バクバクの会より IMI株式会社足踏み式マニュアル吸引器と蘇生バックを3ヶ月間無償貸与

バクバクの会より
IMI株式会社より、東京電力、東北電力の計画停電に伴う支援として、
IMI社製人工呼吸器使用者に対して、足踏み式マニュアル吸引器と
蘇生バックを3ヶ月間無償貸与するとのお知らせがありました。
みなさん、すでにお持ちかとは思いますが、医療機関にご相談のうえ
必要な方は、お手続きをなさるよう、お知らせくださいませ。
2011年4月5日
人工呼吸器使用在宅患者支援医療機関 
人工呼吸器を利用する在宅医療患者の緊急相談窓口ご担当者 御中
                          アイ・エム・アイ株式会社
                          代表取締役社長 積賀一正
  人工呼吸器使用在宅患者様への弊社医療機器供給支援のお知らせ
平素は弊社取扱医療機器をご利用いただき誠に有難う御座います。
さて、貴機関におかれましては計画停電にともなう人工呼吸器使用在宅療養患者の受入れ、また在宅療養支援診療所等主治医や訪問看護ステーションからの緊急相談等に鋭意、臨まれていることと存じます。
この度、弊社は人工呼吸器使用在宅療養患者の計画停電時の安全と貴機関の円滑なご指導・相談・対応の一助となることを考慮し、下記医療機器の供給支援を決定しました。
貴医療主幹内の病院、診療所、訪問看護ステーションへのご活用、ご案内を検討いただきますようお願い申し上げます。
○アンブ社「ツインポンプ」(足踏み式マニュアル吸引器) *3ヶ月無償レンタル対応
○アンブ社「蘇生バック SPURⅡ 成人用」       *3カ月無償貸与対応
*上記機器へのお問合せならびにご用命、ご相談につきましては下記弊社担当までご連絡いただきますようご案内をお願い致します。
*該当医療機器は相当量の在庫を用意してございますが、限りがございますことを予めご了承お願い致します。
*弊社ホームページに本件情報を紹介しています。下記URLからご参照下さい
http://www.imimed.co.jp/
弊社連絡先
アイ・エム・アイ株式会社
東京都台東区北上野1-10-14
TEL03-5246-9463 FAX03-5246-9513
担当:救急教育部 見辺 雅(ミナベ タダシ) E-Mail:tadashi.minabe@imimed.co.jp
         佐藤 純一 
2011年4月5日
人工呼吸器使用在宅医療関係施設 御中
                             アイ・エム・アイ株式会社
平素は弊社取扱医療機器をご利用いただき誠に有難うございます。
さて、この度弊社は計画停電中の貴施設管轄人工呼吸器利用在宅患者医療支援と患者様のさらなる安全を考慮し、下記商品のレンタル供与、貸与供与支援を実施致します。
1 アンブ社「ツインポンプ」(足踏み式マニュアル吸引器)
             ○動力は足踏みなので、停電時にも確実に痰、嘔吐物を吸引
             ○ダブルアクションピストン採用により大きな吸引圧
             ○分解・組立も容易。滅菌、消毒も簡単です。
             ○手でも足でもOK。安定した吸引が可能です。
2 アンブ社「蘇生バック SPURⅡ」
             ○使用する患者様(シングルペーシェントユース)専用バック。
             ○酸素リザーバーで高濃度酸素投与が可能です。
             ○ハンドストラップ付きなので長時間使用も容易。
             ○分解・組立は不要、いつでも安心して使用できます。
*供与方法について
○ツインポンプ
・お届け日より3カ月間の無償レンタルいたします。以降は弊社担当者にご相談下さい
○蘇生バック SPURⅡ
・必要個数を3カ月間の無償貸与いたします。
○申込方法・お問合せは下記事業所までご連絡下さい
○該当医療機器は相当量の在庫を用意してございますが、限りがございますことを予めご了承お願い致します。
*弊社ホームページに本件情報を紹介しています。下記URLからご参照下さい
http://www.imimed.co.jp/
         

