防災関連情報~

「眼の会」の榊原さんから、防災関連情報をメールで頂きました!
以下の通りです。
<震災教訓>「津波、家に戻るな」…データベースで共有
毎日新聞2015年4月18日(土)10:48
 ◇東北大災害科学国際研究所 ウェブサイトを公開 
「津波避難では家に戻らないことが鉄則」「緊急時の声かけは自治体や町内会単位ではなく、
隣近所によるものが説得的かつ効果的」--。
東北大災害科学国際研究所は、東日本大震災の経験を踏まえた避難の心得や、必要な事前対策などの教訓をまと
めたウェブサイト「3・11からの学びデータベース」を公開した。
大規模災害に備えた防災計画への活用が期待される。
データベースには、同大の教授ら約40人が東日本大震災の調査や研究から導いた教訓約100件を掲載。
津波避難▽災害医療▽健康問題--などのカテゴリー別に整理されていたり、自治体▽住民▽医療機関--など
対象者別に検索できたりする。
フリーワード検索も可能。
たとえば「子ども」に関する教訓を調べると、津波を経験したり、居住環境に変化があったりした場合、アトピー性皮膚炎や心の健康への支援が必要な子の割合が高まることが分かる。
「女性」で検索すると、女性特有の月経に伴う症状などが災害によって助長される場合があることなどが紹介されている。生理用品を用意するだけでなく、プライバシーに配慮した配り方などをあらかじめ検討しておくことなど解決策にも言及している。
同研究所の佐藤翔輔助教は
「研究によって得られた知見を端的にわかりやすくまとめることで、『あの時の教訓は何だったのか』ということを一般の方と共有できる」と期待する。
教訓のデータは今後の研究を踏まえ、増やしていく。
データベースのアドレスはhttp://311manabi.irides.tohoku.ac.jp。
併せて明治・昭和三陸地震津波や阪神大震災など過去の震災に関する報告書や学術論文約4000件を収録した「震災教訓文献データベース」(http://edbunken.irides.tohoku.ac.jp)も公開した。【近藤綾加】

