社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.18
日時:2011年9月18日(日) 天気:晴れ
報告者:I
9:30~13:00 吉野沢団地仮設にてカフェ
13:00~16:30 童子下仮設にてカフェ
17:00~仮設データ入力
活動した上で感じたこと
吉野沢団地仮設にて社団法人アジア協会アジア友の会の絵を描くイベントと合同で移動カフェを行う。
9:30スタートと時間的にはいつもよりかなり早い時間から始めたが、イベントが有ることもあってか初めからたくさんの方が訪れてくださる。参加者は高齢の方が中心で子供たちも多い仮設と聞いていたが今日はキャンプがあるとのことでほとんど見かけず。
Mさんが話を伺った方に気になる方がおられた。震災前、大工をされていた独身の方で被災後全てを失い自暴自棄になり、ガレキの山に残っている酒瓶を拾って飲めない酒を飲んでおられたところボランティアで水を届けに来た青年に出会う。元々若者に対していいイメージを持っていなかったが若者の中にもこういう若者もいるのかと気付きそれをきっかけに酒を絶ち、前を向いていこうと思ったが、かといって何をすればいいのかも分からず家にこもっているとのこと。目が充血しており精神的にかなり不安定になっているように感じたとの事で要見守りの方として今後も継続して様子を見ていく。
この仮設は住宅が立ち並んでいる中にある仮設で周りには普通の住宅がたくさんある。仮設以外の住民からの声として、家は残ったが被災していることは仮設の人たちと同じなのに物資の供給やボランティアなどからの支援も仮設ばかりに行っているという不満もある様子。カフェをするときは仮設にとらわれず周りの人たちにも声をかけて参加してもらうことも考える必要がある。
また、仮設住宅の周りにベンチがあれば、高齢者等住民が外に出やすくなると思われるので、ベンチを購入したいが、仮設住宅の人自身が作れるのであれば、空いている時間の活動としてもよいのではないかということで検討していく。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
何度かカフェを行っているところでは参加される人はいつも参加されるが、参加されない人は全く参加しない傾向があるのでそういう方にも目を向けていく必要がある。
備考
鍼灸師のHさん20日登米拠点に来られる。21日、名足仮設にてマッサージのボラ(9時~11時半)
みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.17
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.17
日時:2011年9月17日(土) 天気:くもり
報告者:I
9:00~12:00 港地区仮設調査(Oさん)
12:00~17:00 童子下仮設にてカフェ
活動した上で感じたこと
午前中、前日訪問し気になっていたOさんの再調査のため港地区仮設に行く。
本人の姪に当たる方にお話しを聞くことが出来た。65歳で聴覚障害があり、しゃべることが出来ず手話も出来ないとの事。コミニケーションはジェスチャーでとっておられ日常生活は問題ないとの事。
震災後は引きこもりがちで高齢であることもあり、体のことや今後のことを気にされている。日中活動の場、あるいは内職でもいいので何か仕事が欲しいとの事。最近出来た入谷障害者仮設というところを利用することも検討するとの事だったので、どういうところなのか調査の必要有。
午後から童子下仮設にてカフェを行う。この仮設は17戸の小さな仮設でほとんどの方が高齢者。今回来られた方の中には94歳の方もおられた。
こちらの仮設でカフェを行うのは3度目ということで親しく声を掛けてくださる方もおられる一方で茶なんか飲んでる暇はねぇと言われる方もおられた。最初のほうは人数も少なかったが、時間がたつにつれ参加される方も増え満席に。話の内容は津波のことや今の生活今後の生活の話が多いが皆さん表情明るく、笑い声も多かった。話をすることで気持ちが落ち着いていっているようにも見えた。