福島報告 障害者救援本部東京

障害者救援本部東京の杉田 健太郎(CILふちゅう)さんの福島報告
4月2~4日と、仙台・石巻・多賀城市・福島市・南相馬市(沿岸部含む)・田村市・いわき市・郡山市へ行ってきました。
 (東京事務局、西尾・安達とともの行動)
現在私は郡山におり、金曜にいったん戻り、15日の会議までをめどにこちらにいる方向で調整中です。
◎福島県内の簡単な街の状況報告
・4月3日午前 福島駅前 人少なし、 
午後 南相馬市(30キロ) 人口7万人→2万5千人(避難のため)ゴーストタウン化  
物資は配給 (田中康夫炊き出し中) 役所は手続きで混雑 発信ある弱者の安否確認はできている300名前後(社協より)
・4月4日 午後いわき市 1週間前のゴーストタウン~お店復活、水はいまだ5割断水 完全復旧は4月20日ころ 物資の過剰供給状況 平穏取り戻しつつある。子ども街でよく見かける。 
午後 田村市(原発45キロ) 街機能回復 多くの店が再開  自衛隊のときわ拠点の撤退があれば田村の避難の目安であろう。 
◎現地の話
(切迫感が伝わるように直接聞いた言葉に近いものを書きます。)
国は、県を捨てた。福島はもう原発と生きていくしかない、
国は補償をしたくないから、自主避難といって、責任逃れようとしている。
(これは田中康夫氏も同じこといいつつ、南相馬市役所でカレーの炊き出しをしてました。)
津波と異なり、家があれば戻りたい心理働く、特に2週間以上の避難・親戚居候は限界の時期であったことよくわかる。(今の田村市、いわきはその例である) 
宮嵜や岩手となどとケース異なる。 原発と余震の不安から戻る戻らないと、揺れる住民心理。
仮に避難しても「逃げた」といわれる田舎地域での関係性、
県は放射能のアドバイザーたちは、県民の調査に来た。低レベルの放射能を長期間浴び続けた場合のデータを取りたいだけではないか?モルモットだろう。
国の安全基準はあくまで、今スグに健康被害がでないもの。5年10年浴び続けたらどうなるのか? 国は信用できない。
今後、福島県民は新しい差別、風評被害や出生、結婚、いろいろな不利の中で生きていかなくてはならない。
またそれが不安で、母子どもを疎開させているケースある。
土地へ対する思い、ある程度年齢言った人の中でのあきらめ
県内の人自身も地震や放射能への感覚が鈍ってきていると感じる。
20キロ圏内の残っている住人は、自衛隊の説得に応じない(残っている方高齢者や障害者中心に50人~数100人という話、理由はさまざま避難所行っても家族に寝たきりがいるからいい、自分も具合悪いから行きたくない。牛が出産だから、土地で育てたものがあるから、隣組があるから、、それぞれの理由でとどまっている様子)
福島市・郡山市も本来は避難だろうが100万人もの人の移動と保障は現実無いだろうから、自主避難しかない。
地域を出ていった、人を責めることはできない。
皇居から、京都御所へ移動が一つの目安
放射能を正しく怖がってほしい。 福島県を孤立させないでほしい。
◎伺ったILセンターや福祉団体の希望
当事者(ピアカン)の長期派遣(IL福島)
原発勉強会の実施、県が孤立しないため県外から人入ってきてほしい。
ヘルパー資格の自薦復活(地元での雇用)(IL福島・郡山オフィスIL)
ヘルパー派遣(男、郡山オフィスIL 女、福祉のまちづくり 田村市)
請求金額の休業による減額分保障の国への要望(きょうされん系)
20キロ圏内の事業休業・立ち退きの保障の国への要望(きょうされん系)
近県での避難先の確保
次回の世話人会議までなにか活動上のアドバイスなどあればお知らせください。
なお仙台は、八幡さんがおられるので、私からは報告割愛させていただきます。
以下は、主な情報源、
ILセンター福島 (福島市)
南相馬市社会福祉協議会
被災地障害者支援センター福島
自立生活センターいわき
希望の杜福祉会(双葉、いわき)
福祉のまちづくりの会(田村市)
その他街の方など