ちなつのちょっと行ってきました。総会in仙台

ちなつのちょっと行ってきました~ゆめ風総会in仙台
ちょっと前の記事になりますがすみません!
3月28日29日。
事務局員の福本も、総会に参加させていただきました。
福本も3回目となれば、報告内容も、議論の内容も分かります。
えっ?いままで、わからずに?
まあ、50歳からゆめ風で社会人になったことがありがたく、懐かしく・・・、
でも、いまだに公的な文章書きは苦手。
なので、いろいろな方と出会って、心に残った言葉をまとめてみます。
いつもの振込用紙の励ましの声をご紹介する感じで。
事務局は、新幹線移動組と飛行機移動組にわかれて行きました。
私は飛行機組でしたが、代表や、理事など車いす3台での移動。
これが予想以上に時間がかかる。
世の中は、まだまだ、障害者のゴタイオウに慣れてはいない。
ちょっと小さな飛行機には、バスとゴンドラチックな乗り物でいく。
ありがたいんだけど・・・と首が少しかたがってしまう。
「うちらに聞いてもらえれば、もっと、互いに時間もかからず気持ちええのにな」と
車いすの背もたれ越しに、牧口理事長のつぶやき。
東北は広い!念いりに移動時間は計算していたのだが、
車いすはエレベーター・スロープを求めて動かざるえない。×(かける)車いすに乗る人数。
空港から電車を乗り次ぎ、総会の会場を一行で目指す。
わちゃー。
がんぱってがんばって?急いでみたけれど、1時間の遅刻。
「あるまじきではないけれど、やっちゃったんだから、謝るしかできんわ」とこの日の牧さんの二度目のつぶやき。
申し訳ございませんでした~。
総会は、とんとんと運び、全国から参加いただいたゆめ風ネットのかたがた、東北の皆さまとの交流会も。
・東北の現状はまだまだ厳しく、人口が減っていること。
・障がい者居宅のヘルパーさんもタイミングよく研修すれば、受講生はいる。
・でも、そのあと、「仕事としての福祉」という感覚が持てない。
・障がい者福祉の現場のイメージができない。
など、制度に慣れていない風習の中で事業を展開していく大変さをお伺いしました。
阪神淡路大震災を経験した、ゆめ風理事の細井さんは
「僕らの時代は、制度も何もなかった。だからかなー。偶然生きての出会いも楽しめた。みんな何か抱えて生きている。お互いさんやって単純に思えたんだけどね」と穏やかな笑みを浮かべた。
感動さめやらぬ翌日は「風街フォーラム」と称し、
仙台CLたすけっとの若手障害者と熟人障害者の牧さんが座談会。
「僕は仲間とデザイン会社を立ち上げたのが社会人第一歩なんよ。
この時みた空がごっつうきれいで、この空は、僕のもんやって思った。
出会い方もあるけど、街も人も誰かが言うから、何かが変わっていくと思うんよ。東北の人は、奥ゆかしいの?」と
牧さんは問う。
答えは・・・
「周りの人を気にしてしまう。駅も銀行もまだまだ使いづらい」
福本は思いました。
エレベーターもスロープも人の手も借りて、合理的配慮がご都合排除にならないように、
少しづつモノ申して生きていくには勇気と労力がいる。
障がい者は医療的モデル・社会的モデルだの言われるけれど、
人が人として生まれて出会って、素敵に生きれれば、それがしあわせっていうことなんでは?
日々、足が硬縮して歩けなくなっていく。
歩けないということは、痛く冷たい足を地につけて生きていくことを知る。
東北の方の痛みも、想像しかできないのだ。
けど・・・
想像して、助け合う場所が、ゆめ風基金なんだと。
決意新たに大阪に帰った翌日から、福本は、久しぶりに一週間、発熱と咳でゆめ風のお机を空けてしまいました。
みなさん、体調崩されていませんか?
くれぐれも無理なさらないように!!

4月11日、街頭募金活動のご報告です!

4月11日、毎月第二土曜日、ナンバ高島屋前で行われた「街頭カンパ」活動、行ってきました!
強風にも負けず、街ゆく人に声をかけます。
「東北で被災した障害者への救援活動を行っている、ゆめ風基金です!
まだまだ支援が必要です!
皆様のご協力をよろしくお願いします!」
4年間、声をからして言い続けてきた言葉。
その声を聴いて下さった皆様、本当にありがとうございます!
中には「何に使うてるかわからへんやんけ」とつぶやきながら去っていく人もいました。
「NPO」という響きがその人には・・・怪しく響いたのかもしれません。
皆様からお預かりした貴重なお金は、東北の障害者や障害がある子供たちの生きる場作りなどに
大切に使わせて頂いております。
今まで支援した先や活動記録等を、1枚のチラシにして手渡ししています。
次回から、もっと詳しく、20年の間に支援した一覧のようなものを持っていこうかな、と思いました。
また、このカンパをお手伝いしてくださるかたも募集中です!
これからは気候も良くなりますし、何かしたいと思われているかた、
次回は5月9日です!

