれないと、快く了承しました。
その内容は、原発事故により、放射能の影響を不安視する家族の飯塚市への移住サポートです。サポートと言っても、定住場所を決定するまでの4日間、私の家の空き部屋を活用してもらうだけですが。
ふとしたきっかけで、母親の話を聞く機会があり、不安・困惑・家族間の問題、様々な悩みがあることを知りました。福島原発から遠く離れた地に住む私には計り知れない、切羽詰まった状況が感じ取れました。
特に子どもの将来についての切実な悩みを聞かされ、私自身、違った角度から、原発問題をあらためて考えさせられました。なお、余談になりますが、他人と生活するということは戸惑いや驚くことも多々ありますが、いろんな意味で大変貴重な経験をさせていただきました。
ところでみなさんは、震災当初「絆」という言葉をあきれるほど聞かれたと思います。その絆という言葉を嘘っぽくしたのが、瓦礫処理問題だと思います。京都の大文字焼きで、岩手県陸前高田の津波で倒れた松を使おうとしたら、放射能汚染を心配する一部の地元民から反対があり、使用を中止。千葉の成田山護摩焚きで、同じ岩手県陸前高田の松を使おうとしたら、やはり、一部の市民から抗議の電話があり、使用を中止。その他にも瓦礫受け入れを表明した自治体に、脅迫電話や、抗議メールが届いたというニュースは後を絶ちません。そんな中、東京都の石原知事は、反対のメールや反対意見に対し、だまれと一喝、受け入れを貫きました。
この問題は、日本人特有の本音と建て前文化が、放射能という目に見えないものの恐怖に対し、悪しき形で吐き出したような気がします。ニュースなどのインタビューでは「やはり、瓦礫は各自治体で受け入れた方が良いと思います」と言い。しかし、実際に自分の地域に、瓦礫処理問題が持ち上がると、目くじら立てて反対する。
先日、北九州議会が瓦礫を受け入れるよう市に求める決議案を全会一致で可決しました。その議会決議のニュース映像に、傍聴席で過激に抗議する市民の映像が映し出されていましたが……。福岡県内の各自治体でも瓦礫受け入れを検討しているようですが、あなたの住む市町村が、瓦礫受け入れを表明したら、あなたならどうしますか。
救援連絡センター第8回定期総会・記念講演
「福島を切り捨ててはならない」からの抜粋。
講師・山田真さん(小児科医師・障害児を普通学校へ全国連絡会・役員)
放射能を感じることが重要
今この会場の線量は0・06マイクロシーベルト。放射能はその存在を忘れてしまいがちだが、私たちのまわりにはいっぱいある。忘れてしまうと国や東電の責任を免罪してしまう。私は線量をいつも計るようにしている。
私の持っている測定器は10万円ほどの機械。高価だから個人で持つのは大変かもしれないが、グループで持って測って放射能を実感したほうがいい。
放射能について国はいいかげんな計測しかしていない。東京都は新宿で測っている値を発表しているが、このところ0・05マイクロシーベルトくらいになっている。しかし江東区は0・15~20マイクロシーベルトくらいある。
国民は正確な情報を知らされていないので、嘘になれてしまっている。福島はあきらめたという状態になっている。国・県・専門家、誰も信用できないから要求もしない。自分たちだけで守っているので限界があるが、国や県に要求するとろくなものが返ってこない。
このごろ福島に行くとそれでいいのかと思い、切ない気持ちになる。
福島の子どもたちの現状
福島の現状は、被害を訴えているにもかかわらず、見捨てられようとしていることが明らかになってきた、ということだ。私は、昨年6月にはじめて福島に行き、その後10回くらい行った。福島の子どもたちの健康相談会をやっているが、実際には子どもたちのからだに大きな変化は今のところ起きていない。だが今起きていないというのが実は怖いことで、10年、20年たって起きても何の補償も出ない可能性がある。広島よりもひどい状態が起きるのではないか。相談会でも親御さんはそれを心配している。
多いときには10人くらいの医者が集まって相談会を担当するが、1人1時間くらいひたすら聞く。そして、私たち医者ができることは多くない。大丈夫だと言うわけにもいかないし、こんなふうに危険だとも言えない。一緒に続けて闘おう、子ども達をきちっと見続けようとしか言えない。
最初のころは避難しようかどうかという相談が主だった。そして、避難できる人たちは福島を離れた。自主避難する人を非難する人がいるが、それはおかしい。避難する人たちは基本的に正しい。ところでぼくの自宅へ昨日までモンゴルの人たち5人ほど来客があった。モンゴルの人達が日本に観光でやってくるのは危険かと聞かれて私は答えることができなかった。どうしても返事しろ、東京は安全かと聞かれたら、小さい子はこないほうがいいとしか言えない。
集団訴訟を起こし、福島を切り捨てない。これから何をするかだが、非常に大きな問題が沢山あって、とにかく早い内に集団訴訟を起こすことが必要だと思う。今は10何人の訴訟が行われているが、もっと大きな訴訟にする。東京など被災地だと思っている人達を集めて大きな訴訟にしていかないと、風化し新聞社も関心を失っている状態になっていく。
とくに今年になってから、避難という言葉もあまり使われなくなり、かわりに保養をすすめようということになってきた。これまで、子どもたちを一週間、10日と疎開させるということをやっていたが、その程度のことでは間に合わない。子どもたちの体の中からセシウムを出すために、北海道と福島の学校が提携し、一年生が北海道の学校に通って1ケ月したら帰ってきて、その後2年生が行くとか、長期の月単位の保養をしていこうという話になっている。それは、国が何もしない、補償の見通しもない。生活を立て直してくれるという方向性も見えないなかで、悲しい選択だと思う。
