会議日:2011/4/18
於:大国町 パーティパーティ
【福島県郡山より当事者二人(ミヤシタ・ハシモト)とヘルパーが参加】
<1.郡山の二人より現地状況の報告>
震災直後、3日間は何とかいつも通りヘルパーに来てもらっていたが、4・5日後からはガソリンがなくなり、来れなくなるヘルパーも。遠くから無理して自転車で来てもらったりもした。
あいえるの会では一旦、利用者を一箇所に集めていた。(ヘルパーの数が足りなくなっていたので、現実的にやりくりするため)
現在は自宅に戻ってもらった。
ヘルパーが不足している(原発事故・放射能を危惧して避難していっている。その上、人は新たには入ってこない)
原発の被害がもっと拡がれば、他県に拠点を移動せざるを得ない。(が、やはり地元を離れるのはいやだし、これまで作ってきたあいえるという基盤を残したい)
また、その場合、現地だけでは無理だろう。
ただ、原発問題に対する現地の意識共有・決定はまだ、とのこと。
郡山に戻ってから、皆と議論する。
地元での情報不足はなさそう。しかし、原発問題の渦中の地域なのに、今のところ行政からの情報提供(被爆を避けるためのノウハウなど)は無い模様。
福島は他の被災地とは別で考えてほしい(原発問題)。
災害後、支給量変更あり。だいたい二倍程度に。(例:重度訪問380h→700h)
<2.この間の状況報告>
・内陸部、沿岸部、原発の三つに分けて状況分析
[内陸部]
建物自体の被害は少ない。ライフラインは一応復旧。しかし道路事情はよくない。
沿岸部や原発問題への支援拠点としての役割が期待される。
[沿岸部]
街そのものが壊滅。交通網は一定は改善。ほとんどの人が避難所や孤立した自宅暮らし。漸く状況把握と支援ポイントの捜索
[原発]
被害が更に拡大する可能性があり、避難地域の設定が定まらない。避難が本格化した場合の、その避難への支援の仕方の見極めが必要だ。支援者側のできることできないことも念頭におきつつ。また、支援者の健康被害についても十分に配慮しなければならない。
・被災地障害者センターの現状(仙台・郡山・盛岡)
仙台:被災地障がい者センターみやぎ(4/8設立)
CILたすけっと中心。ボランティア10人ほど
同区内にJDFも支援センターを持つ。
郡山:JDF被災地障がい者支援センターふくしま(4/6設立)
あいえるの会、きょうされんなど。
常駐の人材がいない。
盛岡:被災地障がい者支援センターいわて(4/12設立)
CILもりおか中心。
知福協など精神関連のところとも連携するかも。
その他:
南仙台の山元町に緊急避難所を今週中に設立予定。沿岸部の被災者用の駆け込み寺として。
東北救援本部設立予定。仙台・郡山・盛岡の三つのまとめ役として作りたい。特に沿岸部は県を跨いでいるために三県連携した方が良いだろう。なので、その調整、また、全体のお金の執行についての判断を集約したい。
・後方支援の現状(大阪・東京)など
[街頭カンパ活動の状況(大阪)]
これまで:3/19、3/26、4/9
これから:4/23(なんばビックカメラ前)、5/14(なんば高島屋前)、5/28(未定)
各団体
夢宙センター(3/26から毎週金曜天下茶屋駅前、5月から第1・4金曜玉出駅前)
ぱあとなぁ(なんば)
ODF中河内(関西の各地のJILでいっぱいやってる)
[東京本部]
事務所:救援物資の募集は一旦終了。
戸山サンライズ:避難してた人々は17日に帰郷。避難時の宿泊費などは厚生労働省が出す方向で調整。緊急時に再度避難所として再開できる余地あり。
JDF:政府に対する働きかけ。政府の復興構想会議に福祉関連の人物がいなかったので危機感あり。
ヘルパー不足について:新たに育成する必要性あり。みなしヘルパー(資格なし)または資格取得の簡略化を求めていく。また、被災地でのニーズの掘り起こしが肝要。ヘルパー講座などの開催。
<3.会計>
・現在の基金の集まり状況
東京は東京で資金の調達に目途が立ったので、大阪からの支援は東北直接に。
大阪・東京合計して、現在は1億4千万円。
・予算(4~7月分、拠点充実にむけて)
資金を寄せてくれた方々への活動報告として、7月あたりに大まかな会計報告をする。
・拠点整備費(南仙台の緊急避難所、ほか一ヶ所)
・車の配備(各拠点に軽自動車3台、リフト1台)
・スタッフ経費(東北本部2人、大阪・東京本部4人、東北4拠点16人)
