ヒデの救援レポート:2012年11月26日№97

ヒデの救援レポート:2012年11月26日№97
★【hideの70歳の「闘争宣言」】その6
・今に至る記憶
70年代後半から、80年代前半は、まさに、分秒刻みの障害者市民世界は、激動だった。
hideも、西に東に、駆けずり回っていた。
その中で、それまで個別に、課題別にバラバラに活動、運動をしていた、
全国各地の障害者団体が、「解放」の理念の下に、結集の動きが強まっていた。
その動きを推進したのが、全国青い芝の会の横塚さん、
障害者解放委員会の楠さん、
フリーハンドの八木下さんだった。
何回かの会議が、その頃、まだ、ガランとしていた、新大阪駅構内の喫茶店で持たれ、
hideも同席させてもらった。
結成大会は、暑い夏の最中、バリアだらけの、大阪市立大学で行われ、
全国障害者解放運動連絡会議「全障連」が結成された。
それも新左翼各党派の付録つきで。
現在は、新左翼の姿は無い。
初代の代表者には、横塚さんが選出された。
ただ、残念なことに、全障連の行動綱領を巡って、議論百出し、
全国青い芝の会は、1年で全障連を脱退してしまった。
hideたちの上映事務局は、現在の【障害者問題資料センター「りぼん社」】に移行して、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」創刊に至り、現在につながっている。
その後、青い芝の会も、全障連も、時代の動向の下、離合集散を重ね、
解放運動の質と量を繰り広げてきた。
hide自身は、りぼん社に席を置き、運動で出来た借金返済のために、
トレーラー運転手になった3年間を除いて、40歳代前半、この頃に、
ゆめ風基金代表理事の牧口さんとの交流が生まれ、それからは同行ふたりの関係。
50歳代、60歳代を、大阪北部の街、箕面市に住みつき、人権運動に関わってきた。
残念を通り越して、無念なことは、青い芝の会の全障連脱退後、
hideのお師匠さんとも言える、横塚さんが、癌のために、42歳で他界されたことだ。
17年前、阪神淡路大震災が起こり、hideは牧口さんと共に、ゆめ風基金を設立することになった。
その推進力になったのは、各地で、それぞれに、自分たちの世界を構築していた、浅からぬ交流があった、障害者団体や、障害者仲間だった。
そして、2011年3月11日、東日本大震災。
まだまだ、hideたちには、つながるチカラ、明日を考えるチカラが求められている。
hideもヘロヘロながら、70歳にして、闘争宣言を発して、
生きるように死ぬまでの残された時間を、ひととして闘いますので、
みなさんには、よろしくお付き合いをお願いします!
以上、hideの闘争宣言、オシマイ
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連:   2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、
バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い「吾亦紅」と咲くのです。


・カフェ「地球村」オープンのお知らせ
皆様、こんにちは!工房地球村です。
工房地球村への日頃のご支援に対しまして、改めて御礼申し上げます。
さて、このたび工房地球村、敷地内にて「カフェ地球村」がオープンします!
山元町が復興を目指す中、私たちの出来る事で、復興の活動に参加したいと考え、
お世話になった方々や地域の方々へのご恩返しとして「ほっ」と出来る
癒やしの場を提供できたらと思い、カフェを作ることにしました。
工房地球村の仲間たちの思いがつまったカフェ地球村を
今後も、工房地球村共々、応援下さいますよう、どうぞよろしくお願いします。
工房地球村一同
2012年11月15日(木)オープン!
営業時間:午前10時~午後3時
休業日:日曜日、月曜日、祝日
場所:山元町共同作業所「工房地球村~敷地内」
(宮城県亘理郡山元町真庭字名生東75-7)
お問い合わせ:工房地球村 TEL0223-37-0205
メニューは、コーヒー、紅茶、工房地球村のお菓子、その他もろもろお楽しみに!


【河北新報の記事】
「被災者 今より『地域を元気にしたい』】

桜井光君(11才)
「海近くにあった自宅が、津波で流されました。家族と内陸部のアパートで暮らし、
教室がある東宮城野小まで20分ぐらいかけてバスで通学しています。
震災から1年以上たち、少しずつ慣れてきました。
今頑張っているのは、仙台の全校で進めている「故郷・ふるさと・復興プロジェクト」。
地域が元気になるために自分たちができることを探り、実行する取り組みです。
まずは、あいさつなど気軽にできることから始めようと思います。
自分たちが元気だと、周りの大人たちも笑顔になってくれるように思います。
休みの日に時々、自分が住んでいた荒浜の海を見に行きます。
あの海は好きだけど、あそこに人は住んでほしくない。
危ない場所だからです。
正しい復興の方法を、みんなで考えてほしいです
『障害者支援 輪を広げて』和山栄輔さん(35)
仙台市太白区長町1丁目 障害者自立支援団体「CILたすけっと」事務局長
「住んでいたマンションが地震で被害を受け、近所の体育館に一時、身を寄せました。
脳性まひがあるため、避難する際は大変でした。
一緒に避難した仲間や支援者の支えが身に染みました。
5月に「たすけっと」の事務局長に就任しました。
重責を感じています。
震災で生活が困窮したり生きがいを失ったりした障害者がいないか、とても心配です。
健常者にも助け合いの輪を広げながら、気軽に相談してもらえる事務所の雰囲気づくりを目指しています。
復興をめぐる議論に、不満があります。
テレビの国会中継を見ていても、物事が前に進んでいる感じが全くしない。
政治家は、被災地の声を本当に聞いているのでしょうか。
地震前より住みよい環境をつくるぐらいの気持ちで、政策づくりに臨んでほしいです。」
ヒデの救援レポート:2012年11月26日№97 以上

