ヒデの救援レポート2013年10月15日№140

●10月13日(日)、神戸で開催された「日本障害者歯科学会・公開シンポジウム~大災害時の障害者支援を考える」には、200人強の参加がありました。
DVD「逃げ遅れる人々」や、「障害者市民防災提言集・東日本大震災編」などが、たくさん売れました。
・コーデネイト・牧口一二(ゆめ風基金代表理事)
・パネリスト
青田さん(南相馬市・サポートセンターぴあ)
菊池さん(仙台市たすけっとスタッフ)
野橋さん(神戸市地域生活支援研究会)
松村さん(神戸市えんぴつの家)
なかなか面白く、考えさせられるシンポジウムでした。


●社会福祉法人:鉄道身障者福祉協会発行機関誌「リハビリテーション・556号~特集・復興-東日本大震災から2年」からの転載(その1)
・大災害を体験して(斎藤惣一:社会福祉法人・ロザリオの聖母会・就労継続支援B型事業所・ワークセンター長)
連絡TEL 03-5276-0360
FAX 03-3264-4824
1.震災当日
ロザリオの聖母会は、23の事業所を抱える複合施設の総称で、当ワークセンターは、平成8年8月1日に精神障害者小規模共同作業所として開所。千葉県の北東部旭市に位置する。
震災当日も、いつもと変わらず出勤していた。
午前9時、作業開始となり、作業内容の異なる5班(印刷、外勤、請負、園芸、リサイク)に別れ、それぞれ決められた作業に着いた。
その日もいつものように、午後3時までに納品する野菜(袋詰めの委託品)を持ち、近所にある農場に届け、帰所しかけた「その時」、今までに経験のない激震を感じた。
農場で働く研修生や、パートさんたちが悲鳴を上げパニックになりかけていたため、安全と思われるところまで誘導し、揺れが収まるまで待った。
帰り道を急いだ。
数キロしかない道のりが、いつもの数倍の距離に感じられた。
やっとのことで施設に戻り、全員の無事を確認し胸をなでおろした。
施設の責任者である私は、自分に「冷静に、冷静に」といい聞かせ、パニック状態の利用者に向かい、
「大丈夫だ 、俺に任せろ」と声かけしてはみたものの、内心は動揺していた。
職員・利用者全員が私の言動に注目した。
「大丈夫だ、俺についてこい」と言いつつ、自分を鼓舞しながら移動したことを今でも思い出す。
避難場所である海上寮は普段は広く感じられたところだが、避難者で埋め尽くされた。
その後何度も余震が襲い、あちこちから悲鳴が聞こえてくる。
誰が用意したのか、携帯ラジオの地震情報が聞こえ、東日本全体に震災があったことを知った。
地震後すぐに法人本部に対策本部が設置された。
津波については本部職員が海上寮屋上に登り、監視を続け無線で伝えてきた。
当時の理事長(平成23年5月29日帰天)は、病身をおし陣頭指揮をとっていた。
いち早く休所の案内を出した事業所に対し「一刻も早く平常に戻せ」と叱咤激励が飛び、その姿は鬼神のごとくみえた。
私自身には怖くもあり、また頼れる存在でもあった。
今考えてみると、未曽有の困難時、福祉に身を置く者としてのあり方を問うものだと思われる。
その日は肌寒く、利用者の多くは寒いと訴えたため、ひとまず施設に戻り対策を練ることになった。
当時のワークセンターに備蓄食糧はなく(現在は3日分を備蓄)、近くのコンビニに職員を走らせ、水・食糧を確保し帰宅困難者のために備えた。
時間がたつにつれ、家族と連絡が取れるようになり、無事を知らせることができた。
また安全に帰宅できる方については家族の迎えまたは、職員付き添いにて送り届けた。
電気は、数時間程度で復旧し、電気が使用可能であったことが幸運に思われる。
利用者に温かい食べ物を提供でき、不安解消に繋がった。
最終的に9名の利用者が帰宅困難となった。
午後10時、私を除く職員は家族と連絡が付き、無事が確認できたので、私の判断で職員も帰宅させた。
その後、施設の隣にある研修棟を本部から借り受け帰宅困難となってしまった利用者と雑魚寝をして過ごした。
別室にあるテレビでは、九十九里浜一体大津波警報が解除されず、東北地方の湾岸に数百の人が浮いており、また湾の中での火災が報道されていた。
情報が錯綜し当地区の詳しい情報は取れずじまいであった。
私にとって嬉しい情報は妻よりの電話(母専用の黒電話を使用)。東京に住む娘たちは無事、自宅は停電とのこと、兎に角無事が確認された。妻には現状と暫く帰れない旨伝えた。
その晩は一睡もできず、明くる日を迎え、数名の利用者が通所してきた。
昨日、安全を図った上で帰宅させたが「津波の心配のない所」、「余震が続き怖くて居られない」(全て独居の方)とのこと。
帰宅困難者を職員が送ることにするなどし、昨日研修棟に宿泊した利用者は翌日無事家族のもとに帰すことができた。
その2に続く


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これまで届けた救援金
253,305,994円(2013年9月27日現在)
内、 東日本大震災救援金総額
207,296,909円(2013年9月27日現在)
ただいまの基金残高
267,352,632円(2013年8月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・東日本大震災救援本部おおさか~9月11日の会合からの部分報告から!
(場所:ゆめ風事務所にて)
・東北=関西障害者支援ポジティブ生活文化交流祭
11月22日 被災地報告会&交流会
23日 本交流祭
長居公園にて


●救援統一合同カンパ活動(毎月第2土曜日、午後1時~5時。大阪難波高島屋前にて)
みなさんの参加を要請します!
2013年10月までに、計38回実施。
2013年度は、
1月12日  72,760円
2月 9日  47,351円
3月 9日 126,102円
4月13日  56,622円
6月 8日  50,453円
7月13日  82,388円
8月10日  56,829円
9月14日  53,340円
10月12日  69,605円
合計  3,451,026円  


●「世界の終わりの為の備忘録」を、おすすめします!
・2011年3月11日の、東北の大地震、大津波、東京電力福島第1原子力発電所の事故の後、3月17日から書き始めた文章「じしんなんかにまけないぞ こうほう」を、「世界の終わりの為の備忘録」としてまとめることになりました。
東電福島の事故の、世界の終わり、滅亡の予感の中で書き続けた雑文は、原子力の大事故という、それ自体の抱き込む迷宮、誰かによって画策され続ける迷宮に、ひるまず挑み続けた比類なき備忘録であると言えます。
・著者 新免貢(東北・関東大地震大津波ボランティアセンター、宮城学院女子大学教授)
    菅澤邦明(兵庫県南部大地震ボランティアセンター、西宮公同教会牧師)
・発行 兵庫県南部大地震ボランティアセンター
体裁・「じしんなんかにまけないぞこうほう」の50号分を1分冊として発行、200号まで4分冊(2013年7月13日現在、№246号まで発行。)
・価格 1分冊250円
・発行 第1、第2分冊=2012年4月28日、第3分冊=2012年7月17日、 第4分冊2013年1月7日。
・お問い合わせ=兵庫県西宮市南昭和町10-19 アートガレージ内 兵庫県南部大地震ボランティアセンター
・TEL 0798-67-4691
以上。

hideの救援レポート:2013年10月7日№139

●社会福祉法人 大阪ボランティア協会出版部【機関誌 ウォロ 2013年6月号】からの転載。
連絡先
TEL 06-6809-4903
FAX 06-6809-4902
《特集》
記憶の場の創出へ
『記録されたものしか記憶にとどめられない』佐野眞一
東日本大震災から2年、甚大な被害から物心両面で立ち直ろうとしても、なかなか日の目を見ない厳しい現実が横たわる東北各県。
それぞれの地域に根差した暮らしを日々守りながら、文学、美術、演劇、音楽、映像などの芸術活動を通して震災の記憶の場を創出し、繋げ、鋭い問題提起を突き付けている人たちがいる。
古(いにしえ)より独自の文化、芸術を育み、受け継いできたみちのくの地で発信を続ける、文化・芸術系市民活動にスポットを当てた。
・ルポ1 地域誌『奥松島物語』(奥松島物語プロジェクト)
「復興」という掛け声に、ただ流されないための舫杭(もやいぐい)

