機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
2012.3.11 レポート仙台
あの日あのときあれから1年、3月11日、神戸のソングスタァ加納さんほか関西人数名とともに、仙台で、被災地障がい者センター宮城の活動報告会「ありがとう そして、これから」に参加してきました。
今回、3度目の宮城訪問、すっかり顔なじみというわけで、2日前から石巻の事務所にお邪魔して、石森、阿部両氏ともしっかり交流することも出来ました。
この間、被災地支援のさまざまな活動に参加して思うのは、被災地のことに関わる、あるいは語り合うことによってむしろ、自分たち関西の仲間たちの想いがつながって深まっているのじゃないだろうかということ。そんなことを考えつつ報告会に参加していて、不覚にも目頭が熱くなってしまったのであったんだ。
きっと色んなところにそんな想いがあるんじゃないかしら。そんな想いがつながるよう「ありがとう。そして、これから」と、その言葉を仙台の皆さんにおかえししたい。支援から友情へ、またいくぜ。
豊能障害者労働センター 石原礼
2012.3.11 レポート宮古
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
2012.3.11 レポート宮古
3月10日、被災地障がい者センター宮古に行ってきました。センター宮古では月1回、地元の人たちを招いて交流会を開いており、今回は少し大きな催しとなりました。大阪市生野の保育園から贈られた子どもたちの元気な絵が天井いっぱいに飾り付けられました。
交流会では被災した時のこと、この一年間の現状などが話し合われました。
そのあとはゆめ風呼びかけ人加納浩美さんのライブがあり、おおいに盛り上がりました。中でも一番印象に残ったのは被災した車いすの女性の一言です。「笑顔、笑顔。せっかく生きてるんだから」。そういって周りのみんなを和ませていた彼女でしたが、ライブのあと、眼には涙があふれていました。
ゆめ風基金事務局 南純子
被災障害者発! No.2 200字メッセージ
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
被災障害者発! No.2
「一番つらい時に来てくださった事、忘れません」
山元町社会福祉協議会 工房地球村 田口ひろみ
私は震災を経験して、人と人との繋がり「絆」を強く感じました。「障害者どころじゃない」というのがその頃の上司の指示。自分の考えが正しいのかさえ見えなくなっていた一番つらかった時、全国からの助けに、私は前に進む勇気を頂きました。被災地となっても、障がいのある方々が、これまで以上安心して生活していけるよう、柔軟な支援が必要と痛感します。この度のご縁でご指導頂いた事を忘れずに今後の職務に取り組んでいく所存です。これからもよろしくお願いします。
「決して一人ではない」 仙台 フリースペースソレイユ 菅井
昨年、発生した東日本大震災は、誰もが予想もできない未曾有の大災害をもたらしました。この経験を通し私たちは、決して一人ではないこと、そして人の心の温かさを知りました。 あれから一年が経過し、心を一つにして復興に向けて、動き始めています。
全国からたくさんの皆様からご支援をいただき、私たちの施設は新しく生まれ変わります。そして、新たな仲間も迎え、より一層元気に楽しく活動していきたいと思います。
「当事者が切り拓いていく」 仙台 みどり会 今野真理子
現在は拠点を持ち再建の道半ばにおります。利用者と共に一から作り上げ、以前よりも更に信頼関係が強くなりました。当事者は震災時生きるしなやかな強さを見せてくれました。「生きているだけで丸もうけ」と視点が変わり自身の人生と丁寧に向き合うようになりました。症状の改善にも繋がり生活環境や発想の転換で大分好転する処を目にしました。皆さんは切り拓いていく力をお持ちです。その力を全国の仲間たちの心に留めて欲しいです。
「海に生きる町づくり」 被災地障がい者センター宮古 杉田美由紀
2011年3月11日の次の日より夫と私は叔父家族の捜索活動を開始した・・。
叔父家族は妻と40代の障がいを持った息子と3人で暮らしていました。息子が障がい者ということから奥さんは周囲の目を気にしてほとんど外へ出なかった。そして大津波のあったあの日も外へ出ることなく真っ黒な津波の渦の中へ飲み込まれてしまいました。私は4月より被災地障がい者センタースタッフとして働いています。今回の経験を胸に被災地の障害者の方のために地域コミュニティづくりや安心して住める町づくりに力を注いでいきたいたいと思っています。