街頭募金報告

千夏行ってきました!
紅葉がきれいな季節は短く
寒い冬が訪れようとしています。
そんな中、11月10日
なんば高島屋前にて30回目の
街頭カンパが、行われました。
協力人数   28人
基金額  83,784円
(累計募金額
   2,761,819円)
新人事務局員 福本も二度目の参加
今回も、みなさんに温かく迎えていただきました。
前回は真夏の照りつける太陽の下でした。
あの時は、ビラをもう少し受け取っていただけたような・・・。
日か落ちる頃、一瞬の微風とともに
募金箱にチャリーンと音がする感動。
心躍る初体験でした。
ですが、人って、寒くなると手が数ミリ縮まるようでして
ちなみに、脳性まひの私は、秋風がひとふきした今から春一番がくるまで
手足が亀のごとくちぢこまりますが(・_・;)。
張り上げた声は、届いていると信じて
寒さに全身を震わせながら、みんなで募金箱を持っておりました。
自分の意思とは関係なく、時折車いすの上で横を向く私。
募金をして、足を止めず、一瞬で立ち去る人の後ろ姿はあたたかかった。
 
ありがとうございました。
これからも、ご支援よろしくお願いいたします
                          ゆめ風基金事務局員    福本千夏

ヒデの救援レポート:2012年11月19日№96

【hideの70歳の「闘争宣言」その5】
○今に続く記憶
さぁ~やってくるぞとhideが身構える新大阪駅&事務所に詰めかけている、障害者世界の新人達。
その眼前に姿を現したのが、日本脳性マヒ者協会・神奈川県連合会の横塚晃一さんだった。
横塚さんは、駆け寄ったhideに、軽く挨拶をして、ひょこたん、ひょこたんと歩き出した。
階段にさしかかると、手にした風呂敷包みで、バランスを取りながら歩く。
途中で、hideがその風呂敷包みを持ちましょうと手を出すと、横塚さんは、
ぐらりとバランスを崩し、危うく、階段から転げ落ちそうになった。
その夜、横塚さんは、優しい言葉だったが、凛とした口調で、hideにお説教。「河野さん!」
(横塚さんの方が年上なのに、横塚さんは、終生、hideのことを、そう呼んだ)
「ボクは、誰かの支えが必要な時は、ボクがそのことを伝える。
ボクの意思を無視して、ボクのことに手を出さないで欲しい。
小さなことだけど、障害者の人権にとっては、大切なことなんだよ。」と。
hideは、心底から恥じた。
本当に、事の本質を理解していない自分を恥じた。
さぁ、それからは、右の眼が左に回り、左の眼が右に回るような、
多忙という単語では、表現できない日常が展開した。
毎夜、横塚さんを囲んだ、若い障害者たちの学習会。
各地から要請がある「さようならCP」の上映会に、横塚さんと、若い障害者がひとり。
hideは、送迎、介護、映画上映の映写技師、フィルム担ぎ役と、人手の無さを嘆くばかり。
その合間に、新しい上映先探しなんだから、自宅に帰る時間は、爪の垢ほどもなく、
連れ合いの保子さんから、ずいぶんとなじられたものだった。
そんな時期が3ケ月ほど続いたが、その動きの中から、若い脳性マヒ者の塊が生まれて、
横塚さんの代わりに、上映会で話をするひとも台頭してきたが、その大部分が、
兵庫県姫路市出身だった。
この塊が、「さようならCP」上映運動から生まれた、映画「カニは、横に歩く」の
制作、上映会運動につながり、
その後、自立障害者集団・グループリボン&自立障害者集団友人組織・グループゴリラにつながり、
またまた、その後、日本脳性マヒ者協会・関西青い芝の会連合会の大阪、兵庫県、京都府、滋賀県、奈良県、和歌山県の各青い芝の会につながった。
そして、さらに、全国障害者解放運動連絡会議結成に連なる。
時あたかも、優生保護法改悪阻止闘争も同時進行中の、1973年から、76年頃の、hideなりの激動期だった。とにもかくにも、上映実行委員会を、健全者不足のために、上映事務局に衣替えして、縮小し、それなりに、必死の形相で、東は、金沢、西は、長崎の全国転戦。
hideは、横塚さんと行脚して回る一方、事務局に集まった50名を超える障害者の介護役。
なんせ、健全者は、5名から、10名未満しかいないのだから。
その上に 、優生保護法改悪阻止闘争が収束にさしかかると、次には、
79養護学校義務化阻止や、障害の無い子どもを産む運動対決、
和歌山県福祉センター闘争、バスに車イスで乗る運動、車イスの教師を創る運動、
79養護学校義務化阻止を挟んだ、個別の就学運動などが渦巻いた70年代後半から、80年代。
79養護学校義務化阻止共闘会議や全障連結成、青い芝の会関西連合会・全国連合会結成などの姿が
ちらちらと見えだしていた。
そんな状況の中で、hideは、就学運動を成し遂げた、偉大なポン友・八木下浩一と知り合った。
続く。
【兵庫の遊び雲の通信機関誌「こんちくしょう」133号より転載!
連絡先:TEL、0798-75-6340
FAX:0798-75-6341
「被災地・福島、原発被害に対して行動を起こしたい!」福永年久
・7月29日、東京の日比谷公園に着くと、あちこち10ケ所位から怒号が聞こえてくる。
公園に入ったが、人だらけ。
約束していた友人を探しても、人が多過ぎて見つからない。
そうしているうちにデモ行進が始まった。
もう1人約束していたテレビカメラマンのM君とはデモの最中に出会う事ができた。
人の数が多く何が何やら分からなかったが、とにかくデモ行進には参加した。
帰って来てから参加者の人数が分かりビックリ。
何と20万人もの人々が参加していたのです。
福島で何が起きているのか?
津波と原発被害により避難所を転々とさせられ多くの障害者や高齢者が亡くなり、
現在も福島県は人口が減少している。
友達も家族も町もバラバラにさせられ、避難した人も留まっている人も、
みんな先が見えない。
東京電力への損害賠償を求める裁判だけでなく、福島の子どもたちの集団疎開を求める裁判も
9月に始まった。
しかし、マスコミはこのような現状を一切報じようとしない。
「NPO法人 ゆめ風基金」からも福島の子どもたちや障害者を、
沖縄で避難場所を確保できるようにできないかと要請があり、
10月9日から沖縄に行き、HKさんにお願いに行きます。
無念の中で亡くなった障害者や高齢者、この人たちの怨みをはらさんでおれるか。
何とか原発を止める行動を起こしていきたい。
障害者の仲間や子どもたちを放射能から守る取り組みをしているお母さんたちとも相談して
取り組みを考えていきたい。
M君と相談して取り組みを映像化して社会に訴えていける映画を作って行きたい。
また、遊び雲でも案内ビラにあるように、
11月24日(土):西宮市勤労会館で集会を行います。
皆さんのご協力をお願いします!


