【熊本地震】活動報告~ゆめ風事務局№3

6月7日
●9:30~【足湯ボランティア】
・西原村構造改善センター(西原村全体の福祉避難所となっている)にて、足湯ボランティアを行う。
・足湯させて頂いたのは、合計十数名。
精神障害の方1名以外は、高齢の方々。
「気持ちいい」と、みなさん非常に喜ばれていました。
足湯
・2ヵ月弱避難生活が続いている。
風邪気味の方もおられ、避難者・支援者ともにストレスがたまってきている様子。
・朝食はパン1個。
昼食はおにぎり2個と野菜ジュース1本。
夕食はホカ弁とのこと。
避難所ごはん
(お昼ご飯の写真)
偏った食事で、きちんと栄養が摂れているのか・・・
おそらく、これからなんらかの健康被害がでるのでは?と感じた。
14:00~【熊本市南区視察】
先日、「ヒューマンネットワーク熊本」の方から、南区の液状化被害の情報を得ていたので現状視察に。
液状化被害は見分けられなかったものの、地割れ、家屋ひび割れ、塀倒壊等の被害を確認。

17:00~【全体支援会議~各自の本日の活動報告
①ニーズ確認:視覚障害
建物の周りの状況を知りたいというニーズ。
同行しながら周囲の状況を確認した。
これまではあまり外出されていなかった。
ガイド付きでも歩行に慣れていない様子。
【対応】
・おそらく中途障害なので、訓練等受けているのかも含めて今後確認する必要があるかと。
今後も随時訪問。
②家屋解体・手続き支援:視覚障害
門扉無事解体完了。
罹災証明申請同行。
出張所はかなり人が多かったが、無事申請終了。
後日行政から被災状況調査。
③入浴介助:身体1級
日に日に回復されている様子。
歩行もしっかりとしてきている。介助もあまり必要なくなってきている印象。
④薪小屋撤去:障害者作業所・宿泊施設
崖に落ちた薪小屋を、チェーンソーで切断、引き上げて撤去。「(肉体的に)かなり大変だった」。


この件は、大阪救援本部からボランティアで熊本に行かれている方のレポートでご報告します!
6/7(火)報告【「自立生活 夢宙センター」アンディ】
本日は障がい者自立支援作業所の方より「まき小屋の解体」の依頼を受け、車で2時間程かけ阿蘇市まで出発。
現場に到着し、小屋を見てみると4m程の崖下に落下しており先ずは引き上げ作業??
折れた軽い木材はすぐに引き上げれましたが屋根部分が5人での人力では不可能な程重く、チェンソーで半分に切断したのち引き上げ。
崖が深く大きな岩が引っ掛かり崖の下に2人降り引っ掛かりを直しながら全員で引き上げるという作業がとても大変でした。
その後屋根を斧やチェンソーなどで解体し作業終了。
崖の下での屋根の切断は足場も悪く危険な作業でしたが、無事誰も怪我をする事なく終え良かったです??
僕は作業とは関係のない所で写真を撮ろうとし、地盤の緩い所を踏んでしまい危うく崖に落下しそうになりましたが運良く岩に足が挟まり少し足を擦りむく程度で済みました??(笑)
今日の班には東京からボランティアに来ていた防災研究所の小野さんと一緒だったのでロープのくくり方、落下物をハシゴに滑らし引き上げる作業など、防災の知識を活かしたやり方を教えて頂いたので、何とか作業ができとても助かりました。
本日も大阪「障大連」細井さんと一緒に行動させて頂き、共に作業を全力で取り組んでおられる姿を見て、行動を起こす大切さなど様々な場面で凄く多くの事を学ばせて頂けました。
本当に短い間でしたが、少しでも支援に携わる事が出来て現場で新たな出会いがあった事などこれから新たに支援に入られる方に伝える事が出来ればと思います。


東大阪の「自立支援センターぱあとなぁ」武内です。
熊本支援の報告です。
6月6日(最終日)
今日は、最終日ということで、午前中は宿泊所を提供したくれている「おれんじかふぇ」が現在営業している「青空かふぇ」にあいさつに行きました。
自分達で作っているクッキーやコーヒーの他に、九州の名産品などもかふぇのレジコーナーでおいていて、何人かの当事者の方がコーヒーをのんで一休みされていました。少し前に訪れたことを覚えてくれていて、「また来てください」とパンフレットをいただきました。今後はまた別の場所で開店されるかもとのことでした。
お昼からは、一昨日訪問させていただいた避難所の女性のところにご挨拶と引き継ぎも兼ねてお手伝いさせていただきに行きました。
仮設の広い浴室はガス業者がきてくれてないのでまだ使えなくて、結局は狭いシャワー室でのお風呂になりました。
確かに介助が必要な人は入りにくく、入れないままの方もある事を考えたら早く対応してほしいなと思いました。
先日受付の方に聞いたときには今日くらいには使えるということを言われていたのですが、受付の人たちの間でも情報の共有がなかなか難しいらしく、避難所の人の中でもシャワー室がいつから使えるかどうかが聞く人によって違うようで少し情報が混乱しやすくなっているような印象をうけました。
今日帰ることを伝えたら、「熊本には美味しいものがたくさんあるきん買って帰ったらいいよ」とおすすめのものを教えてくれて、また熊本に来たときは会えたらいいなと言ってくれて、何かしらのお手伝いができてよかったと思いました。
すごく短い期間で、お手伝いできることもすごく少なくて申し訳ない気持ちになりましたが、今回のボランティア活動に関わらせていただいて本当にありがとうございました。
これから仮設住宅ができ上がって、避難所から仮設住宅へ引っ越しできても安心できるわけではなくて、そこから地域での生活に戻るまでの間にもたくさんの問題があって、支援が必要な人もたくさん増えていくんじゃないかと思います。
今回の短期間だけでなく、またお手伝いができる機会があれば少しでもいいので何かができたらなと思いました。
ありがとうございました。


皆さん、本当にお疲れさまです!!!

