原発に関する講演会と映画「ミツバチの羽音と地球の回転」

STEPえどがわから
日々の被災者支援、復興支援、本当にお疲れ様です。
地震と津波だけでも甚大な被害である上に、原発事故による放射能漏れが復興の大きな足かせとなっていることに、不安と苛立ちを覚えます。
さて、この放射能については、様々な情報が錯綜し、誰のどの情報を信じればいいのかとの思いに駆られます。
先月、震災の直前に開催したSTEPえどがわの人権学習会
「映画:ミツバチの羽音と地球の回転 上映会&トークライブ」
http://step-jinken.blogspot.com/
でお世話になった映画監督の鎌仲ひとみさん、田中優さんは、今回の原発事故発生後、より一層全国で引っ張りだこになり、超多忙な毎日のようです。
彼らがなぜ、これほどまでに人気なのかを考えると、単に「反原発」だけを掲げた運動家、活動家ではなく、また憶測での批判や不安を言うのではなく、きちんとしたデータ分析の上に立った指摘と、更に解決策(希望)も一緒に提唱されているからだろうと思います。
で、その田中優さんが、来週、東北をめぐり講演されるそうです。
鎌仲さんは、会津といわきで映画上映とトークがあります。
彼らからの情報が100%正しいとの確証はありませんが、僕自身は十分信ずるに値すると思っています。
特に田中優さんが提案されている放射能に汚染された土壌をナタネやヒマワリで復活させていくプランは、障害者の社会参加支援とつなげることも可能かと思いますし、希望が持てるものだと思います。
鎌仲さんの映画からは、どうしてここまで原発が推進されてきてしまったかと、エネルギーシフトの方向性、可能性が示されています。
お二人の活動予定の情報を記しますので、良かったら是非。
福島県の皆様は特に是非!・・・4/27(水)福島市音楽堂
<田中優>
http://tanakayu.blogspot.com/
(講演の動画)
http://www.youtube.com/playlist?p=14B3FBE5FF0CB51D
http://ameblo.jp/shinentai/entry-10868086022.html
●4月25日(月)栃木県宇都宮市・とちぎ福祉プラザ
開場:17時半  開演:18時~終演:20時半
●4月26日(火)岩手県北上市・さくらホール中ホール
開場:18時  開演:18時半~終演:21時半
問い→090-8101-7526(藤根まで)
●4月27日(水)福島県・福島市音楽堂
開場:12時 開演:13時~終演:15時半
●4月28日(木)宮城県・ZEPP仙台→交渉中
(決まり次第、ブログ、ツイッターで知らせます)
開場:12時 開演:13時~終演:15時半
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◆全会場、入場無料の自由席
→予約は要りません、そのまま会場へお越しください
■□■□■□■□■
《出演&内容》
★田中優
(未来バンク事業組合理事長、「ap bank」監事)
映像を通して、放射能の危険性についてわかりやすく伝えます。
また、自然エネルギーの可能性や、未来へのライフスタイルを提案し、希望をお
伝えします。
「原発に頼らない社会へ」著者。http://tanakayu.blogspot.com/
★南ぬ風人まーちゃんうーぽー
(NGO「心援隊」代表、三線アーティスト)
沖縄三線の癒しの音と共に唄い、西表島からのメッセージ、生きる勇気と希望を
伝えます。
現在、福島県への『赤ちゃん☆引っ越しプロジェクト』や『福島☆復興プロジェク
ト』など支援活動を展開中。
まーちゃんブログhttp://ameblo.jp/upo-nokiseki/
■□■□■□■□■
◆すべての問い合わせ◆
主催:復興支援NGO『心援隊』、『福島☆復興プロジェクト』
共催:NGO風人ネットワーク(♪ハピル隊♪)
TEL:06-6101-8818
メール:event@painukaji.com
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<鎌仲ひとみ>
自主上映スケジュール
http://888earth.net/trailer.html
ミツバチ@福島県
日時2011年 5月 3日 (火曜日)
場所福島県会津若松市西栄町8-36
説明「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会+鎌仲監督トーク?in会津若松
【会場】若松栄町教会/会津若松市西栄町?8-36
【プログラム】午後の部…開場1?3:00 、上映13:30/夜の部…開場?16:30、上映17:00/監督トーク?19:30~20:30
【参加費】高校生以上1000円/小中学生?500円
【託児】託児サービスあり。主催者にお問い合わせください。
【主催】ピースウォークプロジェクト
【問合せ先】サカイ/
ミツバチ@福島県
日時2011年 5月 4日 (水曜日)
場所福島県いわき市平字5-15-1
説明「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会+鎌仲監督トーク?inいわき市
【会場】burrows(バロウズ)/いわき市平字?5-15-1
【プログラム】12:10開場/第?1回上映12:35/監督トーク?15:00/第2回上映16:0?0
【参加費】大人1000円(ワンドリンク付)/学生…主催者にお問い合わせ下さい
【主催】三函座リバースプロジェクト実行委員会
【問合せ先】burrows(バロウズ)/0246-24-7772
NPO法人 自立生活センターSTEPえどがわ
http://www.step-edogawa.com/
TEL:03-3676-7422 FAX:03-3676-7425

