【熊本地震】被災地からのお便り

被災地の会員さんたちに様子をお伺いしていまして、返信を頂きました。
そのご紹介・第二弾です。
●お米を欲しいです。5Kほど・・・。→お米、缶詰、インスタント麺他、お送りしました。
余震が終わらないので眠るのが恐怖です。
●お葉書ありがとうございます。
わたしの居ります宮崎市は地震の影響はほとんどありませんが、毎日熊本のニュースをみて心配するのみです。1日も早く落ち着いてほしいと思います。
これから雨が多くなって被災者の方々の苦労も大変だと思います。
高齢ですのでボランティアには行けませんが、せめて寄付をしています。
●長崎市内は被害はほとんどありませんでした。ご心配をおかけしました。お気遣いいただきありがとうございます。
●お手紙ありがとうございます。こちらは何も被害はありません。一番初めの余震と二度目の本震は怖かったです。それ以降の余震は感じませんでした。
私の息子も夜間のみ呼吸器使用。1日通して吸引、カツアシストも必要に応じて胃ろうで栄養を注入、導尿、気管切開しているので熊本の皆様が心配です。充電、栄養の確保、水、皆不足しているのではないでしょうか。
●毎日揺れていますが、家も家族も無事で落ち着いて過ごしています。被害の大きい阿蘇はすぐ隣ですが、仕事や家族、自分の体調で考えると休日にボランティアに行くことさえできず寄付のみです。
車中泊の方々の疲れを想うと、うちで寝てほしいぐらいですが、もし、自分のところが倒れたら、と思うとお誘いすることもできません。
精神障碍者、知的障害の方々が通所されるB型事業所と住居であるグループホームを運営している法人に勤務しています。
地震で眠りが浅く、疲労やイライラが見られましたが、竹田市はまだ揺れが小さいことと、皆が揺れに慣れてきたので、最近は落ち着いています。1晩だけ土砂災害が心配なグループホーム1ケ所4名の方に避難所で過ごしてもらいました。何日も続いていたら調を崩す方が出たと思われます。
精神障害の方は見た感じで分かりにくく、熊本県内の被災された方が心配です。大分県から職員を派遣できるか調査票が届きましたが、派遣可能者0で回答しました。いつもギリギリの人数で運営していて、とても余力がないのです。対応できる施設などあるのでしょうか?? 私が何ができるのか考え続けています。
●まだ、洋服を着たまま寝ています。(すぐ里に出られるように)]
おこころ使いありがとうございます。今のところ自宅は無事で家族にけがもありませんでした。
電気・ガス・水道も順次回復し、近くのスーパー等も早く開けてくださり助かっています。
部屋の中の片づけもぼちぼち行っていこうと思っています。
このような時にお手紙をいただきとてねうれしかったです。感謝 4/29現在、自宅にいるため、避難所の様子がニュースなどでしかわかりませんが、寝る場所、トイレ、食事等困られていることはあるのではと思います。
健常者でも避難所や車中避難生活は大変きついと知人から聞きました。障害者の方々の様子はわからずお知らせできませんが、(申し訳ありません) 一日でも早く障害者の方々への援助の手が差し伸べられることを願っています。
●こちらは被害なくて大丈夫です。地区によっては水が濁っているところがありますが・・・・
ご心配ありがとうございました。
●お見舞いをありがとうございます。
日田市は余震は続きますが、比較的平穏です。
夫が熊本にボランティアに行き、家具の移動、ブロック塀の片づけをしましたが、全体的にボランティアは多く来ているようです。
●ご心配ありがとうございます。
思いもよらない地震により、大分県の由布市、別府市は被害が出ています。
ここ柿築市では今のところ被害はありません。地震の揺れも体に感じるほどではありませんでしたが、まだまだ九州においては不安がつのる日々ですね。皆様もご自愛くださいませ。
●我が家はモノひとつ落ちませんでしたので本当に震度5弱だったの?という感じです。
熊本の様子を報道で見て、いろいろ支援の輪が広がっています。
案じていただいて本当にありがたく思いますが、今のところ大丈夫です。
電話で問い合わせてみた限りでは地震の影響で困られているという話はないようです。(長崎では)
入所施設などの問題点などは聞こえてきますが・・・
熊本の方々のためよろしくお願いします。
●我が家は長崎県の県境にあり、揺れはあったけど家人にも被害はありませんでした。
ゆめごよみ楽しく読ませていただきます。
ゆめごよみ入会は現在30歳になる娘が小学校に入学するときより。
娘は1種1級の障がい者ですが、現在は東京国分寺の方で結婚生活を送っております。
結婚したことで家事サービス等少なくなり、いろいろありましたが、まずは元気に楽しく生活しています。
彼は健常者ですが、とても仲よく、少々安心していられます。
●家の倒壊はなく、人間も猫も無事でした。
家の中ではほぼすべての本棚が倒れてもちょっと茫然自失の状態でした。
車中泊を5日間続け、今は少しずつ日常を取り戻しております。
周りの支援を得て、特に困ったことはありません。
●宮崎(たんぽぽ)は何もありませんでした。ハウスの方もも何事もなく、今出荷に追われています。
花もきれいに咲いています。
本当にありがとうございます。
通所の10人も元気に通っています。
熊本のことを思うと、障害者を持つ家族のことが心配です。
わが身に例えると、どんなに壊れて家でもそこに居るしかできない娘と自分しか考えられません。
我が家の場合は津波が心配です。
●余震が続いており安心できませんが、生活はいつも通り行えていてありがたいです。
熊本が大変なので早く地震がおさまってほしいと思っています。
原発が心配です。
お気遣いありがとうございました。
