あなたは、入部香代子という方を知っていますか?
わたしは、2月23日ホテル阪急エキスポパーク「香代子のガッハッハ人生を語る会」で、姿なき彼女と出会いました。
彼女は、重度脳性まひ者です。一番多感な時期を施設ですごし、自立生活を命懸けでやり、恋におち、結婚。二児の母をしながら、障害者が地域で生き、働く場「エーゼットの会」をつくり、豊中市会議員を4期務めた人です。
「語る会」は、彼女の形見の衣装をつけた色とりどりのおんなたちが司会進行。
スタートと終わりの「ガッハハー」の彼女の大きな笑い声がスピーカーからあふれる仕掛けに、思わず、私もつられて「うっふふふふー」
脳性まひ者は、声のトーンや大きさが調節しにくい。笑う時も目いっぱい。泣く時も目いっぱい。だから、おかげで人より濃い人生が送れます?!。
よく、人をしのび、語る時、「彼女は幸せだった。とか、彼はかわいそうな人生だった」なんて言われます。でも、それは、ある一定の健常者の価値観なんだと思います。障害者は(本当は健常者もなんだけど)規格外。
ひとりひとりが規格外の生を生き、終える。脳性まひという生をしっかり生きたくさんの人に希望を与え、62歳の夏、星になった彼女の名は入部香代子さん。私は、この名前を生涯忘れないだろう。
なぜなら、妊娠した時「当然降ろしますよね」と言った医師に「当然産みます」と言いきったのは彼女だから。
「私抜きに私のことは決めないで」と言い続けたのは彼女だから。
障害者にとっては、ただただ当たり前のことを、あたりまえに言っているだけなのにって、いつも首をかしげ、臆せず動いたのは彼女だから。
彼女が生きた後には、命が芽生えた。道ができた。
そして、何よりも大切な人と人とのつながりができた。
香代子さん。最初で最後そうお呼びさせてもらいますね。
私も、子供を産み育てました。亡き夫に車いすを押してもらって行き続けた選挙会場の小学校にスロープが付きました。
今朝は、ひとりで電車に乗り、駅員が出迎えていなかったらどうしようと、50歳を過ぎたおばちゃんはドキドキしています。
若い時より、懸命に生きなくてはいけないのが、障害者なんですね。だから・・・楽しい?!
「ガッハハハハ」「うっふふふ」
ありがとう。おつかれさまでした。
ちなつのちょっと行ってきました
ちなつのちょっと行ってきました
中学生プロジェクトの巻
2月19日21日・柴島中学校にて避難訓練が行われました。
障害者が地域で生き、「行動し続ける大阪応援センター」と盲ろう友の会「手と手とハウス」主導・協力のもと、
事務局員・福本も事前学習から参加。
中学生と一緒に災害時に必要なものや、避難訓練時の注意事項を考えるというこのプログラムも何年にも渡り続けられています。
ことばが出しづらい障害者とのコミュニケーション方法や、車いすの扱い方を、みなさん熱心に聞いてくれました。
~自分の名前を手話で表そう~タイムでは、好奇心たっぷりの目がキラキラ。
避難訓練当日は、言語障害の私との会話もスムーズに。
通訳してくれる生徒さんが現れるまでに・・・。
中学生の柔軟な心と頭と耳に感動しました。
「好きな果物・・・の皮は何ですか?」という茶目っ気たっぷりの質問まで飛び出て、福本が大笑いする一幕も。
でもでも、避難訓練では、
障害者のペースに合わせて安全に一緒に移動してくれ、
中学生の底力を目の当たりに感じました。
各教室から体育館に生徒さん・障害者と共に無事避難。
ここで、代表理事、牧口一二氏の親しみやすいお顔とお話が。
「人は、災害時にそんなに薄情になれないものだと、僕は思います。もちろん、人をかまってられない状況の時もありますが・・・。でも、少し余力があるときは・・・」
冷たい体育館が、中学生の若いエネルギーに暖まりだしました。
振込用紙のコメントご紹介
すこーし寒さが和らいできても、朝は、つい「寒い!」って出ちゃいます。
マンションのエレベーターの中、顔なじみのかたに、「寒いかあ?」と、返されちゃいました。
あっははと笑うと、
「ええ顔やなあ。おじさんも目がうっとおしいけど、今日もがんばれそうや」
「ほーい、行ってらっしゃい」
人が人と知り合うって些細な会話の積み重ねなんですね。
言葉が出にくいからこそ、声を漏らすことも大事なことなんだと思いました。
私達のかすかな声を聴き、ゆめ風を知って、応援してくださる方との出会いに、深く感謝して・・・
今日も振込用紙のコメントをご紹介させていただきます。
◆夫が内部障がい者になって、18年になります。皆様の運動を微力ながら支援します。(福岡県北九州市)
◆釜石小学校の校歌(まっすぐ生きる・はっきり話す・しっかりつかむ)いつも心にきざんでおきたいと思いました。(京都市)
◆事務局の皆様、ご苦労様です。これからも応援したいと思っております。(北海道札幌市)
◆寒い日々ですが、みなさま、どうぞご自愛ください。(兵庫県神戸市)
