2012.3.11 レポート郡山

機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
2012.3.11 レポート郡山
 3月10日、郡山市内でシンポジウム「障がいを持つ人の東日本大震災」~その時何が起きたのか~が開催された。冒頭、3.11から1ヶ月間の地元紙一面記事が映され連日の驚愕ニュース、炉心溶融、放射能漏れ、制御不能、大量被ばくなどの活字が踊り、起きたことの重大さが改めて胸に迫った。作業員の足が放射能汚染水に浸かった事故を報じる記事に、あの方々は今どうしておられるのだろうと思わざるを得なかった。
 シンポジウムでは、ALS協会の方から、震災直後の緊迫した様子が報告された。
 ガソリンがなく、ヘルパー、訪問看護も途絶え、病院に電話しても自分でなんとかしてと言われ、必要な医療品が底をつき途方にくれていたが、偶然通りかかった看護師に助けられ、なんとか乗り切ったとの報告。医療ケアの必要な人は、とにかく自力で3日間乗り切ることを日頃から考えておくことと話された。
 4日目からはなんとか支援が届くからと。すなわち3日間は支援がないということだ。南相馬の障害者拠点ぴーなっつの青田さんも話された「無支援の恐怖」、役所も消防署も病院も警察も自衛隊も助けにこなかった。非常時には支援がないことを覚悟しないといけない。そんな「先進国」がほかにあるのか。なんのために税金を払っているのか私たち国民は。
 続いて原発事故で東京に一時集団避難した自立生活センターの報告、低線量長期被曝の危険から生命を守る相談活動の報告がなされた。線量の高い地域でも子どもを含め多数がとどまらざるをえない現実、教育委員会や自治体、県は「国が安全と言うのだから安全だ」という姿勢で避難支援に難色を示し、「危険だ」と発言しにくい空気がつくられていくなど、驚きの実態が明らかにされ、出口の見えないトンネルにいるような中、「ひたすら我慢するオールド福島人から脱却するぞ」の発言に賛同の拍手がわき起こった。
 翌3月11日は市内の野球場で市民2万人が参加して原発の停止を訴える集会が開催され、被災者の報告に続いて大江健三郎さんが「今こそ倫理の力で国を動かそう。原発を停止させよう、ドイツはできたではないか」と訴えた。集会後デモがあり、通りに「怒」「原発はいらない」ののぼり旗が翻った。当地では初の規模だとか。通りの線量計の一つは国の「除染支援対象値」を超える毎時0.4マイクロシーベルトを示していた。
 「福島は復興のふの字も、希望のきの字も見えない闇の中におります。何をどうすればこの闇がはれるのか?教えてください」(障害者自立生活センターの声)
 国民のいのちと生活と人権を守り抜くのが政治、行政の一番の仕事ではないか。人として、被災者、国民の悲鳴をしっかり受けとめてほしい。
ゆめ風基金事務局 橘高千秋
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