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、
バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【東日本大震災救援活動の中のhideの風景】
被災障害者救援本部・おおさかの統一街頭カンパ活動報告!
毎月の第2土曜日・午後1時~5時に、大阪、難波、高島屋前で行われているカンパ活動。
2011年=18回
2012年=11回。
直近の10月13日には、参加者、37人。
カンパ額は 、104,803円。
累計で、  2,678,035円となりました。
皆さんの、ご参加をお願いします!
以上。
【ヒデの救援レポート:2012年11月19日№96】

11月12日、三重県立松阪工業高校へ!

★事務局員:長崎 圭子が、以前に講演会をさせて頂いた、三重県立松阪工業高等学校さんの文化祭が11月12日にありました。
なんと!
うれしいことに!
1教室をまるまる使って、ゆめ風基金の紹介~パネル展示や募金活動などをしてくれることに!
生徒さんからの提案だそうで、これは、ちょっとお邪魔してみようと思い立ち、行ってきました!
まずは…
PTAのお母さんたちが作る「親の家」の牛丼でお腹を満たし…
(さすが松阪牛!柔らかくておいしくいただきました!)
その後、校内を生徒さんたちが案内してくれました。
講演会からおよそ3週間、文化祭ということもあって、校内は大賑わい(●^o^●)
卒業生や保護者がわんさか~
電動車いすで歩いていると、
「ポテトどうそ!」
「飴ちゃんもどうぞ!」
食べ物の誘惑に弱い私、ありがたく頂戴し、うろうろ。
日頃の勉学の成果発表あり、バンド演奏あり、この日のために作った「へちま化粧水」の販売あり~。
おお~青春だあああああ!と年のいった新人事務局員:長崎 圭子は、わが子の成長を見守る母の気分に少し浸りながら、足早に展示を見て回り…
ゆめ風基金の展示をしてくれているのは「解放研」という部で、部員は4人。
この日のために、手書きで、ゆめ風基金の紹介文やパネル展示のために、毎日何時間も放課後に残って準備し、
当日は、募金活動などをしてくれたのです。
教室に入ってみると…
四方の壁は、模造紙いっぱいに書かれた「ゆめ風基金」の基本情報などでびっしり埋め尽くされています!
何度も読み込んでくれたのでしょう。
防災ハンドブックや提言集の中から、要点を抜き出して、来場者にわかるよう、
丁寧に書いてくれています。
こんなんええやん
こんなんええやん2
パネル展示のご依頼をいただいたのが、文化祭の10日ほど前です。
一気に準備してくれたその勢い。
何より、生徒さんが、自発的に、
「ゆめ風のことを取り上げたい」と言ってくださったことがうれしくて…
一語一語の文字を見た瞬間、鳥肌がたち、また、嬉しい涙が…
パネル
ゆめ風基金のこれまでの歩みが、一目でわかるようになっています(私はまだ入ったばかりですが)
東日本大震災で障害者がどう生き抜いていったのか、そのパネル展示もしてくれ、
教室内では、2005年に制作した、ゆめ風基金の応援歌「風と夢」「伝えてください」のCDがずっと流れています。
(作詞:永 六輔+谷川俊太郎/作曲:小室 等/編曲:川崎真弘・敬称略)
その歌詞も手書きです!
歌詞
写真を撮っているかたもいたそうです。
本当に…
沁みました。
先生と僕たち
解放研の川合先生、田中さん、岡本さん、
他の部員さんもお疲れさまでした。
障害者も地域で生きていて、災害時にどれだけ大変なことになるか、
想像してくれて、ありがとうございました。
ゆめ風基金を知ってくれて、広めてくれてありがとうございました。
みなさんの思いは、確かにお預かりしました。
これを次へとつなげていけたら…
その思いを強くした文化祭でした。
心からの感謝をみなさんに!
(文責:長崎 圭子)