特定非営利活動法人拓人こうべ代表 福永年久さんの現地リポート

 郡山市に来て…感じた事。 2カ所の作業所を回り通所している当事者に聞きましたが、地震の後避難所に連れて行かれたが、生活が出来ないと感じ2、3日しか居てる事が出来なかった。
 それも皆 福祉避難所でした。また、盲人の方が飲まず食わずで避難所に居たと云う事も聞きました。今後、避難所の在り方として障害者と老人が一緒に避難出来る場を、国に考えさせ、民間ではお金が掛かる設備にも建物にも膨大なお金が掛かる為民間では無理と云う事が分かりました。今後、全国各地で避難所作り運動をしなければならないと…感じました。
南相馬市被災状況
写真は南相馬市の被災地です

東北関東大震災 大阪救援本部 会議 議事録

会議日:2011/4/18
於:大国町 パーティパーティ
【福島県郡山より当事者二人(ミヤシタ・ハシモト)とヘルパーが参加】
<1.郡山の二人より現地状況の報告>
震災直後、3日間は何とかいつも通りヘルパーに来てもらっていたが、4・5日後からはガソリンがなくなり、来れなくなるヘルパーも。遠くから無理して自転車で来てもらったりもした。
あいえるの会では一旦、利用者を一箇所に集めていた。(ヘルパーの数が足りなくなっていたので、現実的にやりくりするため)
現在は自宅に戻ってもらった。
ヘルパーが不足している(原発事故・放射能を危惧して避難していっている。その上、人は新たには入ってこない)
原発の被害がもっと拡がれば、他県に拠点を移動せざるを得ない。(が、やはり地元を離れるのはいやだし、これまで作ってきたあいえるという基盤を残したい)
また、その場合、現地だけでは無理だろう。
ただ、原発問題に対する現地の意識共有・決定はまだ、とのこと。
郡山に戻ってから、皆と議論する。
地元での情報不足はなさそう。しかし、原発問題の渦中の地域なのに、今のところ行政からの情報提供(被爆を避けるためのノウハウなど)は無い模様。
福島は他の被災地とは別で考えてほしい(原発問題)。
災害後、支給量変更あり。だいたい二倍程度に。(例:重度訪問380h→700h)
<2.この間の状況報告>
・内陸部、沿岸部、原発の三つに分けて状況分析
[内陸部]
建物自体の被害は少ない。ライフラインは一応復旧。しかし道路事情はよくない。
沿岸部や原発問題への支援拠点としての役割が期待される。
[沿岸部]
街そのものが壊滅。交通網は一定は改善。ほとんどの人が避難所や孤立した自宅暮らし。漸く状況把握と支援ポイントの捜索
[原発]
被害が更に拡大する可能性があり、避難地域の設定が定まらない。避難が本格化した場合の、その避難への支援の仕方の見極めが必要だ。支援者側のできることできないことも念頭におきつつ。また、支援者の健康被害についても十分に配慮しなければならない。
・被災地障害者センターの現状(仙台・郡山・盛岡)
仙台:被災地障がい者センターみやぎ(4/8設立)
 CILたすけっと中心。ボランティア10人ほど
 同区内にJDFも支援センターを持つ。
郡山:JDF被災地障がい者支援センターふくしま(4/6設立)
 あいえるの会、きょうされんなど。
 常駐の人材がいない。
盛岡:被災地障がい者支援センターいわて(4/12設立)
 CILもりおか中心。
 知福協など精神関連のところとも連携するかも。
その他:
 南仙台の山元町に緊急避難所を今週中に設立予定。沿岸部の被災者用の駆け込み寺として。
 東北救援本部設立予定。仙台・郡山・盛岡の三つのまとめ役として作りたい。特に沿岸部は県を跨いでいるために三県連携した方が良いだろう。なので、その調整、また、全体のお金の執行についての判断を集約したい。
