ヒデの救済レポート

hideの畏友のおひとり、京都花園大学特任教授の八木晃介さんが発行している:試行社通信:第333号からの転載
●原発事故と人体実験
このところ原発関連報道が新聞でもテレビでも極端に減少していることに、私などはひどく不気味で不安な感覚をいだいています。
マグニチュード9の巨大地震・大津波・原発のメルトダウンによる甚大な放射能汚染の事実を私たちは直接的ないし間接的に確かに体験したにもかかわらず、そして今なお原発関連死が増加し:東京新聞によれば、福島県内だけで千人を超えたということです(多くの人々が帰還の目処もたたないままにディアスポラの状況)福島県の避難者だけで「十三万五千人」におかれているにもかかわらず、メディアも大衆も、早くも忘却を決め込んでいるかの風情です。
いまなお原発からはさまざまな形で放射能が垂れ流されているのに、
政府や東電がしていることといえば:完全にコントロールされている:と国際的な詐術を弄しつつ、
まるでモグラ叩きのようなレベルの対応しかできていないのが現実です。
もしかすると、国家規模の壮大な人体実験が福島をふくむ東北地方のみならず
全国を対象にきわめて意図的・組織的に行われているのではないか、
そういう疑念を私はどうしても振り払うことができないのです。
原発の再稼働および新増設をもくろむ政財界・原子力ムラとそれに連なる利権屋どもは、
放射能汚染を極力過小に評価しつづけています。
それは事故直後の:ただちに健康に影響をあたえる数値ではない:という政府発表からはじまっていました。:
ただちに:の定義もなければ、:健康に影響をあたえる数値:の定義もない、
人を小馬鹿にしたような公式発表が原発周辺の人々の避難を遅らせてしまったのですから、
この局面ではまだ非意図的だったかもしれませんが、客観的には人体実験を開始していたというほかありません。
:
毎日(今年3月25日付け)は避難解除予定地域での被曝線量調査(昨年9月実施)で、
国が被曝線量を低く見積もる形で線量操作していた事実を暴露しました。
調査を実際に行ったのは日本原子力研究開発機構と放射線医学総合研究所ですから、
それらによる調査自体もあまり信用できませんが、ともかくそれらのメンバーは相当低い線量になるはずという仮説で調査をはじめj、その結果でもって避難者を帰還させる根拠にしょうともくろんだのですが、
たとえば川内村の場合、屋外8時間屋内16時間で年間1ミリシーベルト台と予測していたのに2・6~6・6ミリシーベルトの高値が測定されたため、調査結果の公表を見送ったばかりか、屋外を6時間に短縮するなどして数値を下げる操作をしていたというわけです。
しかし、それにしても年間2・6~6・6ミリシーベルトというのは恐るべき数値であって、
帰還促進を急いで安全宣言を出したい政府・東電・原子力ムラとしては相当ショックだったものとおもわれます。
しかし、これに驚いていてはいけないわけで、原子力規制委員会:帰還に向けた安全・安心対策に関する検討チーム:は昨年11月11日、個人線量計による線量管理を前提にしてはいるものの、20ミリシーベルト以下の地域への帰還を認める提言書をまとめました。これも恐るべき提言です。
そもそも放射線において:これ以下なら影響ゼロ:というしきい値はないのであって
しかし、一応の目安として一般人については年間1ミリシーベルト、放射線作業従事者には任意の5年間の年平均で20ミリシーベルト、ただしどの年も50ミリシーベルトを超えないとしているのです。(放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行規則)。
つまり、放射線管理区域ではたらく原子力関係者や放射線関係者への限度量を一般住民にあてはめて
いることになるわけですから、人体実験といわざるをえないのです。
政財界・原子力ムラなどは、1日もはやく原発事故の影響をなかったことにしたいわけで、
それは漫画:美味しんぼ:に対する安倍や管、それに石破や福島県:いまの福島県政は完全に県立医大の原子力ムラに振り回されています:らによる言論弾圧の姿勢にも見てとれます。私自身、ジャンルとしての漫画やアニメが大の苦手というか嫌いで、当該作品も読んでいないのですが、各種報道をみるかぎり、作者は相当丁寧に取材していたようです。
ここで問題になるのが「風評被害」という概念。
風評とは、事実でないこと、あるいは些細なことがおおげさにとりあげられ、ある人物やある業界、ある地域が被害を受けることであって、つまりはデマのことです。そして、社会心理学者・オルポートによれば、デマの流布量は、ことの重大性とことの曖昧性との積に比例するとされます。
したがってことの重大性か、ことの曖昧性かのどちらかがゼロになれば、デマもゼロになるという次第。
してみると、福島原発事故の風評:デマ:の本質的発生源が政府・東電・原子力ムラにあったことが明らかになります。
後略・以上
これまで届けた救援金
309,951,224円(2014年10月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,542,139円(2014年10月31日現在)
ただいまの基金残高
248,623,733円(2014年9月30日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
2015年という、未知なる時間帯に突入しました!
更なる知恵と未来を透しする努力をもって、
被災障害者支援の中から、人々の時代を耕さねばなりません。
多くの皆さんの助力を求めます!
本年もよろしくお願いします!
hide拝