・故郷の歴史、掘り起こす拠点、築港資料室のあった頃
「あれが築港時の松ですか?」
地域社会史研究者の西脇千瀬さんの車に便乗し、仙台から奥松島に向かう。
鳴瀬奥松島インターチェンジを下りると、鳴瀬川沿いに所々が欠けた小さな松林が見えてきた。
だが西脇さん紹介の野蒜(のびる)築港時に植えられたという松はもう少し先だという。
鳴瀬川の河口に国際貿易港を造成し、北上川や阿武隈川と運河で結ぶ一大国家プロジェクト、野蒜築港。
1878(明治11)年、当時の内務卿、大久保利通により発案、着工されながら、内港の完成からわずか2年の1887(明治17)年に工事は中止、幻の近代化遺産とも呼ばれている。
めざす松はその市街地跡にあった。
堂々とした老木だが津波を受けて半分以上の枝は削ぎ落とされ、ほとんどL字に変形している。
「以前は夫婦松といわれていたんですよ」。
自宅のある東名(とうな)から合流し、築港跡を案内してくれた松川清子(せいこ)さんが話す。
地元出身の松川さんは、2000年に設立された市民サークル「野蒜築港ファンクラブ」の事務局長として、地域の歴史を掘り起こす活動に長く携わってきた。
常駐し、運営を担っていた野蒜築港資料室には、津波被害で閉鎖されるまでの7年間に約1万人の来館者があった。
一方、民俗学者の赤坂憲雄さんに師事しながら、野蒜築港の研究を続けてきた仙台在住の西脇さんは、7年前からたびたび野蒜に通い、松川さんと交流を深めてきた。
・地域の個別性を失わせる震災報道 危機感募らせ自らブログ開設
松の傍らには津波になぎ倒されていた『紀功の碑』が復元され、当時使われた石のローラーや、震災後に市の教育委員会が建てた野蒜築港跡の案内板が並ぶ。
それらを眺めていると、筆者のような遠来の者にも当地の歴史がくっきりと浮かび上がってくるようだ。
史跡としての野蒜の松はここだけではなく、今も駅舎が復旧していない仙石線の野蒜駅から海岸までの間には、「余景(よげ)の松原」という名勝もあった。
松島から少し離れた場所に位置することから、仙台の伊達家四代藩主綱村が命名した由緒ある松林だったが、西脇さんの話によると、津波の後にすべて伐採され、今は何もない更地のみだという。
「『奇跡の一本松』の報道を見聞きするたびに考えさせられていました。記憶に残る選択とは何なのかということをです…」。
ほとんど壊滅状態にあった岩手県陸前高田の海岸に唯一残った松は、各メディアで復興のシンボルと注目を浴び、永久保存の過程までがつぶさに報道された。
だがそれは津波に遭いながらも残ったという、ごく直近のエピソードだけが取り上げられたにすぎない。
ともすれば忘れ去られるかもしれない築港時の松や余景の松についての報道は、西脇さんの知る限りにおいてなかった。
未曽有の被害を受けながらも徐々に立ち直り、前向きに復興していこうとする被災地のストーリー。
それはわかりやすいものではあるが、どこもかしこも「被災地」としてひと括りにされ、地域の個別性を失わせる結果となりはしまいか。
このままでは野蒜のことも埋没してしまうのではないか。
そう危惧した西脇さんには松川さんの存在をはじめ、野蒜に多くのつながりがあった。
「今こそ何か地域に恩返しがしたい…」。
インターネットで検索してみると、かつて野蒜築港資料室を訪れた全国の人びとによる書き込みがいくつも見つかった。
「資料室にいた女性は?」
「市街地跡は?」
これらの声にこたえるため、4月初めにブログ『野蒜築港のまわりで』を開設、被害の状況のみならず、地域の歴史や震災前の美しかった風景のことも書き込んだ。
・手から手へ、時間をかけて 雑誌という紙媒体に思いを託す
「雑誌をつくってみない?」。
1年を過ぎ、共同体を構成していた人びとが散り散りになり、村も町も震災前のすがたから大きく様変わりしていたころだった。
土地の記憶を掘り起こすことの重要性を実感し続けていた西脇さんは、2012年の正月に野蒜を訪れた赤坂憲雄さんのこの一言に動かされ、避難先から東名の自宅へ戻った松川さんと2人で「奥松島物語プロジェクト」を結成する。
地域の記憶を編(あ)むためには映像化をはじめいくつもの方法があったが、今、語ることが辛い人も、やがては語ることができるかもしれない。
そのときのためにゆっくりと時間をかけて続けていきたいという思いや、小さなサイズにすることで地域外の人たちも気軽に手に取ってほしいという願いから、雑誌という媒体を選んだのだ。
「東北学」を提唱し、これまでも『津軽学』、『盛岡学』、『仙台学』、『会津学』などの発刊を手がけた赤坂さんの応援のもと、『奥松島物語』は2013年1月に創刊された。
赤坂さんと交流の深い仙台の独立系出版社「荒蝦夷(あらえみし)」が発行協力し、全国どこの書店でも手に入れることができる。
1000部刷った創刊号もどんどん在庫が減っていった。
・記憶を紡ぎ直す意義、心に刻む 喪失感に勝る大きさで
『これからの日々を送るため、途切れた時間を繋ぐことも一つの手がかりになるのではないかと思う。町の景色は失われたが、土地にはたくさんの記憶が歴史が、今はまだ刻み込まれている。しかし、放置すればやがて消えてしまうだろう。だから今、奥松島の記憶を新たに紡いでいきたいと思う。それは個々の携えた小さな思い出群だ。そこには地域で暮らす人は勿論のこと、レジャーで訪れたような地域の外に位置する人の思い出も含まれる。小さな雑誌だけれども、「復興」という掛け声にただ流されてしまわないためのもやい杭になれたらと願っている』。
巻頭言に綴られた西脇さんのことばだ。
(編集委員:村岡正司)
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これまで届けた救援金
253,305,994円(2013年9月27日現在)
内、 東日本大震災救援金総額
207,296,909円(2013年9月27日現在)
ただいまの基金残高
270,821,980円(2013年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
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ヒデの救援レポート:2013年9月30日№138

●今日は、9月最後の日。
明日からは、10月です。
人間がいくらあくせくしても、時は巡り、季節は移ろいます。
深まり行く秋を愛でつつ、それにしても、暑いと秋空を見上げるhideですねえ~!