hideの救援レポート:2012年11月12日№95

hideの救援レポート:2012年11月12日№95
★またまた、自分勝手約束の、hideの70歳の「闘争宣言」が、ぶっ飛びました。
集い告知の日程が迫っていたのが原因ですが、すんまへんでしー!
民主党野田政権を揶揄していましたが、hideもザマーアありません。
ここで、またまたのお約束。
「近いうちに脱稿いたします」笑けますねぇ!
その内、離脱が続いて、自然崩壊かも?


★hideの畏友のおひとり、大阪府吹田市にある「千里寺の住職:武田達城さん」が発行している「寺報・如是~第840号」からの抜粋
連絡TEL:06-6384-0747 FAX06-6385-8950
【念仏を主とし、煩悩を客人として】
前略 沖縄の友人の住職から8月4日の「琉球新報」が送られてきました。
内容は「8月5日の県民大会・オスプレイ問題別刷り特集」です。
大阪との温度差を痛感します。
先日、沖縄県知事を先頭に、あれだけ反対をしているにもかかわらず、
アメリカ軍は12機のオスプレイ配備を強行しました。
沖縄における、戦後アメリカ空軍機の墜落事故は47件を数えます。
今から55年前、茨城県東海村と同時に茨木市の安威川上流に原子炉建設計画が浮上しました。
京都府宇治の計画が変更されたのです。
宇治川が汚染されれば、その下流の大阪市民500万人の生活に影響するが、
茨木市民5万人なら「何とかなる」という説明でした。
「何とかなる」の意味を質問すると
「それは答えられない」というものでした。
市民は、物理学者の武谷三男氏を招いて勉強会を開催し、市長、市議会、自治会、各市民団体が連帯して反対運動を展開し、計画を撤回させました。
このたびのフクシマで「何とかなる」の答えが出ました。
汚染圏内の住民を追い出せばいいのです。
本願の念仏を申しながら生きることは、苦悩を離れて安らかに過ごすことではなくて、
いろんな問題から逃げずに、立ち向かっていくことかも知れません。
あまり力みすぎずに、肩の力を抜きながら。
2012年10月中旬・住職
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
台風12号関連    2,942,828円。
フィリピン洪水関連、1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、
「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
【ふたつの集いのお知らせ!?】
●シンポジウム
「災害時における個人情報の適切な取り扱い~高齢者・障がい者の安否確認、支援、情報伝達のために」
・主催・日本弁護士連合会・近畿弁護士会連合会・大阪弁護士会
連絡先:池見さん 06-6364-1248
日時:2012年11月20日(火)午後1時30分から5時まで
場所:大阪弁護士会2階ホール
参加費無料
交通:地下鉄御堂筋線、淀屋橋駅下車、天満警察署隣り
2011年3月11日に発生した東日本大震災では「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」(内閣府)に従った要援護者台帳の作成や運用が不十分であったことや、自治体の有する高齢者、障がい者等の安否確認や個別の支援に重大な遅れが生じ、多くの犠牲を生み出しました。
また、広域にわたる避難者の支援にあたっても、避難者情報の開示が大きな課題として浮かび上がっていす。
このような東日本大震災・福島第1原発事故における実態を踏まえ、日弁連では、
2011年6月17日付けで「災害時要援護者及び県外避難者の情報共有に関する意見書」を出しましたが、
本シンポジウムでは、近いうちに発生が予想されるといわれている大規模災害等に備えるために、
この意見書で提案した内容の各地方自治体での実現を目指し、自治体や福祉関係者と一緒に、
災害時における高齢者・障がい者等要援護者情報や広域避難者の情報の適切な扱いについて
議論・検討します。
さらに、各自治体における自発的な取り組みに役立つよう、具体的な取り組み方法や
ガイドライン案の提案をいたします。
「基調報告」~東日本大震災における災害時要援護者や被災者の個人情報の取り扱いについて
・青田由幸氏(NPO法人「さぽーとセンターぴあ」代表理事
・鳥井静夫氏(東京都産業労働局)
・山本和広氏(岩手県大阪事務所)


●パネルディスカッション
「災害時における要援護者や被災者の個人情報の取り扱いについての問題点、適切な取り扱い、課題等」
・被災地福島の原発放射能漏れ汚染による被害の現状~障害者・子ども・女性
ゲスト
・白石清春さん(被災地障がい者センターふくしま代表)
・黒田節子さん(子供たちを放射能から守る福島ネットワーク)
日時:2012年11月24日(土)午後1時半より4時半まで
会場:兵庫県西宮市勤労会館第8会議室
連絡先:NPO法人障害者生活支援センター遊び雲
電話 0798-75-6340
・震災から1年半が過ぎました。
9月11日、福島県の子どもたちの甲状腺検査結果で重大な発表がありました。
東京電力への損害賠償裁判だけでなく、福島の子どもたちの集団疎開を求める裁判も始まりました。
マスコミでほとんど報じられる事のない「福島」の「原発被害」。
私たちは、声高に「原発反対」と叫べなくとも、「原発も必要なのでは」と思っている人も、
まず福島の人達が生きる現実を知る事~福島で暮らす、障害を持つ人たち、子どもたち、女性たちが生きる現実を、その苦しみを、その声を聞き知らなければならないのではないでしょうか。
今回、東日本大震災直後から現地福島で障害者救援活動に取り組んで来られた、「被災地障がい者センター・ふくしま」代表の白石清春さん、そして「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の黒田節子さんをお招きして、集会を開催します。
多くの皆さんの参加お願いします。
hideの救援レポート:2012年11月12日№95  以上。

11月23日、来てください~!

