[原子力に関する不正確な情報又は不適切な情報に対する常時モニタリングに関する会長声明]
政府は、本年7月、「ツイッター、ブログなどインターネット上に掲載される原子力等に関する不正確な情報又は不適切な情報を常時モニタリングし、それに対して速やかに正確な情報を提供し、又は正確な情報へ導くことで、原子力発電所の事故等に対する風評被害を防止する」ことを目的とする原子力安全規制情報広聴・広報事業について業者に発注した。
原子力等に関する不正確な情報又は不適切な情報に対する常時モニタリングは、新聞・テレビを対象に過去3年間行われていたが、今年度は、東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて、ツイッター、ブログなどを対象に予算を8300万円とこれまでの数倍規模に拡大して行うこととしたものである。
この事業においては、「常時モニタリング」すること、さらには、不正確とされる情報等に対して「速やかに正確な情報を提供し、又は正確な情報へ導くこと」とされているが、原子力発電や放射性物質の健康被害に関する情報は、科学的に評価が定まらないところもあり、何が「不正確な情報」であるかの根拠が不明確である。そのため、これによって、政府が「不正確」と考える情報を一方的に批判することにより、情報を発信する者に対して萎縮効果を与える結果となり、憲法21条の表現の自由を侵害する恐れが大きい。
そして政府の考える正確な情報に導くことは、政府の発信する情報と異なる情報の流通を制限し、国民の知る権利を制限することとなり、原子力発電についての世論形成をゆがめるなど、民主主義社会の根幹を揺るがせる重大な問題であると危惧せざるを得ない。
そもそも、政府による原子力事故に関する情報開示自体が不十分なものであることは、事故直後に放射性物質拡散予測情報が公開されなかったこと、炉心内の状況について事故直後の原子炉の状態に関する情報がいまだに明らかにされていないこと、メルトダウンしていることが隠ぺいされ続けたこと、放射性物質が健康被害をもたらす閾値などについて十分な根拠が示されていないことなどから明白である。また、九州電力のやらせアンケート事件によって、原発問題については、不正な情報操作さえ行われる事実が明らかになった。そればかりか、本日の報道によれば、経済産業省原子力安全・保安院が2007年8月に国が開催したプルサーマル発電に関するシンポ ジウム前に、地元の住民に賛成の立場で発言してもらう「やらせ質問」を中部電力に要請していたことが判明した。
このような背景の下、市民はより正確な情報を求めようとして、これまでインターネットを利用する機会が少なかった人までもが、専門家やジャーナリストらがツイッターやブログで発信する情報を得ようとしたり、有益だと思える情報をツイッターなどで相互に伝えようとしているのである。
むしろ政府が行うべきは、正確な根拠を引用した具体的網羅的な情報の開示であり、自らが十分な情報を開示しないでおきながら、市民の間における情報流通のにつながる試みを行うことは、情報統制である。その上、前述のとおりの情報操作の動きがあることも併せ考えれば、問題の深刻さを示している。
当連合会は、政府に対し、直ちに本件モニタリングを中止することを求めるものである。
2011年(平成23年)7月29日
日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健 児
造形ワークショップのチャリティ
ゆめ風基金 様
本日230,000円を送金させていただきました。
先日個展の際にチャリティー作品のコーナーを設けたところ、
28点の作品全て購入していただきました。
その売上金の一部を送らせていただきました。
私はイラストレーターですが、知的障がいがある方たちの造形ワークショップを毎年行っています。
彼らから教えてもらうことは人間としてとても大きくて
私自身いつも助けられているのです。
彼らと少なからず関わりのある私が、作品を通じて、今、出来ることは何か
と考えた結果、素晴らしい活動をしていらっしゃるゆめ風基金さんに
寄付させていただくことに決めました。
賛同して作品を購入して下さった皆さんのお気持ちと共にお届けします。
この度の震災被害を受けた障がい者の皆さんが、
これまでと同じ日常の生活を一刻も早く取り戻せるよう
使っていただけたらと思います。
チャリティーの作品の展示写真も添付致します。
どうぞこれからもひとりでも多くの方に
