障害者の方たちにも支援が届きますよう、活動を応援しています。

このたびの地震で、仙台に住む車椅子ユーザーの友人が被災しました。
ヘルパーさん不在のときでした。電話も何日も繋がらず、誰も安否確認に足を運んでくれずで、飢え死にするところだったと言っていました。。
やっとヘルパー事務所に電話が繋がったものの、ガソリンなく来れず。。
せっかく助かった命でも、人災によって死んでしまうこともあるかもしれず、本当に心配です。
どうか動けない障害者の方たちにも支援が届きますよう、活動を応援しています。

4/18に大阪救援本部会議を開きます。

4/18に大阪救援本部会議を開きます。
これまでの動き、今後の活動など話し合いたいとおもいますのでみなさまご参加
ください。
とき 4月18日(月)午後6時半から
ところ 大国町 パーティパーティ
大阪市浪速区敷津東3-6-10
TEL・FAX  06-6649-0455

岩手県遠野市のSさんから

ゆめ風基金さまのような存在を知ったことは幸いでした。
現在遠野市は救援活動の拠点になっております。車のナンバーは県内外、特に関西がことのほか多い。
阪神淡路大震災の教訓により、そのような活動が多く生まれたのだなと察しました。
自然関西弁が飛び交う。こっちは東北弁ですからね、大阪からやってきたボランティアの方に「わかりますか」
と尋ねたら、「さっぱりわからんけど、でもわかる」といってました。
「わからんけど、わかる」 んですよね。
みなさまに 心からの感謝をお伝えください
それでは 失礼します

たったひとりのためにこんな遠くまで届けていただき恐縮しました。

ゆめ風基金さま
 こんにちは、岩手県遠野市のSというものです。
在宅看護の生活約5年に及びます。病人は娘で、名前をMといいます。
中学2年のとき多発性硬化症を発症、5年後寝たきりとなりました。
電動ベッド、エアマット、吸引機、経管栄養食(胃瘻造設してます)、オシメ、ストマ。
3月11日の震災による停電、ガソリン不足による物資輸送の困難、で 上にあげた品目類の取り扱い、および入手に困難を生じました。その体験から発電機、買い置きの必要を痛感。 
直後ではそれらは手に入らずとも、数か月後になれば入手可能であろうと 高をくくっていた矢先に、
再びの地震(4月7日)発生。 県内全域で停電となり、なにか振出しに戻ったような雰囲気に包まれました。
我が家の敷地内に空き家がありまして、4月2日からそこを 被災地NGO協働センター(本部神戸、代表村井 雅清さま)の方々に貸しております。
停電時(4月7日)我が家の状況をみて、その方たちのひとりが ならばとゆめ風基金に電話して 発電機の手配をしてくれたというわけです。
4月8日の夕方5時ごろ、発電機が届きました。車のナンバーを確かめると 春日部とある。驚きました。
たった一人のためにこんな遠くまで届けていただき恐縮しました。
さらに届けてくれた方が、まるでほんのすぐ先からやってきたんですよ とわれわれに錯覚させるかのような態度をおとりになる。
患者の病歴や、現状の聞き取り方も こちらが答えやすいように聞いてくださる、その合間あいまに的確なアドバイスがある。
すばらしい方でした。 ことばでは言い尽くせないほどの感謝でいっぱいです。
おかげさまで、娘は落ち着いております。 
ありがとうございました。
もし教えていただけるのであれば、そのかたのお名前と連絡先を知りたいのです。
いただきました名刺は 理事の八幡さまとなっております。
八幡さまの活動の輪が 広がりますよう願っております。