●知的障害のある子供さんが、地震があって、夜、泣いたりすることが多くなったと言っていました。
子どもたちも不安に過ごしています。
●八幡理事はじめ、皆様の早急な対応、ありがとうございます!
元気でました! 僕も頑張ります!
早急なゆめ風の皆様の支援ネットワークの支援感謝申し上げます。
16日~避難所(ライフラインの寸断)で暮らしています。
密室と音を遮断する空間がないこと、発達障害特有の空気が読めないことを抑える(避難所)なので大変疲れました。
余震があり寝れない状況もあります。
●就労A型→委託を受けている就労先(施設外)も被災しており、事業が減り、収入に影響が出ている。
放課後デイ、学校の被災により障害児(発達障害)預かりの場所がなく、職場に同行している。
●私の住んでいる地域は、特に大きな被害がなく、日常の生活を送ることができています。余震はずっと続いていますが、少しの揺れでは驚きがなくなりました。
近いうちに熊本へ行き、知人の家の片づけを手伝おうと思っています。
御心配いただき、ありがとうございました。
●お見舞いありがとうございます。
幸い、私の住んでいる大分市は、16日の揺れはすごかったのですが、大きな被害もなく、今のところ特に困ることはなく過ごしております。
西別府病院に筋ジストロフィーの友人がいます。
別府市の方が大分市より被害が大きく心配していますが、病棟も新しくなったところで、特に入院生活には支障はないようです。
●ご連絡ありがとうございました。私が住む大分市、勤務地はだいぶ揺れましたが、幸い大きなトラブルもなく無事に過ごしております。何卒ご安心ください。
大分県内では湯布院を中心に被害が発生しております。私は、○○高校の○○部の顧問をしており、22日(金)には夕方から市内で熊本大分地震被災者義捐金募金をしました。
約2時間で9万円ほどの浄財がありました。
30日には大分市内(トチハデパート前)で募金活動をします。
今後、月1回程度募金活動を続けていく予定です。
毎月行うのは東日本大震災以来です。
1日も早早い被災地の復興を祈っている次第です。
上記のように、大分市では大きな影響はないので日常と変わらない生活を送っています。
●早々のご配慮ありがとうございます。感謝しております。
ここ武雄は、最初の震災の揺れと深夜の警報にびっくりしましたが、被害はほとんどないです。
私が入居している老人ホームより、高速武雄インターが見えますが、滞りなく通っております。
早速、ゆめへの募金の事考えましたが、熊本に友人がおり、そちらの様子がよかったらお見舞金送ろうと思います。
元気な友人でしたが、腰椎骨折で4ケ月入院し、退院してからまた検査等があるので近くの病院に移りたいとのこと、また心臓のctを撮ることになっているとのことでした。
その後どうなったのかと13日にお手紙を出したところでした。
自宅の電話しか知らなかったので、かけてみたら受信音だけが聞こえてきました。
熊本南区なので病院の方に移っても倒壊は免れたことと思います。
そのうち、便りが来るのを待っています。震災はまだ続いております。
災害は高齢者・障害者が大変ですね。
自然災害はこれからも続くと思います。ゆめ基金で助かっている方も沢山いらっしゃることと思います。
本当に休む暇もないと思います。そちらも頑張ってと思っています。
●元気で生活させていただいております。地震の影響もまったくありません。
被災された方々が一日も早く元の無日時用生活に戻られることを願っております。
幸いなことで、身近な方々には皆共々に支障なく生活をされておられます。
●拝復  お気遣いありがとうございます。
私の住む延岡は現在のところ大きな被害はありませんが、前震、本震、その後の余震と関連してか、大型自動車の通過でも揺れを感じます。熊本や大分ほかの方々がどんなに不安な日々を過ごされているかを想って息苦しくなることがあります。
東日本大震災の折、ゆめ風基金がすぐに大きな支援をされた時、私は資金の不足を心配しました。
それでわたしの支援の10年分をまとめて基金に送りました。
時期を見てゆめ風基金の支援を再開したいと考えています。
皆様も万全の備えをされて元気にお過ごしください。感謝!
敬具
●5/3現在、幸い、ケガ、病気もなく元気です。
家屋は地震の際の液状化現象で沈下し、かなり傾きましたが、何とか電気・水も通じ生活している現況です。
まだ余震が続いており、早く鎮静化するのを待っています。
●この地区は震度1~3程度ぐらいで、これといった被害は出ておりません。
ありがとうございました。
●こちらは少し揺れたくらいで目立った被害はありません。
御心配いただきありがとうございました。
また近いうちに募金させていただきます。
●御心配いただきありがとうございます。
長崎市内のため、たいしたことはありませんでした。
周囲に障害者の方はいらっしゃらないのでわかりません。
私どもは夫婦共健常者です。
●ご連絡ありがとうございます。
現在、通常通り生活しています。被害はありません。
わたしが知っている限りでは、現在、通常通り生活しています。
●お見舞いありがとうございます。
ここ鹿児島市内は初日、2日目ぐらいは地震がありましたが、それ以降は揺れることもなく、普段通りの生活ができています。
以上、周辺地域の皆様からも返信頂きました。
長期化する避難生活、住宅倒壊の怖さ、いろんな恐怖や不便さと、今日も向き合わねばならない熊本・・・。
今、八幡理事が現地入りしており、「被災地障害者センターくまもと」が活動しやすいよう、走り回っていると思います。
また皆様にご報告できるかと・・・。
急に暑くなってきたので、どうぞ、お体ご自愛くださいませ。