笑顔が戻るよう、活動を続けて下さい。
よろしくお願い致します。
井上リエ
ロサンジェルスからの手紙
ゆめ風基金の皆さんへ
私たちはロサンジェルス南部の郊外に住む、障がいを持つ子供の親たちの有志グループです。
ご連絡するのが遅くなりましたが、去る5月21日にトーランスという所で、ゆめ風基金の東日本復興支援募金プロジェクトに寄付したいとのみんなの想いから、ヤードセールをしました。
金額は米ドルで$1,295.07(日本円10,4071円)と少ないのですが、先日近畿労金へ送金させて頂きました。
数週間前から準備をはじめ、当日は朝6時から午後1時過ぎまで頑張りました。
地元の新聞にもお知らせを出した所、何人もの方が品物を寄付してくださり、又当日お手伝いに駆けつけて下さいました。
ゆめ風基金の皆さんの大変なご努力と行動力には本当に敬意と驚きの連続です。
本当にお疲れさまです。
私たちは海外で何の力にもなれませんが、応援しています。
どうぞ皆さんお体お大切にこれからもご活躍ください。
ありがとうございました。
ロサンジェルス・障がいを持つ子供の親たち有志より
障害者派遣プロジェクト4
障害者派遣プロジェクト4
「被災地障がい者支援センターいわて」での活動報告 2011年7月25日
≪活動内容≫
私達は7月16日~7月23日まで活動しました。私達が一週間の活動としましては主に現地の障害当事者の方の支援と岩手県宮古市にセンターを立ち上げると言う事でその物件探しなど当事者目線で行ってきました。
最初に私達がした事は、当事者をさがす目的で岩手県田野畑村にある「ハックの家」という作業所の夏祭りに出かけました。田野畑村までは盛岡のセンターから片道2時間半ほどかかる所にあり山の上にポツンとあるような作業所でした。その祭りには作業所関係者や地元の住民や青森のボランティアなど150名ほど来ていました。お祭りでは青森からのボランティアの方々がお肉やスイカなどを無料で振舞っており活気があり復興ムードが伝わってきました。中でも岩手名物「さんさ踊り」は祭りの盛り上げをいっそう引き立てていました。その祭りで作業所の当事者のOさん(27歳女性、脳性まひ)に出会いました。手動車椅子に乗っているが自分ではこぐ事はできないかたでいろいろ話をすることができました。その中で彼女の悩みとしては主に3つありました。
●同年代の当事者と話をしてみたい。
●買い物などを通して外出してみたい。
●もう少し自由に使えるお金が欲しい。
と言うことでした。同年代の当事者と話しをしてみたいということについては、やはり私達の住んでいる西宮とは違い障害当事者と出会うことがめったに無いようでした。その作業所にも会話ができる人はいるようですが2人しかいないし1人は入院していているようでした。
買い物などを通して外出してみたいと言う事については買い物に行くための支援がないということでした。
もう少し自由に使えるお金が欲しいという事については、作業所から貰える工賃(3000円程度)しか使えないらしく買い物もままならないようでした。
それをふまえて今後の支援体制としては一週間交代でくるメインストリーム協会からの当事者スタッフが支援を継続していくことになりました。
具体的な支援内容としては本人の胸の内を話をしてもらい(ピアカウンセリング方式で)
つつ外出などにつなげていければと考えています。
次に活動した事としましては被災地障害者支援センター岩手が岩手県宮古市に被災地障害者支援センターを立ち上げたいということで宮古市で物件探しを行いました。
なぜ宮古市でセンターを立ち上げるかと言うと盛岡市と宮古市などの沿岸部は車で片道2時間以上かかり効率が悪いということと、冬になると盛岡市と沿岸部をつなぐ道路が寸断される可能性があると言う事でした。被災地センターがどういうセンターを宮古市につくりたいかと言うと現地の当事者があつまれるような場所にしたいと言う事でした。
その物件探しでは宮古市で2件ぐらいみることができました。そのうち1件は津波で80センチつかってるものの、当事者目線でみても、とても広々としていて当事者が集まれる環境としてはとても良い印象を受けました。
この他の支援としましては仮設住宅に住んでいる方々の人工透析治療のための通院の送迎を何件か行いました。仮設住宅と病院とはかなり距離があり、毎回タクシーを使っているとお金が凄くかかってしまい生活ができなくなるいう状況でした。
送迎のサービスなどは被災地はまだ機能していないようで困っているふいともまだまだいそうな印象を受けました。
