必要なときに必要なところに届くように
本日5月10日、被災地障がい者センターいわて、被災地障がい者センターみやぎ、被災地障がい者支援センターふくしまの3拠点の共通支援金として1,000万円を送金しました。
被災地があまりに広い範囲に渡っていることや支援活動の拠点作りが整備され、現地での救援活動の中で緊急に支援金を必要とする場合にすぐに役立ててもらうためには、あらかじめ現地に支援金を送金しておいたほうがよいと判断しました。
現地の被災障害者のニーズに沿った救援活動を被災地障害者とともにすすめようと願うわたしたちにとって、支援金そのものの流れも必要なときに必要なところに届くように、現地の決済を優先することが本来の姿であると思います。大切な支援金を送っていただいたみなさんにもご理解とご賛同をいただけるものと思います。
震災以後2ケ月をへてこれからがほんとうのはじまりなのだとスタッフ、関係者一同あらためて心をひとつにして、支援活動をすすめようと思います。
復旧ではなく復活だ!ボランティア大募集!
復旧ではなく復活だ!
被災障害者救援ボランティアを募集します
☆大震災から2ヶ月たちました。
被災地障がい者センターみやぎ
被災地障がい者支援センター福島
被災地障がい者支援センターいわて
の3カ所に設けられた被災地障害者支援センターは、避難所や地域を歩いて被災
障害者のお話を伺い、生活上の困難な状況をお尋ねし、ニーズを把握してボラン
ティアを派遣したり救援物資や介護用品を届けたりなどの救援活動を懸命に続け
ています。
活動が広がるにつれ、新たな障害者とのつながりが増え、埋もれさせられていた
障害者のニーズも表面化しつつあります。
☆被災地では圧倒的に人手が足りません。
できれば1週間以上がありがたいですが、数日入れるという方もご連絡ください。
現地での障害者救援活動に参加いただける方は、
受付書http://blog-imgs-47.fc2.com/y/u/m/yumekaze21/volunteer.htm
にご記入の上、メールかFAXでお送りください。
(アドレス yumekaze@nifty.com FAX 06-6321-5662)
障害者の救援活動はまだ始まったばかりです。
「復旧ではなく復活だ!」
これは 阪神淡路大震災における障害者救援活動の合い言葉でした。
今回も 同様の発信となります。
「障害者市民の復活」にみなさまの力をお寄せください。
ゆめ風基金事務局
いよいよ今週土曜日 被災障害者救援バザー
豊能障害者労働センターの障害者救援バザーが、いよいよ今週の土曜日に開かれます。
先週の金曜日、豊能障害者労働センターに行ってみると、バザー用品の回収が毎日50件もあり、その上にこの日の朝、クロネコヤマトが80個のバザー用品を持って来たそうです。大型のトラックで来た運転手が「こんなのはじめて」と苦笑していたようです。そして昼にはゆーパックが20個来ました。宅急便を開けると「こんな形で被災地とつながることができて、うれしい」というメッセージなど、心のこもった手紙が添えられていて、そのことばに励まされながら地震からの2か月を過ごしてきたそうです。
豊能障害者労働センターは一般企業が雇わない障害者の働く場をつくりだし、給料をみんなで分け合っているとてもめずらしいグループです。現在7つの店と箕面市広報紙の翻訳、通信販売と福祉助成金で毎月の給料をつくりだしているのですが、どうしても赤字になるところをバザーの売上で補っていました。
そんな彼女たち彼たちが、バザーの売り上げ全部を被災障害者の救援金として「ゆめ風基金」に送ろうと決めたのは地震から一週間もたっていませんでした。「そんな無謀なことをしないで、せめて半額にしたら」と、よく内情を知るひとたちが言いましたが、「いや、中途半端は気持ちが悪い。全額届ける方が自分たちもすっきりする」と言うのでした。
そのことを機関紙読者に告げ、また「ゆめ風基金」の機関紙で知らせると、全国からバザー用品が送られてくるようになりました。豊能障害者労働センターの強い思いといさぎよさ、そしてシンプルな呼びかけが多くの人の心に届いたのだと思います。
送られてくるバザー用品の箱にこめられたたくさんのひとの心に思いをはせると、胸にぐっとせまるものがあります。
