ヒデの救援レポート 2014年3月17日№153

●3月15日、hideが事務局長をしている「箕面市人権啓発推進協議会」が、昨秋の義援ツアーの時にお世話になったNPO法人「つながっぺ南相馬」の代表理事の今野由喜さんをお招きして、学習会を開催しました。
●事務所兼自宅、福島県南相馬市桜井町1丁目173-1-1号
今野さんは、大震災の時に、自宅を津波で流され、ご自身も自動車を運転中に津波で流され、九死に一生で生還されました。
経験に裏打ちされたお話は、ズシンと響き、現実の日毎を原発事故の放射能と向き合っておられます。
約50名の参加者に深い感銘を与える勉強会になりました。
各地でも、このような勉強会が開かれれば、「つながり」が広がると思います。
ぜひ御一考を!


●豊能障害者労働センター機関誌「積み木」№246号より転載
連絡先 TEL 072-724-0324 FAX 072-724-2395
「保養キャンプのボランティアを通じて}
昨年、福島県の子どもたちを一定期間関西に招き、心身の疲れを癒やす取り組みの中で、実際にボランティアスタッフとして関わっておられる「西竜也さん」(常盤会学園大学生)に現場でのことを綴っていただきます。
初めて保養キャンプに参加したのは2013年の春でした。
宇野田さんの紹介で、「びわこ星印1・2・3キャンプ」という滋賀県で行われている保養キャンプに参加させていただきました。
保育ボランティアとして参加したのですが、最初はすごく不安で被災した子どもとどう関わればいいのだろうと悩んでいました。
でも、実際に関わってみると、どの子も明るくて笑顔が素敵な子ばかりでした。
少し考え過ぎていた部分があったなと反省して、それからはあまり考え過ぎずに自分らしく関わっていこうと決めました。
2013年の夏に、自分が未熟だと感じた出来事がありました。
和歌山県で大きな地震があったと誤報があり大人が少し慌ててしまい、その様子を見ていた子どもが不安がり、泣いていた子もいました。
しばらくして誤報ということが分かり一安心したのですが、しっかりしないといけない立場の僕が慌ててしまい、子どもを不安がらせてしまって本当に申し訳ないことをしたなという思いでいっぱいになりました。
また考え過ぎないことを理由に被災した子どもへの配慮が足りなかったことを痛感しました。
この出来事は原点に戻り気を引き締めるきっかけにもなりました。
2013年の冬のキャンプでは、大晦日ということでいつもは見ないテレビを見ました。
子どもたちは大盛り上がりで紅白歌合戦を見ていました。
しかし、見ているうちに震災のことを取り上げた映像が出てきてしまいました。
僕が他のスタッフと消すかどうか相談している時に、二本松から来ている小学6年生のRちゃんが『震災のことを思い出す子がいるかもしれないから消そう』と僕に伝えてきました。
その一言が決め手で僕はテレビを一旦消しました。
子どもたちからは大ブーイングでしたが、Rちゃんがみんなをなだめてくれました。
それは明るくて天真爛漫なRちゃんがいつもは見せない一面でした。
自分がというよりは、他の子を思いやっての行動だったので印象的に覚えています。
保養キャンプは環境面だけではなく、食事面からも子どものことを考え作られています。
選りすぐりの食材を使い、より体に良いものを、よりおいしいものを手間暇かけて作られていて、子どもだけではなく保護者の方や僕らボランティアスタッフにとっても嬉しい食事ばかりです。
横浜から来ているAちゃんは魚料理が出たときにすごく喜んでいました。
理由を聞くと、家の方では大丈夫な魚が少ないから滅多に食べられないとのことでした。
また郡山から来ているKちゃんは、お土産を買うために地元で作られた野菜などが売ってあるお店にみんなで行った時に、夢中で野菜などを家で待っているお母さんのために買っていて、自分のための買い物はしたのかなと思うぐらいでした。
自分では持ちきれないほどの荷物で、お母さんのためにという思いが本当に伝わってきました。
子どもたちにとって食材や食事がどれだけ大切か痛感し、子どももそのことを十分理解しているんだなと感じました。
保養キャンプは子どもたちにとってすごく大切なものですけど、始まりがあれば終わりもあって、子どもたちが帰るときは本当につらい見送りです。
地元での生活も大切であり簡単に避難出来ない事情もありますが、子どもの健康を考えると、より放射線量の低い場所へ避難してほしいなという気持ちが強くあります。
なので、保養キャンプが終わるときはお別れが寂しいものもあり、子どもたちに何もしてあげられない自分の不甲斐なさが悔しくて仕方がない時でもあります。
自分に何が出来るのか……。
その答えを見つけるのは難しいですが、探すのを諦めたくはありません。
諦めた時点で子どもたちを見捨てたことになると思うからです。
今の僕にできることは本当にちっぽけです。
どれだけ考えていても実際に行動に移せる力は僕にはありません。
それでも出来ることをしたいという気持ちで保養キャンプに参加しています。
多くの子どもと出会い、楽しい事ばかりで、自分にとっても学ぶ事が多くあり、保養キャンプはボランティアにとっても良い場所です。
保育ボランティアとしてただ遊ぶだけではなく、もちろん遊びは大切で、僕らにとっても子どもにとっても楽しい保養キャンプですが、保養キャンプの目的が保養であるように僕ら保育ボランティアには子どもたちが元気に過ごし、傷ついた気持ちを癒すことの心のケアの役割も担っていると思っています。
その役割を大切にして、子どもたちの笑顔を守りたい、保養キャンプに来ている時ぐらいは震災のことを忘れて過ごしてもらいたいという思いで子どもと関わっています。
僕らのボランティアサークルとしても、できることはやっていきたいという決意で、保養キャンプに参加したことがない子が参加できるように、保養キャンプの団体への寄付だったり、保養キャンプの広報だったり出来ることには全力で取り組んでいけたらなと思います。
以上
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これまで届けた救援金
301,261,224円(2014年2月28日現在)
内・東日本大震災救援金総額
255,252,139円(2014年2月28日現在)
ただいまの基金残高
238,331,044円(2013年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い『吾亦紅』と咲くのです。
以上

ヒデの救援レポート2014年2月3日№150

hideのチョー多忙勝手ものがたり!
1月28日から30日~長崎空港からバスで、長崎市内へ。
そこからタクシーで、長崎茂木町へ。
亡くなった連れ合いの姉さんが暮らすケアハウスに、お見舞。
茂木港から船で、天草苓北へ移動。
そこから車で、天草市内に。
翌日は、連れ合いの実家に行き、分骨してあるお墓にお参り。
さらに3日目は、天草空港から熊本空港へ。
そこで乗り換えてて、伊丹空港。
帰宅。
2月1日から2日は、兵庫県香住方面に、車に分乗して、11人で、箕面市人権啓発推進協議会研修ツアー、でした。
さらに、2月6日、7日は、三重県津市で開催される、全国人権啓発研究集会に参加でしてねぇ。
疲れるよぉ!