【熊本地震】ボランティアへ行きましたリポート

被災地センターくまもとでのボランティア活動報告 5月6日から9日まで
(永村夏美 大阪「たびだちの仲間の会」登録ヘルパー)
●ボランティアに行った経緯
4月の熊本地震発生以後ボランティアに行こうと思っていた。
ゆめ風ブログをチェックしたり、学園大の花田先生のフェイスブックでの情報を見つつ、「パーティー・パーティー」(大阪市)から早々に現地入りした福田さんから現地での情報をもらっていたりした。
4月27日:福田さんから「熊本救援本部などでは大阪から人を派遣しない」方針を聞き、熊本入りは無くなったと思っていた。
その後、5月4日:福田さんから電話があり、被災地センターくまもとでボランティアが欲しい状況になっていると知る。
八幡さんに電話して「ゆめ風ブログではボランティア要件に1週間ほど滞在とあったが数日でもいいか」と聞くと週末は特に人手不足なので歓迎とのことで、5月5日飛行機を手配し5月6日の夕方熊本に入る。
≪※この時点では現地の情報やニーズが刻一刻と変わっていた。テレビでボランティア自粛を促すムードなどもあり、4月末の時点で被災地センターくまもとにボランティアのニーズはないと思っていた。≫
●5月6日
「被災地センターくまもと」(以下センターくまもと)に着くと一日の終わりのミーティングが行われていた。
避難所の聞き取り調査報告、そこから個別支援に繋がるケースの検討、明日からの動きの確認などの内容。
熊本学園大の花田教授、東教授もやって来て避難所の現状報告などがあった。
●5月7日 午前、午後
大阪市「パンジー」で相談支援を行っている女性のSさんと一緒に活動する。
彼女は実家が熊本で、実家からセンターに通っていた。
彼女が前日から入っている「レスパイト支援」に同行する。
(*注レスパイト(respite)とは、「休息」「息抜き」「小休止」という意味で、在宅介護の要介護状態の方(利用者)が、福祉サービスなどを利用している間、介護をしている家族などが一時的に、休息をとれるようにする支援のこと)
熊本市南区の日吉小学校に隣接するコミュニティーセンターが避難所になっており、そこに避難しているFさんの小4と小1の子供の預かりを行う。
小4の兄は病気で、一度出血すると血が止まりにくいため見守りが必要である為センターが支援に入った。
熊本市では5月8日に小さな避難所を閉鎖して、大きな避難所に集約する決定が出された。
余震も続いており、恐怖心などから夜間のみ避難所を利用している人も多数おられたが、家から遠い避難所に通うのは大変でなんとか5月9日までに片づけを済ませて家に戻る人が多くいた。
Fさんもひとり家の片づけや棚の設置などの大工仕事をしなければならず、その間の子供さんの見守り支援であった(後日八幡さんに「なぜお母さんの片づけの支援も申し出なかったのか」と聞くと、申し出たが片づけの支援は断られたそう)。
コミュニティーセンターにはFさんともうひとりの女性しか残っていなかった。
前日入ったパンジーSさんいわく、もうひとりの女性の息子さんは障害があるように思ったそうだ。
私が行った日には息子さんはおらず、日中に様子を見に来た看護師がその女性に息子さんのことを尋ねられていたので何らかの保護や支援を受けていると思われた。
私たちが預かった子供たちはパンジーSさんが持参したおもちゃの助けもあって、怪我なく楽しんで過ごせた。
Fさんは10時過ぎに出て6時過ぎに子供を迎えに戻ってこられた。
●5月7日 夜間
夜は以前「NPO法人 ちゅうぶ」(大阪市)に勤めており、現在は「たびたちの仲間の会」の作業所勤務をしている男性のMさんと熊本学園大学の避難所の夜勤に向かったが、花田教授の呼びかけで数名のボランティアが集まり、人数が足りているということで避難所のこれまでの経緯と明日の夜勤の内容を聞いてセンターくまもとに帰ることになる。
<花田教授のお話>
5月6日の時点で夜間の見守りが必要な人は高齢者が中心でその家族も含めると15名ほど。
夜勤は4名2交代で行う。
ヘルパー労働組合長のIさんという女性が取りまとめを行っており、朝8時から夜勤者が来る夜の9時か10時までおられる。
日中は、他の教授や花田先生の生徒さんや、元教え子さんたちがボランティアに来ている。
それまで講堂は、要支援者スペースで、一般の避難者は他の教室を使っていたが、5月10日から大学の授業が再開することもあり、5月8日に一般の人も講堂に移ってもらうことにする。
講堂は1階にあり、授業は2階以上の階で行う予定とのこと。
その日1階の教室には何人かの人がおられ、廊下にはペットの犬と一緒に避難している女性もおられた。
