障害者救援本部東京の杉田 健太郎(CILふちゅう)さんの福島報告
4月2~4日と、仙台・石巻・多賀城市・福島市・南相馬市(沿岸部含む)・田村市・いわき市・郡山市へ行ってきました。
(東京事務局、西尾・安達とともの行動)
現在私は郡山におり、金曜にいったん戻り、15日の会議までをめどにこちらにいる方向で調整中です。
◎福島県内の簡単な街の状況報告
・4月3日午前 福島駅前 人少なし、
午後 南相馬市(30キロ) 人口7万人→2万5千人(避難のため)ゴーストタウン化
物資は配給 (田中康夫炊き出し中) 役所は手続きで混雑 発信ある弱者の安否確認はできている300名前後(社協より)
・4月4日 午後いわき市 1週間前のゴーストタウン~お店復活、水はいまだ5割断水 完全復旧は4月20日ころ 物資の過剰供給状況 平穏取り戻しつつある。子ども街でよく見かける。
午後 田村市(原発45キロ) 街機能回復 多くの店が再開 自衛隊のときわ拠点の撤退があれば田村の避難の目安であろう。
◎現地の話
(切迫感が伝わるように直接聞いた言葉に近いものを書きます。)
国は、県を捨てた。福島はもう原発と生きていくしかない、
国は補償をしたくないから、自主避難といって、責任逃れようとしている。
(これは田中康夫氏も同じこといいつつ、南相馬市役所でカレーの炊き出しをしてました。)
津波と異なり、家があれば戻りたい心理働く、特に2週間以上の避難・親戚居候は限界の時期であったことよくわかる。(今の田村市、いわきはその例である)
宮嵜や岩手となどとケース異なる。 原発と余震の不安から戻る戻らないと、揺れる住民心理。
仮に避難しても「逃げた」といわれる田舎地域での関係性、
県は放射能のアドバイザーたちは、県民の調査に来た。低レベルの放射能を長期間浴び続けた場合のデータを取りたいだけではないか?モルモットだろう。
国の安全基準はあくまで、今スグに健康被害がでないもの。5年10年浴び続けたらどうなるのか? 国は信用できない。
今後、福島県民は新しい差別、風評被害や出生、結婚、いろいろな不利の中で生きていかなくてはならない。
またそれが不安で、母子どもを疎開させているケースある。
土地へ対する思い、ある程度年齢言った人の中でのあきらめ
県内の人自身も地震や放射能への感覚が鈍ってきていると感じる。
20キロ圏内の残っている住人は、自衛隊の説得に応じない(残っている方高齢者や障害者中心に50人~数100人という話、理由はさまざま避難所行っても家族に寝たきりがいるからいい、自分も具合悪いから行きたくない。牛が出産だから、土地で育てたものがあるから、隣組があるから、、それぞれの理由でとどまっている様子)
福島市・郡山市も本来は避難だろうが100万人もの人の移動と保障は現実無いだろうから、自主避難しかない。
地域を出ていった、人を責めることはできない。
皇居から、京都御所へ移動が一つの目安
放射能を正しく怖がってほしい。 福島県を孤立させないでほしい。
◎伺ったILセンターや福祉団体の希望
当事者(ピアカン)の長期派遣(IL福島)
原発勉強会の実施、県が孤立しないため県外から人入ってきてほしい。
ヘルパー資格の自薦復活(地元での雇用)(IL福島・郡山オフィスIL)
ヘルパー派遣(男、郡山オフィスIL 女、福祉のまちづくり 田村市)
請求金額の休業による減額分保障の国への要望(きょうされん系)
20キロ圏内の事業休業・立ち退きの保障の国への要望(きょうされん系)
近県での避難先の確保
次回の世話人会議までなにか活動上のアドバイスなどあればお知らせください。
なお仙台は、八幡さんがおられるので、私からは報告割愛させていただきます。
以下は、主な情報源、
ILセンター福島 (福島市)
南相馬市社会福祉協議会
被災地障害者支援センター福島
自立生活センターいわき
希望の杜福祉会(双葉、いわき)
福祉のまちづくりの会(田村市)
その他街の方など