・拠点維持費
・ボランティア支援
・被災作業所事業再建・促進のつなぎ資金
・避難所、後方支援所など(検討)
<4.その他>
4/19からパーティパーティ4人(かきくぼ他)車二台で仙台入り。
仙台に一室(1F)確保したので、送迎活動などの拠点に使用できる。
—次回会議は6/6(月)18:00 パーティパーティ—
—東京の会議は6/1(水)13:00 戸山サンライズ—
被災地のゆめ風基金会員様からNO.19
【4月15日付 山形県山形市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
遅れましたが、4/6山形県庁、山形市役所で障害者福祉担当者と面談したところ、今のところ「特に被害報告もなく、個人相談もなし」とのことでした。
これからは資金的な困難を伴う作業所等の「被害相談があった場合は、貴事務局へ直接電話してみてくれるよう依頼してきました」
私も郊外に住み、個人活動も限度があると感じましたので悪しからず
基金はできるだけ続けます
☆障害者の様子がわかればお知らせください。なんでもかまいません。
皆様の健勝をお祈りします
【4月15日付 埼玉県本庄市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
気仙沼で避難所を見ております。
根こそぎ津波が持って行き、市民の混乱が目の前にあります。
ニーズが毎日変化し、困ることが一定してません。(適切に表現出来ず済みません。)
☆障害者の様子がわかればお知らせください。なんでもかまいません。
障害を抱えている方がどうなっているか判りません。
案じていただいて、大変嬉しいです。頑張ります。
【4月17日付 宮城県仙台市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
“すばやい”ご援助、本当にありがとうございます。
自分自身は被災地とは離れた市街地に移住・勤務しており、逆に被災された方々への直接のお手伝いを行わないまま日々流されている現状です。
ご支援、頭が下がる思いです。
☆障害者の様子がわかればお知らせください。なんでもかまいません。
これまで身近な地域との関わりがうすかったもので、現在も具体的な情報を得てはいません。
ネットワークの皆様の活動、たのもしく感じておりますが、皆様もお体を大切になさってください。
ゆめ風基金事務局長 橘高千秋の現地報告
仙台のCILたすけっと(被災障害者センターを立ち上げたところです)に2日間滞在し、避難所や障害者拠点の訪問活動に同行しました。
たすけっとは地震直後から、200人にのぼる障害者、高齢者に水、食料や介護用品を届けました。
各地からかけつけた10人ほどのボランティアが、連日障害者を探して避難所や、地域を走り回ってます。
避難所は統廃合の時期、規模が大きくなれば居住環境も厳しくなり、要援護者のニーズ調査も整理し直す必要があります。社協、障害者作業所、ケースワーカーなどから支援を求める問い合わせがあり、事務所はてんてこまいです。
写真は
左からたすけっとの井上朝子さん、橘高、名古屋わっぱの正木さん(元神戸人)、たすけっとの豊川さん。
うしろの幕は、神戸在住書家、左右津安輝子さんが書いてくださったものです(朝子さんは人目見るなり鳥肌が立つと激賞)。
ヒデの救援レポート4月18日
〓4月14日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は
85418356円です。
〓支援する団体、個人と金額。新潟被災障害者後方支援障害者センターの立ち上
げ支援金を検討中です。
〓このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ
風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バク
バクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあ
れこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお
使いください。
〓息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、