◆釜石の校歌、大きく書き、何度も読んでおります。被災地の現状を知り、皆様の御健康をお祈りしています。(福岡県北九州市)
◆節分ですが、まだまだ寒い日々ですね。でも、冬は必ず春になります。心はいつも暖かく(西東京市)
◆「生き抜く力」を学ばせてもらっています。(奈良市)
◆「風だより」しっかり読んで、しっかり考えてます。皆様の毎日が良い日でありますように。(奈良市)
◆64号の「ゆめごよみ風だより」の佐久間桃子さんのエッセイ(何事も他人ごとではない。普段から顔の見える関係―繋がりーが大切)に感銘しました。(千葉県市川市)
◆日々の生活に追われ、東北に心を向けることが少なくなりました。忘れないために・・・。(大阪府箕面市)
◆牧口さん、みなさんお元気ですか?今年も協力できてよかったです。また、お会いするのを楽しみにしています。(大阪市住吉区)
◆細く長く続けていきたいと思います。(大阪市旭区)
◆「まっすぐ生きる・・」井上ひさしさんのたましいに久々に触れることができました。(福島県田村郡)
◆お給料が入ったので、感謝を込めて送金します。(大阪府高槻市)
◆笑顔の時間が、少しでも、増えていきますように。(大阪市平野区)
◆続けてこられたことに感謝を。続けていける事に希望を込めて。(滋賀県甲賀郡)
◆Ⅰ日も早く平穏な生活に戻れますように(岡山市)
◆めぐるましく世の中は動く。未層有の大災害も、過去のものとして記憶の片隅に押しやられていく現実が悲しいです。
ゆめ風さんの地道な努力を、ささやかながら応援していきたいです。(千葉県船橋市)
しっかりと皆様のお言葉を受け止めます!
訃報
<訃報>
ゆめ風基金理事 楠敏雄さんが2月16日永眠されました。
阪神淡路大震災の年に発足してよりこれまで、ゆめ風基金を支えてくださいました。
本当に本当に残念でなりません。まだまだ教えていただくことがたくさんありました。
衷心よりその死を悼み、ご冥福をお祈りいたします。
障大連の片岡さんが経過をまとめておられますので、以下掲載させていただきます。
ゆめ風基金一同
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
突然の残念な報告をしなければならなくなりました。
楠さんの訃報を胸に納めていただき、いつできるか分からない事後の連絡をお待ちいただくこと、切にお願いします。
DPI日本会議副議長、インクルネット事務局長、障大連議長等々
楠敏雄さんが2014年2月16日午前11時43分永眠されました。
葬儀は家族葬で執り行われます。
極めて簡単に経過を報告させていただきます。
2013年10月24日入院、25日胆石・胆嚢摘出手術、26日一泊して27日退院の予定でした。
しかし、予後が悪く一進一退の状態が続きました。
退院の時期が決まりそうだという時もあったのですが、酸素吸入が必要になり、11月13日朝集中治療室に入り、人工呼吸器他の治療と検査を受けました。
呼吸が悪くなる(血中酸素濃度が低下する)原因は分からずじまいでした。
ICU→HCU→一般病室と、日時はかかりましたが徐々に回復し、リハビリも始まりました。
12月末になって再び息が荒くなり、1月2日早朝人工呼吸器が装着されました。
この時も持ち直し、翌日人工呼吸器は不要となりました。
1月10日に透析をされた後再び容態が悪化し、1月13日人工呼吸器が装着され、以後透析も実施できなくなりました。
その後も驚異的ながんばりを見せていただき、昨15日16時前に容態悪化、「あと数時間」と言われました。
18時頃の検査では容態が持ち直し、駆けつけた人は三々五々帰宅しました。
今回は奇跡も起こらず、本日2月16日、誠に残念な結果となりました。
繰り返しお願いします。
楠さんの訃報を胸に納めていただき、いつできるか分からない事後の連絡をお待ちいただくこと、切にお願いします。
連絡・問い合わせは障大連事務所にお願いします。
障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議(障大連)
〒543-0072 大阪市天王寺区生玉前町5-33
大阪府障がい者社会参加促進センター内
Tel:06-6779-8126
Fax:06-6779-8109
Mail:t-furuta@saturn.dti.ne.jp
振込用紙のコメントご紹介
「立春」だった2月4日、今シーズン最強クラスの寒気が流れ込むとの予報通り、
大阪にも雪が降り、山間部では何センチか積もっていました。
関東も、積雪で交通網に影響が出た、とニュースで伝えていましたが…
私は、雪が降るのを見たのは何年ぶりだったか思い出せなかったくらいなので、ついはしゃいでしまいました。
雪が多い地域のかたからみると「日常」のことなのに、と思われますよね。
さて、いつも、どんなときも、ゆめ風を覚えてくだっさっている皆様から頂いた、
振込用紙に書かれたコメントのご紹介です!