≪全体を通して≫
被災地の街の現状は震災から4ヶ月経っていてガレキなどは片付いているとはいえ街がまるまる無くなっている様子は悲惨な状況であった。所々に、まだ震災当時の被害をうけた建物が残っており津波の凄さを物語っていました。支援を通して被災した方々にいろいろな話をうかがう事ができました。沿岸部は漁業の町なだけに港が壊れていたり船が流されていて仕事に復帰できない人が多数いられると言うことでした。
障害当事者に関しては街で見かけることは極端に少なく、もう少しいろいろな人と出会いたかったが出会えなかったことが少し残念ですが、ハックの家で出会ったOさんとの出会いを大切にし、これからもいろいろな形でつながっていきたいと考えています。
今回のこのような経験や活動を今後の私達の活動に生かしいろいろな方に伝えていきたいと考えていると同時に岩手県の障害者福祉の発展に微力ながら貢献していこうと考えています。
鍛治 克哉
脇 英二郎
被災地の、ほんとうに困っている仲間に一日も早く出会いたい 牧口一二
被災地の、ほんとうに困っている仲間に一日も早く出会いたい
被災障害者支援NPOゆめ風基金 代表理事 牧口 一二
カタカナ文字(英語など)の氾濫にはついていけない年齢になった(でもまだ七四才、とカラ元気)。便利だから仕方なく、苦手ながら手を染めてしまったパソコンもなかなか思うように動いてくれず、何が原因かと、「ヘルプ」をクリックしてみても説明文が日本語なのにカタカナ語で皆目わからない。
そんな毎日をすごしているボクに、ほんとに久しぶりにこの欄の原稿を、との依頼がきた。もう現役を引きつつある身に(軽~いジャブ)なんでだろう? きっと今回の東北関東大地震大津波そして福島原発大事故がらみに違いなかろう、と思いきや…………その通りだった。
阪神淡路大震災のとき、障害者仲間はあちこちで後回しにされた。わからないことを尋ねると「いま、それどころではありません」とまで言われた。今回の東北でも「あなたの来るところではない」と言われた、と聞く。
ほんとうは世の中全体が大騒動になったとき、いちばん先に助けられるのは、障害者・高齢者・子どもたち・社会的ハンディを負わされた人々だろう。ところが、「そんなの理想論」と世の中という顔がうそぶく。緊急時には、そんな論争をしているヒマがないから、われら障害者は何度も繰り返される苦い体験から、いざという時に備えてふだんからお金を蓄えておこう、と「ゆめ風基金」運動を始めた。
今回の原稿は、東北関東大地震大津波そして福島原発大事故(長く書けない、ということか、早くからマスコミなどは「東日本大震災」としたが、東北や原発があいまいにされそうで、ボクは略さない)のことに関連づけて述べよ、ということらしい。
「ゆめ風基金」は十六年かかって多くの人々のおかげで、二億六千万円ほどを蓄えた。その内、この間に起こった海外を含めた三〇件ほどの被災地の障害者に合計六千万円強を届けてきた(当初は海外は念頭になかったが、災害が起こると知らん顔はできなかった)。そして今回の大災害、残り二億円をそっくり東北関東の障害者たちに活用してもらおうと、緊急の理事会ではみんながそう思っていた。
そこで「ゆめ風ネット」(いま全国に51か所)に参加している「ネットみやぎ」と「ネットいわき」に連絡を取り、すぐに八幡隆司理事が現地に入り、二億円の届け先を探し始めたが簡単ではなかった。避難所めぐりをし、「困っている人は? 障害者はいませんか?」のビラを配ったが反応は鈍かった。「ゆめ風基金」はNPO法人といえど民間の勝手連みたいなものだから不平等が許される。ほんとうに必要としている障害者に手渡すごとく必要な額を届けたい。八幡理事は懸命に探してくれたが、あまりにも被災した地域が広く、なかなか見つからなかった。
で、その前段階の拠点づくりから始めることになった。岩手、宮城、福島にそれぞれ被災地障害者センター(盛岡市、仙台市, 郡山市)と緊急避難所(宮守町、登米町、亘理町)を現地の障害者を中心にした活動で設置できたところだ。これらの拠点を軸に、ほんとうに困っている障害者との出会いを求めて本格的な活動が展開されようとしている。
今回の大災害の後も全国から支援金がどんどん寄せられ、「ゆめ風」に寄せられただけでも新たに一億六千万円が加わった(7/8現在)。これらの支援金は全国の障害者と仲間たちに届けられたもの、どうか困っている仲間のことを知っておられる人はゆめ風事務局(TEL06-6324-7702~3/FAX06-6321-5662)にご一報ください。急いで理事が集まり検討させていただきます。
