被災地障がい者センターみやぎ_県北のブログより

被災地障がい者センターみやぎ_県北のブログより
 私たちは、阪神淡路大震災を教訓に生まれた「NPO法人ゆめ風基金」のバックアップを受けて、主に宮城県登米市と南三陸町で、障がい者の方々の支援をしています。困っている障害者の方、一緒に活動をしてくれる方、連絡お待ちしています!
2011年11月15日の記事
被災地障がい者センターみやぎ_県北です。
少し体裁が整ってきたので、
日々の出来事やスタッフの思いなどを綴っていきたいと思います。
よろしくお願いします。。
私たちは、
被災地、主に南三陸町と登米市で、障害者の方々の支援をしています。
今は、送迎や家族支援をしながら、
何を必要とされているのか、私たちに何ができるのか、考える毎日です。
事務所は登米市中田支所の目の前にあります。
以前はお蕎麦屋さんだった建物を借りています。
そして!!
もうすぐお風呂ができるんですよー
スロープもつけ、車椅子の方でも利用できるようなお風呂。
たくさんの方に使っていただけるよう、コーディネートしたいです。
まずは、純和風でシブい部屋を、
明るく落ち着ける憩いの場に!!
さぁ、センス、センスの見せ所ですよ、スタッフー!
きよ
被災地障がい者センターみやぎ県北
■被災地障がい者センターみやぎ県北 事務局
〔住所〕宮城県登米市中田町上沼字西桜場32-1 [地図]
〔電話〕0220-44-4171 (9:00~17:00) 〔FAX〕0220-44-4171
〔Mail〕hisaitikouen@yahoo.c​o.jp
〔Twitter〕@miyagi_kenhoku (http://twitter.com/#!/miyagi_kenhoku)
被災地障がい者センターみやぎ県北ブログ

被災地障がい者センター石巻ブログより

被災地障がい者センター石巻ブログより
2011年10月1日より発足しました。
 障がい当事者を中心に、地域の中で自立した生活が営めるよう様々な活動を通じて支援していく団体です。
私たちの団体に興味があったり、障がい者やご家族の方々でご相談などがありましたらご連絡ください。
また、ボランティアも募集しております。
障がい者支援に興味のある方も気軽にご連絡ください。
被災地障がい者センター石巻 事務所
被災地障がい者センター石巻 事務所
〔住所〕〒986-0861 宮城県石巻市蛇田字中埣37
〔電話〕 0225-25-5388(月~金 10:00~17:00)
〔FAX〕 0225-25-5388
〔Mail〕 hsc_ishinomaki★yahoo.co.jp(★⇒@)
〔Twitter〕 @hsc_ishinomaki (http://twitter.com/#!/hsc_ishinomaki)
被災地障がい者センター石巻ブログ

「働く」実態調査報告書(第1報) 被災地障がい者支援センターふくしまより

被災地障がい者支援センターふくしまより
2011年11月19日
就労系事業所のみなさま
                   被災地障がい者支援センターふくしま
                          代表    白石清春
「働く」実態調査報告書(第1報)の送付
冬の気配が感じられる頃となりました。
毎日の作業所での仕事はどのような具合ではしょうか。
大変お忙しい中でご協力いただいた「働く」の実態調査、本当にありがとうございました。
遅くなりましが、第1報の報告書ができましたので、送付いたします。
みなさまの作業所での仕事は、以前の姿を取り戻されたでしょうか。
地震、津波に加え、原発事故の影響は、企業の撤退縮小、農林水産物の汚染、地産地消の
仕組みに打撃、購買力の低下など、多くの問題を生みました。
今後、作業所の仕事の減少が、そこで働く障がいのある人たちの工賃の減収問題と東電への賠償請求へと進んでいくこととあわせ、希望を持って思う存分働ける新たな仕事おこしや、除染による環境づくりに取り組んでいかなければ解決の道はないことは、明らかです。
福島にとどまり、そこで暮らすことを決めた人々にとって、暮らしや仕事を取り戻す取り組みに、すべてのみなさんの知恵と力をお借りして、進めていかなければならないことを強く感じています。今後とも福島の総力の集結に、よろしくお願いいたします。
JDF被災地障がい者支援センターふくしまの福島県障がい者事業所(就労系、含む小規模作業所・地域活動センター)実態調査