被災しながら踏ん張ってくれている障害者に感謝です。

 障害者救援本部東京のスタッフの福島現地レポートです。
 今後も可能な限り、現地レポートを送って欲しい、とのご意見をいただきました。
 現地は、情報発信する余力がないと思いますので、見聞きしたことを事務局から発信していきたいと思います。
 今回、福島県のCILを訪問して支援の状況などをお伺いしましたがその中で聞いたお話について、「個人情報に配慮した形であれば紹介可能」との了承をいただきましたのでご紹介します。
 原発から20キロ圏内で「避難指示」が出ているある地域から60代の重度脳性まひの女性が、県外に避難中のある自立生活センターを頼って避難してこられました。
 その女性は、親の反対で教育も福祉サービスも受けることもできず親元でずっと生活してきました。彼女の障害者年金は、その家のリフォームや弟の車の購入などにあてられていたとのこと。
車の名義は、自動車税が免除になるため、彼女の名義となっていましたが一度もその弟の車には乗ったことはないそうです。
 今回、「避難指示」が出たため弟夫婦と避難所に避難しましたがその市には福祉避難所がなく、トイレに行くにも支障があったそうです。
 最初のうちは、弟が頑張って介助をしてくれていたそうですが、弟もこの先どのくらい続くか分からない避難生活の不安の中、彼女の介助をし続けることを断念し、今回、人づてに県外のホテルに避難中のCIL職員を頼って避難してくることになりました。
 ガソリン不足の中、自らも避難生活をしているCIL職員が数十キロ離れた避難先まで、リフトカーで彼女を迎えに行ったそうです。
 彼女は、今まで自宅で 、一週間に1回、弟の奥さんがまとめてつくるおにぎりを毎日レンジで温めて食べるのみだったそうです。身体の調子が良い時に、たまに電動車いすでコンビニで好きな食べ物を買うことだけが他の物を食べられるチャンスでした。
 今回、県外の避難先で、数十年ぶりに温かい味噌汁を口にすることができたそうです。あわてて避難してきたため、電動車いすを持ってきておらず、県外で避難生活中のCIL職員が、彼女の電動車いすの交付手続きをしたり、介助を提供したり、他人介助を受けることについて相談に乗ったりしてくれています。
 これは一例で、自らも被災したり、避難生活を送りながらも、現場でふんばってくれているCIL職員や介助者、支援者がたくさんいます。そのような方たちに、何と言っていいのか分かりませんが、ただただ感謝の思いでいっぱいです。今回の災害で、もともと自立生活を送っていた障害者が、避難所での生活を断念し、県外の親元に戻った障害者もいます。
 また、このような状況下で、家族に対して「申し訳ない」と肩身の狭い思いをして、小さくなっている障害者の話も伺いました。
 障害者が主体的な生活を取り戻すには、本当に息の長い支援が必要だと感じます。

盛岡に被災地障害者支援センター岩手設立

岩手盛岡に拠点を作ることになりました。
昨日 八幡さんがCIL盛岡の人たちと話をして
とりあえず盛岡に被災地障害者支援センター岩手の事務所を開いて
各障害者団体が集まって被災地支援をする体制を整える必要があるので 事務所を開きたいと連絡がありました。
盛岡は沿岸部から70kも離れているけれど
とりあえずの支援拠点が必要なので
やむをえないとのことと判断し、了承しました。
120平米の広さで家賃15万円だそうです。
敷金はまだわかりません。
来週月曜には事務所オープンの段取りで進めていくということです。
当面の活動費として200万円を送りました。

CILたすけっとのスタッフのメッセージ

CILたすけっとのスタッフのメッセージです。
2011年3月11日の14時45分ごろ、東北地方太平洋沖地震が発生し、宮城県をはじめ広い範囲で多大なる被害を受けました。
僕たちCILたすけっとでも、被害を受けた障がい者の支援を行っているところです。
元の美しい東北に戻るには、長い年月が必要だと思いますが、一歩一歩前へ、時に休みながら復興へ歩いて行こうと思います。
全国の皆さん、本当にあたたかいご支援ありがとうございます。
(W)
私はいま、生きています。
もしあの地震のとき、一人でいたら動けずにケガをしたかもしれません。もしかしたら死んでいたかもしれません。
仲間といてよかった、一人じゃなくて、本当によかったです。
ヘルパーさんや大切な仲間とともに過ごせる毎日を大切に自分たちにできることを積み重ねていきたいと思います。
(I)
皆様へ
 連日連夜皆様の支援、心から感謝申し上げます。3月11日を境に生活が一変しました。
宮城県沖地震に備えて避難所を整備せねば、と言っていた立場から自分が避難所へ。
一般避難所がに「居られない」ことを身をもって思い知りました。事務所に十数人、ストーブにより毛布にくるまり、声をひそめておりました。
 事務所のある地域は津波による被害はありません。ライフラインは徐々に復旧し、地下鉄も走っています。
津波の被害を受けた地域は安否確認に追われ、高齢者が野戦病院のごとき所に避難されています。
こんなギャップに愕然としながらも、とにかくつながって、復興、再生へ向けて動いています。
 元気を出して、永く地道に活動したいと思います。ご協力に感謝!
(O)

