巻頭言 【ひとりひとりが主人公の、社会という舞台でつながろう】

機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
巻頭言 【ひとりひとりが主人公の、社会という舞台でつながろう】
NPO法人ゆめ風基金副代表理事 河野秀忠
 前々回にも書いたけれど、今回もまた、季刊障害者問総合誌「そよ風のように街に出よう」特集取材のために、ゆめ風基金代表の牧口と、編集長の河野が、老老へろへろコンビで、岩手県盛岡にある、『被災地障がい者センターいわて』を訪ねた。その内容については、83号そよ風誌特集をお読みいただければと、密かに願っている(そよ風編集部tel06-6324-7702)
 さすがに、大阪から、東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで、岩手県に向かうと、その遠さを実感し、へろへろする。今回、初めて知ったのだが、岩手県の面積は、日本の府県の中で一番広いとのこと。乗車時間が長いため、話題も途切れて、老老コンビが、つくねんと車窓に流れる風景を眺めるばかり(本当は、飛行機を使えば時間を短縮出来るのだが、牧口の使っている電動車イスが大きく、荷物として飛行機に積み込めば、新型のために、故障する可能性があり、やむなく新幹線となったのだ)。東北3県を縦断するように、新幹線は走る。
 東北には、想像する以上に、川が多く、水が豊かに流れている。新幹線は、内陸部がコースなので、東日本大震災の被災風景もあまり見当たらない(被災状況は、もっぱら沿岸部に集中している。沿岸部では、地震、津波によるガレキが撤去されているものの、ガレキの山が出来ただけで、今もつて、復活の道筋は不透明のままにある)。あちこちの山並みの緑も、深く、濃ゆい。流れる風景は、大阪などと違って、ゆったり、広々としている。広い敷地の人家が点在して、大地の豊かさが視界に刻まれる。
 ところが、都市部に近づくと、民家やビルが立ち並び、家々が肩を寄せ合うように立ち並ぶ。そのような家々にも、ひとりひとりのドラマがあり、その主人公の記憶がある。ボクたちもまた、被災地のひとびとと同じように、自分のドラマの主人公であり、生きた記憶を持つ。しかしながら、その自分ドラマには、舞台としての『社会』があらねばならない。今回の大震災で被災されたひとたちは、ドラマを失い、生きた記憶を失い、ドラマの舞台である社会すら失ったひとたちが多くいるのだ。
 そのひとつの天災ではなく、人災の福島県の原発事故では、放射能の拡散によって、社会=地域に帰れぬひとが多数いる。なかでも障害を持ったひとや高齢者のひとたちは、避難も出来ないままに、汚染地域での困難な生活を強いられているひとが多い。東京電力や、政府の言葉も、どこまで信じればいいのか、真実が分からぬままに、空虚な言葉だけが、奇麗な東北の風の中を漂う。
 ボクたちには、自分のドラマと、他者のドラマをつないでいくことが求められている。それが同じ社会、世界に生きるものの証なのだ。ひととしての証である。本当の気持ちと、本当の言葉で、本当のことを話し合おう。被災地とつながろう。今はまだ、被災地救援の時だけれど、いずれ、自然に、つながりの先に、ボクたちの、自分が主人公のドラマが演じられる新しい舞台=社会が必ず創出される。その本当のひとびとの歴史作りに、ひとりひとりが自分で決め、参加しょうではないか。
 前にも書いたけれど、ボクたちの社会は、化学エネルギィで成り立っている。人間そのものが化学結合で作られている。地球上のありとあらゆるものが、化学エネルギィで支えられているのだ。その化学エネルギィの百万倍もの力を持つ、核エネルギィを、化学エネルギィで作った物質で押え込むなんて、出来るハズもない。もうそろそろ、本当のことを語ろう。にんげんには、限界があることを。その限界の内に、豊かに暮らすのが、にんげんらしい生き方であり、つながり、願い、記憶を創造する中に、自分があると。まだまだ被災地には、支援が必要だ。だから、必要が無くなるまで、つながり、支援を続けよう。
 ボクのために、あなたのために、みんなのために!
 新幹線の車窓の夢の中から・・・。

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