(午後4時頃から、陽が差してきましたが、相変わらずの強風でした。)
参加人数    25人
募金額  41,689円

4年間の合計   4,470,863円

コメント紹介

桜が咲くと、雨神様が嫉妬して、雨を降らすんだよ。
今朝の通勤時に聞いた、小さな子に話すママのかわいい話。
どうか、雨神様、あまりたくさんの雨を降らせることがないように。
町や人を悲しませる涙の雨を降らせることがないように。
祈る事と支援していただいている人の声を届けることしか、
私にはできないのだけど・・・。
◆みんなの希望にお役立てください。(大阪府和泉市)
◆祈るだけでは不足と知りました。行動も必要ですが加齢者は何をすれば?(東京都練馬区)
◆風だよりを読むたびに、これでいいのかという思いと、これができるんだという思いが、行ったり来たりします。(島根県松江市)
◆急に変わることも、急によくなることも普通はないんだということに辛抱強く耐えて、自分にできることをコツコツと積み上げます。(滋賀県甲賀郡)
◆東北の皆さま、いつも応援しています。お身体大切に。(東京都墨田区)
◆震災より4年務目です。まだまだ苦しんでいる方がいらっしゃいます。忘れてはいけないのです。(東京都荒川区)
◆4年ですね。皆様どうぞお身体に気をつけてください。(千葉県佐倉市)
◆原発事故を風化させようとしているのは、政府の方ではないかと・・・(北海道登別市)
◆国の復興計算の多くが、だぶついている?との報道。必要な支援を見極め、行動するのは、本当に難しいことだと思い
ます。スタッフの皆様、がんばってください。(大阪市平野区)
◆少しでも、支えになれば・・。持続可能なことをするのが大事ですな。(東京都杉並区)
◆3月に入っての厳しい寒波で、雪景色になりました。被災地の皆さんも、寒さの中、くれぐれもお身体を大切にと祈ります。(島根県松江市)
◆みなさん、おひとりおひとりの心は立ち直ったでしょうか?少しですが、応援の気持ちです。(東京都台東区)
◆今年も3・11を忘れないように3110円を基金します。復興が一歩でも前に進むように応援しています。(広島県世羅郡)
◆解決の糸口さえ見えない原発事故、消えることがない心の痛み3・11、東北に向かって手を合わせるのみです。(神奈川県横浜市)
◆困難は多くあると思いますが、去年より少しでも笑顔で過ごせますように。(愛知県松山市)
◆NHKの番組で、ご活動のことを知りました。ご協力させていただきます。(千葉県市川市)
◆近共の遺志を引き継ぎ11年、ほそぼそとわずかながら協力し続けます。(愛知県名古屋市)
みなさまの応援・ご協力、いつもありがとうございます。
まだ、肌寒い春・あたたかい声に支えられて、
せいいっぱい、任務にあたります。