〓郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
〓東日本大震災救援活動の中のボクの風景。17日、統一地方選挙後半戦が始まり
ました。
ボクは、こんな大震災が起きるとは、夢にも想わず、大阪府豊中市で市会議員選
挙に立候補する、脳性マヒ者で車イス生活を送る、井上やすしさんを応援するべ
く、あまり役立たないのに、選対本部長に祭り上げられました。
大震災後、メチャクチャ忙しい日毎の中、本職の雑誌、そよ風のように街に出よ
うの編集もままならない内に、選挙の幕が上がってしまいました。
労働力としては、なんの役にも立たないボクを除いて、井上さん本人を始めとし
て、沢山の人たちが、勝ちたいのではなく、負けられないから闘う、人権反差別
の選挙戦に突入したのです。
その一人ひとりの健気な闘う姿には、感謝と同時に、頭が下がります。ボクはと
言えば、選挙事務所とゆめ風基金事務所をうろちょろするばかりですから、情け
無い限りです。
被災地では、統一地方選挙実施は、先送りされ、政治的意見が封じ込められたま
まにあります。まぁ今は、それどころではなく、今日、明日の生活が問われてい
るのですから仕方がありませんが、だからこそ、選挙を闘えるボクたちの今を大
切にしたいと思います。その中でも、救援活動をしっかり続けたいと。被災地の
人たちが、平穏な選挙が出来る日の遠からんことを願う風景があります。
〓たびたびお知らせしていました、ゆめ風基金事務所の光景と、牧口代表のイン
タビューのNHKテレビ放送は、すでに、16日の昼の報道番組で放送されました。
偶然、牧口代表と、豊中市の大友さんが観ていて、全国版で比較的長い時間で放
送されていたと、報告がありました。
〓ゆめ風基金に届いた手紙、ハガキの中から。
〓前略、このたびの震災を見るにつけ、心が痛んでおります。そんな中、ラジオ
やテレビで、貴団体の活躍を知りました。私共も、主に知的な障害を持っている
者たちのグループですので、このような災害に直面した場合のことを考えると、
日ごろからの連携の大切さを感じた次第です。
小会も、活動資金を得るためのコンサートを企画しておりましたが、6月に延期
することといたしました。今後、会員の意見をはかって、正式に決定したいと思
いますが、コンサートのうりあげの一部と、会場での募金をさせていただければ
と、思っております。募金箱とリーフレットをお送りいただけますでしょうか。
200名程を集めるコンサートですので、どれくらいお役に立てるかわかりません
が、少しでもと、、と思います。よろしくお願い申し上げます。:かりたすの会、H
〓バクバクの会中四国支部のバクバクっ子、中村天哉さん、人工呼吸器使用者か
ら、バクバクの会副会長の穏土さんを介して、救援金が届けられました。
〓被災地障害者センターみやぎを通して、NPo法人多夢多夢、中山工房から、作
業所被災の修復のための支援要請が来ています。レストランの外部亀裂、内部亀
裂、トイレなどの修復の公的助成までのつなぎ資金とのこと。120万円。早急に
検討します。
〓謹啓、常日頃障害者福祉のために御尽力を賜り心よりの敬意と感謝を申し上げ
ます。さて、この度、東日本大震災におきまして私共のささやかな支援活動とし
て、7日間、横須賀中央駅前にて募金活動を行い、貴基金を通し被災地の障害者
の皆様へ義援金を送ることといたしました。およそ3000名の市民のご協力をいた
だいて、152万円を集めることが出来ました。
私共といたしましては、今後とも尚一層障害者福祉を精力的に進め被災地の障害
者を含めた日本全国の障害者達が人間らしく生きられる社会状況を生み出すため
の一助となれる努力を傾いて参りたいと思っています。貴基金のますますのご活
躍をお祈りし挨拶とさせていただきます。横須賀、たけのこ会自立生活センター、N
〓ゆめ風基金事務局長橘高さんが、被災地仙台から、16日に帰阪しました。18日
に開かれる、被災障害者救援本部おおさかの会合で報告があると思います。併せ
て、15日に開かれた、被災障害者救援本部とうきょうの会合に出席した障大連の
細井さんから、会議結果報告もされる予定です。
〓17日の日曜日に、ゆめ風基金事務所に、阿倍野区の吉岡さん。枚方市の関山さ
んがお手伝いに来られ、ゆめ風臨時機関誌の発送作業をしてもらいました。感謝
です。
〓以上!
