皆様からのコメントご紹介♪

恒例となりました、振り替え用紙の余白に皆様が書いてくださる「嬉しいお言葉」
新しく頂戴したコメントをご紹介します。
◆つりせんがたまりましたので、送ります(豊中市)
◆ゆめ風だより、楽しみにしています(平塚市)
◆先日、いわきに行ってきました。
今できることは、知ること、忘れないこと、寄付すること。
肉体ボランティアは体力的に無理なので・・・。 
お金は特に必要な方達のために。(新宿区)
◆今日、初孫の誕生日で、私もわりと元気なので。
今日一日がいい日でありますように(川口市)
◆「風だより」ありがとうございます。些少ですが続けさせていただきます(佐倉市)
◆やっと涼しくなりました。
東北の皆さん、ゆめ風基金のスタッフの皆さん頑張ってください(川崎市)
◆いっこうに進まない東北の各地の状態に、心痛めるばかりで、何もできません。
せめてもの応援に(春日井市)
◆ふるさとに越しましたが、これからも細々と続けさせてもらいます(佐世保市)
◆何に使ってくださったか明解で、とても嬉しいです(新宿区)
◆この用紙をムダにしないことを決意いたします(広島県)
◆亡くなった家内が、永(六輔)さんのラジオ番組を聴いていて、
皆さんの活動に共感していました(三鷹市)
◆息子のことで気持ちが落ち込みますが、”前を向いてまけないで”でやってます(足立区)
◆「あしたを考える力」を信じて、微力ながら支援を続けていきたいと思っております(船橋市)
◆おたより一面の「あしたのことを考える力やろう」心に刻みます(堺市)
◆年金ぐらしなので、ささやかですが(埼玉県)
◆あしたのことを考え、今を大切に生きたいです。
誰もが充実した人生を送れることができればと思います。
◆幸せな社会のためにお役立てください。(川崎市)
◆今年も各地で災害がありました。
継続的な支援をこれからもよろしくお願いします(国分寺市)
◆会報ありがとうございます。皆様のご努力にいつも感動しています(藤沢市)
◆必要なところへのすばやい支援がますます貴重になっていますね。末永い活躍を期待しています(墨田区)
◆暑い暑い夏がすぎ、急に気候が変わります。
東北の方々の御健康を心より祈っています。
家に居ながら、少しでも差し出せるので老人はありがたいです(熱海市)
◆被災された人のことはずっと考えて生きます。基金続けます(横浜市)
◆通信いつも楽しみに拝見しています。
原発もオスプレイも弱者差別そのもの。しっかり反対していきましょう(座間市)
◆どこかで誰かのお役に立てて頂けたら、嬉しいです(西東京市)
◆出来る時に出来るだけ細く長く続けたいと思います(大阪市)
◆生かされていることへの感謝をこめて(練馬区)
◆いつも元気と勇気を貰い、励まされています。
これからも元気に頑張ってください。ありがとうございます(北大阪)
◆お久しぶりです。
闘病と、ふるさと宮城応援でいっぱいいっぱいですが、送金させていただきます(町田市)
◆「ゆめごよみ風だより」を送っていただき、ありがとうございました。
冒頭の牧口さんの言葉、ほんと、そう思います。
「届ける側と受ける側はずっと平等です」(大阪市)
◆お手間でしょうが、コンビニ用紙があると便利なんですが(北大阪)
◆障害児の母です。
障害者には無関係なのでしょうか?原発がなくなると就労できない!という原発容認の方が・・・。
いつまでそんなことを言っているの?と思うけど、
あっ復興のキモとして重要なテーマだと思います(荒川区)
◆あしたを考える力」すてきなことばですね。みんなに広めたい(金沢市)
おひとりおひとりの「ゆめ風基金」への期待を裏切らぬように、
常に、皆様の「コメント」から学び「あしたを考える力」を持ち続けていきたいと
強く誓いました。
心からの感謝をこめて・・・
2012年雨の日に。
文責:事務局員
長崎 圭子

街頭カンパのご報告

いつも、「ゆめ風基金」をご支援くださり、ありがとうございます!
秋風が吹き始めた10月13日、「街頭カンパ」が行われました。
今回は、総計37人が参加、カンパ額は 104,803円 でした。
皆様、お疲れさまでした!
そして、ご寄附くださった皆様、
責任を持って、ゆめ風基金が、被災地へお届けします!
ありがとうございました!
次回11月10日の予定です。

ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92

ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92
★18日~19日の2日間、hideは、福島県郡山市に行ってきました!
そよ風本誌特集取材のためです。
当初、編集部の長老・牧口(ゆめ風基金代表理事)と「へろへろコンビ」のつもりが、
16日に牧口が急性肺炎で入院してしまい(現在は、快方に向かっています)
やむなく、ゆめ風基金スタッフの長崎さんにピンチヒッターを頼み旅でした。
東北は、やはり遠いなぁが実感です。
郡山市内に入ると、なんか特別な雰囲気。
ひと通りが少なく、街が静か。
公園、学校、駅前、ホテルの至る所に、放射線自動測定器が設置されており、
駅内の飲食店も、午後9時には、閉店です。
人口も減っているとの事でしたね。
これらのリポートは、順次、お届けします!