◆寒さは、まだまだ続きます。お身体、大切にされてください。(熊本県玉名郡)
◆東日本大災害から2年10か月。阪神・淡路大震災から19年です。災害弱者をつくらない社会体制を早く整えねばなりません。(大阪市平野区)
◆ここに生きていることに感謝です!(島根県松江市)
◆被災された方々の日常が、一日でも早く戻ることを、お祈りしています。(大阪市淀川区)
◆各地からの「風だより」に、いつも励まされます。善意の人々がこんなにおられることに??(長野県小県郡)
◆被災地にボランティアに出向くこともできず、何をしたらいいのか、いつも考えています。暮れにバイト代が入ったの
で、ちらっと・・・。(東京都杉並区)
◆あれから19年。あれから3年。まだまだ、これから。(長野県上田市)
◆今朝は雪になりました。冷たい風が吹いています。あの日の朝の厳しさをつくづく思い起こさせてくれます。皆様お身体大切に。(島根県松江市)
◆お役に立てたら嬉しいです。(京都市)
◆いつまでも忘れずに、支援し続けます。(さいたま市)
◆「風化」というのは、よほど努力しないと、食い止めにくいと思います。「ゆめ風」は、継続して活用されているか
ら、風化しないね。(山形県宇部市)
◆「ゆめ風だより」63号の河野さんの文章とリレーエッセイを、何度も読みました。心にしみました。(東京都八王子市)
◆被災地障害者センターの発展と充実を心からお祈り申し上げます。あたり前の生活の大切さは、何にもかえられません。(栃木県鹿沼市)
◆災害のない平和な一年でありますよう。(群馬県邑楽郡)
◆いつもがんばっておられるみなさんを、少しでも支えることができれば、うれしいです。(大分県中津市)
◆震災(天災)原発(人災)にいまだ苦しむ生活を奪われた人々へ、継続・不断の支援を。(横浜市)
◆つらい思いをされた方々に、心ばかりですが、これからも続けていきたいです。(福岡市)
◆共にいます。関西に戻って参加したいです。(広島県府中市)
◆季節はめぐります。1日1日を大切に生きたいと思います。支援し続けます。(千葉県佐倉市)
◆風だよりありがとう。この私のまま、生きていく。「みんなと一緒に」と、思ってます。(大阪府枚方市)
◆皆様、お元気でご活躍ください。(東京都多摩市)
◆災害が起きても、日が経つと、風化していくのは怖いと思います。(静岡市)
◆この3月で88才になります。兄姉の分まで、生きてこられたと思います。寄金を続けます。(東京都豊島区)
◆毎月、少しずつ寄付をしていたのですが、合計金額を見て、驚きました。これからも続けていきます。(兵庫県尼崎
市)
次々起こるいろんな出来事に、人々の関心や興味は移っていきがちです。
でも、ゆめ風を支えて下さる皆様は、忘れずにいてくださる。
そのことを忘れず、また気を引き締めて、今日も業務に励みます。
お体、ご自愛くださいませ。
深謝。
ヒデの救援レポート2014年2月3日№150
hideのチョー多忙勝手ものがたり!
1月28日から30日~長崎空港からバスで、長崎市内へ。
そこからタクシーで、長崎茂木町へ。
亡くなった連れ合いの姉さんが暮らすケアハウスに、お見舞。
茂木港から船で、天草苓北へ移動。
そこから車で、天草市内に。
翌日は、連れ合いの実家に行き、分骨してあるお墓にお参り。
さらに3日目は、天草空港から熊本空港へ。
そこで乗り換えてて、伊丹空港。
帰宅。
2月1日から2日は、兵庫県香住方面に、車に分乗して、11人で、箕面市人権啓発推進協議会研修ツアー、でした。
さらに、2月6日、7日は、三重県津市で開催される、全国人権啓発研究集会に参加でしてねぇ。
疲れるよぉ!