隔月刊誌 Weより

プレ国際人権大学院大学講座での、ゆめ風基金理事・八幡隆司の講演を取材された報告記事が隔月刊誌 Weに掲載されました。「We」編集部のご協力で、転載します。


【報告】ゆめ風基金・八幡隆司さんのお話より
「防災」はコミュニティをつなぐ道具
(プレ国際人権大学院大学講座より「被災地の障害者はいま」)
 5回シリーズの講座「人権の視点から考える東日本大震災」の第1回で、ゆめ風基金(阪神淡路大震災を機に被災した障害者市民を支援しつづけている団体)の八幡隆司さんのお話「被災地の障害者はいま」を聞いた。3月から現地に入った八幡さんは、知り合いもほとんどいない東北で活動を続けてきた。
 東北沿岸部は、仙台をのぞけば、大規模な入所施設が多く、障害者本人も家族も入所に抵抗がない。施設を利用しない場合は、ヘルパーを頼むのではなく家族が支えることが当たり前になっていて、介護サービスの事業所が成り立たず、NPOも育っていない。これまでゆめ風基金は、被災当初の支援に入ったあとは地元に引き継いできたが、今回はそもそも地元のサービスが少ないため、新たな事業立ち上げも含めて、まず拠点づくりからおこなっている。
 被災した障害者は、施設を頼るか遠くの親戚を頼ることが多く、避難所ではとても暮らせないとつぶれかけた自宅に留まるケースもあり、障害者の安否は避難所ではなかなか分からなかった。また「障害者=車椅子の人」と認識しているところもあり、この避難所に障害者はいませんと聞いてる横から、自閉症の子が出てくることもあった。
 安否確認、緊急の物資支援の時期をすぎ、避難所から仮設住宅へ移る人が多くなってから、車が使えない人が困っている。医者や買い物へ行くための移送サービスの要望が多い。地域格差も出てきている。
 避難所で「与えられ続ける」生活を何ヶ月もしているとおかしくなってくる。住民自身のはたらき、地元の力が大事で、「いかに地元に引き継いでいくか、この冬をどう迎えるか」がこれからの課題だ。地元団体との連携を強めながら、ゆめ風基金でつくった活動拠点を、地元で使えるものにしていきたいとのこと。
*    *    * 
 お話のあと、自分ごととして考えるためにというグループワークがあった。6~7人のグループに分かれ、テーブルごとに簡単な自己紹介のあと、八幡さんからの第一問。
【避難所開設から48時間以内に必要だと思うものは?】
 外部からの救援がくるまでの目安が48時間、それまでは自分たちでもちこたえるしかない。各テーブルに配られた紙に「一枚に、答えひとつ」、思いつくだけ書き、次にそれを「物資倉庫にあると思うもの(行政が用意しているもの)」と「それ以外」に分ける。作業の後、八幡さんからの解説とコメントがあった。
 避難所の物資は、家がつぶれて何も持ち出せない人のために使うことが原則。物資が200人分あっても300人が来れば足りなくなる。水、毛布は持ち込める人は持ち込む。「避難所へ行けばある」と思わないことが大事。
 避難所となる学校や施設の鍵を誰がもっているか知らない人がほとんどだが、知らないと入ることもできない。トイレも大きな問題。トイレを使ったら水を汲んで流す。バケツはどこ?プールの水は使える?その鍵はどこにある?そこまで具体的に考えている人はいない。八幡さんは「健常者でもトイレに困る避難所へ、障害者は来られない」と続けた。
 物資倉庫に「何があるか」が分からなければ、「何が必要か」分からない。例えば大阪市の物資倉庫には簡易便器はあるが、囲いはない。それを知っていれば、トイレに囲いができるものが必要だと分かる。地域住民は物資倉庫を見ておくほうがいいし、災害が起きたときのことをふだんから話し合うことで、被災時にはこんなものが必要だ、倉庫に置いてくれと行政に提案していくこともできる。
【避難所に必要な役割は?】
 これも各テーブルで書き出したものを発表し、八幡さんが解説していく。大事なのは、せっかく助かったいのちを、避難所で死なせないこと。災害発生時に行政ができることは少ない、できないことのほうが多い。地域で避難所を開設し、そこを運営するという発想が必要だと八幡さんは強調する。避難所で、例えば障害者や高齢者は何に困るか、何が必要か。高齢者や体調を崩した人を優先してカーペットの敷いてある多目的室に入ってもらうとか、子どもが騒いでもいい部屋を別に設けるとか、そういうことをふだんから考えて話し合っておく。
 災害時は我慢大会のようになってしまう。被災者は「大丈夫?」と訊かれたら「大丈夫」と答える。でもその「大丈夫」は、いのちはたすかったということで、着の身着のまま、トイレにも困るというような状況で発せられていたりする。「大丈夫」といっても支援が不要なわけではない。
*    *    *
「防災マニュアルを読むと分かった気になるでしょ、でも分かった気になったことは忘れる。何が必要か、こうやってみんなで考えるのが大事」。被災地で支援を続けてきた八幡さんの言葉は説得力があった。このグループワークを通じて、自分の中にぼんやりとある「なんとかなる」意識に危機感をおぼえた。消火訓練や救急救命の講習は「防災」のほんのわずかな側面で、そのあとのことが大切なのだと気づかされた。
 「避難所」は災害があったら逃げ込むところ、行政から何かをしてもらうところという発想から、「避難所」は地域の拠点、支援センターで、何かあったときには「運営する」発想に変えていく。そう考えれば「避難所」は、家がつぶれてどうしようもなくなった人だけが行くところではなくて、自分の家は大丈夫でも、地域での役割分担が決められていれば、自分の役割を果たしにいくところになる。自分たちには何ができ、行政は何ができるか。地域に暮らすそれぞれの人が、災害時に何に困り、何を準備しておけば安心できるか。「防災」は、そういう地域のコミュニケーションをつないでいく道具になるのだ。
 今の私には地域のつながりといってもハードルは高い。挨拶からもう一言、ご近所とまずは知りあっていこうと思った。(報告:冠野 文)