【熊本地震】永村夏美さんの熊本活動報告№5

6/6(月)>
朝のミーティングは事務所から人が溢れかえるほどだった。
DPI佐藤さん、今村さん、ピープルファースト関係、新たに来たボランティアなど。
昼の飛行機で帰阪の為オレンジ村の「青空カフェ」に寄って帰ることにする。
オレンジ村は被災して営業できないため屋根のあるオレンジ村の駐車場で営業中。
コーヒー期間限定100円、美味しいお菓子も販売している。
DPIメンバーも後でお茶を飲みに来られた。
先日訪れたジャマイカの障害者の現状を少しお話して(注:夏美さんは個人でジャマイカ訪問されています)に、支援のノウハウについてまた相談させてくださいとお願いしてカフェを後に空港に向かった。

(ピープルファーストの皆さんによる寄せ書き)
【まとめ、思い出したことなど】
●まだまだ困っている障害者と繋がっていない。
特に知的障害当事者や家族がどう過ごしているか全然分かっていない。
●西原村の福祉避難所「構造改善センター」のボランティア管理は社協からNGO協働センターに引き継がれると東先生のお話。社協はもとの業務に戻していく。
●センターくまもとではセンターみやぎのような「ボランティアオリエンテーション」は無い。
出向くボランティアがネットなどで事前に情報を入れておくとスムーズ。
●センターと繋がった当事者男性2名が居心地が良さそう。
出逢えてよかった。(お二人ともシャイですがこちらから話しかけると嬉しそうにされます。)
東北の時を思い出して思うこと
●展開が早い。
2011年6月に仙台にいた頃はまだ障害者を探している段階だった。
現在センターくまもとには沢山の個別ニーズが上がってきており支援に入っている。
●役場職員や被災者にお話を伺う時に教えてもらえる情報量が東北の時より多い。
東北では「大丈夫です。困っていることはありません。」と言った具合に聞いても聞いても情報が取れなかった。
この事を精神保健福祉士で久留米市議会議員の藤林さんにお話すると、「私の友人の精神科医が東北で勤務していた。その人曰く、東北の人達はもともと心の内を話さない。震災後はもっと話さなくなってしまった。精神科医として治療するには患者に話してもらわないといけないのに話をしてもらえない為、その人の状態を想像して薬を処方したりするしかなかったそう。」と話した。
またその精神科医は「阪神淡路は笑いで乗り越えた。東北は耐え忍んで乗り越えた。熊本の人達はこれからどう乗り越えていくか」とも話したそう。

(センターくまもとに貼られたくまもん応援メッセージ)

(帰りの飛行機から見た熊本市内の様子。ブルーシートの青色が目立つ)

【熊本地震】ボランティア活動報告~永村夏美さん№4

●6/5(日)日中
益城町ほど報道はされないが同じく被害が深刻な西原村に調査に行く。
昨日花田先生がセンターに紹介してくれた「NGO恊働センターの増島さん」を通して福祉避難所になっている「構造改善センター」に行きたかったが、増島さんの連絡先が分からなかったので西原村の社協と村役場に行く。
役場の職員は「福祉避難所に避難している人も基本的に自分や家族の力で避難してもらっている。
避難所を出た時に自立してもらわないといけないので今まで受けていないサービス(見守りなど)を提供することはない」と話した。
震災以前から困っていること震災以後困っていること、どちらにしても必要な支援は提供すべきなのにそういう観点は全くなさそうで「だめだこりゃ」と思った。
チラシを各避難所に届けていいか聞くとこちらに預けてくれたら避難所の責任者に渡しておくと断られた。
どうしようかと思っているところにセンターから連絡があり増島さんと連絡ができ、構造改善センターに案内して頂ける。
構造改善センターの受付にいる責任者のような男性が快く説明してくれた。
福祉避難所であるが一般避難者もいる。
現在福祉スペースには家族を含め31名の避難者がいる(全体は70名ほど、昨日の増島さん情報)。
看護師や介護協会から派遣された介護士はいるが、福祉スペース避難者は外出が困難なために避難所で同じ人と話すばかりになっている。ボランティアが話し相手になってくれるのは歓迎。
ただし介護福祉に関わることはもう何度も看護師などにも話しているので、困りごとも質問するのではなく日常会話の中から拾うようにして欲しい。今回は増島さんが後でボラセンを通してくれることになったが基本的には避難所に入るにはボラセンを通し腕章をしてもらわないと困るとのことだった。
増島さんが6/7(火)に足湯ボランティアに来るのでセンターからのボランティアもコラボして一緒にやりますか?と提案して頂いた。
センターに持ち帰り東先生に話すと実行する方向になった。
避難所の入り口にはホワイトボードに週間予定表があり、ところどころ「ピアノ」「足湯」「おでかけ」などがあり、いくつかのボランティアレクリエーションが取り入れられていることが分かった。
東先生から「顔を見てきて」と言われたSさん(車いすユーザー・男性)にもお会いできた。
西原村役場に隣接する体育館の駐車場で車中泊をしている。
家族は体育館に避難しているが体育館まで段差があるため自分だけ車中泊になっている。
お話が好きな人で、一般ボランティアと友達になって助けを得たり一緒に銭湯に行ったりご飯を食べたりしている。
避難当初は自分の車で寝泊まりしていたが仲間がツテで仙台から大きな車を用意してくれた。
車を持ってきた人は仙台から30時間かけて車を運転してきて「これシートも自由に外してもらっていいですから」と10分ほどで仙台にトンボ帰りしたという。脱帽!
Sさんのことはセンターのfacebookで動画入りの記事になっているのでぜひ読んでほしい。
センターくまもとのfacebook)
西原村のボラセン訪問。
1週間ほど前に役場前から場所を移転。
被災した大きな工場の広い駐車場に特設している。
地域内全戸訪問したとのこと。
センターのチラシを快く張り出し預かって下さる。
昼食は西原村役場のすぐ目の前の「たんぽぽハウス」でとった。
たんぽぽハウスは障害者就労支援を行っておりセンターからも東先生や八幡さんが何度も訪問している。
地震後たんぽぽハウスにも避難している人がいた。飲食スペースの横に布団が積んであり避難している人が継続的におられるように見受けた。
ごはんがとても美味しくてボランティアは缶詰定食100円、まぐろの漬け丼定食500円など格安で美味しいご飯にありつける。
たんぽぽハウスは避難者にも食事を提供しておられ、地震直後は炊き出しもしていたそう。
高齢男性がウエイターをしており調理場の女性もレジの男性も大忙しだった。
車中泊のSさんも避難所から提供されるホカ弁が受け付けなくなってたんぽぽハウスのご飯を食べることがあると話していた(金曜日のラーメンが1番美味しいとのこと)。
炊き出しで食中毒が出てから炊き出しが出しにくくなっている。
西原村体育館は朝は菓子パン、昼はおにぎり、夜はホカ弁と聞いた。
午後は益城町中央小学校へ。
居心地が良くて評判という避難所を見に行く。
中央小学校は益城町のホームページの避難所一覧には載っていない。
他のメンバーが避難所の受付で話を聞いている間、私は表に立っている「コープ」と「D-Cat」のボランティア男性に話を聞いた。この避難所は立ち上がってすぐにリーダー的存在が出来て、その人が指揮を撮ってうまく運営しているそう。
避難スペースが区画整備されており段ボールポールにシーツがカーテン代わりにかけてあったのもリーダーの発想かもしれない。「障害のある人は見かけませんか」と聞くと小学校がある時間帯に制服をハンガーにかけたままで避難所にいる女の子がいて気になったが今はそういうことはないとのこと。
受付で話したメンバーによると中に車いすユーザー避難者が3名。
センターのチラシを掲示、手に取るようにいくらか置かせて頂く。
6/5(土)夕方
夕飯は、おとといからセンターに遊びに来るようになった精神障害者のYさんとボランティア数名でカレーを作ってみんなに振る舞う。
私が「東先生がいずれ事業所を立ち上げた時のシェフにYさんをどうですか」と言って、第1回の採用テストみたいになった。
Yさんこだわりの隠し味チョコレートも効いて美味しいカレーが大量に出来た。
Yさんが魚を捌いてフィッシュソテーも出来た。
東先生のうまい!も頂き良い食事会になった。
Yさんは普通に会話できるが、人が多かったり慣れない人だとプレッシャーになり会話できない。
そういう時はオリジナルの手話を使われる。
その方が集中して話を聞いてもらえたり自分のペースに合わせてもらいやすいのだと思う。
彼なりの処世術になるほどと思った。
地震後の事を聞くと発生後1週間は水も電気もなくて困ったが水をもらいに行くことはせず水を買っていたそうだ。
配給所などに行けない人たちはそうやってやり過ごすしかない。
Yさんも大変ご苦労をされたと思う。
気づきなど
●熊本市内には学園大の他にも大学があるが学園大以外は避難所開設はなかった。
熊本大には医学部もあるから医療的支援もやろうと思えばできたんじゃないかと話していた。
●先日伺った精神Mさんの壊れた蛇口は関東から来ているボランティアのYさんが工具や物品を買い揃えて直した。
「直った蛇口を見てMさん喜んだんじゃないですか」と尋ねると「なんか唖然としてましたよ」と笑っていた。
Yさんは東北の時も色々なグループで活動しており、私が被災地センターみやぎに行った時も「仮設住宅に調査に行く前に地震や津波の被害状況を見て、目の前の人達がどういう事を経験してきたかを知っていた方がいい」と被災地を案内してくれた。
ボランティアのプロと言えるほどノウハウがあり謙虚で多才。
センターと繋がって以来センターで寝泊まりし、ボランティア活動にも一緒に参加してくれている知的障害者の男性はいつもYさんと行動を共にしている。Yさんが帰ったらどうするんだろうと思うほど心を許しているように見える。
●センターの片付け支援は基本的に一般の片付け支援に繋げる場合は繋ぐ。
しかし私が先日片付けたMさんのお宅は住宅診断で「危険」の赤紙が貼られており社協のボラセンからは派遣されない。
ということは結局そこには片付けボランティアは入れないということだと後から気付いた。
社協ボランティアはリスクマネジメントの観点で縛りが多いことが分かった。
(気づきなど終わり)