NPO法人 自立生活センター いこらー「いこらー通信」2013年冬号より転載。
連絡先 TEL 072-488-7334(FAX共用)
「東日本大震災の復興の現状と震災ボランティア活動についての報告」大薗拓郎
・その1
2013年3月11日に日本中を震撼させた東日本大震災から2年8ヶ月(2013年11月現在)が経過しました。東北の被災地では津波による震災の爪痕が瓦礫に支配された風景から殺風景な更地に変わり、その更地が今後どのような風景に変化していくのだろうと、そんな興味に惹かれ今年は計6度、被災地である宮城県の石巻市や南三陸町を中心に訪問させて頂きました。
東日本大震災後、2011年6月から2012年8月まで、障害者支援ボランティアとして宮城県で活動していた私は、その期間中に様々な人々と出会う事が出来ました。
そんな出会いと東北の温かい人々からのお世話を受けながら、被災地の視察(というか観光ですが)を、今まで被災地に行ったことの無かった大阪の方々と一緒に訪れ、被災地の現状と復興の進捗状況を確認させて貰いました。
私がボランティアとして現地で活動していた頃に比べ、瓦礫から更地へ、視覚的に解り易い現実を目の当たりにしました。
「更地」という何もない風景とは対照的に着実に進んでいるとされる「復興」という言葉とのギャップ。
被災された方々が時間とともに元気になった人々がいる一方、震災から時間が経ったからこそ生きることの辛さやしんどさが増した方々も多数存在する現実。
一応に被災された辛い体験は時間が解決してくれるものでは無く、人それぞれであるのと同時に「更地」になった風景をどのように新しい風景へと描き変えるのかという困難さを、今年の数度の訪問で感じ、今後の「復興」の難しさを考えさせられました。
さて、冒頭から小難しい文章から始まりましたが、ココからは私とその仲間たちが行った「大阪でも出来る被災地障害者支援ボランティア活動」について報告させて頂きます。
2013年8月に「かんさい星印なう」という名の企画を実行しました。
宮城県石巻市で活動している「被災地障がい者センター石巻」との共同コラボ企画で、石巻や隣接する東松島市の障害者の方々を大阪に招き、大阪で自立生活をしている障害者の方々との交流や、障害者自立支援をしている福祉事業所の見学や研修をしたり、大阪などの文化を社会体験してみたり、そのような活動を通じて今までに縁のなかった東北と大阪の人々とを繋ぐ企画です。
「かんさい星印なう」の実施期間は2013年8月4日(日)から8日(金)の4泊5日の日程でした。
参加されたのは10代中盤から20代前半の5人の障害者の方と親御さんやご兄弟の方々計5組でした。
うだるように暑い大阪に東北の方々は耐えられるだろうか。
ましてや研修や社会体験などで大阪の街中を朝から晩まで活動出来るのだろうか。
当初はそのような心配がありました。
そんな心配の予想は外れ、障害者の方々は病気も夏バテもすることなく元気に活動していました。
大阪に行くのならあんな場所に行きたい、こんなものを買ったり食べたいなど、参加されるまでに自分の計画を立てていました。
その計画と日程に合わせ殆ど交流の無い現地のボランティアと一緒に活動しました。
石巻では障害者福祉が極めて薄く、ガイドヘルプに関してもヘルパーの人数が少なく、制度が利用できない現実があります。
また障害者本人が行きたい場所ややりたいことという自己実現の為の制度利用という考えがありません。
私が現地で聞いた話では、知的障害者で問題行動が多いとされる方がガイドヘルプの利用を事業所に相談したところ、問題行動が無くなってからガイドヘルプを利用してくださいといわれ、断られたそうです。
問題行動を支援するはずの障害者福祉が、事業所の都合に合わせられる障害者しか利用出来ない現実があります。(その2に続く)
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これまで届けた救援金
300,372,144円(2013年12月26日現在)
内・東日本大震災救援金総額
254,363,059円(2013年12月26日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・市民活動総合情報誌「ウォロ」2013年12月号よりの転載
大阪ボランティア協会連絡先 TEL 06-6809-4903
「東日本大震災で6000人にネット調査
強い共助意識、参加意欲も増大」
内閣府防災担当では、今年3月、東日本大震災における支援活動についてインターネットを利用した意識調査を実施した。
対象は、支援側3000人および受援側3000人。
調査結果の分析を通し、今回の震災における意識の変化、そしてこれからの支援活動を広げて行くための課題について検討が行われている。
調査報告によると、支援側には被災地の役に立ちたいという強い共助意識があり、受援側もその誠意を高く評価している。
支援側の約半数は発災1ケ月以内に活動を開始し、受援側の半数も同期間内の継続支援を希望していることから、発災後の迅速な支援環境整備が必要視されている。
また、東日本大震災後、支援側および受援側ともに支援活動への参加意志を持つ者が増加しており、震災での支援活動の影響を受け、活動への参加意識が醸成された可能性も報告されている
さらに、現場での支援活動が注目される一方、遠隔地域からの後方支援も熱心に行われた。