NPO法人 自立生活センター いこらー「いこらー通信」2013年冬号より転載。
連絡先 TEL 072-488-7334(FAX共用)
「東日本大震災の復興の現状と震災ボランティア活動についての報告」大薗拓郎
・その1
2013年3月11日に日本中を震撼させた東日本大震災から2年8ヶ月(2013年11月現在)が経過しました。東北の被災地では津波による震災の爪痕が瓦礫に支配された風景から殺風景な更地に変わり、その更地が今後どのような風景に変化していくのだろうと、そんな興味に惹かれ今年は計6度、被災地である宮城県の石巻市や南三陸町を中心に訪問させて頂きました。
東日本大震災後、2011年6月から2012年8月まで、障害者支援ボランティアとして宮城県で活動していた私は、その期間中に様々な人々と出会う事が出来ました。
そんな出会いと東北の温かい人々からのお世話を受けながら、被災地の視察(というか観光ですが)を、今まで被災地に行ったことの無かった大阪の方々と一緒に訪れ、被災地の現状と復興の進捗状況を確認させて貰いました。
私がボランティアとして現地で活動していた頃に比べ、瓦礫から更地へ、視覚的に解り易い現実を目の当たりにしました。
「更地」という何もない風景とは対照的に着実に進んでいるとされる「復興」という言葉とのギャップ。
被災された方々が時間とともに元気になった人々がいる一方、震災から時間が経ったからこそ生きることの辛さやしんどさが増した方々も多数存在する現実。
一応に被災された辛い体験は時間が解決してくれるものでは無く、人それぞれであるのと同時に「更地」になった風景をどのように新しい風景へと描き変えるのかという困難さを、今年の数度の訪問で感じ、今後の「復興」の難しさを考えさせられました。
さて、冒頭から小難しい文章から始まりましたが、ココからは私とその仲間たちが行った「大阪でも出来る被災地障害者支援ボランティア活動」について報告させて頂きます。
2013年8月に「かんさい星印なう」という名の企画を実行しました。
宮城県石巻市で活動している「被災地障がい者センター石巻」との共同コラボ企画で、石巻や隣接する東松島市の障害者の方々を大阪に招き、大阪で自立生活をしている障害者の方々との交流や、障害者自立支援をしている福祉事業所の見学や研修をしたり、大阪などの文化を社会体験してみたり、そのような活動を通じて今までに縁のなかった東北と大阪の人々とを繋ぐ企画です。
「かんさい星印なう」の実施期間は2013年8月4日(日)から8日(金)の4泊5日の日程でした。
参加されたのは10代中盤から20代前半の5人の障害者の方と親御さんやご兄弟の方々計5組でした。
うだるように暑い大阪に東北の方々は耐えられるだろうか。
ましてや研修や社会体験などで大阪の街中を朝から晩まで活動出来るのだろうか。
当初はそのような心配がありました。
そんな心配の予想は外れ、障害者の方々は病気も夏バテもすることなく元気に活動していました。
大阪に行くのならあんな場所に行きたい、こんなものを買ったり食べたいなど、参加されるまでに自分の計画を立てていました。
その計画と日程に合わせ殆ど交流の無い現地のボランティアと一緒に活動しました。
石巻では障害者福祉が極めて薄く、ガイドヘルプに関してもヘルパーの人数が少なく、制度が利用できない現実があります。
また障害者本人が行きたい場所ややりたいことという自己実現の為の制度利用という考えがありません。
私が現地で聞いた話では、知的障害者で問題行動が多いとされる方がガイドヘルプの利用を事業所に相談したところ、問題行動が無くなってからガイドヘルプを利用してくださいといわれ、断られたそうです。
問題行動を支援するはずの障害者福祉が、事業所の都合に合わせられる障害者しか利用出来ない現実があります。(その2に続く)
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これまで届けた救援金
300,372,144円(2013年12月26日現在)
内・東日本大震災救援金総額
254,363,059円(2013年12月26日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・市民活動総合情報誌「ウォロ」2013年12月号よりの転載
大阪ボランティア協会連絡先 TEL 06-6809-4903
「東日本大震災で6000人にネット調査
強い共助意識、参加意欲も増大」

内閣府防災担当では、今年3月、東日本大震災における支援活動についてインターネットを利用した意識調査を実施した。
対象は、支援側3000人および受援側3000人。
調査結果の分析を通し、今回の震災における意識の変化、そしてこれからの支援活動を広げて行くための課題について検討が行われている。
調査報告によると、支援側には被災地の役に立ちたいという強い共助意識があり、受援側もその誠意を高く評価している。
支援側の約半数は発災1ケ月以内に活動を開始し、受援側の半数も同期間内の継続支援を希望していることから、発災後の迅速な支援環境整備が必要視されている。
また、東日本大震災後、支援側および受援側ともに支援活動への参加意志を持つ者が増加しており、震災での支援活動の影響を受け、活動への参加意識が醸成された可能性も報告されている
さらに、現場での支援活動が注目される一方、遠隔地域からの後方支援も熱心に行われた。
目に付きにくい後方支援だが、受援側には深く印象に残っているようだ。
遠隔地とも連絡を取り合って、支援活動をより広く行って行くことが大切だと言える。
支援側において支援活動を行う契機となった情報源としては、テレビやインターネット、ソーシャルネットワークサービスが多くなっている。
受援側では情報通信技術を利用した情報収集と発信による支援が深く印象に残っている。
このように、今回の震災ではでは情報通信技術の活用による情報収集・発信が支援者・受援者双方に大きな役割を果たした。
今後も情報通信技術をした環境整備が望まれる。
大規模災害時の共助による支援活動の活性化には、支援側と受援側を結び付ける「マッチングの仕組み」が重要視される。
支援側の思いと受援側のニーズを情報通信技術を通して効率的につなぐ必要性もこれら調査結果から読み取れる。
(編集委員:梅田たけし)
以上

ヒデの救援レポート、2014年1月20日 NO.149

●阪神淡路大震災19年目の前日。
1月16日の早朝に、hide宅で20年間暮らしていた、メス猫のデュエルが天寿を全うして、他界しました。
人間の寿命では、100歳を超えている年齢です。 
普通、猫は亡くなる時、行方不明になるのに、デュエルは律儀に帰って来、愚息のベッド近くで亡くなったのです。
愚息ふたりは、文字通り「猫可愛がり」だったので、ふたり共、声を放って悲しんでいました。
デュエルはその後、火葬して、骨と写真が愚息の部屋に飾られております。
狭い家の中から、猫とは言え、命がひとつ居なくなるのはとても寂しいものですねぇ~。
ちょっと凹んでいるhideです。
まぁ、もう1匹のオス猫、2歳がいることは居るんですがねぇ~。


東北関東大震災障害者救援本部特集号№7 「自立情報発信基地」より転載その3
・連絡先 TEL 042-660-7747、FAX 042-660-7746
・宮城県気仙沼 NPO法人泉里会 ケアホームめぐみ 菅原満子
「震災で覆った心の傷」 
私たちはNPO法人泉里会「ケアホームめぐみ」は、知的・精神・身体の三障がい対応の共同生活介護事業所です。
その他、ショートステイ・日中一時支援と現在は東北関東大震災障害者救援本部よりのご支援を受け、南三陸町気仙沼エリアの送迎サービスも行っております。
以前、送迎支援サービスはめぐみ入居者のみ行っていましたが、3・11の東日本大震災が東北を襲い、家・車が流出し地域に住む障がい者の移動の足を失い、いつも通りの生活が全く出来なくなってしまいました。
通所施設に通う障がい者の方が、施設から遠方の仮設住宅に移り困っている現状を皆で話し合い、外部から来られたボランティアスタッフのJDF、CILたすけっとの方々と交代で送迎を行いました。
平成24年の春にボランティアスタッフの撤退を期に、送迎に掛かる費用を助成頂きながら地元の事業所である私たちが引き継ぐことになり現在に至っています。
主に送迎に行っている場所は、支援学校や通所施設・ケアホームめぐみ入居者数名が通うデイケアです。
土日以外は毎日送迎支援を行っております。
また支援学校に通っている障害児2~4名、日によって利用する人数が違いますが、送迎後そのままケアホームめぐみにて日中一時支援を利用しご家族さんが仕事終わりに迎えに来るまでお預かりしております。
また送迎業務に携わり一番気を付けていることは、当たり前な事ですが安全運転です。
大変な所は大人と子どもでは違いますが中にはわんぱくな子も居て、運転中でもシートベルトを自分で外し立ち上がったり、ドアを開けようとしたりヒヤッとすることも多々あります。
成人の方は比較的静かに座っており、通所施設で今日作業した内容や身近に起こった事を話してくれて会話を楽しみながら送迎を行っております。
でも、明るく振る舞っていてもまだ震災の記憶が新しいのでしょう。
家が流されて仮設住宅での生活を余儀なくされた方の口から「いーな。家がある人は…。また、いつになったら普通の家に住めるのかなぁー」と流された家の跡地を遠い目をしながら話されます。
家を流されていない私としては流失した方々の気持ちはすべてくみ取ることが出来ません。
そう話された時、なんと声を掛けていいものか未だに分からない所があります。
やはり傷を受けた方とのコミュニケーションは難しいと痛感しております。
でも送迎をしていて大変な事ばかりではありません。
楽しい事もあります。
それは利用者さんや家族さんとの会話で、楽しみの一つにしています。
本当に他愛もない、ほんの数分間の会話でしかありませんが、いつも帰り際「ありがとう。毎日ご苦労様」と一礼されます。
時折、自家栽培している野菜などを手に持って待っておられて「これホームで食べらいん」と渡されます。
こちらとしてはただ安全に楽しく送り迎えをしているだけなのにと最初は思いました。
今思えばそれほど障がい者またはその家族さんから見たら、支援学校や通所施設に普通に通える足が出来た事によって生活が少しずつ戻ってくるのかなと、自己満足の思いでありますがとても嬉しくなる瞬間です。
最後に、まだまだ震災で覆った心の傷は癒えてはおらず、選択肢ばかりが多様にあり、何が正しいのかも分からない渦中に置かれています。
それは私たちも同じです。
それでも支援を頂いている皆さんのお顔を思い出される時に、やはり諦めてはいけないという力が何処からか湧き出て来ます。
それは本当に不思議な、そして貴重な体験をさせて頂いているのだと改めて感じます。
何かを得るためには、何かを失わなければいけない、最近そんな言葉を耳にしましたが、得たものを育てて行くのはやはり自分自身であると強く心に結び、これからも頑張ろうと思います。
以上
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これまで届けた救援金
300,372,144円(2013年12月26日現在)
内・東日本大震災救援金総額
254,363,059円(2013年12月26日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
「われも、また、赤い吾亦紅」と咲くのです。