隔月刊誌 We 175号
隔月誌「We」
一人ひとりが大切にされる社会の実現をめざし、知恵や情報の交換、ネットワークづくりができる〈場〉として、毎号さまざまなテーマをとりあげています。
特集:暮らしを自分の手に取り戻す
リック・タナカさんは、エネルギーをできるだけ使わずにすむ生き方、人のつながりに支えられた新たな地域社会の創出への希望を語ります。
自身も広島で被爆した医師・肥田舜太郎さんは、福島の原発事故のあと、私たちが被曝の現実をどう引き受けて生きていくかについて語ります。
学生時代にエクアドルに出会いフェアトレードの仕事をつくってきた藤岡亜美さんの、いのちを大事にする地域づくりの話、311の震災直後から東北へ入り被災障害者支援を続けてきた八幡隆司さんの、災害が起きたときのことをふだんから話し合える地域づくりの話、いずれも「暮らしを自分の手に取り戻す」ことを問いかけます。
▼1冊800円(送料80円)
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電話045-482-6711、FAX045-482-6712、メール order(at)femix.co.jp

「東北⇔関西障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」に5000人!

 11月23日、大阪市扇町公園で開催しました「東北⇔関西障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」は一時雨もようだったにもかかわらず、約5000人の参加をいただき、大盛況でした。
 また、山西福祉記念会館で開催しました「被災地報告会 3.11東北・関東大震災・そのとき障害者は!」には250人のご来場をいただき、超満員になりました。
 地震発生以後8ヶ月が過ぎ、関西でははじめて岩手、宮城、福島の被災地障害者支援活動を担うひとたちが一堂に会し、マスコミの報道がおよばない「ほんとうのこと」が被災地の障害者の肉声で届けられました。
 あらためて震災と津波の被害の大きさとともに、一般避難所や仮設住宅から排除されてしまう怒りと悲しみの体験をしながらも、それぞれの地域の障害者への支援活動をつづけて来られた人にしか言えないお話が次から次へとあふれでました。
 そして原発事故により、いとおしい暮らしもせつない夢もうばわれ、行き先のない未来に投げ出された福島の現実を障害者の立場から発された肉声は、この問題が福島からわたしたちの住む関西へ、日本全体へ、さらに世界へと届けられべき貴重な告発であることをあらためて実感しました。わたしたちの世代から何代もの世代へとひきつがれてしまう負の遺産になってしまった原発を止めるまでたたかうと、福島の障害者が力強く宣言されました。
 狭い会場でご迷惑をおかけしたにもかかわらず、参加していただいた方々は被災地の障害者の言葉と心を自分の体験として必死に受け止めようと聞き入り、超満席の会場が深い絆で結ばれたように感じました。 
 この催しをきっかけに、被災地の障害者がたくさん関西に来られ、支援活動の中で出会った障害者や障害者団体との交流を深めることができたことは、わたしたちの大切なたからものになりました。
 この催しを計画し、長い月日をかけて準備し、実行した実行委員のみなさん、ほんとうにお疲れ様でした。
ご協力いただいた方々、ご参加いただいた方々、ほんとうにありがとうございました。
シンポジウムの内容は、後日くわしくお届けする予定です。
11月24日 神戸新聞に被災地報告会の記事が掲載されました。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭1
いっぱいのお客さんで、ステージはテンション高く、大いに盛り上がりました。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭2
特設ブースは食べ物も盛り沢山。被災地作業所の商品販売も好評。
被災地名物のいも煮や、炊き出しワークショップも人気でした。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
シンポジウム会場は超満員で参加いただいた方々にご迷惑をおかけしましたが、
東北と関西の障害者が心ひとつにして息の長い支援活動をすすめていくことを約束しました。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
左:被災地障がい者センターみやぎの井上朝子さん
右:被災地障がい者センターみやぎの及川智さん
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
左:南相馬市 デイさぽーと・ぴーなっつの青田由幸さん
右:被災地障がい者支援センターふくしまの白石清春さん
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
左:コーディネーター ゆめ風基金代表理事の牧口一二
右:ゆめ風基金理事の八幡隆司 被災地障がい者センターいわての今川幸子さんが来れなくなり、急遽岩手の支援活動を報告しました。

