ヒデの救援レポート 2014年12月25日 №169

●第10回ゆめ風であいましょう イン東京
日時:2015年1月20日午後6時より
参加費:2000円(介護者1人まで無料)
場所:渋谷区文化総合センター大和田6階伝承ホール
    東京都渋谷区桜丘町23-21(JR渋谷駅から徒歩5分)
主催:認定NPO法人ゆめ風基金
共催:カタログハウスの学校
●問い合わせ・申し込み
TEL 0120-545-450 FAX 03-5365-2278
「少年期は戦争だった!3人のゆめ風呼びかけ人がじっくり語ります。」
出演:永六輔さん、谷川俊太郎さん小室等さん、こむろゆいさん
●定員300人になり次第締め切り。お早めにお申し込みください!
くわしいチラシはここをクリックしてください。


月刊:スティグマ 220号特集より転載
連絡先:一般社団法人千葉県人権センター
  電話 043-496-4967 FAX 043-496-4572
「東日本大震災東北被災地復興支援「ちばの絆」プロジェクト」東北スタデイツアー報告
経過報告・事務局
・去る9月28より29の2日間にわたって、東日本大震災東北被災地復興支援「ちばの絆」プロジェクト東北スタデイツアーが開催され、県内より34名が参加した。
「ちばの絆」は、すでに本誌でも紹介したとおり、東日本大震災における東北の被災地の多くが、中世東北に所領した奥州千葉氏の築いた町であることがわかり、「千葉氏」の縁により東北復興支援を行おうと結成された千葉県民の団体である。
きっかけは、2013年に、酒々井町の社会福祉関係団体が合同で行った東北スタデイツアーの際、由来も知らずたまたま現地の方に案内された陸前高田市(本丸公園)が、今回の震災を契機に調査した結果、高田のルーツともいえる中世高田城跡であり、且つ城主が千葉氏であるということを発見したことにあった。
この数奇な縁により、昨年10月、佐倉市内で「東北被災地と中世千葉氏」に関する学習会を開催したところ、新聞に報道されたこともあり、150名を超える県民が参加。
その参加者を母体に、本年5月、酒々井町で設立総会を行った。
現在90の個人団体が参加している。
総会では、まず本年度事業として、東北スタデイツアーの開催を決定した。
今回のツアーの目的は2つ。
1つは9月28日に岩手県一関市「唐梅総合公園」で開催される:唐梅館絵巻:を見学すること、もう1つは、翌日陸前高田の被災と復興の状況を視察するとともに、高田城跡を踏査することである。
ここにツアーの概略を掲載するとともに、その元になった関係資料を掲載する。
「唐梅館絵巻」とは今年で14回を数える、300余名の武者行列と軍議の再現を中心とする奥州千葉氏の歴史を偲ぶ時代祭りである。
奥州千葉氏は、鎌倉時代の源氏による奥州藤原氏との闘いにおいて武勲を立てた千葉常胤が、恩賞として東北に所領をえて成立した千葉氏の一族であり、その中でも一関に所領長坂千葉氏は、大きな勢力を誇っていた。
1590年、豊臣秀吉が全国制覇のために、北条家の下に結束する関東の武将と戦った小田原合戦の際、下総千葉氏は全軍を率いて参戦し、敗戦によって滅亡した。
一方奥州千葉氏もこの小田原合戦に関する軍議を開催、豊臣方には与せず、北条方に加勢することを決定するが、参戦の前に小田原城は落城し、合戦は終了してしまう。
その後豊臣秀吉によって奥州千葉氏の所領は没収されたものの、一族は滅亡することもなく、その後も奥州の地にとどまり続けた。
その結果、今日でも東北地方には千葉姓の人が多く存在している。
「唐梅館絵巻」はそのとき北条方参戦を決議した軍議を再現する祭りであり、東北地方では今でも千葉氏をアイデンティティの柱とする文化が残っていることをうかがわせる。
今回、千葉氏の本家ともいうべき千葉県から、奥州千葉氏を偲ぶ東北の人々の文化を学ぶために、このツアーが開催された。
今回のツアーについては、後に掲載する企画書でその目的等を紹介する。
また、今回のツアーには、酒々井町に本拠を置くケーブルネット296のカメラクルーが同行し、全体を記録した上で、後に30分程度のドキュメンタリー映像を作成し、広く県民に周知する教材とすることになっている。
●1日目「唐梅館絵巻」
「中世東北の千葉氏」講演会
●2日目「高田城跡踏査、および市内視察」
2日目は、ホテルの間近にある「高田城跡」を全員で踏査した。
非常に高い立派な山城の城壁、土塁、古道、郭が見事に保存され、城内に2つの立派な神社:構造からして元は寺院とみられる:が建てられていた。
さらに奥へ踏み込むと新たに発見された郭の跡が発掘されていた。
城跡裏はすでに高台移転用地として造成が始まっていた。
市内全域が現在ものすごい勢いで復興造成事業が進められ、多くの高台が平地となり、各所にかさ上げ用の大きな土の山が盛られていた。
その後一行は二手に分かれ、代表団は陸前高田市役所へ表敬訪問に向かい、バスの本隊は高田松原跡の「奇跡の一本松」へと向かった。
代表団は、市役所に向かう前に、地元旧家である「矢作家」を訪問し、当家当主に面会した。
当主の話によれば、矢作家は1315年に矢作城より陸前高田に入部し、以来この地で過ごしてきた。
高台の一角に位置し、津波被害はまぬがれたが、敷地ぎりぎりまで津波が迫ったという。
古い家屋の屋根には「八陽月星」の家紋が刻まれ、千葉氏の一党であることがわかった。
市役所に向かい、戸羽市長以下幹部職員と面会、まずは津波被害のお見舞いを申し上げるとともに、高田城跡周辺の復興支援に微力ながら寄付をしたいという会の要望書を手渡した。
市長から現在高田城跡は、市民の憩いの公園と、いざという時の防災避難所としての位置づけで整備計画ができている旨報告された。
一行は何とか城跡に歴史観光モニュメントをつくっていただき、その建設資金を寄付したい旨申し入れた。
代表団と本隊は再度合流した後、近くにある気仙成田山を参拝し、弔霊の黙祷を捧げ、ご住職より津波被害についての説明を受けた。
ご住職は「ちばの絆」の会員である菅野さん兄弟の甥っ子であるそうで、ここでもまた不思議な縁を体験することとなった。
ご住職の案内で全員旧本堂で焼香し、お土産に大船渡名物「カモメの卵」をいただいて現地を跡にした。
2日間を通じて参加者一同新鮮な驚きに感慨を深くするツアーであり、帰宅時には早くも来年のツアーが話題に上がっていた。
後略・以上
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これまで届けた救援金
309,951,224円(2014年10月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,542,139円(2014年10月31日現在)
ただいまの基金残高
248,623,733円(2014年9月30日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い 吾亦紅」と咲くのです。
再び出会うことのない、2014年が、数多くのひとのものがたりと共に、過ぎ去ろうとしている年の瀬。
皆さん共々、新しい2015年には、希望と変革のひとものがたりが創り出せるように強く望みます!
今回のhideレポートを年内最終のものとします!
また来年!
以上

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