市民活動総合情報誌「ウォロ」2013年12月号よりの転載。
・大阪ボランティア協会
連絡先 TEL 06-6809-4901
災害発生時、実践面で役立つ内容「病院ボランティアのためのガイドブック」発行
今年、10月、NPO法人日本病院ボランティア協会(大阪市)が「災害時の活動ガイドブック(以下、ガイドブック)」を発行した。
病院ボランティアだからこそできる活動があったのでは…。
東日本大震災でボランティア活動に関わったメンバーからのこんな声をきっかけに、災害時の病院ボランティア活動を考える会が結成され、以後2年間にわたる研修会の場で、ボランティア、病院スタッフ、外部委員が議論を重ね、出た意見をもとに編集した。
ガイドブックでは、病院ボランティア活動の心構えや、災害時における活動例を示すとともに、東日本大震災の経験を踏まえ、災害時に病院ボランティアが活動するための5つのポイント、
1.ボランティアの意識付け
2.病院への働き掛けと意識付け
3.何ができるのかの確認
4.色々なケースの分類
5.安全確認
や、災害時の役割分担を示したアクションカードの例を具体的に示すなど、実践面で役立つ内容となっている。
日頃病院で活動するボランティアは、病院の現状を理解し院内の構造なども知っており、災害時も患者や家族に対して医療者に近い形でサポートできる。
「これまでは、災害時に病院ボランティアが活動をすることはほとんど考えられてこなかったが、ガイドブックを参考に、ボランティアグループや各病院がおのおのの形合った方法を作ってもらい、来るべき災害に備えて欲しい」と理事長の吉村さんは語る。
今後も継続して、ボランティアグループ、病院、福祉施設、教育機関などへの広報活動を行い、全国での普及を目指す。
日本病院ボランティア協会
連絡先 TEL 06-6809-6506
ガイドブックは、150円。
以上

ヒデの救援レポート2014年1月6日№148

2014年。
新しい年の風景が、嘘と差別に彩られ、否応なく、ボクたちを巻き込んで広がっています。
新しい年?をくぐり抜けつつ、hideが決めたことがあります。
それは、ゆめ風基金・牧口代表理事の言葉に触発されたことにもあります。
それは「救援レポートを発信する方も大変だろうけど、定期的に読む方も大変なんやで」でした。
東日本大震災1年目は、週2回。
2年目からは、週に1回の定期発信を続けてきましたが、実のところ、牧口の言葉を待つまでもなく、定期的に出さねばの気持ちが、hideを脅迫するようになっているのです。
それでは、いいレポートを発信出来ないのは、自明の理ですねぇ。
ということで、今年の風景として、不定期発信に切り替えることにしました。
フリーハンドのナチュラル発信で~す。
被災地を忘れない、気持ちに伝わるレポートを心がけますので、これからもよろしくお願いします!
2014年の風景の中から。
hide拝


NPO法人 まいどいんあまがさき機関誌「まいど!通信」より転載。
連絡先
TEL 06-6498-4183
FAX 06-4960-8711
「復興支援コラム・岩手県」
遂に最終日!
あっという間です!
3日にまず向かったのは、宮古市です。
去年の10月に尼崎に来てくれた子の所に、今度はお邪魔させてもらいました。
とても元気そうでなによりです。
ちょっと近くを散歩したのですが、とても自然が多く、空気がおいしかったです。
住んでる所に、自然が多くて羨ましかったです。
あんな所に住めたらと、思いました。
引っ越して来たら?と言って貰えましたが、コンビニが近くにないと言われて、無理やなーと思いました。
最後の訪問先は、宮城県仙台市にある東北朝鮮小中級学校です。
東北朝鮮学校は、震災によって、校舎が全壊しており、今現在は元々寄宿舎だった建物で、授業を行っているのですが、やっぱり寄宿舎で授業というのは、いろいろ不都合があり、再建を望んでいるとの事でした。
ただ、校舎再建の費用を行政が出してくれず、校舎再建のメドもたっていないというのが現状だそうです。
なんとか、校舎再建のために少しでも力になれればと思いました。
そんな感じで2泊3日の東北の旅は終わりました。
多くの時間を移動に費やしてしまい、少々心残りはありますが、実際に現地に赴くことによって、尼崎にいては感じることの出来ない想いを直接たくさんの方から聞く事が出来ました。
今回、見たこと、聞いたことをしっかりと自分の中に落とし込み、東北支援を実践していければと思います。
また、実際に見ること、聞くことも大事ですが、何より人との繋がりが一番大事なんだなと、強く感じた2泊3日でした。
南三陸を通り、気仙沼へ。
ここでは津波で陸地に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」を観る事ができました。
330トンあるというだけに近くでみるとかなり巨大。
こんな物がこんな所まで流されるなんて…津波の怖さが伝わってきます。(近々解体される予定だとか)
さらに陸前高田を通りいよいよ岩手県へと向かい、車でひたすら移動する事数時間、釜石市にある被災地障がい者支援センターかまいしさんに到着。
この東北で感じた事は電車やバスの復旧が思うように進んでは無く、仙台などの都市だけを観ただけではわからない沿岸部の状況でした。
車でないとなかなか移動が難しく、時間がかかることでした。
少し移動しょうとすると約1時間は覚悟しないといけない。
今日も復興の難しさ感じた1日でした。
昨日お世話になった「被災地障がい者支援センターかまいし」では遅くまでいろいろな当時から今に至るまでのお話しを伺うことができました。
障害者やお年寄りの方々の介護事業所の少なさや利便性など、今の尼崎では考えられない状況の中で今も支援を行っているとの事。
そして、今年その事業所などの立ち上げのためにNPO法人の設立を目指しているそうです。
全面的に応援協力をしたいと思います。
このセンターでもメッセージカーテンを受け取っていただけました。
早速センター内に飾っていただきありがとうございます。うれしかったです。
そして、今日は私が昨年、岩手県宮古市を訪問した時に出会い、そして尼崎市民まつりに家族で参加してくれたA君の家を目指して山道をクネクネ走り約1時間。
満面の顔で迎えてくれました。
尼崎の障害福祉の姿をみてもらおうと市民祭りの時は1週間ほど滞在していただいた時、A君と交わした「今度は俺が行くからね」約束を守れたね。
お母さんと現状のお話しをさせていただき「ヘルパーさんが来るにも時間がかかるしねぇ」の言葉。
実はその時は「そんなこと無いですよ。もう少し復旧すれば」なんて言葉を返したんだけど…
やはり現状を観るとそんな言葉は返せませんでした。
たまたま現地のヘルパーさんが来ていたので、一緒にお話しを伺うと、介護事業所があるのは隣町。
そこからヘルパーさんが毎日車で1時間かけて通って来ています。
当然帰りも1時間。
雪が降ったら1時間半…といって近くには事業所も施設も何もありません。
俺たちってなんて軽い事を言ったんだろう!
関西では当たり前でも…違うんだよ。
やっぱり現状をもっとみないと!
最寄りのバス停まで歩いて30分なんて普通…勉強になりました。
A君にもメッセージカーテンを受け取ってもらえました。
いつもは会うことはできないけどお互いが行き来してこの友情暖めていけるといいなぁ。
次はA君が来る番だぜ。
また会おう!少し近所一緒に散歩しながら案内をしてくれ、また仙台に向かって車をすっ飛ばす!
宮古市から高速に乗るために盛岡まで山道を約2時間。(A君は病院に行くのにこの道を通って通院は1日かかります)
高速に乗ってからは岩手県は縦に長い。
いつまで走っても岩手県!
やっと仙台に戻った頃は夕方。
遅くなりましたが、東北朝鮮小中級学校に訪問する事ができました。
校長先生にいろいろなお話しを伺いながら現状をみせて頂きました。
校舎は全半壊の状態だったそうで、今はすべてが取り壊されていて、地面の骨組みだけが残っていました。
復旧の見込みはまったく無く、仮設での学習が行われているそうです。
ここでもみんなのメッセージカーテンを受け取っていただきました。
今回の東北訪問では、福島に2枚、宮城に2枚、岩手に2枚のカーテンを受け取っていただきました。
みんなの想いを伝える事ができたように思います。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
まだ復興や支援は終わったわけではありません。
今からです。また皆で力をあわせる事ができたらと信じています。
そして皆さん、また会いましょう。
以上
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これまで届けた救援金
300,372,144円(2013年12月26日現在)
内・東日本大震災救援金総額
254,363,059円(2013年12月26日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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以上!