hide の救援レポート 2015年4月10日 №175

【今年の8月16日の「ゆめ風基金設立20周年記念コンサート」をよろしくお願いします!】


前回からの続き
「東北関東大震災障害者救援本部特集号:№14号」より転載
全国自立生活センター協議会
TEL 042-660-7747
FAX 042-660-7746
●阪神淡路大震災では5年で仮設住宅は解消されましたが、東北沿岸部は山を切り崩し造成してから復興住宅を建てるということで、7~8年経っても仮設住宅が解消するかどうかが見えない状態です。
中心市街地が流されたところではその後どのような復興をしていくかについて、計画は出たものの住民合意も未だできていないという状態が続いています。
私たち救援本部では地元での担い手を育てていくため、震災後1年目にあと3年は支援を続けていこうと決めました。
ただそうはいっても4年近く支援を続ける中で、緊急支援は終了したといってよいと思います。
地元拠点のほとんどは現在法律に基づく福祉サービス事業を模索し、今後まだまだ続く被災地の福祉を担うにあたって、支援金以外の収入を検討しています。
仮設住宅が復興住宅になっても不便さには変わりなく、まだ続いていく移送サービスについても、日常的にどのように運営していくのかが求められています。
また福島県については復興というにはほど遠く、未だ原発による被災が続いている状態にあります。
福祉を担う若者の流失が続き、ヘルパーなどの担い手もいない状態が続いています。
このような状況に我々が、「どこまで、どのように支援ができるのか」は定かではありませんが、少なくとも今後も被災地を見守り、いつでも支援ができる準備をしておくことが大切です。
●被災地の今後
神戸では一旦人口が減ったものの、今では震災以前よりも多くの人が住んでいます。
東北沿岸部では震災前から人口流失が続き、震災によってそれがより顕著になったといえます。
少なくとも10年、20年経ったからといって、震災前の人口に戻ることは考えられません。
今後求められるのは息の長い支援であり、例えば地元の生産物を全国の人が買い続けるような仕組みであり、震災でつながった地元と全国ネットワークの仕組みをどう生かすかということだと思います。
私たち障害者の立場から見ると、東北沿岸部は福祉の面で相当な遅れがあり、自立生活をしている障害者がほとんど見られない状況なので、そうした福祉基盤の底上げを外部からどう支援していけるかということが課題になると思っています。
救援本部としては緊急支援が終わったということで解散にはなりますが、今後もそれぞれのネットワークで東北への支援を続けていく事を確認しています。(八幡隆司)
●(東京)救援本部解散に伴いまして、この2月で支援金の受付を終了します。
4年もの長きにわたり、心からの感謝です。
街頭での募金活動、イベント会場や団体事務所に置かれた募金箱、定期的に届けてくださった方、年金の中から送ってくださった方、匿名の方、事務所まで足を運んでいただいた方、本当にありがとうございました。
「顔の見える支援」をと思ってきましたが、励ましのメッセージや季節ごとのお便り機関紙の感想など、被災者だけではなく支援金を送ってくださる方々のお顔も見えたように思いました。
3月末で会計を締めまして、決算に入ります。
決算報告は、機関紙で公開してお知らせいたします。
なお今後、被災時の障がい者救援金は、ゆめ風基金が引き継ぎます。
ゆめ風基金は阪神淡路大震災をきっかけに、緊急時に備えておこうと発足しました。
これまで、地震、噴火、豪雨、台風~さまざまな自然災害がおこり、「ゆめ風基金」からは海外を含めて被災地の障害者・児に届けています。
今回の救援活動も当初はこの基金を元にしております。
お気持ちをこちらに寄せていただけるよう、お願いいたします。
ゆめ風基金振り込み先
郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金