結局、予定時間を過ぎても盛況で終わる気配を見せなかったが、こちらの都合で切り上げる。こちらの仮設でもつき1回程度で定期的に行うことをつげると皆さん楽しみにされている様子だった。普段はほとんど家に閉じこもりっきりで外に出ることは無く、こういう機会があると助かると皆さんはなされていました。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
今日のカフェは13:30から行ったが、こちらの習慣ではお茶っこは15時からするらしく、確かに参加する方が増えたのもこの時間だったため、時間の設定もみなおす必要があるかもしれない。しかし、これからの季節暗くなる時間も早くなる上、引き上げる時間も遅くなるので難しい部分もある。
高齢者が多くいる仮設では外に散歩に出たくてもベンチなどの休憩する場所が無いため、億劫になり外出しないというケースも多いと聞く。そういうものを設置することで住民同士のコミニケーションも増えるように感じる。
備考
Tさんより移動カフェのマニュアルをいただきました。FAXしますので新しく来られる方は読んで把握しておいてください。
みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.16
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.16
日時:2011年9月16日(金) 天気:晴れ
報告者:I
9:00~12:00 港地区仮設調査・Mさん宅にイスを届ける。仮設調査
12:00~16:00 気仙沼・陸前高田視察・ハグハウスで定期カフェの手伝い
16:00~18:30 Wさん送迎 本吉町総合体育館
活動した上で感じたこと
午前中、港地区の仮設調査とアンダンテさんのほうで先日渡せずにいたイスを志津川高校仮設のMさんに届ける。港地区の仮設はNPO法人グローバルヒューマンというところが入っており、主にガレキ撤去系のボランティアをされているようだが、毎週火曜日と金曜日には炊き出しなどもされているとの事。
そのほか仮設の掲示板を見ると散髪やマッサージ、送迎のサービスも入っているようでとりあえず必要とされているものはそろっている感じ。
住民の方にも笑顔がよく見られ明るい雰囲気を感じた。自治会長さんに障害のある方はいらっしゃいますかと尋ねるといないときっぱり話されるが、住民の方に話しを聞くといると話される。再度自治会長さんに伺うとああそういえばおったなという感じで思い出されるがはっきりとは分からない様子。名前はOさんでしゃべることが困難で食事の解除も必要な方とのこと。詳細は分からなかったので今後再調査の必要あり。
カフェに関してはたまにお茶っこをしていると話され、こちらがすることに関しても快く承諾していただけた。 今日のOさんのケースのように一度話しを聞いただけではわかからないことも沢山あるのでカフェなどを通じ何度も足を運び確かな情報を得ることが重要だと感じた。
志津川高校仮設のMさんにイスを届ける件は午前中不在だったが午後再度尋ねるとおられようやく届けることが出来た。とても喜んでくださっておられたとの事。
Wさんは今日は遠足だったとの事で本吉町総合体育館から自宅までの送迎で初めて出会ったが笑顔で挨拶してくださり、缶コーヒーまで振舞ってくださいました。被災され仮設で暮らされているにもかかわらずと申し訳ない気持ちになりましたが、Wさんの気持ちをふいにするのも申し訳ないように感じありがたくいただきました。遠足も楽しかったと話され、18:30ごろ無事平貝仮設に帰宅。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
情報共有のための資料を早急に仕上げ活動に無駄な動きが出ないようにしていく。
パソコン上で情報が共有できるようにしたいとTさんから話があり、共有フォルダのようなものがあればと考えています。
詳しいことが分かる方情報提供していただけたらと思いますのでよろしくお願いいたします。
備考
登米拠点の常駐スタッフ(現地の方で)をハローワークで募集するという話も出ています。
ヒデの救援レポート、9月19日
ヒデの救援レポート、9月19日:38
前にお知らせした、8月23日の仙台でのイベントのドキュメント映像がNHKから放映される件ですが、9月23日放映が延期になりました。関西を除く全国版は、9月30日午後10時から、関西版は10月1日午前10時5分からです。いずれも、NHKです。永六輔、夏の闘いです。ご覧ください!