京都大学原子炉実験所助手の小出裕章さんが、河合文化教育研究所から、
「福島原発事故-原発を今後どうすべきか」というブックレットを出版されました。
●定価900円+税
連絡先TEL 03-5354-8241
・とても、優しく、丁寧な、原発の解説で、原発の今まで、今、これからが明快に説明されていて、読み応えのある、読みやすい解説書になっています。
「核」とは何かが、判然と分かる本でもあります。
ぜひ、ご一読ください。
121ページA5版
↓クリックしてみてください。
福島原発事故 原発を今後どうすべきか


★hideの70歳の「闘争宣言」その3
○左側世界の記憶
突然現れた左側世界。
マルクス・エンゲルス全集のページの冒頭にあった「共産党宣言」を読んで、
目からウロコがバ~ラバラ。
そこに、浅沼日本社会党書記長暗殺事件。
幼いhideの脳がパッチリ。
「日本は民主主義国ではないのか?」と、駅前でもらったビラを頼りに、
日本社会主義青年同盟を訪ねて、あっさりと加盟した。
前後のみさかいが全然ない!
中小企業を転々とする生活にピリオド。
日本社会党東淀川総支部の書記。
続いて、日本社会党大阪府本部のオルグとしての左側世界の記憶が始まった。
とは言え、大阪府本部にいる人たちは、例外なく、東大を始めとした、国立大学出か、
労働組合活動家。
中卒で中小企業出は、hideだけ。
議論しょうにも、左側知識の量が違い過ぎて、話しにならない。
だから、もっぱら、肉体労働か労組回りが主になった。
おかげで、数々の闘争現場に出会った。
お巡りにボコボコにされるオマケ付き。
それらの闘争を大ざっぱに書き連ねると。
・警職法改正反対闘争「オイコラ警察の復活を許すな」
・三池闘争
・原水爆禁止運動・全国行進
・8・6広島大会、8・9長崎大会など
・春、冬の労働運動
・反公害反対闘争
・水俣病闘争
・選挙運動(選挙は、年中あり、国政選挙、知事選挙、市町村地方選挙は、全て経験させられた)
・様々な労組の争議にも参加した。組合作りも。
・憲法改悪反対闘争(いわゆる、護憲運動)
・60年安保反対闘争(かじりつき。)
・70年安保闘争、この時、初めてヘルメットを被った
・日韓条約反対運動
・左側世界の尻尾の頃に、大学闘争にも参加した
・記憶が錯綜しているので、順序がバンラバラは、お許し願いたい。
hideの特技の中小企業の若い人たちと一緒に、「若い仲間の会」というサークル運動にも手をつけて、柄にもなく、フォークダンスなどもやった(笑)
社会党青少年局が発行した「若い仲間」という雑誌が元。
最後の方は、沖縄奪還闘争。
・この中でのある事件で、hideは、左側世界から脱落&追放になった。
・反戦青年委員会、反戦高校運動なども。
hideは、22歳で結婚して、27歳で離婚した。
とてもつまらない理由で。
そして、左側世界に別れを告げた。
それから、1年は、ぶらぶら上の空。
それから脱したのは、狭山差別裁判反対闘争と部落解放運動のおかげだった。
また、この頃から、人権意識に敏感になり始めた。
このメールをモノしている横では、たくさんのボランティアさんたちが、
ゆめ風基金の機関誌「ゆめごよみ 風だより-58号」の発送作業を、
ワイワイガヤガヤと賑やかに行っている。
ゆめ風基金は、実に多くの人たちによって支えられているのを実感する。
hideもまた、たくさんの友人に出会い、支えられて、今を生きている。
・・・・・・・続く
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年9月30日現在:只今の基金残高!
            258,210,574円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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★東日本大震災救援活動の中のhideの風景
hideの畏友のお一人、吹田市の千里寺住職・武田達城さんが発行されている寺報「如是」第839号からの転載~連絡TEL 06-6384-0747 FAX 06-6385-8950
「加害者の側にいたこと」
2003年7月に、静岡県にある浜岡原発の運転を止めるよう、近隣住民から裁判が起こされました。
将来発生するであろう地震によって、原発施設に重大事故が発生することがあり、
放射線被曝の極度の危険にさらされ、安全で平穏な環境を享受する権利を侵害されているという理由です。
2007年2月16日におこなわれた第8回証人尋問で、
のちに原子力安全委員会委員長になる斑目春樹氏は、電力会社国側の証人として出廷しました。
原告から「地震時に碍子と非常用ディーゼル発電機が同時に壊れることはありますね?」
と問われた斑目氏は
「ふたつ同時にはない。割り切って考える。割り切らなくては、設計できない。
ちょっとの可能性まで考えていたら、モノは作れない。」
と答えました。
小学校の算数で「割り切れないときの、小数点以下は切り捨て」という言葉を習いました。
「割り切る」とは「切り捨て」です。
いったい何を切り捨ててきたのでしょうか。
福島の苦しみは聴こうとしないと聞こえてこないようです。
福島を離れることを決断した人に冷たい眼差しが向けられ、
ようやくたどり着いた落ち着き先で、偏見や差別が待ちかまえています。
放射能の影響が大きい子どもへの罪悪感が親のストレスを増加させています。
日本で原発ができて以来、原発の中で被曝した労働者数は50万人を超えると言われます。
まさに闇から闇へ葬られた数字です。
大谷派の寺院住職である長田浩昭さんは、
「私たちは決して被害者ではない。自社の管轄内に1基の原発も作らず、自分の庭先に置きたくない面倒なものを、過疎地に押しつけてきた東京電力と同様に、私たちは加害者の側にいた。
自分の足下にあった『いのち』の犠牲に、本当は薄々気づきながらも、
大多数の者の為に見えないところで、一部の『いのち』が踏みにじられ、
犠牲になることを認めてしまってはいなかったか」と、訴えています。
親鸞聖人が引用された「涅槃経」には
「現世の楽を見て、未来の不善の苦果を見ず」、そして
「無慙愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」とあります。
加害者であることを忘れずに、金曜日に官邸前に行ける日をさがしています。
2012年9月中旬:住職
ヒデの救援レポート:2012年10月22日№92  以上