避難所に残っている人の理由は様々で、地震前からある家庭内の問題等もあるとのこと。
障害者は、避難所で寝たきりの生活が続き、ADL(*注:日常生活動作(にちじょうせいかつどうさ)、ADL(英: activities of daily living)とは、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す)が低下していたり、眠剤を飲みふらつきが出る人もおられるため、夜間のトイレ誘導などが必要になっている。
また、精神的に不安定な人は、余震でパニックになるため、声掛けして落ち着いてもらう支援が必要。
数時間おきに寝返りが必要な方もおられる。
大学は、地震後2、3日は水が止まり、水が出るようになった後も水が濁っていた。
現在は、問題なく水が使用できる。
食べ物や日用品の支援物資が、廊下のあちこちに積まれており、入り口には本部が設置されボランティアスタッフ(大学の教授など)が常駐する。
明日5月8日には今日と状況が変わっている旨を確認してセンターくまもとに戻った。
●5月8日 午前
午前中は「たびだちの会・Mさん」と熊本市北区の避難所の聞き取り調査。
この日は、翌日から大きな拠点避難所に集約されるために、どこも引っ越し日でばたばたとしていた。
龍田(たつだ)出張所(公民館)、龍田体育館、武蔵野武道場の3つは隣接しており、北区の拠点避難所のひとつになっている。
市役所職員や看護師が忙しく迎え入れや案内を行っていた。
市役所職員で「保護」と腕章をした男性が障害者数などを把握しているとのことでお話を伺うと電話でどこかに問い合わせてくれるが、引っ越し日なのもあってかすぐには把握できなかった。
また伺わせて頂くことにしてセンターくまもとに引き継ぐ。
避難所の受付をしている地元女性に話を聞くと、今のところ障害者は見受けられないが、スタッフを捕まえてはあれこれと苦情を言う女性避難者がおり、大変とのこと。
ストレスで被害妄想になったりしている人もたくさんおられるのだろうか、と想像した。
拠点避難所の後は避難所閉鎖、学校再開に向けて準備をしている小学校を回った。
役所職員が、発達障害らしき小学生の男の子のことを教えてくれた。
彼はお母さん、おばあちゃんと避難していたが、その小学校が閉鎖になるので、今日出て行ったとのこと。
子供は落ち着きがなく、母がいなくなると祖母に暴力を振るったりして見守りが必要だった。
自分の小学校に避難しているので、その子を知る先生たちや話してくれた役所職員が何となく支援していた。
拠点避難所には、先生たちのように、その子を知る大人がいなくなるので大変かもしれない。
●5月8日 午後
前日も、センターから派遣された精神障害を持つ30代前半?の女性Aさんの片づけ支援に一人で入った。
大きくて立派な一軒家だが、地震の影響で壁に亀裂が入り、片づけをした二階の床は斜めに傾いていた。
住宅の診断はまだ受けられていなかった。
父親はおらず母、祖母と3人で暮らす。
妹も鬱があり、別で住んでいたが地震後、子供を連れて実家に帰ってきている。
地震以降、怖くて一人で2階に上がれず、片づけられないので、センターくまもとから個別支援に入った。
もともと、物が捨てられない性分もあり、片づけがうまく進まない。
センターくまもとからの引き継ぎでは、片づけ半分お話半分で、心の整理と居住空間の整理を一緒に行う支援と聞いていたが、Aさんが、2階が片付かないことには心の平静も戻らないと判断し、前半はハイペースで片づけを進めさせて頂く。
2時間ほどでAさんが「疲れた、休憩しましょう」と自らブレイクを入れてくれたので、それ以後は少しペースダウンする。
散乱したままのガラス片を取り除き掃除機をかけると「やっと片付いた、嬉しい」とほっとされる。
Aさんは手帳保持者であるが、サービスを利用している様子はなかった。
地震以後しばらく近所の出身小学校に避難しており、そこで出会った地元ボランティアグループと交流を持っている。
私が支援に入っている時も、そのグループから連絡があり気にかけてもらっていた。
片づけはだいぶ進んだが、物の整理などまだ残っているため「もしまた応援が必要ならセンターくまもとに連絡してください」と伝えセンターくまもとに引き継ぐ。
Aさんから連絡がない場合は2、3日後にセンターくまもとから「その後どうですか?」と電話してみることになった。
●5月9日 夜間
「たびだち・Mさん」と学園大へ。
Tさんという女性で、花田教授の元教え子さん、大学院で沖縄の精神障害について学んでおられる方が、夜勤の引き継ぎをしてくださった。
この日も4名のボランティアニーズに対して6名が集まり、2名は後日の夜勤に備えてゆっくりやすんでもらうということで帰られた。