ヒデの救援レポート4月15日
〓4月12日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は
80921026円です。4月13日までに、83735666円になりました。
〓支援する団体、個人と金額。新潟被災障害者後方支援障害者センターの立ち上
げ支援金を検討中です。
〓このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ
風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バク
バクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあ
れこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお
使いください。
〓息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、
〓郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
〓大震災救援の中のボクの風景。東電がインターネットで福島原発で働く作業員
を20名募集したところ、あっという間もなく、定員の倍を越す応募者があったそ
うです。賃金は、1日8万円。高額な賃金は、その対価としての労働が、いかに
危険なものであるのかを、示しています。しかしながら、誰かが立ち向かわなけ
れば、原発事故の終息は有り得ないのですから、作業員の募集は、仕方のない矛
盾としてあるのだけれど、特別な訓練や知見を持たない素人の作業員を投入する
のには、首を傾げざるを得ません。これでは、使い捨てと批判されても仕方があ
りません。若者たちの就職難の時代的背景が反映しているのかも知れませんが、
原発事故の前に、立ち尽くしている、震災被災者や、ボクたちにとっては、皮肉
なニュースではあります。PCに向かっている、応募者の表情の揺れている風景が
よぎります。
〓14日、日本ダウン症協会大阪支部のふたりの役員の方が、ゆめ風基金に救援金
を届けにおいでになり、活動情報を交換しました。ゆめ風基金事務所は、人手不
足のままです。お手伝いをお願いします。名古屋の内木さんは、その現状に、
びっくりされて、日にちを延長し、3日間お手伝いをしてくださいました。
〓ゆめ風基金に届いたハガキの中から。
〓拝啓、北国では、春を告げる草花が残雪を割って、顔を覗かせる頃となりました。
北海道のNPoの集まりで、ゆめ風基金さんの活動を知りました。こちらでも支援
の為の連絡会ができたり、いろいろな形での支援の輪が広がっていますが、阪神
大震災でも災害に遭われた弱者の方達への支援を頑張って来られた皆様には、ノ
ウハウを現地で活かして下さる事を願い、募金を募り、わずかですが私達の販売
したものの売り上げの一部を合わせて、今日振り込みさせて頂きました。
現地の支援に行くことも簡単な事ではありません。私達はくらしを見つめ直し小
さくとも、自分たちにできる事で、忘れずに支援を続けて行きたいと思っており
ます。どうぞご健勝で支援の活動をなさって下さい。皆様のご活躍心よりお祈り
申し上げます。NPo法人余市教育福祉村
〓今日は!今日、ギャラリー茶門でライブ出演した中の一人です。私もできるだ
け、東北の地震でのお手伝いができれば良いなと日頃より考えていましたが、な
かなか現地まで行き、支援する事などできないと考えて、私にもできる事があれ
ば、協力したいと思ってます。北海道のケイ
〓わらじの会の友人、新野さんからの被災地風景リポートの抜粋、要約です。〓
浪江町、飯館村、川俣町、二本松市、田村市、三春町など。
〓18時、横川ダムを過ぎ、トンネルを抜けると昼曽根にでる。ナビは、左を示
しているが、立ち入り禁止のバリケードのために右折。時折人家はあるが、明か
りが全くない。トンネルを抜けると、また看板があり、避難地域と書かれてあっ
た。道沿いに時折人家が見えるが、明かりも人の気配もない。
時々、福島ナンバー車とすれ違った。巡回の警察車両もいた。牧場の看板辺り
は、明かりも見えた。歩いている人がいたので、尋ねてみると、この辺りは、原
発のことだけではなく、ガソリンのこともあり、牛の世話をする人、消防のひと
など、どうしても離れられない人しか残っていない。とのこと。話してくれた人
の家族も避難していると。