「当事者の力で乗り越えられる」 相馬 ひまわりの家 山下剛
東日本大震災を経験して、私たちが皆さんにお伝えしたいことは、その人の人格を尊重して自分のことは自分で決められる環境が身近に整っていれば、地域社会で生活をしていくことは可能であるということです。今回の震災により、精神科医療は崩壊し危機的な状況に陥りながらも、この震災を乗り越えられたのは、当事者たちが持っている力(エンパワメント)のおかげだと実感しています。私たちが考えている以上に力を持っているということなのです。全国の支援者の皆さん、当事者の力を信じていろいろ挑戦をさせてあげてはいかがですか。
被災障害者発!NO.1 200字メッセージ
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
被災障害者発! No.1
「人はもしかして」 大船渡 さんりく・こすもす 里見節子
明日が見えなかったあの日。ここに住み暮らす人全てが、失う筈のないものを一瞬で失ってしまった震災でした。しかしその後、出会う筈のなかった多くの人に出会い、たくさんの愛をいただきました。何より気付かされた事は、人には弱い強いの区別はない事。人はもしかしてどんなことも乗越えていけるのではないかという確信でした。障害のある皆さんにむしろ支えられながら、この与えられた時を過ごしていきたいと思っています。ご支援に感謝いたします。
「共に助けあって」 仙台 心のネットワークみやぎ 佐川美紀
心のネットワークみやぎと宮城精神しょうがい者団体連絡会議の仲間達は、この生きづらい世の中、精神を病む仲間と助け合って生きてきました。そうした私達の生きざまより、震災で心がなえている方のお力になれる面があると考え、心のピアサポート相談電話を始めました。このような非常事態には、健常者も障害者もないと思います。お互い心が壊れそうな時こそ、絆を思い起こすべきです。全国の皆さん、震災で繋がった心を忘れないでください。
「どんな逆境においても」 宮古 ワークハウスアトリエsun 刈屋 百恵
震災で津波1mの浸水を受けました。利用者、職員の多くが家や車をなくした中、職場の片付けに追われました。当時はどこから手をつけていいのか全く分からない状態でしたか、日本全国から支援をいただき、なんとか授産活動を継続してきました。現在は仮店舗で活動を続けています。今回の震災で、どんな逆境においても人々の支え合いで困難は乗り越えられると感じました。今後は地域の人と交流できる場づくりを目指して地域の復興に役立っていきたいです。
「普通の日々」 田野畑村 ハックの家 竹下 敦子
2012年3月11日、私は息子とゆっくり遊んだり家事をしたり、本当に普通の1日を過ごしました。普通がこんなにも愛おしいと思った日はありませんでした。ハックの家に通ってくる障害を持った方々にも何をしたのか聞くと、「買物に行った」など多くが普通の1日でした。本当の意味で全ての方が「いつもの日常」を送れるように、皆様にご協力いただくことも多々あるかと思いますが、私達なりに頑張って行きたいと思います。
「温かい人の繋がりが生きているところ」
被災地障がい者センター宮城県北 太齋京子(南三陸)
震災直後は、荒野を目の前にして今を生きるのに精一杯でした。しかしその後学校が再開し、仮設住宅や仮設商店街もでき、被災地にはゆっくりと日常が戻ってきています。
全国の方々からたくさんご支援をいただき、絆に感謝すると同時に、この地域はそういった温かい人の繋がりが生きているところだったと、改めて良さも感じています。まだまだ復旧には程遠い現状ですが、先には前より輝いた未来があると信じて、進んで行きたいと思います。
「笑顔が戻ってきました」 浪江町~二本松 アクセスホームさくら 渋谷久美子
原発事故により利用者・職員共にバラバラになり、私達が生きがいを感じて働ける場所は、なくなってしまうと思いました。しかし様々な方々のご支援や、何より利用者・職員の「また皆と仕事がしたい」という強い気持ちにより、避難場所で再開することが出来ました。まだまだ心配事はありますが、今は以前のように利用者さんの笑い声が事業所に戻ってきています。人の強い想いと支え合いが、今のさくらを支え、前進させてくれています。
リレー・エッセイ 災害と障害者 第三十八回
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
リレー・エッセイ 災害と障害者 第三十八回