ところで、全国連の運動趣旨に沿っていうと、災害が起こり避難所に逃げ込むとき、障害者の多くは避難所で暮らせるか否か、が問題になる。阪神淡路のときは車いす常用者がトイレに困り、半壊の車いす住宅に戻るしかなかった。また、愛知の水害では知的障害グループのリーダーから伺ったのだが、「避難所では落ちつかないし、他の避難者からトヤカク言われたくないので、知り合いのスーパーの屋上に避難させてもらって難を免れたけれど、後で考えると、まずは避難所に行き「どっこい生きてるよ」と伝えるべきだったかな」とのこと。
今回の東北の避難所でも「福祉避難所」の必要性が大合唱される。つまり、障害者にはそれぞれ特別なニーズがあるから、その設備が整った避難所が絶対に必要だ、という声だ。そのように言いつつ、地域社会から山深い施設に障害者を追いやったのではなかったか。また、専門家がいる、仲間がいる、設備が整っている、と地域の学校から遠い支援学校(なんか、これもウソっぽい言い換えだなぁ、ほんとうの支援は障害児の壁を取り除くことだ)へのバス通学を強いてきたのではないか(本気の右ストレート)。
それぞれのニーズに応える設備は当然必要だが、それは一般の避難所から障害者を分けることではない。そうではなくて、一般の避難所とそれらのニーズに応え得る備えとがパイプで繋がっていてほしい。必要のないところまで設備を整えろ、ではない。まずは、どのような人も拒まない、というのが避難所の(社会の、学校の)原則で、特別な手立てのルートをつねに準備をしておく、ということだ。そうした場では、急に障害者と同じニーズが必要になった障害なき人も救うことができるし、同じ場でさまざまな人が生き合っていることを実感できることにもなる。そこに現れる諸問題をどのようにこなしていくかが「生きる」ということだと考える。だが、そう簡単なことではないので悩み続けているボクである。だけど、しつこく悩み続けてやろうと思う。
7月22日京都市右京区社会福祉協議会学習会 八幡理事の講演
八幡さんの講演とアンケートの記録です。
東日本大震災の経験に学ぶ 2011.7.22 <ゆめ風基金八幡さん>
その時、知的障害者は、避難所でどうしていたんだろう?
こんな素朴な疑問に対しては、「一般の避難所や体育館に知的障害者は殆ど居なかった」との事でした。やっぱり、おとなしい子供しかだめなんです。
「パニックをおこしたり、走り回ったり、奇声を発する障害者に、なれていない健常の人たちの中では、居たたまれず、壊れなかった作業所や施設や、親類の家で過ごしている人が殆どでした。でも、その施設も、つぶれたり、職員が誰もいなくなったり
で、なれていない遠い遠い施設に避難したり、大変だったようです。
宮城でも、福祉避難所は、130カ所もあっても、ほとんど100%は高齢者で、車いすなど身体障害者はそれと分かるけれど、知的障害者は、いわゆる障害者だと思われていないのが現実です。しかも、小さなグループホームや小規模作業所は、指定でないので、食事も届かない。支援学校などは、避難所にも使えなかったそうです。
地震の時間が、昼間だったために、親子がバラバラに被災し、施設に居た子どもは、
助かったけれど、親だけがなくなったケースがたくさんあります。
この経験を踏まえて、私たちは、どうすればいいんでしょうか?
地域の人に、わかってもらえて、避難所や体育館で受け止めてもらうために、ふだんの地域のコミュニテイ・つながりが、こんな時、生きてくるのです。
私たちは、ついついヘルパーさんや、作業所の指導員や、福祉関係とだけ繋がってきている。それは大切だが、地域の中で、自治会や民生委員や各種団体などと一緒に
日常的に、学校などで避難訓練ができていれば、本人もまったく知らないところに
急に、つれていかれて知らない人達の中でパニックが起きることは、少しはましだろうし、「ああーこの子たちは、走り回るんや!」「奇声も発するんや!」そんな事がわかってもらえた上での、人間関係ができて、避難所での知的障害者も含めての過ごし方、運営の仕方が、生まれてくる。
又、一緒に過ごした小学生や中学生は、大人になった時、障害者と過ごした体験が
貴重な宝となって、生きてくるだろう。
地域みんなで、障害者も含めて考えられるようになれば、今は体育館しか開放されない学校も、「あばれるこの子たちには別の空き教室を!」「授乳中の母親やオシメを変える赤ちゃんにも空き教室を!」「病気の高齢者にも空き教室を!」というような発想が出てくるんじゃないでしょうか?