うち1名の地元男性は「何かやることがあればやります、なければ帰ります」というスタンスで避難所に毎日来て下さるそうだ。
昨日、今日と、ボランティアが溢れたが、それまではあてにしていたボランティアのドタキャンなどで、夜勤を回すのが大変だったと花田教授が話した。
この日は数名避難所を出られたのもあり、要支援(福祉)スペースに残ったのは、義足と松葉杖を利用する中年の男性、車いすユーザーの男性市会議員の村上さん、高齢で身体障害者女性4名、30代の軽度身体障害と精神障害をお持ちの女性とその母親、高齢で精神障害をお持ちの女性1名だった。
精神障害の女性が壁がみしっと鳴っただけでも「地震だ!」と怯えるのは、前日に片づけ支援に入った方も同じだった。
大きな地震で、怖い思いをされているのでトラウマになっている。
夜間私が仮眠交代中に、震度3の余震があった時も、その女性がパニックになったと後で聞いた。
数時間おきに体位交換が必要な女性は、地震が起こるまで母親がほとんど家から出したことがなく、地震がきっかけで外の世界にようやく出たと聞いた。
その方の足がむくんでいたのでマッサージさせて頂くと、うとうとと眠られたが、やはり深くは眠れないようで、すぐに目覚めていた。その方のように、地震以前からの根本的な事情も花田教授はたくさん聞いていて、個別支援や自立支援に繋ごうとされていた。
松葉杖ユーザーの高齢女性と精神障害の女性は、夜間トイレに立たれた際に、見守りでお連れしようとしても「大丈夫だから」と頑なに断れた。
引き継ぎの際、スタッフの照谷さんからは「消灯後は薄明りで視界が悪く以前も転倒されたことがあるので大丈夫と断られてもお連れしてください」と聞いたが、ご本人がとても迷惑そうに断られるのでついて行けなかった。
平常時は一人で行動される方が、トイレの度に見知らぬボランティアに付いて来られてはストレスだろうと思ったからだ。
避難所生活で、気心が知れた現地ボランティアスタッフなら同行させてもらえるのかもしれない。
翌朝8時前には避難所を切り盛りしているいなださんが来られ、引き継ぎ、交代した。
彼女らは地震以降、不休で支援に入っており、疲労の蓄積が心配される。
Iさんは前日に地震以来初めて1日休みを取られた。
ボランティアが来たから、やっと取れた休みだ。
しかし避難所の日勤は、朝8時から夜9時頃までで、長時間労働であり、1日の休みで疲れが取れたとは思えない。
そもそも、彼女らも被災者であるから、何かと用事があるはずで、外からのボランティアで現地スタッフの負担を少しでも減らせないものかと思った。
ちなみに避難者の入浴は、繋がりのあるデイサービスなどが突然「今日利用者の入浴が終わった後にうちのデイでお風呂に入っていいよ」などと電話をもらった時には、避難者をお連れして入浴介助するが、そうでなければ清拭や足浴のみだそうだ。
●5月9日 午前
夜勤明けで空港に向かう前に被害の深刻な益城町、西原町を車で回ってもらった。
古い家屋がほとんどで、上から押しつぶされたようにペチャンコで全壊だった。
水もまだ復旧していない。
●気になっていること、まとめ
◎私がそうだったように、ボランティアが必要とされているというニーズが各団体に届いていない。
八幡さんはゆめ風ブログで情報を更新しているというが、みんなが毎日ブログを見るわけではないので(ブログは毎日更新されないのでなおさら)、人手の要請などはセンターくまもとの大阪支部のような機関が各団体に発信すべきではないか。
◎ボランティアに行った人のレポートの窓口を作って情報を収集してはどうか。
センターくまもとの常駐スタッフ、花田教授、東教授は仕事が膨大で、ボランティアから聞いた情報まで集約して大阪に送る余力はない。
◎小さな避難所が閉じられ、大きな拠点避難所に集約されたことによって、学園大避難所に困難ケースが集まる可能性がある。現在は、花田教授の人脈でボランティアを回しているが、地元ボランティアの負担軽減のためにも継続的にボランティアを送るような仕組みは必要とされていないのか?(東北に「そうそうの杜」がスタッフを派遣し続けていたような取り組みを、大阪のネットワークでやるとか。どこも人手不足は分かっていますが連携してどうにかならないのか、とか。)
急いで書いたので誤字脱字お許しください。
6月3日(金)から6(月)また行こうと思ってます。
知り合いが「ボンド&ジャスティス」という炊き出しNPOをやっていて、益城などで車中泊の人にも炊き出ししたりしています。
繋がれたらいいなと思うので、3泊4日のうちの1日くらいはタイミングが合えば炊き出しチームに混ざるかも。
永村夏美