月刊むすぶ№511号からの転載
・連絡先
ロシナンテ社 TEL&FAX 075-533-7062(京都市)
2013年、福島、夏。(フォトレポートと題されていますが、写真抜きの文章のみ)
8月17日早朝。
築地のビジネスホテル。
なかなかいいホテルだ。
Yさんは、車いすの障害者。
そして障害者カヌーのパイオニア。
そんな彼の運転で一路、福島へ。
お盆の最中、東京の街は静かだ。
渋滞もない。
車は北へ走るのだ。
関東平野は広々としている。
宇都宮を過ぎると高原の風景が視界をうめる。
田んぼは目に眩しい緑がキラキラしている。
二本松市東和町。きれいに手入れされた棚田が続きます。
この地にも放射能は降り注ぎました。
その中、農業者は田植えを続けました。
稲を育てました。
結果、放射能はNDがほとんどでした。
(ND:Not Detected=不検出・訳注ゆめ風基金)
日本の農業が奇跡を生み出しました。
飯館村に入ると耕されない田んぼが、畑が広がります。
Yさんが言います。
『これは犯罪だ……』
この犯罪に誰が責任を取るのでしょうか。
東京電力と政府はその間違いを認める必要があります。
わたしたちの責任は、こんな原発依存の世の中を作ってしまったこと。
そのためには、その根っこをちゃんと検証することだと思うのです。
人間には見えない、匂わない、感じない放射能。
だからこそ不安。
しかし日常の生活は営まれている。
私たちが生きている間、私たちが死んだ後も、もう元には戻らない。
浪江町の街並みを写真に撮ることは出来なかった。
いや、しなかった。
2年半も経過してもなおあの惨状。
人の住まない家は傷むのが早い。
そこに生活していた人たちを思う。
そこに盗みに入る人たちを思う。
人間の人間であることを思う。
行ける人は行こう。
自分の目で見て、考えて欲しい。
震災、原発、被災者を
(文・写真S&Y)以上


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これまで届けた救援金
250,805,994円(2013年8月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
204,796,909円(2013年8月9日現在)
ただいまの基金残高
270,821,980円(2013年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
「大阪ボランティア協会出版部」
連絡先
TEL 06-6809-4903
FAX 06-6809-4902
「ウォロ」2013年6月号からの転載。
●東日本大震災・宮城から-復興を考えるソーシャル学生ネットワーク(IFIAM)の情報発信
岩崎真実(情報ボランティア仙台)
1989年仙台市生まれ。
東北学院大学文学部キリスト教学科卒。
東日本大震災を経験後、2011年4月から被災地の情報発信を支援する「情報ボランティア仙台」に参画、共同代表を務める。
2012年4月から河北新報社の「東日本大震災アーカイブプロジェクト」スタッフを経て、13年4月から東北学院大学災害ボランティアステーションの職員に。仙台市青葉区在住。
・毎週木曜21時から生放送
『皆さんこんばんは!IFIAMのお時間です』
オフィスビルが立ち並ぶ仙台市青葉区北目町。
その一角にある貸し会議室「ファイブブリッジ」からMCの威勢の良い声が響く。
被災地をメディアでつなぐプロジェクト「笑顔311」は、無料動画配信サイトを流す番組『IFIAM』の収録だ。毎週木曜日、午後9時から生配信している。
内容は、復興活動に携わる団体や個人の紹介、東北の復興に関する若者の公開討論など。
配信当日は会場で観覧できるほか、ソーシャルストリーム機能を使い、遠方にいる視聴者と積極的に交流を図る。
番組名の由来は「震災を他人事ではなく、自分ごととして捉えてもらえるように」との願いを込めながら、震災で特に被害が大きな岩手県、福島県、青森県、宮城県、茨城県の5県の頭文字から取った。
・100回記念は24時間配信
震災から1ケ月の2011年4月11日に初配信し2周年。
それを記念して4月末には24時間連続の特別番組を放送した。
「若者に伝わるリアルな」をテーマに、過去にゲスト出演した人の紹介や、会場を飛び出して被災地の今をロケーションする企画、メンバーの素顔が垣間見えるミニコーナーなどを設けた。
初配信から携わるリーダーの庭田苑香さん(22)は:時間的な都合から普段の配信を見られない人たちのために24時間配信を決めた。
多くの人に感謝を伝えると共に、「心から楽しんでいただける番組にしたい」と話す。
●視聴0人→4000人!
今でこそ運営はスムーズだが、最初は苦労の連続だった。
動画配信や映像処理に関しては、全員が素人。
機材がうまく使えず配信を中断させたり、知名度不足から視聴者が0人だったりすることが多々あった
挫けそうになった時、心の支えになったのは出演者や来場者だった。
「被災地支援につながる情報を発信したい」という思いで奮闘するスタッフの姿を見た人たちが、番組を口コミで少しずつ広めてくれた。
今では、ボランティアや復興に関わる人たちから注目される番組の一つに成長した。
特別番組の視聴者数は4000人を超え、会場を直接訪れた視聴者は70人を数えた。
中にはビニール袋いっぱいの差し入れを抱えて訪れる人もいた。
配信が終了した瞬間、会場が割れんばかりの拍手が起こった。
スタッフ一同、安堵の表情を浮かべた後、来場者に深く頭を下げた。
MCを務めた東北文化学園大学4年竹丸直翔さん(21)は「学ぶことばかりで、反省点もたくさんある。これからの番組作りに生かしたい」と振り返る。
マスメディアの震災に関する報道が少なくなっている今、メンバーたちは動画配信を通して、人々の被災地に対する関心を途切れさせないように奮闘している。
『知ることから始まる支援もある』ということを、一同心得ている様子だった。
【IFIAM】は、被災地が復興するまで配信を続けるだろう。
番組がインターネットという国境のない世界を通して、多くの人の目に触れることを願う。
以上

ヒデの救援レポート2013年8月26日№133

●9月23日、hideは、71回目の誕生日を迎えました。
めでたくもあり、めでたくもなし~です。
メール発信が遅れたコトの言い訳にしか過ぎまへん。


ゆめ風ネット福岡のNPO法人「ちくほう共学舎【虫の家】機関誌~虫の家だより:№103号からの転載
●連絡先
TEL&FAX 0949-62-6003
「原発労働者~梅田隆亮さんに出会う」小野新一
・九州電力本店前で「さよなら原発」テントを立てて、「国策」である「核」発電所の「即時停止・即時廃炉」を求めて、座り込みを続けておられる青柳行信村長に、敬意をこめてテントの立ち上げの手伝いなど月一度で通っています。
そのテントで出会うべくして出会ったのが、「原発労働裁判・原告」の梅田隆亮さんです。
7月17日(水)に第6回口頭弁論があった福岡地方裁判所に行ってきました。
梅田さんは、島根原子力発電所の「炉心」近くで、直径5センチメートルの穴を塞ぐ作業をされています。
もちろん、「放射能を防ぐ~鉛」を溶かして穴を塞ぐ作業です。
私も溶接やセメントの養生作業、鉄筋加工の肉体労働をしてきたせいか、第一印象は、梅田さんが身振り手振りで話されるお姿が、労働現場の兄貴のような同僚に見えて、過去の労働現場へフラッシュバック体験するようでした。
「さよなら原発テント」で私の真向かいの椅子に腰かけられた梅田さんは、
『僕は炉心を抱きかかえるような仕事をしたのです。溶接とか…』
原子力発電所ノ炉心オ抱カカエルヨウニ、溶接トカ資材オ運ンダリ…:。
(私)も、うだるような熱さの中で溶接の火花に火傷しながら、非正規雇用の労働をし、消費社会に囚われて幻想の国家に税金を納め、人間以下の扱いを受け、人間以下の労働をしてきたのではないのか…?
梅田さんのように、「私」が梅田さんになって、いつの間にか、島根原子力発電所の「炉心」の5センチメートルの穴を塞ぐ作業をしているのではありませんか?
「私」は視えない放射能に曝され…。
「被曝労働者・梅田隆亮」の労災認定をもとめる裁判を傍聴することは、「私」が人間らしく生きていく手がかりや、今もフクシマ原発の収束、除染作業に身体をはって働く、下請け、孫請け末端労働者の苦悩の叫び声を聞くことになります。
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これまで届けた救援金
250,805,994円(2013年8月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
204,796,909円(2013年8月9日現在)
ただいまの基金残高
270,821,980円(2013年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い【吾亦紅】」と咲くのです。
●障がい者福祉サービス事業所「白石かがやき園機関誌」コスモ9、10月号からの転載
連絡先
社会福祉法人 北海道札親会
TEL 011-861-6210
FAX 011-861-6424
・避難訓練を終えて・毎年、行われている避難訓練を今年も6月25日(水)に実施しました。
当日は白石消防署からも応援に駆け付けていただき、119番の通報から、避難、消火の様子をしっかり見ていただき、最後に講話をいただきました。
通報では、焦らず、ゆっくり、はっきりした口調で伝える事が大事であり、実際の場面でも焦らないよう訓練を重ねていく事が大事であると再度学習しました。
避難において、利用者の皆さんは低い姿勢をとり、口元に手やハンカチを当てて避難する事ができていたと消防の方からほめられています。
職員も見習わなければならないと実感しました。
消防の方からも助言をもらいましたが、それは、実際の避難の時に、誘導する職員が煙による呼吸困難になった場合、しっかりとした避難誘導が難しくなる、もしくはできなくなる事が考えられるからということです。
今回助言を受けたことを職員の間で全体周知し、次回の訓練に反映するとともに、実際にそのような状況にあった時にも役立てられるよう普段から心掛けていきたいと思います。
今回の避難訓練もとても貴重な体験となりました。