みなさま
いつもご支援ありがとうございます!
ぜひ、お越しいただけたらというイベントがこちらです!
11月23日(金・祭)11時~17時
「ずっと続けていく被災障害者支援 東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」
ちらし
☆昨年11月、今年の3月に続き第3回目になります。
会場は長居公園です。
阪神淡路大震災を経験した関西の障害者ネットワークだからこそ、
息の長い支援を行おうと、一同張り切っています。
模擬店、バザーのほか
被災地障害者センターの障害者、支援者も参加し、報告会も行います。 
8月に12日間、障害者たちが沿岸部150キロを歩いた「みちのくトライ」報告もあります。
東北から関西に避難しておられる方々も多数参加されます。
弁護士による法律相談や福祉の仕事相談もあります。
趙博さん、加納浩美さんによるライブもあります。
記事にしていただければ大変ありがたいです。
<被災から参加してくれる障害者のみなさん>  
被災地障がい者センター宮古  伊藤明美さん 
被災地障がい者センター南三陸 
被災地障がい者センターみやぎ 及川智さん 
被災地障がい者支援センターふくしま 白石清春さん
被災地障がい者センター石巻
◎場 所 長居公園 自由広場
(地下鉄御堂筋線「長居」下車 3号出口すぐ
JR阪和線「長居」下車 東出口より東へ5分
JR阪和線「鶴ヶ丘」下車 東出口より東南へ5分)
*10日(土)午後1時から難波高島屋前にて、昨年の3月以降、
ずっと続けている障害者による街頭募金活動があります。
これまで29回を数え 総額募金額は、2,678,035円となりました。
11月は30回目となります。
取材お願い
あわせて取材いただければありがたいです。
お忙しいところすみませんが、皆様のご参加をお待ちしています!

ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94

ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94
完成!
東北関東大震災障害者救援本部制作・ドキュメンタリー映画
「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者」
●大震災のなか、障害者はどう逃げたのか。
どんな避難生活をすごしたのであろうか。
この事実を多くの方々に知っていただきたい、また記憶から
忘れ去ることがないようにしたい。
そんな願いから制作にかかりました。
詳細は救援本部まで、お問い合わせください。
TEL 042-660-7747 FAX 042-660-7746