hideの救援レポート 2013年12月26日№147

自業自得の年末の一撃!
12月14日、15日、東京新宿にあるカタログハウスで開催された、恒例の「ゆめ、風であいましょう」イベントには、永六輔さん、小室等さん、こむろゆいさん、朴慶南さん(作家)、きたやまおさむさん(精神科医)、松島とも子さんと、多彩な方々がご出演くださり、大いに盛り上がりました。
15日、牧口さんと喜びながらの帰阪。
その夜、hideひとりで祝杯を挙げた後、自宅玄関口に、とここで、hideの記憶が行方不明。
気がつくと、ベッドの上におり、ベッドが血まみれ。
玄関口を見ると、血溜まりがデケていた。
枕元では、同居している愚息が救急車を呼んでいた。
こうして、人生で初めての救急搬送。
病院に着くやいなや、頭の傷の縫合手術。
8針も縫われてしまった。
帰宅して、翌日からは、近所の外科医通い。
全治20日。
どうも記憶が無いけれど、玄関口でひっくり返り、頭を強打したみたいです。
天国から地獄。
年末の一撃でした。
現在は、抜糸も済ませ、普通生活に復帰しました。
というところで、このhideのリポートは、この回で年内は、オシマイ!
次回は、新年が始まってからになります。
皆さんには、良い新年でありますように!
hide拝


●東北関東障害者救援本部特集号№7から転載、その2。
・連絡先 
TEL 042-631-6620
FAX 042-660-7746
○岩手県田野畑村 NPO法人・ハックの家 施設長・竹下敦子
「移送サービスを通して見えたもの…」
平成23年3月11日、私達にとって忘れられない日になりました。
この日より2年、長かったのか、短かかったのか、無我夢中の時間が過ぎ去っていきました。
そんな、2年間のなかで私達にとって大切な支援の一つとなったのが「移送サービス」です。
この事業が震災の時、どれほど皆さんの力になったのか、この場を借りて私なりにまとめていければと思います。
移送サービスが始まる前、ハックに多くの人が相談にきました。
その相談のなかで一番多かったのが「病院に通院したいが、毎回タクシーだと大変。しかも、タクシー自体がつかまらない…。」「買い物にいくにも車椅子ではいくのが難しい。」「勤務先へ出勤できない。」など移動に対するものでした。
涙を流して相談にくる方もいて、その当時「こんなに必要としている人がいるのに、なぜ移動に対する支援が我が村にはないのか…。」と考えさせられる毎日でした。
そんな中、「移送サービスをハックの家でやってみないか。」との話がありました。
三陸鉄道がまだ復旧の目途が経っていない中の話しで、とても嬉しい申し出でした。
ある自閉症の男性から手紙が私達のもとに届きました。
「自分の職場が津波に流されてから、もう仕事はできないと思っていました。でも、何とか仕事を○○さんから(就業・生活支援センターの方)見つけてもらいました。けど、自分には車の免許がなくて、せっかく見つかったのにいけませんでした。ハックで送迎してくれると聞いてすごく嬉しかったです。そして、自分でも通えるように免許をとろうと思って、とれました。冬は助けてもらいたいですが、自分でなんとかいけるようになりました。ありがとうござました。」という内容でした。
すごく嬉しい手紙でした。
移送サービスを使っていく中で、スタッフと話をしたり、保護者と雑談をしたりしていく中で、免許を自分も取得しようという気持ちになり、震災前より頼もしくなったように感じました。
これが、本当の復興なのかなと思いました。
このように、移送サービスのスタッフの1人ですが、一人一人の気持ちに寄り添い小さいけれど大きな成果を挙げているのではないかと思っています。
少しずつ交通も復旧していることもあり、再度ニーズ調査を私たちなりにしています。
当初の予想では、支援ニーズは少なくなっていると考えていましたが、減るどころか増えている現実に驚いてしまいました。
バスは復旧しても、スクールバスと一緒で利用しにくくなったり、長時間の待ち時間があり、障害を持った方にとっては利用が難しかったり…。
まだまだ課題は山ずみという現実をしっかり受け止め支援していかなければと改めて思いました。
最後に、応援していただきました全国の皆様本当にありがとうございます。
復興はまだまだこれから、本当の意味での復興にむけこれからも頑張っていきたいと思いますので、これからも宜しくお願い致します。
以上
その3に続く。
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これまで届けた救援金
297,365,994円(2013年12月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
251,356,909円(2013年12月19日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
南相馬ファクトリー通信№6からの転載。
連絡先 TEL&FAX、0244-23-4550
「インタビュー 震災から2年、作業所で働く人を支えてきたスタッフたちに、現状とこれからの事を聞いた。南相馬を支える人たち」
・原発事故が起きて、避難できなかった障がい者、避難したが戻ってきた障がい者に対して、南相馬市は個人情報を委託する形で、約1300人に対して調査に入ることになった。
その中心となったのが「デイさぽートぴーなっつ」の施設長の郡 信子さんと理事長の青田由幸さんであった。
その後、ぴーなっつは、全国から支援に入ったボランティアを受け入れ、南相馬と全国を結ぶ役割を担った。
1.原発事故が起きて、ほとんどの市民が避難しましたが、南相馬市で障がい者の支援が始まるまでを教えてください。
・「法人内の利用者さん60名の安否確認をしていく中で、一人暮らしで最後まで避難できずに残っている人の対応をしているうち、避難所の障がい者や一旦避難したけれど避難所にいるのがきつくてすぐ自宅に戻ってきた高齢の障がい者の方の相談をするような状況が出てきました。
ほとんどの市民や、病院・福祉施設・商店も閉鎖した時で、いつの間にか、代表理事・男性職員・私の3人が残っているということで、依頼が増えてきました。
そこで、避難せずに残っている数名の障がい者のリストを市に提出し、助けてくれるよう依頼すると、「要援護者名簿があるから」「自衛隊がローラーをかけているから大丈夫」との返答がありましたが、リストにその数名の名前はありませんでした。
障がいのある人は、本当に残っていないのか、困っていないのか?という疑問になり、丁度、日本障害フォーラムと繋がって、調査が開始できるようになりました。」
2.2011年4月、日中活動の場が再開していきましたが、どのような問題があったのでしょうか?また、震災から2年が経過し、今、抱える問題はどのようなものですか?
・「安否確認後、電話や家庭訪問を続けていく中で、利用者さんの心身の状況や、ご家族の疲弊が見え始め、2週間目くらいから、再開することを模索し始めました。
でも、原発がいつ爆発するかわからない状況や、放射能の知識もなく、情報が混乱する中で、再開できるのだろうか、事業所が『屋内退避』の指示区域に入っている中、そこで、利用者さんが日中過ごしてよいだろうか、原発が爆発したらどう避難するかと迷いがありました。
その後、再開決定したものの、23名ほどいた職員が5人しかおらず、職員不足に悩まされました。
2年経過して、職員数は以前に近づき、ある程度の支援体制はできましたが、未経験の職員がほとんどで、中身の充実を考えると、まだまだこれからという段階です。
職員がやりがいをもって仕事ができる環境づくりが課題です。」
3.震災と原発事故から、失ったもの、学んだもの、得たものはありますか?
・「地震の被害は少なかったのですが、原発事故は今現在も大きく影響を残しています。
事故により、『市の生活機能が停止したといっても過言ではないでしょう』その中で、様々な支援の必要な障がいのある方々が、自宅を離れ、避難生活を強いられ、いきがいのある日中活動の事業所にも通所できず、また、医療もしっかりと受けられないまま笑顔がなくなり、心身の状況に大きな低下がありました。
『当たり前の生活』がこんなに大事だったことに気付かされ、失い戻らないことを経験しました。
でも、どうにもならないどん底から、全国から多くの方に食べ物や日用品、義援金を頂き、さらに、この地域に来ていただき助けていただきました。
手を差し伸べていただき、そばに寄り添っていただいたことは、人生の宝物になりました。」
4.最後に、全国の人に伝えたい事があれは、教えてください。
・「この地域で生活することや、事業再開することが不可能と思ったことも度々ありましたが、今、思うことはただ一つ。親身に関わり、助けてくださった全国の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。」
以上