●「原発を止めた裁判官~井戸謙一元裁判官が語る、原発訴訟と司法の責任」
神坂さんの任官拒否を考える市民の会編
現代人文社刊行、A5版・96ページ
900円プラス税
・原発運転差し止め判決をくだした井戸謙一元裁判官がその判断過程を語り、自身がかかわった事件と裁判官生活32年を振り返る。
国と電力会社の主張を優先してきた原発訴訟に対する司法のあり方、裁判官の独立を考える。
・第1部・原発訴訟と司法の責任
1.裁判官としての生き方
2.志賀原発2号機運転差し止め判決
3.福島原発事故で考えたこと
4.最近の裁判所の状況
以上

ヒデの救援レポート:2013年9月17日№136

●9月16日、hideん家のピンポーンが鳴り、玄関のドアを開けると、見知らぬ人が立っていた。
その人物は、「民生委員の○○です」と名乗り、「敬老の日の記念品を持ったきた」、と告げた。
ファミリーでもない赤の他人が、hideの年齢を知ってる不思議。
どこで、その情報を手に入れたんだろう。
個人情報保護法は、どのように機能しているんかなぁ?と、ちょっと気味が悪くなった、昼下がりでした。


●兵庫県尼崎市のみんなの労働文化センター機関誌「ぽれぽれ通信№52号より転載。
連絡先
TEL 06-6497-2105
FAX 06-6497-2105
「被災地は今~【それでも、海辺のまちで暮らしたい】~奏海の杜のこれからと私たちにできること~」
報告:吉本奈央子
★その2(前回からの続き)
・建物を建てる段取りが少しずつ進み、予定地の草刈りをするよーと教えて頂いたので、センターのみんなに話をしたところ、有志でカンパを集め、草刈り機を贈らせてもらえることになりました。
草刈りって聞いたのに。
雑草を鎌でシャカシャカやるのが草刈りじゃあないの?細かいけど竹がめっちゃ生えてるやん!
これは……開拓!
まずは子供たちが鎌入れをし、その後大人たちが草刈り機でワーッと切り開いていきます。
竹を切って、下草を刈って、それを一カ所に集めてと作業すること1時間半、竹林が広場になりました!
子供たちや職員さんのご家族はもちろん、全国からのボランティアに加え、日ごろ福祉関係の仕事をされていない地域の方もたくさん来ておられており、もちろん子供たちもしっかりお手伝いをし、素敵なチームワークができていました。
草刈りの後は、被災地障がい者センター石巻との合同企画でバーベキュー大会があり、こちらにもたくさんの方が参加されました。
思い思いに遊ぶ子供たちと、それを優しく見守る大人たち。震災で失われ、元に戻せない部分はたくさんありますが、それを乗り越え、新しい形での未来を目指すパワーがここにはあります。
これからも、この仲間のつながりと、地域とのつながりを大事にして、南三陸町には奏海の杜があるから大丈夫といわれるような団体に成長されるように、微力ながら支援を続けていけたらと思っています。
というところで、なんと!みんなの労働文化センターに奏海の杜の職員さんが研修に来られる予定があるのです!障がいをもつ人との関わり方を勉強させてほしいって!
大丈夫かな。
Mちゃんに遊び相手としか思ってもらえてないところとか、Sちゃんにババァって言われるところとか、Kさんに車椅子でひかれるところとか見られるのか。
心配になってきた。
けど、うちには何十年と障がいのあるなしに関係なくみんなで一緒にやってきた仲間がいます。
障がいのある人が街を歩けば大注目だった時代から、施設ではなく地域で生きるために、自分たちでできることを続け、昼間は作業所で働き、夜は自分の家に帰ってヘルパーさんや世話人さんと暮らす生活を実現させてきました。
阪神大震災で被災しても復活し、制度が変わってもなんとか乗りこなし、これからも地域でみんな一緒に生きていくことを目指して、あまりスタイリッシュではないけれども、地道に活動を続けている人がたくさん……
そうだ!その人たちにまかそう!
みんなの労働文化センターは、これからも、被災地への支援を続けていきます。
その時々に合わせて、必要とされる形は違ってくると思いますが、私たちが被災した時にたくさんの方に助けてもらったように、今度は私たちが支援をし、恩返しをする番です。
そして、支援を続けて、被災地だけでなく、近隣の団体や個人ともつながりを深め、近々関西で起こると言われている地震やそれ以外の災害などに備えられることを目指します。
8月には、石巻から、障がいをもつ子供さんとお母さん5組が関西に遊びにこられる予定があります。
今年の夏はこれまた暑いけど、いっぱい遊んで経験して、将来の夢をふくらませてほしいなと思います。
その報告はまた次号で!
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これまで届けた救援金
250,805,994円(2013年8月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
204,796,909円(2013年8月9日現在)
ただいまの基金残高
270,821,980円(2013年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・「NPO法人研究学会・第17回全国大会」特別セッション
「善意は被災者に届いているか~東日本大震災の寄付の大半が行政的配分に委ねられた理由を探る~」
日時:2013年9月22日(日)
午後1時30分~4時10分
場所:近畿大学11月ホール(近鉄奈良線八戸の里駅下車)
主催:NPO法人研究学会
先着順、参加無料。
●出演者によるパネルディスカッション
司会:江田寛(公認会計士)
パネリスト
岩永清滋(公認会計士、ゆめ風基金理事)
大久保朝子(NPO法人杜の伝言板ゆるる代表理事)
藤井秀樹(京都大学大学院教授)
牧口一二(認定NPO法人ゆめ風基金代表理事)
問い合わせ
全国大会事務局
TEL 06-4307-3332
FAX 06-6729-2493
●開催趣旨
・NPO法人研究学会では、学会員の研究成果を外部公開し、地域の皆さまや業界関係者に向けた情報発信および議論の場を積極的に提供することによって、広く社会に貢献することを目的として、このたび特別セッションを開催する運びとなりました。
本セッションでは、東日本大震災の復興に向けて全国各地から送られた義捐金が、現地で支援活動を行うNPOやNGOに十分に行き届かなかった点を取り上げて、義捐金配分システムのあり方について議論します。
被災後4か月が経過した2011年7月中旬までに義捐金は3000億円に達していますが、この時点で被災者に配分されたのは775億円(25%)にすぎず、現地で支援活動を実施していたNPOやNGOからは資金の不足が指摘されていました。
その一方で、義捐金を得られた法人であっても、それが一部に集中したため、実際は使い切れなかった法人も存在しているようです。
しかし、このような義捐金配分の偏りについて真摯に議論する場がこれまで設けられていませんでした。
このような状況を踏まえて、NPO法人研究学会では、特別セッションを設け、義捐金の受け皿となるNPO・NGO等の民間セクターは人々の善意を届ける十分な役割を果たすことが出来たのか否か、一体どこに問題点があったのかについて議論します。
以上

hideの救援レポート:2013年9月9日№135

★暑い、暑いと騒いだ夏。
続いて、雨、雨の2週間。
ここに来て、やっと、秋らしい朝晩になってきましたが、時すでに遅く、夏の疲れが、hideのからだと気持ちを蝕んでいる。
皆さんには、お疲れが出ませんように、用心してくださいませねー!
hide拝