バザーはその名の通り「市場」です。けれども、一般経済でいう「しじょう」ではなく、「いちば」です。そこでは市民が自分の意志で不用品を提供し、それを別の市民が新しく利用する、「助け合う経済」(恋する経済)の中心的な仕組みだと思います。
それぞれちがった時に世に出た物たちが、時と場所をこえて雑然と集うその市場では、それらの物たちがここに来る前にたどってきた無数の時間と、それらの物たちが立ち会ってきた無数の人間の願いと夢、別れと出会いがかくれています。
今週の土曜日、物と物、物とお金、物と人、お金と人、人と人が出会う障害者救援バザーに、ぜひ来て下さいね。お待ちしています。
救援バザーまであと数日。てんやわんやの豊能障害者労働センターでした。
バザー用品の回収が追いつかず、事務所はてんてこ舞い。Mさんが今から回収に行くところ、「わたしの受けたこの人の所に早く行ってください」。(左)
今日は朝から80個の宅急便を引き取り、少しお疲れ気味のWさん。いつもは何かと話しかけてくるのですが、さすがに無言でお仕事されていました。」。(右)
倉庫は物また物で、天井まで届いています。真ん中あたりの物に値をつけては壁際か、別の倉庫にもっていきます。気のせいだと思いますが、物が何か一生懸命お話しているように思います。それは、これらの物たちを箱につめ、自費で送料を払っていただいて送ってくださったおひとりおひとりの願いを伝えようとしてくれているのだと思います。
たまたまこの時はベテランの障害者スタッフOさん一人でしたが、いつも数人の人がひとつずつ値をつけていきます。
「ゆめ風基金」から派遣されたボランティアの方。初日に新大阪の「ゆめ風基金」の事務所に帰ってこられ、「こきつかわれたでしょう」とおたずねすると「こきつかわれました」と冗談のような本気のようなお話でした。けれども、けっこう気に入って下さったみたいで、障害者スタッフとお友達になられたようです。バザー当日まで手伝ってくださるということで、とても心強いです
実際現場をみたら言葉が出ませんでした。
ボランティアの方の現地レポートです。
事務局様
29日から3日まで活動してきました。
メールに書いてあるように活動が広がれば広がるほど手が足りなくなりますね。
たすけっとの皆さんも菊池さん始めぎりぎりで頑張っているので倒れはしないかと心配です。
特に来週からは連休も終わり拡げた活動が狭まらないようにしたいですね。
当法人でもできるだけ計画的に長期で送れるように考えています。
又、私の方も大阪市障害児・者施設連絡協議会に働きかけて(26日に総会があります)全体で派遣できるように働きかけていきます。
また、登米市の拠点もうまくいく事を願っております。
被災地障がい者センターいわてのブログが立ち上がりました。
被災地障がい者センターいわてのブログが立ち上がりました。
救援活動の現場からの情報がいち早くご覧になれます。
ぜひごらんください。
ブログ開設のメッセージを転記します。
2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震で被災を受けた障がい者の救援を目的に、「被災地障がい者センターいわて」を設立しました。
被災地障がい者センターは、「東北関東大震災障害者救援本部」及び阪神淡路大震災を教訓に生まれた「NPO法人 ゆめ・風基金」の全面的なバックアップを受け、ふくしま、みやぎと設立され、いわては4月12日の設立となりました。今後岩手県内の被災障害者の被害状況調査、ニーズの把握、金銭的・物的・人的救援を他の団体とも連携しながら行います。障がい者が避難できているか、避難所で暮らせているか、日常活動の場所などに破損はないか、必要な物資はあるか、などという課題が、置き去りにされがちになります。そうした困難やニーズに対して、迅速かつ細やかに「顔の見える関係」「つながり」を大切にしながら救援物資や救援金・人員をお届けしたいと思います。
被災地障がい者センターいわて
近畿ろうきんがゆめ風基金の募金支援
かねてから障害者拠点への融資などで提携してきた近畿ろうきんが、ゆめ風基金を資金的に支援する「募金プロジェクト」を立ち上げられました。
近畿ろうきんは、2006年にゆめ風基金と提携して、NPO法人や社会福祉法人が障がいのある人たちのために行う事業を支援する障害者市民活動支援融資制度「ゆめのたね」を創るなど、団体の活動を幅広く支援していただいています。