コメントのご紹介

今年も、はじまりました。
障害者スタッフの私も、無事、冬眠生活から脱出。
ゆめ風スタッフの元気な顔の中、
今日も、ありがたくコメントを紹介させていただきます。
◆ゆめ風のスタンスに学ぶことが多いです。(広島県三次市)
◆寄付したものが何に使われているか、わかるのが嬉しいです。(東京都新宿区)
◆ゆめ風基金20年を通過点年として、長く太く広げましょう。(東京都清瀬市)
◆家族全員が元気に過ごすことができました。感謝の気持ちを込めて、ご協力させて頂きます。
                                             (静岡県三島市)
◆小さな思いやりが、たくさん集まって、大きな力になると信じています。(大阪市平野区)
◆世の中には厳しい風ばかり吹いていますが、自分からはやさしい風を吹かせたいです。
                                         (神奈川県横須賀市)
◆半身淡路大震災からもうすぐ20年。地道な活動に感謝いたします。(東京都調布市)
◆災害多発で、大変だったと思います。お体に気をつけてください。(京都府舞鶴市)
◆ どこまでたえればいいのか・・・。まだまだ修行しろ!ということなのかナ(-_-;)(長野県北佐久郡)
◆前進ばかりを勇ましく言いつのる声に、横もうしろも上も下もあるよと言いたいです。(滋賀県甲賀郡)
◆風だよりに励まされての日々です。(東京都杉並区)
◆意に添わない政策分の税金分を、貴基金に寄付できればどんなにいいかと思います。
 叶いませんけど・・・。(東京都文京区)
◆ある時払いです。有効に活用されている様子がわかり、安心しています。(島根県松江市)
◆「ゆめ・風」を読むと、自分の生き方がフワフワしていると恥ずかしくなります。
 新しい年がどうか良い年になりますよう に。(東京都荒川区)
◆戦争しない。武器を売らない。すばらしいことです。変える必要ない!―くもさんー
◆今の阿部政権のもとでは、年寄りは長生き不可能です。
  が、73歳の私は息のあるかぎり「夢」をつづけます。(東京都中野区)
◆阪神淡路大震災から20年。今でも・・・これからも・・と、思う。(東京都小金井市)
◆投票率戦後最低は、悲しいです。首相の第一声が、改憲議論推進、悔しいです。(神奈川県高座郡)
◆コツコツトとつづける大切さを感じてます。(千葉県茂原市)
◆いつも、「ゆめごよみ 風だより」を楽しみにしています。(さいたま市)
◆東日本震災は、長期にわたって支援していただきたい。(富山県魚津市)
◆天災が多く、どこにいても何が起こるかわからない。これからも地道な活動、応援しています。(さいたま市)
◆弱い立場の人たちが、置いてきぼりを食うような社会はご免です。多くの方々の力添えで
       ゆめ風基金はあるとのこと。 しなやかにこれからも息の長い活動を願っています。(愛知郡)
◆11月23日「とっておきの福祉まつり」開催時の基金です。(千葉県八千代市)
◆働けど働けど・・・ですが、一灯として送ります。(東京都世田谷区)
◆「ゆめごよみ」で、私達が気付いていない点がよくわかります。少しづつですが、支援していきます。
                                                         (佐賀市)
日差しの下でも、北風が冷たい冬。
みなさまのあたたかい声に支えて頂いて、
スタッフ一丸となって、歩んでまいります。
ありがとうございます。
穏やかな年になりますように。(広島県安芸郡)