【熊本地震】ボランティア活動報告~永村夏美さん№3

★前記事からの続きです
被災地センターくまもとでのボランティア活動報告 (永村夏美 大阪「たびだちの仲間の会」登録ヘルパー)
6/4(土)
この日は「名古屋わっぱの会」Mさん(女性)、久留米市議会議員の藤林さん(女性)、大阪「ぱぁとなぁ」のTさん(男性)、私の4人1組で動く。
わっぱのMさんとは東北の震災後被災地センターみやぎでのボランティア活動以来久しぶりの再会であった。
午前中は益城町のお宅の片づけ。
身体4級の女性Yさんからの支援要請。
お宅は損壊がひどく住むことができないのでたまたま震災前に建てた離れに家族で避難している。
震災以前暮らしていた母屋は半壊認定を受けているが外観の写真を撮っただけで家の中の損壊を見ずに判断され不服とのことで再認定をお願いしているとのこと(※住宅診断に対して熊本学園大学・花田先生も役所に再審査を申し立てた。丁寧な審査が行われていない現状があるよう。花田先生のフェイスブックに詳細あり)。
花田さんのページ
部屋は仏壇が倒れたままで割れ物や衣類が散乱している。
もともとは台所の片づけ支援要請であったが台所に辿り着くまでの部屋も物が散乱していた。
ボランティア4名で伺いマンパワーもあった為片づけを進めさせていただく。
要るもの要らないものの選別をご本人にしてもらいながらゴミ袋6つほどのゴミを出し、衣類、孫のおもちゃ、調理用具など必要なもの持ち出しやすいよう玄関の近くに部屋にまとめる。
片づけの最後に「そういえば長年使っていたマグカップが行方不明で」とおっしゃるのでボラが台所へ見に行くとすぐに見つかり喜ばれた。
Yさんはとても明るく振る舞われ笑顔を見せてくれていたが「一人で片づけていたんじゃ途方に暮れてしまって」と時折胸の内を語られた。
益城町社協のボランティア要請に関する情報を伝えさせて頂き一旦はセンターからの支援は終了となる。
現在仮設住宅を申し込まれている。
Yさんとご家族の一日も早い生活再建を祈った。
「被災地障害者センターくまもと」にいったん戻ると事務局長の東先生が「気になる人がいるから午後様子を見に行ってあげて」とのことで精神障害をお持ちの男性Mさんのもとに4人で伺う。
Mさんは東先生のお知り合いの弟さんとのことだった。
震災後東先生がお兄さんから相談を受け、先日もセンターからボランティアが伺った。
屋根の損壊で部屋に雨漏りがしている件に関しては東先生がレスキューアシストという災害支援NPOに屋根にブルーシートを張るようお願いしている。
レスキューアシストから特殊なビニールシートをセンター(東先生?)が購入した。
昨日も別のボラが様子を伺いに行ったが留守だったそう。
Mさん宅に到着、4人で伺うと威圧してしまうかもしれないのでまずは精神保健福祉士でもある藤林さんと私の2名でお話を伺うことにする。
表の玄関は開かなくなっているので裏の部屋の窓越しに「Mさん、こんにちは」と声をかける。
お留守かなと諦めて帰ろうとしているところ出てこられた。
お宅にあげて頂きお話を聞かせて頂く。
家の扉や窓が開かない、水道の蛇口が折れて使いにくい、2階の本棚が倒れたままになっているなど困ったことを聞いてその様子を見せて頂く。
外にあと2名いるので良かったら2階の本棚を起こしましょうかと伺うと「僕もやります」とのことでMさんとボラ4名でタンスを起こし飛び出した本などを片づける。
本棚の件が解決した後は藤林さんがMさんにもう少しお話を伺う。
兄嫁が家に来て世話をしている、金銭管理をしている、兄嫁が仮設住宅を申し込んでくれている、通院、服薬をしている、病院のデイケアに通っており病院のソーシャルワーカーと信頼関係があることなどが分かった。
外から屋根を見るとブルーシートがすでに貼られていた。
たまたま出てきたお向かいさんに聞くと昨日3人ほど来て作業してましたよとのことで、Mさんに恐らくもう雨漏りの心配はない旨を伝える。
精神保健福祉士の藤林さんは「自炊しており通院服薬もできている。家の片づけも自分でされており大変自立している。蛇口が壊れているのを気にしていたのでそこはセンターが修理してあげてはどうか。そのようなご本人が困っていることをひとつずつ解決していくことによって精神状態も安定するということがある。」と話した。
後日センターから再訪問し蛇口修理することになった。
「ミーティングで聞いた話」
●福祉避難所の場所がそもそも公開されていない。自ら手を挙げた人だけが福祉避難所につながる。主に高齢者施設が福祉避難所になっている。
●センターに今まであった問い合わせで「自分は知的障害(もしくは発達障害)の親である。次大きな地震が来たら自分と子供は一体どこに避難したらよいか。一般の避難所にはとてもいられなかった」と相談が2、3件あったそう。
●センターくまもとに来る相談のほとんどが精神か身体障害者に関する内容で知的や発達障害者にほとんどつながれないままでいる。一体彼らはどこで過ごしているのか、きっと困っているに違いないと言っていた。
→私が思ったこと。
知的・発達障害の人に繋がれないというのは今のアプローチの形(避難所にビラを配る、テレビで呼び掛けるなど)のままではきっとこれからも繋がれないのではないか。
車中泊の避難者に積極的に炊き出し支援をしている団体とセンターから積極的につながるなど、今までと違うアプローチの仕方を模索しないことには現状は変わらないのではないか。
夕方の報告ミーティングの際に熊本学園大学・花田先生が協働センターから来られている女性と高野山の人権部から来ている男性2名のボランティアンを連れてこられお話を伺う。
高野山のお坊さんが災害ボランティアをしていることを初めて知った。
協働センターは本震発生後すぐ熊本入りした。
益城は報道の影響もあり支援が届いていたが歩いて被災の様子を確認していると阿蘇郡西原村に全く支援が届いていないのが分かり、そこに活動拠点を置く。
現在協働センターは、地元のNPOたんぽぽハウスという西原村の障害者福祉拠点、また高野山と連携して支援活動を行っている。
現在西原村には4か所の避難所があり、構造改造センターという所が福祉避難所になっており一般の避難者も含め約70名の避難者がいる。
ほかの3つの避難所には120~130名の避難者がいる。
福祉避難所には看護師や保健師が常駐しているが障害避難者のニーズを掘り起こせていない現状がある。
6月中旬に350戸の仮設住宅、250戸のプレハブ仮設住宅ができるがバリアフリーではない。
スロープなどは後付けか?
東北の時もそうであったが玄関にスロープがあっても居宅内にバリアが沢山ある場合がある。
集会所や談話室が規定通り(50戸に1つなど)設置されるかも不明。
構造改善センターは支援者が人手不足であるが、社協は社会福祉士か看護師に限定してボランティアを受け入れてる。
センターにボランティアに来ている広島の男性もボランティアを申し出たが資格がだめということで断られた。
西原村のその他の避難所では一般ボランティアが平日は120~130名/日、土日は200名ほどいるそう。
お話を聞かせてもらったところで東先生からお二人にセンターのSOSチラシ入りのタオルを段ボールひと箱渡して一般ボランティアなどに配ってもらうよう言づける。

(夏美さんのお知り合いのかたが写した益城町の様子。↓も同じ)

【熊本地震】ボランティア行ってきました~永村夏美さん№2

●被災地センターくまもとでのボランティア活動報告 6月3日から 永村夏美 (大阪「たびだちの仲間の会」登録ヘルパー)
6/3(金)活動報告
夕方センターに到着。
一日の終わりのミーティングが行われていた。
男性ボランティア8名、女性ボランティア4名、センターくまもとの事務局長・東さん、事務専従の岡崎さん、八幡さん(ゆめ風)で行う。
・今日、活動してきたグループの報告。
全体的に精神障碍者の方の個別支援が多い。
●精神障害の方の支援。
家族にも精神障害があるように思う。週二回ほど話を聴いてほしい。
普段から様々なサービスを使っているがよそから来たボランティアと話すことがリフレッシュになっている。
ミーティングの際にもセンターに連絡があり八幡さん対応。
週二回話し相手を続けることは不可能なのでセンターとして「地元の繋がりのある方とお話していったほうがいいのでは」と提案。引っ越すかどうか、就労移行するかどうかなどひとつずつ整理していってもらう他ない。
●身体障害の方で台所の片づけ支援の要請。
食器棚が倒れたままで汚れた食器の洗い物などもそのままになっている。
台所以外の場所もぐちゃぐちゃ。
たまたま震災前に建てた離れの小屋で現在は生活している。
半壊の認定を受けた母屋に戻って生活をしていくかは迷っている。
東さん「これからどうしていくかをまず決めないと」岡崎さん「目の前の状況が片付いて考えが変わることもある」八幡さん「片づけは一般ボラに任せられるのでは」と議論。
親戚の助けもあるようなのでそもそも片づけ依頼のあった台所の片づけを支援して、後は様子を見る方向になった。
●身体障害の方の入浴介助。
避難所の風呂が狭いので入浴支援を行う。明日も引き続き行う。
●センターに生活保護支給についての相談の電話がある。明日八幡さんが聴き取りに行く。
(聞いた報告おわり)
ミーティング中も余震がドンとあった。
熊本に住んでいる友達が昨日からまた余震が強くなっていると言っていた。
土日が雨の予報なので土砂崩れなどの二次災害に注意しなければならない。
明日は断層の上で道が激しく起伏していく所の派遣になるので注意が必要。
今日の夕飯はミーティングが終わった21時頃に私の母が差し入れに持たせてくれた手料理をみんなで食べた。
女性ボラが味噌汁を作ってくれてそれなりの食事になった。
~続く~