被災地障がい者支援センターに行って

政治参加ネットのメールから転載です。
[seijisankanetML][00783]
被災地障がい者支援センターいわて
2011年11月14日 月曜日 午後1:07
皆様 八幡様
 9月のはじめ、被災地障がい者支援センターに行って来て、その様子を報告しますと勇ましく言っていたのに、今頃の報告になり、ほんとうに申し訳ありません。
 八幡さん、その節は大変お世話になりました。
 もう盛岡も大船渡も寒いでしょうね。
 以下、長いですが、私のブログにも書いた2ヶ月前の報告です。
 9月5日いわてのセンターの事務所に行く直前に、電車を下りる時に足をくじいてしまい、痛みをこらえてやっと被災地障がい者センターいわての事務所にたどり着きました。
 笑顔で迎えてくれた八幡さんや事務所の人に「大丈夫です。」と、私も笑顔であいさつしましたが、実は足の痛みで頭がいっぱいだったのです。「運転できますよね。」と聞かれ、「いえ運転できません。」これが一番事務所の皆さんをがっかりさせたようです。
 津波で被災した沿岸部へ支援に行くためには、車で2時間半山を越えて行かなければなりません。往復で5時間。支援に行くためには車の運転が必要なのです。支援センターの事務所には、スケジュール表が貼りだしてあり、ポストイットがたくさん貼ってあり、どのようなニーズがあり、だれが支援に行くのかが一目で分かるようになっています。私は、翌日、大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人に聞き取りに行くことになりました。
 事務所の上がボランティアが宿泊できるアパートになっていて、沖縄から長期に支援に入っている女性といっしょに泊めていただきました。八幡さんは1階の事務所の裏で寝泊りしているそうです。
 食事は交代でつくり、夕食が終わったらミーティングをして、情報の共有と明日の予定を確認しあいます。
 痛い足は大きく腫れなかったので、経験上、骨折ではなく捻挫だと自己診断し少しは安心しました。(私は今まで何度も足首を骨折したり捻挫したりしています。)翌朝は、少しは痛みもおさまり、関西から来たボランティアの青年と長期で支援に入っている青年の運転で、大船渡市に向かいました。美しい景色の遠野を通り、運転できない私はただ乗っているだけで申し訳なかったです。
 大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人にお話を聞きました。住宅は木造で外側にはスロープや視覚障害者用の誘導ブロックがありました。しかし、住宅の中は障害のある人にとって使いやすいものになっていません。台所は流しの下は収納がなく、車いすが入るように空いていますが、なべなどの収納が上の手の届かない吊り戸棚になっていて、結局台所用品を床に積み上げることになり、台所は車いすでは回転ができない狭さになっています。 風呂場に入るには段差があります。部屋の引き戸は重くて開けられません。危ないからベランダをつけて欲しいと要望していた掃きだし窓は、転落事故があってから、やっとベランダがつけられたそうです。障害者用仮設住宅だというのに、障害者が住んで不便な状態になっているのには驚きました。なんでこんなことになるのかが、一番の問題です。
 住民の方からお話を聞いて帰ろうとした時に、この仮設住宅の一部屋に配置されている生活支援員の人から、勝手に来ては困る、支援員に断って欲しいと声をかけられました。大船渡市は障害者用仮設住宅だけでなく、すべての仮設住宅の団地の中の一部屋に生活支援員を9月から置いたそうです。他の仮設住宅に住んでいる人達からも支援員というより、管理員のようだと言われています。民間の業者に委託されていて、支援員の人もどうしていいかわからず手探り状態のようでした。