ヒデの救援レポート2013年12月9日№146

7日、8日に開催された、箕面市民人権フォーラムには、全体会に1000人を超える参加者がありました。
2日目の分科会の中の「障害者市民分科会」も盛況で、「障害者市民の防災」をテーマに、会場の小学校の地域防災備蓄倉庫、避難所になる体育館、1階にある1年生の教室などを見学。
ゆめ風基金の八幡理事のコーディネイトで、避難所を巡るグループワークがとても好評でしたね。


●東北・関東大震災障害者救援本部特集号№7
自立情報発信基地からの転載
連絡先 
TEL 042-660-7747
FAX 042-660-7746
「被災地で移送サービスをしています」宮城県山元町 NPO法人 ささえ愛山元:理事長 中村怜子
~ともしび~
あの日から丸2年が経つ。
悲喜こもごも書ききれないほどの感情が湧き上がる。
ささえ愛山元が、高齢者に買い物や家事援助を提供するボランティア団体を立ち上げたのは、平成6年のこと、高齢化率が急速に高くなった頃でした。
民家を改造し小規模のディサービスを始めたのは10年前のことです。
会員も24名に膨らみ、高齢者に寄り添い、支える方も生きている喜びを感じながら3.11まで楽しく活動をしていた。
しかし、東日本大震災は、私たちの日常を根底から変えた。
大津波で2つの施設が破壊され、3名の職員も犠牲になり、再開など考えられなかった。
戦争でもこんなに破壊されない。
山元町はひどい被害だと支援の手をあちこちから頂いた。
戦後の窮乏生活は体験していたが、これまで味わったことのない身体の芯からの震えが止まらない日々だった。
移動サービスネットワークの菅原さんが菊地正明さんと一緒に避難先で憔悴している私達に会いに来てくれた。
ビッグなプレゼントを持って行くからとの前約束どおり、「隣町の元歯科医院の跡地で活動しませんか」と障害者センターと大文字のステッカーのある軽自動車を「自由に使っていいよ」と置いていった。
全てを失った中、地獄に仏であった。
忘れもしない5月2日のこと。
被災した障がい児・障がい者のために設立した「被災地障がい者センターみやぎ」の県南支部の業務を担当することになった。
主に高齢者に介護を提供する18年間であったので、私たちに出来るのであろうか。
震災から2ケ月も経っていて、障がい児や障がい者はどこで暮らしているのか?
避難所では会えなかった。
続々集まってくる支援物資を亘理や山元の仮設に配りながら探した。
余震がまだ続いていた頃、視覚障害者が余震で転倒して…と役場から援助依頼の電話が入った。
職員はすぐ飛び出し、額に傷を負って震えていた白杖使用者のWさんを助けた。
その後彼女は、サロンのお客様第1号となった。
又、みなし仮設に朝7時に迎えに行き、20キロ先の中学校に息子を下ろし、更に7キロ先にある障害者憩いの場へ母親を乗せた。
帰りは母と息子を家に届ける。
混み合っている時間帯の送迎も職員の協力で支えることができた。
親子の移送サービスを何日かしていた日、息子から被災地障害者センターの看板をはずしてほしいと云われた。
恥ずかしくて学校に行けないと。
車が1台しかなかったので私たちも、デリカシーが足りなかった。
急きょ、職員の買ったばかりのプリウスを走らせた。
ケアホームの交通も寸断され、職員の車を使いながらの受診や買い物などを支援することができた。
町の半分以上が被災し、地域を知り尽くしている私たちは仮設を順番に回ってパラソル喫茶を開き、被災者に寄り添った。
今度の3月9日は久しぶりのパラソル喫茶を開催します。
この2年間は生きるということはなにか、幾度も自問しました。
宮城県の最南端で細々と活動している「ささえ愛山元」が、多くの方々と関わりを持って今日まで生かされてきた。
絆というともしびとなって。
以上
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これまで届けた救援金
302,305,994円(2013年11月29日現在)
内・東日本大震災救援金総額
256,296,909円(2013年11月29日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・大阪府吹田市にある:ぷくぷくの会「機関紙:まねき猫通信№129」からの転載
連絡先
TEL 06-6317-5598
FAX 06-6317-0936
当事者リレーエッセイ
●失敗から学ぼうとしない人々(佐野武和)
「『想定外』でなくなった原発事故」
改めて考えるに、私の住んでいる湖北は敦賀・若狭の原発から30キロの位置にある。
若狭には日本で唯一稼動中の大飯原発がある。
滋賀県は盛んに電力会社との間で原子力事故防災協定をむすぼうとしている。
しかし「隣接の自治体以外は協定の対象から外れる。」らしい。
なんという言いぐさだ。
風に乗ってさまよう放射性物質には県境も市町の境もない。
湖北の自治体・長浜市と米原市が相次いで原子力防災計画を発表した。
ハンドブックも各戸に配布された。
しかし、かなり失望した。
国や県の情報を伝達するという姿勢を超えられていないし、その中でも要援護者に関する独自の支援策が見えてこなかった。
ところが唐突にぽてとファーム事業団と市の間で福祉避難所としての協定をむすびたいときた。
そうすれば緊急避難物資の配給を受けられ個々の要援護者の状況に沿ったコーデネイトが受けられるという説明だった。
まったく楽観的で、福島で起きたこと、今なお起きている現実とかけ離れてしまっている。
たとえば南相馬ガソウデアッタヨウニ多くの市民が避難流出する。
国が線引きする避難指定区域と避難準備区域に惑わされ、しかも多くの要援護者が取り残される。
行政機能を移転させようにもその根拠と指針を失い一転二転する。
病院機能も福祉的機能も崩壊すれば本来要援護者は地域にとどまることはできない。
すでに原発事故は想定を超えた出来事ではない。
現実の事故なのだ。
原発で失われた大切なもの
幼いころ若狭の海に何度か海水浴に行った。
琵琶湖と違って塩っばい海水に驚き、なんとなく浮力があってはじめての泳ぎを覚えたのもあの海。
冬になると カニが美味で、敦賀からの行商のおばさんを待ち続けた。
小さなセコガニが好物で売り切れと聞くと泣いたのを覚えてる。
あんなに敦賀や若狭と暮らしが結びあっていたのに、豊さの代償、原発のおかげで大切なものを失った気がする。
どれだけたくさんのお金がばら撒かれても、地域の人々が幸せにはなれなかった責任を、政治や電力会社そして得体のしれない原子力を生業にしてきた人たちにとらせるぞ、と怒りがこみ上げる。
加えて「原子力の平和利用」を掲げていた人たちにも怒りをぶつけたい。
以上

ヒデの救援レポート2013年12月2日№145

hideは、明日丸1日(12月3日)、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」本誌特集取材のために、
名古屋に参ります。
被災地シリーズの次のシリーズテーマは、「障害者側からみた現代のウソ!」
また、週末7日、8日は、箕面市市民人権フォーラムでパタパタ。
7日は、全体会。
箕面市民会館(グリーンホール)大ホールで、午後1時開場、午後1時30分開演。
●記念講演
重松清(作家)さん
「ことばの力~こどもたちに伝える希望のものがたり」
8日は、分科会で、ゆめ風基金理事の八幡さんがコーデネイトする「障害者市民と防災の分科会」もあります。
連絡先
事務局
TEL 072-722-5838
FAX 072-724-9698