福島県の状況について

八幡さんより
八幡です。
石巻に同伴していただいた新野さんより、福島のまちについての概況報告が来ま した。転送します。
郡山市の状況について
 夜中に郡山市に到着。交通量は少ないが、コンビニ、ガソリンスタンド、ファミレスなど開いているところがある。一休み・・・。今日から営業再開の銭湯があった。他はまだ休業中。やっと再開できました。ながらくお待たせいたしましたと言っていました。フロントの職員は問い合わせの電話対応にかかりきり。開店時には20人ほどの方が集まっていた。市内は、塀の倒壊、ショーウインドウの破損、壁の破損、屋根にブルーシートをかぶせた所など所々ある。車道は補修をしているところが多いが、歩道は陥没等している箇所が多い。しかし、通勤している人、散歩している人、日常が感じられる。店も皆普通に開いている。ガソリンスタンドも並んでいるところは殆どない。
相馬市の状況について
 国道6号を挟んで東側は津波の被害があり、残骸が多い。国道6号から海岸に向けての道路は一部開通していなく、自衛隊が作業中。電気は住宅密集地には復旧しているがすべてではないと言うこと。店は、コンビニ、ホームセンターなどは殆ど開店している。トイレが使えなかったり、一部商品がないものもあるが生活必需品はほぼ揃う状態。しかし、ガソリン携行缶はない。灯油販売はしている。水は一人5ケースと張り紙があり山積み。 
セメント、ブロック、鉄筋を買い求める人が多いと思いました。
ガソリンは、市内のスタンドがタンク破損などで営業できないところもあり福島市か郡山市に行かないと足りない。イタリアンレストラン、パチンコ屋なども開いている所がある。
 マスクをしている人が多いが、泥埃がすごいからとのこと。道の駅相馬で救援物資の仕分け場所になって続々と物資が入って来ていた。トイレを利用する人は多いが、手を洗う人は皆無。一人のこともが手を洗おうとしたのを父親が止めていた・・・・。
 パンク修理で立ち寄った潜石のモータースで聞いた話。すぐ手前まで津波が押し寄せ流された人も多い。車検などは特例措置で11日までは延長されたのだとか。しかし、その後はないだろう。この状況に来て、認定民間車検を行っている、南相馬、相馬のおおてディーラー関係が1年ほど閉鎖する予定で、福島市まで行かないと車検ができなくなるかもと。車を修理にくる客も多いが、部品によっては日数がかかるものもあり、原発がどうなるかですぐに逃げなければならなくなるかもしれないと急いでくれるように頼む人が結構いるとのこと。モータースの方ももちろん気にしながらの営業だと言っていました。
南相馬市の状況について
国道6号、原発から30キロ地点には「10キロメートル先立ち入り制限中」とかかれた看板があり道路の真ん中で警察車両が待機している。道路の景色も南相馬市に入ったぐらいから様子が変わる。コンビニもレストランなどどの店も殆どが開いていない。原町火力発電所のあたりは津波が国道6号を超え、国道そばに漁船やクルーザーがごろごろしている。陥没箇所がパイロンで仕切られており、交互通行の箇所があった。歩道の陥没や、地割れはパイロンがおいてあるが補修はしていない。30キロメートルの区域内では、殆ど復旧作業が行われていない。海よりには、手つかずの状態とのこと。
原町に入る峠の頂にドライブイン兼ラーメン屋、向かいにもビジネスホテルが開店していた。役所は開いているが、避難してしまった職員もいて手が回っていないらしい。病院も同様とのこと。郵便、宅配便、新聞などは配達してもらえない。事業所止めで、到着すると電話連絡があり受け取りに行かなければならない。行き交う車は警察車両か自衛隊車両が殆ど。夕方からは消防車も加わったが、普通車はあまり見かけない。店の看板は点灯しているが開いている店はない。家はあっても人がいる気配を感じない。南相馬の道の駅から2キロほど南下するとバリケードでこれより先立ち入り禁止の掲示。そこから、磐城太田駅、横川ダム方面へ。
家はあっても、人のいる気配がない。自動販売機など電気は来ているが殆ど売り切れランプが点灯している。行き交う車は消防車か警察車両。後ろに消防車が来たときに道を譲ったら、同じように端に停止。動き出すとまたついてくる。どうも不審車両と思われている。横川ダムあたりは、もともと人家が殆どないが、道の地割れ、土砂崩れが多く、崩れた岩が道の端々に落ちている。
番外編
原町のドライブイン兼旅館で食事に入った。2人の男性と1人の女性が話し込んでいた。始め、「何の調査?」と聞かれ、「ただの客です」と答えると、慌てて女性が「いらっしゃいませ」と答えながら水を取りに行く。注文は、何でもできると言われたが、餃子を注文したら、ないのでラーメン大盛りを注文。話に入りいろいろと聞かせてただいた。この女性がこのドライブインの女将さん。2階がドライブインで長期間滞在する下宿の様な所になっている。10人くらいの人が滞在し長い人で35年くらいいる人もいる。女将さんが世話好きで、いくところのない人に提供し仕事を紹介したりしているそうだ。役場からそういう人を紹介されたりすることもあるという。近くの火力発電所で働く人や生活保護で暮らしている人もいる。中には、アルコール依存の方がいて、今まで何度病院にいれてもすぐに元に戻ってしまう。下宿している間に脳梗塞などを起こして身体障害になった方など6人が一緒に新潟県に避難しているらしい。ただ、原町火力発電所が運転を始めるというので、そこで働いている人は呼び戻され、その人の話を女将さんが聞いているところに私が入っていった。避難所で、アルコール中毒の方のいびきやたばこの窃盗などがいつもあり気が休まるときがなかったとのこと。アルコール中毒の方がどうしたら直るだろうかと相談されました。できるアドバイスを告げ、吉田にDARCの連絡先を教えてもらい、まず相談してみてはと連絡先を渡しました。
「福寿園」という避難地域にかかる特別養護老人ホームがあり、女将さんの夫が、脳梗塞で左半身麻痺、要介護度5、身体障害1級の状態になりリハビリの末このホームに入所していた。毎日訪れていたそうだが震災直後は行くことができず、16日夕方に訪れたときに、まだ昼飯を食っていないと聞かされた。職員の方によると震災後から食事が一日2食の状態だったとのこと。電気・ガス・水道なく暖房もできない状態だった。職員も被災して職場には2,3人で対応しているとのことだった。その後家族に承認をとり、神奈川県の他施設に避難が決まる。バス4台で付き添い職員は2人とのこと。職員から連絡があり、夫が那須塩原の病院へ運ばれたと知らせを受け、駆けつけるがすでに死亡。施設関係者は誰も付添がなく、施設長などからの連絡もない。遺体搬送も30キロ圏内ということで断られた。仕方なく、現地で着の身着のまま荼毘に付したと言うことだ。施設に食事を提供していた業者も提供してくれず、水もなくなりその状態で避難バスに乗せられ、あげくは死に目にも会えず火葬や安置所の費用など50万円ほど負担した。どこに言ったらいいのかわからない、このままでは済ませられないと話していました。
 国道4号から海岸のところは壊滅状態で、手が付けられていない。家族の誰かが生き残っていれば、捜索とかしている人もいるが、そうでない場合はそのままの状態。片付けのための重機も住所を言えば、レンタルさえしてくれない。
浪江町、館村、川俣町、二本松市、田村市、三春町の状況について
 18時頃、横川ダムを過ぎ、トンネルを抜けると昼曽根にでる。ナビは左を示しているが、立ち居禁止のバリケードのため右折。時折家はあるが、明かりが全くない。トンネルを抜けるとまた看板があり避難地域と書かれてあった。道沿いに時折民家が見えるが、明かりなどもなく気配がしない。時折、福島ナンバーの車とすれ違う。巡回の警察車両もいる。牧場と書かれた看板あたりには、明かりが見えた。あるいている人がいて、尋ねたところ、このあたりは原発のことだけでなくガソリンのこともあり牛の世話などや消防の方などどうしても離れられない人しか残っていないのでは・・・と言う話だった。話してくれた方の家族も親戚に避難しているとのことだった。葛尾村方面への道にはパトカーと警官が待機しており立ち入り禁止の×と大きくサインをするので引き返した。21時頃、川俣町に入る。やはり人家はあっても明かりや気配がない。道路もパイロンをおいているが、陥没やひび割れなどは補修されていない。川俣町役場のあたりは住宅密集地で明かりが家の中に明かりが結構見えた。しかし、コンビニなどは開いていない。22時頃、二本松市に入ると、道路はあちこち補修の後が見える。民家にも明かりが見え、笑い声が聞こえてきた家もあった。23時頃、田村市、三春町に入るとコンビニが開いている。24時間営業をやっと再開したとのこと。品物もかなり揃っており、注文しても入ってくるようになったとのことだった。国産のたばこもまだまだ種類が少ないと言っていたが、マイルドセブン系はひと揃いあり販売制限もない。外国たばこは人気がなくってねと店主。そこからのコンビニはたいてい開いていた。車も見かけるようになってきた。三春町の道路はトラックの通行が多いと感じた。船引三春インター前のガソリンスタンドは24時間営業を再開しており、待たずに補給できた。