台風12号の被害状況が、ぼつぼつと届けられています。中でも被害のひどかった奈良県十津川村では、9月7日現在、電話がつながらず、人工呼吸器を使用している人ひとりが早めの避難で、無事が確認されていますが、その他の安否、被害状況の連絡が取れていません。
また、香川県では、ゆめ風基金ネットワークのコスモス作業所が、風雨のために、屋根が壊れて、水浸しになったために、休業を余儀なくされ、現在、被害状況と修復状況を調査中です。支援要請がありしだい、検討支援します。
その他に、新宮市の障害者関連事業所に被害が出ているとの情報があり、幸いに、ゆめ風ネットのパーティー&パーティーの知り合いの事業所ということで、パーティー&パーティーのKさんが、現地に行き、詳細な調査をしていただくことになりました。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、9月10日までに、177640252円です。これまでに支援した団体、個人への金額は9月15日現在、94084600円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ゆめ風基金便りの元原稿から
「ゆめ風基金からの救援金は本当に嬉しかった。途方に暮れていたときにすぐに届いてどれほど元気が出たことか。本当にありがとう!」(タイトル)
震災から半年が経ちました。夢中で過ごした半年。被災地ではいま、緊急救援の時期を通じて浮かび上がった大きな課題を前に、長期的視野に立つ活動方針を検討しているところです。阪神淡路大震災での障害者救援活動を振り返り痛感するのは、被災地が圧倒的に広大で被災規模も巨大であること、被災自治体数が阪神の10倍であることに加えて、障害者地域活動ネットワークの違いではないかと思います。
今回は障害者地域活動ネットワークの動きがなかなかつかめませんでしたが、懸命に活動するなかで、少しずつ見えてきました。障害者の地域活動の点が線となり、顔の見える関係ができ、交流活動が始まり、拠点づくりも見えてきたところです。
ゆめ風基金とつながった被災障害者作業所をお訪ねしますと、本当に大変な災害にあいながらも仲間としっかりと手をつなぎ、支え合っておられることがよくわかります。作業所のみなさんから、「早い段階でゆめ風基金からお金が届いて本当に助かった。申請して3日でゆめ風基金から決定の電話がありびっくりした。みんなで喜んだ。勇気が沸いてきて次のステップが踏み出せた」と言ってくださり、こちらも胸が熱くなりました。ゆめ風を応援してくださるみなさんのおかげで、迅速な救援活動ができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
先日、永六輔さんと小室等さんが仙台に来られたときにゆめ風基金は、永さん、小室さんが応援している団体ですとお伝えすると、仮設住宅の方々が安心してボランティアを迎え入れてくださり、お話しもしてくださるとの報告がきていますとお礼を申し上げたところ、ちがうよ逆だよ。ゆめ風ががんばってくれているから、僕たちはありがたいんだよと言ってくださり、またまた胸が熱くなりました。
ゆめ風基金事務局長・橘高
災害時要援護者及び県外避難者の情報共有に関する意見書
2011年6月17日
日本弁護士連合会意見の趣旨・
1・各地方公共団体は、東日本大震災において、災害時要援護者の救助や安否確認等、県外避難者への支援や相互連絡等につき、これらに協力する行政機関・地方公共団体、関係機関や民間協力団体等以下、総称して・関係機関等・という。との間で、その保有する災害時要援護者及び県外避難者情報を共有するため、個人の同意を前提とせず情報の外部提供を直ちに行うこと。また、これを円滑に促進するため、早急に、個人情報保護条例上の根拠規定及び関係機関共有のためのガイドラインを設け、周知を徹底すること。
2・国は、東日本大震災において、各地方公共団体が、その保有する災害時要援護者及び県外避難者の情報を関係機関等との間で速やかに共有するよう助言すること。
3・各地方公共団体は、個人情報保護条例において、災害時の個人情報の外部提供を促進する根拠規定を定めること。
4・国は、災害救助法又は災害対策基本法に情報の関係機関共有を正当化する根拠規定を新設すること。
5・各地方公共団体は、大規模災害時に住民の安否、避難状況等の確認と被災者に対する支援施策を円滑に行うためのシステムを早急に整備すること。
6・国及び都道府県は、各地方自治体が保有する災害時要援護者情報等が喪失された場合に、速やかな安否確認を行えるよう、各地方自治体の保有する要援護者に関する情報の外部提供を受け、これを都道府県又は国においてバックアップして保存するためのシステムを早急に整備すること。以下、意見の理由。
