さいたまゆめ風 わらじの会より岩手レポート

4/14~4/15 岩手調査状況 さいたまゆめ風 わらじの会 ヨシダ
                    
○一ヶ月という時間と岩手気質?
 4/14は陸前高田、釜石の調査。土地へは被災地障害者センターとして初めての調査入りである。大まかな状況としては被災後一ヶ月がたっており、例えば生存を維持するための
アレコレという部分についてはやや安定してきているように見える。これは避難所に避難している人においては、とりあえず雨露をしのげていることで「とりあえず満足」としているといったところでもある。例えば陸前高田で避難している、ある視覚障害の息子をもった母の言葉を借りれば、「欲しい物、足りない物はあるがそんなことをいったら周りにどう思われるかわからない」といった問題もあるよう。また調査の中では一般の避難所の中になかなか障害者の姿を見ることができない現実がある。
 両地点とも行政・公的な支援をおこなう場所(市役所、社協)から調査に入り、ついで避難所で障害者を探しつつ調査を続けるという形になった。初日は両地点とも障害当事者の姿を一般の避難所の中に見つけることは難しかった。話の中では介助を必要とする障害者は日ごろからかかわりのある施設に避難しており、これは福祉避難所というよりも日ごろ関わっている障害者施設に家族なども含めて身を寄せたという構造らしい。
 またこの形での避難を形作っていった背景の一つには、陸前高田、釜石ともに土地に障害当事者が主導する団体、活動がないこと。また釜石地区の調査などからはそもそも地域において“障害者がいる”という存在そのものが比較的表に出ない、出したくない地域性などにも起因する様子。
地域のいわゆる社会資源の成り立ちについては、入所施設を中心に徐々にニーズに合わせて放射状に活動を広げていき、地域の障害者福祉の中心的役割となっていった障害者施設(入所施設など)の姿がある。こうした施設は都市型のNPO団体などが群雄割拠するスタイルとは確かに違いはするが、昨今の障害者福祉の構造的変化に伴い、自分たちのテリトリー以外の市井の障害者の相談も受けていくような形も持つにいたっているところが多く(生活相談のセンターなど)、その点においてはそうした対外的な支援の側面に対して非常に熱意を持って職員が安否確認を行っていったような経緯も見えてきた。これは例えば4/15の大槌町の調査などからは地域の生活支援のキーマンが被災3日目くらいからの早い段階から1000人以上の障害者の安否確認などをほぼ個人のレベルで(そうした仕事についていたとはいえ)おこなっていった様な部分にも見えてはいる。
 この部分は行政側への取材で早い時期から話が出てきていた部分でもある。比較的早い時期から行政側は、「障害者市民の安否確認は県のフォローを受けながらやっている」と話してはいた。しかし被災地センターの調査としてそれでも大枠での見方ではなにか抜けがあるのではないか?と意識的に調査を続けてきたわけではあるが、実際に回っていく中では大枠のローラー的調査(これは実際に土地をローラー的に進んで行ったものではないが)と、その穴を補填するような前出の地域のキーマン的な施設、施設職員によって担保されていったのではないかともいえる。
 また度々「ショートステイを利用してー」という言葉が調査の中で聞こえてきた。これは地域でいわゆる自立生活をヘルパーなどを使いながら地域で営むようなスタイルが少なく、少ない社会資源の中で日常的な在宅生活の補助としてショートステイを利用しているような暮らしぶりが伺える。また今後、このショートステイという避難の形からの地域移行、地域への復帰に関しては在宅の障害者が家を失っていることなども含めてショートステイとはいえ非常に長期化する傾向、ましてやそのまま施設入所していってしまうような状況も予想される。
以下、キーワードとして羅列する
・ 大変な人はみんな収容されている?
・ 障害者の被災率が高かった?→避難所での障害者の少なさ?
・ 地域のキーマンの疲弊。またその支援は地域に根ざして支援していく人の圧倒的な不足。
→地域づくりからはじめなければいけない大変さ。

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