hideの救援レポート:2012年10月15日№91

★hideの70歳の「闘争宣言」その2
・hideの若者時代の記憶
○テクテクと夜の闇の中を歩き続けて、夜が白々と明ける頃、hideは、大阪の十三の街にいた。
プィッの家出なものだから、お金は一銭もなし。
腹はペコちゃん。
その夜の寝床のアテもナイ。
ナイナイ尽くしの身ひとつ。
ふと傍らの酒店のガラス戸を視ると、下手くそな字で「住み込み店員求む!要面談」のチラシの貼りだしが目に飛び込んできた。
これぞ天佑。と勝手に思いこんで、店が開けるのを待って飛び込んだ。
もちの論、履歴書なんという気の利いたものの持ち合わせもない!
hideと面談してくれたお店の主人Oさんは、ちょっと極道っぽい、株投資が趣味のオッサンだった。
hideは、Oさんに、これこれしかじかと、家出の顛末と、行くあてのない自分のことを、
16歳の真剣さで、打ち明けた。
話し終わると、しばらく考えていたOさんは、「よ~う分かった。俺も若い頃、家出したことがある。今日から働いてもらうー。3食部屋付きで、月給3万円や」
と即断してくれた。
hideは、本当に「地獄に仏」とは、このことかと心底ホッした記憶が残る。
お店兼自宅兼倉庫のOさん家族は、連れ合いさん、中学生の男の子、Oさんとお妾さんの間にできた、高校生の女の子の4人暮らしだった。
hideに与えられたのは、屋根裏の3畳の小部屋と、息子さんの使い古し下着と、
酒メーカー印入りの作業服だった。
当時、大卒の初任給が1万3千8百円と、うたわれていたから、hideの月給3万円は、
破格といってよろしい。
もちろん、破格には、破格のワケがあることが、だんだん明らかになった。
こうして、怪しい環境でのhideの賃労働人生が始まった~。
5月始めの頃だった。
・月給が高いワケとは、休みが月1回。
朝は、近くに十三職業安定所があり、当時、「ニコヨン」と呼ばれた日雇い労働者が、
職安の前に行列を作っていて、その日の仕事にあぶれた人たちが、朝早くから、立ち呑みに訪れる。
午前7時には来るので、hideは、6時半には、店を開け、掃除をして、立ち呑み場に立つ。
それが一段落すると、大急ぎで朝ご飯をかっこみ、自転車で、得意先に御用聞き回り。
昼ご飯を済ますと、注文を受けた酒類、調味料類を配達に回る。
夕方からは、十三は、繁華街なもので、呑み屋、飲食店を回り、その日の注文を取りに回り、その注文品を配達。
十三は、屋台の呑み屋も多く、仕入れはギリギリ。
だから、次々とビールが切れたからと電話が入り、配達の追加をこなす。
そして、夜半になると、もう時効になっているだろうから、書いてしまうが、
一升瓶に入っている酒を1合抜き、代わりに水を入れて、9本の酒から、
10本の酒を作り出す、魔法作業をやるのだ。
それが終わると、店に風呂が無いので、近所の仕舞い風呂屋に行き、屋根裏部屋で、
バタンキュウするのが、午前2時。
それが年がら年中続く。
それにくじけず、あれこれやるのが、hideの特技。
近所の商店で働く店員仲間とグループを作り、不良ごっこをしたり、
近所に極道の組事務所があったので、出入りして、極道ぶったり。
休みの日は、映画三昧、3館をハシゴしたりしていた。
でも、心のどこかが空白の状態にあり、それを埋めるために、
大手前高校通信教育に通ったりしたが、賃労働の圧力の前に、3ヶ月で挫折してしまった。
でも、自分の生き方そのものへの疑問がついて回り、それが何か分からぬままに、
日毎をウロウロとやりすごすばかりだった。
・そんな心情のある日、近所の古本屋で、マルクス・エンゲルス全集を見つけてしまった。
それも、エンゲル係数の本と間違えて。
突然現れた「左側の世界」
続く