【熊本地震】活動報告~ゆめ風事務局№2

6月3日
10:00~【状況調査・申請付き添い1件】
①状況調査・転院手伝い・申請付き添い
発達障害、強迫性神経症(東区)のかた。古いアパートで、「危険」の赤紙が貼ってある。
外壁、内壁にひび割れ、風呂場のタイルも落ちている。
柱伝いに雨漏りあり。
近くの病院に転院し、そこの作業所に通いたい、罹災証明書申請したいなどのお話を伺う。
アパート写真1
【対応】
・写真等撮影後、「被災地障害者センターくまもと」に報告。
・転院手伝いは、6月8日、転院先病院での3者面談を行うことになった。移送支援は「ももくり基金」に依頼済み。
・申請付き添いは東区役所に同行。
役所から調査に入り、1,2か月後、調査結果書類が送られてくる。受け取り次第、本人から連絡いただく。
・父親に八幡からおおまかな経緯を電話で連絡した。
17:45~【全体ミーティング】
各自の本日の活動報告
以下、東大阪の「自立支援センターぱあとなぁ」武内さんからの報告です。(大阪救援本部のメーリングリストより転載させて頂きます)
熊本の南区にお住まいの精神障害をお持ちの方のところに訪問させていただきました。
罹災証明書で「全壊」と診断されたけど、義援金等についての必要な書類の揃え方がわからないということで、一緒に書類を確認していくことになりました。
必要な書類は役所などからもらえるけど、支援金も何種類かあって、それぞれに必要な書類があるのでどうしたらいいかわからなくなったみたいですが、記入が必要なものなどは全て記入してくれていました。
(義援金は、いくつか種類があり「災害義援金」「災害??」「日本財団の見舞金」「被災者~基礎支援金・加算支援金」など)
住民票のコピーや罹災証明書など、重複するものが多くてどう揃えたら…と思うと本人さんだけで揃えるのが難しいので、1つずつ必要な書類を一覧にして提出時に必要なコピー枚数を別のメモに記録していきました。
書類を1つずつ説明しながら作業していったのですが、書類を見たらわかるような感じで言いつつも確認しようという段階になるとわからないということを伝えてくれたりするので、「自分の中で処理が難しいことを人に伝えることが苦手なんかな??」と思いました。
提出にいく日にちは本人さんの決めた予定で行きたいのだけど、提出に行った時に質問されたりしたときにどう答えたらいいのかがわからないということだったので、本人さんが提出に行く日にも誰かが同行させていただいて、受付をちゃんとしてもらえるまではいったん一緒に動かせていただくことになりました。
罹災証明書では全壊の診断なのですが、実際には本人さんが今もまだ生活をしているので、建て壊しするような様子ではなく、修理の工事をしてもらってるということだったので、支援金がちゃんともらえるのかどうかがわからないということもふまえて、同行させていただく必要があるということを引き継ぎの時に教えていただきました。
また、今は修理の工事などで本人さんもいっぱいいっぱいだけど、部屋の中も塵が落ちまくっていたり倒れたものもそのままの状態で、今後の工事がどう進むかにもよるけど、片付けなど本人さんがひとりですることが難しいことに関しては、声かけをしながら必要な部分をお手伝いしていくことが大切だと思いました。
(引用終わり)
②相談:精神障害のかた
・「叔母さんのチェックが激しい。」ということが主な話だった。
家族が叔母さんにみな従わないといけない。新居に引っ越したいが、荷造りできていない。
通院同行、引越し手伝いがほしい。とのことだが、
「PSW( 精神保健福祉士、精神科ソーシャルワーカー)が既に入っており、「話を聞いてほしい、については既につながっている事業所の方に聞いていただくようにしては、と提案した。また、引っ越した後、就労移行にいきましょうと提案した。彼の場合は1つひとつ進めていかないと」などの議論が交わされた。
③片付け:精神障害1級・双極性障害のかた
・室内の片付けはかなり進んだ。
今回やることがたくさんあってかなり大変だった。(支援者談)
→【対応】
・明日も、畳を運び出す(計30枚)など引き続き対応する(明日は4人で対応)
「現在、躁状態なので、家を取り壊すという決断をしようとしているらしいが、それはすぐにでは取り壊し進めましょうという話にはしないほうがいいのでは」など、今後の対応は慎重にと。
④入浴介助:身体障害(72歳)
「いこいの里」にて入浴介助。
手のふるえもあり髭剃り困難。
震災後精神的ショックで歩行困難になったとのこと。
→【対応】
・6/5も入浴介助依頼があり、対応する。
⑤片付け:身体障害のかた
・台所、食器棚が倒れ散乱。
他の部屋も散らかっている。
息子夫婦は2階に住んでおり、2人の子ども(3歳、さらに小さな子)もいる。
審査結果は「半壊」だが、不服申し立てするつもり。
本人は住み続けるか迷っている状態。
とりあえず片付けしたい。
→【対応】
・使用可能なもの、処分品の仕分けをする。
・台所の片付けだけやってしまって、他に親戚も手伝いに来るらしいし、息子夫婦もいるので様子見か?
④手続き補助:障害不明/本日3日目。
→【対応】
・午前中に、役所へ同行。

【熊本地震】活動報告

2016年6月1日(水)活動報告
再度、熊本入りしている事務局員からの報告です。
6月1日:16時頃熊本到着。
17時頃よりミーティングにて、今日の支援報告を。
①片付け・掃除手伝い依頼⇒依頼者は精神3級のかた。被災前から片づけられなかった。娘の部屋も散らかっている。草刈りもお願いしたい。→「他団体の手も借りるべきか?」
②片付け手伝い依頼⇒精神2級のかた。被災前から片づけられなかった。日内は体調、気分的な変動あり。
作業は比較的調子のよい午後からの方がよいか。
③片付け手伝い依頼⇒視覚障害のかた。片付けをこちらが速いペースでやってしまうと、記憶していた配置と違って、室内歩行が難しくなる。元の配置を伺いながら、徐々に進めていく。
④状況調査⇒精神障害のかたで、現在は躁状態。いろんなことに怒っている。自宅は10部屋もあるが、雨漏りがひどい。臭気もあり引越しが必要か??
など、依頼の内容と活動報告、そのかたの生活を確認しながら情報をみんなで共有しながら進めています。
6月2日
●状況調査4件(JDFからの引継ぎ分3件+作業所・九州ラーメン党)
①状況調査⇒障害は不明。自宅に隣家がこちら側へ傾き、倒れてきそうに。所有権の問題で勝手に取り壊すことができない。隣家住人は常時在宅ではなく、連絡先もわからない。
⇒【対応】隣家住人と電話番号がわかり次第、被災地センターに連絡してもらう。SOSチラシお渡しする。
①
(傾いた家。いつ倒壊してもおかしくない状況)
②状況調査⇒障害不明。引っ越し先を探してほしいとの要望。本日不在だったが、ご自宅のアパートには黄色紙(一部損壊)が貼られており、足場が組まれていて改修中の様子。
→【対応】明日以降再度伺い、直接ご本人から状況をお聞きする予定。
②
③状況調査⇒精神障害。アルコール依存症と思われる。話していると酒の臭いがする。家屋の損壊も激しい。隣家の実兄と会い、さらに電話で実姉から話を伺う。1月~3月に入院。退院後、性格が荒くなった。近日中に益城町役場に相談に行く予定ということで、ご家族、ご本人は、被災地センターからの支援は特に求めていないとのこと。
センターくまもとの説明と、「SOSチラシ」をお渡しした。
④状況調査⇒九州ラーメン党(発災直後から炊き出しをしている作業所)の本部ともう一か所の事業所にそれぞれ改修費用が必要とのお話を伺う。ゆめ風に救援金の申請書を早急に出してもらうことに。
日々の作業に追われ、忙しくされている様子。
④
(八幡理事は何度目かの訪問)
というように、あちこちにいる障害者を訪ねながら、困りごとはないか、お伺いしている様子をお伝えしました。
地震から1ヶ月以上過ぎ、「家」をどうするか・・・。という深刻な問題に直面しています。
引き続き、ご報告してまいります。