目に付きにくい後方支援だが、受援側には深く印象に残っているようだ。
遠隔地とも連絡を取り合って、支援活動をより広く行って行くことが大切だと言える。
支援側において支援活動を行う契機となった情報源としては、テレビやインターネット、ソーシャルネットワークサービスが多くなっている。
受援側では情報通信技術を利用した情報収集と発信による支援が深く印象に残っている。
このように、今回の震災ではでは情報通信技術の活用による情報収集・発信が支援者・受援者双方に大きな役割を果たした。
今後も情報通信技術をした環境整備が望まれる。
大規模災害時の共助による支援活動の活性化には、支援側と受援側を結び付ける「マッチングの仕組み」が重要視される。
支援側の思いと受援側のニーズを情報通信技術を通して効率的につなぐ必要性もこれら調査結果から読み取れる。
(編集委員:梅田たけし)
以上
ヒデの救援レポート、2014年1月20日 NO.149
●阪神淡路大震災19年目の前日。
1月16日の早朝に、hide宅で20年間暮らしていた、メス猫のデュエルが天寿を全うして、他界しました。
人間の寿命では、100歳を超えている年齢です。
普通、猫は亡くなる時、行方不明になるのに、デュエルは律儀に帰って来、愚息のベッド近くで亡くなったのです。
愚息ふたりは、文字通り「猫可愛がり」だったので、ふたり共、声を放って悲しんでいました。
デュエルはその後、火葬して、骨と写真が愚息の部屋に飾られております。
狭い家の中から、猫とは言え、命がひとつ居なくなるのはとても寂しいものですねぇ~。
ちょっと凹んでいるhideです。
まぁ、もう1匹のオス猫、2歳がいることは居るんですがねぇ~。
東北関東大震災障害者救援本部特集号№7 「自立情報発信基地」より転載その3
・連絡先 TEL 042-660-7747、FAX 042-660-7746
・宮城県気仙沼 NPO法人泉里会 ケアホームめぐみ 菅原満子
「震災で覆った心の傷」
私たちはNPO法人泉里会「ケアホームめぐみ」は、知的・精神・身体の三障がい対応の共同生活介護事業所です。
その他、ショートステイ・日中一時支援と現在は東北関東大震災障害者救援本部よりのご支援を受け、南三陸町気仙沼エリアの送迎サービスも行っております。
以前、送迎支援サービスはめぐみ入居者のみ行っていましたが、3・11の東日本大震災が東北を襲い、家・車が流出し地域に住む障がい者の移動の足を失い、いつも通りの生活が全く出来なくなってしまいました。
通所施設に通う障がい者の方が、施設から遠方の仮設住宅に移り困っている現状を皆で話し合い、外部から来られたボランティアスタッフのJDF、CILたすけっとの方々と交代で送迎を行いました。
平成24年の春にボランティアスタッフの撤退を期に、送迎に掛かる費用を助成頂きながら地元の事業所である私たちが引き継ぐことになり現在に至っています。
主に送迎に行っている場所は、支援学校や通所施設・ケアホームめぐみ入居者数名が通うデイケアです。
土日以外は毎日送迎支援を行っております。
また支援学校に通っている障害児2~4名、日によって利用する人数が違いますが、送迎後そのままケアホームめぐみにて日中一時支援を利用しご家族さんが仕事終わりに迎えに来るまでお預かりしております。
また送迎業務に携わり一番気を付けていることは、当たり前な事ですが安全運転です。
大変な所は大人と子どもでは違いますが中にはわんぱくな子も居て、運転中でもシートベルトを自分で外し立ち上がったり、ドアを開けようとしたりヒヤッとすることも多々あります。
成人の方は比較的静かに座っており、通所施設で今日作業した内容や身近に起こった事を話してくれて会話を楽しみながら送迎を行っております。
でも、明るく振る舞っていてもまだ震災の記憶が新しいのでしょう。
家が流されて仮設住宅での生活を余儀なくされた方の口から「いーな。家がある人は…。また、いつになったら普通の家に住めるのかなぁー」と流された家の跡地を遠い目をしながら話されます。
家を流されていない私としては流失した方々の気持ちはすべてくみ取ることが出来ません。
そう話された時、なんと声を掛けていいものか未だに分からない所があります。
やはり傷を受けた方とのコミュニケーションは難しいと痛感しております。
でも送迎をしていて大変な事ばかりではありません。
楽しい事もあります。
それは利用者さんや家族さんとの会話で、楽しみの一つにしています。
本当に他愛もない、ほんの数分間の会話でしかありませんが、いつも帰り際「ありがとう。毎日ご苦労様」と一礼されます。
時折、自家栽培している野菜などを手に持って待っておられて「これホームで食べらいん」と渡されます。
こちらとしてはただ安全に楽しく送り迎えをしているだけなのにと最初は思いました。
今思えばそれほど障がい者またはその家族さんから見たら、支援学校や通所施設に普通に通える足が出来た事によって生活が少しずつ戻ってくるのかなと、自己満足の思いでありますがとても嬉しくなる瞬間です。
最後に、まだまだ震災で覆った心の傷は癒えてはおらず、選択肢ばかりが多様にあり、何が正しいのかも分からない渦中に置かれています。
それは私たちも同じです。
それでも支援を頂いている皆さんのお顔を思い出される時に、やはり諦めてはいけないという力が何処からか湧き出て来ます。
それは本当に不思議な、そして貴重な体験をさせて頂いているのだと改めて感じます。
