ヒデの救援レポート、10月17日

ヒデの救援レポート、10月17日:42
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、10月11日までに、185468628円です。これまでに支援した団体、個人への金額は9月15日現在、94084600円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
 そよ風特集取材・へろへろコンビ・被災地宮城珍道中レポートの2・被災地仙台の2日目。牧口さんとヒデは、救援ボランティア宿舎のマンションで目覚めた。牧口さんは、早朝に目覚めてゴソゴソやってる。ヒデは、集合時間ぎりぎりまで目覚めなかった。ふたりして、宿舎を出、近所のコンビニで、朝食を買い込み、被災地障害者センターみやぎに向かう。
 事務所には、まだ人影がまばらで、へろへろコンビは、朝食をパクつく。しばらくすると、三々五々と、スタッフや救援ボランティアの人たちが登場。簡単な今日の行動打ち合わせをする。救援ボランティアとスタッフが、2台の車に分乗して、60キロ離れた、石巻市を目指し、現地のセンターのニーズ&安否確認活動でつながった、障害者・障害児の親たちと交流会を行うとのこと。この交流会は、すでに数回、食事会などを含めて行っているとのこと。へろへろコンビも参加、取材をする事に。その打ち合わせの場に、ひょこっと現れた人物がいた。NHK大阪局のきらっといきる担当のIデレクターだった。
 Iさんは、牧口さんとは顔馴染み。番組で、障害者プロレスのレスラーリングネームもちゃんとあるでもある、センター代表の及川さんを追っかけているのだ。イギリスから被災地支援のために、来日して、及川さんたちと試合をするヘンなレスラーとのイベント・25日(日)・を取材中なので、石巻市にも同行するという。予定通り、2台の車でデッパツした。鉄道は寸断されているので、交通手段は、車のみ。高速道に乗るも、あちこちの出入り口は、渋滞だらけ。その上、道路が補修で凸凹。高速で走れない高速道。大震災の津波が、高速道でせき止められた地域、遠くの沿岸部の、何もない光景が遠望できるところも、ノロノロと通過した。
車を運転してくれている、スタッフのSさんが、自身の被災状況や、友人を津波で失ったこと。津波が押し寄せたが、高速道でせき止められ、その反対側にいた友人が助かったこと。車窓から景色を指差して、あそこまで、津波が来て、今は、きれいに整地されたけど、当初は、車やがれきでぐちゃぐちゃだったなどを、説明してくれる。Sさんの恋人は、福島県の人で、親元を離れ、ひとりで、親の許可のもと、Sさんと避難同居しているが、親を捨て、故郷を捨てたのではないのかの、自責の念に苦しんでいることも、悲しみの色をした眼で話してもくれた。へろへろコンビは、黙って聞くしかなかった。
約3時間を消費して、石巻市市内に到着。会場の生協のお家・いしのまきに入った。狭い車の中車イス用軽自動車足腰が痺れている。現地の障害者と親たち、救援ボランティアとスタッフが向かい合って、お弁当を食べながら、懇談をした。その後、牧口さんのインタビューと写真撮影。実に生々しい、被災直後の本音トークが聞けた。内容は、そよ風特集に掲載するので、ごらんあれかし。
親密な交流会が終わったのが、3時半ころ。1台の車に救援ボランティアの人たちが乗り、センターの拠点のある登米を目指し、車イス用軽自動車には、へろへろコンビとIさんが乗り込み、仙台にとって帰るが、車内は、より狭くなった。そして、会場前で2台は、別れた。仮設住宅が点在する道を、高速道を目指すが、渋滞はより激しくなっており、仕方がないので、一般道をトコトコ走り、仙台に向かう。センターに帰り着いたのが、午後7時過ぎ。事務所には、スタッフも少ない。牧口さんが、今日一日、運転をしてくれた、スタッフのSさんに、夕食を奢ると提案して、代表の及川さんたちとIさんも加わって、昨夜も利用した、中華料理店に向かう。