「障害者にやさしい・居やすい環境は、普通の人たちにもやさしい居場所なんだ」
そのために、私たち障害者の母親は、自分の地域の回りに人に声を掛けていこう!
タネをまいていこう!
お話の中で、本当に大切なことだと分かったけれど、一番難しいことだと思う。
でも、やっていかなくっちゃー。
38名の参加者のうち、右京区長はじめ社協や福祉事務所や支援センターの職員が
14名も参加され、今回の学習会が、、行政や地域や親が一緒になっての受け止めの
キッカケになればと思っています。
学習会ありがとうございました。「良かった!」「ためになった」「目からウロコだった」など
感動の声が一杯上がっています。何よりも、今後の親のすすめ方の目標が、出来たと
思います。行政の方との、つながりのキッカケにもなったと喜んでいます。
【平成23年度 障害を持つこども(青年)たちの 将来を考える学習会 アンケート集計結果】
☆回収数・・・23件
(回答者 育成会会員13件、その他9件、未回答1件)
※その他の方の所属・・京都市社協、区社協、通所施設、福祉ボランティアセンター、
サークルペガサス、会員外保護者、他圏域支援センター
☆全体の内容に関して
育成会会員
○大変よかった・・12件
・少し早口だったので聞けなかった事も多かったです。この話しは他の区役所の方々も聞いていただ
きたかったです。
・災害があった時に、障害のある子と何処へ避難すれば良いのか(親子で居る時、一人の時、事業所に居る時)考えておかないと・・。
・子供の様子を身近な方にとにかく知ってもらう事が大切である。親の元気な間に頑張りたいと思いました。
・自分達家族の対応のしかた。これからの地域でどう対応するか。
・ずっと気になっていたので、とてもありがたかった。今はおどろく事ばっかりで書けませんが、家に帰って一人で考えてみたいと思っています。
・当事者が常に地域とのつながりを持つこと。障害者でかたまるのは良い場合もあるが、常に障害を理解してもらうよう努力する。勇気はいるが本人を外に出す。
・災害時のみばかりでなく、福祉のあり方などの再認識ができた。地域でのコミュニティーづくりは今後の大きな課題となりました。育成会会員であることは安心ポイントの1つであると感じています。
・地区によっていろいろちがうので、結局は自分のことは自分で守る。近所によく知ってもらえるようにしておく。地域の繋がりが大事だということ。
・指定避難所の必要性、地域でのつながり、まず日頃から感じていました。これをきっかけによりつながりが広がることを考えてというか行動を出来ることから、とより感じました。
・どの報道からも聞かれない新しい切り口の話だった。「知的障害者がひなん所でどう過ごしたんだろう?」でなく、そこで普通に過ごせるための地域のつながりや、地域全体での防災訓練など、まわりの人々と一緒に自ら切り開いていく事が大切だとわかった。しかし、声をかけていくのはかなりむつかしいが、やっていかなくっちゃ-。
○良かった・・1件
その他
○大変良かった・・7件
・「防災」をキーワードにして、地域のコミュニティー作りの大切さを改めて考えることができ、今後のとりくむべき方向性を見いだすことができた。
・今回の災害で障がい者の被災状況、避難状況はほとんど見られなかったように思い、「どうされているのか」というのはずっと感じていたので、現地の状況を少しでも伺うことができ、良かったです。日々からのつながりのために防災訓練!!というのが、私の中になかった視点だったので新鮮でした。「つながりがないからできない」に陥らずに行動を起こさねばと改めて感じました。
・施設職員として普段からの実践の大切さを再認識できました。参考になるお話もたくさんお伺いすることができました、ありがとうございました。
・実際におこっていることをお話いただけて、課題がより具体的に見えてきました。今あること、やっていることを丁寧に見直し、みんなで意見を出し合うことでも対応できることがたくさんあるとも思いました。
・コミュニティー作りの大切さを痛感しました。安否確認における相談援助の大切さを聞き、日頃からシミュレーションしておくことが大切だと感じた。
・障害者に対する配慮が、災害弱者すべての配慮につながるという話など、現地の話が具体的に聞けたこと。
・各参加者それぞれに知りたかった内容についてわかりやすく教えていただいたこと。
○良かった・・2件
・安否確認の重要性。新しいコミュニティーづくりを考えて(先のこと)。
よい種まきをする。日頃の顔の見える関係を作っておくことの大切さ
災害の経験を生かせる。相手の気持ちに寄り添うことが大事(相談員)
・親の力(私自身の)程度がわかった(弱点が)。親の会の社会参加活動が大切かも。
活動の現場が思ったより遅々としていることがわかりました。
未回答
○大変良かった・・1件
☆今後、学習会で取り上げて欲しいテーマやその他ご意見など
・地域とのコミュニティーづくりについて
・右京区避難所はどこにあるか
・将来について専門職としてこれからも考え、実践していきたいと存じます。運営・企画ありがとうございました。
・地域の民生委員や社協役員も接点を求めています。我々が仲介すべきではあるのですが、何かを一緒に取り組むとか(防災訓練など)そういったところから顔の見える関係につなげていけたら、と考えています。
・講演をきくだけにとどまらず、地域でネットワークで更に議論を深めたいと思います。
・地域の中で日々の努力、つながりの種まきが必要。どんなことが具体的にあるだろう・・か?