「逃げ遅れる人々」DVDは、これまで通り扱います。
救援本部の事務所やスタッフは、当面夏頃まで引き続きます。
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これまで届けた救援金
332,850,649円(2015年3月2日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,642,139円(2015年3月2日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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2015年ゆめ風基金総会とシンポジウム

                           ゆめ風ネットさいたま(わらじの会) 事務局 吉田弘一
 ワタシのイメージの中のゆめ風総会はいつも桜の季節。ただ今年はいつもの大阪ではなく仙台だったこともあり、残念ながら桜はまだ蕾ではあったけれど。新潟出身の自分としても東北の春は抜群に爽快だ。春の空の青、そしてあちこちで街の背景に桜色が映るシーズンは、知らず心が軽くなることを春が来るたびに実感する。
 さて話はがらりと変わって。ロシア大使が駐留しているデンマークのNATOミサイル防衛計画への参加に難色を示し、その場合デンマークの艦船を核の標的にする可能性がある。と話したそうだ。毎度毎度ニュースを聞くたび暗い気持ちになる昨今だが、こんなニュースはいつもに増してズシリと気持ちが暗く重くなる。
 窮極の人災としての戦争の恐ろしさももちろんだがなによりも、いつもは忘れているだけで、甘い消費社会の上っ面をペロリ一枚剥げば、どこもかしこも惨憺な世界の有り様が覗く。そんな時に暗く沈む心は、桜色の街に心がうずくのと基本同様だ。
 帰りの新幹線、介助者であり多賀城出身の学生さんと少し話す。「初めてのゆめ風、シンポも含めてどうだった?」と感想を聞くワタシ。彼女の答えは「理想と現実というものについて考えてしまった」とのこと。今回の総会の後の風街シンポジウムの後半、監督が言っていた放射能災害を指しての「あんなことがあって生き方が変わらないなんて―」という言葉は印象的だった。
 「変わらない」のか「変えたくとも変えられない」のか、またどうであれ「変わらない」という結果だけが重んじられる話なのか。それが理想と現実、また本音と建前と呼ばれるものの中身なのだとも考える。「変わらない」としても「変えたい」と望むのであれば、「変わらなさ」を咎めるよりも、そうせざるを得ない根本的な部分、社会や地域の構造こそを変えていくべきだとも思う。
 さらに加えて考えるならば、私たち障害者を囲む言葉の中に「社会モデルとしての障害者像」などといった言葉がある。医療モデルとしての障害者像と対で出てきがちな言葉だが、障害だって健常だってすべての私たちは社会とは切っても切れない“ヒト”であるとも言える。だとすればワタシタチは自己決定や自分の思いだけで生きていけるものでもないのだろう。だとすれば私たちは、社会―地域と関わりながら、小さい関係を無限に積み重ねながら地域を作っていかなければならないのだとも強く確信する。そして小さくともそうして作った積み重ねはそうそう悪いものではないだろうとも思うのだ。
 そしてそれはいっさい他人ごとでなく、デンマークどころか私たちの頭上だってどこだって核ミサイルが行きかう航路であることと同様に、忘れているだけで自分たちの問題だ。
 会の終わり、「一日一日をクリアしていく。それで精一杯だ」と青田さんが語る。その通りだ。しかし精一杯ながらも一日ずつクリアし、積み上げる暮らしは苦しくとも私たちを裏切らないだろう。むしろそうした関わりの中に本来、人の暮らしはある筈だ。
 私たちの上に拡がる空は全て繋がっている。小さくともそうした積み重なった暮らしが一つの空の下で繋がっていく事、そうして作っていく地域や社会に思いを馳せる。