【熊本地震】八幡理事の被災地報告(5/30)

被災地熊本入りしている八幡理事からの現地リポートです。


5月30日。
4度目の熊本入り。
一時期、800人ほどの人たちが避難していた「熊本学園大学」も、全ての避難者の行き先が決まり、5月28日に閉鎖された。
福祉避難所となっている熊本市の身障福祉センターも40人もの人が避難していたが、今は家族も含めて20人ほどになっている。
「被災地障害者センターくまもと」には、相変わらず1日10件ほどの相談があり、毎日2~4件程度の支援を行っている。
ボランティアの人数を考えると、1日に支援できるのはこれが限界。
やはり家の片付けを手伝ってほしいという依頼が多い。
相談ではやはり、家を探してほしい、家を修理したいがお金がないなどの相談が多い。
ある精神障害者は
「地震で家の中がめちゃくちゃになったが、震災前から片付けができていないので、片付けを頼んでよいかどうか・・・」
ずっと「SOSチラシ」を持って考え込んでいて、やっとの思いで電話をしたという。
心の病を持つ多くの人は、なかなか連絡できないでいる方が多い。
5月初めと違って、家の引っ越しに伴う荷物の整理依頼が増えている。
日々の支援に追われて「調査」が進んでいない。
(被災した作業所などを再建する費用算出、その他もろもろ)
精神や身体の障害者からのSOSは多いが、知的障害を持つ当事者や、その親からのSOSが入ってこないのが気がかり。
もう少し支援学校を回ったりして調査を進めたいところだ。
ヘルパーなどのボランティアは、現在8名から10名程度。
今のこの時期だけは女性が多いが、大阪や東京からの応援予定表を見ると、後半は女性が少なくなるかも?
問題は、7月に入ってから。
県外ボランティをいつまで入れ続けるか。
今は東京や大阪などのボランティアが大半を占めるが、県内か、せめて九州圏内のボランティアに切り替えたいところだ。
6月半ばあたりの状況を見ながら、地元中心に切り替えていければと考えている。
少し、次の階段へと進みそうな気配を感じますが、
まだまだ、たくさんの人が大変な思いで日々を過ごされているでしょう・・・。
その方々と早くつながりたいと思っています。
(な)
~続く~