思いつくままに・・あきらめない気持ちが大切。なでしこジャパンから学んで。
・2年、5年、10年後継続して活動報告をききたい。具体的に何を子供にふだんから調整できるものがあるでしょうか(思いがけない状況の中でも生活して行ける為に今から何が必要なの?)。親子だけで施設の往来をしているだけではだめと言っておられたのが印象的でした。
・「障害者にとってやさしいひなん所、住みやすい町、地域は普通の人にとってもやさしいのだ」
この事を堂々とまわりに声を出せる様、がんばりたい。
ありがとうございました。7月23日街頭募金
今回だけ、そしてたった一度だけ言わせてください。
札幌在住のWと申します。
本日、わずかばかりの金額を送金させていただきました。
私は1男2女の、3人の子をもつ父親です。
そして、長男は自閉症児で一家5人で運命と闘いながら生きています。(もっとも健常者だって運命と闘って生きることに何の変わりもありませんが)
ゆめ風基金のことは今回の震災を契機に永六輔さんを通じて知りました。
本日、寄付させていただいたのは、昨日が娘の誕生日だったからです。
妻と話し合ったのですが、これからも子供たちの誕生日に合わせて、今できる最大の金額を送っていこう、と決めています。
現在私は事業に失敗し、今後自分たちがどうなっていくのかは、まったく見えていませんが、誰を見上げることなく、見下ろすこともなく、自分の運命と向き合って精進してまいります。
人様に向かって「頑張れ」というが私は大嫌いですが、どうしても他の言葉が思いつかないので、今回だけ、そしてたった一度だけ言わせてください。
頑張ってください。
ヒデの救援レポート7月25日
ヒデの救援レポート、7月25日:30
梅雨明けが告げられたのに、セミがなかなか鳴かなかった。やっと鳴き始めた頃の、7月15日~17日の2泊3日間。徳島で開催された精神障害者地域生活支援協議会あみ第15回全国大会に、記念講演者として招かれ、行ってきました。記念講演、分科会助言者、シンポジウム助言者の三役というコキ使われ方に、へろへろになりました。(笑)
700名以上の全国からの参加者があり、活発な議論百出で、面白い大会でした。ゆめ風基金からも支援した、津波で流され、日中活動の家屋の土台しか残らなかった、仙台市のみどり会からの現地特別報告もあり、楽しい雰囲気の中にも、緊張感のある集会でした。ちなみに、みどり会では、津波による被災者は出なかったそうです。ボクも、可能な限り、被災地救援の情報を伝えたつもりです。
大会実行委員会の中心人物でもある、旧知の徳島市のハートランド・アップルの山下さんから、徳島でも、ゆめ風基金ネットワーク活動の本格化に力を入れたいとのお申し出をいただきました。それにしても、暑さと盛り沢山な日程に、さすがに疲れました。そして、その後、台風がやって来て、徳島にも一時上陸したのです。危機一髪でした。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月20日までに、166783557円。7月23日までに、167314655円です。これまでに支援した団体、個人への金額は7月1日現在67,164,600円。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ゆめ風基金に届いた、鎌倉からの救援風景。
みんなに届け、わたしたちの風
売り上げをすべて被災地の障害を持っ方々へ障害が重く、外に出て活動することがあまりできない方々と、自宅や病院のベッドサイドで、小さなフエルト作品を作り始めて、3年半が経ちました。この間、たくさんの方々のご支援とご協力で、いろんな方のお手元に作品を届けることができ、自宅や病院から、社会参加への大切な歩みとなりました。みなさん本当にありがとうございます。
この3年半の間に、メンバーの中には天国へ引っ越しした方、新たに人工呼吸器をつけたり、濃密な医療ケアが必要になったりと、身体状況的には少しずつ厳しくなっている方もおります。それでも気持ちは、元気いっぱい!生きることにとても前向きです。