「宮古はいま・・・」

「宮古はいま・・・」
と、いう原稿依頼を受けて何を求められているのか、何を発したらよいのか考えました。
 また、ブログへ掲載ということは公表ですので、毎度のことながらどこまで書いたらいいか悩みます。
 昨月(平成27年2月)に、被災地の現状が知りたいという方へ原因を含めて現状を話したところ、かなり落胆されており、その方の表情を思い出すと、真実を伝えない方が良かったのではないかとさえ思ってしまいます。
 あくまで、私的な考えとお断りさせていただいて、宮古市の「ひと・まち・くらし」の今のほんの一部を。
 災害公営住宅や高台・嵩上地で、今年の春以降に多くの人が新しい場所での生活を向かえます。
 港湾・道路・橋・堤防等が直ったり、新しい所が次々と出来て目に見える“復興”は進んでいます。
 災害公営住宅への入居はすでに始まっているところもあるようですが、各地の受入れ状況は様々で、既存自治会の反発がある所や既存住民との境をなくしていこうとしている所、公営住宅と自立再建の差に不満が出ている所、地区を細かく分けて地域住民主体で地区毎に再建が進んでいる所、災害公営住宅のみで自治会を作る方向の所等、場所ごとに対応や進め方は様々です。
 宮古市のボランティアや支援団体に関しては、昨年からは宗教関連の団体が大多数で、その他は公益系のものばかりで、市民活動といわれるものはゼロに等しいです。
 ボランティアや支援活動といわれるものの多くへ疑問を感じます。
 予算ありきの活動や、必要性のない活動、地域住民ではなく支援者主体の活動が殆どで、地域住民の自立や将来性を考えた活動は無いのが現状です。
 この事に関しては、宮古市に限らず多くの被災地でも同様のようです。
 産業に関しては、宮古市の主力産業である漁業ですが、港湾や漁業設備などは多くの資金が投入されて新しい設備が次々と整備されて、回復している面もありますが設備や施設・道具がそろっても、そこで働く人が減っていて人材確保がままならないところも多々あります。また、震災後の支援という名で契約した大手に当時の値段のままで買いたたかれて売れば売るほど赤字になるものもあります。
 宮古市に限らず岩手県では求人倍率が一時(震災前)より上がり景気が上向きになったと捉えられているようですが、実際には復興関連の公共事業が多く、地域の継続的な雇用とはならず、一過性のものばかりですし、公共事業の多くは地域への還元が多くないものが殆どです。
 被災地の人が現在どう思っているかは、多様な考えがあるので一概には言えませんが、いわゆる一般住民と話す時に出てくる話の多くが暗い話です。
 住宅再建後の収入が確保できるか?住宅再建の場所の安全性は?地域で今後も生活できるか?仕事はあるのか?地域のコミュニティーは?買い物に行けるか?病院は?等々。
 実際、人口減や超高齢化、福祉従事者の不足、交通が不便、買い物が不便、孤立等様々な現実が今現在あるものよりさらに悪化していきます。
 また、震災後の様々な事案に対する不公平についてのわだかまりがあり、そのことが地域住民の間に根深いものを残したことにより、復興や地域課題への対応が進まない一因となっているのも事実でしょう。
仮設住宅の状況ですが、入居者が3割程度退去しています。
 しかし、実際の入居者や世帯数を把握しているところはどこも無いのが事実です。
 それは、世帯分離や書類上は入居していても物置や別荘のように使用している場合も
あるからです。
 仮設住宅へ入居してから3年以上が経過し、住宅のあちこちにガタがきています。
 元々、応急仮設住宅ですし、仮設住宅毎に同じ予算で建てられたものですが、
建築関係者が指摘しているように、とても同じ予算とは思えない造りに差があります。
 また、混乱しながら突貫工事で建てられたもので、入居当初から不具合が多々ありました。
 現在は、プレハブタイプの仮設で、木の部分が腐ってきて抜けていたり、壁の隙間が
外の光や隣の光がしっかりとわかる程まで広がっていたりします。
 これらについては「無料で住まわせてもらっているから文句は言わない」という方もいれば、
「あまりにも酷過ぎる」と、意見は多様です。
 さて、雑多にまとまりも無くほんの一部を書かせて頂きましたが、東日本大震災からの現在までや、現状に関して話したり書き始めるときりがないのが事実ですし、課題の多くは、被災の有無に関わらず多くの市区町村で抱えているものであったり、潜在しているものだと感じています。
 本当の真実を知りたければ、実名を出して話さなければならない事が多いですし、その方がわかりやすいでしょう。被災地だけの事ではないのがわかります。
 それと、ある一部の話(又は、一人の話)を聞いて、それが事実だと思わないでください。私個人の経験や資料が無断で勝手な解釈で使われていたこともありますので。
 この災害で学ぶべき事や改善できる事があったはずなのですが、実際には多くの善意が無にされたり、お金の多くが無駄に使われたり、人が数字の1として使われたりしています。
 夢や希望が先にあるのはとても良い事ですが、現実をしっかりと見つめた中での夢や希望に向けて進みたいです。
 一つ、最近の話ですが地域住民との話のなかで、災害公営住宅や自主再建で高台や嵩上地に引っ越す事で新しい生活の希望がある反面、安全性が確保されていないところへ行くのが不安だとの話がありました。
 「今の所は、津波から逃げなくてもいいけど、今度の所はどこに逃げたらいいべ?」
 と。
 これが、一部ですが現在の復興案の真実を物語っているように思います。
 最後に、真実をうまく伝えることが出来ずに申し訳ありません。
                            
                       うましか 延足 圭祐(宮古市田老在住)

仙台「総会」&「風街フォーラム」行ってきました!

3月28日の土曜日、年に一度行われる「ゆめ風基金定時総会」に参加するため、事務局みんなで仙台へ行ってきました。
「ゆめ風ネット」の皆さんや、当基金の理事たちが出席する中、ゆめ風の2014年度の活動報告や、決算報告などを行いました。
場所は仙台駅から地下鉄で一駅のところです。