【熊本地震】九州の様子~お葉書から

ゆめ風基金の機関誌をお送りしている九州の会員様や障害者関係団体に、ゆめ風からお葉書を差し上げ、必要な支援はありませんか? 今現在の様子はいかがでしょうか?などのお伺いをしておりました、
そのうち、返信を下さったお便りを掲載させて頂きます。(お名前は省略)
①宮崎は無事です。
②長崎も中央部でしたので、地震影響ありませんでした。お心遣いありがとうございます。
③熊本・大分の方々のご支援よろしくお願いいたします。こころばかりですが、後送します。
④地震のお見舞いいただきありがとうございます。私方お陰様で大きな揺れが何度かありましたが、無事に過ごしております。インフラも滞ることなく、普通の生活が出来ること改めて感謝しております。被災地の方々のこと、一日も早く以前の生活が出来ますよう祈っております。
⑤障害者支援施設~ご心配をして頂きありがとうございます。大分は由布市、別府市に被害が出ていますが、日田は震度5強の強い揺れがありましたが、特に被害もなく無事に過ごすことができています。
生まれて初めて大きな地震に驚かれたり、怖かったりと眠れない日々を過ごされたご利用者の方たちですが、今は日常をとりもどされています。揺れは大きかったですが、被害は大きくなかったので日田に在住の障害の方々も自宅で過ごされています。
我が施設は福祉避難所でしたが、1家族の方が本震のあと1晩のみ利用されただけでした。
⑥日田市内は比較的大丈夫です。うちは瓦が1枚ずれたくらいです。ありがとうございます。
まだ時々は揺れますが大丈夫でしょう。
お気遣い本当にありがとうごさいます。
気づいたときはお知らせします。よろしくお願いします。
⑦宮崎県内は、県北の大分県に近いほうでは多少被害があったようですが、宮崎市内などはほとんど影響なかったと思います。
お気遣いありがとうございます。
身近なところでは何もないと思います。
⑧お陰様で震度3が1度ありましたが、何の被害もありませんでした。
⑨初めのころに震度4の揺れがあり、夜だったので心配しましたが、その後は1か2程度になって、みんな落ち着いてきています。
ヘルパー同伴の外出ももう普通に行えるようになってきました。
このたびの地震で、いざというときの避難体制の確認が行われましたが、津波でない限り、外部の避難所へ行くより、ここで待ったほうが安全(なのでは)ということに。何しろ全面介助の方ばかりなのと、そのような方々のための生活用具。設備がそろっていますので。
私たちの法人利用者だけでなく、別府、大分あたりの方々の様子も今のところ特別変わったところはないようです。
ただ、別府はこれからのことがわからないけれど、直下に断層があるので、大分県中部からの影響が心配です。別府・大分の仲間もいるので情報を入れてくださるよう頼んでいます。
⑩佐賀は大丈夫でした。避難所は、障害者の方は生活できないと思い、少し振り込みました。ラジオでゆめ風基金のことが流れていて、早い支援にうれしく思いました。
私の母は施設(福岡県南区)に入居していて、職員の方がいて元気でした。後日、棚のものは取り除き余震に備えました。熊本の障害者(施設や自宅生活)の方のことが心配です。また義援金も送ろうと思っています。本当にありがとうございました。こころ強い支援に感謝いたします。皆様もお体大切にしてください。
⑪私の住んでいる大分市は二度目の本震のときは震度5弱とかになり、揺れましたが、(その時はずっと揺れ続けましたが)ほとんど被害はありません。
お見舞いありがとうございます。
これはテレビでみた情報ですが、熊本のほうでは迷惑をかけるということで、避難所に入らない、入れない方が多くいると聞きました。また、車いすの方が乗り降りに介助がいるということで、車いすに乗ったままずっと過ごしている(夜寝るときも)という大変な状況もあるようです。福祉避難所の開設も言っていました。
⑫お便りいただきありがとうございました。都城は震度4で被害もありませんでしたが、結構揺れました。
熊本の方々のご心労いかばかりと思っております。いくらかの助けになればと募金いたしました。
⑬お葉書ありがとうございます。こちらは何事もなくよかったです。でも、地震の怖さを本当に実感させられて、いまも不安でなりません。熊本や大分の比べられませんけど。
お葉書ありがとうございます。本当にうれしかったです。心配してくれる人がいると思うと心がふるえるくらいうれしかったです。
⑭こちらでは特に被害もなく、熊本のほうでは大変だろうと心配しています。
九州ということで心配いただきありがとうございます。
⑮早速のお葉書、ありがとうございます。こちらは山間部であり、幹線道路の崩落による迂回路(現在も)、生活水の濁りで利用できず、給水が続きました。水は改善されつつあります。
普段の生活に戻りつつありますが、前震、本震ともに夜間でしたので、センターの職員は「なるべくノンアルコール」を心がけ、夜間動けることを心がけています。
⑯携帯電話の緊急通報音が怖い→避難情報が出たとき、決められず相談員に尋ねる。
避難所に行ったとき、住所と名前の記入(受付)があり、知的の方(独居)で困る方が考えられた→市に相談。
賃貸アパートでは大家さんが避難等の声掛けを早めにしてくれた。(古い物件、自治会等に入っていない等)
精神障害の方、発達障害の方など集団生活が難しい方の家族からの相談が増えた→短期入所サービスの契約をしたとのこと。
重身の方(特に停電時)の対応が不安。
当方で何かお手伝いできることがあればお知らせください。本当にありがとうございます。
●大変な中、返信をくださった皆様、ありがとうございます。
郵便物が届くところがわかったり、お葉書も少しずつ増えてきているので、少し、落ち着かれたところもあるのかなと考えられます。が、今も必死になって復旧作業にあたっておられるところは、返事をする時間も惜しい、ことと思います。
何かあったら知らせるとおっしゃってくださる皆様に感謝です。

【熊本地震】八幡理事、現地訪問(4/29~5/8)