【熊本地震】被災地からのお便り~第4弾

★被災地の会員さんたちに、地震後の様子をお伺いしていました。
近くに障害があるかたがいらっしゃらないか、なども併せて葉書をお送りしました。
またたくさんの返信を頂きました。
そのご紹介、4回目です。
●この度の熊本地震につき、私どもまでお心遣い頂き、恐縮いたしております。お返事が遅れまして申し訳ございません。
当地は何事もなく翌日のニュースで驚いた次第でございます。
聞くほどに知るほどにまことに筆舌につくせぬ大変なことで、何のお力添えもできぬ無力の自分が申し訳ない気持でいっぱいでございます。
私も、ここしばらく年齢による体力の衰えで元気のない暮らしをしており、1月おきにわずかばかりお送りしているのも滞っております。まだまだ先の見えない暮らしをなさっている多くの方々のことを想えば弱音を吐いてはいられません。
まことにご面倒ながら振り込み用紙をお送りいただきたくお願い申し上げます。
無力ながら性根のある間はせめてこれだけはと思っております。右はお願いまで。最後にゆめ風基金役員事務局のご一同様のいついつまでもの御清祥をお祈りいたします。
草々
●ありがとうございます。ハガキとても嬉しかったです。
地震については、私のところはたいしたことはなく、棚から物が落ちた程度で済みました。
困っているのは、私がうつになってしまい、生活が身動きが取れなくなってしまったことです。
夫婦と娘の3人暮らしで、仕事と家事と介護(支援区分5)を続けてきましたが、今は1日1日をやっと過ごしている状態です。
在宅サービスを目いっぱい利用して、人にも恵まれ、安定した生活を営んでいましたが、うつになって1ケ月半、それがガラガラと崩れてしまいました。
この先どうしたらいいのか悩んでいます。(5/9 少しずつ目鼻を付けてきたところです。)
⇒センターくまもとにつなぎ、訪問してもらいます。
●御心配いただきありがとうございます。
幸い長崎地区は被害もほとんどなく、日常と変わらぬ現状です。
不在にしておりまして、お返事が遅くなって申し訳ございません。
熊本・大分の被災地の方々がいつ日も早く安心できる日常に戻れますこと、お祈りいたします。
●宮崎市在住のため、私自身や身内の方には直接の被害はありませんでした。
ありがとうございます。
(5年前の小室さん父娘、谷川俊太郎さんの宮崎コンサートでゆめ風を知り、ご支援させていただいております。
知り合いが熊本に震災支援に行っております。支援が必要な状況がわかりましたらすぐにお伝えいたします。
●熊本地震に心寄せていただきありがとうございます。ありがとうございます。
ここ球磨郡は震源地と少し離れていますので、直接の被害は今のところありません。
こちらでも震度5の揺れの時には恐怖を感じました。今、通常の生活ができていますが、いつひどい揺れがくるかと気になります。
●鹿児島市内では特に被害もなく、強い揺れを感じただけでした。それでも、あまりないことだったので災害への備えを改めて意識しました。
特別支援学校に通う重度の医療的ケアの小学生が地震以降、嘔吐を繰り返すようになりました。
また、知的障害の中学生は動揺が止まらず、母親が教室に付き添っています。(地震以降、ずっと付き添っておられます。)
上記2例は知人の子どもさんの症状です。(わが子も障害者ですが、影響はありませんでした。)
お返事が遅くなりました。申し訳ありません。
●幸い私たちの地域では特に被害はありませんでした。
こういった安否を心配してくださいまして本当にありがたいことだと感じています。こころより感謝申し上げます。
数回、地震の揺れを感じた程度でしたが、障がいのある子供たちは必要以上に不安が強くなり眠れなかったと聞いています。
ニュースにはなかなか出てきませんが、特別に配慮が必要な方への支援、日ごろから考えておかねばならない課題ですね
●熊本の皆さんには心からのお見舞いを申し上げます。
おかげさまで宮崎は大した被害はありませんでした。
●ご心配くださりありがとうございます。
今、宇佐の方はいつもの生活をしております。特に困りごとはないです。今のところ、(地震に対する不安はあります。)
私の知る範囲では特に変わりはないと思います。
●鹿児島は被害はありませんでした。ご配慮ありがとうございます。
●2週間が過ぎ、少しほっとしています。3日ほど前にやっと待っていた水が来て有難さを感じている所です。
マンション住まいですが、外観もあちこち日々が入って、タイルも落ちている部分が目につき心配になります。余震がまだまだあり、もしかしてまた大きなものがくるのではとすべて床に下ろしたままの状態で暮らしています。
(障害者の) ご様子はわかりません。
●本当にお心遣いありがとうございます。このような地震は初めての経験で、とても怖い思いはしましたが、こちらは大丈夫です。
私が知っている熊本(天草)の施設の方もかなり揺れが怖かったけど、(現在も余震はあるとのこと)被害はなく、日常生活もスムーズにまわっているときのことでした。まだ収束宣言がでていませんので。
いつわが身か、の不安はありますが、不自由されている方々のことを忘れないように生活していきたいと思っています。
●ありがとうございます。
わたしの住む町では人的被害はありませんでした。(14日の21時に震度4、16日の1時に震度5強でした。
私の家の一帯、20世帯くらいでしょうか、これが町内で最も被害が出ました。
我が家の敷地内は地割れ起き、応急判定で「危険」の赤紙が張られました。
実は増築した二階部分が傾いており、16日からずっと避難所暮らしです。
幸い、家族と犬一匹、全員無事で怪我もありません。
しかし、高齢の母の体調不良が続いています。
14日から1週間終わりまでの間、本当に余震が多く、しかも大きな揺れです。