どんな状況でも生きていきたい。生きていってほしいそう願い、これまでは売り上げの4割を、海外・アジア・の厳しい状況にある障害を持つ方々の支援にあててきました。そして今回の大震災…
想像を絶する被害、3ケ月経った今も、まだまだ大変な状況にいる大勢の方たち、そして障害を持つ方たちは、避難所で生活することも厳しく、必要なサポートや物資を手に入れることが健常の方より難しく、生命の危機的状況(実際、避難生活中に亡くなった方もいます)の中にいます。現地に飛んで行って何かお手伝いしたい…私たちみんな、そういう思いでいます。
しかし、実際に動くことが難しい中、その思いをフエルト作品にこめ、売り上げのすべてを、被災地の障害を持っ方を支援する団体被災障害者支援ゆめ風基金に寄付することにしました。
ゆめ風基金は、阪神淡路大震災の際に発足し、これまでさまざまな自然災害に対し、日本だけではなく海外の障害を持っ方々へも基金を届けてきました。そして今回の大震災に対し、基金の全てを投入しています。詳しくは、別紙リーフレットをご覧ください。
これからもどうぞよろしくお願いします。風代表・関原和佳子
全国移動ネット災害支援の会災害支援だより3号巻頭言より
泥との格闘が続く被災地では5月も半ば過ぎると暑さも増して、大変な状況が続いているのだろう。被災地に豪雨とニュースが流れたが、こんな状況でも被災された方々は、一時避難の状態から普通の生活を取り戻すために、仮であっても新しい住まいや仕事を捜しているだろう。
遠くで思いを巡らすだけではなく、現地に足を運ぶ人たちが我々の関係者にも増えてきた。しかし、まだまだこれからである。
雑誌・介護保険情報7月号冊中18ページ
論壇東日本大震災と障害者の医療・介護について
人工呼吸器をつけた子どもたちとともに歩む立場から
人工呼吸器をつけた子どもの親の会・穏土ちとせさんの9ページに及ぶ文章からの抜粋
支援の実際・繋がりに助けられて中略・阪神・淡路大震災では、被災家族のニーズを把握後、ケアに必要な医療物品や衛生材料や生活用品を会員が持ち寄り、大阪方面からバイクで神戸まで緊急配送するなどの直接支援がかろうじて可能でした。
しかし、今回の震災では、地震の規模も範囲もはるかに上回るうえ、事務局大阪から遠く、会だけの力で実質的な支援を行うことは困難でした。しかも東北支部は会員が点在していることから、支部内で助け合うことも不可能な状況でした。
幸いなことに震災数日後には、NPO法人ゆめ風基金(阪神・淡路大震災を機に設立された、国内外の自然災害で被災した障害者の支援をする団体)、DPI障害者インターナショナル日本会議、J1L全国自立生活センター協議会をはじめとする全国の障害者団体が連携して東北関東大震災障害者救援本部が立ち上げられ、被災障害者支援の活動が開始されました。
バクバクの会もゆめ風基金の緊急支援要請に応えて医療物品調達・輸送協力、街頭募金活動などに参加しました。会員への支援は、安否確認をしながら、困っている状況がないか確認するところから始まりました。
宮城県では、会員やバクバクっ子と関わりの深い医師とメールで連絡を取り合い、必要な支援についても確認しましたが、自分たちはどうにか頑張れるからと、むしろ同様の状態で踏ん張っている在宅の他の子どもたちへの物資供給のことを心配されたため、現地の障害者救援センターの支援情報を提供しました。
震災と原発事故で孤立状態だった福島県では、物資の不足に加え、先行きが不透明なことから病院機能も混乱し、精神的にも追い詰められていた会員のSOSに対してゆめ風基金を通じ現地の障害者支援センターに連絡し、直接会いに行っていただきました。
このように、物資の支援にとどまらず、会員のところへ出向いての相談支援にも対応していただき、真っ先に、一番支援が届きにくいところに支援を届けよう!と全国の力を結集したネットワークの動きが、どれほど心強かったことでしょうか。また、これまでいろいろな問題で共闘してきた当事者団体のみなさんからも、救援物資で困っていないか、同じ人工呼吸器ユーザーやそのサポーターとして声をかけていただき、日頃の繋がりの大切さを痛感しました。後略