●兵庫県尼崎市のみんなの労働文化センター機関誌「ぽれぽれ通信№52号より転載。
連絡先
TEL 06-6497-2105
FAX 06-6497-2105
★その1
「被災地は今~【それでも、海辺のまちで暮らしたい】~奏海の杜のこれからと私たちにできること~」
報告:吉本奈央子
東日本大震災の発生から2年以上がたち、テレビや新聞での報道も少なくなりました。
取り壊しの予定がありながら、今も残っている南三陸町の防災庁舎の周りには、そこににぎやかな町があったことを少しも感じさせてくれない荒れ地が広がったままで、少しずつ進む整地事業も土地の印象を変えるまでにはいたっていません。
気仙沼で内陸に打ち上げられた大型漁船も解体作業に着手されないまま置き去りにされ、付近は雑草が生い茂った一見のどかな観光地となっています。
気仙沼で尼崎の市バスが走っていることをご存知でしょうか?
尼崎市交通局は、震災が起こった2011年4月、排ガス規制が厳しくなったため廃車してオークションに出す予定だったノンステップバス5台(その後追加で3台)を気仙沼市に贈りました。
バスには、市場で集荷された7種類の野菜や果物が積まれ、被災者の方々に配られたそうです。
関西からは車両譲渡による支援も活発らしく、神戸市からは消防車が、大阪市や岡山市からは路線バスや観光バスが、他にもたくさんの関西そだちの車両が被災地を走っており、今も被災地の皆さんの生活や仕事を支えるために活躍しています。
吉本が何度もお世話になっている「被災地障がい者センターみやぎ」の県北支部は、「被災地障がい者センター南三陸」としての活動を経て、今年2月に法人格を取得し「NPO法人奏海の杜(かなみのもり)」として再出発しました。
多大な被害をもたらした海ですが、海からの恵みも大きな南三陸町。
海辺のこの町でともに生きたい。
障がい者も高齢者も子どもも大人も、みなが笑顔でともに支え合い、優しいハーモニィを奏でるような地域作りに寄与したいという思いを込めて名付けました。
これまでに行ってきた被災地障がい者センター南三陸の活動を継承・発展させ、地域に住むみなが生きがいや誇りをもって暮らしていける地域、南三陸町の実現に貢献していきたいと考えています。(奏海の杜ホームページより)

奏海の杜はこれから南三陸町に根付いて活動していくために、自分たちの活動拠点になる建物を作ろうとしています。
今は内陸に入った登米市に事務所を借り、放課後に子供と過ごす時には子供たちの家から近い場所にある公民館を借りているのですが、どちらを使うにしても、そこまで子供たちを連れてくるのに車で30分から1時間かかってしまい、実際の活動に使える時間が少なく、道具もあまり増やせないし使いやすい場所にするにも限界があるという理由で、みんなが快適に過ごせ、障がいの個性にあった場所を作るそうです。
(その2に続く)
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これまで届けた救援金
250,805,994円(2013年8月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
204,796,909円(2013年8月9日現在)
ただいまの基金残高
270,821,980円(2013年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
「災害救援・まちづくり・社会福祉活動に従事される皆様へ! 」図書のご案内
株式会社ぎょうせい
「東日本大震災・緊急災害対策本部の90日~政府の初動・応急対応はいかになされたか」
小滝晃著、A5版。定価2100円。発行:2013年8月20日
・震災当時、緊急災害対策本部で指揮にあたった担当官が書き下ろした90日の記録!
・東日本大震災発生時、内閣府:防災担当:の総括参事官として従事していた著者が、政府の初動対応・応急対応
を時系列で記しました。
・東日本大震災に関する書籍は多数あれども、「政府」の対応を記録したものは本書が初!
・今後の内政における最重要課題である「防災対策」の礎となり、日本の防災史として永く記憶されるべき一冊です。
【目次】
第1章:政府の初動・応急体制
第2章:初動対応はいかになされたか~官邸・緊急対策本部の12日間
第3章:応急対応はいかになされたか~90日の闘い、復興対策本部発足までの応急対応
第4章:戦後日本の災害と東日本大震災が問いかけたもの
第5章:巨大災害対策の設計思想
第6章:東日本大震災からの教訓=巨大災害に備えた初動・応急対応力の確立を提言する。
問い合わせ
株式会社ぎょうせい:出版営業部営業課(担当:山田)
TEL 03-6892-6585
FAX 0120-953-495
以上


hideが事務局長をやっとります、箕面市人権啓発推進協議会という、市民団体が、
この10月19日から21日の3日間、東北3県の被災地を駆け足訪問して、交流をすることになり、
只今、準備中です。
規模は、25名で、伊丹空港~仙台空港往復です。
南相馬のピーナッツ、気仙沼の市民団体、石巻の「被災地障害者センターいしのまき」などを訪ね、
交流を深めます。
いろいろな市民団体が被災地を訪ね、市民レベルの交流が深まれば、いいですね。
皆さんの地元でも、企画されてはいかがでしょうか。
問い合わせ
・箕面市人権啓発推進協議会
TEL&FAX 072-722-2470


皆さんは、ゆめ風基金の中にある、「障害者市民防災活動助成金」のことをご存知でしょうか?
助成金は、1件上限10万円です。
現在も、浜松市の団体から、「障害のある子と家族のためのサバイバルキャンプ&防災ワークショップ」、
神戸市の障害者団体から「災害時における、要援護者の理解と支援について~一緒に考えて下さい~当事者からのメッセージ」の2件が、それぞれ、助成金10万円で申請が寄せられています。
現在、検討中ですが、皆さんの団体でも、検討されてはいかがでしょうか。
問い合わせ:ゆめ風基金
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662

ヒデの救援レポート:2013年9月2日№134

●学校の夏休みも終わり、子どもたちの歓声も校庭に帰りました。
暑い夏を見送り、さあ~秋だと身構えても、雨ばかりの毎日。
東日本大震災の被災から、2年と6ヶ月の始まりです。
夏の疲れが出ませんように!


●ゆめ風基金アピール
・震災から2年半、報道はめっきり減りましたが、被災地の復興は進んでいません。
息の長い支援が必要です。
ゆめ風基金は、被災地に2億円の救援金をお届けしました。
今も救援活動は続いています。
みなさまのご寄付は公的な支援の届かない被災地の人々への生きたお金になっています。
●ゆめ風基金は、阪神淡路大震災をきっかけに発足した草の根団体です。
18年間に40被災地の障害者救援活動に2億5千万円の救援金を届けてきました。
東日本大震災では、いちはやくスタッフを被災地に派遣し、宮城、福島、岩手8ケ所に被災地障害者センターを立ち上げ、救援活動を続けてきました。
また、福島から避難する障害者のために新潟、神奈川に避難所を設けています。
地震、津波で全壊した障害者作業所、グループホームなど、障害者の大切な生きる場、働く場の再建、修理、新設などにも救援金をお届けしています。
2億円を越える救援金はすべてみなさんの寄付によるものです。
被災者の生活の再建はまだまだ時間がかかります。
全ての被災者が仮設住宅から出られるにはまだ5年かかるとも言われています。
とりわけ障害者が地域で生きていくためには、多くのサポートが必要です。
ゆめ風基金は支援し続けます。
どうかご支援をお願いします。
●東日本大震災救援金総額
204,796,909円(2013年8月9日現在)
【内訳】
●岩手、宮城福島県被災地障害者センター活動費
113,748,522円
●生きる場働く場、活動4県51ケ所に総額
 91,048,387円
●再建支援=9ケ所
34.550,000円
●新設8ヶ所
 32,525,489円
●県外避難所改造避難者支援
  6,550,000円
●補修6ヶ所
  4,207,278円
●当事者6団体救援活動
  3,670,000円
●当事者派遣プログラム
  3,000,000円
●活動支援6ヶ所
  3,500,000円
●備品3ヶ所
  1,394,250円
●被災障害者調査活動3件
    711,370円
●避難移住支援3件
    640,000円
●被災障害者報告会2件
    200,000円
●被災障害者情報支援
100, 000円など。