★少し早いのですが、昨年もお知らせした、hideの住む街、箕面市の
「第27回・みのお市民人権フォーラム~がんばるのは私たちパートⅡ いま、自分ができること であう、考える、行動する」
全体会:2012年12月8日・午後1時より
場所:グリーンホール大ホール(阪急電車箕面線、箕面駅下車徒歩10分)
記念講演:「人と人との豊かなつながり・無縁社会の現場から、地域コミュニティーのあり方を見つめ」
講師:板垣淑子さん(NHKプロデューサー)
全体会+分科会フリーパス1000円
問い合わせ:実行委員会事務局 
TEL 072-722-5838・FAX、072-722-8042
●分科会は、6課題ありますが、東日本大震災関連の2会場だけをお知らせします。
・第1・障害者問題分科会:8日(土)午後6時より
場所:グリーンホール1F大会議室
「頼りになるのは地域のつながり・防災訓練に向けた課題を学ぶ」
東日本大震災での支援活動の経験から、災害弱者といわれるお年寄りや障害のある人々を含めた、
地域での日ごろの取り組みの大切さが、あらためて注目されています。
今回、大阪市の城東区障害者防災訓練など、先進的事例に学び、防災に向けて、
私たちの街での具体的課題について考えます。
・パネルディスカッション
コーデイネーター・八幡隆司さん(ゆめ風基金理事)、
「パネリスト」荒川輝男さん(城東区地域自立支援協議会事務局次長)
片野坂和幸さん(箕面市障害者の生活と労働推進協議会事務局長)
地区防災委員会から、上田健太さん(箕面市社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
●弟5・地方自治分科会:9日(土)午後1時30分から
会場:みのお市民活動センター多目的室・萱野ヴィソラ内
・「東日本大震災、被災地の現場でみたものは~市職員、学生奮闘録」
東日本大震災からはや1年半以上がたちました。
現在でも箕面市では、岩手県大槌町を中心に、派遣職員を送り込んで被災地支援を行っていることをご存知でしたか?また、身近にも支援活動を続けている方がたくさんおられます。
今回、市の派遣職員、被災地支援に入っていたボランティアの学生さんに
現場で感じた生の声を熱く語ってもらいます。
地方自治の分科会ではおなじみの、倉田市長も参加!!
被災地で、行政ができること、地域ができること、われわれにできることを一緒に考えましょう。
「パネリスト」
倉田市長、action・大阪大学学生ボランティアサークルすずらん、被災地支援参加市職員。
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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
その他の届けた救援金
●台風12号関連        2,942,828円。
●フィリピン洪水関連     1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
hideの救援レポート:2012年10月15日№91 以上。

ちなつ、ちょっと行ってきました!

新米事務局員・福本千夏、母校柴島(くにじま)高校に出没の巻き!
2012年10月13日、地域に根ざしたボランティアの一環として、
文化祭でゆめ風基金の募金活動をしている高校生たちに会いに行く。
35年前の私は、ひねた障害児だった。
「人権」を考える授業中に眠りこけ、椅子からずり落ち、
「お前だけは聞かなあかん」と悲しげに言う教師に「なんで私だけやねん」とむくれるような。
50歳になった私が、日常的に高校生と話す機会などもうない。
募金箱を一緒に抱え、おそるおそる高校生に聞く。
「声出すって恥ずかしくない?」って。
「最初はね・・・。でも、友達や先輩もこうやって手伝ってくれて、
それが嬉しくなって大きな声が・・・」
「出せるんだ。すごいなー。で、募金活動して、自分の中で何か変わったことってある?」
「うーん。正直、募金箱にお金を入れてくれることが、こんなに感動するって思わなかった。だから、これからは、どんな募金活動の前も素通りはできなくなるかな」
「あっはは。それは大変なことになるよ」
「ですかねー。でも、募金は金額じゃないんです」
「すご!学びます。はい」
柴島高校@文化祭
いろいろ教えてくれてありがとう。
柴島高校@文化祭2
高校生たちに頭を丁寧に下げ、せっかくだからと、文化祭を少し見せていただくことに。
立ち上げの一員だった軽音楽部。
バンドは、もてたい男子がするものなんて、ふた昔前のこと。
演奏者も聞くのも女の子が8割。
文芸部は男の子ばかりで、家庭科室にも男の子がたくさん。
時代だあ。
ボランティア部の顧問、和田先生が「楽しめました?」にこやかに聞く。
「ええ。女の子が元気でおどろきました。それと、みんなでひとつのことをする喜びを思い出しました」
「そうでしたかー。僕も一つ聞きますが、高校生活はどんな感じでした?」
「私よりキャラクターが濃い子が多くて、自分があまり目立たなくなったのがうれしかった」と、長い言葉を伝える時はメールで打つ。
横でのぞきながら
「あっははー。昔から個性的な子が多かったんですよね。
個性は社会に出たら消されるという人もいますが、僕は個性こそ、
今の世の中で生きる折れない心を支えるって思うんです」
個性こそ、折れない心か・・・。
私も、次は、母校から徒歩25分のゆめ風で・・・。

自動ドアができました!!!

ゆめ風基金の事務所、実は入り口がバリアフルだったんです!!!
段差もあるし、重い両開きのドアだったりして、私一人では事務所に入れなかったのですが…
↓  ↓  ↓
施工前
そこに!!
本日!
自動ドアがつきました!!!!
↓ 「開通式」
(後方に写っているのは、工事をしてくれた井上ガラスの奥様と、工事業者さんです。
正面
これで誰かにドアをいちいち開けてもらわずにすみます!!
後ろ姿
↑  ↑   ↑
右は、井上ガラス社長です^^
(中で作業服を着ているかたも自動ドアメーカーさん)
今日は「職人」さんの仕事ぶりをじっくり間近で見ることができて
楽しかった~&良かったです!
関係者の皆様、ありがとうございました!!
ガラス工事は豊中市の井上ガラスさんに(笑)
かなりはしゃいでおります事務局員N!
嬉しいバリアフリー工事でした。
↓  ↓  ↓
小田さんという職人さんが作ってくださったスロープもばっちりです!!
CIMG3855 完成スロープ2
もちろん、トイレもバリアフリーです。
皆さん、お気軽にお立ち寄りください!