八幡理事が再び現地訪問してきました。
(4/29~5/8)
その活動ご報告です。
●「被災地障害者センターくまもと」のこれまでの動き
・広報活動
・被災市町村について→役所、社会福祉協議会、通所事業所については全域訪問済み。
・避難所回り→熊本市内についてはほぼ訪問済み。
・被災市町村については、益城町、西原村は訪問済み。
・5/8に南阿蘇、阿蘇を訪問予定。
・その他の被災市町村についてはまだ避難所回りを実施していない。
●被災障害者への対応例
・熊本市内西区の生活介護事業所「あゆみ」の利用者のうち、益城町などから通っている人たちが「あゆみ」で避難生活を送っているため、その介護支援。
・熊本学園内にいる障害者への支援。
●各種相談
・家にブルーシートを張ってほしい。(益城町)→ 益城町の他のボランティア団体につなぐ。
・家の片付けをしてほしい。(2件) → 実際に家を訪問し、片付ける。
・家の片付けの間、障害を持つ子どもの保育をしてほしい。 → 避難所へ行き保育の実施。
・屋根の上の温水器が落ちかけている。メーカーもわからず、どこへ電話してよいかわからない。 → 現地へ行き確認する。メーカーがわかったので、メーカーで対応してもらう。
・その他、精神疾患の方、視覚障害者、母子家庭(お母さんが障害者)などの相談があり、面談を実施。
・家を探してほしい、罹災証明などの手続きがわからない、避難生活をする上での不安などは多数の電話があり、その都度対応。家探しについては5/10に県の宅建協会がみなし仮設住宅についてのホームページを開設するので、それを待ってほしいと対応する。
●情報
・熊本市内は障害者名簿のうち、サービスを利用していない65歳未満の障害者について、相談支援を行っている事業所に9000人分の名簿を渡し調査している。
当初「日本相談支援員協会」が請け負っていたが、時間がかかるため「JDF」に協力依頼。5/9からJDFが調査に加わる。
そこから出てきたニーズについては、「被災地障害者センターくまもと」が請け負うこととなる。
・三船町では社会福祉協議会を通じ、NPO団体に名簿公開されている。
現在避難所回りを「レスキューストックヤード」(名古屋)という団体が受け持ち、個別訪問を「み・らいず」(大阪)という団体がしている。
これについても「そちらで対応できないことがあれば、被災地障害者センターくまもとに連絡」してもらうことになっている。
益城町は近々相談支援員協会が入り、個別訪問を行う予定。
まだまだ3週間。
これから、個々の要望がたくさん出ると思われます。
また、情報を発信していきます。

【熊本地震】ボランティア募集のお知らせ

現地入りしている八幡理事からです。


八幡です。
「被災地障害者センターくまもと」が応援ボランティア募集を開始しました。
福祉経験1年以上で、1週間程度以上入って下さる方が助かります。
寝るところはありますが、布団がないので、寝袋持参でお願いします。
詳しくは「熊本障害者労働センター」(ここがセンターを兼ねています)にお問い合わせください。
〒861
熊本市東区長峰西2-6-11
電話 096-234-7728
e-mail: hisaitikumamoto@gmail.com
やることは当面障害者のニーズ調査や、被災地障害者センターくまもとの広報活動となります。
現地に行ける方はよろしくお願いします。

【熊本地震】八幡理事、2度目の被災地へ~現地報告

4月29日
熊本空港に午前11時到着。
大阪ボランティア協会の人たちと空港で合流。
まずは熊本学園に行き、花田先生に話を伺う。
現在避難者は100名程度ということ。障害者(高齢の方が多い)が20名ほどいる。
学生ボランティアは多くいるが、身体介助的なことはさせていないということ。
特に夜間の見守り体制が不安で、今のところ、5月2日までは何とかなったが、それ以降が決まっていない。
男女2名ずつくらいの介助できる人手が必要ということでした。
つぎに「被災地障害者センターくまもと」を訪問。
事務局長の車いすユーザー・東さんが、何やら大工仕事をしていて忙しい様子。
共同連から3名の応援が駆けつけていた。
ひとりは「名古屋わっぱの会」の羽田さん。
もうお一人は北海道の「さっぽろ障害者活動支援センター」の石澤さん。
東さんからは「今晩、今後の方針について打ち合わせをするから花田さんと連絡を取って」と言われ、連絡したら大丈夫とということで、今晩の会議が決定。
なので、私たちは会議までの間、西原村の「たんぽぽ作業所」を訪ねることにする。
道中、お巡りさんが信号ごとに立っていて、何かなと思ったらちょうど安部首相が来ているらしいとのこと。
行き先が同じ西原村。
渋滞などで「たんぽぽ作業所」に行くのに少し苦労しました。
今は、炊き出し用のガスや釜がほしいとのこと。
「ゆめ風」救援金の申請用紙を渡しました。
作業所内の壊れた備品や修理代などは、後で申請してもらうことに。
(申請があり次第、送金予定です)
その後、南阿蘇へ行こうとしましたが、あちこちで通行止めがあり、夜の会議があるので行くのを断念。
「もう少し南側にあるオレンジロードと呼ばれる農道が唯一入り込める道だ」というのを、通行止めのところにいた警備員さんに聞きました。
夜にはみんなで今後の方針について打ち合わせをしました。
事務所の体制が整い次第、全国からボランティアの応援を求めることを決めました。
(続く)

【熊本地震】NHKハートネットTVのお知らせ

NHKハートネットテレビの担当ディレクターから、八幡理事あてにメールが届きました。
下記、転載します。
ここから
【ハートネットTV放送のお知らせ】
熊本地震から、まもなく2週間。
避難生活が長期化する中、被災した障害者や高齢者の体調悪化も心配され、支援が急がれます。
『ハートネットTV』では、先週に引き続き、今週も27(水)28(木)の2夜にわたって
現地の障害者や高齢者について生放送でお伝えします。手話・字幕・解説放送つきです。
 ⇒番組内容
4月27(水)20:00-20:29 Eテレ 緊急報告 熊本地震③ どう支える被災した障害者
日常的に、たんの吸引やチューブによる栄養注入などが必要な医療的ケア児と家族のおかれた現状を報告。
どのような支援が必要か考えます。
出演 戸枝陽基さん(全国医療的ケア児者支援協議会代表)
電話出演 菊本圭一さん(日本相談支援専門員協会 代表理事)