盛り上がった食事会も終わり、宿舎マンションに引き上げようと、スタッフのSさんに手伝ってもらってマンションは、修復中で、あちこちに段差があり、牧口さんの電動車イスは重いそしてだ、帰りの道中で、ヒデは、大切なカメラをコンクリート道に落としてしまうという失態を演じてしまった。幸いに撮影には差し支えなかったが、ヘンな音がしたり、カメラが熱を持ったりするようになってしまった。
それでも、へろへろコンビは、宿舎にたどり着いて、直ちに爆睡。コテン!
次回につづく。
ヒデの畏友、京都花園大学の八木晃介特任教授の私的メディア試行社通信●原発・煙草・肺癌・からの抜粋です。
連絡先TELFAX075-221-2672
前略・もうひとつ、文科省が財・放射線影響協会に委託した原子力発電施設等放射線業務従事者に係わる疫学的調査をみることにします。これは2007年までの16年間、約21万人を対象にした調査です。結論だけをみると、放射線業務従事者では肺癌による死亡率が他の癌や他の疾病による死亡率よりも顕著に高かったということです。
報告書では喫煙の影響を排除できないのでと曖昧というかエキスキュウズのような文言を書き入れていますが、やはり、どうかんがえても、喫煙だけでは説明できない肺癌の増加が放射線業務従事者にみられたのです。
原子炉というものはいわゆる事故をおこさないでも常に放射性物質を排出しており、被爆という観点からすれば、平常運転そのものが事故とみなされるべきなのだとおもいます。教科書によると、原子炉運転中に放出される放射性物質の大半は放射性希ガスおもにキセノン133としるされています。これを吸うことで呼吸器としての肺がもっとも被曝の影響をうけることは素人にもよくわかることです。
3.11の4日後の3月15日頃、各地で観測されていた放射線の鋭く強いピークが何に由来するのかが謎とされていましたが、財・日本分析センターは4月1日、それが放射性物質キセノン133であることをつきとめたと発表しました。
前にしるしたように原子炉の平常運転中にも希ガスは放出されているのですが、この時はいつもは原子炉の中でしかおきない核分裂生成物としての希ガスが外部に飛散していたわけで、その時点で実はメルトダウンが想定されてもよかったはずです。東電がしぶしぶメルトダウンをみとめたのは5月12日になってからでした。
このような言い方は不穏当かもしれませんが、放射線業務従事者のまさかのリスクがあの時には全国民化したのではあるまいか。後略
ゆめ風基金事務所に届いたおハガキから
前略・永六輔さんのラジオ番組を通じてゆめ風基金の活動を知り、今回の東北大地震で初めて募金をさせていただきました。
風だよりに同封されている払込取扱い票に記されているこの用紙は、必要な方のみお使いください。必要でない方はメモ用紙・・いいですね。おしつけがましくなく、謙虚で自然体で。これならできる時に、できる分を、と支援を続けられそうです。
山田太一さんのメッセージ、よく言ってくださったと思います。支援をするのに、ボランティアをするのに、カメラがついていって、元気を与えにやってきました!なんて上から目線に腹がたちます。与えられたくないよ。自分で輝くよといってやってください。
本当にそう思います。これから厳しい冬がきます。一人でも多くの方のお役にたてればと、できる範囲で支援させていただきます。皆様もお身体をご自愛の上ご活動下さいませ。東京都町田市・Uさん
コンサート百年を歌う百年に一度の音楽祝祭へようこそ!と題する、2枚組のDVDが、011年10月に発売されます。監督・金聖雄・制作著作・コラボ玉造・時間135分価格・4500円申し込み電話・080-3119-7074このDVDの収益金は、東日本大地震被災者支援と全ての原発廃止のための活動や運動に役立てます。と銘打たれています。
出演者は、ゆめ風基金呼びかけ人のおひとり、パギやん趙博、寿、大熊ワタル・ジンタらムータ、朴根鐘・ユッケジャンバンド、板橋文雄・mixダイナマイト、李政美さんたち
以上。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.39