大阪被災地救援本部会議について

2012年9月26日,「大阪救援本部会議」が、ゆめ風基金の事務所で行われました!!
★夕方6時30分から開始された今回の会議では、まず、参加者の自己紹介のあと、
「みちのくTRY」についての報告が。
以下、出席者の発言を、読みやすくまとめましたので、ご覧ください!
・TRYはそもそも、20年前にメインストリーム協会の廉田さんが始めた「鉄道など交通機関のバリアフリー化」を 訴えていくイベント。今はアジアにも広がっている
・今回は、100キロ以上の行程を、ずっと通しで歩いている人、または参加できる所々を歩く人といろいろ で、毎日ほぼ40人くらいが参加していた。
・岩手、宮古の人とかも参加し、その様子は、テレビでも中継された。
・参加した人の感想は、とにかくみんな楽しそうに話している。
 知的障害がある女性は「行けるか不安だったが、実際は行けたので楽しかった」と、輝いていたが、
 途中、入院した人もいた。
・歩きながら、各地の市長さんにバリアフリー化へ向けた要望書を手渡ししたが、宮古のセンターの人も「いい経験になった」と話している。
・今までの経験上、「TRY」をやっているときは、一回、仲が悪くなったりするが、
 話し合いで仲が良くなる。それが今回も起こった。
・最初の2、3日は、歩かされてるという感じやったけど、途中で変わっていった。
・今回のTRYは、ハードルを低くした、それに批判もあったけど、参加者を多く募るには…
・TRYに関しては、地元の障害者で元気な障害者がでてくることが大事だと思ってて、
 ある人が出てきたので、その人をサポートできる体制を作っていこうということで、
 その人に自立への思いを伝えていく、そういうのをやれたらいいなと。
・10月第2土曜日、自立の話をしに行く予定です。「ピアサポート」を通して、地元の人たちと
 つながって、地元の人が地元で自立できるようになったらいいなあって。
 ぜひ続けてやりたいと思ってる。
と、参加者の熱い熱い思いが語られました。


★次に、被災地を訪問した報告が行われました。
それぞれの地域での課題などもいろいろ見えてきています。
・障害障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議(障大連)のHさんから、
●9月2日~9月5日に、ゆめ風基金の永村理事、八幡理事とともに岩手県、宮城県の「被災地障がい者センター」を訪問しました。今回は、震災から1年半を経て、各被災地センターの活動を見せていただくと同時に、とりわけ各センターが、今後どのような展開をしていく予定か、していきたいのか、ということを聞かせてもらいました。
(1)センター石巻
●センター石巻では、今後の取り組みとして、交通問題・まちづくりに取り組みたい,
 とのことです。
障害当事者であるIさんは、JR蛇田駅を利用しているのですが、無人駅で且つ階段があるため、30分単 位のガイドヘルパーを使わなければならないのですが、ヘルパーが確保できないとのことです。交通問題 については12月に仙台でシンポジウムを開催するそうです。(京都JCILも協力)
●センターの取り組みとしては、通信「にょっきり」をセンター宮城やセンター南三陸などと
 協力して発行。その他、教育関係を中心に「共に生きる石巻を作り出す連続公開講座」
(7,9,12、3月)を開催しています。
 また、重度の医療的ケアを必要とする障害児の親御さんたちの集まりもぼちぼち開いて
 いると聞いています。大阪(たびだち、みんなの家)にグループホームなどの
 見学に来たりして、報告会(9/1)を持ったそうです。
●小型の送迎車が欲しい。
 ※事業化の課題については、福祉サービスはまだ難しいかもしれない。
  今、やっていることを1つ1つ積み重ねながら考えていきたい。
 ※各種助成金を申請するにしても法人格を取得した方が可能性が広がるので、
  法人格取得をめざす。
 ※雇用助成金等の申請手続き等、協力しながら進めていく。
(2)センター宮古
●石巻から宮古に向かう際、みちのくTRYのコースを逆から移動。
「よくぞ、こんな大変な道を歩いたものだ」と驚きました。
 トンネルあり、長い坂道あり、道幅は狭く、段差だらけで、
 かなり危険も伴ったと思われますが、事故がなくて何よりでした。
 (石巻のAさんは3日ほど入院されたそう。)
 トライに参加した当事者は大変「元気になった」とのことでした。
 また、トライの期間中、岩手県下の様々な団体が、宿舎提供、バーベキューの提供等々、
 ご協力いただいたそうで、横のつながりも強くなったのではという印象を持ちました。
●さて、TRYを終えてこれから何をしていくのかということが課題となります。
 月1回の企画や、日常的な交流や移送サービスなどを積み重ねてきていますが、
 いざ事業として何をしていくのかということになるとまだ白紙に近い状態。
●TRYを終えて、県外のスタッフは1人を除いて皆さん9月中に戻られるようです。
 (3人が退職)
●現地採用の車椅子の女性・Iさんは、はつらつとした明るい感じの方。
 トライで元気になられたそうです。
(3)センター大船渡
●視覚障害者の人たちとの関わりが積み重ねられてきているので、できれば
「同行援護」を中心とした居宅介護派遣事業を開始したいという意向もあるが、
サービス提供責任者等の有資格者の確保が課題です。
事業化に向けた様々な条件の情報、必要書類等についてアドバイスしました。
事業を始めて行くには、もう少しスタッフを確保することが必要だと思います。
●中期的な展望としては、日中活動の場を別の場所で行いたいという意向があります。 
福祉サービスの事業化も今後は考えている。
(4)センター南三陸
●今年の夏に、実際に障害児の「デイサービス」に取り組みました。
この取り組みを拡大し「放課後等デイサービス」事業を興していくことは可能だと思われます。(老人介護などの問題も段階的にやりたいと考えておられるようです~富山式?)
●スタッフは3人おられます。
 (但し、変更の可能性もあり)
 事業の開始に向けて、大阪にも研修に来られています。
 (大阪の「そうそうの杜」さんが継続して支援)
●活動拠点を南三陸に移す予定です。入谷桜沢地区に300坪。来年1月着工を目指す。
(冬季のため来年度の可能性もあり)造成にかかる費用は200万円ほどだそうです。
(5)三陸こすもす
【三陸こすもす (精神 B型 30人利用 内20名がグループホーム)】
●9人のグループホームが立ち退きを迫られているので、2棟を建てたい。
★という、それぞれの拠点において具体的な課題が出てきた今、支援策の方向性も定まってきているように思えます。
側面支援を続けながら、どこで、各自に「自立」してもらうか…
まさに息の長い支援が必要ですね。