●NPO法人 ほのぼの
・機関誌№133号「ほのぼの」より転載
連絡先
兵庫県明石市
TEL&FAX 078-913-5315
「猛暑お見舞い申し上げます!
今後の原発再稼動は?」
うっとおしい梅雨が続きましたが、例年よりかなり早く7月初めに明け、一気に真夏の気候がやってきたようです。
夜の寝苦しさも重なり早くもバテ気味の方もおられるのでは?
旬な話題といえばやはり先日の「参議院選挙」と言うことになるのでしょう。
事前の世論調査では、政権与党の過半数を超える議席獲得予想が盛んに報道され、果たしてその結果がどうなるのかは福島の廃炉を初め原発再稼動の点から考えると非常に気になっていましたが、マスコミやインターネットの事前予測による世論動向で盛んに喧伝された三本の矢による「アベノミクス」効果での経済問題に焦点が移っていたという予測が、出口調査等からも裏付けられたようです。
選挙後の今さらで、せん無い事ではありますが、そもそも1950年代から歴代の政府・自民党が原発の「平和利用」を錦の御旗として政策を進めてきた事実、また60~70年代からは電気事業連合会と政府一体となった「安全神話」の大キャンペーンなどにより、原子力発電所の相次ぐ増設が推し進められてきたことは、まぎれもなく周知の事です。
そしてその裏では膨大な金額の電源交付金や自治体への寄付金等が原発立地地域とその周辺にバラ撒かれ、現在に至るまでそうした構図に変化が無いことは過去のマスコミ等の各種報道でもハッキリしています。
そのような既成事実が、現政府の原発再稼動推進の姿勢によって今後もますます推し進められていく事が懸念されます。
以上
(ほのぼのでは、「福島の子どもを招きたい!明石プロジェクト」を、今年3回目となる「たこ焼きキャンプ」として開催しました。)


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これまで届けた救援金
250,805,994円(2013年8月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
204,796,909円(2013年8月9日現在)
ただいまの基金残高
270,821,980円(2013年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
障害者問題を考える兵庫県連絡会議:代表 福永年久
機関誌 障問連ニュース8月号からの転載
連絡先
TEL 078-842-3299
FAX 078-842-3354
「追悼」大賀重太郎さんの1回忌に思うこと 高島恵津子(NPO法人ピータンハウス理事長)
・昨年7月8日に突然の拓人からの連絡。
……嘘と言う気持ちで1ケ月が過ぎた事。
暑い季節に辛い悲しい事が思い出されます。
大賀さんとは、震災が有ったからこそ出会った人です。
ピータンを設立再開できた人です。
大賀さんに出逢えたからこそ知り合いからの繋がりで、再開そして作業内容も陶芸に神戸では、数少ない陶芸の作業所だから、最後まで面倒見のよい京都相楽の先生をと、力強く説得してもらったことが(技術なく不安があったので)……昨日のように思い出されます。
そして再開スタートしてあんな事こんな事がある中で設立して18年間、支えて下さり、特に理事として昨年の理事会、総会には今までよりも足取りで、遠方の姫路よりピータンに本当に良く足を運んで頂き、全国で行動されている中、ピータンが心配、(いいえ、私が頼りなく、特に主人が亡くなり、心配かけたのでは……?)、ピータンが1日も早く安心の報告が出きるよう、来年の移行に向けて、みんな一丸になり頑張ります。
大賀さん、ずっこけないように見守って居て下さりね。
暑い折全国の皆様、ご自愛ください。
●この文章は「ピータン通信夏号2013年7」より転載させていただきました。
ご理解いただきありがとうございました。
(「ピータンハウス」は……重度障害者の働く場・表現活動の場、そして「地域につながり誰もが参加できる場」として、陶芸を中心した作業活動を行われ、現在「地域活動支援センター」、そして今後自立支援給付事業への移行を目指し取り組まれています。)
●歳月の経過は早く、大賀さんが亡くなられ1年が過ぎました。
昨年10月に開催された「偲ぶ会」以降、全国から多くの追悼文を寄せていただきました。
今秋には「追悼記念誌」を何とか発刊すべく「拓人」の方々と作業中です。
また、発刊を記念し、大賀さんが精力を注がれていた「ひょうご地域福祉政策研究会」も 各方面に働きかけ再開できるよう、現在準備中です……。
以上。

ヒデの救援レポート 2013年8月26日№133

★7月29日、故河野保子さんの7回忌法要を行い、8月3日~4日は、バクバクの会定期総会で、岡山市行き。
お盆休みを挟んで、8月18日~19日は、牧口さんと2人での老々介護で、北海道札幌へと、講演行き。
1日置いて、21日から23日間、愚息と3人で、熊本の天草へのお墓参り。
誠にもって、hideにとっては、過酷な1ケ月でした。
メール発信が遅れた、言い訳ですねー。