東日本大震災から3年9カ月・仮設住宅の現状

「眼の会」榊原様より
防災関連情報としていただきました。
いつも、ご協力ありがとうございます。 
 
被災地の現状と
進まない復興のもとでの人々の思い・・・。
みなさま、お読みください。
■:老朽化進む仮設住宅 雨漏り、カビ発生で肺炎不安も…
大震災の被災地に疲労色濃く
産経新聞2015年1月3日(土)13:23
 東日本大震災から3年9カ月が過ぎたが、被災3県では11月末現在で
いまだ約8万5千人がプレハブ仮設住宅で生活を送る。
そもそも災害救助法では、仮設住宅の長期使用は「原則2年間」としか想定されていない。
住宅の老朽化も進み、月日とともに増していく人々の疲労を感じた1年だった。
 
海から湿った風が流れ、蒸し暑さが続いた今年の夏。
狭く気密性が高い仮設住宅では、多くの人が室内にしつこく発生するカビに悩んでいた。
宮城県気仙沼市の仮設住宅に住む50代の女性は、
平成23年8月の入居直後から室内にカビが生え、
掃除と布団干しを毎日欠かさなかったという。
カビの悪臭で、1部屋に3つずつ脱臭剤を置いていたことも。
しかし、同年の冬からせきが止まらなくなり、昨年肺炎と診断され、入院も経験。
「カビの掃除で吸い込んでいたのでは」と不安そうに話す。
今でもカビや結露、雨漏れに悩まされる日々が続く。
 肌寒さが増してきた今年の秋。福島県南相馬市の仮設住宅を訪ねると、
住民の青砥(あおと)宗男さん(86)が玄関の壁に取り付けた木の板を指さした。
「これ、自分で作ったんです」板は、雨漏りやすきま風を防ぐためのもの。
3年以上がたった仮設住宅は劣化が進み、住民自ら修繕などの工夫を施した住宅を多く見た。
保温性に乏しい仮設住宅は「朝晩本当に寒い」と10月下旬にこたつを出し、
やがて来る冬に身構える男性もいた。
 宮城県名取市の仮設住宅では、多くの高齢女性が津波の夢を見たり、
将来への不安が襲ってきたりして、「いまだ睡眠薬を手放せない」と話していた。
同県石巻市の女性(87)は4畳半一間に1人で暮らし、
「家に1人でいるとおかしくなってしまいそう」と漏らす。仮設住宅の物理的な劣化と比例するように、
住民の気苦労や不安疲労も増大している。
 現在仮設住宅に住む多くの人は高齢で、自宅の自力再建は困難だ。
建てたばかりの自宅が津波に流され、
「もう住めない家のローンが3千万円ほど残って払い続けている」と打ち明けてくれた女性もいる。
そのため多くは市町が整備する集合住宅か、戸建て住宅で賃貸の「災害公営住宅」に移ることになるが、
完成したのは宮城県でも11月末時点で1割ほど。
用地取得などの遅れから、何年先に入居できるのかがはっきりしていない場所もあり、
被災者の不安をあおっている。
 「若く元気な人は抜けていき、高齢者や体調に問題を抱える人が凝縮する」
石巻市包括ケアセンターの長(ちょう)純一所長(48)に取材した際、
これからの仮設住宅が迎える問題をこう表現したのが印象に残っている。
自宅を再建できる経済力や働き続けられる体力を持つ若い世代が抜け、
仮設住宅団地からも徐々に活気が失われている。
仮設住宅に残った人々にとっては暮らしが長期化するほど、焦りばかりが募ってしまう。
 「ぜいたくは言わない。ここまでみんなに支えられて生きてこられただけでありがたい」
そう答え、決して十分とはいえない生活環境の中で、
毎日を懸命に生きる被災地の人々の姿を見てきた。人々が1日も早く終のすみかへ移り、
来年はより多くの人が新年を暖かな新居で迎えられるよう、復興がさらに進むことを願う。(安藤歩美)