今は余震も回数が減りましたが、今一番必要なのは安心して眠れる家です。
被害のひどかったところにお一人、目の不自由な方がいらっしゃいます。
わたしの近所ではないので様子を見に行くことはできませんが、人づてに目がお悪いので避難所にはいっていない、とのことです。その方のお宅が一番家の破壊が激しいらしいです。ご家族様と一緒に住んでおられたので、ご無事ではいらっしゃいます。
また、もうお一人、知的障害の方がいらっしゃるお宅は一旦避難されたものの「本人にここ(避難所)は無理」と、ご家族がおっしゃって出て行かれました。何日か車内泊をされたようです。
わたしの近所の方ですが、幸い、住まいの破壊はないようで、ご家族皆で自宅に暮らしているそうです。
途切れながらの送金でしたのに、私にまで連絡を下さって本当にうれしくて涙が出ました。町内のほとんどの方には被害はなく、皆が日常に戻っている中で、私を含めたごく一部が取り残されているような心持ちのもの、お便り本当にありがたいです。当事者になってみなければ本当にわからないことですね。町内外の沢山の方に助けていただいています。今回の地震で、人間にとって一番大切なことが何かがわかった気がします。
これからの自分の生き方に、行動に、ぶれない軸を授かった気がします。
●ご連絡ありがとうございます。
幸いにもここ島原は大きな被害は今のところありません。
しかし、今日(4/28)は有明海が震源の地震があり、今後の動きが少し心配です。
なにせ島原半島は断層だらけですから。また普賢岳の崩落も確認されていますが、被害は出ていません。
友人が熊本の方に炊き出しに行くので、その時の野菜を提供して協力しております。現金の支援は絶対「ゆめ風基金」へと決めておりますので、振込用紙をお願いいたします。いつも通信を送っていただきありがとうございます。深謝
●お気遣いありがとうございます。
震源地から遠く離れているので何の被害もありません。被災された皆様に一日でも早く心の平穏が訪れるようお祈りしています。
●昨年の台風で壊れた屋根がまたまた・・・。
そして壁板や張り物等がヒビや落下しました。でも軽いものです。
それでも恐怖心が残っています。ガクッと家鳴りするたびにビクッとします。
閉店が数日あって、その後、ランチに行き、働く彼女たちの笑顔に私もほっとしました。
●お気遣いありがとうございます。2、3度怖い思いをしましたが、熊本の人々に比べるとなんでもありません。
そちらにもご無沙汰いたしまして申し訳ございません。しばらくは、熊本の方へ眼を向けていくつもりです。
皆様もお体大切にお過ごしくださいませ。
おかげさまで不自由なく生活いたしております。
ありがとうございます。
●第一日目の夜、家ごと揺れにびっくりしましたが、熊本の被害にびっくりしました。他に変わったことはありませんでした。
ありがとうございます。
パーキンソン病の治療中で75才です。頑張りたいと思います。
熊本の復興が少しでも早くすすみますよう祈ります。
ボランティア、支援してくださる方々、お体大切になさってください。
●御心配いただきありがとうございます。当施設は大分県西部にあり、最初の地震の際は大きく揺れはしましたが、特に建物被害及び利用者にも怪我等もございません。
こちらは大丈夫です。ご安心ください。
大分県中部には被害があるようですが、熊本の方が甚大な被害を受けており、これから支援を行っていく予定です。
●78歳、難聴・杖歩行
ゆめ風基金から震災の様子をおたずねいただき、とても嬉しかったです。
子ども時代の戦災から始まって、いろんな災害を経験してきましたが、震災は初めて。
それでも私自身は、身体も住む所も無事。お見舞い状に感謝。
震災から2週間が過ぎました。
車に乗らない、携帯持たないという一人暮らしのわたしには、世間のことと知らないことばかりですが、停電、断水がいつまで続くやらという時期、本当に不安でした。
給水所が、私の場合、割に近かったのですが、それにしても必要な水を運ぶというだけで大変なこと、でもたくさんの人が弱者のために頑張ってくださいました。
今は電気も水も復旧して、少しずつ平常に戻りつつありますが、まだ、かなり強い余震に脅かされています。
阪神淡路、東日本の時、やはり自分自身の問題ととらえていなかったなあとわが身を恥じています。
●お忙しい中、私の方にまでお気遣いいただきありがとうございます。おかげさまで私の方はアパートの四階で揺れにはびっくりしましたが、被害は何もありませんでした。
熊本の方々のテレビを見て心を痛めております。
ありがとうございました。
ご自愛くださいますよう。
私の知っている方々は皆、いつもと変わらぬ生活をしております。
ありがとうございます。
●ありがとうございます。大分市内は大丈夫です。長く会費を納めていませんのに申し訳ありません。本人は87歳になりますが、元気にしております。(というほどでもありません。) 要介護2。目が見えなくなりました。別便にて少し送ります。
全介護、呼吸器の方が近くの県立病院に避難しようとtelしたら、カルテがないからと断られ、少し距離のある医大まで。
この電子カルテの時代に何という断り方だろうかと思いました。
ところが26歳なので、かねてより受診している医大小児科では年齢制限もあるのか、小児が優先ということで5日間くらいで退院となりました。
帰り着いたら冷蔵庫がこわれていて、あれこれと大変だったようです。
しかし言ってみれば、この一時避難をしたことでも親御さんも病院もいろいろなことを考えるきっかけになったようです。
近くにおりながら、無力な自分を感じつつですが、県に言ったり、各病院の連携を呼びかけたりしたいです。
皆様の貴重な貴重な、そして辛い体験をお聞かせいただき、ありがたく思います。
一言一言をしっかりと肝に銘じ、日々、皆様と一緒に歩んでまいりたいと考えています。
(な)