(会議の様子です。全国から10以上のネットの皆さんが集まってくれました)
6時半ごろからは交流会です。
全国で活動する皆さんと、年に一回お会いできる貴重な機会です。
当事者・介護者合わせて50人近くが、和やかに、2時間ほど談笑。
散会後は、仙台駅近くのホテルを取っていたので、みんなで歩いていきます。
思ったよりも仙台は寒くないし、しかも高層ビルが立ち並ぶ大都会だとわかって二度びっくり!!
(仙台は、通過することが多かったので・・・お恥ずかしい限り)
翌29日は、今回の総会を主催してくれた「CILたすけっと」の20周年記念&ゆめ風20年共同企画として
「風街フォーラム」が開催されました。
一部では、ゆめ風代表の牧口さんと、CILたすけっとの杉山さんが「障害者運動の先達から私たちが受け継ぐための会」と題し、トークいっぱいの時間を共有しました。
二部は、「津波・原発・障がい者、あの日とこれからと」というタイトルで、ドキュメンタリー映画「逃げ遅れる人々」の飯田監督や映画の出演者をお招きし、被災地の現状を伝えるシンポジウムが行われました。
福島では「ヘルパーが圧倒的に不足しており、夕方5時以降の介護者がいない」とか、
避難するか残るか、今も揺らぐ人たちの苦悩が伝えられました。
「原発事故は今も続いている。収束していない。」とおっしゃる被災地のかたの声は、生で聞くとリアルです。
そうだろうな、と想像しているよりはるかに厳しい現実。
日々、被災しているからこその叫び、です。

(熱心に話を聞く参加者のみなさん)
たくさんの課題があり、それらは実に心が痛む内容です。
ヘルパーの減少など、どう対処すればいいのだろう。
5時以降介護が受けられない現状は、大阪にいてほぼ不自由なく生活している私たちからすると、
お話を聞かなければわからない切実な問題です。
キシキシとひとこと一言が悲鳴をあげている・・・。
私たちは、しっかりと、この日語られた言葉を胸に刻み、大阪でできることを続けて、また全国へ発信し続けねばと
決意を新たにしました。
春休み最初の土日、年度末の土日ということで、新幹線も飛行機も、混み混みで、移動するだけで
体力が削られ、私・長崎、寝込んだりしました。
しかし、あの日からもっと苦しむ仲間がいるし、彼ら彼女らが本当に笑えるのは、もっと先だと。
厳しい現実のその一方で「希望」も、すこし見出されました。
仙台では、震災後たくさんのスタッフ(当事者も健常者も)が一緒に活動するようになったようです。
スタッフの皆さん、準備や圧片付け、本当にお疲れさまでした!
震災の傷跡が、今はもうないように見える仙台市中心部ですが、総会が行われた高層階の建物の窓には
『地震が発生したら窓際には近付かないでください』という張り紙が。
大阪にはない注意書きが、4年前の震災被害を物語っていました。
人は財産。
そして、人から人へ、語り継ぐ物語は、たくさん、たくさんあります。
良かったら、みなさんも一緒に語りあいませんか。
(文責:長崎圭子)

ヒデの救援レポート 2015年 3月23日 №174

認定NPO法人 ゆめ風基金「第14回定時総会&パネルディスカッション」のお知らせ!
【定時総会】
日時:3月28日(土)午後4時~6時
会場:仙台市福祉プラザ(仙台駅から1駅目、地下鉄五つ橋駅からすぐ)
午後6時半から、同会場で交流会
【パネルディスカッション】
翌29日(日)
会場:仙台シルバーセンター(仙台駅前)
午前10時~12時
・たすけっと若手障害者とゆめ風基金代表牧口一二が語る会
午後1時~5時
・パネルディスカッション「逃げ遅れる人々~その後」
パネラー
鈴木絹江さん(田村市ゆうとぴあ代表)
長谷川秀雄さん(CILいわき)
青田由幸さん(南相馬さぽートセンターぴあ)
小野和桂さん(元CILいわき
飯田基晴さん(映画「逃げ遅れる人々」の監督
自由参加です。
お近くのかたは、ぜひお越しください!