新年のご挨拶

新年あけましておめでたくありますようにと心から願う朝
いつもお世話になり本当にありがとうございます。
阪神淡路大震災から20年。
極寒の避難所で、弱い人から飢えと寒さで倒れていく現実に「これが経済大国といわれるこの国の実態?」と愕然としたあの日々を忘れることはできません。
そして、まだ行方不明の方が多数おられた1月末に、すでに市の再開発計画が進められていたことを知り「ここは人間の国?」と全身が震えたことも。
ゆめ風基金が発足して20年。
その間に、たくさんの災害が起きました。
改めて被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。
障害者運動から出発した草の根の「ゆめ風基金」が今まで続けてこられたのは、
ひとえにみなさまの応援のおかげです。
ゆめ風基金一同心から感謝申し上げますとともに、
この国が「人間の国」に生まれ変われるための活動の一端を担い続けたいと思います。
8月16日に「希望はつながり」をテーマに、中央公会堂で20年の集いをいたします。
ご参集いただければ大変ありがたいです。
本年もどうぞよろしくお願いします。
                  2015年1月5日 ゆめ風基金一同

頂いた帽子

もらった帽子
毎年、冬になると帽子を送ってくださる方がいます。
被災された方の暮らしが、少しでも温かくなりますように。
はやく、元の生活に戻れますように。
そんな思いを込めて、
ひとはり、ひとはり、色とりどりの帽子を
1年かけて、作ってくださいます。
耳元が毛糸は、全身ぽかぽか?にします。
人のぬくもりを
支援の手を
ありがとうございます。
被災地にお届けとさせていただきます。
by ふくもと ちなつ

冬季休暇のお知らせ

さて、ゆめ風事務所、年末年始のお休みを頂戴します。
12月27日~1月4日
今日が、ゆめ風基金事務所の仕事おさめです。
2014年、いろんな災害があり、そのたびに、皆様にお世話になりました。
ありがとうございました。
インフルエンザなども流行っています。
どうか、お体ご自愛くださいませ。
来年もよろしくお願いいたします。
皆様にとっても来年が良き年でありますように・・・。
被災地の笑顔が早く戻りますように・・・。
事務局員一同

ゆめ風が支援させて頂いた団体さんからのお手紙です

ゆめ風基金から支援金をお届けした、発達障害サポートセンター「えぇ町つ くり隊高田支部」さんから、嬉しいお手紙を頂きました。
以下、転載します。
「ただいま~!」「今日のおやつは何?活動はなんだっけ?」
元気な子どもたちの声で“さぽーとはうす★すてっぷ”の一日が始まります。
岩手県の沿岸最南部に位置する陸前高田市は平成23年3月11日に起きた「東日本大震災」で甚大な被害を受けました。あれから3年…
白砂青松とうたわれた高田松原の美しい景色とともに、落ち着いた街並みも今はもう見ることができません。
しかしながら、復興の槌音が確かに鳴り響いております。
これもまた、私たちの住む陸前高田市を支えてくださる多くの方々のお力添えのおかげであると大変感謝しております。
まことにありがとうございます。
当法人いわて発達障害さぽーとセンターえぇ町つくり隊は震災直後より陸前高田市において発達障がい児者への支援を行なうため支部を設けて、主に発達障がい児者への理解啓発と障がい者支援を行っている支援者の支援として活動してきました。
震災後から各ボランティア団体が陸前高田市に入り支援を行っておりますが、障がい児者への支援団体は少なく、障がい児者への支援が手薄い状態でもあります。
特に社会理解が難しいとされる発達障がい児者において当法人が平成25年9月に岩手県の認可を得て、陸前高田市において初めて児童発達支援事業(市直轄の療育教室は有り)及び放課後等デイサービス事業を開始しましたが、それまでは当市には一つも児童とくに、小学生以上へ対するサービス事業を行っている所がなかった状況でもありました。
当法人が陸前高田市で活動をはじめ3年が過ぎましたが、まだまだこの地域では発達障がい児者とその家族は地域の中において生活のしにくさを感じている状況であると思います。
目に見えにくい困難さは家族内ですら理解されない家庭もあるだけに一体誰に悩みを相談すればいいのかといったニーズがあることもわかり、そのニーズに応えていくためにも当事者またはその家族が気軽に相談できる場所を確保することも必要不可欠であると考えます。
また、福祉サービスの枠には該当しない児童・生徒が増えている現状もあるだけに、ちょっとした支援でできるようになることが多い発達障がい児や発達障がい傾向児に対し、専門的な支援を提供していくことで生活のしにくさをやわらげ、本人の課題克服につなげていけると思っております。
そのためにもスタッフの確保、支援スキルの向上、行政や関連団体との協力体制、地域住民の方々の理解が必要不可欠となるためその体制作りが重要となると考えております。
人口減少が著しく、高齢人口が高い地域ではありますが、当事業所「さぽーとはうす★すてっぷ」の周知が進むにつれ、関係機関からの紹介や親御さんからのご相談が増え、ご利用者も増加しております。
現在12月の新規ご登録者も含めて10名の方々にご利用いただいております。
ニーズは高まっていく、そう実感しております。
私たちのやるべきこと、この子どもたちの将来を見据えて。
岩手は沿岸南部ですが、今年は本格的な冬が早いように感じられます。
どうぞ、 皆様もご健康にご留意されますように。
まずは、取り急ぎご報告まで。
とのことです!
東北は公共交通網がほとんどないに等しく、車での移動が基本です。
でも、車を持っていない人もいるし、バスにも乗れない人がたくさんいます。