愛重連防災連続シンポジウム第1回徹底検証
大災害発生!そのとき障害者は・・・
2011年10月8日(土)午後1時半から5時過ぎまで。
愛知県産業労働センター・ウィングあいち12階1203号室(JR名古屋駅桜通り口から5分)
定員100名・参加費500円
阪神淡路大震災、東海集中豪雨、東日本大震災、被災障害者がみずからの体験を語る
主催・愛知県重度障害者団体連絡協議会・協力・自立の家
福島県白石清春さん(被災地障害者センターふくしま)
小野和佳さん(いわき自立生活センター)
井上朝子さん(仙台たすけっと)
玉木幸則さん(兵庫メインストーリーム)
名古屋うつ病友の会・被災障害当事者
兵庫、障問連機関誌からの抜粋報告
被災地ボランティア支援報告
NPO法人生活支援研究会・H・Y
岩手から神戸に戻って10日と少したつ。地元に帰ってクールダウンしろ…と言われていたが、むしろ時がたつほどに心はソワソワしている。被災地が気になる。
大震災から2ケ月たった5月10日から6月12日、大阪のゆめ風基金を通じて被災地障害者センターいわてに入った。
今回の大震災では福島、宮城、福島3県それぞれ被災地障害者センターがたちあがっている。岩手では、週1日の休みをのぞいて毎日、怒涛の日々だった。早朝盛岡の事務所を出て、車で片道2時間半から3時間かけて沿岸部に通った。宮古、山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田…。市街地から小さな集落に至るまで、それぞれに凄まじい光景がひろがる。山田も大槌も陸前高田も町そのものが壊滅し、震災以前の町の景色がまったく分からなかった。気持ちの切り替えができなくて尾を引いた。大船渡では魚の腐った臭いが鼻を突いた。
ぼくがいたときは避難所がまだ一般的で、一覧表を片手に避難所を回り障害者を探した。人手がなくて困っているはずなのに、我慢したり家族だけで必死に支えたりしていた。しかしいくら回っても空振りが多い。夜のミーティングでその日の活動報告をするが、いませんでしたとかニーズなしの報告が続いた。
阪神のときと大きく違うのは、岩手は運動のつながりがほとんどなく、どこに誰がいるのか全く分からないことだった。それに避難所に入らず施設に避難し、結果として施設に入所した人が相当数いるものと思われた。ただその実態は今も分かってはいない。在宅の人は一覧表もなく、人からの紹介で訪問していた。
それでもぼくがいた後半では、被災地障害者センターいわてとして、80数名の方とつながりが持てていたと思う。継続して関わっている方のなかに、大船渡の方がいた。津波から危ういところで近所の人に助けだされ、大船渡中学校の体育館に母と避難していた。自宅アパートは全壊していた。息子さんは知的障害とされる方で、避難所であつれきを起こしていた。実際に会ってみるとなんのことはない、おどろおどろしい事前情報とは違った。プライバシーのない避難所という状況下で、お互いに敏感になっていたのかも知れない。それに普段の生活に障害者との関わりがほとんどない故に、何をしでかすかと思われているようだった。
ぼくたちは、避難所でいっしょに昼ごはんを食べ、散歩をし、自衛隊が設営したお風呂に入りに行った。腕時計が大好きで、しょっちゅう人からもらっては、いじって壊してしまう。このまえ買ったばかりなのに壊してしまい、ベルトを替えたい買いに行きたいと訴えられた。震災は人とのつながりを生み、地域のデイサービスに週2回通い始めている。
被災地は仮設住宅に移行しつつあるが、阪神のときと同じで砂利道だ。車いす利用の人にとっても高齢者にとっても使いづらい。また移動手段のない人にとっては、高台に造られた仮設住宅では通院や買い物で非常に不便を強いられている。
今回神戸のヘルパー活動を終了して、期限を設けず被災地に戻ることにした。神戸で活動して12年か13年…。言葉で言い表せないくらいに感謝している。ぼくに期待を寄せて下さった皆さん、本当にすみません。最後まで迷惑をかけ通しでした。
岩手は手ごわいです。津波被害の甚大さはさることながら、障害者の置かれた状況も過酷に思います。施設が幅をきかせ、ヘルパーは皆無に等しいです。問題の根っこは同じと捉え、ご理解いただけたらと思います。以上
被災地障害者センターふくしまから連絡があり、同センターのメンバーでもあるSさんという、女性障害者の方が、福島原発事故放射線の結果、県外避難を考えられ、体験訪問のために、避難用の公営住宅がある兵庫県西宮市に、おいでになることになりました。9月27日から、29日か、28日から30日の二通り案が挙げられています。ゆめ風基金の理事でもある、被災地神戸障害者センター代表の福永さんに、全面的に引き受けていただくことになりました。うまく、事が進めばいいですね。以上!