 あれから2ヶ月がたちました。冬は雪で山越えもむずかしいので、沿岸部に支援の拠点を設けたいと八幡さんは言っていました。長期に支援していくためには地元で支援センターの職員を雇用していきたいと言っていました。 9月も地元の若者が支援センターの非常勤職員として仕事をしていました。被災地障がい者支援センターを支えているのは、全国の人々から寄せられる「ゆめ風基金」へのカンパです。私達は「ゆめ風基金」へカンパすること、継続的に被災地を支えていけたらと思います。 
                                              佐藤浩子

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.55

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.55
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.55
日時:2011年11月10日(木) 天気:晴れ
報告者: O(育成会)
9:00~12:00 Sさん送迎(入谷のぞみ)、役場(アリーナ)、Sさん訪問
12:00~17:00 Sさん送迎(入谷のぞみ)、Sさん訪問
活動した上で感じたこと
【Sさん 訪問】
 先日来、相談を受けていたSさんの学校送迎についての聴き取りのため、母親を訪問。体調はずいぶん回復しておられ、震災後いまに至るまでを饒舌に語られる。避難時にかなりストレスを受けておられたようだが、仮設に移ったことで徐々に前向きになってきておられるような印象を受ける。送迎については、月曜日の迎えを予定するが、来週14日(月)は振替休校のため、初回は15日(火)を予定する。それまでの間に、Sさんと顔合わせを行うこととする。
【Sさん 送迎(自宅 ⇔ 入谷のぞみ)】
 9:30、自宅前に到着。本人が助手席に座らないよう(ハンドルや運転者に手が伸びることがある為)、事前に支援者が助手席に座ってみる。声掛け(「後ろに座りましょうか」)でスムーズに後部座席に座ることが出来ていた。助手席に人が座っているのを観て判断したのか?
 車内では、出発直後こそカーナビを触ることと運転手(Aさん)に携帯の訴えがあったが、「携帯持っていません」と伝えると、すんなり受け入れていた。以降は特に話をすることもなく時々分かれ道で指差しをするのみであった。やや表情硬いか?問題なく入谷ののぞみへ到着する。
 14:00、入谷ののぞみへ迎えに行く。帰りは助手席には支援者は座らずキーロックしておく。声掛け(「後ろに座りましょうか」)でスムーズに後部座席に座ることが出来る。助手席側のドアを触ることも無かった。本日(11月10日)は入谷ののぞみでお別れ会があり、帰りの車内ではお別れ会の話(「写真撮ったよ」)やガソリンスタンド等の話をされることが多かった。表情も良い。行きと帰りの車内で支援者(O)の名刺を渡そうとするも拒否を示されていた。
【役場(アリーナ)】
◇Wさんのバス乗車の件(バスに行き先の表示があるが、先日のバスには間違った行き先の表示があり、乗車することが出来なかった、とのこと。)を伝える。
◇港仮設住宅のOさん宅(並びの住宅も)が、先日の大雨で入口より雨水が入ってきたので一度見に行っていただきたい旨お願いする。
◇福祉課に病院までの送迎について確認する。病院までの送迎は町内の介護保険適用者のみ行っている、とのこと。知的障害者への病院送迎サービスは行っていない、とのこと。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.54