・後方支援の現状(大阪・東京)など
[街頭カンパ活動の状況(大阪)]
これまで:3/19、3/26、4/9
これから:4/23(なんばビックカメラ前)、5/14(なんば高島屋前)、5/28(未定)
各団体
 夢宙センター(3/26から毎週金曜天下茶屋駅前、5月から第1・4金曜玉出駅前)
 ぱあとなぁ(なんば)
 ODF中河内(関西の各地のJILでいっぱいやってる)
[東京本部]
 事務所:救援物資の募集は一旦終了。
 戸山サンライズ:避難してた人々は17日に帰郷。避難時の宿泊費などは厚生労働省が出す方向で調整。緊急時に再度避難所として再開できる余地あり。
 JDF:政府に対する働きかけ。政府の復興構想会議に福祉関連の人物がいなかったので危機感あり。
 ヘルパー不足について:新たに育成する必要性あり。みなしヘルパー(資格なし)または資格取得の簡略化を求めていく。また、被災地でのニーズの掘り起こしが肝要。ヘルパー講座などの開催。
<3.会計>
・現在の基金の集まり状況
 東京は東京で資金の調達に目途が立ったので、大阪からの支援は東北直接に。
 大阪・東京合計して、現在は1億4千万円。
・予算(4~7月分、拠点充実にむけて)
 資金を寄せてくれた方々への活動報告として、7月あたりに大まかな会計報告をする。
 ・拠点整備費(南仙台の緊急避難所、ほか一ヶ所)
 ・車の配備(各拠点に軽自動車3台、リフト1台)
 ・スタッフ経費(東北本部2人、大阪・東京本部4人、東北4拠点16人)
 ・拠点維持費
 ・ボランティア支援
 ・被災作業所事業再建・促進のつなぎ資金
 ・避難所、後方支援所など(検討)
<4.その他>
4/19からパーティパーティ4人(かきくぼ他)車二台で仙台入り。
仙台に一室(1F)確保したので、送迎活動などの拠点に使用できる。
—次回会議は6/6(月)18:00 パーティパーティ—
—東京の会議は6/1(水)13:00 戸山サンライズ—

ゆめ風基金事務局長 橘高千秋の現地報告

 仙台のCILたすけっと(被災障害者センターを立ち上げたところです)に2日間滞在し、避難所や障害者拠点の訪問活動に同行しました。
 たすけっとは地震直後から、200人にのぼる障害者、高齢者に水、食料や介護用品を届けました。
 各地からかけつけた10人ほどのボランティアが、連日障害者を探して避難所や、地域を走り回ってます。
 避難所は統廃合の時期、規模が大きくなれば居住環境も厳しくなり、要援護者のニーズ調査も整理し直す必要があります。社協、障害者作業所、ケースワーカーなどから支援を求める問い合わせがあり、事務所はてんてこまいです。
被災地障害者支援センター宮城写真は
左からたすけっとの井上朝子さん、橘高、名古屋わっぱの正木さん(元神戸人)、たすけっとの豊川さん。
うしろの幕は、神戸在住書家、左右津安輝子さんが書いてくださったものです(朝子さんは人目見るなり鳥肌が立つと激賞)。

八幡隆司さん 現地報告会のご案内

 大地震から1ヶ月以上たちました。
 被災地では まだまだ厳しい避難生活が続いています。
 障害者福祉にかかわる社会資源が少なく
 都市部では当たり前に利用される福祉サービスがみあたらないことが指摘され
 ています。
 そのことが救援活動を難しくしている要因とも思われます。
 行政や社協の被害も大きく、本来の要援護者救援体制が崩れているところも多
 く見られ、阪神淡路大震災の教訓がいかされていないことにつらい思いを禁じ
 えません。
  