この写真のように、「車があれば・・・」とのご要望に皆様からお預かりした救援金をお送りしました。


なんと力強い「未来」への希望でしょう!
自分たちの「居場所」ができて、そこに行ける。
大阪にいると、つい地下鉄やバスがすぐ使えることが便利で、それが当たり前のように思ってしまいがちです。
でも、そんな都会ばかりではないこと、特に被災地では、その「公共交通機関」もなくなってしまったことが多いです。
自由に出かけたい、という思いを皆様のご支援のおかげで、かなえることができました。
改めて深く御礼申し上げます。
年の瀬に、嬉しい報告ができて、私たち事務局員も、嬉しいです。
未来をを作る。
この子達が大きくなる頃には、笑って過ごせる街ができるよう、来年もまたよろしくお願いいたします。
(長崎 圭子)

ヒデの救援レポート 2014年12月25日 №169

●第10回ゆめ風であいましょう イン東京
日時:2015年1月20日午後6時より
参加費:2000円(介護者1人まで無料)
場所:渋谷区文化総合センター大和田6階伝承ホール
    東京都渋谷区桜丘町23-21(JR渋谷駅から徒歩5分)
主催:認定NPO法人ゆめ風基金
共催:カタログハウスの学校
●問い合わせ・申し込み
TEL 0120-545-450 FAX 03-5365-2278
「少年期は戦争だった!3人のゆめ風呼びかけ人がじっくり語ります。」
出演:永六輔さん、谷川俊太郎さん小室等さん、こむろゆいさん
●定員300人になり次第締め切り。お早めにお申し込みください!
くわしいチラシはここをクリックしてください。