何かを得るためには、何かを失わなければいけない、最近そんな言葉を耳にしましたが、得たものを育てて行くのはやはり自分自身であると強く心に結び、これからも頑張ろうと思います。
以上
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これまで届けた救援金
300,372,144円(2013年12月26日現在)
内・東日本大震災救援金総額
254,363,059円(2013年12月26日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
「われも、また、赤い吾亦紅」と咲くのです。
市民活動総合情報誌「ウォロ」2013年12月号よりの転載。
・大阪ボランティア協会
連絡先 TEL 06-6809-4901
災害発生時、実践面で役立つ内容「病院ボランティアのためのガイドブック」発行
今年、10月、NPO法人日本病院ボランティア協会(大阪市)が「災害時の活動ガイドブック(以下、ガイドブック)」を発行した。
病院ボランティアだからこそできる活動があったのでは…。
東日本大震災でボランティア活動に関わったメンバーからのこんな声をきっかけに、災害時の病院ボランティア活動を考える会が結成され、以後2年間にわたる研修会の場で、ボランティア、病院スタッフ、外部委員が議論を重ね、出た意見をもとに編集した。
ガイドブックでは、病院ボランティア活動の心構えや、災害時における活動例を示すとともに、東日本大震災の経験を踏まえ、災害時に病院ボランティアが活動するための5つのポイント、
1.ボランティアの意識付け
2.病院への働き掛けと意識付け
3.何ができるのかの確認
4.色々なケースの分類
5.安全確認
や、災害時の役割分担を示したアクションカードの例を具体的に示すなど、実践面で役立つ内容となっている。
日頃病院で活動するボランティアは、病院の現状を理解し院内の構造なども知っており、災害時も患者や家族に対して医療者に近い形でサポートできる。
「これまでは、災害時に病院ボランティアが活動をすることはほとんど考えられてこなかったが、ガイドブックを参考に、ボランティアグループや各病院がおのおのの形合った方法を作ってもらい、来るべき災害に備えて欲しい」と理事長の吉村さんは語る。
今後も継続して、ボランティアグループ、病院、福祉施設、教育機関などへの広報活動を行い、全国での普及を目指す。
日本病院ボランティア協会
連絡先 TEL 06-6809-6506
ガイドブックは、150円。
以上
忘れない あの日のこと 阪神淡路大震災から19年
伝えてください
あの日のことを
語ってください
何が起きたかを
忘れられない忘れない
あの時の涙
忘れられない忘れない
あの時の笑顔
苦しみの昨日から
歓びの明日へと
【ゆめ風基金】応援歌「伝えてください」
作詞:永 六輔+谷川俊太郎 作曲:小室等
1995年の阪神・淡路大震災は今日1月17日、19年を迎えました。
6434人の命がうばわれ、4万3792人の方々が負傷された(兵庫県発表)あの大災害によって、障害者市民が長い年月をかけて築いてきた生活も働く場・生きる場もこわされ、たくさんのかけがえのない友人を亡くし、残ったひとたちもより過酷な困難に直面しました。
その中で立ちあがった被災障害市民を中心に「障害者救援本部」が発足、全国の障害者の仲間が結集し、救援活動にととまらず、障害者も参加する復興と再生へと活動を広げました。
ゆめ風基金はその活動の中から生まれ、被災障害者市民をはじめとする全国の障害者市民のネットワークにささえられて、今日に至っています。
19年前、障害者が避難できるバリアフリーな避難所がないことや、知的障害といわれる人々がおれないこと、そして仮設住宅においてもバリアフリーでないなど、数多くの問題に直面しました。その後の復興・再生の道筋においても、わたしたちの願いがどれだけ実現したのかと問うと、もちろんたくさんの知恵が結集し、福祉制度においても障害者市民にとってよくなったところも数多くあるものの、障害者市民の自立生活の面でもまた障害者の働く場の保障の面でもいまもまだ問題が山積しています。
そして、なによりもそれらの経験が3年前の東日本大震災でもほとんど生かされず、避難所のバリアフリーも実現せず、知的障害といわれるひとびとが避難でき、助け合える避難所は数少なく、また仮設住宅での生活が障害者の自立生活を困難にしている現実があります。
しかしながら、それでも阪神淡路大震災をきっかけによりたしかなものになった全国の障害者市民ネットワークがあったからこそ、たくさんの人々の願いが込められた基金がゆめ風基金に寄せられ、今回の東日本大災害において被災した障害者とその生活拠点にいち早く救援金をお届けすることができました。
さらに大災害の無念から心を期して障害者市民のこれかの生活をしっかりと支えていくための活動を始め、広げようとしている被災地の障害者の仲間たちの活動を支援し、共にすすめることができています。
19年前に時計が止まってしまった6434人の方々の無念と託された願いを忘れないで、これからも阪神淡路大震災の被災地の障害者の仲間と東日本大災害の被災地の障害者の仲間、そしてゆめ風基金の活動をささえてくださるみなさんと共に、ひたむきに活動していきたいと思います。
振込用紙のコメントご紹介
今年一番の冷え込み、と、朝のニュースで、防寒対策ばっちりのキャスターが言うその吐く息も真っ白。
皆様、風邪などひいていませんか?