 このたび、仙台、盛岡で救援活動に携わっている八幡隆司さん(ゆめ風基金理
 事)が、一時帰阪しますので 緊急報告会を開催します。
 ぜひご参加ください。
  
 とき 4月26日(火)午後6時半~
 ところ  NPO日常生活支援ネットワーク  
「パーティ・パーティ」(大阪市営地下鉄大国町すぐ)
大阪市浪速区敷津東3-6-10
TEL・FAX  06-6649-0455

呼びかけ人の李政美さんが宮城ツアーをされます

4月23日(土)・24日(日) 
宮城ツアー
4月23日(土)
16:00~ 歌津中学校体育館(宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前123/0226-36-2019) 
4月24日(日)
13:00~ 唐桑小学校(宮城県気仙沼市唐桑町明戸208-6/0226-32-3142) 
サポート 矢野敏広(ギター、マンドリン)
問合せ オフィスとんがらし
「宮城には22日の夜出発する予定です。
23日の午後4時から南三陸町の歌津中学校、24日午後1時から気仙沼市唐桑小学校でコンサートを開きます。
それ以外に、小さな避難所や学校などで飛び込みで歌えたらいいな、と思っています。
きっと、たくさんのことを学ばされて帰ってくるとおもいます。」

いわて調査から帰っての雑感として わらじの会

「それはどこに収まるのか?」
そんな事を帰ってきてからつらつらと考えています。今、”被災”という東日本の人たちが共通に抱える”日常”からはみ出してしまった障害者はいったい新しく再生していく街のどこに収まっていくのだろう。そんな思いが埼玉に帰ってきてから、わらじの人達と会うたびに強くなっています。
東日本の太平洋岸全域といっても過言ではない、沿岸400kmを越える莫大な被害。それは東北の街の光景を一変させていました。
そして岩手の調査を始める中でなかなか見えてこない障害者の姿。
それは例えば陸前高田においては市内の障害者施設そのものが大きな社会福祉法人を中心として成り立っており、早い時期に入所型の施設に家族なども含めて避難したという状況の中で一般の避難所から障害者の姿を遠ざけた一つの要因でした。また、例えば宮古においては、やはり行政が早い時期に老人施設に短期的な障害者の受け入れを開始した結果でもありました。
うがった見方なのはもちろん承知です。そしてまず難を逃れる為に尽力した人達を悪く言うつもりは毛頭ありません。文字通り、情報だけに右往左往する行政に頼らず、自分たちの手と足と目と耳で、障害を持つ人達を確認していった現場のみなさんには頭が下がるばかりです。
しかして、この状況はうがった見方をすれば今の状況は非常に危ない状況でもあるといえるとも思うのです。
今、”被災”という街の形の中に障害者がいないこと。”避難所”という東北の沿岸部の人達にとって当たり前の暮らしである日常の中に、障害者がいないこと。これが気になるのです。
いつ障害者たちはこの街に帰ってくるのでしょうか。全てのインフラが整い、安全だというじゅうたんが敷かれるまで彼らは避難を続けるのでしょうか。ましてや危ないからという優しさの論理で、自分たちの街だとしても、障害者は柔らかくオミットし続けられるのでしょうか。
奇しくもこの地震が起こったとき、そしてカンパ活動を始めるにあたり、ゆめ風さいたまでは従来のビラに手を加えさせてもらいました。それは今まで使っていた「被害を受けた障害者の救援を!」という部分を「被災した障害者と、共に生きる地域の救援を!」という形に変えさせてもらった部分です。そして本文の中では既に支援を始めていた仙台のCILたすけっとの姿を借りながらこう書かせてもらっています。
確かに車椅子に乗っている。
たぶん走っていってガレキの下から人を引っ張りだすことは難しい。
しかし今彼らは1000年に一度という未曾有の災害が通り過ぎた街で、ましてや未だ続く人災としての原発事故の被害の中で、事務所を開け、被災した障害者やそうした災害弱者と呼ばれる人たちのために奮闘しています。
これは障害者が暮らす街の姿が、もちろん障害者だけでなく、街の人たちや風景や産業や、土地の様々なものとの関係性の中で成り立っているからです。そして少しずつ少しずつ、爪で削り取るように剥ぎ取られるガレキや、本当にかすかにではあるものの”生活”を取り戻していくであろう街の中には、避難所にすらいることの無い障害者はなかなか混じっていく事が難しいのではないかと考えるのです。
それはこれだけノーマライゼーションと叫ばれる世にあっても、その土地なりの成り立ち方や、例えば障害が無くとも厳しくつらい冬の暮らしの中で、例えば養護学校を卒業し大規模型の施設に行くことが、障害者の生活の一つの類型であるという現実もあっての話です。
この圧倒的な被害にとって人ができる事など本当に些細な事です。でもその繰り返しはきっと復興を為し得るでしょう。ならば、障害者の力が脆弱だから、役に立たないからと笑われるとしても、それは被害を撥ね退けようとする自分の顔につば吐く事と同じようなものだともいえるでしょう。
障害者は弱い。だからこそ私たちはネットワークを密にしてきました。だからこそ私たちは色々なやり方で街との関わり方を模索してきました。
障害者だからできること。
今、とても大事な事ではないかと考えます。
そしてその姿を発信し、アチコチで小さくても街を作る営みの中に混じっていく事。ひょっとしたらそんな中にいつか避難から帰ってくる障害者たちの居所が見えるように思っています。
そしてそうした小さな実験を街の中に作っていくお手伝いを、アチコチの仲間がアイディアベースで、またネットワークを生かした販路の一つなどとして手伝っていけることはこれからの一つの支援の形であると考えています。
考えようによっては莫大なガレキの下には、手付かずの新しい街の地図が埋まっているのかもしれません。ゆめ風でかつて牧口さんが「防災は地域と障害者がつながるにはええネタなんや」と言っていたことをよく思い出します。
ゆめ風の根本的な考え方である「地域で共に」という考え方と共に、”損して得取れ”ではないですが、大きく被災して”大損”したそのはるか先に、ひょっとしたら今までの地域性などの限界を越えた”得”があるようにも、むしろ”得”を得たいという願望と希望とまぜこぜになりながらも考えたりもしています。