●東日本大震災被災障害者救援本部「おおさか」の7月18日会議レジュメ
●その2
救援活動の経過と現状
・2011年の大震災当初は、現地に物資とボランティアを派遣する緊急支援が取り組まれました。
・2012年度からは、沿岸部の支援拠点を中心に、継続した支援を行うことが確認されました。
東京救援本部では、3年の中期的な支援計画を立てました。
・2012年度は、「移送サービス」や「当事者エンパワメント」を含めた現地での地域に根ざした活動を継続し、積み上げていくことを中心に、長期的恒久的な取り組みを目指して、可能なところから、「事業化」に取り組んできました。
・岩手、宮城においては、沿岸部に活動を集中し、現地のスタッフを中心にした体制作りを行いました。
また、全国の仲間の支援と結びついで取り組まれた「みちのくトライ」は、現地の当事者のエンパワメントに大きく貢献しました。
・ボランティア活動も一定継続されてきましたし、地域活動や事業に関する見学・研修や全国各地と被災地との相互交流活動が取り組まれてきました。
・映画「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者」が完成し、全国各地で上映運動が取り組まれました。
●参照
2012年1月に確認された基本方針
Ⅰ.沿岸部に対する「支援拠点活動」1通院や買い物・通所などの「移送サービス」
2.家の改造・設備の補充、周辺整備などの協力(行政申請協力含む)
3.支援を必要とする障害者への「個別訪問支援」
4.仮設住宅での交流のための「サロン活動」
5.行政への各種申請の支援、要望活動
6.現地の障害者団体などとのネットワーク作り
7.現地の事業所の運営への協力
8.現地における:地域生活支援のための事業:の創設や拡充
Ⅱ.福島の原発問題に関する「避難支援」
・福島における拠点活動支援、相模原サテライトCILなど
Ⅲ.地域生活の活性化に向けた岩手県宮古市への「当事者派遣プロジェクト」
Ⅳ.2013年度の方針
2013年は、3年の中期計画の2年目にあたります。
今年も「移送サービス」を含めた被災地での拠点活動を継続し、可能なところから地域生活支援のための事業構築を支援していきます。
具体的な活動は、それぞれの地域のニーズを踏まえて、進めていきたいと思います。
●現地報告と2013年度の活動イメージ
●岩手県
・被災地障害者支援センターみやこ「NPO法人・結人(ゆいっと)」~弟2回みちのくトライが7月28日スタートです
生活介護事業所開設の準備をしています
引き続き、交流や学習会を企画していきます
・被災地障害者支援センターかまいし
ヘルパー事業所、生活介護事業所を模索しています。
法人格も準備中。
・被災地障がい者センターかまいしと、「AJU自立の家」(名古屋)で支援してきた、地域生活をめざす重度障害者(大船渡の施設入所中)に、釜石市より7月1日付けで、1日16時間の支給決定が下りました。
23年度、釜石市全体支給実績が月間416時間(第3期釜石市障がい福祉計画案)
1人で市全体の支給実績を超える支給決定が出たことになります。
・被災地障害者支援センター大船渡「NPO法人・センター123」
現事務所を年内に出ないといけません。
隣の自宅跡にデイサービス事業所を開設します。
工事費1700万円で着工します。
・田野畑村「ハックの家」
送迎活動を継続しています。
●宮城県
・被災地障害者支援センター南三陸「NPO法人・奏海の杜」
日中一時支援活動、放課後デイ活動を継続しています。
150坪の土地を南三陸入谷に確保(賃貸)し、建物建設を目指します。
児童デイ活動とショートステイ事業所を目標としています。
・被災地障害者支援センター石巻
障害者・児の交流の場所として活動しています。
まちなかウォーキング、タウンウォッチをしています。
交通アクセス問題、共に生きる講座などの取り組みも計画中。
・被災地障がい者みやぎ
今年は、県内各地で上映会を行います。
・陸前高田の「すずらんとかたつむり」は、「かたつむり」が独立して大船渡市内に新設しました。
・気仙沼「ケアホームめぐみ」
送迎活動継続中。
・山元町「ささえ愛山元」
仮設支援活動継続中。
・南三陸町「三陸こすもす」
新設グループホーム建設中です。
●福島県
・被災地障がい者支援センターふくしま・JDF(郡山市)
相談支援活動や事業所支援を継続しています。
県外出前講座を企画しています。
・県内各地
田村市:7月に上映会を開催しました。
市民のための放射能測定活動をしています。
・原発からの避難の取り組み
・原発に関連して、長期的に避難「移住」することを希望する障害当事者についての支援を行っています。
・個別避難
神奈川県相模原での「サテライトCIL」の取り組み~新潟での取り組みを支援をしていきたいと思います。
(サテライトCIL相模原は9月には閉鎖の予定です。移住する2人の障害者は、市内で自立の予定です。今後の移住体験希望者は、八王子JIL、ヒューマンケア協会、JILで対応。現時点で移住が確認出来ている方は、兵庫2人、新潟1人、神奈川2人、八王子1人です。)
以上


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これまで届けた救援金
NEW!
250,805,994円(2013年8月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
NEW!
204,796,909円(2013年8月9日現在)
ただいまの基金残高
NEW!
270,821,980円(2013年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い【吾亦紅】」と咲くのです。

ヒデの救援レポート 2013年8月12日№132

●先週、1週間、被災地障害者センターいしのまきの箕田さんを中心に、石巻と東松島から、研修・交流として、障害児とその親たち、10名あまりが、来阪されました。
京都の水族館、NHK大阪の見学。
その他に、関西各地の障害者団体との交流を精力的に行われました。
またひとつ、つながりの輪が広がりました。
●東日本大震災障害者救援本部・おおさかの会合が、7月18日に開かれました。
その会議レジュメから。
①基本的な課題
2011年3月11日の東日本大災害から、2年4ケ月が経ちました。
「復興」への取り組みが続けられていますが、多くの課題が残されています。
多くの人たちが仮設住宅で暮らし続けていますし、障害者にとっては、「移送サービス」の継続や「地域生活の基盤づくり」など多くの課題が残されています。
また、福島においては原発問題が続いています。
・被災地現地における障害者の「生活」と「労働」そして「交通」の問題など多くの課題に継続して取り組んでいくことが必要です。
②救援活動の経過と現状
●次号に続きます。


●NPO法人・自立生活センター・いこらー機関誌・夏号からの転載
連絡先:TEL&FAX 072-488-7334
●いこらー第1回公開セミナー「命をつなぐ、人と地域のつながり~東日本大震災の教訓から学ぶ」
「つながり」とは?~
報告・大薗拓郎(この人は、1年以上、宮城県と石巻に被災障害者支援に入っていた人です。)
2013年3月2日(土)、岸和田市立サン・アビリティズ:自立生活センター「いこらー第1回公開セミナー『命をつなぐ、人と地域のつながり』~東日本大震災の教訓から学ぶ:つながりとは?~」のコーディネーターをさせて頂きました。
2011年3月11日に東日本大震災において甚大なる被害をもたらし、多くの人々の命が奪われました。
特に障害者の方々も命を奪われ、または被災後の避難生活で多くの困難にさらされる現実がありました。
わたしは震災の障害者支援ボランティアとして、主に宮城県で1年3ケ月の活動をしてきました。
その活動については前号「いこらー通信」に書かせて貰いました。
今回はその活動において被災された方と被災したにもかかわらず、障害者支援をされた二人を岸和田市に招き、震災の現実と被災時の障害者支援について講演して貰いました。
今回の企画の意図としては、震災の現実を被災者の方から直接語って頂くと同時に、被災地の障害者の現実とその支援のあり方を岸和田市の方々に知って頂き、今後、必ず起こるであろう震災に対する防災について参考にしていただければとの思いでした。
また、岸和田市とは距離的に遠い、宮城県南三陸町の方々と、人と人が、地域と地域が繋がるきっかけとなり、今後数年は続くであろう震災の傷跡を一緒に乗り越えていく架け橋になる意図もありました。
セミナーには30名ほどの参加者に来て頂き、大変感謝しております。
参加者の真剣な眼差しと期待に、わたしは答えられたのか少々不安を感じながらの講演でしたが、防災について真剣に考えてくれた方や、実際に南三陸町に赴きボランティア活動をされた方々もいて、南三陸町と岸和田市の人と人の、地域と地域の繋がりとなる一助になれたのかなと胸を撫で下ろしています。
被災地障害者支援ボランティア活動を通じて最も教えられた事は、人と人の繋がりが命を救い、また人生の希望にもなるということです。
今後も被災地の支援企画を実行しますので、その折りにはご協力のほど、宜しくお願いします。