阪神・淡路大震災が起きたのも、こんな朝でした。
テレビが飛び、食器棚が倒れ、台所一面にガラスが散り、外に出ると、道が割れていました。
小さい息子が、「今日、幼稚園、なんでないの?」と、ぐずりました。
この日から、我が家の一角にはラジオと懐中電灯と水が置かれました。
そして、ゆめ風基金が設立されました。
もうすぐ19回目の「1.17」ですね。
皆様のご支援に支えられ、ゆめ風は活動を続けられています。
今年初めての振込用紙コメントご紹介です。
◆東日本は、これからも正念場。私も知的障害者さんへの毎日のボランティアが8年になりました。体の続く限り、がんばります。(埼玉県富士見市)
◆15年続行達成。目標はあと20年。98歳まで。(東京都練馬区)
◆国内外の支援に役立ててください。(大阪府羽曳野市)
◆91才で元気なことに感謝して。(東京都練馬区)
◆2020年のパラリンピックを盛りあげたいです。(東京都清瀬市)
◆ささやかですが、気持ちを込めて送ります。(埼玉県北本市)
◆3・11の時、温かい援助をいただいたフィリピンの人達へ少しでもお役に立てば・・・。(大阪市阿倍野区)
◆母のあとを継ぎ、送金申し上げます。お元気でご活躍くださいませ。(兵庫県神戸市)
◆当地方の災害時には、ご支援ありがとうございました。(和歌山県那智勝浦)
◆体調を崩し静養中です。牧さんのリレーエッセイに元気をもらいました。ありがとう(広島県大竹市)
◆ゆめ風基金が、各地で有効利用されている記事を見るにつけ・・・。(島根県松江市)
◆地道な取り組みと、被災地の方々との関係づくりに、いつも感銘を受けています。私もがんばらねば。(東京都豊島区)
◆被災地を忘れないために。(大阪府高槻市)
◆河野さんの報告に驚き、岩永さんの文にうなずき、鈴木さんの逆転の発想になるほどと思いました。どうぞ、風邪に気をつけて、お元気で。(東京都荒川区)
◆東北のことが、毎日、気になりながら、体が思うにまかせず。(愛知県瀬戸市)
◆平和で暮らしやすい世の中を願うばかりです。花道を歩く昭和一桁生まれです。(山形県新庄市)
◆皆さんが喜んでくださることを、想いうかべて、私も幸せを載せます。(東京都世田谷区)
◆世の中、アベノミクスとやら?年金生活者は、消費税アップで、暗くなるばかりですがね。元気でいられることに感謝です。(さいたま市)
◆これからも、ステキな企画を楽しみにしています。(長崎市)
◆活動を続けて、様子も伝え続けください。(奈良県吉野郡)
◆東北支援ということで、二年前から行事の売りあげと地域からの寄付金を送らせて頂いてます。ご活用ください。(愛知県名古屋市)
◆「今、必要としている所に送る」ことができるゆめ風基金と、いつもつながっていたい。(埼玉県比企郡)
◆仙台と福島の姪たちに、子供が生まれました。(山梨市)
◆戦争の時代に、逆戻りしていきそうな・・・。正しい判断ができる、ゆるぎない思いを持ち続けたい。(東京都八王子市)
◆買い物に行くと、東北産のものを見つけて買っています。健やかな年となりますように(千葉県市川市)
◆しんどい時も笑ってヨイショ!と、いきましょう!(東京都荒川区)
◆いろいろなことを、忘れないために・・・。いつも、お便りありがとう。(岩手県和賀郡)
12月後半(20日から31日)に頂いたコメントをご紹介しました。
無理に忘れようとしなくてもいい。
無理に心にとどめておくこともない。
泣いてもいいけど、笑ってもいい。
被災された方が、一人でも多くそんな思いをもってくださる日が来ることを祈りつつ・・・。
ゆめ風を信じて、託して頂けたことに、
心から感謝をこめて「ありがとうございます!」
今日も背筋をピンっと伸ばして業務を遂行いたします!
ヒデの救援レポート2014年1月6日№148
2014年。
新しい年の風景が、嘘と差別に彩られ、否応なく、ボクたちを巻き込んで広がっています。
新しい年?をくぐり抜けつつ、hideが決めたことがあります。
それは、ゆめ風基金・牧口代表理事の言葉に触発されたことにもあります。
それは「救援レポートを発信する方も大変だろうけど、定期的に読む方も大変なんやで」でした。
東日本大震災1年目は、週2回。
2年目からは、週に1回の定期発信を続けてきましたが、実のところ、牧口の言葉を待つまでもなく、定期的に出さねばの気持ちが、hideを脅迫するようになっているのです。
それでは、いいレポートを発信出来ないのは、自明の理ですねぇ。
ということで、今年の風景として、不定期発信に切り替えることにしました。
フリーハンドのナチュラル発信で~す。
被災地を忘れない、気持ちに伝わるレポートを心がけますので、これからもよろしくお願いします!
2014年の風景の中から。
hide拝
NPO法人 まいどいんあまがさき機関誌「まいど!通信」より転載。
連絡先
TEL 06-6498-4183
FAX 06-4960-8711
「復興支援コラム・岩手県」
遂に最終日!
あっという間です!
