「それはどこに収まるのか?」
そんな事を帰ってきてからつらつらと考えています。今、”被災”という東日本の人たちが共通に抱える”日常”からはみ出してしまった障害者はいったい新しく再生していく街のどこに収まっていくのだろう。そんな思いが埼玉に帰ってきてから、わらじの人達と会うたびに強くなっています。
東日本の太平洋岸全域といっても過言ではない、沿岸400kmを越える莫大な被害。それは東北の街の光景を一変させていました。
そして岩手の調査を始める中でなかなか見えてこない障害者の姿。
それは例えば陸前高田においては市内の障害者施設そのものが大きな社会福祉法人を中心として成り立っており、早い時期に入所型の施設に家族なども含めて避難したという状況の中で一般の避難所から障害者の姿を遠ざけた一つの要因でした。また、例えば宮古においては、やはり行政が早い時期に老人施設に短期的な障害者の受け入れを開始した結果でもありました。
うがった見方なのはもちろん承知です。そしてまず難を逃れる為に尽力した人達を悪く言うつもりは毛頭ありません。文字通り、情報だけに右往左往する行政に頼らず、自分たちの手と足と目と耳で、障害を持つ人達を確認していった現場のみなさんには頭が下がるばかりです。
しかして、この状況はうがった見方をすれば今の状況は非常に危ない状況でもあるといえるとも思うのです。
今、”被災”という街の形の中に障害者がいないこと。”避難所”という東北の沿岸部の人達にとって当たり前の暮らしである日常の中に、障害者がいないこと。これが気になるのです。
いつ障害者たちはこの街に帰ってくるのでしょうか。全てのインフラが整い、安全だというじゅうたんが敷かれるまで彼らは避難を続けるのでしょうか。ましてや危ないからという優しさの論理で、自分たちの街だとしても、障害者は柔らかくオミットし続けられるのでしょうか。
奇しくもこの地震が起こったとき、そしてカンパ活動を始めるにあたり、ゆめ風さいたまでは従来のビラに手を加えさせてもらいました。それは今まで使っていた「被害を受けた障害者の救援を!」という部分を「被災した障害者と、共に生きる地域の救援を!」という形に変えさせてもらった部分です。そして本文の中では既に支援を始めていた仙台のCILたすけっとの姿を借りながらこう書かせてもらっています。
確かに車椅子に乗っている。
たぶん走っていってガレキの下から人を引っ張りだすことは難しい。
しかし今彼らは1000年に一度という未曾有の災害が通り過ぎた街で、ましてや未だ続く人災としての原発事故の被害の中で、事務所を開け、被災した障害者やそうした災害弱者と呼ばれる人たちのために奮闘しています。
これは障害者が暮らす街の姿が、もちろん障害者だけでなく、街の人たちや風景や産業や、土地の様々なものとの関係性の中で成り立っているからです。そして少しずつ少しずつ、爪で削り取るように剥ぎ取られるガレキや、本当にかすかにではあるものの”生活”を取り戻していくであろう街の中には、避難所にすらいることの無い障害者はなかなか混じっていく事が難しいのではないかと考えるのです。
それはこれだけノーマライゼーションと叫ばれる世にあっても、その土地なりの成り立ち方や、例えば障害が無くとも厳しくつらい冬の暮らしの中で、例えば養護学校を卒業し大規模型の施設に行くことが、障害者の生活の一つの類型であるという現実もあっての話です。
この圧倒的な被害にとって人ができる事など本当に些細な事です。でもその繰り返しはきっと復興を為し得るでしょう。ならば、障害者の力が脆弱だから、役に立たないからと笑われるとしても、それは被害を撥ね退けようとする自分の顔につば吐く事と同じようなものだともいえるでしょう。
障害者は弱い。だからこそ私たちはネットワークを密にしてきました。だからこそ私たちは色々なやり方で街との関わり方を模索してきました。
障害者だからできること。
今、とても大事な事ではないかと考えます。
そしてその姿を発信し、アチコチで小さくても街を作る営みの中に混じっていく事。ひょっとしたらそんな中にいつか避難から帰ってくる障害者たちの居所が見えるように思っています。
そしてそうした小さな実験を街の中に作っていくお手伝いを、アチコチの仲間がアイディアベースで、またネットワークを生かした販路の一つなどとして手伝っていけることはこれからの一つの支援の形であると考えています。
考えようによっては莫大なガレキの下には、手付かずの新しい街の地図が埋まっているのかもしれません。ゆめ風でかつて牧口さんが「防災は地域と障害者がつながるにはええネタなんや」と言っていたことをよく思い出します。
ゆめ風の根本的な考え方である「地域で共に」という考え方と共に、”損して得取れ”ではないですが、大きく被災して”大損”したそのはるか先に、ひょっとしたら今までの地域性などの限界を越えた”得”があるようにも、むしろ”得”を得たいという願望と希望とまぜこぜになりながらも考えたりもしています。