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.54
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.54
日時:2011年11月9日(水) 天気:晴れ
報告者: H(育成会)
9:00~12:00 たすけっと・菊池氏・田中氏、ゆめ風・八幡氏来所
12:00~17:00 平成の森にて、福祉アドバイザー・本間輝夫東北大学教授講演会
活動した上で感じたこと
【今後についての検討会議】
 現状のセンター機能についての確認と方向性を模索する。
① 送迎について・・・依頼されているニーズの多くは送迎にあるものの、距離や時間の問題で全てに対応し切れていない。本来、施設利用に関する送迎は家族と当該施設間との問題でもあるため、徐々にフェードアウトしていく必要もあるのではないか?ただし、Wさんのように、施設から送迎サービスをしないと断言されているケースについては、専属の運転手の契約等、別途、手段の検討は必要。
② レスパイト・・・Sさんのレスパイトを土曜日の午前中に行っている。内容は、本人の好みもありドライブが殆どだが、雪が降る季節が近づいてきたため内容の再検討が必要か?おもちゃ図書館の利用や自宅、登米拠点などの模索が急がれる。
直面している課題は以上の内容だが、今後の方向性については、中心となる3人での更なる検討が必要となるため、足元の支援をしつつ、データーや資料・記録の整理、また長期的なスパンで学習や会議を重ね、3月末頃には一定の方向が示せるように。
そのために、定例の会議をも持つなど、事務所の運営の方法も必要に応じて変えていくよう⇒日曜に閉めることとする。
【福祉アドバイザー 本間照雄東北大学教授 講演】
 地域に根ざした福祉を造り上げていくために、専門領域を超えた意見交換会を月一回行うこととなる。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.53

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.53
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.53
日時:2011年11月8日(火) 天気:晴れ
報告者: H(育成会)
9:00~12:00 Sさん送り、南三陸町役場、地域活動支援センター風の里
12:00~17:00 入谷公民館、風の里自主製品見学、Sさん迎え
活動した上で感じたこと
【Sさん送迎】
 車内で同行したスタッフ(女性)の携帯を触りながら過ごしている。目的地まで大人しく過ごせている。車内からの景色は確認しながらで途中、施設までの道を間違えたときもすぐに正しい方向を示しておられた。
帰りは朝よりも元気でこちらとのやり取りも多かった。
【南三陸町地域活動支援センター風の里】
 Sさんの状況確認に訪れる。在宅が続いており日中は姉が仕事に出かけた際に同行し気仙沼で過ごしているとのこと。母は送迎についてはこちらでするので早く本人が日中を過ごせる場所が欲しいと思っているとのこと。古川にあるレスパイトケア「カムカム」という施設を教えていただく。また、Oさんについては風の里を見学することはできるが元々大工をされていたということなのでここでは本人さんが持て余してしまうのでは、というお話もある。一度本人さんが大工をしていた、ということについて確認してみることとする。
【入谷公民館 風の里自主製品】
 手芸活動で製作中の作品をみせていただく。かなり精巧できれいな作品が多かったがスタッフの方からのお話しでは作られた方の調子で同じ作品でも仕上がり方が変わりまた、完成した後に出来栄えがご本人にとって不本意だと落ち込んでしまわれることもある、ということを教えていただく。