月刊:スティグマ 220号特集より転載
連絡先:一般社団法人千葉県人権センター
  電話 043-496-4967 FAX 043-496-4572
「東日本大震災東北被災地復興支援「ちばの絆」プロジェクト」東北スタデイツアー報告
経過報告・事務局
・去る9月28より29の2日間にわたって、東日本大震災東北被災地復興支援「ちばの絆」プロジェクト東北スタデイツアーが開催され、県内より34名が参加した。
「ちばの絆」は、すでに本誌でも紹介したとおり、東日本大震災における東北の被災地の多くが、中世東北に所領した奥州千葉氏の築いた町であることがわかり、「千葉氏」の縁により東北復興支援を行おうと結成された千葉県民の団体である。
きっかけは、2013年に、酒々井町の社会福祉関係団体が合同で行った東北スタデイツアーの際、由来も知らずたまたま現地の方に案内された陸前高田市(本丸公園)が、今回の震災を契機に調査した結果、高田のルーツともいえる中世高田城跡であり、且つ城主が千葉氏であるということを発見したことにあった。
この数奇な縁により、昨年10月、佐倉市内で「東北被災地と中世千葉氏」に関する学習会を開催したところ、新聞に報道されたこともあり、150名を超える県民が参加。
その参加者を母体に、本年5月、酒々井町で設立総会を行った。
現在90の個人団体が参加している。
総会では、まず本年度事業として、東北スタデイツアーの開催を決定した。
今回のツアーの目的は2つ。
1つは9月28日に岩手県一関市「唐梅総合公園」で開催される:唐梅館絵巻:を見学すること、もう1つは、翌日陸前高田の被災と復興の状況を視察するとともに、高田城跡を踏査することである。
ここにツアーの概略を掲載するとともに、その元になった関係資料を掲載する。
「唐梅館絵巻」とは今年で14回を数える、300余名の武者行列と軍議の再現を中心とする奥州千葉氏の歴史を偲ぶ時代祭りである。
奥州千葉氏は、鎌倉時代の源氏による奥州藤原氏との闘いにおいて武勲を立てた千葉常胤が、恩賞として東北に所領をえて成立した千葉氏の一族であり、その中でも一関に所領長坂千葉氏は、大きな勢力を誇っていた。
1590年、豊臣秀吉が全国制覇のために、北条家の下に結束する関東の武将と戦った小田原合戦の際、下総千葉氏は全軍を率いて参戦し、敗戦によって滅亡した。
一方奥州千葉氏もこの小田原合戦に関する軍議を開催、豊臣方には与せず、北条方に加勢することを決定するが、参戦の前に小田原城は落城し、合戦は終了してしまう。
その後豊臣秀吉によって奥州千葉氏の所領は没収されたものの、一族は滅亡することもなく、その後も奥州の地にとどまり続けた。
その結果、今日でも東北地方には千葉姓の人が多く存在している。
「唐梅館絵巻」はそのとき北条方参戦を決議した軍議を再現する祭りであり、東北地方では今でも千葉氏をアイデンティティの柱とする文化が残っていることをうかがわせる。
今回、千葉氏の本家ともいうべき千葉県から、奥州千葉氏を偲ぶ東北の人々の文化を学ぶために、このツアーが開催された。
今回のツアーについては、後に掲載する企画書でその目的等を紹介する。
また、今回のツアーには、酒々井町に本拠を置くケーブルネット296のカメラクルーが同行し、全体を記録した上で、後に30分程度のドキュメンタリー映像を作成し、広く県民に周知する教材とすることになっている。
●1日目「唐梅館絵巻」
「中世東北の千葉氏」講演会
●2日目「高田城跡踏査、および市内視察」
2日目は、ホテルの間近にある「高田城跡」を全員で踏査した。
非常に高い立派な山城の城壁、土塁、古道、郭が見事に保存され、城内に2つの立派な神社:構造からして元は寺院とみられる:が建てられていた。
さらに奥へ踏み込むと新たに発見された郭の跡が発掘されていた。
城跡裏はすでに高台移転用地として造成が始まっていた。
市内全域が現在ものすごい勢いで復興造成事業が進められ、多くの高台が平地となり、各所にかさ上げ用の大きな土の山が盛られていた。
その後一行は二手に分かれ、代表団は陸前高田市役所へ表敬訪問に向かい、バスの本隊は高田松原跡の「奇跡の一本松」へと向かった。
代表団は、市役所に向かう前に、地元旧家である「矢作家」を訪問し、当家当主に面会した。
当主の話によれば、矢作家は1315年に矢作城より陸前高田に入部し、以来この地で過ごしてきた。
高台の一角に位置し、津波被害はまぬがれたが、敷地ぎりぎりまで津波が迫ったという。
古い家屋の屋根には「八陽月星」の家紋が刻まれ、千葉氏の一党であることがわかった。
市役所に向かい、戸羽市長以下幹部職員と面会、まずは津波被害のお見舞いを申し上げるとともに、高田城跡周辺の復興支援に微力ながら寄付をしたいという会の要望書を手渡した。
市長から現在高田城跡は、市民の憩いの公園と、いざという時の防災避難所としての位置づけで整備計画ができている旨報告された。
一行は何とか城跡に歴史観光モニュメントをつくっていただき、その建設資金を寄付したい旨申し入れた。
代表団と本隊は再度合流した後、近くにある気仙成田山を参拝し、弔霊の黙祷を捧げ、ご住職より津波被害についての説明を受けた。
ご住職は「ちばの絆」の会員である菅野さん兄弟の甥っ子であるそうで、ここでもまた不思議な縁を体験することとなった。
ご住職の案内で全員旧本堂で焼香し、お土産に大船渡名物「カモメの卵」をいただいて現地を跡にした。
2日間を通じて参加者一同新鮮な驚きに感慨を深くするツアーであり、帰宅時には早くも来年のツアーが話題に上がっていた。
後略・以上
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これまで届けた救援金
309,951,224円(2014年10月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,542,139円(2014年10月31日現在)
ただいまの基金残高
248,623,733円(2014年9月30日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い 吾亦紅」と咲くのです。
再び出会うことのない、2014年が、数多くのひとのものがたりと共に、過ぎ去ろうとしている年の瀬。
皆さん共々、新しい2015年には、希望と変革のひとものがたりが創り出せるように強く望みます!
今回のhideレポートを年内最終のものとします!
また来年!
以上