台風12号によって被災されたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。
台風12号によって被災されたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。
亡くなった方、行方不明の方は100人を超えるなど多大な被害に重なるように、土砂崩れによってできたダムが決壊する懸念があり、予断を許さない状況です。
ゆめ風基金では被災県のゆめ風ネットを通じて被災状況を把握する他、被災自治体や社会福祉協議会に連絡し、被災地の障害者作業所のリストを送っていただき、情報収集に努めています。香川県丸亀市のコスモス作業所は、建物1、2階に雨が流れ込み半壊被害を受けました。また、奈良県磯城 郡のひまわり作業所によると、十津川村の人工呼吸器をつけた障害者は早めに避難して無事とのことです。
東北関東大震災の支援と平行して、今後被害にあわれたNPO法人、あるいは無認可の障害者作業所への支援や困難な状況に置かれている障害者への支援活動を進めます。
もし、被災地の情報をお持ちでしたら、ゆめ風基金事務局にご連絡ください。
9月10日の街頭募金
9月10日の街頭募金は28人の方にご参加いただきました。
募金額は63,635円となり、3月19日からの合計は1,480,306円になりました。
肌寒いこともあった当初から暑い夏をすぎ、今もまだ残暑が厳しい中、参加くださったみなさん、
ほんとうにありがとうございました。
そして、募金してくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
街頭募金は毎月第二週、第四週の土曜日に計画しています。
次回は9月24日です。
なにとぞみなさんのご参加をよろしくおねがいします。
みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.15
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.15
日時:2011年9月15日(水) 天気:曇り
報告者:H、I
10:00~12:00 沼田仮設2のYさん宅に行き風呂バンス回収・その後仮設調査
志津川高校仮設のMさん宅に行き頼まれていた物資を届ける
12:00~17:00 升沢仮設にてカフェを行う
活動した上で感じたこと
午前中沼田仮設2におられるYさん宅に行き、以前お試しで預けていた風呂バンスを回収しに行く。しかし、まだ気温が高くシャワーのみで過ごされており風呂バンスは使用されておらず。他に使いたい人がいれば先にそちらで使ってくださいと言われたため一旦回収させていただく。
その後沼田仮設の調査を行い、数名の方にお話を伺うも遠慮されているのか本当に大丈夫なのか分からないが、特に困ったことは無いと話される。
午後からは升沢仮設にてカフェを行う。この仮設には社協の被災者生活支援センター歌津サテライトセンターというところが入っており、事前にカフェの承諾を得、仮設住民に告知されていたため15名くらいの方が集まっておられた。
場所は集会所を借り、住民の方々はわれわれの到着前から楽しみに待っておられた様子であった。平日の日中であったためか、高齢の方が中心であったが後半には20~30代の方も参加されていた。
この升沢仮設はいろんな地域から来られている方々が集まっており自治体も最近出来たばかりということでまだ余お互いについて知らないことが多いのでカフェを開いてくれると交流が持ててありがたいと話されていた。
志津川高校仮設のMさん宅に以前から頼まれていたイスを届けに行くも、不在のため届けられず。明日再度訪問し届ける予定。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
カフェでは周りが楽しく話をされていても、中にはスタッフが気付かず誰とも話さず一人で座っている人も見受けられたので、話を聞くときは全体の状況の把握もしながら話を伺う必要がある。
また、情報を収集することも必要であるが、今回のように入居されたばかりで色々な地域から来られている仮設では住民の方同士が話をし交流できるような雰囲気を作っていくことも必要かと思われる。
備考
ハグハウスにこちらで所有しているフォーマットのUSBを本日お渡しする。
みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.14
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.14
日時:2011年9月14日(水) 天気:曇り
報告者:H、I
10:00~12:00 平貝仮設Sさん宅訪問 波伝谷仮設Mさん宅訪問
12:00~17:00 ハグハウスにて会議 Oさんも加わる
活動した上で感じたこと
午前中、平貝仮設へ前日訪問し不在だったSさん宅を訪問する。息子さんは不在で父親のみおられ話を伺う。息子さんは障害がありそうだが父親はその認識が余り無い様子。手帳は持っていると話されるが種別は分からないとの事。息子さんの特徴を伺うと漢字の読み書きや計算が得意、話すときは方言は使わず標準語で話すなど自閉症の傾向が強いように感じられる。
息子さんは正社員として働いており日常生活においては特に問題はないとのこと。以前は電車が好きであったが現在は自転車に乗っておられ休日なども自分ですごすことができているとのこと。
家族構成は両親、本人、兄二人で父親以外は働いているとの事。父親も現在年金受給の手続き中との事で経済的には緊急性を感じず。現在困っていることは息子さんと母親の送迎して欲しいとの事で送迎をしてくれるところがあれば自分(父)も働きたいとの事。父親は息子さんに車の免許を取ってほしいと思っているようであるが、今日の聞き取りでは難しそうな印象を受ける。ミーティングにてこの件について検討した結果、緊急性は無いとの判断で要見守りとなる。
午後からはハグハウスにて情報の共有についての会議を行う。以前からハグハウスさんより頼まれていたことで今日新しく作ったフォーマットを見てもらう。中身としては仮設に誰が住んでいるか分かる具体的な見取り図、仮設の写真が添付された報告書。ある程度できてきているもののまだ全てではないので早急に仕上げる。又、現時点のデータの入ったものをUSBでハグハウスのほうに渡すことになった。
登米拠点内での話し合いやデータ整理が出来ていない状態のまま、ハグハウスの方に行き活動していては一向に動きが進まない。なので週に1度は時間を取り、会議の場を設ける必要があるとの話がでる。登米拠点に戻りOさんと話しをし、火曜日あたりに1日はみやぎとハグハウスと動きを分けて会議やデータ整理をしていくほうがいいと結論が出る。
火曜日はハグハウスも定期のハグハウスでのカフェを行っている。みやぎの方ではS君の送迎が決まっているので集まって行動しても動きづらいので火曜日がいいのではという結果に。明日ハグハウスの方に提案。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
データの共有についてはハグハウスのみならずこちらが活動するに当たっても有効なものであるので早急に完成させる。また、カフェを開いたかどうかなどの細かい情報もいれてはどうかという案も出ており他にもアイデアがあればフォーマットの中に追加していき活動しやすいようにしていく。
備考
南三陸の仮設が載っている地図の中に間違った住所のものもあるため随時修正していく。
また、竹川原1、竹川原2のように同じ地名の仮設があっても距離が離れている仮設があったり、逆に竹川原2と田尻畑が近いということもあるため地図においてももう少し分かりやすいものに変えていく必要がある。
みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.13
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.13
日時:2011年9月13日(火) 天気:曇り
報告者:H
10:00~12:00 枡沢仮設調査
12:00~17:00 荒砥カフェ予定挨拶 平貝仮設Sさん宅訪問
活動した上で感じたこと
枡沢仮設では社協被災者生活支援センター歌津サテライトの事務所がある。話を通してカフェを行う予定だったが不在のため中止。調査に切り替え、4件ほど話しを聞く。Kさんの小2の息子が自閉症との事。父親は会社勤め。母は息子の通学の送迎をしている。近くの学校に行くより以前より通っている学校のほうが本人にとってもいいとの思いで志津川小学校に送迎している。