JILより 現地レポート

JIL(全国自立生活センター協議会)のスタッフからの現地レポートです。
■4月1日(金)~2日(土) 宮城
CILたすけっとは、夢かぜ基金から八幡さんも現地入りされ
障害者への物資配給や救援活動の拠点となっています。
CILたすけっとの皆さんは、休みもなく
障害者団体や事業所名簿などをもとにニーズ調査などを精力的に活動されています。
今回、CILたすけっとからの要請で、障害固有のニーズ(呼吸器の充電池やおむつ、エンシュア、清拭用のシート等の消耗品)にもとづく物資や救援活動で必要なバイク(小平提供)等を運びました。
まだ仙台市内は、スーパーも開店前に行列ができたり、
ガソリンスタンドも給油制限があるなど生活上も支障があるようでした。
ホテルは、館内の損壊や被災者の受け入れに使われていることもあり、宿泊できる場所もなく
職員の方の自宅に泊めていただきました。
翌日は、多賀城や石巻の避難所の様子を見てきました。
多賀城の文化センターが大きな避難所になっていましたが、重度障害者は見つけられませんでした。
(高齢者で車椅子利用の方は1名見かけました)
遊学館という寝たきりの高齢者ばかり150人ぐらい?を集めた避難所にも行って来ました。
医師や看護師が常駐しているものの、広い体育館に布団が敷き詰められ
高齢者がずらっと仕切りも何もなくただ寝ている状況でした。
■4月3日~5日 福島
◎福島市・ILセンター福島
私たちがちょうど伺った時に、南相馬市からの障害者の避難を受け入れされたところでした。
南相馬市には、福祉避難所がなく、ILセンター福島の所有するバリアフリーアパートで受け入れされるそうです。
福島市内は、避難地域には入っていませんが、市内は放射性物資の数値が高く、
子供と母親だけは、地方へ疎開させる判断をする人もいるそうです。
避難をした人に対して中傷する人も出てきており、地域の中でも分断がおき始めているとのこと。
「『福島県の人と結婚すると障害児が生まれる』とか今後、長年の差別と向き合っていくことになるでしょう。
でも私たちは差別に向き合っていくことになれています、福島県民のさだめとして受け止めます」と話される言葉を重く感じました。
◎郡山市・あいえるの会
あいえるの会も被災障害者の救援活動を担っています。
いま、きょうされんからも15人ほどが現地に入り、障害者の安否確認などを行っています。
原発から20キロ圏内の町から集団避難しているビッグパレットにも行って来ました。
1万人くらい?が避難されていましたが、ここでも障害者を見つけることはできませんでした。
通路もないぐらいに敷き詰められた布団とダンボールの環境の中では、
障害者が避難生活を送れるはずもなく、20キロ圏内で障害者が自宅に取り残されているのではないかと思います。
◎南相馬市・市役所・南相馬社会福祉協議会
隣の相馬市には、救援物資はたくさんとどいているそうですが
風評被害で救援物資も入らず、物流も途絶え、週に2回、市からの配給のみ。
市役所に取りに来れない障害者や高齢者の生活がどうなっているのか非常に心配です。
「屋内退避」の指示が出ているにも関わらず、週に2回の市の配給のみが
食料など生活物資を手に入れるチャンスのため、市役所の周りをぐるっと何重にも
市民が長時間並んで配給をうける矛盾が起きているとのこと。
2万人がとどまっているそうですが、全然物資が足りていないようでした。
◎いわき市・いわき自立生活センター
物流もガソリンもだいぶもどり、4月の中旬には水道も復旧するとのこと。
いまは、給水所から毎日水をくみにいっているそうです。
4月17日をめどに戸山サンライズの避難中の方々もいわきに戻られる予定。
◎田村市・福祉のまちづくりの会
田村市も物流やガソリンはだいぶもどっていました。
今週からまちづくりの会も事業を再開されたとのこと。
いま、一部の介助者と障害者が今も新潟で避難生活をされています。
ゆくゆくは、新潟に避難している方も田村に戻ってくる予定だけれど
女性介助者を確保することが難しく、介助応援して欲しいとのこと。
福島のCILの皆さんからは、介助者の中でも自主避難を決めた方がいるため
介助者が不足している状況をお聞きしました。
しかし現在、自前で介助研修をすることが難しく、
介助者の養成をすることができない状況なので
昔の全身性のように、無資格で介助に入れるように規制緩和をしてもらえるように働きかけて欲しいとの要請を受けました。
明日は、被災地支援のNPOと各省庁の連絡会議が開催されますので
被災障害者支援についての支援策や状況を聞いてくる予定です。