そして、11月23日に長居公園で行われる「第3回 東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」について…
④交流際~
・11月23日の交流際、現状、チラシは3万枚作ってるので、いっぱい配ってほしい。
 メインスペースで、今年はTRYの報告をしたり、被災地の当事者の報告をそれぞれする。
・出店ブースは、今のところ30団体ほど。去年は50なのでもう少し欲しいな。
 マッサージ等、新しくやりたいという申し出もあるんです。
 そこで一つの交流ができたらと思ってます。
 みんながアピールしたいことやってくれたらいいなあと思うんです。
・去年の芋煮の手伝いしてもらった社協に行ったら、今、どれだけ被災地から避難してるかって聞くと関西では、200世帯近いんですね。
 お父さんは東北に残って、お母さん親は復興やら職探しやら家事やら孤独なんかも
 しれんし、いろいろ大変です。
 子供がほったらかしになるんで、やっぱり、子供と大人が一書に楽しめる場がほしいっていう…。
・近所の人や、同じ県外避難をしてる人との仲間、会える場がほしいっていう声があるんです。
 子供連れて、シンポジウムとか行けないし、子供と一緒に行けるイベントがあったら行きたい。
・去年もそうだったんですが自分と同じ境遇の人を探すコーナー、あっていいかな、
 ってことで「真っ向勝負プロジェクト」で、もう一回、芋煮食べたいって、
 みんなが言うんです。
 彼らは、県外避難してる人らと、民謡したら楽しいって。
 東北系と福祉系の交流ができたら。
 ひとつは、関西に避難してる人との交流、東北の人の話を聞きたいっていうね。
と、ここでマキさんから一言!
牧口:今話し聞いててね、関西に来てる東北の人が話しあいしててね、
 そこに僕ら大阪の人間が混じれるようなね、
 そんな感じがメインなんちゃうんかなと思うねんね。
 なんかしゃべりたくなるという場を作るっていうことが、
 そこで生きたいっていう気持ちになってもらうっていうのがね。
★という声のあと、東北から関西圏に避難されているみなさんが楽しめる何か、
たとえば音楽。
どなたか交通費程度で、ギター片手に弾き語りしてくれへんかなあという話しになり…
現在、呼びかけ中です!
これを呼んでいる皆様も、いまからスケジュールを空けておいてください!
11月23日は、長居公園でお会いしましょう!


★最後は街頭カンパについての報告です。
次回実施は10月13日。
・前回(9月8日)は35人くらい、入れ替わり立ち代わり手伝ってくれて、合計62,304円
 募金して頂きました。
・車いすの人は、朝から晩まで、延べ10人くらい参加。
・ボランティアさんや学生さんも5~6人来てくれた。
・ずっと高島屋の前でやっているので、通行人も抵抗なくなってきてて、またやってるなって募金してくれて、うれしいですよね。
★以上、長くなりましたが、皆様のご協力が、また新たな活動へつながっていくのを
 目の当たりにした「大阪救援本部会議」でした。
 あっという間の2時間。
 初めて参加してみて、熱気に圧倒された部分もあるし
 「女性障害者」の視点がもっと生かせないかななど、議事録をとりながら、考えていたNでした。

ヒデの救援レポート:2012年10月9日№90

ヒデの救援レポート:2012年10月9日№90
★急なお知らせ
「共同連マラソントークin箕面」
○10月20日(土)午後2時~5時
○参加費500円
○箕面市立グリーンホール・阪急箕面駅下車、南へ10分
○連絡TEL、072-735-7901・FAX、072-725-0244
第1部で、恥ずかしながら、hideが記念講演をぶち上げます。
「箕面の障害者運動の歴史・はじまり、はじまり~そして今」
○御用とお急ぎの無い方は、ぜひ、ご参加くださりませ!!