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.39
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.39
日時:2011年10月16日(日) 天気:曇りのち晴れ
報告者: S
9:00~12:00 ケース会議
12:00~17:00 FMみなさんにて告知活動
活動した上で感じたこと
〈ケース会議〉
 過去に関わってきたケースを整理・検討する。
 ケースごとに訪問する支援の目標・頻度・つなぐ関係機関などについて検討。
 現在使えるサービスについての情報が不足しているため、社会資源のマップを作成するよう提案する。
〈告知活動〉
 地域のFM局であるFMみなさんにて告知活動をする。
 被災者の方の情報源として活用されているFM局なので、今後の活動を地域住民に知ってもらえればと思った。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.38

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.38
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.38
日時:2011年10月15日(土) 天気:雨
報告者: S
9:00~12:00 Sさんレスパイト、事務処理
12:00~17:00 打ち合わせ、事務処理
活動した上で感じたこと
Sさんレスパイト
 9:10登米拠点出発。9:55祖父母宅着。
 本人の住む祖父母宅に着くと祖母が待っており、本人を呼びに来る。本人はCDウォークマンを聞いたまま乗車する。笑顔が多く機嫌はよかった。視覚障害があると聞いていたが、車窓から見える景色を熱心に見ていた。
 車のスピードが落ちると少し機嫌が悪くなり、声が出る様子。右親指の関節で窓ガラスを叩くことがあり、見るとタコができていた。日常的にその部分を打ち付ける常同行動がある様子。
 10:40道の駅林林館に到着。祖母から今朝トイレに行けていないと引継ぎがあったので、トイレに促すが、扉を押さえ拒否。運転者に車を出すよう促す。
11:00明治村・11:25虚空蔵尊でもトイレを促すがいずれも拒否。車を出すよう強く要求したためにドライブをする。
12:00祖父母宅着。
 大阪では複数で車でレスパイトするのは考えられないが、現地の地域性を考えれば車は必須であるといえる。ガイドヘルパーの制度もないが、将来事業展開としてレスパイトを考えるなら、移動手段は大きな課題になると思われた。
打ち合わせ
 今後の動きについて打ち合わせ。
 相談を受け付けたケースを検討するため、定期的にケース会議を持つことになる。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.37

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.37
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.37
日時:2011年10月13日(木) 天気:晴れ
報告者: S(育成会)
9:00~12:00 Mさん訪問、事務処理
12:00~17:00 Eさん訪問、事務処理
活動した上で感じたこと
Mさん訪問
 先日より留守のため訪問できていなかったMさんが同じ仮設住宅内の交際相手のお宅におられることが分かった為、本日訪問。居室内は食べた後のものが散らかっているなど、煩雑な様子が伺える。
 交際相手の男性が外出していたため、ご本人からお困りごとについて聞き取りをする。主訴としては車の買い替えのことが気になって眠れないということだったが、実際には話しを聞いて欲しかったように思ったので、本人が納得するまで傾聴する。本人のお話は事実と違う点も多いが、話しを聞くうちに表情が明るくなり、身振り手振りを交えて話し出す。
 車の件は納得してから買うよう助言すると腑に落ちた様子。また何か相談事があれば連絡するとのこと。
 仮設住宅の中で精神障害を持った方のストレスも溜まってきており、息抜きの場も必要だと感じた。
Eさん訪問
 本人は小学一年生の自閉症の男子。地域の小学校に通っているが、多動傾向。自宅にて本人を見て欲しいとの依頼。
 祖母から聞き取りをする。現在は曾祖母・祖父母・本人の4人で暮らしており、父親は出稼ぎにでている。地元スタッフの情報では祖母は自宅に囲い込みがちとのことだったが、祖母の話では出来るだけ外部の人の支援を受けたいということ。現在は毎週水曜日JDFのスタッフが15:30から2時間自宅で支援しているということだが、祖母に用事があるときにみてほしいということ。
 予定が合えば派遣することになり、次週19日にJDFさんの支援に同行させてもらうことになる。
 現在の家に着てから本人が活動的になり、オムツもはずせるようになったとの事。本人の成長を見て祖母の気持ちも変わってきている様子。
 震災は不幸なことでは有るが、それをきっかけに前向きに障がいに向かい合えるように馴れる事例もあるのだと知った。