★「南相馬ファクトリー通信3号」から
南相馬ファクトリーは、6つの作業所の震災復興プロジェクトです。
福祉事業所が、共同でカンバッジを作っています。
連絡TEL&FAX 0244-23-4177
・震災と原発事故の時、障がい者は避難できたのか?
福島第一原発事故により、南相馬の市民7万人のうち、約6万人が避難したと言われている。
その当時、「屋内退避」が求められ、食料やガソリンも手に入らない状況だった。
避難できなかったのは、病人、老人、そして障がいを持った人達とその家族だ。
避難した障がい者も、避難生活になじめず、4月に入ると戻りはじめた。
原発から30キロ圏内は、「緊急時避難準備区域」となり、緊急時は避難しなくてはならない。
市は、要援護者リストに基づき、避難計画を策定したが、多くの障がい者が入っていなかった。
JDF被災地障がい者支援センターふくしまと地元の福祉施設「ぴーなつ」は、
市からの委託で、障害者の手帳の保有者1139人にローラーをかけ、訪問調査を行った。
調査に加わったのは、全国からかけつけてくれた障がい者の事業所の職員である。
避難しても、障がいを持つ人が避難所で生活することは困難だった。
障がいの重い軽いに関係なく、支援の必要に迫られ、支援者も避難している中で、
障がい者の事業所が再開していった。
●カンバッジで「福島」を支援してください!
・例えば…特注バッジ~あなたの会社、団体、イベントで、オリジナルバッジを作りませんか?
25ミリ、30ミリ:1個125円
44ミリ、57ミリ:1個150円
カンバッジ・マグネットもあります。
デザイン加工料は、相談ください!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
        224,247,749円(2012年10月19日現在)
被災障害者支援ゆめ基金が東北被災障害者支援した救援金(東日本大震災への救援金総額)
        175,909,050円(2012年10月19日現在)
ただいまの基金残高
        258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
台風12号関連    2,942,828円。
フィリピン洪水関連、1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、
「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
「hideの70歳の『闘争宣言』その4
○サヨナラとコンニチハの記憶
・左側世界を追放され、ぶらぶら無職生活の中で、ゴッツンしたのは、
部落解放運動&狭山差別裁判糾弾闘争だった。
詳しく書くことは、出来ないが、東京・日比谷公園の中央集会や狭山現地調査などに、
たびたび参加した。
それらの活動の中で出逢ったのが、片足を引きずって歩く、SP障害者のO君だった。
hideの身近に登場した最初の障害者。
話し込んでみると、妙にウマが合い、なんの知識のないままで、O君が「障害者解放の会」、
hideが「障害者の闘いを支援する会」のふたつの組織を旗揚げ。
組織を名乗っても、どちらも、会員1名ずつ。
活動は、もっぱら、「障害者の人権を守れ」のステッカーを、
夜な夜な電柱に貼ることばかり。
何度も、警察のお世話になりました。
そのたびに、ふたりの意気は、天を衝く。
ふたり共、無職無頼。
ものスゴく、ビンボーだった!
そんな日常の中に、青麦印刷という、小さな印刷所を経由して、
hideたちの前に現出したのが、アノ、名画「映画『さようならCP』~青い芝の会神奈川連合会制作」だった。
その時点から、hideたちの生活は一変した。
上映実行委員会を組織するべく、右往左往。
各大学の障害者関連のクラブを回って、委員会に参加を呼びかけ、
事務所が必要だからと、当時、hideが関係していた、水俣病反公害団体が借りていた、
新大阪駅前のマンションの一室に押しかけた。
もちろん、無料の押しかけ事務所。
上映実行委員会は、その後、議論百出。
学生共は、理屈まむし。
さんざん議論した挙げ句、障害者がひとりしかいない上映実行委員会では、
上映の責任が持てないと、大半の学生共は、去って行き、残ったのは、
近畿大学と、神戸大学のチョロッとと、hideたちだけ。
勝手にしゃがれという、メチャメチャの体制で、無謀上映運動開始!
会場を借りて、あちこちにポスターを貼り、上映をする。
映写機を操作出来るのは、hideのみという心細さ。
そんなワケ判らずの無謀ができたのは、hideたちが観た『さようならCP』が、
hideたちの持っていた、障害者観を粉々に砕き、
えもいわれぬ感動を与えてくれたからにほかならなかったからなのだ。
まぁ、とはいえ、お客が集まらないと、上映会にならないからと、気を揉んでいたが、
案ずるよりも、産むが易しで、初回より、観客が詰めかけた。
何よりも嬉しかったのは、障害者の姿が多かったことだった。
その中から、今日の障害者解放運動を担う人たちが多く輩出された。
そんなこんなの状況の中、上映依頼、フィルム貸し出しが、徐々に増えて、
財政も安らかになり、上映規模も全国化していった。
こうして、hideは、障害者市民運動に、コンニチハをしたのだった。
そして、神奈川連合会からの連絡。
上映会ごとに、障害者自身が、話しをするべしとの指示が届いた。
すでに、上映委員会には、障害者が増えていたけれど、話ができるひとは、皆無、
だったから、神奈川連合会から、人を派遣するときた。
さぁ、やってくるぞの、「日本脳性マヒ者協会・青い芝の会!」
続く


ゆめ風基金事務所の出入り口のドアが、自動式に改造されました。
これで、車イス使用者の方も、入り口で、右往左往せずに済みます。
トイレも広くて、使い勝手がよろしい!
どうぞ、いつでも、おいでくださいな!?
以上!
ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94

お便りコーナー

【事務局便り】
秋が深まる10月。 
60個の手編みの帽子が、ででーんと、ゆめ風に届きました。
添えられたお手紙も温かかったので、ご紹介させていただきます。
『いつも「ゆめごよみ風だより」をお送りくださりありがとうございます。
「あしたを考える力」いい意味ですね。
何だか元気がわいてきます。
牧口さんのお話し(文章)は、いつも「そうそう」とつぶやきながら読ませていただいています。
「みちのくトライ」すごい!。
でも、私が住むこの地では、新聞報道もテレビ報道もなかった様に思えます。
とても残念です。
昨年の3.11以後、東北の方を思うといても立ってもいらず、そうかと言って、何もできず、
心はざわつきっぱなしでした。
そんな折、心を落ち着かせようと目についた毛糸で帽子を編みはじめました。
一つ一つ編んでいく内に、いつか、いっぱい編んで東北の皆さんの元に届けたいとの思いが生まれてきました。
「東北に送る帽子を編んでいる」と友人に伝えましたら、沢山の毛糸が集まってきました。
私、昨年の夏 東北を旅行したんです。
その時、道順を「CILたすけっと」の皆さんに教えていただき、
永さんと小室さんの仮設住宅のコンサートに参加しました。
よい思い出になりました。
これからも細々ですが、募金のほうも続けさせていただきます。
皆さまもお体に気をつけてご活躍下さい。』
          
これに感動した事務局員は
 
『○○様 
このたびは、たくさんの帽子を
ありがとうございました。
必ず、東北で被災された障害者のために使わせていただきます。
私は、脳性まひというキャラクターを持っています。
手編みの帽子を手にしたとき、私の成長に合わせて
いろいろなものを編んでいた母を思い出しました。
編み物は、肩がこるといいながら、一つ一つ網目をひらっていた姿です。
季節は寒いほうに向かっています。
ご自愛くださいませ。』
私・福本は、お礼と、さっそく、帽子をかぶった写真もお送りしました。
福本さん帽子
再び届いた素敵な配色のたくさんの帽子に添えられたお手紙。
『「ゆめ風基金」福本様
お便りありがとうございます。
とてもうれしかったです。
勝手に帽子を送りつけて、ご迷惑をおかけしているのではと心配していたところに、
あったかいお便りが届き、うれしかったです。
東北の被災された方の元に届くと思うとお送りして(勇気をだして)よかったです。
編み物によい季節になってきました。
少しずつ、早く東北で被災された方が日常をとりもどします様にとの思いを込めて 
秋が深まり、朝・夕は寒さも感じる頃になりました。
どうぞお体に気をつけて お仕事がんばって下さい。
(私の娘も精神のキャラクターを持ちつつ、沢山の方の応援を受けて、自立して暮らしております)』
ご支援、ほんとうにありがとうございます。
改めて、心から感謝申し上げます。
事務局員一同