茨城被災情報 ゆめ風さいたまネットの報告

ゆめ風さいたまより現地情報
茨城状況調査報告 2011/4/1状況
○埼玉、越谷より常磐自動車道で茨城へ。
常磐道は茨城に入りつくばあたりから若干の道路の被害あるも、走行に支障あるほどではなし。路線を一車線にしていた箇所が一、二ヶ所という程度
○那珂市近辺 那珂市に入り①の同行者の知り合いの産廃業者を訪ねる。被害は建物の窓ガラスはかなり割れたが書棚は倒れない程度。4/1時点で既にガラスは直っていた。
市内で仕事を通常通りおこなっているが目立った被災の話は聞かないとのこと。
また近隣市町村での避難状況も特段大変な事は聞かないとの事。
またこの産廃社長が、市議の知り合いを都押して状況を聞いてくれるとの事だった
当てになるかならないかは微妙(笑)
○ひたちなか近辺 出発前から、道中、電話連絡をおこないながらの移動。ひたちなかのNPO団体生活支援ネットワークこもれびさんに②ひたちなかの状況を確認する。
代表梅田さん♀いわく、3日ほどはいんふらなどに障害はあったが現在は復帰しているとの事。(梅田さんも北茨城の高松氏を知っていた)
 またネットなどの情報から焼き菓子の移動販売をしているハチバス氏③とも状況確認。ひたちなかを中心に個人的に復興活動をおこなっており、3/27に水戸市で漁港支援のチャリティーマーケットをおこなっており、被災後は那珂市、城里市の山間部の高齢者に野菜を支援していたそう。そちらからの情報でも那珂市近隣での大きな避難にかかる危機的状況は聞けず。
 ひたちなか市役所障害福祉課への聞き込みでも同様に危機的状況は見受けられないとの事。またここから常陸大宮市に設置された災害対策室の連絡先を聞き、電話で状況を確認すると現在避難所は全閉鎖し、役割を復興支援にスイッチしてきているとの情報を聞く。また道中車中からの目視では瓦屋根などの家屋、またガラスの多い量販店などに被害は見られるが量的にはちらほらとブルーシートが屋根にかけられているのが見えるといった感じ。しいて言えばやはり瓦屋根の被害が多い。
またひたちなか市の梅田さんは付き合いのある県の・自閉症協会、二分脊椎の会、人工呼吸器を使う子を持つ親の会などと連絡をとってくれるそう。
○東海村近辺 車を津波の被害があったであろう沿岸部へと向かわせる。東海村もひたちなかと同様の状況であるが東海村原発付近の道路状況が悪く、陥没、隆起などが多くなっていた。ただこちらも徐行はすれど交通に支障が出るほどでは無し。
○ひたち市近辺 車を海沿いに向かわせる。東海村原発から北。日立市に入り、市のやや北に行くにつれ沿岸部の被害が見受けられるようになる。防波堤を越えた津波が海岸沿いの低い民家、民宿などにぶつかった様子で海に向いた壁に大きな穴が空いたりしている家が多くなってくる。近隣の住民などに聞き込むとそういった民家は避難所というよりも知り合いなどを頼って自主避難している様子。被害のなかった家、ホテルなどを訪ねてみるが留守にしている家多し。
 またひたち市の育成会の事業所④と電話連絡する中で状況を聞く。障害者施設などの孤立などの情報は聞いておらず、震災後一週間ほどで市内の施設の多くが通常営業しているとの事。
 また被害の多かった沿岸部には施設があまりないのでは?とも話していた。
○北茨城市周辺 北茨城移送サービスの高松氏と道中電話で話す。被災はあるも現在は第一ステージが終了した感ありとの事。現在はGSも回復してきており、15日から電気も戻ったそう。(一部地域でダメなところもありそうだとのことだが)命をつなぐ意味での支援は大丈夫、が、メンタル面での不安を抱えた人が多く、対応は難しいとの事。また隣の高荻市で山の上の施設に30人ほど孤立している福祉関係施設があるという情報があったとのこと。高松氏もこの件の調査で動いており、市に問合せをするも行政の縦割りの中でまたがった市町村の情報がなかなかでてこない部分があるという。高松氏いわく土地柄もあるとのこと。引き続き調べてみるとのこと。
茨城被災情報1
茨城被災情報地図