東北関東大震災障害者派遣プロジェクト10

東北関東大震災障害者派遣プロジェクト10
被災地当事者派遣 報告書
   夢宙センター 陶山雄一 登裕樹  小角元哉
【スケジュール】
10月1日(土)
岩手県に到着 CILもりおかにて長期ILP講座(調理編)打ち合せ 被災地障がい者センターいわてにて支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月2日(日)
CILもりおか長期ILP講座(調理編)リーダーとして参加
10月3日(月)
沿岸部大槌町同行 被災現場(視察)→被災者支援同行(仮設住宅)必要な物資・住環境の聞き取り支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月4日(火)
沿岸部宮古市同行 被災者支援(在宅)市役所送迎・外出支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月5日(水)
被災地障がい者センターいわて事務勤務 もりおか復興支援センター(物資調達)盛岡市民福祉バンク(物資供給支援)同行 CILもりおか訪問(意見交換・長期ILP講座反省会) 支援物資の整理仕訳 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月6日(木)
大船渡市同行 バリアフリー仮設住宅実態聞き取り調査 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流(送迎会)
10月7日(金)
被災地障がい者センターいわて事務所勤務 仮設住宅のバリアフリー化について岩手県保健福祉部障がい保健福祉課訪問
【活動報告】
①CILもりおか長期自立生活プログラム講座
障害者派遣プロジェクト10
 ILP終了後、参加者と自立生活についてなどの話を行いました。
 まだまだ社会資源が乏しく、障害者に対する差別や偏見が大いにある地域では、自立生活センターとして、障害者リーダーとなりうる人材を発掘し、一人でも多くの仲間を増やし、仲間とともに自立支援を楽しみながらおこなうことが大切だと思った。
②大槌町仮設住宅の方への支援
 物資援助の希望として、衣類、暖房器具の希望があった。
 本人から、趣味の「アニメ・ゲーム・プラモデル作り」など、色々話せて楽しかったと言葉があった。
 現状、生活することで精一杯という印象を受けたが、今後、生活に楽しみを持てるよう、趣味を行えるような環境(物資等)の整備のサポートや、本人が孤立してしまわないように、ボランティアを含め、他者とかかわる機会が必要であると感じた。
③大船渡市のバリアフリー仮設住宅実態聞き取り調査
 本人からの訴えとし、防寒対策がされていない、握力がないため入り口の扉の開閉が困難、洗面所がない、給湯器のお湯がすぐ水になる、インターホンが付いていない、室内の電灯が一般の仮設住宅はリモコン式なのにヒモ式である等、仮設住宅が建てられた公園が閉鎖されておらず、プライバシーが保たれていない為、精神的に安心できる環境が整っていない等の話をうかがいました。
 バリアフリー仮設住宅の被災者に対する物資の支援が滞っており、車椅子で物資をとりに行っても「邪魔だ」と言われるなど、心ない言葉を浴びせられるなどの話を聞いた。
●被災地に行き感じたことは、元々、社会資源が乏しく交通アクセスが整備されていない町が復旧を遂げたとしても、障害をもつ人の生きづらさは変わらない、地域で自立生活が実現できるよう復興していってほしいと思った。
 また、津波の被害に遭った大槌町沿岸部では廃墟と瓦礫が整備された空き地が広がり、その空き地の所々にオレンジの旗が立てられているのが見えた。それが何を意味するのか、何の印なのか気になり尋ねたところ、その場所から遺体が見つかったと聞かされる。津波が一瞬にして町をのみ込み、人の命、家庭や夢希望、全て奪いさったことにやるせなさを感じた。
 少しずつ町は復旧してきているものの、今もまだ震災 ( 津波 ) の爪痕が残る場所に実際に行き被災された方と会い話を聞くと、町が復旧したとしても、人の心に残る傷跡が癒えるには時間がかかり、みんなの応援と人の痛みを思いやる温かい気持ちと支え合いが必要だと実感した被災地での活動だった。
障害者派遣プロジェクト10