【気仙沼 ケアホームめぐみ からの便り】
菅原満子
初めて投稿させていただきます。
ケアホームめぐみの入居者さんの中にはゆめ風さんを「私のあしながおじさん」と呼び、自らお礼の葉書を出している方もおられます。ホーム再建もすでに工事が始まっており、ゆめ風さんがどれだけ私たちの働きに貢献されているかを、入居者さんの言葉で優しく伝わればいいなと祈っていました。
震災でこちらはまだ混乱の中にあり、瓦礫は片付いてもこれからどうして行けばいいか・・?という模索の中で、悩み、時には諦め落胆に陥り、法律や制度も改正や措置の延長などの変化があまりにも多すぎて、誰もが忙しさの中、順応すら出来ずにいます。
自分のことで精いっぱい、他のことが考えられなくなり悲しくなる日もあります。皆どこに働きかけ、何を助けてもらえばいいのかも分からない渦中に誰もが置かれ、不安や孤独と戦っています。
それでも、とりあえず無我夢中で精一杯やっていると誰かが認めてくれて、助けてくれる。それがどんなに嬉しいことか、何気ない事を感謝され「ありがとう」の一言がどんなに明日の力になるかを気付かされた一年でもありました。ゆめ風さんとの出会いも私の中で、その事を教えてくれた一つの出会いでした。
私は縁があって平成二十年にケアホームめぐみ創設に携わり、三年目に第二ケアホーム増設直前で震災の被害にあいました。
気仙沼でも南三陸町に近いこの本吉という地域には、障害者のグループホームやケアホーム・障害児の利用できる施設はほとんどありませんでした。
この地域の障害者は在宅が困難で余儀なく入院、もしくは入所施設で暮らしていましたが、このケアホームが出来て地域生活が現実化し、就労ができる「あたりまえの日常」の中に「生きがい」を見出す入居者さんを見ていると、幸せって実は本当に小さなことなんだ・・・と思い知らされます。
理事長からこの依頼を受けた時に、自分にもダウン症の息子がいるとあって、地域の「手をつなぐ親の会」のお母さん達とも打ち解け、今まで子供を預けるにしても遠くの施設まで預けに行くのが大変、という悩みを抱えていることを知り、何とか力になれないかと思い立ったのが始まりでした。
私自身も以前は子供が小さいころは、学童保育などに預けるとご迷惑をかけてしまう遠慮や、年老いた父母に預ける心配があり(目を離すと怪我が多かったので)今の職について我が子の傍で仕事ができる幸いを日々噛みしめています。
障害を持つ親御さんは特に、我が子を理解してくれる人がいる場所で大切な時間を過ごして欲しいと願っていると思います。
私はこのケアホームめぐみが、教育的な場所ではないにしても、多くを望まず親子にとって「ただ居るだけで何となく安心できる場所」になっていけたらそれでいいと思っています。
ケアホームめぐみのストーブは利用者さんがいくら言っても乱暴に扱う為、すぐに壊れるし、キッズハウスのエアコンも、自閉症の子供にリモコンを隠され使えなくなる時がしばしばあります。「でも、寒くても何でも、めぐみに来ると何故か心が温まるんだよねえ」と言ってくれた人がいました。そんな何気ない一言が「大したことは出来ていないけど、これでいいんだ」と、自分たちの働きをいくらかでも肯定してくれた気がします。
震災後、我が法人にはホームページも無いので、せめてブログを立ち上げようと始めましたが、このブログは私たちが沢山の方々に支えられていること、また私たちがいろんな事を考え、喜び悩む姿を「伝える」、そして「繋がっていく」為のツールだけではなく、時には「傷ついている誰か」をいつの間にか励ますものにもなっていたようでした。応援してくれている人がいる、だから頑張ろうと。
でもこの被災地では、単純に思えるようなことが、簡単な動作ではありません。どうしたら頑張ることができるか考えることすら、頭を抱える現実です。ゆめ風さんを始め、多くの団体の皆さんが、被災地の為に何が出来るか?ということも一緒に考えてくれているから、辛うじて立って前を向いていられます。
福祉という分野は特に優しさに満ちた場でありたい・・といつも自分の心に願っています。
どのような場所であっても、困難は必ず自分の前に立ちはだかる時は来ます。そんな時でも、乗り越える強さとなる助けが、様々な形で与えられることにいつも感謝しよう、そうすれば自分に出来ることを一つずつゆっくりとでも前へ進んで行くことが出来る、そう思えるようになったのは震災で出会った沢山の方々のおかげです。
ひとりひとりの善意がやがて目に見える形になるように、これからも私たちに限らず、苦しみを負っている方々への支援をどうぞ宜しくお願いいたします。憐れみを持つ皆様の心に豊かさが増し加えられて、更に大きな益となりますように。
