被災地障害者支援センターいわてにて by 水谷

皆さまへ
おはようございます。
すでに、AJU自立の家のポータルサイトでご覧になられた方は重複して申し訳
ありません。
昨日より、名古屋・AJU自立の家のスタッフ、水谷真(わだちコンピュータハ
ウス所長)が「被災地障害者支援センターいわて」に赴いており、早速、その報
告をサイトにアップしています。ご参考まで。
今後も追加してアップされると思いますので、それぞれご覧いただければと思い
ます。
AJU災害時要援護者支援ポータルサイト 
東日本大震災 被災被災障害者緊急支援サイト
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?top
2011年5月02日 17時00分
盛岡に到着しました by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13415&blk_id=12519
5月2日
1:00 車で自宅出発
途中、2度休憩
6:00 蓮田SA着 、食事と仮眠
9:00 蓮田SA発
17:00 盛岡着
途中で宮城県内を回ろうかと思ったが、八幡さんが盛岡のセンターに移動してい
るとのことで盛岡に行くことに。
900km、16時間かかった。
道路は空いていた。東北道は所々段差と波打ったところはあるが、それほど混ん
でいない。この日東北地方は暴風警報が出るくらいのもの凄い風、横風の方が大
変であった。
2011年5月02日 19時12分
被災地障害者支援センターいわてに到着 by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13416&blk_id=12519
被災地障害者支援センターいわて盛岡市本宮1-3-2 光立ビル
http://yj.pn/mxBJXu
元は電気屋さんだった事務所で、オール電化のショールームを兼ねていたらし
く、立派な電化厨房、大きな電気温水器、床暖房のコーナーを備えていた。2階
に男女別寝泊まりの場所がある。
本日到着のスタッフ2名とともに八幡さんから改めて説明を受けた。
広大な岩手県、盛岡から沿岸部の宮古市、山田町、大船渡などまで200km、片道3
時間。もともと社会資源がない土地なので、支援ニーズを掘り起こしたとしても
どのように継続していけるのかが問題だ。 安請け合いができない。安否確認で
単に無事を確認するだけでは完結しない。調査とその場の相談だけでは終わらない。
ニーズは単発でなく、個別、専門、継続性が求められる。どの範囲なら出来るか
問われる。だから、要援護者名簿を開示してもらいそれをもとにローラー作成し
たとしても、対応しきれない。膨大なマンパワーが必要となる。
中越沖の安否確認のイメージでいたが、通用しない。柏崎市でできたのは、福祉
課のW課長と、茨内支援センターの○さんがいたからできたのだろうと、八幡さん
に言われた。
岩手では、知的障害の施設を中心に地福協と呼ばれる集まりが精力的に開かれて
おり、毎週火曜と金曜、その構成団体を中心に調査をやっている。きょうされん
よりも早くから動いている。全県的に相談支援センターもしっかり動いていて、
各団体の名簿を寄せ集めて個人の安否確認を行っているらしい。
岩手の障害者支援センターとしては、弱小ながらより個別の埋もれた声に対応。
つては、元支援学校教員を頼りに、そのつながりから養護学校卒業生の進路情報
をもとに動いている。
沿岸北部は、施設系が強い。
沿岸中央部(宮古、釜石、山田町など)。
沿岸南部は、街自体が壊滅的。
沿岸部にも支援拠点が必要。
宮城北部では登米市を中心に現在拠点を探している。岩手県南部は登米市からの
方が近いかも知れない。
岩手では自立をめざす障害者は県外をめざす。
と代表の今川さん。CILで8年活動してきたが、当事者が2名のみという現状。
代表の今川さんが食材を買ってきてカレーを自炊しました。これから一緒に頂き
ます。
明日はいわてメンバーとして調査に入ります。
2011年5月03日 22時00分
被災地障害者支援センターいわてにて by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13428&blk_id=12519
4月26日大阪の会議では、岩手のスタッフは2-3名と聞いていたが、この日は後か
ら2組調査隊が戻ってきて総勢12名にもなった。こんなに多いのは初めてらしい。
夕食後ミーティング。
宮古を回ってきたチームからは、4箇所の報告。
①レインボーネット生活支援センターKさんからの聞き取り
流された地域では盛岡等内陸部へ移った。地域移行の流れができてきていたのに
戻ってしまうことを懸念。再建の土地がない。生活の場も就労の場もない。刊行
安井さんで成り立っていたところ、自力では難しい。行政の支援が必要。
もともと重心向けのサービスがない。盛岡に入所。
精神の人にとってもグループホームと仕事が亡くなった痛手が大きい。
レインボーネットから以下3件を紹介された。
②宮古市育成会Sさん
就労継続支援B型のむあとりえサン。1m水没して1週間で片付けた。機器類が
パーになったが、建物や設備よりも、以前からの課題についての話が中心に語ら
れた。
発災時に自宅に家族がいることを確認せずに帰したヘルパー事業所への不満と期
待。事業所側は日割り計算なので1日も早く通ってきてほしいが、親としては被
災したところはどうなのだろうという迷い。
機器類設備類ならばゆめかぜで支援できる。国の支援を待っていたら何ヶ月も先
になる。
③身体と知的の重複障害Aさん23歳。障害名不明。
重心と紹介されたが、医療的ケアは必要ではない。
レインボーネットからの紹介、自宅を訪ねた。
震災後3週間避難生活してきた。大槌町しきのさと=デイサービスに以前より水
金通っていたが、そこに身を寄せた。
物資は足りている。見守りでいてくれると助かるとのこと。ヘルパー派遣を受け
るが質が悪いと不満有り。高齢者のヘルパーは重心のことわかっていない。6月
まででよい。自宅に来てほしいとの要請。
④身体障害者福祉センター@金浜
1階が津波で水没。2階部分に多い時で200名が避難していた。陸の孤島じをょ
謡で、1日1人、角砂糖2個で飢えをしのいでいた。
65歳CPの人は、助けようとして母親も姉とともに流された。
仮設住宅は進んでいる。障害者優先枠がある。
山田町を回ってきたチームから、通院支援、買い物支援の報告。
この方、避難先の体育館から障害を理由に追い出されたとのこと。「あなたのよ
うな人が来るところではない」
北海道、埼玉、東京、大阪などから、優秀なスタッフが長期で滞在、活動してい
る。災害ボランティアとは違って、非定型な細々した生活ニーズに応えようとし
ていたのが印象的。

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