障害者が町づくり、暮らしづくりをになうこと

調査の先について考える事 さいたまゆめ風 わらじの会 2011/4/16
今回4/15までの調査では障害者の姿が見えにくい現状があるものの状況が少しずつ見えてきていると思う。
ここではまだ全県的な調査が終わっていない状況も鑑み、調査を止めるという事ではなく、調査と共に考えていける支援の形を考える必要があるとも考える。
今回の震災・津波などの大きな被害の中で、この先例えば避難所や一時的に身を寄せる場所から”日常”に戻っていくには非常な課題がある。これは被災が異常なほどの広範囲に渡り、地域が壊滅的な打撃を受けていることで”日常”をじっくり支える為の”地域”そのものが無くなってしまっていることが大きな課題と考える。これは生活のための商店街であり、障害者だけでなく皆が糧を得ていくための職場であり、そもそも生きていく為のすべてといっても過言ではないだろう。また一つ重ねて気になるのは地域の復興をと考えて頑張っていくときに、障害者はやはり被災前よりもさらに、例えば山の中の施設のようなところに、「今かまっている余裕がないから」と囲い込まれていく機能性も高いと感じる部分だ。
暮らしを作る。その過程において障害者が作る側、また提供する側に少しでも廻っていく事。こういった考え方とそれを小さくとも具現化したモノがなにか必要に考えている。
今回の被災の規模は未曾有であり、ピンポイントの支援には限界がある。そう考えたときに、例えば既に支援している”地域で豆腐屋を続けていくための支援”のような、地域を障害者が共に支えていく部分を後押ししていく事は重要だと考えている。
例えばの例として
・岩手での支援活動の中に障害者がもっと入っていくこと。
  (有償での人材補填が18万円/1人であるよりも例えば障害当事者が6万円×3人、3万円×6人と入ってくることは広がりを持つと考える。またその送迎などを同じく被災する地元の人に頼むのもあり。いずれそれが制度利用に繋がれば更におもしろい※①)
・ スキルのある障害者が避難所の中であっても商売を始めていくこと。   (※①部分はここでも共通に考えていける。EX被災先でのマッサージ業など)
・復興していく現場での弁当販売や御用聞きなど。(これは現場であり、かつての、そしてこれからも続く地域に早く存在する事で障害者も仲間であることを周りにアピールしていく力があると考える。これは例えば沿岸部へ向かう途中の道の駅どでの販売で強くアピールすることもできる?) 