ゆめ風☆被災地レポート

2011.4.2 現地レポート  八幡隆司
3月30日(水)
 3月19日に入り込んだときよりおよそ10日が経ち、今回(3月30日)が震災後2度目の現地入り。真っ暗で、歩とんと人影もなく、お店もほとんど開いていなかったのが、今回は同じ駅かと見間違うぐらいにぎわっていてびっくりしました。
 電気・水道が復旧し、ガスもかなりの部分で回復してきていると、活動拠点となるCILたすけっとの人たちに後で聞きました。しかしガソリン不足は今も続き、コンビニに行ってもカップめんやパンなど食品類が少なく、タバコも売り切れ状態。また事務所から少し離れた海岸沿いは、津波の跡が深く残ったままとも聞き、やはり震災の影が消えていないことに変わりはありません。
3月31日(木)
 31日午後には現地の障がい者団体に集まってもらう事もあり、午前中に仙台市社会福祉協議会、宮城県社会福祉協議会が運営するボランティアセンターを回るとともに、市の社会福祉協議会と同じ建物に事務所を置く障害者団体(精神障害、知的障害、身体障害の3団体)に話を伺いましたが、精神障害者の日中活動拠点が1か所津波で全壊、知的障害者の作業所1か所が建物の古かったために、今回の地震で運営できなくなっているとの事でした。
 午後からは地元の13団体(以下に詳細を記す)と現状報告や意見交換をし、宮城県内の被災障害者支援を行うため、「被災地障がい者センターみやぎ」を立ち上げることを決めました。
「被災地障がい者センターみやぎ発足」会議 会議内容
関係・参加団体
CILたすけっと、こっぺ、ピアサポートセンターそら、
わはわ、宮城精神しょうがい者団体連絡会議、グル~プゆう、アフタースクールぱるけ、B‐NET‐CLUB、社会保障推進協議会、ゆにふりみやぎ、共育を考える会、
フリースペースソレイユ、ドリームゲート、きょうされん宮城支部、ゆめ風基金
・名称
   ・被災地障がい者センターみやぎ
・代表者
   ・及川 智 (CILたすけっと代表)
・事務所
   ・CILたすけっと内に設置
・活動内容
   ・宮城県下の被災障がい者の支援。
会の運営に参加している、いないに関わらず、広く被災障害者のニーズを調査し、具体的支援を行っていく。
・スタッフ
CILたすけっとのスタッフ、B-CULB-NET・田中さん、ゆめ風基金・八幡、出羽の他県内外のボランティアで構成する。
・当面は障害者の活動拠点を中心に聞き取り調査を行い、物資や見舞金の支給を行うとともに、ボランティア等の派遣要請にもこたえられるよう、活動拠点の整備を行う。
・調査について
 被災障害者の現状把握については、現在の被災状況の聞き取りを行うだけでなく、今後様々な状況変化のなかで相談・支援が行えるように、人間関係を深めていくことを大きな柱として、顔の見えるネットワークを広めていく。
 
※次回会議予定:4月11日(月)午前11時。
 会議後、事務局の体制づくり、翌日の行動などについて、打合せを行う。
 夜になって、ゆめ風基金の代表の牧口さんの知人、光野さん(神奈川在住)が事務所に来られる。
 石巻市の避難所となっている「遊学館」がひどい状況であると障害者仲間からの情報をもらったことを伝えに来られた。障害当事者で石母田(いしもだ)さんと連絡を取り、とにかく訪問することを決定。
 石巻市には、他助っ人職員・小椋さんの先輩である村上さんが社会福祉法人祥心会で支援活動を行っていると聞き、合わせて訪問することとする。
4月1日(金)
 9:00  打合せ、準備。ゆめ風ネット埼玉の吉田さんの知人、新野さんが事務所に来られる。一緒に石巻へ行くことにする。
 11:00  事務所を出発。(八幡、出羽、新野)三陸自動車道を通り、石巻へ向かう。
     道路の右側には津波の傷が深い所が多く、左は被害が少ない。
     道路は走れるものの、でこぼこが多く高速道路とはいえ、時速50キロ制限。
 12:30  最初の目的地である祥心会事務所は、海岸に近く、車がひっくり返り、船が海から陸へ押し流された風景が並ぶ。こんなところに無事な拠点があるのかとみんなで首をかしげつつ、カーナビに従ってすすむと祥心会が運営するひたかみ園(知的障害者更生施設・入所)があらわれた。ほんの少しだけ土地が高くなっている程度なのに、ぎりぎり災難を逃れていることにびっくりした。
施設は3月23日に取り壊して建て替えを図るところで、既にエアコンなどは取り外した後。
 そこへ今回の大地震・津波があり、その施設が町民の避難所となったということだった。施設へ逃れてきたのは、自衛隊が救出した人やこの春に祥心会を通所する予定だった人等様々で、40人ほどの避難者のうち、6人ほどの車椅子利用の人を確認できた。
  災害から3週間がたったこの時期でも、電気が復旧したのは、一昨日という事でした。
 以下は同伴した新野さんによる報告
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訪問日時 2011年4月1日
訪問先  石巻祥心会
対応者  理事長 、相談支援専門員
訪問者  八幡 出羽 新野
現況   石巻市   人口    約16万人
           避難者   約2万人
     祥心会
身体障がいのある方は社会福祉協議会、知的障がいのある方は祥心会が支援を行っている。
     知的障害者入所更生施設  50名
      立て替え予定で、23日に取り壊し予定だった。(エアコン等は取り外している)
      仮施設に利用者ともども移転していた。 
     他の事業
      通所施設(数カ所)    200名
      GH・CH(10カ所の内3カ所は損壊または水没)    
      生活支援センター
     職員数
      150人
     授産作業
      養鶏 
      リサイクル軽油、等
 