大阪府吹田市にある「ぷくぷくの会」機関紙「まねき猫通信135号」からの転載
●連絡先
TEL 06-6317-5598
FAX 06-6317-0936
「新聞の作り方・106」~石塚直人
●五輪報道と福島原発事故、東電不起訴の記事
2020年夏季五輪の東京開催が早朝に決まった9月8日は、新聞の休刊日だった。
全国紙朝刊の一面見出しは「開催都市きょう決定」。
夕刊購読家庭向けにあえて840万部の特別紙面を発行した読売以外は、主要駅周辺で号外を配るしかなく、まともに結果を報じたのは9日の夕刊で、テレビやネットの速報から1日半も過ぎていた。
だから10日の朝刊は、いつもなら五輪記事で満載だったろう。
ただ、9日は別の大きなニュースがあった。
東京地検が福島第一原発事故に絡み、住民から告訴・告発されていた東京電力の前会長ら42人を不起訴にしたことだ。
国際オリンピック委員会総会での安倍首相の断言「福島原発の汚染水は完全にブロックされている」の当否も問われた。
「42人不起訴」を最も大きく扱ったのは朝日だ。
第一社会面の大半を使い、告訴団と地検の記者会見のほか、被災者の怒りの声も詳報した。
記者による解説では、汚染水問題にも触れて「納得しがたい」と指摘、東電と国の責任を問い続ける世論づくりを求めた。
同じ紙面では、お世辞にも進歩的とは言えない評論家・田原総一郎氏でさ『家宅捜査もなしでは、捜査を尽くしたとは言い難い』と述べている。
これが社会の常識というものだろう。
「不起訴はやむを得ない」とする弁護士のコメントも「現行の刑法は明治期に作られ、過失犯の処罰は個人が起こす極めて単純な事故を対象にしている。法人を処罰できる新しい仕組みが必要」としており、それなりに納得できる。
原発推進を社論とする読売や産経が、双方の主張の骨子を紹介する以外、目立った論評もしていないのとは格段の差がある。それでも新聞記事である以上、スペースの限界などから十分に書けないことも多い。
『五輪報道の狭間を狙ったタイミング』
福島地検に出した告訴状が東京地検に移管されたことに告訴団が抗議し、弁護団長が「福島県の検察審査会に申し立てができなくなる」と批判した、との一節が気になり、「福島原発事故緊急会議」のホームページで、弁護団による抗議声明を読んだ。
それによると、検察庁も8月26日まで、福島地検での処理を約束していたという。
弁護団は「もし不起訴処分に自信があるなら、福島の検察審査会の場でこそ、その理由を説明すべきだった」とし、五輪報道の狭間を狙ったとしか言えない発表のタイミング、甲状腺異常の因果関係の解明を怠ったずさんな捜査内容と合わせて批判している。
朝日はこの日、大阪市の平和博物館「ピースおおさか」の改装で「旧日本軍の展示が大幅に縮小される」との4段記事も載せ、「戦争責任をあやふやにしかねない」と危惧する識者の談話をつけた。
8月に問題化した松江市図書館の「はだしのゲン」締め出しの時もそうだったが、歴史に対する権力の不当な干渉を監視するメディアの取り組みは貴重だ。
以上
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これまで届けた救援金
257,305,994円(2013年10月23日現在)
内・東日本大震災救援金総額
211,296,909円(2013年10月23日現在)
ただいまの基金残高
267,352,632円(2013年8月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い【吾亦紅】」と咲くのです。
●市民活動総合情報誌「ウォロ」2013年10・11月号より転載。
連絡先 大阪ボランティア協会出版部
TEL 06-6809-4903
FAX 06-6809-4902
「東日本大震災とNPO・ボランティア~市民の力はいかにして立ち現れたか」
編著 桜井政成 
ミネルバ書房2013年9月30日(2800円+税)
・東日本大震災の救援、復興に際しては、NPO・NGO、ボランティアの活躍が再注目された。
本書では、東日本大震災の救援、復興におけるNPO・ボランティアを取り巻く状況について様々な角度から紹介し、それについての包括的な考察を加える。
それらは何を達成し、何を課題としたのか。
NPO・ボランティア活動の真価を問う一冊。
○第1章:東日本大震災とNPO・救援の動向と議論:桜井政成
○第2章:学生ボランティアの組織化とその支援:山本克彦
○第3章:大学ボランティアセンターが果たす役割・復興支援を通して市民性を育てる:市川亨子
○第4章:ボランティア活動者の動向・阪神・淡路大震災と東日本大震災の比較から:三谷はるよ
○第5章:NPOと官民協働・被災者及び避難者支援の取り組みから:小田切康彦
○第6章:NPO間協働による被災者支援・ネットワーク分析の知見からの考察と示唆:桜井政成
○第7章:国際協力NGOと東日本大震災・被災地と世界をつなぐ:黒田かをり
○第8章:企業の危機対応とCSR・被災地の復旧と復興:小室達章
○第9章:ITによる支援活動の展開・ソーシャルメディアの発達と被災地情報の新たな流通の形:粉川一郎
○第10章:震災復興とコミュニティービジネス・社会的共通資本の視点による東北再生:風見正三
以上。

ヒデの救援レポート2013年11月25日№144

●障大連・議長の楠敏雄(視覚障害者)さんの病状の報告。
現在は、人工呼吸器を外し、集中治療室と、一般病室の中間に当たる治療室に移動。
意識は、微弱に回復したけれど、まだまだ予断を許さない状況です。
面会は、親族だけで、お見舞いは、当面駄目とのことだそうです。


●11月22日、ポジティブ生活文化交流祭前夜祭(大阪市長居公園にて)
被災障害者報告会&交流会・岩手・宮城・福島~それぞれの現在についての報告会がありました。
翌日の本祭りは、快晴に恵まれて大盛況!!
23日の参加者は約8000人を超え、出店数は、50店舗で、売り切れ続出でした。
ありがとうございました。