永六輔さんのラジオ番組を通じて

 永六輔さんのラジオ番組を通じて「ゆめ風基金」の活動を知り、今回の東北大震災で初めて募金をさせていただきました。
 「風だより」に同封されている払込取扱表に記されている「◎この用紙は必要な方のみお使いください。必要でない方はメモ用紙…」、いいですね。おしつけがましくなく謙虚で自然体で。これならできる時にできる分をと、支援を続けられそうです。
 山田太一さんのメッセージ、よく言ってくださったと思います。支援をするのにカメラがついていってね「元気を与えにやってきました!」なんて、上から目線に腹がたちます。「与えられたくないよ、自分で輝くよと言ってやってください」。本当にそう思います。
これから厳しい冬がきます。一人でも多くの方のお役にたてればと、できる範囲で支援させていただきます。皆様もお身体ご自愛の上、ご活動下さいませ。

ヒデの救援レポート、10月10日

ヒデの救援レポート、10月10日:41
●11月23日
東北ー関西・障害者支援・ポジティブ生活文化交流祭(水)
午前11時から午後6時まで
大阪市北区・扇町公園&隣接の山西福祉記念会館
問い合わせ先・日常生活支援ネットワーク・TEL06-4396-9189
実行委員長・牧口一二
●公園では、フリーマーケット&各種イベント
●会館では、被災地報告会○交通・JR環状線天満駅下車、すぐ
●報告会は、P1時30分より・無料・手話、要約筆記あり
●3.11東北・関東大震災・そのとき障害者は!
ー復旧ではなく復活をめざしてー
未曽有の災害、東北関東大震災…地震、津波に加え原発事故、放射能汚染という最悪の災害となり、多くの市民が生命と尊厳を脅かされています。この大災害を私たちはどう乗り越えていくのか。このたび被災地で障害者救援活動を担ってきた障害者、支援者を招いて報告会を行います。現時点の被災状況と支援活動を整理し、めざすべき福祉と人権のまちづくりについて共に考えたいと思います。
●報告者・被災地障がい者センターいわての今川幸子さん・被災地障がい者センターみやぎの井上朝子さん、及川智さん・被災地障がい者支援センターふくしまの白石清春さん・南相馬市デイさぽーと・ぴーなっつの青田由幸さん
コーデネイター、牧口一二・ゆめ風基金代表理事
●なお、実行委員会では、多額の開催費がかかるので、当日の出店、参加はできないけれど、協賛はしたいと思われる、個人、団体に、1口1千円の協賛金の拠出を呼びかけています。ぜひとものご助力をお願いします!
また、チラシ、パンフレット、ポスターが出来上がっていますので、必要な方は、お申し出ください!
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、10月4日までに、184393346円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、9月26日現在 98,912,600円。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 9月22日から、季刊誌「そよ風のように街に出よう」の特集取材のために、被災地仙台のたすけっとグループと、被災地障害者センター・みやぎと、石巻市を、牧口代表と編集長としてのヒデのふたりが、老々介護&へろへろコンビで、被災地をウロウロした。
もちろん、被災地ツアーではないのですから、被災写真は、ほとんどありません。出来るだけ被災障害者の声を集めるように努力したつもりだ。題して大震災から、6ケ月。今何をのぞむかです。そのへろへろ珍道中レポートをお届けします。
 9月22日、台風15号が被害をもたらしつつ通過した翌日、新大阪駅にへろへろコンビは集合し、午前9時発のN700型の多目的室を占拠して、台風を追っかけるかたちでデッパツした。新幹線は、水かさの増した川の鉄橋で徐行しながら、東京駅に到着。それから、東北新幹線に乗り継ぐために、駅員に先導されつつ移動。駅のあちこちに、台風で遅れたり、車中泊で、帰宅難民化していた乗客を散見した。
 東北新幹線には、車イス専用座席はなく、普通席をひとつだけ取り除いたスペースがあるだけだった。牧口さんの電動車イスが回転出来ないので、乗り口のいささか広いスペースの所にいて、仙台駅までの行程。途中の風景には、台風の水害で溢れ出た荒れた景色が続く。