葛尾村方面への道には,パトカーと警官が待機しており、立ち入り禁止の大きな
サインをするので、引き返した。
21時、川俣町に入る。やはり人家はあっても、人の気配はない。道路もバイロ
ンが置かれているが、陥没やひび割れなどは補修されていない。川俣町役場の辺
りは、住宅密集地で、家の明かりは結構見えた。しかし、コンビニなどは開けて
いない。
22時、二本松市に入る。道路のあちこちに補修の跡が見える。人家にも明かりが
あり、笑い声が聞こえてきた家もあった。
23時、田村市、三春町に入る。コンビニが開いていた。やっと再開したとのこ
と。品物もかなり揃っており、注文すると品物が入ってくるようになったとのこ
と。国産のタバコはまだ種類が少ないが、マイルドセブン系は、一揃えあり、販
売制限もない。外国タバコは、人気がなくってねと店主。そこからは、コンビニ
は、大抵開いていた。車も見かけるようになった。三春町の道路は、トラックの
通行が多いと感じた。船引三春町インター前のガソリンスタンドは、24時間営業
を再開しており、待たずに給油できた。
八幡隆司さん 現地報告会のご案内
大地震から1ヶ月以上たちました。
被災地では まだまだ厳しい避難生活が続いています。
障害者福祉にかかわる社会資源が少なく
都市部では当たり前に利用される福祉サービスがみあたらないことが指摘され
ています。
そのことが救援活動を難しくしている要因とも思われます。
行政や社協の被害も大きく、本来の要援護者救援体制が崩れているところも多
く見られ、阪神淡路大震災の教訓がいかされていないことにつらい思いを禁じ
えません。
このたび、仙台、盛岡で救援活動に携わっている八幡隆司さん(ゆめ風基金理
事)が、一時帰阪しますので 緊急報告会を開催します。
ぜひご参加ください。
とき 4月26日(火)午後6時半~
ところ NPO日常生活支援ネットワーク
「パーティ・パーティ」(大阪市営地下鉄大国町すぐ)
大阪市浪速区敷津東3-6-10
TEL・FAX 06-6649-0455
辛淑玉からお知らせです。「惨事ストレスとメンタルケア」 馬垣理事
転送ですが、何かの役に立てばと・・・・
馬垣安芳 さま
ご無沙汰いたしております。
東日本大震災に派遣される(または、支援に行く)公務労働者のために、自治労と一緒に「惨事ストレスとメンタルケア」のマニュアルを作成しました。
弊社のHPからダウンロードできます。
香科舎ウェブサイト
ダウンロード先リンク
http://www.shinsugok.com/research/images/stress_and_care.pdf
呼びかけ人の李政美さんが宮城ツアーをされます
4月23日(土)・24日(日)
宮城ツアー
4月23日(土)
16:00~ 歌津中学校体育館(宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前123/0226-36-2019)
4月24日(日)
13:00~ 唐桑小学校(宮城県気仙沼市唐桑町明戸208-6/0226-32-3142)
サポート 矢野敏広(ギター、マンドリン)
問合せ オフィスとんがらし
「宮城には22日の夜出発する予定です。
23日の午後4時から南三陸町の歌津中学校、24日午後1時から気仙沼市唐桑小学校でコンサートを開きます。
それ以外に、小さな避難所や学校などで飛び込みで歌えたらいいな、と思っています。
きっと、たくさんのことを学ばされて帰ってくるとおもいます。」
いわて調査から帰っての雑感として わらじの会
「それはどこに収まるのか?」
そんな事を帰ってきてからつらつらと考えています。今、”被災”という東日本の人たちが共通に抱える”日常”からはみ出してしまった障害者はいったい新しく再生していく街のどこに収まっていくのだろう。そんな思いが埼玉に帰ってきてから、わらじの人達と会うたびに強くなっています。
東日本の太平洋岸全域といっても過言ではない、沿岸400kmを越える莫大な被害。それは東北の街の光景を一変させていました。
そして岩手の調査を始める中でなかなか見えてこない障害者の姿。
それは例えば陸前高田においては市内の障害者施設そのものが大きな社会福祉法人を中心として成り立っており、早い時期に入所型の施設に家族なども含めて避難したという状況の中で一般の避難所から障害者の姿を遠ざけた一つの要因でした。また、例えば宮古においては、やはり行政が早い時期に老人施設に短期的な障害者の受け入れを開始した結果でもありました。
