八幡さんより
八幡です。
石巻に同伴していただいた新野さんより、福島のまちについての概況報告が来ま した。転送します。
郡山市の状況について
夜中に郡山市に到着。交通量は少ないが、コンビニ、ガソリンスタンド、ファミレスなど開いているところがある。一休み・・・。今日から営業再開の銭湯があった。他はまだ休業中。やっと再開できました。ながらくお待たせいたしましたと言っていました。フロントの職員は問い合わせの電話対応にかかりきり。開店時には20人ほどの方が集まっていた。市内は、塀の倒壊、ショーウインドウの破損、壁の破損、屋根にブルーシートをかぶせた所など所々ある。車道は補修をしているところが多いが、歩道は陥没等している箇所が多い。しかし、通勤している人、散歩している人、日常が感じられる。店も皆普通に開いている。ガソリンスタンドも並んでいるところは殆どない。
相馬市の状況について
国道6号を挟んで東側は津波の被害があり、残骸が多い。国道6号から海岸に向けての道路は一部開通していなく、自衛隊が作業中。電気は住宅密集地には復旧しているがすべてではないと言うこと。店は、コンビニ、ホームセンターなどは殆ど開店している。トイレが使えなかったり、一部商品がないものもあるが生活必需品はほぼ揃う状態。しかし、ガソリン携行缶はない。灯油販売はしている。水は一人5ケースと張り紙があり山積み。
セメント、ブロック、鉄筋を買い求める人が多いと思いました。
ガソリンは、市内のスタンドがタンク破損などで営業できないところもあり福島市か郡山市に行かないと足りない。イタリアンレストラン、パチンコ屋なども開いている所がある。
マスクをしている人が多いが、泥埃がすごいからとのこと。道の駅相馬で救援物資の仕分け場所になって続々と物資が入って来ていた。トイレを利用する人は多いが、手を洗う人は皆無。一人のこともが手を洗おうとしたのを父親が止めていた・・・・。
パンク修理で立ち寄った潜石のモータースで聞いた話。すぐ手前まで津波が押し寄せ流された人も多い。車検などは特例措置で11日までは延長されたのだとか。しかし、その後はないだろう。この状況に来て、認定民間車検を行っている、南相馬、相馬のおおてディーラー関係が1年ほど閉鎖する予定で、福島市まで行かないと車検ができなくなるかもと。車を修理にくる客も多いが、部品によっては日数がかかるものもあり、原発がどうなるかですぐに逃げなければならなくなるかもしれないと急いでくれるように頼む人が結構いるとのこと。モータースの方ももちろん気にしながらの営業だと言っていました。
南相馬市の状況について
国道6号、原発から30キロ地点には「10キロメートル先立ち入り制限中」とかかれた看板があり道路の真ん中で警察車両が待機している。道路の景色も南相馬市に入ったぐらいから様子が変わる。コンビニもレストランなどどの店も殆どが開いていない。原町火力発電所のあたりは津波が国道6号を超え、国道そばに漁船やクルーザーがごろごろしている。陥没箇所がパイロンで仕切られており、交互通行の箇所があった。歩道の陥没や、地割れはパイロンがおいてあるが補修はしていない。30キロメートルの区域内では、殆ど復旧作業が行われていない。海よりには、手つかずの状態とのこと。
原町に入る峠の頂にドライブイン兼ラーメン屋、向かいにもビジネスホテルが開店していた。役所は開いているが、避難してしまった職員もいて手が回っていないらしい。病院も同様とのこと。郵便、宅配便、新聞などは配達してもらえない。事業所止めで、到着すると電話連絡があり受け取りに行かなければならない。行き交う車は警察車両か自衛隊車両が殆ど。夕方からは消防車も加わったが、普通車はあまり見かけない。店の看板は点灯しているが開いている店はない。家はあっても人がいる気配を感じない。南相馬の道の駅から2キロほど南下するとバリケードでこれより先立ち入り禁止の掲示。そこから、磐城太田駅、横川ダム方面へ。
家はあっても、人のいる気配がない。自動販売機など電気は来ているが殆ど売り切れランプが点灯している。行き交う車は消防車か警察車両。後ろに消防車が来たときに道を譲ったら、同じように端に停止。動き出すとまたついてくる。どうも不審車両と思われている。横川ダムあたりは、もともと人家が殆どないが、道の地割れ、土砂崩れが多く、崩れた岩が道の端々に落ちている。
番外編