 仙台の方も、あちこちで、水による被害が出ているらしく、思わず、へろへろコンビは、顔を見合わせる。到着した仙台駅内は、とてつもなくややこしい構造になっており、駅員の案内で上がったり下がったり、ただただ歩く。やっと、地下鉄駅に到着。ホームまでのエレベーターのある改札口が、これまた遠い。
 やっとの思いで、被災地障害者センターのある、長町一丁目駅に到着。ここもエレベーターまでに、相当距離がある。エレベーターで地上に出ると、それまでは、比較的にバリアフリーだったのに、エレベーター口のところが、歩道との間に、段差があり、ちょっぴり苦心した。後ほど、仙台たすけっとのひとに聞くと、エレベーター口の段差のところは、元は、歩道との段差はなかったけれども、大震災で、道路が陥没して、段差が出来たのだとのことだった。仙台たすけっとと被災地障害者センターのあるビルも、ビル全体が30センチほど、道路側にせり出たままにある。そのビルは、エレベーター口の斜め前の横断歩道を渡った、正面にあった。
 ビル内の事務所に入ると、仙台たすけっとのメンバーや、センターの救援ボランティアの面々が迎えてくれた。その中に、尼崎市から入っていた、車イスの児玉さんがいて、へろへろコンビと入れ替わるように、飛行機で、大阪に帰って行った。救援ボランティアは、ほとんどのひとが、関西地方の人たちで、東京方面のひとは、ひとりだった。
 だから、事務所内外に、宮城県なのに、関西弁が飛び交っている。その上に、牧口さんの大阪弁丸出しのインタビューなのだから、関西弁大賑わい。ゆめ風基金八幡理事の顔もあった。彼は、次の日の朝、岩手県盛岡に移動して行った。
 早速、センター代表の及川さんと、事務局長の井上朝子さんへのインタビュー開始。内容は、そよ風特集が出たらお読みくだされ。インタビューは、当初、30分を予定していたが、大幅にオーバーして、2時間に及んだ。インタビュー終了後、近所の中華料理店で、希望者で、交流の食事会。大盛り上がり。
 終了後は、八幡理事に案内されて、へろへろコンビは、センターが用意してくれた、救援ボランティアの宿泊施設のマンションに引き上げて、近所のコンビニで買った焼酎を呑みつつ、コテン!次回に続く!
 9月17日に、ヒデが昔から知っている友人のI君・ヒデの住まいする箕面市市役所の職員で、就職したてのペエペエの頃からの知り合いと、箕面市障害者事業団のスタッフTさんが実行委員会形式の結婚式を挙げられました。ヒデも実行委員に名前を連ねて、乾杯の音頭とりでした。その会場で集められた、被災地救援の募金が、届けられました。25725円でした。感謝です!
 また、9月19日に開催された、以前にお知らせした、鹿児島県のルピナスの会主催の、小室等さんコンサートには、1000名を超える参加者があり、会場が暑い、悪コンディションの中、立ち見も出ました。これもまた、感謝です!
被災地障害者センター・いわてからの、避難所・仮設住宅訪問活動報告から
陸前高田市・仮・31件・避・16件
野田村・仮・2件・避・4件
岩泉町・仮・3件・避・3件
大槌町・仮・22件・避・10件
山田町・仮・19件・避・21件
宮古市・仮・45件・避・14件
釜石市・仮・15件・避・9件
大船渡市・仮・19件・避・21件
日野畑村・仮・3件・避・0件
合計・仮・159件・避・98件
個人訪問件数陸前高田市・実人数・28件・延べ人数・104件
野田村・実・1・延べ・6件
岩泉町・実・12件・延べ・37件
大槌町・実・13件・延べ・32件
山田町・実・12件・延べ・79件
宮古市・実・28件・延べ・197件
釜石市・実・24件・延べ・173件
大船渡市・実・42件・延べ・99件
日野畑村・実・3・延べ・19件
一関市・実・1件・延べ・1件
遠野市・実・1件・延べ・1件
盛岡市・実・2件・延べ・4件
ボランティア(専従スタッフを除く) 実・132人・延べ・818人
初期の活動はデータがないため含まれていない。以上。
障害児教育研究集会
2011年10月29日(土)
全体会・午前10時から1時まで
午後2時から4時半まで
会場・ラボール日教済
交通・東京メトロ・東西線神楽坂駅出口2
共催・東京教組・都障労組
連絡先・03-5276-1311
記念講演・ゆめ風基金代表理事・牧口一ニ
演題・分けたらあかん!共に生きる社会は、共に学ぶ教室から
以上!