さいたまゆめ風 わらじの会より岩手レポート

4/14~4/15 岩手調査状況 さいたまゆめ風 わらじの会 ヨシダ
                    
○一ヶ月という時間と岩手気質?
 4/14は陸前高田、釜石の調査。土地へは被災地障害者センターとして初めての調査入りである。大まかな状況としては被災後一ヶ月がたっており、例えば生存を維持するための
アレコレという部分についてはやや安定してきているように見える。これは避難所に避難している人においては、とりあえず雨露をしのげていることで「とりあえず満足」としているといったところでもある。例えば陸前高田で避難している、ある視覚障害の息子をもった母の言葉を借りれば、「欲しい物、足りない物はあるがそんなことをいったら周りにどう思われるかわからない」といった問題もあるよう。また調査の中では一般の避難所の中になかなか障害者の姿を見ることができない現実がある。
 両地点とも行政・公的な支援をおこなう場所(市役所、社協)から調査に入り、ついで避難所で障害者を探しつつ調査を続けるという形になった。初日は両地点とも障害当事者の姿を一般の避難所の中に見つけることは難しかった。話の中では介助を必要とする障害者は日ごろからかかわりのある施設に避難しており、これは福祉避難所というよりも日ごろ関わっている障害者施設に家族なども含めて身を寄せたという構造らしい。
 またこの形での避難を形作っていった背景の一つには、陸前高田、釜石ともに土地に障害当事者が主導する団体、活動がないこと。また釜石地区の調査などからはそもそも地域において“障害者がいる”という存在そのものが比較的表に出ない、出したくない地域性などにも起因する様子。
地域のいわゆる社会資源の成り立ちについては、入所施設を中心に徐々にニーズに合わせて放射状に活動を広げていき、地域の障害者福祉の中心的役割となっていった障害者施設(入所施設など)の姿がある。こうした施設は都市型のNPO団体などが群雄割拠するスタイルとは確かに違いはするが、昨今の障害者福祉の構造的変化に伴い、自分たちのテリトリー以外の市井の障害者の相談も受けていくような形も持つにいたっているところが多く(生活相談のセンターなど)、その点においてはそうした対外的な支援の側面に対して非常に熱意を持って職員が安否確認を行っていったような経緯も見えてきた。これは例えば4/15の大槌町の調査などからは地域の生活支援のキーマンが被災3日目くらいからの早い段階から1000人以上の障害者の安否確認などをほぼ個人のレベルで(そうした仕事についていたとはいえ)おこなっていった様な部分にも見えてはいる。
 この部分は行政側への取材で早い時期から話が出てきていた部分でもある。比較的早い時期から行政側は、「障害者市民の安否確認は県のフォローを受けながらやっている」と話してはいた。しかし被災地センターの調査としてそれでも大枠での見方ではなにか抜けがあるのではないか?と意識的に調査を続けてきたわけではあるが、実際に回っていく中では大枠のローラー的調査(これは実際に土地をローラー的に進んで行ったものではないが)と、その穴を補填するような前出の地域のキーマン的な施設、施設職員によって担保されていったのではないかともいえる。
 また度々「ショートステイを利用してー」という言葉が調査の中で聞こえてきた。これは地域でいわゆる自立生活をヘルパーなどを使いながら地域で営むようなスタイルが少なく、少ない社会資源の中で日常的な在宅生活の補助としてショートステイを利用しているような暮らしぶりが伺える。また今後、このショートステイという避難の形からの地域移行、地域への復帰に関しては在宅の障害者が家を失っていることなども含めてショートステイとはいえ非常に長期化する傾向、ましてやそのまま施設入所していってしまうような状況も予想される。
以下、キーワードとして羅列する
・ 大変な人はみんな収容されている?
・ 障害者の被災率が高かった?→避難所での障害者の少なさ?
・ 地域のキーマンの疲弊。またその支援は地域に根ざして支援していく人の圧倒的な不足。
→地域づくりからはじめなければいけない大変さ。