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被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、
250,305,994円(2013年8月9日現在)
内・東日本大震災救援金総額
204,796,909円(2013年8月9日現在)
ただいまの基金残高
263,041,882円(2013年5月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●「いこらーセミナー報告」からの転載
・先日はお伝えする機会をいただき、本当にありがとうございました。
被災し、避難し、津波で建物の7割が流出した地域で生活しつつ、支援者としても生きている私たち。
この経験がみなさんの防災や復興について考える一助になれば……という気持ちでお話をさせていただきました。
当日は災害への備えについて4種類お伝えいたしました。
1つめは物。
食料や水、薬や懐中電灯などライフラインが途絶えた場合に、まず自分や家族の生活を守る物です。
2つめには行動。
身を守り逃げること。
家族や近所の方々などと、避難場所や避難路、連絡方法を確認しておくことも今できる防災です。
今回のように携帯電話も使えない状況では、普段からの情報の共有がとても有効でした。
でもその物も行動も逃げようという心の準備がないといきません。
だから、3つ目には意識。
今回も、ここは大丈夫だろうと逃げなかったという悔やみきれない話を何度も聞きました。
自分の身は自分で守る、自分で考えて自分で行動する、といったことを日頃から意識しているだけでも、有事に適応しやすい心体が養われると思います。
そして4つ目が、今回の命題でもあるつながりの構築です。
これは震災事の共助を自然な形で機能させるために、今だからこそ出来る大切な防災だと思います。
つながりを作るなんて組織的に考えると大変ですが、自分1人でも出来ますね。
例えば、社会参加を心がける、大切な人と温かな関係を持ち続けるなどです。
そういう関係を持っていれば、そこにはステキな共助が生まれ、ひいては災害に強い地域につながるのではないでしょうか。
結局、地域も国も個人の集まりなのですもの。
あのような大災害が起これば、またきっと無数の哀しみが生まれるでしょう。
相手は地球なのでそれは仕方がありません。
でも、その中にあっても、少しでも幸せに生きたい、大切な人を守りたい。
そう準備するのが、防災だと思っています。
当日はたくさんの方々の真剣なまなざしに会え、とても嬉しく充実した時間でした。
会場にいらっしゃったケンちゃんは、その後私たちの子ども広場へ何度もお越しくださり、美味しいたこ焼きを子どもたちに振る舞ってくれています。
素敵なつながりをいただきました。
皆様も、もし東北へお越しになることがあれば、ぜひ南三陸町の私たちへも足を伸ばして下さい。
キラキラした子どもたちとお迎えいたします。
このたびは本当にありがとうございました。
NPO法人・奏海の杜(旧被災地障がい者センター南三陸)事務局:太斎京子
以上

hideの救援レポート2013年7月30日№131

●7月24日、先にお知らせしたように、大阪府豊中市の、hideの畏友のおひとりであった、入部香代子さん、死去。
・25日:通夜、26日:葬儀
●29日:私の連れ合いであった、故河野保子さんの7回忌法要
●8月3日~バクバクの会定期総会in岡山市
以上のような日程で、精神的にもヘコんでいたこともあって、hideのメール発信が1週間ズレ込んでしまいました。
ゴメンナサイです。
言い訳ですねー!


●福島被曝問題に関する調査報告その3:ゆめ風基金理事・福永年久
4月18日午前
@本宮市「特定NPO法人 オハナ・おうえんじゃー」
知的障害、発達障害、身体障害の子どもたちの一時預かり、保育
未就学児も就学時も。
参加者
藤本真さん 特定NPO法人オハナ・おうえんじゃー理事長
白石清春さん 被災地障害者支援センター代表
設楽俊司さん 被災地障害者支援センター サテライトCIL担当
藤本さん
親御さんたちは、ここで生活すると決めている。
被曝について「うちはぜんぜん気にしてないので大丈夫です」というのがほとんど。
去年は気にしていて、外で遊ぶのを制限していた。
気にしているのは利用者35人中、未就学児2~3人くらいの親。
とくに就学年になると日々の生活で精いっぱいで、保養には興味を示さない。
片親が多く、仕事休めない。
福永
保養については交通費、宿泊費は「ゆめ風基金」から出る。
藤本さん
具体的ニーズとマッチしていれば、親が検討できる。
知的障害、発達障害の子どもは初めての環境でパニックを起こすことがある。
共同部屋ではなく家族部屋の希望が多い。
ボランティアは普段から継続的にかかわっていれば、違う場所でも安心できる。
ヘルパーや看護師を確保する必要もある。
入所施設では積立金で年1回1泊旅行をやっていて、その際にスタッフがついてくる。
「オハナ・おうえんじゃー」では、午前は未就学児、午後は就学児が利用する体制なので、
1泊2日となると、親御さん対応としかいえなくなってしまう。
事業所としては保養に行けない。
保養について聞いてくるのは契約者40人中1人くらい。
外での運動が30分に限られており、肥満が問題になっている。
屋内トランポリンが導入されたりしている。
ボランティア担当のタンバラ教授という人がいて、専門学校の学生をボランティアとして派遣してくれる。
学校との連携は、授業時間との関係を考慮することになる。
長期の休みには特別支援学校の教員に手伝ってもらっている。
すでに知っているボランティアがいっしょだと外泊もしやすい。
利用者の住むエリアは本宮市、二本松市、大玉村、郡山市。送迎利用者が8割でたいへん。
共働きが多い。
助成金はすべて民間で、損保ジャパンなど。
障害福祉サービスの事業所には自閉症、ニートがよくボランティアに来る。
最近の計測値は外は0.3μSv/h、室内は0.15μSv/h。
親も子どもを外で遊ばせたいと思っている。
設楽さん
去年、北海道へのツアーを企画したが没。
具体性を欠いた上に高額で、保養を大きく打ち出したのがまずかったか。
夏に企画した東京ツアーは4泊5日。
主に観光でスカイツリー、高尾山ロープウェイ、多摩動物園、プールと目白押しで子どもたちに大好評だった。
被曝線量も0.07μSv/hと低め。
藤本さん
屋内遊技場が増えているが、利用できるのは幼稚園~小学生まで。
中高生が運動する場が必要。
「オハナ・おうえんじゃー」の情報発信はHPがあり、ブログは理事長個人で週1回更新。
会報は年1回でこれまでに2回発行した。
5/3に保護者会を開く予定で、参加者を募っており、アンケート実施できる。
未就学児の親は100%参加で、20人くらいを見込んでいる。
以上
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これまで届けた救援金
245,305,994円(2013年7月26日現在)←NEW!!
内・東日本大震災救援金総額
1,999,796,909円(2013年7月26日現在)←NEW!!
ただいまの基金残高
263,041,882円(2013年5月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東北関東大震災・障害者救援本部特集号№8からの転載
●連絡先
TEL 042-660-7747
FAX、042-660-7746
【復旧でなく、復興へ、そして新生へ~被災地障がい者支援センターみやこから、NPO法人結人「ゆいっと」へ】被災地障がい者支援センター・黒柳奈緒美
皆様に応援していただき被災地の障がい者支援を継続して行うことができております。
心より感謝申し上げます。
日々の活動の中で継続した支援ゆえに、どうしても任意団体の限界や障がい者福祉サービスの不足・遅れにぶつかってしまい、思うような支援が出来ない事が多く出てくるようになりました。
一番の悩みどころは、何かしたい、地域に出たいと動き出したい障がい当事者の行き場の無さでした。
もともと、福祉が少なかった地域が震災をきっかけにヘルパー不足に拍車がかかりました。
その結果、高齢者にも障がい者にも必要と思われるサービスが受けられなくなりました。
それと平行して、今まで福祉サービスに繋がっていなかった方々が、震災後に状態が悪化したり新たな障がいを持ってしまったりするなど苦しんでいるのに、繋げる場所がみつけられない悪循環を目の当たりにしてきました。
そこで、今年4月に「NPO法人 結人」を立ち上げました。
行政の動きを待っていたのでは行き場のない方々が増える一方だと考えたからです。
被災地障がい者支援センターとしての支援も昨年と同様に行いますが、今年の夏から「結人」も事業所として動き出します。
少ないスタッフでの対応になるため沢山の方を受け入れることは難しいと思いますが、今、目の前にいる、今、困っている方の支援をさせていただこうと思います。
現在は県外からのスタッフから地元のスタッフだけになり、被災地の障がい当事者に必要なことや不足していることを切実に感じております。
やりたいことが沢山ありますが、経験や情報が不足しています。
これからも皆様のお力をお貸しいただければと思っております。
また、今年も7月下旬から「みちのくトライ2」として、岩手の被災地の約150キロを当事者が中心となり歩くイベントを企画しています。
復興と同時に東北の街が障がい者も住みやすい街になって欲しいとの思いを訴えていきます。
こちらも併せまして応援、宜しくお願いいたします。
以上