ちなつ、行ってきましたレポート

ちなつ、ちょっと行ってきました!
「10月26日城東区・わかまつ園の避難訓練に参加の巻」
大阪天神橋六丁目から地下鉄で二つ目、はじめて降りる駅野江。
入った喫茶店は、分厚いブラウン管のテレビが置かれ、「シバの女王」がレコードで流れている。
路地を少し入ると、中学生だろう制服を着た女の子が目の前を通り過ぎ、
白髪のおばあさんに「こんにちはー。今日学校でね…」と一日のトピックスを報告する。
「なんだか、この町にはなつかしい風が流れているね」という、この日の同行者の細谷氏と、
いりくんだ道を行く。
「さっきから、すれ違う小学生がじろじろ見ないのも不思議です」と、私。
「障害を持った人が、日頃から地域とつながっているのかもしれないねー。
 だから、今回のような大掛かりな避難訓練もできる」
わかまつ園は、城東区の福祉避難所になっている。
私たちは、この日、東南海トラフ大地震が起きたという仮定での、避難訓練に参加させていただいた。
夕方4時、地震が発生し、電気、ガス、水道が止まった想定のもと、
区の作業所などの施設利用者が集まってくる。
120名の障害は様々だ。
城東区1
「はい、今から、真っ暗になります」の声に、私は少しびくつく。
考えてみると、集団行動も30年ぶりだ。
空気が薄く感じる。
手足を動かすことを忘れる。
陽が落ちると共に不安な気持ちが増していく。
「何かあればお声かけてくださいねー」と、隣にいたこの施設の職員と思われる若い女の人が、
日頃見かけない私の背中に軽く触れる。
「はい、一声かけていただいただけで落ち着きました」と、私は微笑もうとする。
が、口元が動かない!
夕方6時前「電気つきます」の声で、災害が起こった時の対応や、三角巾の使い方など、
消防署のかたによる講習会が始まる。
「停電のお知らせは?」「非常階段の明かりは?」など視覚、聴覚障害者は、質問をする。
大切なのは、情報を得ようとする姿勢なのだと、なにかにつけて、受け身になりがちな私は反省する。
城東区2
水で戻した五目御飯風のアルファー米とお茶を頂いたあと、尿意でおトイレに駆け込む。
立ち上がりがしやすいように、付けている矯正下着は、一人では着脱できない。
トイレの入り口で目があった人に介護をお願いする。
人前でおケツを出すことになれている脳性まひの私の下着の上げ下げをしてくれたのは、看護師だった。
「うわー。記念に持って帰ろうかな」と、
薬品で消臭され固まったビニール袋の尿をなかなか手放そうとしない私に
「だれも喜ばんよー。ここに捨てていき―。泊まっていくんでしょ。明日もでるよー」と促す。
千夏「泊まる覚悟、できたんですが。なんだか、さっきからぞくぞくしていて。
   さっき、練習にと寝転んでみたんですが、床は思っていた以上に冷えますね」
  「リタイアしますか。すこし風邪もはやっていますしね」
千夏「情けないですが・・・避難訓練で病気になるのも…」
  「みんなそう。わが身は大事にしてください」
千夏「意気込んでの参加依頼だったんですが。」
  「帰るのは、正しい判断かと。今それができるあなたは非常時でも大丈夫です」
帰宅して、冷え切った体を湯船につけて、風邪薬を飲み、頭から毛布をかぶる。
災害が起こったとき、どのくらい、この家で、命がつながるのだろうか…。
わかまつ園の光景が、まぶたの裏にある。