●hideの畏友のおひとり、京都花園大学教授の八木さんが発行されている、私的メディア「試行社通信:第324号」
・原発不起訴認めない!からの転載・その2
ところで、「毎日新聞」昨年10月13日付は、東電が福島原発事故に関して「事前の津波事故対策を十分にとっていれば事故に対処できた」とする見解を示したと報じていました。
東電は社内事故調査委員会の報告書(昨年6月)で「想定外の津波が原因」とし、事故を不可抗力によるものと強弁し自己弁護にこれつとめていたのに、一転して取締役会の諮問機関・原子力改革監視委員会が不可抗力ではなく人災であることを認め、これを「会社の見解と考えていい」と前の社内事故調の見解を全面的にひっくり返したことになるわけです。
これを東電の戦術転換だったと今でも私はみています。
戦術転換によって東電がいわんとしているところは、要するに、津波対策さえすれば原発は安全になるので、現在停止中の原発の再稼働や、新増設をすすめることができる、ということだとおもいます。
東電が不作為を認めることは訴訟リスクをかかえることになり、また、津波対策のためには膨大な費用が必要になるけれども、そうしたコストを考慮にいれても原発の維持・増設にはそれに倍加する利益があると東電は見積もったにちがいないのです。
あのとき、「毎日」を含む各メディアは、それぞれ「東電、対策不備認める」と見出しをつけていましたが、東電は単に「津波」についての対策不備をみとめたのみであって、肝心要の「地震」については何もふれていません。すでに一昨年4月の段階の衆院経済産業委員会において、共産党・吉井英勝議員の追求をうけた原子力安全・保安院の寺坂院長は、倒壊した受電鉄塔が「津波のおよばない地域にあった」ことを認め、全電源喪失の原因が津波にないことを明らかにしていたのです。
つまり全電源喪失は津波によるものではなく、地震による受電鉄塔の倒壊で福島第一原発の外部電源が失われ、炉心溶融が引き起こされたということを原子力安全・保安院でさえみとめていたわけで、それゆえ「東電、対策不備認める」というメディアの評価は低レベルの的はずれといわねばなりません。
すなわち、東電は津波への対策の不作為を白状する形をとりながら、問題の本質である地震から目をそらさせるという作戦に再出発したということなのです。
仮に東電をはじめとする電力各社が原発事故の原因として地震をみとめたなら、活断層だらけのこの地震列島では、原発など設置不可能であることをもみとめねばならなくなるからです。
今回の不起訴の理由として東京地検は「津波の危険性は想定外だった」という東電等の主張を覆せなかったことをあげていますが、それならば、すでに指摘した東電の戦術転換を地検はどう評価したのでしょうか。
既述のように東電は、「事前の津波事故対策を十分にとっていれば、事故に対処できた」とする見解を示し、事故は不可抗力ではなく人災であること認めていたのですから、仮に百歩譲って、事故が津波によるものであったとしても、それを東電自身が「人災」であること、すなわち分かってはいたが何も手を打たなかったことを認めたのですから、この不作為は少なくとも「未必の故意」による犯罪行為と見做しうるものだと私などは感じます。
新聞記者出身の私が憂慮していたのは、各メディアが当初から不起訴の予想記事を垂れ流していたことです。
検察にやる気がなかったのも問題ですが、そうさせた責任はメディアにもあります。
以上
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これまで届けた救援金
257,305,994円(2013年10月23日現在)
内・東日本大震災救援金総額
211,296,909円(2013年10月23日現在)
ただいまの基金残高
267,352,632円(2013年8月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・近畿労働金庫(大阪市西区江戸堀1の12の1)
連絡先 TEL 06-6449-0802
「いきいき倶楽部情報誌『ずっと。』№19からの転載。
・東日本大震災復興支援定期サポートV・支援リポート№6「認定NPO法人ゆめ風基金」(連絡先TEL 06-6324-7702、FAX 06-6321-5662)
東日本大震災の被災地に2億円の救援金をお届けしました。
今も救援活動は続いています。
東日本大震災から2年半。
報道はめっきり減りましたが、被災地の復興は進んでいません。
息の長い支援が必要です。
ゆめ風基金は今も宮城、岩手、福島、新潟に設けた7か所の被災地障がい者センターを拠点に、病院送迎、介助、相談、交流などの障がい者救援活動を続けています。
また地震、津波で全壊した障がい者作業所、グループホームなど、障がい者の大切な生きる場、働く場の再建、修理、新設などにも救援金をお届けしています。
被災者の生活の再建はまだまだ時間がかかります。
全ての被災者が仮設住宅から出られるにはまだ5年以上かかると言われています。
とりわけ障がい者が地域で生きていくためには、多くのサポートが必要です。
(写真付き)
●ケアホームめぐみ(気仙沼市)
津波でオープン直前グループホームが流されましたが、ようやく再建にこぎつけました。
●ひまわり会キャンプ(南相馬市)
震災後とだえていたリハビリキャンプを再開することができました。
震災の影響でたまっていた心身の疲れが改善されました。
●被災地障がい者センター大船渡 
震災後、障がい者の送迎支援活動を続けてきました。
障がい者の交流と 助け合いの拠点として作業所を建てることを決意しました。
11月には完成します。
●かたつむり(大船渡市)津波で作業所が流されました。
今年3月に待望の建物ができました。
●被災地障がい者センター南三陸
震災後、障がい児の送迎やデイサービス活動、放課後交流活動をボランティアで続けてきました。
町の後押しを受け、本格的な拠点づくりを目指します。(許可が出ればここに事業所が誕生します。)
●カトレア会(岩手県住田町)震災の影響で遅れていた開設がようやく実現しました。
町で初めての障がい者作業所です。
みんなで仕事をするのが張り合いになっています。
●山田共生会作業所(岩手県山田町)
自分たちの建物は無事だったので、地域の仮設住宅の人々の交流の場「お茶っこ会」を開いています。
●さんりく・こすもす(大船渡市)
津波で流されたグループホームを再建し、賃貸のグループホームも震災後、立ち退きとなり、もう一つのグループホームを建てることを決意しました。
●ゆうゆうクラブ(相馬市)
震災後、自宅を改修して地域の障がい児のデイサービス活動をがんばってきました。
津波でフェンスが流れ、危険な状態でしたが3月にようやく再建することができました。
送迎する車も購入することができました。
みなさまのご寄付はこのように被災地で生きたお金になっています。
以上。

ヒデの救援レポート2013年11月5 日№142

●秋も深まり、お勉強の季節になりました。
hideは、11月6日から、3日間、四国・高松市で開かれる「全国部落解放研究集会」に参加してまいりまする。なんぼ年を喰っても、お勉強は、大切ですしね。
ジャンルの違う分野にも、良いヒントが隠れているものです。


●NPO法人 拓人こうべ 機関誌「拓人(たくと)~きり拓くひとびと」№115に寄稿した、ゆめ風基金の文章。
連絡先 TEL 078-642-0142 FAX 078-642-0942
「被災地はいま あまりに遅い復興-オリンピックよりも被災者の生活再建を!」
・東日本大震災から2年半が過ぎようとしていますが、被災地の風景は昨年とほとんど変わってはいません。
沿岸部の被害を受けた地域は未だ家の土台が残るところに雑草が生え、一見すると畑地のようにしか見えません。
道路工事や漁業関係の復興は進んでいるものの、街並みはほとんど変わらず、重機すら入っていないのが現状です。
山の宅地造成もあまり進んでいるとは言えず、復興住宅はいつになったら建つのか、また沿岸部から移転しようとしている人たちの新たな土地はいつ確保されるのかといったところです。
阪神淡路大震災では、3年後に復興住宅が計画戸数125,000戸の94%、117,000戸が完成していますが、東日本大震災で被害を受けた地域では、あと半年経っても復興住宅に入れるのは1~2割あるかどうかというところです。
そんな中、先日発表されたのは、「復興住宅が震災後5年経ってすべて完成」という計画がすでに1年遅れてしまうということでした。東日本大震災では阪神淡路大震災以上に息の長い支援が必要だということを痛感しています。


被災障害者支援 認定NPO法人 ゆめ風基金へのご寄附は税金の「寄付金控除」ができます!
お問い合わせは、
大阪市東淀川区東中島1-13-43-106
TEL 06-6324-7702 FAX 06-6321-5662


●社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会 機関誌「リハビリテーション」第556号からの転載。
・特集-復興-東日本大震災から2年-
・大災害を体験して~斉藤惣一
その3
・第一段階として被災直後から4月頃まで、応急処置的工事により不完全ながらも日常を取り戻しつつあった。
第二段階として4月中旬に「社会福祉施設等災害復旧費補助金」適用の朗報が法人に届いた。
これにより被害甚大であった箇所の復旧計画が可能になった。
ちなみに補助金対象施設・事業所分費用は1億7千万円。
補助対象外を含めると2億6千5百万円と巨額に上った。
その後、千葉県障害福祉課の担当の方が何度も視察をし、また施設側の訴えを聴いて、国との間にたって、補助金申請に親切丁寧なアドバイスを下さり、復旧工事のほとんどに補助金が下り工事が進展した。
第三段階では、建物や浄化槽が元の機能を取り戻すことができた。
このころから法人内各所に復興の槌音が響き渡り、直接処遇の施設系は年度内の復旧工事が完了する結果になった。
4.復興に向けて
社会福祉法人としては、大規模のロザリオの聖母会が、復興に向け一丸となれたことも社会の皆様のご声援があってのことと信じている。
またロザリオの聖母会では、皆さまからのご支援を頂くだけではなく、複合施設としての機能を活かし、大津波で家財を失い仮設住宅での生活を余儀なくされた方々に対して「千葉県仮設住宅生活支援アドバイザー派遣事業」を受託し、様々な専門職が出向し、あらゆる相談や生活環境整備にあたり、厨房職員の炊き出しや職員個々による津波の後片付け等のボランティア活動も行った。
平成23年度は応急的対処により、やっと日常を取り戻すが、あくまでも応急的補修の為施設環境は脆弱であった。
平成24年度に新たに中長期環境整備計画を立案し、第一作業棟と第二作業棟・事務所棟を併合した。
施設機能を一元化し、利用者のサービス向上を図った。
ワークセンターについての建設資金の捻出には、施設独自では5年は費やす試算となり、外部の助成金を頼る他に解決方法はないと考え、民間団体助成金に応募し、結果現地調査までに至るが、「障害者自立支援基盤整備事業補助金」の対象施設になるというので、申請をすることになった。
平成24年12月入札・契約、平成25年3月29日完成と慌ただしかったが、震災後、わずか2年でワークセンター最大の慶事を迎えることができるとは計画当初想像だにできなかった。
今後は、皆様方のご温情に対して私達ができることとして、地域福祉の発展に貢献し、また、利用者の待遇改善に邁進していきます。
ご支援、ご協力いただきました皆様方に、心から感謝申し上げます。    以上
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これまで届けた救援金
257,305,994円(2013年10月23日現在)
内・東日本大震災救援金総額
211,296,909円(2013年10月23日現在)
ただいまの基金残高
267,352,632円(2013年8月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・社会福祉法人 大阪ボランティア協会 ボランタリズム研究所編
「ボランタリズム 研究№2からの転載。
B5版:128ページ
定価、1890円(本体1800円+税)
お問い合わせ
TEL 06-6809-4903
FAX 06-6809-4902
「特集・東日本大震災が市民社会に与えた衝撃~市民社会は何を学ぶか~」
巻頭言:岡本仁宏~東日本大震災が市民社会に与えた衝撃~市民社会は何を学ぶか~
・岡本仁宏:「東日本大震災では、何人がボランティアに行ったか」という問から
・西條剛央:「日本最大級となった『ふんばろう東日本支援プロジェクト』は、どのような支援をどのように実現したのか?~構造構成主義を基軸としたボランティアリテラシーの射程
・柏木宏:「東日本大震災における海外からの支援活動~先進国への災害支援のあり方に関する予備的考察」
・丹波史紀:「被災地におけるボランタリズムはどう機能したか-しなかったか」
・小山良太・小松知末:「福島県における地域住民・協同組合組織による原子力災害への対応」
・筒井のり子:「災害時におけるボランティアコーディネーションの課題~東日本大震災におけるボランティアコディネーション検証のための枠組み」
・芝原浩美:「学生による被災地ボランティア活動の状況~大学、大学ボランティアセンターが担った役割」
・野際沙綾子:「東日本大震災被災障害者支援活動から見えた教訓と課題」
・長谷川公一:「フクシマ原発事故と日本の市民社会」
・鎌田真理子:「原発災害被災者・被災地支援ボランティア及び市民活動」
・早瀬昇:「義援金と活動支援金に関わる課題の整理」
                                            以上