私たちは、沖縄を切り捨て、広島を切り捨て、長崎を切り捨ててきた。そして何もなかったかのように復興してきた。福島についても、福島を切り捨てた上で、復興しようという姿勢が国に見えている。その中で切り捨てられまいとして、福島があがいているというのが今の状態だと思う。福島の問題は福島だけの問題ではない。私たちは、沖縄、広島、長崎、第五福竜丸を切り捨ててきたという歴史を今こそ断ち切らなくてはならない。
リレー・エッセイ 災害と障害者 第三十八回
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
リレー・エッセイ 災害と障害者 第三十八回
【気仙沼 ケアホームめぐみ からの便り】
菅原満子
初めて投稿させていただきます。
ケアホームめぐみの入居者さんの中にはゆめ風さんを「私のあしながおじさん」と呼び、自らお礼の葉書を出している方もおられます。ホーム再建もすでに工事が始まっており、ゆめ風さんがどれだけ私たちの働きに貢献されているかを、入居者さんの言葉で優しく伝わればいいなと祈っていました。
震災でこちらはまだ混乱の中にあり、瓦礫は片付いてもこれからどうして行けばいいか・・?という模索の中で、悩み、時には諦め落胆に陥り、法律や制度も改正や措置の延長などの変化があまりにも多すぎて、誰もが忙しさの中、順応すら出来ずにいます。
自分のことで精いっぱい、他のことが考えられなくなり悲しくなる日もあります。皆どこに働きかけ、何を助けてもらえばいいのかも分からない渦中に誰もが置かれ、不安や孤独と戦っています。
それでも、とりあえず無我夢中で精一杯やっていると誰かが認めてくれて、助けてくれる。それがどんなに嬉しいことか、何気ない事を感謝され「ありがとう」の一言がどんなに明日の力になるかを気付かされた一年でもありました。ゆめ風さんとの出会いも私の中で、その事を教えてくれた一つの出会いでした。
私は縁があって平成二十年にケアホームめぐみ創設に携わり、三年目に第二ケアホーム増設直前で震災の被害にあいました。
気仙沼でも南三陸町に近いこの本吉という地域には、障害者のグループホームやケアホーム・障害児の利用できる施設はほとんどありませんでした。
この地域の障害者は在宅が困難で余儀なく入院、もしくは入所施設で暮らしていましたが、このケアホームが出来て地域生活が現実化し、就労ができる「あたりまえの日常」の中に「生きがい」を見出す入居者さんを見ていると、幸せって実は本当に小さなことなんだ・・・と思い知らされます。
理事長からこの依頼を受けた時に、自分にもダウン症の息子がいるとあって、地域の「手をつなぐ親の会」のお母さん達とも打ち解け、今まで子供を預けるにしても遠くの施設まで預けに行くのが大変、という悩みを抱えていることを知り、何とか力になれないかと思い立ったのが始まりでした。
私自身も以前は子供が小さいころは、学童保育などに預けるとご迷惑をかけてしまう遠慮や、年老いた父母に預ける心配があり(目を離すと怪我が多かったので)今の職について我が子の傍で仕事ができる幸いを日々噛みしめています。
障害を持つ親御さんは特に、我が子を理解してくれる人がいる場所で大切な時間を過ごして欲しいと願っていると思います。
私はこのケアホームめぐみが、教育的な場所ではないにしても、多くを望まず親子にとって「ただ居るだけで何となく安心できる場所」になっていけたらそれでいいと思っています。
ケアホームめぐみのストーブは利用者さんがいくら言っても乱暴に扱う為、すぐに壊れるし、キッズハウスのエアコンも、自閉症の子供にリモコンを隠され使えなくなる時がしばしばあります。「でも、寒くても何でも、めぐみに来ると何故か心が温まるんだよねえ」と言ってくれた人がいました。そんな何気ない一言が「大したことは出来ていないけど、これでいいんだ」と、自分たちの働きをいくらかでも肯定してくれた気がします。
震災後、我が法人にはホームページも無いので、せめてブログを立ち上げようと始めましたが、このブログは私たちが沢山の方々に支えられていること、また私たちがいろんな事を考え、喜び悩む姿を「伝える」、そして「繋がっていく」為のツールだけではなく、時には「傷ついている誰か」をいつの間にか励ますものにもなっていたようでした。応援してくれている人がいる、だから頑張ろうと。
でもこの被災地では、単純に思えるようなことが、簡単な動作ではありません。どうしたら頑張ることができるか考えることすら、頭を抱える現実です。ゆめ風さんを始め、多くの団体の皆さんが、被災地の為に何が出来るか?ということも一緒に考えてくれているから、辛うじて立って前を向いていられます。
福祉という分野は特に優しさに満ちた場でありたい・・といつも自分の心に願っています。
どのような場所であっても、困難は必ず自分の前に立ちはだかる時は来ます。そんな時でも、乗り越える強さとなる助けが、様々な形で与えられることにいつも感謝しよう、そうすれば自分に出来ることを一つずつゆっくりとでも前へ進んで行くことが出来る、そう思えるようになったのは震災で出会った沢山の方々のおかげです。
ひとりひとりの善意がやがて目に見える形になるように、これからも私たちに限らず、苦しみを負っている方々への支援をどうぞ宜しくお願いいたします。憐れみを持つ皆様の心に豊かさが増し加えられて、更に大きな益となりますように。
すがわらみつこ NPO法人泉里会「ケアホームめぐみ」(気仙沼市本吉町 障害者共同生活介護事業所・短期入所・日中一時支援事業所)ケアマネージャー。気仙沼バプテスト教会員としても奉仕活動に携わる。海岸線が美しいこの町も津波の被害あい「ケアホームめぐみ中島」開設直前に津波により流失。障害者就労の場イチゴハウス5棟も全て失う。