★hideの70歳の「闘争宣言」その「hideの子ども時代の記憶」
hideは、1942年9月23日に、大阪市天王寺区帝塚山の高級住宅地の洋館建ての住宅で産まれた!
奇しくも、あの、チェ・ゲバラと同い年で、世界で初めて原子炉が稼動した年でもある。
戦死した徳島県出身の父親が、結構働き者で、徴兵されるまで、手広く木綿問屋を営んで、小金を持っていたので、暖炉付き、ネエや子守り付きの生活だったらしいが、戦争でみんな焼けてしまい、hideの記憶には無い。写真が数枚残されているだけだ~。
hideは、3歳前に、父親の実家がある徳島に、単身疎開しており、大阪に帰って来たのは、
5歳の時だった。
父親は、hideを母親が妊娠したての頃に、徴兵され、すぐに中国に派兵されたので、
hideの顔を見ていない。
その後、満州「中国東北部」で戦死したことになっている。
今でも記憶に残っている風景がある。
ひとつは、徳島から大阪に帰るために船に乗り、神戸港に着いた時、船上から見た、
神戸の光景。
なぁんにも無かった。
いきなり六甲山が眼の前にあり、その光景は、大阪にまで続いていた。
東日本大震災で、津波にのまれた、東北の沿岸部と酷似している。
大震災と戦争の違いはあるものの!?
もうひとつは、母親におぶわれ、何回か舞鶴の引き揚げ港に行った時の光景。
父親の戦死公報は届いていたが、当時、戦死公報が届いていても、帰って来るひとは
沢山いた。
母親は、それに希望を託していたのだろう。
道路の至る所に、隙間無く貼られ、ひるがえり続いていた「身元、連絡先、尋ねびと」の
手書きのチラシ。hideは、かすかに覚えている。
その後、母親は、再婚して、2人の妹たちが産まれたが、
妹たちの氏名は、養父の遠山姓、hideは、河野姓のままだった。
それが不思議だと、思っていたが、若者に育った頃に判明した。
それは、養父の籍に入れば、hideの父親の軍人恩給が受け取れないからだった。
小学生4年の頃に、借金の圧力に屈して、夜逃げ。
大阪府茨木市の山の中に移る。
そこでいろいろあったけれど、義務教育を終えて、府立高校を受験、入学。
1年間、授業料滞納で除籍処分。
その事が原因で、養父と大喧嘩の殴り合い。
ぷいと、家出して、山の中から、歩いて大阪の街を目指した。
hide16歳の時だった。続く
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、8月22日現在
            224,047,749円
2012年:東日本関連救援金、金額は、
            175,709,050円です。
2012年8月22日現在:只今の基金残高!
            258,425,697円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
・新刊本の紹介です!
東北人自身による、東北の声〔鎮魂と再生・東日本大震災・東北からの声100〕
赤坂憲雄編集、荒蝦夷編集協力
発売:2012年3月19日、藤原書店
○A5版488ページ、3360円

鎮魂と再生 〔東日本大震災・東北からの声100〕 鎮魂と再生 〔東日本大震災・東北からの声100〕
(2012/03/19)
不明

商品詳細を見る

★インタビューではない。
聞き取り調査でもない。
コメントが欲しいわけでもない。
そして語り手の人生が透けるような聞き書きは短くては達成できない。
私たちは400字詰め原稿用紙にしてひとり10枚の聞き書きを重ねてきた(中略)
テーマはただ「被災地を生きるとはどういうことなのか」だった。
それこそがこの災害列島に生きる私たちが日々の生活の基盤として持つべき「情念」なのではないか。
そう思ったからである。(土方正志「本書:あとがき」より!)


東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック

東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック(初任者用演習テキスト) 東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック(初任者用演習テキスト)
(2011/12)
東北関東大震災共同支援ネットワーク被災者支援ワークブック編集委員会