ろうきんは労働組合や生活協同組合(生協)などが会員となる非営利組織(協同組織)であり、株式会社である銀行とは組織形態が異なるとはいえ、ひとつの金融機関が大きな後ろ盾もないNPO法人のゆめ風基金の障害者救援活動に支援していただくことは、前例のない画期的なことで、並々ならぬ思いで企画された担当者の方々のご熱意と、それを受け止め、決済された近畿ろうきんに深く感謝します。
プロジェクトの内容は次の3点です。
1.近畿ろうきん営業店に募金箱を設置
2.近畿ろうきんの会員(労働組合、生協)に募金の呼びかけ
3.近畿ろうきん窓口からゆめ風基金(ろうきん)口座への振込手数料の無料化
くわしくは以下のアドレスのPDFをごらんください。
(ちょっと重めのPDFデータです)
http://yumekaze.in.coocan.jp/2011sinsai/roukin/roukintirasiuraomote.pdf
被災地障害者支援センターいわてにて by 水谷
皆さまへ
おはようございます。
すでに、AJU自立の家のポータルサイトでご覧になられた方は重複して申し訳
ありません。
昨日より、名古屋・AJU自立の家のスタッフ、水谷真(わだちコンピュータハ
ウス所長)が「被災地障害者支援センターいわて」に赴いており、早速、その報
告をサイトにアップしています。ご参考まで。
今後も追加してアップされると思いますので、それぞれご覧いただければと思い
ます。
AJU災害時要援護者支援ポータルサイト
東日本大震災 被災被災障害者緊急支援サイト
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?top
2011年5月02日 17時00分
盛岡に到着しました by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13415&blk_id=12519
5月2日
1:00 車で自宅出発
途中、2度休憩
6:00 蓮田SA着 、食事と仮眠
9:00 蓮田SA発
17:00 盛岡着
途中で宮城県内を回ろうかと思ったが、八幡さんが盛岡のセンターに移動してい
るとのことで盛岡に行くことに。
900km、16時間かかった。
道路は空いていた。東北道は所々段差と波打ったところはあるが、それほど混ん
でいない。この日東北地方は暴風警報が出るくらいのもの凄い風、横風の方が大
変であった。
2011年5月02日 19時12分
被災地障害者支援センターいわてに到着 by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13416&blk_id=12519
被災地障害者支援センターいわて盛岡市本宮1-3-2 光立ビル
http://yj.pn/mxBJXu
元は電気屋さんだった事務所で、オール電化のショールームを兼ねていたらし
く、立派な電化厨房、大きな電気温水器、床暖房のコーナーを備えていた。2階
に男女別寝泊まりの場所がある。
本日到着のスタッフ2名とともに八幡さんから改めて説明を受けた。
広大な岩手県、盛岡から沿岸部の宮古市、山田町、大船渡などまで200km、片道3
時間。もともと社会資源がない土地なので、支援ニーズを掘り起こしたとしても
どのように継続していけるのかが問題だ。 安請け合いができない。安否確認で
単に無事を確認するだけでは完結しない。調査とその場の相談だけでは終わらない。
ニーズは単発でなく、個別、専門、継続性が求められる。どの範囲なら出来るか
問われる。だから、要援護者名簿を開示してもらいそれをもとにローラー作成し
たとしても、対応しきれない。膨大なマンパワーが必要となる。
中越沖の安否確認のイメージでいたが、通用しない。柏崎市でできたのは、福祉
課のW課長と、茨内支援センターの○さんがいたからできたのだろうと、八幡さん
に言われた。
岩手では、知的障害の施設を中心に地福協と呼ばれる集まりが精力的に開かれて
おり、毎週火曜と金曜、その構成団体を中心に調査をやっている。きょうされん
よりも早くから動いている。全県的に相談支援センターもしっかり動いていて、
各団体の名簿を寄せ集めて個人の安否確認を行っているらしい。