簡潔な文体で書かれ、読みやすく、震災、被災、救援、復活の道筋が鮮明に表現された、素敵な文章です。ぜひ、雑誌を手に入れられて御一読されることを、お薦めします。
DPI女性障害者ネットワークのチラシより
○避難所などでの障害がある人への基礎的な対応・あなたのまわりにこんな方がいたら・
○障害がある人は、かわいそうな人や、自分では何も判断ができない人ではありません。その人の年齢にふさわしい態度で接してください。
○障害がある被災者は、一般的な情報があっても、危険に対して理解・判断しにくく、危険に対して適切な行動が取りにくい状況に置かれがちです。
○外から見ても分からない障害もあります。不思議と思われる行動をしている人がいたら、正面から困ったことはないですか等、話しかけてください。そして、その人の希望とペースに合わせた手助けをしてください。
○障害のある女性は、ふだんから情報が届きにくく、声をあげることがさらに難しい、ニーズを出しにくい立場におかれています。
○介助や補助が必要な人や呼吸器をつけている人などのなかでも、特に女性は、生きる優先順位を自分でも低めがちです。平時の社会でも、人工呼吸器の装着が必要になった場合、女性のほうが男性より、呼吸器をつけて生きることを選ぶ人の割合が低いというデータがあります。
○女性の身の回りの介助、とくに着替え・トイレ・入浴は、女性による支援を徹底してください。以上
7月4日・被災地障害者支援センターいわて・での活動報告
活動にあたって5月に盛岡を訪問したときに話し合った結果、障害者の存在をアピールすることが大事だという話しになりました。そのためにはJ1Lの加盟団体が障害当事者を被災地に派遣して、被災者のお宅を回って障害があるから他人に迷惑をかけるからとかの無用な遠慮をすることはない、震災前と変わりない当たり前の生活ができるということ、更にはもっと当たり前に地域で暮らしていける社会ということを障害当事者自身が伝えていく必要があります。
岩手の障害者はただでさえ引きこもりがちだそうです。今回の震災後ますますその傾向が強くなるおそれがあり、そういった状況を変えていくためにも日本全国から障害を持っている人に来てもらって、肩身の狭い思いをする必要がないと言うことを伝えて欲しいと被災地障害者支援センターの今川さんは言っていました。
そこでメインストリーム協会として障害当事者スタッフ一名と健常者一名が岩手に行き、被災された障害当事者に直接会いに行くことになりました。
岩手県沿岸部の状況沿岸部の状況は5月に訪問した際に比べて整地が進み、新しく家を建てているところ、住居の補修作業なども至るところで見ることができました。しかし、場所によって道路の交通事情もあるのか、整地作業が重機を使って行われているところもまだ残っています。避難所や親戚等へ避難していた人たちが、やっと出来はじめた仮設住宅へ入居申請をしたり、入居を始めているという状況です。物資はある程度行き渡っているように感じました。
大船渡市の役所でも救援物資の支給活動は6月末で終了し、残った物資等はボランティア活動を行っているところなどに委託となっていました。町の中では津波によって海水が浸水し、それによって打ち上げられた魚や海藻が腐っているのかかなりの異臭が漂い、大量のハエが発生していました。今後気温が高くなってくるにつれてそれに伴う被害が増えるのか心配です。節電の中、ハエによって窓が開けられずそれに伴う室温の上昇による熱中症が心配されています。
たくさんの不安要素がありますが、それでも地元の健常者の人たちは復興ムードが出てきていると感じました。つづく。
ゆめ風基金に届いたお便りから。
ゆめ風基金事務局御中・奈良県生駒郡住所&電話のSさん。
東北支援のため、三万円を通帳から振り替えておきました。入金されても通知は行かないかと思いますが、お確かめください。私は高齢で労働キャンプには参加していませんが、奈良拠点の国際労働キャンプFIWシィのキャンパーが支援に行ってくれているので、カンパだけしています。視覚障害者のための音訳ボランティアの技術を生かして、一度、避難所訪問をしてみょうと思っています。みなさま、おつかれさまです。僅かですが足しにしてください。6月3日。以上!