概要   
施設建て替えのため、仮施設に移転が完了し、23日に取り壊し予定だった。11日震災当日は、津波がすぐ隣の敷地や門まで押し寄せたが、わずかに敷地が高かったこともあり、難を逃れた。その後、自衛隊のヘリに救出された方が、とりあえずはと言うことで敷地内に降ろされ、帰るところが無く移動できずにそのままとどまっており、施設を避難所として利用することになった。
その後、日赤病院などからも医療対応でないとされた方や自宅にいた障がいの方、学校避難所などから移ってきた方などを受け入れ現在約180名の方が避難している。
 電気・ガス・水道が不通となり、備品の発電機や作業灯などあるものを有効に活用し乗り切った。当初はガソリンなども手に入らなかったが、リサイクル軽油を活用し、ディーゼル車で運搬などを行った。また、市内の取引のあった養鶏業者と連絡を取り、津波で塩をかぶったりして出荷不能となった卵をゆで卵にして配る。施設にあった回転釜を使い、プロパンガスを提供してもらって、日に1万個くらい茹で、延べ数万個、市内の避難所に配りながら、安否確認を行ったとのこと。
食料は、米を1年分買い置きしていた、キュウリなどは出荷ができないからともらったりしたとのこと。
 支援は、150人の職員とボランティアで行っている。職員は、今年度15名の採用予定者を予定通り雇用、可能な方は前倒しで支援に入ってもらった。施設内の支援は、ボランティア9人で、24時間行っている。
 ボランティアは、京都の相楽、新潟リトルライフの方が窓口となり、○月○日から、○人ボランティアが欲しいと要請をすると集めてくれている。
 診察など震災当初は保険証がなく窓口で10割負担を求められたりして、理事長が立て替えたりもした。その後、本人は逃げてしまったらしいが・・・・。
市内の地域活動支援センター、生活介護事業所も被害を受け、事業所ごと避難してきている。救難用のテント、発電機なども食料、灯油なども届くようになり、30日には電気と水道が復旧してようやく落ち着いてきた。
困っていること、今後の課題
      防水シーツはたすけっとより宅急便で送付。
     学校避難所は、21日までに出るように指示があったとのこと。今後は、施設に入っている、一般の方の仮設住宅への移動、避難障がい者の受け入れで避難者の入れ替わりがあるだろうとのこと。建設される仮設住宅へは車イスの方などは、生活が出来ず市にケア付き仮設住宅を提案したができないという返事だった。在宅でいる方が今後避難の必要が出てくることもあり、日本財団の補助を受けて実施できないか検討中とのこと。
     
所感
地方都市に行くと、社会福祉事業を行う社会福祉法人が少ない。地域の福祉はその法人が握っていると言っても過言ではない状況も決して珍しくはないだろう。しかし、正直な気持ちで言えば、あまり過大な期待は無かった。
 高速を降り、インターチェンジ付近はイオンやスーパーマーケットなどが開店し、人と車で混み合っていた。車が進むにつれ道の隅に積み上げられた泥、段々と量が増え、壊れた家や金網フェンスの上に乗っかった車など日常ではあり得ない光景が広がるようになる。港に至っては、大きな船が、舫いをつないだままの状態でうちあげられていた。本当にこの先に施設があるのだろうかと不安に思いながら訪れると、施設の中は景色が一変していた。案内されたプレハブの事務室ではじめに食事を出され、遠慮していたがたくさんあって余っているのでどうぞと言われ、話の合間にいただいた。状況から言えば、とても外部の人間に気を遣っているどころではないだろうけれど、その心遣いがとてもうれしく、頼もしかった。
      地域の状態の把握や、誰でも困った人に対して支援を行っているとのこと。地域福祉を実践している、できることを行い、あるものすべて活用している。
      旧来の入所施設は、行事などを行うことが多く、様々な備品を備えているところが多いと思うが、こういう時に本当に役に立っていることに改めて感心した。
      障害者自立支援法への移行の最中、入所施設を抑制している状態だが、非常時にこれだけのことができる機能と地域福祉における役割を実践できている状況を目の当たりにすれば、その方向を一概にすすめることに疑問を感じてしまう。
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15:00  遊学館
    障害当事者の巴さんと約束し、合流。光野さんも同席。
    ほとんど寝たきりの人ばかりが140人もいる避難所はこれまで聞いたことがない。しかも市の人は「私は当番なので、何か質問があるなら、市役所へ行って下さい」というだけで、市、社会福祉協議会、医師、看護師(看護師協会からの応援を含む)など専門職種の人が集まりながら、誰がこの避難所運営の責任を担っているのかよくわからない状態。子どもたちが4人ほどいるのが不思議な光景で、声をかけてみると、「友達に誘われてきた」ボランティアと言うこと。しかも学年は中1。1~2週間続けているということで、かなり疲れている感じが見受けられた。
 もともと石巻市立病院が運営できなくなり、医療があまり必要ない患者と医師、看護師がここに避難したことをきっかけに、自衛隊の救出等で一般の避難所が難しいと思われる人もここに運び込まれたのではないかと思われる。
 体育館の様なフロアに蒲団が敷きつめられている様子は他の避難所と変わらないにしても、座位を保てる人がほとんどおらず、排せつもその場で行っている光景が他の避難所とは明らかに異なっている。子どもたちのボランティア姿が、痛ましく見えて胸が締め付けられた。
 以下はまた新野さんの報告。
訪問日時 2011年4月1日
訪問先  石巻市遊学館
対応者  石母田 政則氏
現況   石巻市   人口    約16万人
           避難者   約2万人
     遊学館
           石巻市の複合施設、文化体育館が避難所となっている。
 