新リーフレットできました

つい先日、ゆめ風基金の新リーフレットができました!
今回の東北関東大震災・津波への支援の輪を拡げるために内容を一新しました。
新リーフレットぜひ一度読んでほしいので、リーフレットの内容を抜粋しておきます。
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「16年間に寄せられた基金のすべてを東北関東に届けることから…」
◆被災地の障害者の心意気に後押しされて始まった!
 阪神淡路大震災での障害者たちは、ことごとく後回しにされた立場だったのですが、被災地の彼らは普段の助け合いネットワークを活用し、いち早く炊き出しを実施、寒さに震える地域の人々に「日頃の恩返し」と豚汁を配ったのでした。この心意気に後押しされて、それでは緊急時に普段から備えておこうと、「ゆめ風基金」運動が発足しました。
 この16年間に地震・噴火・豪雨・台風…さまざまな自然災害が起こり、「ゆめ風基金」からは海外も含めて計6,017万円(3月31日現在)を被災地の障害者・児に届けてきました。また、活動を展開する中で、「もし、阪神淡路規模の大震災が起これば、それまでの蓄えている基金をそっくりそのまま被災地の障害者に活用してもらいます」と伝えてきました。
◆こんなに早く、基金のすべてが活用されるとは……
 だけど今回の東北関東大震災は、強烈な揺れに加え、広範囲にわたって津波が襲い、そのうえ福島第一原発では建屋が次々と破壊し、放射能被害については大変深刻です。阪神淡路大震災をはるかに超える規模になってしまいました。
 心のどこかで準備していましたが、こんなに早く基金のすべてを投入しなければならないとは思ってもいませんでした。でも、「ゆめ風基金」運動はこんな日のために活動してきたのだとも思いました。
 いままでの基金2億円をそっくり、いち早く東北・関東の被災した障害者・児の手許に届け、活用され始めました。
◆どっこい、いろんな障害者が 同じ街で生きているよ
 だけど、まだまだ足りません。そこで私たち障害者市民と共に生きる市民は、東京に障害者救援本部を設置し、阪神淡路大震災の時に救援本部を立ち上げたメンバーがその体験を活かしながら、被災地の障害者たちとスクラムを組みました。
 また、全国各地に点在する「ゆめ風ネットワーク」(2011.3/17現在51か所)とも連絡を取りつつ、息の長い活動に挑み始めています。ただ、途中で息切れしないよう自分たちのペースでやろうと語り合っています。
 まずは被災地の状況がもう少し分かるまで、それぞれの地の賑やかな所で「どっこい、いろんな障害者も同じ街で暮らしているよ」と示すためにも、各地で障害者が陣頭に立って街頭募金を始めています。
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また、ゆめ風基金はさまざまな方のご支援をいただいています。
みなさんにおなじみの方をちょっとだけご紹介します。
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・呼びかけ人代表グループ(50音順、敬称略)
小室等(代表)/永六輔(権代表)/東ちづる/石井彰/一番ヶ瀬康子/イーデス・ハンソン/伊奈かっぺい/李政美/及川恒平/オオタスセリ/おすぎ/落合恵子/おーまきちまき/掛布雅之/桂小春團治/桂文福/桂南光/加納浩美/鎌田實/上沼恵美子/河内家菊水丸/きたやまおさむ/喜納昌吉/後藤悦次郎/こむろゆい/佐高信/さとう宗幸/ジェフ・バーグランド/渋谷天外/清水哲/笑福亭伯鶴/レツゴー長作/辛淑玉/新谷のり子/新屋英子/曾我廼家寛太郎/高石ともや/趙博/槌田劭/道上洋三/中山千夏/朴慶南/長谷川きよし/林英哲/ピーコ/増田明美/松島トモ子/光野有次/向井承子/本橋成一/森達也/山田太一/横路孝弘/四角佳子
(ほか2011年3月現在991名)
「ゆめ風基金」のホームページでは、呼びかけ人からのメッセージを紹介しています。
・賛助会員(50音順、敬称略) 
笑福亭仁鶴/谷川俊太郎/吉永小百合
(ほか2011年3月現在9,328名)
・この16年間に亡くなられた呼びかけ人(天国から見守られて…敬称略)
内海好江/岡部伊都子/黒田清/茂山千之丞/壽岳章子/筑紫哲也/灰谷健次郎/松下竜一/村山實
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この前紹介した永六輔さん・小室等さんのメッセージももちろん、載っています。
このリーフレット、手にとって見てみたい、という方はぜひご連絡ください。