岩手の障害者支援センターとしては、弱小ながらより個別の埋もれた声に対応。
つては、元支援学校教員を頼りに、そのつながりから養護学校卒業生の進路情報
をもとに動いている。
沿岸北部は、施設系が強い。
沿岸中央部(宮古、釜石、山田町など)。
沿岸南部は、街自体が壊滅的。
沿岸部にも支援拠点が必要。
宮城北部では登米市を中心に現在拠点を探している。岩手県南部は登米市からの
方が近いかも知れない。
岩手では自立をめざす障害者は県外をめざす。
と代表の今川さん。CILで8年活動してきたが、当事者が2名のみという現状。
代表の今川さんが食材を買ってきてカレーを自炊しました。これから一緒に頂き
ます。
明日はいわてメンバーとして調査に入ります。
2011年5月03日 22時00分
被災地障害者支援センターいわてにて by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13428&blk_id=12519
4月26日大阪の会議では、岩手のスタッフは2-3名と聞いていたが、この日は後か
ら2組調査隊が戻ってきて総勢12名にもなった。こんなに多いのは初めてらしい。
夕食後ミーティング。
宮古を回ってきたチームからは、4箇所の報告。
①レインボーネット生活支援センターKさんからの聞き取り
流された地域では盛岡等内陸部へ移った。地域移行の流れができてきていたのに
戻ってしまうことを懸念。再建の土地がない。生活の場も就労の場もない。刊行
安井さんで成り立っていたところ、自力では難しい。行政の支援が必要。
もともと重心向けのサービスがない。盛岡に入所。
精神の人にとってもグループホームと仕事が亡くなった痛手が大きい。
レインボーネットから以下3件を紹介された。
②宮古市育成会Sさん
就労継続支援B型のむあとりえサン。1m水没して1週間で片付けた。機器類が
パーになったが、建物や設備よりも、以前からの課題についての話が中心に語ら
れた。
発災時に自宅に家族がいることを確認せずに帰したヘルパー事業所への不満と期
待。事業所側は日割り計算なので1日も早く通ってきてほしいが、親としては被
災したところはどうなのだろうという迷い。
機器類設備類ならばゆめかぜで支援できる。国の支援を待っていたら何ヶ月も先
になる。
③身体と知的の重複障害Aさん23歳。障害名不明。
重心と紹介されたが、医療的ケアは必要ではない。
レインボーネットからの紹介、自宅を訪ねた。
震災後3週間避難生活してきた。大槌町しきのさと=デイサービスに以前より水
金通っていたが、そこに身を寄せた。
物資は足りている。見守りでいてくれると助かるとのこと。ヘルパー派遣を受け
るが質が悪いと不満有り。高齢者のヘルパーは重心のことわかっていない。6月
まででよい。自宅に来てほしいとの要請。
④身体障害者福祉センター@金浜
1階が津波で水没。2階部分に多い時で200名が避難していた。陸の孤島じをょ
謡で、1日1人、角砂糖2個で飢えをしのいでいた。
65歳CPの人は、助けようとして母親も姉とともに流された。
仮設住宅は進んでいる。障害者優先枠がある。
山田町を回ってきたチームから、通院支援、買い物支援の報告。
この方、避難先の体育館から障害を理由に追い出されたとのこと。「あなたのよ
うな人が来るところではない」
北海道、埼玉、東京、大阪などから、優秀なスタッフが長期で滞在、活動してい
る。災害ボランティアとは違って、非定型な細々した生活ニーズに応えようとし
ていたのが印象的。
再放送:5月10日(火)NHK教育放送
情報/精神 転送です。
塚本正治
震災:再放送NHK教育で福島の精神障害者支援特集
おはようございます、Iです。
テレビで被災地の精神障害者の状況を伝える番組は貴重です。
病院が消えた後、アウトリーチでの活動が活発になっているようです。
原発被害の足枷の中で奮闘している、この活動に注目しています。
この番組には堂本暁子さんが出演します。
(元千葉県知事、障がい者制度改革推進会議で精神障害問題に取り組んでいる)
NHK教育放送 福祉ネットワーク
■東日本大震災「病院が消えた -福島 障害者の今-」
再放送:5月10日(火)
20:00~20:30
福島県相馬市で精神障害者支援を行っている
NPO法人「ひまわりの家」が取り上げられます。
