豊能障害者労働センターの障害者救援バザーが、いよいよ今週の土曜日に開かれます。
先週の金曜日、豊能障害者労働センターに行ってみると、バザー用品の回収が毎日50件もあり、その上にこの日の朝、クロネコヤマトが80個のバザー用品を持って来たそうです。大型のトラックで来た運転手が「こんなのはじめて」と苦笑していたようです。そして昼にはゆーパックが20個来ました。宅急便を開けると「こんな形で被災地とつながることができて、うれしい」というメッセージなど、心のこもった手紙が添えられていて、そのことばに励まされながら地震からの2か月を過ごしてきたそうです。
豊能障害者労働センターは一般企業が雇わない障害者の働く場をつくりだし、給料をみんなで分け合っているとてもめずらしいグループです。現在7つの店と箕面市広報紙の翻訳、通信販売と福祉助成金で毎月の給料をつくりだしているのですが、どうしても赤字になるところをバザーの売上で補っていました。
そんな彼女たち彼たちが、バザーの売り上げ全部を被災障害者の救援金として「ゆめ風基金」に送ろうと決めたのは地震から一週間もたっていませんでした。「そんな無謀なことをしないで、せめて半額にしたら」と、よく内情を知るひとたちが言いましたが、「いや、中途半端は気持ちが悪い。全額届ける方が自分たちもすっきりする」と言うのでした。
そのことを機関紙読者に告げ、また「ゆめ風基金」の機関紙で知らせると、全国からバザー用品が送られてくるようになりました。豊能障害者労働センターの強い思いといさぎよさ、そしてシンプルな呼びかけが多くの人の心に届いたのだと思います。
送られてくるバザー用品の箱にこめられたたくさんのひとの心に思いをはせると、胸にぐっとせまるものがあります。
バザーはその名の通り「市場」です。けれども、一般経済でいう「しじょう」ではなく、「いちば」です。そこでは市民が自分の意志で不用品を提供し、それを別の市民が新しく利用する、「助け合う経済」(恋する経済)の中心的な仕組みだと思います。
それぞれちがった時に世に出た物たちが、時と場所をこえて雑然と集うその市場では、それらの物たちがここに来る前にたどってきた無数の時間と、それらの物たちが立ち会ってきた無数の人間の願いと夢、別れと出会いがかくれています。
今週の土曜日、物と物、物とお金、物と人、お金と人、人と人が出会う障害者救援バザーに、ぜひ来て下さいね。お待ちしています。
救援バザーまであと数日。てんやわんやの豊能障害者労働センターでした。
バザー用品の回収が追いつかず、事務所はてんてこ舞い。Mさんが今から回収に行くところ、「わたしの受けたこの人の所に早く行ってください」。(左)
今日は朝から80個の宅急便を引き取り、少しお疲れ気味のWさん。いつもは何かと話しかけてくるのですが、さすがに無言でお仕事されていました。」。(右)
倉庫は物また物で、天井まで届いています。真ん中あたりの物に値をつけては壁際か、別の倉庫にもっていきます。気のせいだと思いますが、物が何か一生懸命お話しているように思います。それは、これらの物たちを箱につめ、自費で送料を払っていただいて送ってくださったおひとりおひとりの願いを伝えようとしてくれているのだと思います。
たまたまこの時はベテランの障害者スタッフOさん一人でしたが、いつも数人の人がひとつずつ値をつけていきます。
「ゆめ風基金」から派遣されたボランティアの方。初日に新大阪の「ゆめ風基金」の事務所に帰ってこられ、「こきつかわれたでしょう」とおたずねすると「こきつかわれました」と冗談のような本気のようなお話でした。けれども、けっこう気に入って下さったみたいで、障害者スタッフとお友達になられたようです。バザー当日まで手伝ってくださるということで、とても心強いです