うがった見方なのはもちろん承知です。そしてまず難を逃れる為に尽力した人達を悪く言うつもりは毛頭ありません。文字通り、情報だけに右往左往する行政に頼らず、自分たちの手と足と目と耳で、障害を持つ人達を確認していった現場のみなさんには頭が下がるばかりです。
しかして、この状況はうがった見方をすれば今の状況は非常に危ない状況でもあるといえるとも思うのです。
今、”被災”という街の形の中に障害者がいないこと。”避難所”という東北の沿岸部の人達にとって当たり前の暮らしである日常の中に、障害者がいないこと。これが気になるのです。
いつ障害者たちはこの街に帰ってくるのでしょうか。全てのインフラが整い、安全だというじゅうたんが敷かれるまで彼らは避難を続けるのでしょうか。ましてや危ないからという優しさの論理で、自分たちの街だとしても、障害者は柔らかくオミットし続けられるのでしょうか。
奇しくもこの地震が起こったとき、そしてカンパ活動を始めるにあたり、ゆめ風さいたまでは従来のビラに手を加えさせてもらいました。それは今まで使っていた「被害を受けた障害者の救援を!」という部分を「被災した障害者と、共に生きる地域の救援を!」という形に変えさせてもらった部分です。そして本文の中では既に支援を始めていた仙台のCILたすけっとの姿を借りながらこう書かせてもらっています。
確かに車椅子に乗っている。
たぶん走っていってガレキの下から人を引っ張りだすことは難しい。
しかし今彼らは1000年に一度という未曾有の災害が通り過ぎた街で、ましてや未だ続く人災としての原発事故の被害の中で、事務所を開け、被災した障害者やそうした災害弱者と呼ばれる人たちのために奮闘しています。
これは障害者が暮らす街の姿が、もちろん障害者だけでなく、街の人たちや風景や産業や、土地の様々なものとの関係性の中で成り立っているからです。そして少しずつ少しずつ、爪で削り取るように剥ぎ取られるガレキや、本当にかすかにではあるものの”生活”を取り戻していくであろう街の中には、避難所にすらいることの無い障害者はなかなか混じっていく事が難しいのではないかと考えるのです。
それはこれだけノーマライゼーションと叫ばれる世にあっても、その土地なりの成り立ち方や、例えば障害が無くとも厳しくつらい冬の暮らしの中で、例えば養護学校を卒業し大規模型の施設に行くことが、障害者の生活の一つの類型であるという現実もあっての話です。
この圧倒的な被害にとって人ができる事など本当に些細な事です。でもその繰り返しはきっと復興を為し得るでしょう。ならば、障害者の力が脆弱だから、役に立たないからと笑われるとしても、それは被害を撥ね退けようとする自分の顔につば吐く事と同じようなものだともいえるでしょう。
障害者は弱い。だからこそ私たちはネットワークを密にしてきました。だからこそ私たちは色々なやり方で街との関わり方を模索してきました。
障害者だからできること。
今、とても大事な事ではないかと考えます。
そしてその姿を発信し、アチコチで小さくても街を作る営みの中に混じっていく事。ひょっとしたらそんな中にいつか避難から帰ってくる障害者たちの居所が見えるように思っています。
そしてそうした小さな実験を街の中に作っていくお手伝いを、アチコチの仲間がアイディアベースで、またネットワークを生かした販路の一つなどとして手伝っていけることはこれからの一つの支援の形であると考えています。
考えようによっては莫大なガレキの下には、手付かずの新しい街の地図が埋まっているのかもしれません。ゆめ風でかつて牧口さんが「防災は地域と障害者がつながるにはええネタなんや」と言っていたことをよく思い出します。
ゆめ風の根本的な考え方である「地域で共に」という考え方と共に、”損して得取れ”ではないですが、大きく被災して”大損”したそのはるか先に、ひょっとしたら今までの地域性などの限界を越えた”得”があるようにも、むしろ”得”を得たいという願望と希望とまぜこぜになりながらも考えたりもしています。
被災地のゆめ風基金会員様からNO.18
【4月14日付 福島県福島市】
☆近況をお知らせください。何かお困りのことがありましたらお知らせください。
お見舞いありがとうございます。
福島市は海から65km位離れていますので、つなみ等の被害はありませんでした。3/22迄にはライフラインも復旧しました。ただ原発の先が見えませんので、心が定まりません。