夏休みはボランティア団体が週に2~3回送迎してくれていたが現在はなし。母親も毎日の送迎はしんどいので頼めるところがあればと話す。Tさんが仮設にはスクールバスがハズだが?と話すが、学校までではなくその近くまで送られそこから行けないのか、集団の中ではしんどいからという理由で送迎しているのかと思われる。
別に1名Tさんに出会う。挨拶をすると扉を半分だけ開けて話をする。室内に干すハンガーラックが欲しいと話すが、単語での会話。一人暮らしで表情も暗い感じ。
少し話しをしていくと坐骨神経痛でベイサイドの方に通院しているとのこと。バスの時間が早くなりとても困ると話す。最後には笑顔も見られたがカフェなどを開いて周りとのコミュニケーションが図れればいいかと感じた。
最初に出会った女性の方に障害を持っておられる方がいるか尋ねるとここにはいないと話すがKさんの情報をくれたのもこの方である。仮設に住まれている方の「いない」という情報も確定は出来ないので注意が必要。
帰る際にサテライトの支援員さんに出会う。サテライトの方で周りの仮設で定期的にカフェのようなものをしているとのこと。被らせても意味が無いので様子をみて開きたいと思う。開くにしても代表の伊藤さんにアポを取る必要がある。
昨日訪問できなった平貝仮設のSさん宅を探すが見つからず。仮設内の方に尋ねると苗字がちがうがその人ではないかと話す。家族構成・状況を少し確認するが一致する。また息子さんは何をされているかと尋ねると「まぁ働きにいってるよ・・・・」と尻すぼみな話し方。「・・・障害を持っているけど」と言いたい風にも感じられた。 こちらの先入観があるのではっきりとは断定できない。実際訪問するが不在のため後日訪問する必要あり。
ハグハウスとのミーティングで今後は気になる仮設・人をピックアップして定期的に行くことも必要になってくると話す。そのためにも一度データの整理が必要である。明日明後日でもOさんを交えて会議をしたいとのこと。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
知りえた情報についても幾つかの確認の情報が必要。
資料整理にあたりどういったモノを作れば使いやすくなるのかを早急に決めていく。
みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.12
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.12
日時:2011年9月12日(月) 天気:晴れ
報告者:H
9:30~12:00 横山仮設調査・Sさん宅訪問
12:00~17:00 上保呂下仮設ミニカフェ 平貝仮設Wさん宅訪問
終日:Wさん送迎(大阪市従)、書類整理(大阪市従)
活動した上で感じたこと
以前出会った横山仮設のE.Sさん宅に訪問するがおばあさんが一人出てこられる。息子と2人で住んでいるとの事。仮設番号も苗字も一致したがEさんはいない。Eさんの名前を出すと知っているよう。話を聞くとEさんは石巻に行ったらしい。またEさんには息子がいるそうだが息子は施設に入っていると話す。関係ないのかと思うと詳しい事情も知っているのでどうなのかとも思え非常にあいまい。関係性等について尋ねてみるも少しズレた答えが返ってきてしまうので結局不明確なまま訪問終了。質問の際は明確な言葉で質問しなければならないと感じた。
午後からは上保呂毛仮設でミニカフェ。仮設に住む方は日中は働きに出て残っているのは3~4人程度。最初は向こうも「やるならどうぞ」という感じであったが開いてみると、仮設に住むEさんが周りの集落から人を呼び込み結果12人も集まったとのこと。そこの方はカフェ等のことをしにきた人も日中は人が少ないと聞くと帰っていき保呂下でカフェをしたのは初めてだと喜んでくれていた。今後は仮設と周りの集落とのコミュニティ作りが出来ればいいかなと感じられた仮設であった。
平貝仮設Wさん宅訪問。知り合いの方で障害を持たれている方はいないかをWさんの母親に尋ねる。以下はWさんの母親からの情報。同じ平貝仮設にいるとの事。Sさん30代が父と母との3人で暮らしている。兄が二人いるが両方とも自衛隊で別の所にいいる。母はワカメ工場で働いている。父は無職。
Sさんは軽度の知的障害?のようで普段はツヤの小宮山印刷で働いている(障害者雇用?)震災前は電車で通勤していたが現在は父の送迎。しかし、父親も送迎をしなくてもいいのであれば今すぐにでも働きたいと思っているはず。以上。父親は送迎以外仮設にいるので訪問して直接話を伺いたかったが時間の都合上後日訪問することに。