障害者救援本部東京のスタッフの福島現地レポートです。
今後も可能な限り、現地レポートを送って欲しい、とのご意見をいただきました。
現地は、情報発信する余力がないと思いますので、見聞きしたことを事務局から発信していきたいと思います。
今回、福島県のCILを訪問して支援の状況などをお伺いしましたがその中で聞いたお話について、「個人情報に配慮した形であれば紹介可能」との了承をいただきましたのでご紹介します。
原発から20キロ圏内で「避難指示」が出ているある地域から60代の重度脳性まひの女性が、県外に避難中のある自立生活センターを頼って避難してこられました。
その女性は、親の反対で教育も福祉サービスも受けることもできず親元でずっと生活してきました。彼女の障害者年金は、その家のリフォームや弟の車の購入などにあてられていたとのこと。
車の名義は、自動車税が免除になるため、彼女の名義となっていましたが一度もその弟の車には乗ったことはないそうです。
今回、「避難指示」が出たため弟夫婦と避難所に避難しましたがその市には福祉避難所がなく、トイレに行くにも支障があったそうです。
最初のうちは、弟が頑張って介助をしてくれていたそうですが、弟もこの先どのくらい続くか分からない避難生活の不安の中、彼女の介助をし続けることを断念し、今回、人づてに県外のホテルに避難中のCIL職員を頼って避難してくることになりました。
ガソリン不足の中、自らも避難生活をしているCIL職員が数十キロ離れた避難先まで、リフトカーで彼女を迎えに行ったそうです。
彼女は、今まで自宅で 、一週間に1回、弟の奥さんがまとめてつくるおにぎりを毎日レンジで温めて食べるのみだったそうです。身体の調子が良い時に、たまに電動車いすでコンビニで好きな食べ物を買うことだけが他の物を食べられるチャンスでした。
今回、県外の避難先で、数十年ぶりに温かい味噌汁を口にすることができたそうです。あわてて避難してきたため、電動車いすを持ってきておらず、県外で避難生活中のCIL職員が、彼女の電動車いすの交付手続きをしたり、介助を提供したり、他人介助を受けることについて相談に乗ったりしてくれています。
これは一例で、自らも被災したり、避難生活を送りながらも、現場でふんばってくれているCIL職員や介助者、支援者がたくさんいます。そのような方たちに、何と言っていいのか分かりませんが、ただただ感謝の思いでいっぱいです。今回の災害で、もともと自立生活を送っていた障害者が、避難所での生活を断念し、県外の親元に戻った障害者もいます。
また、このような状況下で、家族に対して「申し訳ない」と肩身の狭い思いをして、小さくなっている障害者の話も伺いました。
障害者が主体的な生活を取り戻すには、本当に息の長い支援が必要だと感じます。