概要   
      石母田氏は電気屋さんで、奥さんが看護師だったが、避難所での支援で倒れてしまい、代わりにできることをということでサービスの調整などを行っているとのこと。避難所自体は、石巻市の管轄で職員が交代で詰めている様。津波で孤立状態だった石巻市民病院の入院患者も避難してきている。医師、看護師、PTなども詰めている様。“様”とあるのは、出向してきている市役所職員に避難所状況を伺いたいと話しかけたが、職務で出向してきており、権限も何もないので話せない、役所に行くように言われ取り合ってもらえず、聞き取りが出来なかったため。この避難所には140名近くの方がいる。常時介護は必要だが、入院は要しない方が多く、介護特別養護老人施設津波で流されたGHの方などいろいろな施設から来ている方が多いとのこと。
      布団が並べられていて、大半の方が横になっている。パーティションなど仕切りが無い。石母田さんによれば、パーティションはあるとのことだが、トイレに行きたい時は、手を挙げてもらうようにしていて、見えなくなるときついという話。社会福祉協議会の人は昨日来たが、避難所に関与しているわけではないとのこと。中学1年生のボランティア4名が常に布団の間を回り話しかけたり、介助を行っていた。トイレの中での介助は看護協会のジャンパーを着た方2名が対応。オムツ対応の避難者に介護エプロンを身につけた方が2名で順番に交換作業を行っていた。ここには余り物が来ていないと言うことだった。      
所感
      遊学館の中に入るとガラス越しに体育館の中の様子が見えた。上半身を起こしている人や、片隅のテレビを見ている方がいるが、大半の方が横になっている。全容が見渡せるということは、仕切りが無い。中に入ると、布団の間を常に歩き回っている子供達がいた。市の職員に話を聞こうとしたが取り合ってもらえず、正確、詳細な情報が聞き取れなかった。心情は察するところはあるが、杓子定規な受け答えは切ないものを感じた。
      子供達4人が常に避難者の間を歩き回り、横になっている方に話しかけたり、手を挙げた方に車イスを押して駆け寄り、移乗を介助したり、あるいは大人を呼んで対応してもらっている。トイレまで車イスを押していき、看護協会のジャンパーを着た方に引き継ぐ。トイレから出てくると布団の所まで車イスを押していくが、下りスロープでは後ろ向きに下がりるし、スロープを上ってくる人がいるときは安全確保のためだろうか、上で待っていた。あまりに見事な介助に、一人の男の子を呼び止めて少し話を聞かせてもらった。1,2週間前からボランティアに来ている。他の三人も同じで中学1年生になると言うことだった。地元の子供だが避難してきているというわけではなく、希望して通ってきていると言った。話していて重々しい顔つきがとてもいたたまれなく思った。女の子の一人が足を庇って歩いていて、靴を履いた方が足を痛めないし疲れないとアドバイスすると、靴を履くようにしますと笑顔で答えてくれた。誰が、介護技術を教えたのかはわからないが、支援に必要なのは気持ちや利用者への安全配慮だけではない。看護師やヘルパーらしき人たちは皆靴を履いていて、なぜ動き回る子供達が裸足なのか理解に苦しむ。そして、この過酷とも言える環境に、長期間懸命にがんばっている、そうしていることがとても心配になった。一人の大人として胸が痛くなった。
      ヘルパーらしき二人が順番におむつ交換を行っているが、陰部を隠す配慮などが全くない、丸見えの状態。
      この避難所にいる方は、何らかの病気、障がいがあると思え、行動の一部または大半を介助、支援が必要とする方が殆どではあるが、震災後三週間も過ぎ、この野戦病院の様な状態はどうすれば、少しでも改善できるだろうかと考える。
      可能なら、私も介護に入りたいと思った。それで、支援力が少しでも改善されるならそうしたいと。      
      だが、おそらくこの避難所の問題は、違うところにあるように思える。市が管轄し、病院スタッフもいて、ヘルパーのようなスタッフもいれば、子供達のボランティア、看護師協会の方もいる。それぞれが連携協力が充分にとれているのか、現在の状態は適切な対応なのかを点検し検討していただきたい。
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19:00 事務所到着
   東京のJILのメンバーが物資をもって到着。(西尾、阿部)
   夕飯を食べながら、意見交換。
24:13 東京の杉田さんが合流。(新宿よりバス)
    この間の経過など意見交換
2:00 事務所を出て宿舎で就寝。