東北関東大震災障害者救援本部特集号:№14号より転載
全国自立生活センター協議会
TEL 042-660-7747
FAX 042-660-7746
4年間の活動に対するご支援ありがとうございました
緊急支援終了により、救援本部は解散へ
救援活動はいつまで必要なのか、被災地は復興したのか、被災障がい者達は今後どんな支援を望んでいるのか等など救援本部としても話し合いを重ねてきました。
そして緊急体制としてこのまま維持するのではなく、呼びかけ団体のゆめ風基金とDPI日本会議そして全国自立生活センター(JIL)の3団体が日常の中で財政面と制度面をバックアップしていくことで、解散をすることの結論にいたりました。
各地の被災地障がい者支援センターにも救援本部解散の意向を伝え、解散後のあり方を考えていただくよう1年前から準備してきました。
現在最終の詰めを行っているところです。
被災から4年目を迎えるこの3月で救援活動を終了し、その後この4年間の救援活動の総括や支援金の決算、今後に残された業務の分担など解散に当たっての課題を整理して、夏頃には解散報告会をもち終了としたいと思っています。
これまで救援本部に支援をいただいたみなさんに改めてお礼を申し上げますとともに、今後もそれぞれの立場から被災地を応援していただくことを心よりお願い申し上げます。
●救援物資とボランティア派遣を中心とした1年目の活動
思い起こせば3月11日の大地震が発生して3日後に今は亡き三澤了さんの呼びかけでこの支援は始まりました。
様々な障害者関係団体が集まり「東北関東大震災障害者救援本部(以下救援本部と略す)」が結成されました。
そして支援物資を被災地へ届ける一方、福島、宮城、岩手での支援事務所の開設、東京での原発避難者に向けた避難所作りなどを進めてきました。
全国からも多くのボランティアが駆けつけ、具体的な支援を行いましたが、やはり地元の当事者団体が頑張ってくれたことが支援を有効なものにできたのだと確信しています。
最初の1年間に2億円を超える支援金が必要だったのですが、このお金についても全国の団体が街頭募金をしたり、仲間の安否を気遣ってカンパ金を出してくれたり、障害者支援に理解を示してくれた人が大勢いたことで費用面でさほどの心配をすることなく支援を続けることができました。
とにかく最初の1年間は東京の事務局、大阪の事務局を中心として、様々なメンバーが大忙しでした。
●地元の人を担い手とした2年目からの活動
やがて宮城、岩手に関しては沿岸部に拠点を移し、支援についても地元の人たちへとバトンタッチしていきました。
被災地の仮設住宅は不便なところに建っていることが多く、移送サービスがどこの地域でも重要になりました。
また仮設住宅に車イスを使用している人が入れないことが多く、後付けでスロープを付けてもらったり、砂利道で車イスを押すことも困難だったので、アスファルト舗装をしてもらったりと何かと建物が建ってからの修復が多くありました。
またなんといっても寒い地域での仮設住宅だったので、後付けで風除け室ができ入り口から直接風が入らないようになったり、断熱材を強化したりと、対策はしたようですが、冬になると水道管が次々に破裂したりすることもありました。
ただ冬に暖房をすると湿気が室内にこもるのと部屋の中の結露がひどく、室内にカビが発生する状態で、長引く仮設暮らしには相当無理があります。
以下、次回に続く
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これまで届けた救援金
332,850,649円(2015年3月2日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,642,139円(2015年3月2日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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街頭募金のご報告

昨日今日と、暖かくなってきましたね!
でも、この時期は三寒四温。
気温の変化が激しいので、お気をつけて!!!
さて、3月14日、世間が「ホワイトデー」でウキウキ(?)していた日、
恒例の第二土曜日、なんば街頭募金が行われました。
この日は、寒くて気温も8~9度。
寒さに震えつつ、午後1時から5時まで元気いっぱい呼びかけました。
参加人数は 32人
募金総額 66,306円でした。
4年と一口に言っても、被災地の「被災」はまだ続いています。
皆様からお預かりした貴重なお金は、大事に支援先へ届けます。
参加者、ご協力くださった皆様、ありがとうございました!!!