3日にまず向かったのは、宮古市です。
去年の10月に尼崎に来てくれた子の所に、今度はお邪魔させてもらいました。
とても元気そうでなによりです。
ちょっと近くを散歩したのですが、とても自然が多く、空気がおいしかったです。
住んでる所に、自然が多くて羨ましかったです。
あんな所に住めたらと、思いました。
引っ越して来たら?と言って貰えましたが、コンビニが近くにないと言われて、無理やなーと思いました。
最後の訪問先は、宮城県仙台市にある東北朝鮮小中級学校です。
東北朝鮮学校は、震災によって、校舎が全壊しており、今現在は元々寄宿舎だった建物で、授業を行っているのですが、やっぱり寄宿舎で授業というのは、いろいろ不都合があり、再建を望んでいるとの事でした。
ただ、校舎再建の費用を行政が出してくれず、校舎再建のメドもたっていないというのが現状だそうです。
なんとか、校舎再建のために少しでも力になれればと思いました。
そんな感じで2泊3日の東北の旅は終わりました。
多くの時間を移動に費やしてしまい、少々心残りはありますが、実際に現地に赴くことによって、尼崎にいては感じることの出来ない想いを直接たくさんの方から聞く事が出来ました。
今回、見たこと、聞いたことをしっかりと自分の中に落とし込み、東北支援を実践していければと思います。
また、実際に見ること、聞くことも大事ですが、何より人との繋がりが一番大事なんだなと、強く感じた2泊3日でした。
南三陸を通り、気仙沼へ。
ここでは津波で陸地に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」を観る事ができました。
330トンあるというだけに近くでみるとかなり巨大。
こんな物がこんな所まで流されるなんて…津波の怖さが伝わってきます。(近々解体される予定だとか)
さらに陸前高田を通りいよいよ岩手県へと向かい、車でひたすら移動する事数時間、釜石市にある被災地障がい者支援センターかまいしさんに到着。
この東北で感じた事は電車やバスの復旧が思うように進んでは無く、仙台などの都市だけを観ただけではわからない沿岸部の状況でした。
車でないとなかなか移動が難しく、時間がかかることでした。
少し移動しょうとすると約1時間は覚悟しないといけない。
今日も復興の難しさ感じた1日でした。
昨日お世話になった「被災地障がい者支援センターかまいし」では遅くまでいろいろな当時から今に至るまでのお話しを伺うことができました。
障害者やお年寄りの方々の介護事業所の少なさや利便性など、今の尼崎では考えられない状況の中で今も支援を行っているとの事。
そして、今年その事業所などの立ち上げのためにNPO法人の設立を目指しているそうです。
全面的に応援協力をしたいと思います。
このセンターでもメッセージカーテンを受け取っていただけました。
早速センター内に飾っていただきありがとうございます。うれしかったです。
そして、今日は私が昨年、岩手県宮古市を訪問した時に出会い、そして尼崎市民まつりに家族で参加してくれたA君の家を目指して山道をクネクネ走り約1時間。
満面の顔で迎えてくれました。
尼崎の障害福祉の姿をみてもらおうと市民祭りの時は1週間ほど滞在していただいた時、A君と交わした「今度は俺が行くからね」約束を守れたね。
お母さんと現状のお話しをさせていただき「ヘルパーさんが来るにも時間がかかるしねぇ」の言葉。
実はその時は「そんなこと無いですよ。もう少し復旧すれば」なんて言葉を返したんだけど…
やはり現状を観るとそんな言葉は返せませんでした。
たまたま現地のヘルパーさんが来ていたので、一緒にお話しを伺うと、介護事業所があるのは隣町。
そこからヘルパーさんが毎日車で1時間かけて通って来ています。
当然帰りも1時間。
雪が降ったら1時間半…といって近くには事業所も施設も何もありません。
俺たちってなんて軽い事を言ったんだろう!
関西では当たり前でも…違うんだよ。
やっぱり現状をもっとみないと!
最寄りのバス停まで歩いて30分なんて普通…勉強になりました。
A君にもメッセージカーテンを受け取ってもらえました。
いつもは会うことはできないけどお互いが行き来してこの友情暖めていけるといいなぁ。
次はA君が来る番だぜ。
また会おう!少し近所一緒に散歩しながら案内をしてくれ、また仙台に向かって車をすっ飛ばす!
宮古市から高速に乗るために盛岡まで山道を約2時間。(A君は病院に行くのにこの道を通って通院は1日かかります)
高速に乗ってからは岩手県は縦に長い。
いつまで走っても岩手県!
やっと仙台に戻った頃は夕方。
遅くなりましたが、東北朝鮮小中級学校に訪問する事ができました。
校長先生にいろいろなお話しを伺いながら現状をみせて頂きました。
校舎は全半壊の状態だったそうで、今はすべてが取り壊されていて、地面の骨組みだけが残っていました。
復旧の見込みはまったく無く、仮設での学習が行われているそうです。
ここでもみんなのメッセージカーテンを受け取っていただきました。
今回の東北訪問では、福島に2枚、宮城に2枚、岩手に2枚のカーテンを受け取っていただきました。
みんなの想いを伝える事ができたように思います。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
まだ復興や支援は終わったわけではありません。
今からです。また皆で力をあわせる事ができたらと信じています。
そして皆さん、また会いましょう。
以上
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これまで届けた救援金
300,372,144円(2013年12月26日現在)
内・東日本大震災救援金総額
254,363,059円(2013年12月26日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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以上!