宝塚で街頭募金

宝塚の街頭募金
 3月31日夕方宝塚駅前で被災障害者救援資金の街頭募金を行いました。障害者情報クラブを中心に市内の障害者約三十人が集いました。今までやった募金とは市民の反応が明らかに違い、各年齢層満遍なく協力いただきました。最初に小学生が何の躊躇もなく募金してくれました。ありがとうございました。
http://blog.zaq.ne.jp/sakaue/category/1/
障害者救援募金(兵庫県内)の予定
・JR・阪急宝塚駅連絡陸橋  午後5時30分~7時30分
   5月10日(火)・24日(火) 6月14日(火)・28日(火)
・元町・大丸神戸店前(予定) 4月から毎週土曜日 午後4時~6時
・JR西宮駅前 毎週月曜日 午後5時~8時

救援金を送りました。

障害者救援本部東京と郡山と仙台に各500万円を送金しました。
障害者救援本部東京の西尾さん(JIL)は今日から4日間の予定で
仙台と郡山に物資を運んでいます。

障害者救援本部大阪会議の報告

 3月31日午後6時半より、障害者救援本部大阪の第3回目の会議が開かれ、16人の出席を得ました。
 先日東京に行った牧口一二さんから、「戸山サンライズで被災障害者たちと話をした。故郷を離れることに抵抗があり、戻ることを希望する障害者もおられるようだ。」という報告がありました。
 細井さんからは障害者救援本部東京の報告がありました。「物資を仙台、郡山の障害者拠点に届け続けている。福島から避難した東京の避難所の運営も担当。電話と口座開設が完了し本格的に動き出す。郡山の被災地障害者センターにスタッフを派遣している。」  
 ゆめ風基金の事務局からの報告として、「永さん、小室さん他の呼びかけ人の方が、いろいろな媒体で宣伝してくださっているので、応援したいと言う方からの問い合わせが殺到している。
 これまでで500人を超える方からの電話があった。街頭募金も既に2回終了、毎回90人の参加者があり、60万円を超える募金が集まった。
 ゆめ風基金理事の八幡隆司さんが30日に仙台に入りコーディネートを開始。応援スタッフとして大阪のパーティパーティから1名、名古屋のわっばから2名が入った。応援要員宿舎と倉庫も設置。31日に仙台の障害者団体が集まって話し合った。作業所の設備、備品などが壊れているところが多く、改めて被害調査を行い、ゆめ風基金をお届けする予定。今後障害者の被災調査などを行い支援活動を本格化させる。」
 郡山のCILあいえるを拠点に被災地障害者センター福島が発足しました。障害者の安否確認や被災調査、相談、救援物資を届けるなどの支援活動を行います。
 原発については、非常に深刻な事態であり、場合によっては、福島の障害者、家族、サポーターが東京に避難してこられることも想定され、受入体制を早急に検討することが必要になるかもしれません。大阪からヘルパーの応援に入ることも考えなければならないでしょう。
これからの動きとして
 岩手の拠点については花巻の障害者相談員とつながり、今後連絡をとりあっていく。
岩手の情報は大阪府、大阪市、連合の支援活動を通じて、知らせてもらうよう楠さんから要請してもらう。環境ネットワークなどNPOも岩手に入っているのでそちらからも障害者情報を入れてもらうように要請。ゆめ風ネット札幌が週末から岩手に入り障害者情報を集める。
神戸NGO協働センターが遠野に医療拠点を立ち上げ、沿岸部の避難所への支援を行っている。
精神障害者の被災情報として
岩手に25病院、宮城に25病院、福島に15病院ある中、宮城の3病院が倒壊。
宮城の当事者団体「心のネットワーク」が、会員の安否確認、支援を行う予定
救援金の送付
4月1日、ゆめ風基金から東京本部と仙台、郡山の拠点に各500万円を送金する。
その他
大阪府が岩手県の透析患者受入体制を整備した。朝日事業団が東京本部に1500万円の助成決定。仙台、郡山拠点に車両など500万円助成。
などが報告されました。
次回会議は4月18日6時半にパーティパーティにて。4月15日に障害者救援本部東京会議が開かれます。

情報提供

情報提供
精神疾患を和らげる方法
♢ つらい症状を整理して、書いてみてください
♢ 考えられる対処法を、思いつくだけ書いてみましょう
♢ 書きだした方法を簡単にできる順に 試して自分に合った方法を探しましょか
♢ 深呼吸をしてみましょう
♢ 散歩もいいですよ
♢ ストレッチ 体をう~んと 伸ばしてみましょ
♢ 「大丈夫」と自分に言い聞かせていきましょや
被災地 心のケアの電話相談
午前6時~午前9時 0229-23-3703
午前9時~午後5時 0229-23-0302
午後5時~午前2時 0229-23-3703
被災地 東北 こころの健康相談 統一ダイヤル
TEL 0570-064-556
岩手県 9時~16時30分
宮城県 8時30分~17時15分
福島県 9時~17時
茨城県 9時~12時  13時~16時
被災による 心のケア 精神障害 電話相談
0120-111-916
                   ブログ・エクセルシアより