4月28(木)20:00-20:29 Eテレ 緊急報告 熊本地震④ どう支える被災した高齢者
介護など支援が必要な高齢者はいま、どんな課題に直面しているのか。そしてどのような支援が必要なのか考えます。
出演 新田國夫さん(医師)
【被災された障害者、高齢者、ご家族・支援者のみなさま】
お困りのこと、避難所で必要なこと、今求めている支援など、どんなことでも構いません。
みなさんの声をお寄せ下さい。
声をお寄せください
***
どうぞよろしくお願いします

【熊本地震】被災地障害者センターくまもと事務局長東さんから~報告

「被災地障害者センターくまもと」事務局長・東さんからの活動報告です。
ここから
「4月25日」
午前9時、JDFの一行(幹事会議長/藤井、DPI/崔、育成会/長瀬、リハ協/原田、みんなネット/小幡)を熊本空港でピックアップ。
2台に分乗して、まず学園大の避難所に案内、障害があっても排除されないインクルーシブな避難所を目指していることを説明。
午前11時、県庁訪問。
県庁側(伊豆野子ども・障がい福祉局障がい者支援課審議員/井上同課長、牛島同課社会参加支援班課長補佐)に、藤井/原田より東日本大震災時の活動を説明、東より公的支援の網の目からこぼれ落ちる障害者支援のために「被災地障害者センターくまもと」を設立したことを報告、障害者の情報を開示、緊急車両の指定などを要望。
県側から、支援体制の環境整備や県主催の情報交換会の開催など一定の前向きな回答がありました。
午後1時から県の福祉センターでJDFと県内障害者団体等との意見交換会を開催。
JDFのほか、地元から①県精神障害者福祉会連合会、②豊かにする会、③きょうされん、④県発達障害当事者会、⑤県聴覚障害者情報提供センター、⑥県視覚障がい者福祉協会、⑦ヒューマンネットワーク熊本、⑧全脊連熊本県支部、⑨熊本市心の障害者家族会、⑩NPO法人あゆみ、⑪福祉生協、⑫NPO法人凹凸ライフデザイン、⑬NPO法人就労特化型支援団トリニティ、⑭県身体障害者福祉団体連合会、⑮県身体障害児者施設協議会、⑯県ろう者福祉協会、⑰熊本障害者労働センターの17団体。県庁から伊津野、牛島、中島の3氏。その他県外からの支援団体や個人あわせて総勢40名ほど参加。
熊本県のろう協の松永さんは、KDFの会長として広く参加と協力を呼びかけていただきましたが、詳細を書く余裕はありません。
大枠としては、「被災地障害者センターくまもと」は
・ゆめ風基金からの資金提供とJDFからの人的支援を基礎に、KDF(くまもと障害フォーラム)に参加している団体をはじめとして幅広く結集し、
・地元の障害者団体がそれぞれの活動は活動として行いながら、お互いに支え合あうこと
・特に、福祉の支援に結びつきの弱い在宅障害者については、これを掘り起こし、そのニーズに応える支援活動を展開すること
などが多くの共通理解になったと思います。
そのあと、県の福祉事業団の施設が福祉避難所の指定を受けたことにより娯楽室、プレイルーム、訓練室を避難所として開設しているが手狭になっているので、JDFが避難所指定より前に予約した会議室をどう利用するかについて、JDFと福祉センター、点字図書館、聴覚障害者情報提供センター、福祉生協との間で調整会議を行い、JDFからの支援者の派遣が始まるまでは、予約した会議室を利用してもらうという結果になりました。
その後、JDFのメンバーとともに熊本市役所を訪れ、対応に出た田中障害支援部長に対して、県の訪問の時と同趣旨の説明と要望を上げたところ、既に障害者の公的データについては、視覚障害については開示していることを確認後、解散。
なお、被災地障害者センターくまもとに、いくつのかのSOSがあり、ヘルパーを派遣するなど、支援活動を開始。
4月26日
JDFのメンバーとともに、西原村役場にて日置村長と面談。
やはり県の訪問の時と同趣旨の説明と要望を上げ、村の社協や民生委員と協力しながらやりましょうと前向きの返事を戴きました。
村役場の横には剣道場と柔道場の体育館があり、避難所となっていたが、車いすの男性はそこを利用しているが、寝泊まりは車中で行っているとのこと。
ほかに障害者はほとんど見ないとのこと、でした。
連絡先を交換し、何かあったらこちらに連絡するように依頼。西原村のキーパーソンとして動いてくれそうでした。
なお、彼が住む役場の南側の布田地区はほとんど壊滅状態でした。
その後、益城町に向かいましたが、益城の寺迫の知人の高齢者宅にいってみましたが、その地域は、ほぼ全域が壊滅状態でした。
益城町の健康福祉センターは、町役場が立ち入り禁止の状態になっているので、町役場の対策本部が置かれていましたが、同時に多くの人たちの避難所となっていました。
しかし、障害者はほんの数人しか確認されていない状態で、ほんとにどこに行ってしまったのか!!でした。
町長さんには会えませんでしたが、森永教育長と福祉課長さんに対して、これまで同様の話をし、町の社協や民生委員と協力して支援を行うことに前向きの感じを受けました。
その後、JDFのメンバーと、今後も協力し合いながら進めていきましょうということで、別れてきました。
なお、今日、5台くらい独自の移動手段を確保したいと思っていましたが、まずは8人乗りくらいのワゴンを納車してもらいました。
今日までの状況は概略以上の通りですが、早く実働に入れればと思っているところです。
2016/4/27 被災地障害者センターくまもと 事務局長 東 俊裕