ヒデの救援レポート2013年10月28日№141

●兵庫・青い芝の会の澤田 隆司さんが、亡くなられました。
hideとは、姫路の書写養護学校卒後、1年目に出会った、古い付き合いでした。
「たかっさん」の愛称で、多くの人たちに愛された人生でした。
hideも沢山の事を教えてもらいました。
ただ、ただ、合掌です。


●10月19日~21日まで、hideが事務局長を務める「箕面市人権啓発推進協議会」が、東日本大震災被災地義援意見交換・交流活動として、南相馬市~仙台市~南三陸~気仙沼市~石巻市を22名の団体で訪問しました。
現地の支援団体との交流などで、とても意義ある行動になりました。
機会があれば、レポートします。


●社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会機関誌「リハビリテーション №556号」
特集「復興-東日本大震災から2年-」
大災害を体験して:斎藤惣一 その2
○震災後1週間
被害状況は、道路と施設敷地約20㎝程の段差ができ、 第1作業棟と事務所は傾斜と亀裂・浄化槽の浮上・施設駐車場は地割れ2ケ所。
後に判明するがライフラインは電気以外寸断されていた。
建物は建築の専門家(設計士)の巡視があり「傾斜しているが倒壊の恐れなし」との見解であった。
理事長から「一刻も早く平常に戻せ」の厳命もあり、開所することが我々の使命であることから、復旧を急ぐことにした。
建設会社はじめ多くの方々が応援に駆けつけてくれたが、被害が広範囲に及び入所施設を優先に応急的修理が開始された。
被災後2日間はただ利用者の安全だけを念頭に無我夢中で動いていたが、3日目に入りやっと落ち着きを取り戻した。
それと同時に外部の情報も入る様になり、旭市でも飯岡地区の海岸線が津波に襲われ大きな被害が出たことが判明した。
被災者340人以上が市内4ケ所の避難所で不自由な生活を余儀なくされ、被災後2年が経過する現在も仮設住宅で過ごされている方がいる。
私の知人は現在も仮設住宅に居住するが、当日の様子を伺う事が出来た。
『津波が来たときはアッと言う間で恐怖を感じず、無我夢中で神棚や鴨居に掴まり難をのがれた』とのこと。
また、嬉しかったことも話され、旭市ボランティアセンターの方々(延べ7608名)には大変感謝されているとのことだった(敷地いっぱいに悪臭を放つ瓦礫と堆積した土砂を労苦を惜しまず片づけてくれた)
○震災後1週間を過ぎて
私が津波で被災された地区に足を踏み入れることができたのは、1週間を過ぎていた。
津波の惨状は思わず目をそむけたくなるような光景であった。
つい先日までは夕方ともなると海面を金色に染めながら太陽が沈み、海岸を散歩する人、沖合いには大小様々の船が走り、またお年寄りたちが縁台に腰掛けながらおしゃべりし、子供たちを見守る小さな漁村で、日本の原風景と言っても過言ではなかった。
現実はクシの歯が抜けたように家が無く、また道路半分は家財道具や瓦礫、高級ピアノで埋まり、突然襲った大津波になすすべもなく、家族や財産を失い、路頭に迷う方々の多さを考えると筆舌に尽くし難く、ただ茫然と佇むのみであった。
法人内でまず幸いだったことは、700名を超える利用者・患者の皆さんが津波の被害から逃れることができたこと。
しかし、建物や付帯設備には甚大な被害が多数報告された。
その多くは液状化現象による建物の傾斜、沈下、私道・駐車場陥没、給排水管の損壊によるライフライン停止等の深刻な被害であった。
特に浄化槽の損壊(浮上)により排水機能停止があり、工事現場用仮設トイレを10数台借り入れし、急場を凌ぐ状態が数ヶ月続き利用者支援にも支障をきたした。
幸いワークセンターでは、浄化槽が小規模だったため、液状化現象の浄化槽浮上も20~30㎝位で、職員の手により応急処置が施され、浄化槽と排水管の損壊を補修することができ1日も休まず開所できた。
補修機材等は、日頃から取り引きのある建設関係業者の配慮があり、材料等を優先的に回して頂き補修をすることができた。
しかし、第1作業棟の本体の傾斜は激しく、そこに付随する下屋部分が破損や路面の起伏が目立ち、数ミリの降雨であっても建物内部に入り込み、職員がバケツやチリトリで汲み出す作業が続いた。(後に水中ポンプを購入して対処にあたった)
ワークセンターに隣接する研修棟は、津波の被害に遭った職員・家族が居住することになった。
○その3に続く
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これまで届けた救援金
253,305,994円(2013年9月27日現在)
内・東日本大震災救援金総額
207,296,909円(2013年9月27日現在)
ただいまの基金残高
267,352,632円(2013年8月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い【吾亦紅】」と咲くのです。
●「東日本大震災と社会認識・社会科学の眼を通して災害を考える」と題した、178ページ、A5版、
定価2000円(プラス税)の本が刊行された。
この本の第2章「震災と人権」を執筆したのが、hideの畏友のおひとり、窪誠さん(大阪産業大学教授・国際人権学)。
窪さんとhideは、長い期間、hideが居住する、箕面市の人権施策審議会委員として同席している呑み友だちです。
皆さん、ぜひご一読ください。
・竹内常善・斉藤日出治・編
・出版社 ナカニシヤ出版(京都市左京区一乗寺木之本町15)
●TEL 075-723-0111
FAX 075-723-0095
●巻頭言より
本書は、大阪産業大学経済学部におかれてきたアジア共同体研究センター「ACRC」に参画する内外の研究者を中心に執筆されています。
これはまた、私たちの試みている現代社会科学の再検討のためのデッサンの一部です。
とりわけ、数年前から続けられてきました天津理工大学や、国内各地の研究者たちとの交流を通じて、アジア共同体研究センターの担当者なりに感じてきたことについて、一応の中間総括を試みようとするものです。
本書は、学術書としてではなく、教養書としてまとめられています。
このため綿密な参考文献の記載や引用注は付してはありません。
とくに国内で得られる資料や文献につきましては、本文中での説明にとどめている箇所が多くなっています。
また、専門用語の使用を極力避け、平易な表現を心掛けておりますが、理解の便宜のために、一部にルビを付してあります。
歴史的な事項については、その後にカッコを付して発生した年を、人物については生没年を付記した箇所があります。
それは関連する時代の確認に便宜を図るためです。
同時に、そうした事件や災害、事項や人物等につきましては、現在ではインターネットでの検索が容易です。
読者のみなさんは是非とも関連情報を集められて、それぞれに考察をお進めください。
本書を単に情報として集められるのではなく、そのことで、私どもとの新たな対話が生まれるなら、それこそ本望というところです。
                                           以上