すがわらみつこ NPO法人泉里会「ケアホームめぐみ」(気仙沼市本吉町 障害者共同生活介護事業所・短期入所・日中一時支援事業所)ケアマネージャー。気仙沼バプテスト教会員としても奉仕活動に携わる。海岸線が美しいこの町も津波の被害あい「ケアホームめぐみ中島」開設直前に津波により流失。障害者就労の場イチゴハウス5棟も全て失う。
巻頭言 【ひとりひとりが主人公の、社会という舞台でつながろう】
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
巻頭言 【ひとりひとりが主人公の、社会という舞台でつながろう】
NPO法人ゆめ風基金副代表理事 河野秀忠
前々回にも書いたけれど、今回もまた、季刊障害者問総合誌「そよ風のように街に出よう」特集取材のために、ゆめ風基金代表の牧口と、編集長の河野が、老老へろへろコンビで、岩手県盛岡にある、『被災地障がい者センターいわて』を訪ねた。その内容については、83号そよ風誌特集をお読みいただければと、密かに願っている(そよ風編集部tel06-6324-7702)
さすがに、大阪から、東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで、岩手県に向かうと、その遠さを実感し、へろへろする。今回、初めて知ったのだが、岩手県の面積は、日本の府県の中で一番広いとのこと。乗車時間が長いため、話題も途切れて、老老コンビが、つくねんと車窓に流れる風景を眺めるばかり(本当は、飛行機を使えば時間を短縮出来るのだが、牧口の使っている電動車イスが大きく、荷物として飛行機に積み込めば、新型のために、故障する可能性があり、やむなく新幹線となったのだ)。東北3県を縦断するように、新幹線は走る。
東北には、想像する以上に、川が多く、水が豊かに流れている。新幹線は、内陸部がコースなので、東日本大震災の被災風景もあまり見当たらない(被災状況は、もっぱら沿岸部に集中している。沿岸部では、地震、津波によるガレキが撤去されているものの、ガレキの山が出来ただけで、今もつて、復活の道筋は不透明のままにある)。あちこちの山並みの緑も、深く、濃ゆい。流れる風景は、大阪などと違って、ゆったり、広々としている。広い敷地の人家が点在して、大地の豊かさが視界に刻まれる。
ところが、都市部に近づくと、民家やビルが立ち並び、家々が肩を寄せ合うように立ち並ぶ。そのような家々にも、ひとりひとりのドラマがあり、その主人公の記憶がある。ボクたちもまた、被災地のひとびとと同じように、自分のドラマの主人公であり、生きた記憶を持つ。しかしながら、その自分ドラマには、舞台としての『社会』があらねばならない。今回の大震災で被災されたひとたちは、ドラマを失い、生きた記憶を失い、ドラマの舞台である社会すら失ったひとたちが多くいるのだ。
そのひとつの天災ではなく、人災の福島県の原発事故では、放射能の拡散によって、社会=地域に帰れぬひとが多数いる。なかでも障害を持ったひとや高齢者のひとたちは、避難も出来ないままに、汚染地域での困難な生活を強いられているひとが多い。東京電力や、政府の言葉も、どこまで信じればいいのか、真実が分からぬままに、空虚な言葉だけが、奇麗な東北の風の中を漂う。
ボクたちには、自分のドラマと、他者のドラマをつないでいくことが求められている。それが同じ社会、世界に生きるものの証なのだ。ひととしての証である。本当の気持ちと、本当の言葉で、本当のことを話し合おう。被災地とつながろう。今はまだ、被災地救援の時だけれど、いずれ、自然に、つながりの先に、ボクたちの、自分が主人公のドラマが演じられる新しい舞台=社会が必ず創出される。その本当のひとびとの歴史作りに、ひとりひとりが自分で決め、参加しょうではないか。
前にも書いたけれど、ボクたちの社会は、化学エネルギィで成り立っている。人間そのものが化学結合で作られている。地球上のありとあらゆるものが、化学エネルギィで支えられているのだ。その化学エネルギィの百万倍もの力を持つ、核エネルギィを、化学エネルギィで作った物質で押え込むなんて、出来るハズもない。もうそろそろ、本当のことを語ろう。にんげんには、限界があることを。その限界の内に、豊かに暮らすのが、にんげんらしい生き方であり、つながり、願い、記憶を創造する中に、自分があると。まだまだ被災地には、支援が必要だ。だから、必要が無くなるまで、つながり、支援を続けよう。
ボクのために、あなたのために、みんなのために!