商品詳細を見る

初任者用演習テキスト(2012年6月18日発売)
編集:東北関東大震災・共同ネットワーク被災者支援ネットワーク編集委員会
発行:全国コミュニティーライフサポートセンター
発売:筒井書房
定価:2000円+税
★一人でも多くの人が携われるように。
被災者支援の研修本リニューアル○被災地では、仮設住宅やみなし仮設(自治体が被災者の住居に充てるため借り上げた公営住宅など)で慣れない生活を続ける住民への生活支援が求められている。
そこで、仮設住宅等を訪問し支援する有給スタッフ(生活支援相談員・地域復興支援員・絆サポーターなど)向けに、現場で活躍するために必要な知識を学ぶことのできる、
「東日本大震災・被災者支援のためのサポーターワークブック・初任者用演習テキスト」の
改訂版が今年6月に発行された。
本書は仮設住宅等を支援する有給スタッフを「サポーター」と統一して呼ぶ。
サポーターは自身も被災者であることが多い。
そして、これまで福祉関係の仕事の経験のない人もいるため、
本書のような入門研修書は役に立つだろう。
内容は、○サポーターとしての活躍理念、目標と役割についてのワーク
○具体的な事例に即して被災者を取り巻く環境、必要な支援と方法について学ぶーという手順になっている。
もともと本書は阪神・淡路大震災での知見をもとに作成されていたが、
東日本大震災では異なる課題も生じたため、新たな事例やコラムの追加がなされている。
加えて、「みなし仮設に入った人への支援は?」「孤独死が生じてしまった後は?」
などの問題も、ストーリー仕立てで紹介されており、サポーターが
より身近に考えやすいつくりになっている。
本書は、「宮城県被災者支援従事者基礎研修公式テキスト」で、
サポーター向けの研修での利用を目的にしている。
だが、被災生活の実体験に即して学ぶことができるため、個人の利用でも
十分参考になる。
(大阪ボランティア協会機関誌ウォロ9月号より転載)
○連絡TEL06-6465-8395FAX06-6465-8393
★9月18日に、ゆめ風基金理事会が開かれ、被災地での活動や当面する支援活動方針、
東京被災障害者救援本部報告、被災地支援要請金申請などが議論されました。
まぁ、目立った変更は、ありませんが、特徴点については、ボチボチとリポートします!
理事会の後に、新人女性障害者、長崎さん、福本さんの歓迎会を、
ちょっぴりの食べ物と、ちょっぴりのビールで、ちょっぴり、ささやかに行いました。
新人とは言え、ご両人とも、花の●●歳(長崎が伏字にしました!)
しっかり社会経験を積んでおられ、頼もしい限りです。
歓迎会には、ゆめ風基金関係者も沢山参加していただきました。
これからも、よろしくお願いします!
ヒデの救援レポート:2012年10月9日№90 以上!

皆様からの嬉しいお言葉♪

いつも、「ゆめ風基金」をご支援くださり、ありがとうございます!
少し前のブログにも書きましたが、振り替え用紙の余白に、
嬉しいお言葉を書いて頂くこともあります。
今日は、そのお言葉をご紹介します。
★「東北」できる限りの応援をさせて頂きます(清瀬市)
★東日本大震災で被災された作業所復興のために使ってください(大阪府茨木市)
★チャリティーヘアーショーで集めました。いっしょにがんばりましょう。
★ゆめ風への寄附は一番目に見え、わずかでも障害者の危機に役立っていることが
うれしいです(横浜市)
★もう10月。ちょっと疲れ気味ですが、ムリせずぼちぼちーこういえる我身の順境に感謝。
そう思わせられる次から次への災害。辛抱の年まわりが続きます(滋賀県)
★この8月まで障害者生活をサポートするNPO法人を運営していたのですが、
いろいろあって閉めました。決算後の残金、カンパさせてください。
よろしくお願いします。(町田市)
★ますます暮しにくい世の中になってきます。
が、少しでもお力になればと送ります。(新城市)
★体調を崩し入院しておりましたので送金できず申し訳ありませんでした。
心ばかりの額でご免なさい。
どうぞ、皆様も季節の変わり目、体調に気をつけて活動なさってください。(大阪市)
★息子は脳性マヒによる身体障がい者、妻は若年性アルツハイマー病の人でした。
違いを認め合ってその人らしく生きていく、生きていけることを願って、
今、出来ることをしています。(大和郡山市)
★ゆめ風だよりが送られて来て誕生日を思い出し急いで送ります。
忘れないよう誕生日を送る日と決めていたのに・・・。
年をとるとはこう云う事なのです。遅くなりごめんなさい。
元気でいられることに感謝の気持ちを。
微風ですが細く長く吹いてゆきたいと。(松本市)
本当に、あたたかいお言葉、そして、お気持ちをありがとうございます!
目頭が熱くなってしまい、パソコンの画面がかすんでしまいます。
事務局員一同、改めて御礼申し上げます。
お預かりした「思い」は、必ず被災地へお届けします!
季節の変わり目、どうぞ、皆様もお体ご自愛くださいませ。

街頭募金のご報告

再録
夏、真っ盛りの8月11日、定例の街頭募金を行いました。
以下は参加した関西STS連絡会・伊良原淳也さんの報告です。
「第27回街頭カンパ活動報告」
東日本大震災により、お亡くなりになった皆様に
心からご冥福をお祈り申し上げますと同時に、
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
2012年8月11日【土】に実施された定例カンパ活動は、
お盆休みの初日と重なったこともあり
いつもに増して大勢の人々で賑わう、なんば高島屋前にて行われました。
厳しい暑さは予想通りでしたが、7月の街頭カンパと比較すると
空には雲がある時間もあり、身体的負担は少し楽になりました。
 
 
地震発生からまもなく1年半が経過しようとしています。
この間私が所属する関西STS連絡会は、NPO全国移動サービスネットワークを通じて
被災地で移動送迎活動を行う団体へ運転ボランティア派遣等後方支援を行ってきました。
今後の支援活動の内容は、仲間と相談中です。
先日被災した市長さんの講演会での言葉が忘れられません。
「被災地では復興元年という言葉をよく使いますが、それ以外の地域では既に、
忘却元年という言葉が使われているのではないかという不安が常に頭をよぎります。」
この言葉を受けて大阪の地で何が出来るかということを自問自答しながら、
活動を展開していきたいです。
第27回街頭カンパ実績 
2012年8月11日(土) 参加者26人 カンパ額48,695円

2012811街頭募金