原町のドライブイン兼旅館で食事に入った。2人の男性と1人の女性が話し込んでいた。始め、「何の調査?」と聞かれ、「ただの客です」と答えると、慌てて女性が「いらっしゃいませ」と答えながら水を取りに行く。注文は、何でもできると言われたが、餃子を注文したら、ないのでラーメン大盛りを注文。話に入りいろいろと聞かせてただいた。この女性がこのドライブインの女将さん。2階がドライブインで長期間滞在する下宿の様な所になっている。10人くらいの人が滞在し長い人で35年くらいいる人もいる。女将さんが世話好きで、いくところのない人に提供し仕事を紹介したりしているそうだ。役場からそういう人を紹介されたりすることもあるという。近くの火力発電所で働く人や生活保護で暮らしている人もいる。中には、アルコール依存の方がいて、今まで何度病院にいれてもすぐに元に戻ってしまう。下宿している間に脳梗塞などを起こして身体障害になった方など6人が一緒に新潟県に避難しているらしい。ただ、原町火力発電所が運転を始めるというので、そこで働いている人は呼び戻され、その人の話を女将さんが聞いているところに私が入っていった。避難所で、アルコール中毒の方のいびきやたばこの窃盗などがいつもあり気が休まるときがなかったとのこと。アルコール中毒の方がどうしたら直るだろうかと相談されました。できるアドバイスを告げ、吉田にDARCの連絡先を教えてもらい、まず相談してみてはと連絡先を渡しました。
「福寿園」という避難地域にかかる特別養護老人ホームがあり、女将さんの夫が、脳梗塞で左半身麻痺、要介護度5、身体障害1級の状態になりリハビリの末このホームに入所していた。毎日訪れていたそうだが震災直後は行くことができず、16日夕方に訪れたときに、まだ昼飯を食っていないと聞かされた。職員の方によると震災後から食事が一日2食の状態だったとのこと。電気・ガス・水道なく暖房もできない状態だった。職員も被災して職場には2,3人で対応しているとのことだった。その後家族に承認をとり、神奈川県の他施設に避難が決まる。バス4台で付き添い職員は2人とのこと。職員から連絡があり、夫が那須塩原の病院へ運ばれたと知らせを受け、駆けつけるがすでに死亡。施設関係者は誰も付添がなく、施設長などからの連絡もない。遺体搬送も30キロ圏内ということで断られた。仕方なく、現地で着の身着のまま荼毘に付したと言うことだ。施設に食事を提供していた業者も提供してくれず、水もなくなりその状態で避難バスに乗せられ、あげくは死に目にも会えず火葬や安置所の費用など50万円ほど負担した。どこに言ったらいいのかわからない、このままでは済ませられないと話していました。
国道4号から海岸のところは壊滅状態で、手が付けられていない。家族の誰かが生き残っていれば、捜索とかしている人もいるが、そうでない場合はそのままの状態。片付けのための重機も住所を言えば、レンタルさえしてくれない。
浪江町、館村、川俣町、二本松市、田村市、三春町の状況について
18時頃、横川ダムを過ぎ、トンネルを抜けると昼曽根にでる。ナビは左を示しているが、立ち居禁止のバリケードのため右折。時折家はあるが、明かりが全くない。トンネルを抜けるとまた看板があり避難地域と書かれてあった。道沿いに時折民家が見えるが、明かりなどもなく気配がしない。時折、福島ナンバーの車とすれ違う。巡回の警察車両もいる。牧場と書かれた看板あたりには、明かりが見えた。あるいている人がいて、尋ねたところ、このあたりは原発のことだけでなくガソリンのこともあり牛の世話などや消防の方などどうしても離れられない人しか残っていないのでは・・・と言う話だった。話してくれた方の家族も親戚に避難しているとのことだった。葛尾村方面への道にはパトカーと警官が待機しており立ち入り禁止の×と大きくサインをするので引き返した。21時頃、川俣町に入る。やはり人家はあっても明かりや気配がない。道路もパイロンをおいているが、陥没やひび割れなどは補修されていない。川俣町役場のあたりは住宅密集地で明かりが家の中に明かりが結構見えた。しかし、コンビニなどは開いていない。22時頃、二本松市に入ると、道路はあちこち補修の後が見える。民家にも明かりが見え、笑い声が聞こえてきた家もあった。23時頃、田村市、三春町に入るとコンビニが開いている。24時間営業をやっと再開したとのこと。品物もかなり揃っており、注文しても入ってくるようになったとのことだった。国産のたばこもまだまだ種類が少ないと言っていたが、マイルドセブン系はひと揃いあり販売制限もない。外国たばこは人気がなくってねと店主。そこからのコンビニはたいてい開いていた。車も見かけるようになってきた。三春町の道路はトラックの通行が多いと感じた。船引三春インター前のガソリンスタンドは24時間営業を再開しており、待たずに補給できた。