ヒデの救援レポート:2012年10月29日№93

ヒデの救援レポート:2012年10月29日№93
「市民による健康を守るネットワークの機関誌~『たむら市民ネットニュース・No.4』からの転載。
●連絡TEL:090-2978-8123
●福島県田村市船引町東部台2-285
・新潟にて保養…放射能から離れる事の大切さ
去る7月22日から8月12日まで、今回は子どもを中心に、
夏休みを利用した保養を新潟県聖籠町(放射線量は聖籠町0.06~0.09、船引町0.16~0.20)
(参加者は、0歳から16歳まで11人。)
・夏休みの間、子供達を保養させては、というお話を頂き、新潟の聖籠町に行って来ました。
チェルノブイリの原発事故の時には、保養や一時避難、病気治療のために、
日本にも沢山の子供達が来ていました。
今は、同じことが私達の身に起こっています。
今回、3日という短い期間でしたが、改めて放射能から離れる事の大切さ、
いかに毎日の生活が放射能によって苦しめられているのかを感じました。
子供達が無邪気に砂浜に転がったり、草むらを駆け回っている姿を安心して見ていられる。
今の福島では考えられませんね。
近所の人が持って来てくれた、取れたての野菜や果物!
心から味わう事が出来ました。
こんな、当たり前の幸せを、原発事故は、国や東電、県の行政は奪っているのです。
そして、原発の問題は、既に終わったかの様な国、県の態度には、
改めて怒りが込み上げて来ます。
特に、県民を守る立場の人間が、先頭に立って県民を苦しめている事に対して、
怒りが収まりません。
放射能測定をしていると、福島県は本当に汚染されてしまった事を感じます。
そして、福島県ほどではなくとも、関東圏まで汚染があるという状況を知ると、
本当に日本はどうなってしまうのだろうと考えます。
そんな事ばかり考えていると落ち込んでしまうので、
今は、自分に出来る事だけ見つめて全力を尽くそうと思っています。
最後に、新潟保養でのエピソードです。
今回の保養には、我が家族5人に猫一匹が加わって新潟に向かいました。
子供達との約束であるキャンプも兼ねて、到着してすぐに庭にテントを張り、
夜は猫と一緒にテントで寝る事を楽しみにしていた子供達!
夕食のバーベキューに舌鼓を打っていたその時です。
近所の野良猫が参入…!
驚いたウチの猫は、野良猫を追って見知らぬ土地を疾走!
そして失踪…!
その晩から帰る日まで、猫探しに明け暮れました。
ポスターを作り、あちこち貼って。
猫探しの合間の休養!?
結局見つからず福島に帰ることに!
翌日、ポスターを見たという人から連絡があり、急きょ新潟へ…!
そんなこんなの新潟保養でしたが、いい思い出になった事は間違いありません。
ちなみに猫は、福島の我が家で幸せに暮らしています。


NPO法人・ケアステーションゆうとぴあ・介護事業・地域活動、
まち子ちゃんの店みらくる・障がい者自立生活支援センター
○福島県田村市船引町字山ノ内129-8
○連絡TEL:FAX0247-82-5508
「機関誌あくせす~101号からの転載」
「放射能に関する市民意識調査~今でも避難したい~福島市民の34%」
これは2012年5月14日に福島市民に郵送し、5月中に回答を得た(3022人:54.9%)の報告書です。
「今でも避難したい」と思っている人の割合は、全体で33.7%(男性34.6%、女性33.3%)です。
この調査(避難したいと思っている人)は、子どもを持つ家庭を対象としたものではなく、
子どもを持つ人も持たない人も独身者も、高汚染地域も低汚染地域も市外避難者も含めた福島市に籍を置く、
20歳以上を対象とした調査であり、50歳以上が6割以上で、さらに市外避難者は全体の9.7%と
少数であるにもかかわらずというものです。
その年齢別は、20代44.4%、30代53.2%、40代46.1%、50代28.1%、
60代25.1%、70歳以上16.2%です。
世帯構成別は、本人と未婚の子52.2%、夫婦と未婚の子38.2%、三世代32.3%、
単身31.2%、夫婦26.4%です。
子どもがいない人でも、3割程度が避難することを望んでいる。
一方、市外避難者のうち、福島市に「ぜひ戻りたい」人が15%、
「できれば戻りたい」人が40%で、過半数が戻りたいと考えている
その一方、「戻りたくない」が27%、と「出来れば戻りたくない」も19%いた。
市外避難者のうち、62%は、家族との別居を強いられている。
このうち「再び一緒に暮らせるめどが立っていない」人が71%に達した。
市外避難者は7千人以上いるとみられ、母子による避難が多いとされる。
また、「子どもたちの将来が不安」と答えた人は全体の89%、
「福島は孤立している」と感じる人が62%にのぼった。
市の担当者は「非常に厳しい結果。対策をとる必要がある」と話している。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
        224,247,749円(2012年10月19日現在)
 東日本大震災への救援金総額
        175,909,050円(2012年10月19日現在)
ただいまの基金残高
        258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
台風12号関連    2,942,828円。
フィリピン洪水関連、1,000,000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、
「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


「東日本大震災救援活動の中のボクの風景」
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、
赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
「われも、また、赤い『吾亦紅』と咲くのです。」
「hideの70歳の闘争宣言」その4は、字数がオーバーしてしまうので、次回に延期します!
高校生を組織して、「高校反戦」を名乗り、沖縄奪還闘争の端っこにいた中で、
ある時、大阪教職員組合「大教組」の沖縄奪還集会が開催された。
高校反戦も同じスローガンなんだから、参加させろと会場の扇町プールに、
300名の高校生どもと押しかけた。
ところが、参加を拒否された上に、会場入り口にhideたちの天敵とも言える、
民主主義青年同盟「民青」がピケを張ったものだから、逆上した高校生どもが、
ピケラインを強行突破。
会場になだれ込んだ。
出た所の目の前が演壇で、国会議員さん達が居並んでいた。
興奮している高校生は、その国会議員さん達を竹竿で、ボコボコにしてしまったー。
この事件後、大教組から社会党府本部に
「社会党のオルグが組織した高校生組織が、集会を妨害した」と抗議がなされ、
その結果、hideは、党籍を剥奪され、追放。
から書くつもりだったんですが、物事は、なかなかうまく運ばないもので、次回に先送りです。
なんだか野田政権みたいだなぁと…!?
ヒデの救援レポート:2012年10月29日№93 以上