【熊本地震】被災地からのお便り№3

被災地の会員さんたちに、地震後の様子をお伺いしていました。
たくさんの返信を頂きました。
そのご紹介・第三弾です。
●気にかけていただきありがとうございます。
熊本県との県境の山間部では少し被害があったようですが、私の住む宮崎市は何の被害もありませんでした。
しかし、県内の6割の企業が地震の影響を受けたとのアンケート調査があり、ゴールデンウィークの観光面の影響が大きいようです。
●ご心配ありがとうございます。こちらは被害もなく過ごしています。
被災地の方ではボランティアを装っての被害があると聞いています。
●御心配下さりありがとうございます。
私の住んでいるところは震度4・5弱の地震はありました。今でも余震はありますが、何事もなく、本当に感謝しております。熊本の方には祈るばかりです。
●長崎県の北部である佐世保市ですので、震度4が最初で、あとは2~3程度が何度かありましたが、生活に影響はありません。ただ、熊本の状況には胸が痛みます。
避難所での集団生活では周りに気を使うので・・・と車中泊を続けている人が多いということをニュースで言っていました。
家族の方々も今後の見通しが立たず大変だと思います。
●地震の日は心配で眠れず、外に出た方がよいのか否か迷いました。
自動車に乗って自分の畑の中に行った方が良いかもとか、夜が明け外に出てほっとしたものです。
一人暮らしの人や高齢者の方は、次の日は近くの避難所である保健福祉センターへ避難されましたが、私だけ2日間ほどでした。
一人暮らしで、高齢で障がいを持たれた方はデイサービスを受けている施設の方に一部の人は、一時的に行ったようです。被害がなかったので、特に変わった様子はなくたんたんと過ごされています。
御心配をおかけしました。
幸いに私の住んでいる所は別府市の隣なんですが、断層が違うため揺れることは揺れましたが、被害はありませんでした。家族も元気にしております。夫の透析も週3回、通常通りで安心しております。
●お気遣いいただきありがとうございます。こちらは大丈夫です。
●遅くなったことをお詫びします。
御心配お見舞いありがとうございます。
4/14にドンと下から突き上げるような感じでした。 地震だと咄嗟に思ったものの、日頃何も備えていないし、ただ2階の高さの天井(築100年の古い家)を見上げました。
きっと揺れが来るとテレビの画面に食い入っていました。
幸い何もなく、市内も大丈夫です。
ただ、ダムや道路ができたての市内が、落石やらでダメージがあります。不幸中の幸いで死亡者も出ず、助かっております。
山岳に近い方(JRの中から外の様子)街は、ブルーシートが大分見られました。
●現在、私は全盲になったばかりの一人暮らしです。
民生・児童委員をしていたころは、一人暮らしの方をよく訪問したものです。
今度はっきりわかりました。
誰だって自分や家族を守るのですね。
近隣のそういった杖を持った方、誰ひとりとして「大丈夫ですか」と声をかけない、訪ねる方もいないのにはびっくりです。
何のための福祉委員でしょうか。
余震はありますが、幸いにもプレートが外れているようで被害が少ないのでしょうか。
なんとか終息してと祈るばかりです。
ありがとうございました。
●ありがとうございます。
当日は震度3が最大で、揺れただけで落下物もありませんでした。私は無事です。
余震も熊本ほどではありませんが、心理的に不安を覚えています。
5月になって、やっと安心して眠るようになりました。
早く終わることを祈っています。(代筆)
●回答が遅くなり申し訳ありません。
幸い、わたし自身は困っていることはありません。ご心配いただき恐縮です。
ありがとうございます。
障害者の様子に無関する情報を入手する手段を持ち合わせておりません。
ご連絡をいただいたにもかかわらずお役に立てず申し訳ございません。
●「ゆめごよみ」いつもありがとうございます。
本棚が倒れかかり、壁と床に少々ヒビがついたくらいで済みました。
昔、帯広で十勝沖、宮崎で日向灘、そのときは長男を抱えて外に飛び出しましたが、揺れたのを思い出しました。
建物も違いますし、身支度をしておさまるのを待っていましたが、被害に遭われた方の一日も早く落ち着いた暮らしに戻られることを祈っています。お返事遅れましてごめんなさい。
●こちらは特に何事もありませんでした。困ったこともないです。
4月29日、職員さんがひとり、被災地の支援に行かれました。
とくに何事もなくて安心しているところです。
●長崎市の方はほとんど被害はありませんでしたが、観光にかかわる方々はキャンセルが続き、ゴールデンウィークの働き時には例年になく観光客の大幅な減少と淋しい結果となりましたが、熊本の方々の事を思えば、そんなこと言ってむられません。
お葉書ありがとうございました。
私どもの知人に熊本に住んでいる人(恒例のご夫婦)がいます。障害者ではありません。
車内の暮らしを経て自宅に戻られたとのことですが、いまだに余震が続いているので不安でたまらないと、電話の声が弱々しかったです。
少しですが、ゆめ風基金に送金させていただきます。よろしくお願いします。