新幹線の車窓の夢の中から・・・。
ゆめ風基金は全国のみなさんと連帯して被災障害者の復活を応援します
機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
震災から2年目に入りました。被災地の人々のくらしはどのように再生されるのでしょうか。
岩手、宮城、福島の8箇所の被災地障害者センターでは、11人の地元の方を雇用し、県外ボランティアと共に毎日、送迎、介助、見守り、相談、ニーズほりおこし、避難支援など多岐にわたる救援活動を続けています。病院や作業所、買い物などへの送迎ニーズが高く、活動の大きな部分を占めています。切実なニーズですが、公的支援は一切ありません。
4月12日東京で救援本部世話人会議(障害者8ネットワークが参加、事務局はJIL全国自立生活センター協議会+DPI障害者インターナショナル日本会議+ゆめ風基金)が開かれ、宮古、大船渡、釜石、登米、石巻、仙台、郡山の障害者センターから当事者が参加し、活動報告と今後の方針について話し合いました。救援本部では被災地の声をもとに、被災地障害者センターを支える3年間資金計画を立てました。2012年度の支出予算は1億2506万円(3年で約3億円)。内訳は7被災地障害者センター活動費、3障害者団体への送迎委託費、当事者派遣活動費、事務所改造、移送サービス車両費などで、収入はゆめ風基金、JIL、DPIが担います。
今後の方針として、障害者ニーズを探りつつ救援活動をできるだけ障害者福祉制度につないでいくこと、そのための相談員や活動ボランティアの派遣をはじめ、全国の障害者ネットワークと連帯して被災地の障害者復活を支えていくことが確認されました。画期的な障害者デモ「みちのくトライ」も計画しています。作業所、グループホームなど障害者の生きる場、働く場の再建、新設支援についてはゆめ風基金が中心に担います。
3月25日大阪で開催されたゆめ風基金定時総会では、被災地も含め14ネットワークが参加し活動報告、決算報告が満場一致で承認されました。2012年度方針として東北の復興に力を傾けると共に、障害者防災活動に引き続き取り組むことが確認されました。
16年前の阪神淡路大震災によって生まれたゆめ風基金。東日本大震災では本当に生きたお金として活用されています。
これまで支え続けてくださいましたみなさまに心から感謝いたします。
ゆめ風基金事務局長 橘高千秋
豊能障害者労働センター・春の大バザー
5月26日(土)、豊能障害者労働センター主催の大バザーは、盛況のうちに無事終了しました。
今年は汗ばむほどの五月晴れで、お客さんも大変多く、午前中で品物がほぼなくなってしまう勢いでした。
野外ステージではゆめ風基金のディーバ(歌姫)・加納ひろみさんや風船パフォーマンス、紙芝居があり、楽しい時間になりました。ステージのラストは、加納ひろみさんがゆめ風基金応援歌「風と夢」を歌いました。
ゆめ風基金は提供していただいた広いスペースでパネル展を開き、募金箱も置かせていただきました。
ゆめ風基金のスタッフもボランティアスタッフとして参加した他、牧口一二さん、河野秀忠さんをはじめ、ゆめ風基金の理事や障害者救援本部のメンバーの人たちも来てくださいました。
売り上げは150万円もあったということで、豊能障害者労働センターは売り上げの一部をゆめ風基金に送金してくださいます。
豊能障害者労働センターのみなさん、ご苦労様でした。
ゆめ風ネットさいたまより 茨城県つくば 竜巻被害状況調査
茨城県つくば市で発生した竜巻の被害状況について、ゆめ風ネットさいたま(わらじの会)の吉田弘一さんから報告が届きました。
茨城県つくば 竜巻被害状況調査
日時 5月8日 9:00~19:00(現地12:00~19:00)
場所 茨城県つくば市北条地区、ならびにそれに隣接する地域
メンバー ゆめ風さいたま(わらじの会)辻浩司(運転も)、吉田弘一
方法 車、徒歩による目視、聞き込みなど
被災の原因 竜巻の発生による暴風での被害。
被災の規模 9日午後5時現在で確認された建物被害は▽つくば市952棟(うち全壊196棟)▽筑西市179棟▽桜川市80棟(うち全壊9棟)▽常陸大宮市41棟(同2棟)▽常総市25棟。またつくば市北条地区の約200世帯で続いていた停電は損壊家屋で引き込めない世帯を除き、同日午前、全面復旧した。(県発表)
つづきのくわしいレポートは、ここをクリックしてください。
守口市「春をよぶみんなのコンサート」よりの募金
2月25日(土)、守口市で「春をよぶみんなのコンサート」が開催されました。
このコンサートは、守口市、門真市、寝屋川市、四條畷市、交野市、大東市、枚方市の大阪府民と障害者とのふれあいの場として、上の各市行政と社会福祉協議会、支援学校などの後援と三洋電機、京阪百貨店など多数の企業やお店などの協力のもと、実行委員会が毎年開催されているもので今年で22回を迎えました。
今年は会場でゆめ風基金への募金をよびかけてくださり、事務局をされている「あしたの会」を通じて募金額38,407円を入金してくださいました。
募金していただいたみなさん、実行委員会のみなさん、ありがとうございました。
いただいた募金は、被災地の障害者への息の長い支援のために、たいせつに使わせていただきます。
ゆめ風基金の募金箱をつくっていただき、募金を呼びかけてくださいました。