「社会福祉法人ゆうのゆう」の被災地支援ニュース

ゆうのゆう岩手報告
被災地障がい者センターいわての活動を継続的に支援する「社会福祉法人ゆうのゆう」の支援ニュースNO.111より
報告者 T
 7日(金)。昨日盛岡入り。何故か駅からセンターまでの道のりでいきなり迷子になる。センター到着後、今や専従スタッフとなったYさんやNさん、代表の今川さんと再会。その皆さんとは4ヶ月ぶりなので当然ですが、2週間ぶりに会うKさんまでも既に「懐かしい」存在になっていました。
 そして本日活動初日。帰阪するKさんの労をねぎらうかのように?大きな虹が盛岡の空にかかっていた。
その後、Tは事務所業務を担当。ここで専従のYさんとも再会。「再会」という響きが嬉しい。こちらでの活動に取り組むに当たっても、4ヶ月というブランクがあるとはいえ、「経験」のおかげで初回派遣時よりも比較的スムーズに現地のペースに順応できそうな気がする(あくまで「気」だけですが…)。
 
 日々の「被災地派遣ニュース」でも報じられているように、センターが関わっている個々のケース、活動の方法や組織体制、そして被災地全体の状況などは、まさに時々刻々と移り変わっている。しかし実際には、数ヶ月も過去の、しかもごく短期間の活動経験であっても、そこで得た「出会い」や活動・業務上の「習慣」が「戦力」として認識される。これは、被災地や被災者を取り巻く様々な環境がいかに「変化」しようとも、復興の原動力があくまで「人間」であるという点については、「一貫性」が存在しているためではないだろうか。
 その意味で、私たちの法人のように、個々のスタッフが短期間で「入れ代わり立ち代わり」する方式であっても、それは着実に被災地復興に向けた「戦力増強」の一翼を担っていると言えそう…な気がする(やっぱり「気」です…)。
 本日の活動内容としては、大分県竹田市の小学生が送ってくれた手作りの「味噌玉」やカボスの小分け作業、経理、備品の注文、掃除、夕食準備など…。小学生からの素敵な贈り物には、手書きのメッセージや「味噌玉」作りの作業風景の写真が添えられていた。せっかくなので、それらもカラーコピーをしてそれぞれの小分け袋に同封する。実際に被災地の方にお渡しした折には、その様子を写真に収めて「ちゃんと届いてますよ!」というメッセージを大分にフィードバックすることも検討中。そうすることで、遠くにいてもお互いの顔が見える「双方向性」を担保できれば…
 夕食は…初回派遣時の「バナナ事件」のトラウマを引きずりつつ、「チムダック」という韓国料理をこしらえてみた。今回は今川さんも「美味しい」とおっしゃってくださったので一安心。明日も事務担当だが、盛岡市内でのイベントのお手伝いあり、夕方からはAさんの夜間ケアにも入らせていただく予定あり、なかなか盛りだくさんです。

みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.36

みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.36
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.36
日時:2011年10月10日(月) 天気:晴れ
報告者:
9:00~12:00 イオン南方跡地仮設訪問、事務処理
12:00~17:00 育成会職員送迎、山の神平福祉施設
活動した上で感じたこと
〈イオン南方跡地仮設・女性〉
前日、センター宮城本部より連絡、指示をもらい、訪問したが、留守だったため、本日再度訪問。前日干されていた布団は取り込まれていたが、朝刊はポストに入ったままになっている。しかし、不在だった為、訪問したことを伝えるためにメッセージを記した名刺をポストに入れている。
〈イオン南方跡地仮設・芳賀さん〉
訪問し、祖母に会い話をし、現在の状況を聞いている。
現在支援学校に行っており、送迎は学校で行っている。
重症心身障害で全介助のため、入浴は近くの入浴サービスを使っている。送迎もしてもらっているとのこと。日々の介助は祖母が行っているとのこと。母は病弱のため、仙台の実家に戻っており一緒には住んでいない様子。
月に1度病院受診を行っている。内科・小児科にかかっている様子。
現在、特に困っている様子はないが、身体介助(移乗)の時は大変な様子。
10月7日にスロープがつくとの事だったが、7日は大工さんがきてまだ取り付けは出来ていないが今週半ばにはスロープが設置されるとのこと。
スロープが設置されてから、再度訪問。
〈山の神平福祉仮設〉
PM、高知より物資が届く。(刺繍のひざ掛け・座布団)
山の神平福祉施設へ物資として届けている。

みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.35

みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.35
 社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.35
日時:2011年10月9日(日) 天気:晴れ
報告者:
9:00~12:00 車両整備、ケース検討
12:00~17:00 ケース検討、南方新規ケース訪問
活動した上で感じたこと
ケース検討
    ○志津川地区12ケース、歌津地区8ケース、戸倉地区6ケース、入谷地区2ケース、町外3ケース
      記録を元に対応の振り返りを行う。支援の必要性や内容・継続サイクル・移管など対応を検討。
    ○地区ごとの黒いファイルに仮設単位で支援対象者の備考を記すことにする。詳細はそれぞれ
      後ろに個別ケースの基本情報・調査報告書がファイルされている。次回の支援について必ず
      記入することを確認。
    ○障害のない高齢者で物資支援を行ったケースはその後様子確認で支援の必要が無くなって
      いたため対応終了。
車両整備
○ノア
オイル交換実施
○カーナビTrywin Touchについて
純正ナビが作動不能になっていた背景として、本ナビの必要電圧にバッテリーが対応できない状況が判明。純正ナビの電源供給をカットしても状況は変わらずヒューズが切れる。また、純正ナビは西日本版ディスクが入っているため、支援対象地域での使用は困難。ノアでは当分ipadでの助手席サポートが必要。今後については本部に確認する予定。
○タイヤについて
トッポワイドの夏タイヤ及びトッポワイド・ノアのスタッドレス(ホイール含む)見積もり済み。本部田中氏あてに送信済み。
南方仮設在住女性(精神障がい者)
センター宮城本部より連絡。電話にて相談をいただくが、ドクターの診断が変わることへの不満を伝えてこられたとのこと。また、自殺予告で連日登米・佐沼警察を呼んでいる。名前、電話番号など確認するが仮設の住所が分かれば誰だかわかる、そっちから電話をくれれば…と一方的に電話を切る。その後南方仮設に向かうが不在。表札は入っていないが裏の窓際に布団が干してある。訪問したことを伝えるためにメッセージを記した名刺をポストに入れている。近隣在住者の情報では「ちょっと変わった人」とのこと。
仮設のサテライト保健師に状況を報告。気に掛けるようにしていただくとの事。後日訪問予定。