お客様が事務所に・・・

夕のゆうさんご訪問
12月16日(火)
「社会福祉法人 ゆうのゆう」 の
 「ディセンター きかんし」さまを代表して
冷たい雨の中、寄付金をお持ちくださいました。
体温調節が難しい、特に難しい冬の外出は
障害者にとっては、命がけです。
車いすでの移動は、体の外を、いくらあたためても、
体の中が、寒いのです。
私の足も、アキレスけんの痛みと指先のしもやけ痒みで、
人知れず、泣いております。
この日は、若い青年から、元気をいただき、
それも、しばし忘れることができました。
尊い基金を大事に大事にお送りいたします。
ありがとうございました。

コメントのご紹介

これから寒くなる11月に、雪深い長野県での地震。
報道が少なかった気がします。
義援金や物資は、不足していないのでしょうか。
雪に閉ざされる冬、私達が想像できない不便さも・・・。
全国からのエールを、届けさせていただきます。
◆12月になり、振り返ってみると、自然災害の多い年でした。
 人間は弱いものです。でも、互いが助け合えばなんとかなると思います。
前を向いて生きましょう。って、自分にも言いきかせてます。(大阪市阿倍野区)
◆定期満期になったので、おすそわけです。(沖縄県名護市)
◆人災・自然災害が起こり、弱い立場の人たちが増々追い詰められていく現状に心が苦しくなります。(千葉県船橋市)
◆ずっと、ゆめ風が被災障がいの方たちの希望となりますように。(大阪府箕面市)
◆2015年は良い事がたくさんありますように!皆様、健康でお過ごしくださいませ。(東京都足立区)
◆今年も無事にみんなが正月を迎えられますように。(大阪府堺市)
◆ささやかですが、活動のお役にたてたら、嬉しく思います。(東京都小金井市)
◆あらゆる方面で、助け合って行きたい。それができる枠組みをこれからも提供し続けてください。(東京都杉並区)
◆「はり灸レンジャー」の活動を続けていきます。(岐阜市)
◆1日1日を無事に過ごせますように。少しですが、続けさせていただきます。(千葉県佐倉市)
◆ゆめをもち 風をとどけて やすらぎを(東京都渋谷区)
◆東日本大震災復興を願っての「ぬくもりコンサート」、第4回になります。
ラストに全員で「♪伝えてください」を大合唱しました。(千葉県成田市)
◆災害 障害など不便を感じている人たちに役立ててください。(神奈川県足柄上郡)
◆皆様のお役に立てれば、幸いです。できることが見つかるまで続けます。(東京都江東区)
◆今年一年、無事働けることに感謝し、ささやかながら、お力になれば・・・っと思いました。(京都府相楽郡)
◆20年経ったのですね。私も続けていけるようにがんぱってます。よいお年を!(奈良市)
◆寒くなりますが、皆元気に年を越せますように祈ります。(茨城県常総市)
◆娘よりもらったボーナスの10%です。(東京都国分寺市)
◆みなさま、今年も一年ありがとうございました。
来年は、良い事がたくさんありますように。(大阪市平野区)