相双地区(福島県の双葉、南相馬市、相馬市など)は
現在大変困難な状況になっています。
ひまわりの家では地域に根差した精神医療を作ろうと、
現地の方々が奮闘されています。
ぜひ注目をお願いします。
讀売新聞 健康ルネサンスより
■大震災 福島 から(3)避難で孤立 支援に遅れ
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=40176
被災地からのお便り 仙台在住の方より
被災地からのお便り
<5月4日着>
仙台の障害者の状況、私にわかる限りですが。
通所施設の「まどか荒浜」は津波で壊滅的な被害(人は大丈夫だったらしいです)。
気仙沼の「ネットワークオレンジ」さんは障害児の受け入れ再開。
知的障害者がはたらく、パンとクッキーの店「くるみの木」(仙台市青葉区)は営業再開。
「発達障害サポートネッ-ト」さんは震災以降も変わりなく継続、ブログは頻繁に更新されています。
高次脳機能障害者の就労支援サポートをしている「ほっぷの森」さんも、運営しているレストランや農場は再開しています。
ビーアイにも、知的・自閉症・ADHD・ダウン症などを抱える子達がいます。
高校生のMちゃんは地震とショッピングや学校になぜ行けないか?がつながらず
夜中にパニックを起こし、傘を壊してしまったとのこと。
ダウン症のRくんは水槽の金魚に向かって
「ちーずちゃん、ちーずちゃん、ちーずちゃん・・・」
とスタッフの名を繰り返し呼びかけ、10回に1回くらい「ひまわりちゃん(好きな女の子)」と混ぜたりして15分くらいやっていたかなあ・・・、ちょっと気持ちが不安定な感じでした。
Nちゃんは地震以降、家から出られなくなり、ようやく先週、お母さんと一緒に来ました。
逆に「いつか地震がくる!」といつも言っていたHちゃんは、地震が来たことでようやく安心し、落ち着いたり・・・・。
私が書いたものは転載していただいてもOKです。
東京や西日本には、沿岸部の悲惨な映像ばかりが誇大に流れているような気もするので、
等身大の市民の声ということでご参考になれば・・・。
アメリカなど「地震と津波で壊滅的な被害を受けた港町・仙台」というイメージが一人歩きしているらしいけど、仙台市中心部は海から離れており全然港町じゃないですから。
また、今は山形県堺まで仙台市で山も川もあり、東北自動車道より西側はそんなに大きな被害はなかったのです。(震度4の地震程度の被害)
うちはいまだ2階は使えず、昨日ようやく罹災証明申請のための写真撮りました。
古い土壁なのであっちもこっちも崩れていて、たぶん部分的ではなく壁すべてを修繕してもらわないとダメだと思う。天井板もあちこちすきまだらけ。
この連休は沿岸部に親戚や友人がいる人たちはみな泥かきや片付けに行ってます。
粉じんやアスベストなども舞っているようで、母が勤める病院には最近肺炎の患者さんが多いとのこと。
息子の通う学校はようやく9日から始まりますが、ふたつある体育館・グランド・駐車場は危険なため使用不能です。
<4月23日着>
家族は無事ですが、毎日のようにやってくる余震で
「もう、いい加減にして~!!」って感じです。
うちは古い家なので2階は土壁がぼろぼろ落ちて使えず、
両親が子ども達の部屋に寝て、子どもらは6畳間に無理やり布団4枚敷いて私と寝ています。
3月にはなんとか持ちこたえたビルや商店も、4月の余震で倒壊・立ち入り禁止になったところもけっこうあります。
学校は始まりましたが、給食はパンと牛乳のみ(給食センターが被災しているため)。
また、小学校の修学旅行は例年会津若松(福島県)なのですが、岩手に変更となりました。
被害甚大だった沿岸部と、さほどでなかった山間部の感覚の差は大きく、戸惑いも大きいです。
各地から「支援したい・ボランティアしたい」というモノやヒトが来るのだけど
その対応で疲弊している今日このごろ・・・。
職場「ビーアイ」ではこんな動きをしています。
http://1987bei.blog.shinobi.jp/
また絵本やさんや子ども関連の仕事をしている人たちと、被災した子ども達のため
「こどもとあゆむネットワーク」をたちあげました。
http://ayumunet.jp/↑見てね。
明日は多賀城市というところに絵本を届ける予定です。