●兵庫・青い芝の会の澤田 隆司さんが、亡くなられました。
hideとは、姫路の書写養護学校卒後、1年目に出会った、古い付き合いでした。
「たかっさん」の愛称で、多くの人たちに愛された人生でした。
hideも沢山の事を教えてもらいました。
ただ、ただ、合掌です。
●10月19日~21日まで、hideが事務局長を務める「箕面市人権啓発推進協議会」が、東日本大震災被災地義援意見交換・交流活動として、南相馬市~仙台市~南三陸~気仙沼市~石巻市を22名の団体で訪問しました。
現地の支援団体との交流などで、とても意義ある行動になりました。
機会があれば、レポートします。
●社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会機関誌「リハビリテーション №556号」
特集「復興-東日本大震災から2年-」
大災害を体験して:斎藤惣一 その2
○震災後1週間
被害状況は、道路と施設敷地約20㎝程の段差ができ、 第1作業棟と事務所は傾斜と亀裂・浄化槽の浮上・施設駐車場は地割れ2ケ所。
後に判明するがライフラインは電気以外寸断されていた。
建物は建築の専門家(設計士)の巡視があり「傾斜しているが倒壊の恐れなし」との見解であった。
理事長から「一刻も早く平常に戻せ」の厳命もあり、開所することが我々の使命であることから、復旧を急ぐことにした。
建設会社はじめ多くの方々が応援に駆けつけてくれたが、被害が広範囲に及び入所施設を優先に応急的修理が開始された。
被災後2日間はただ利用者の安全だけを念頭に無我夢中で動いていたが、3日目に入りやっと落ち着きを取り戻した。
それと同時に外部の情報も入る様になり、旭市でも飯岡地区の海岸線が津波に襲われ大きな被害が出たことが判明した。
被災者340人以上が市内4ケ所の避難所で不自由な生活を余儀なくされ、被災後2年が経過する現在も仮設住宅で過ごされている方がいる。
私の知人は現在も仮設住宅に居住するが、当日の様子を伺う事が出来た。
『津波が来たときはアッと言う間で恐怖を感じず、無我夢中で神棚や鴨居に掴まり難をのがれた』とのこと。
また、嬉しかったことも話され、旭市ボランティアセンターの方々(延べ7608名)には大変感謝されているとのことだった(敷地いっぱいに悪臭を放つ瓦礫と堆積した土砂を労苦を惜しまず片づけてくれた)
○震災後1週間を過ぎて
私が津波で被災された地区に足を踏み入れることができたのは、1週間を過ぎていた。
津波の惨状は思わず目をそむけたくなるような光景であった。
つい先日までは夕方ともなると海面を金色に染めながら太陽が沈み、海岸を散歩する人、沖合いには大小様々の船が走り、またお年寄りたちが縁台に腰掛けながらおしゃべりし、子供たちを見守る小さな漁村で、日本の原風景と言っても過言ではなかった。
現実はクシの歯が抜けたように家が無く、また道路半分は家財道具や瓦礫、高級ピアノで埋まり、突然襲った大津波になすすべもなく、家族や財産を失い、路頭に迷う方々の多さを考えると筆舌に尽くし難く、ただ茫然と佇むのみであった。
法人内でまず幸いだったことは、700名を超える利用者・患者の皆さんが津波の被害から逃れることができたこと。
しかし、建物や付帯設備には甚大な被害が多数報告された。
その多くは液状化現象による建物の傾斜、沈下、私道・駐車場陥没、給排水管の損壊によるライフライン停止等の深刻な被害であった。
特に浄化槽の損壊(浮上)により排水機能停止があり、工事現場用仮設トイレを10数台借り入れし、急場を凌ぐ状態が数ヶ月続き利用者支援にも支障をきたした。
幸いワークセンターでは、浄化槽が小規模だったため、液状化現象の浄化槽浮上も20~30㎝位で、職員の手により応急処置が施され、浄化槽と排水管の損壊を補修することができ1日も休まず開所できた。
補修機材等は、日頃から取り引きのある建設関係業者の配慮があり、材料等を優先的に回して頂き補修をすることができた。
しかし、第1作業棟の本体の傾斜は激しく、そこに付随する下屋部分が破損や路面の起伏が目立ち、数ミリの降雨であっても建物内部に入り込み、職員がバケツやチリトリで汲み出す作業が続いた。(後に水中ポンプを購入して対処にあたった)
ワークセンターに隣接する研修棟は、津波の被害に遭った職員・家族が居住することになった。
○その3に続く
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これまで届けた救援金
253,305,994円(2013年9月27日現在)
内・東日本大震災救援金総額
207,296,909円(2013年9月27日現在)
ただいまの基金残高
267,352,632円(2013年8月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い【吾亦紅】」と咲くのです。
●「東日本大震災と社会認識・社会科学の眼を通して災害を考える」と題した、178ページ、A5版、
定価2000円(プラス税)の本が刊行された。
この本の第2章「震災と人権」を執筆したのが、hideの畏友のおひとり、窪誠さん(大阪産業大学教授・国際人権学)。
窪さんとhideは、長い期間、hideが居住する、箕面市の人権施策審議会委員として同席している呑み友だちです。
皆さん、ぜひご一読ください。
・竹内常善・斉藤日出治・編
・出版社 ナカニシヤ出版(京都市左京区一乗寺木之本町15)
●TEL 075-723-0111
FAX 075-723-0095
●巻頭言より
本書は、大阪産業大学経済学部におかれてきたアジア共同体研究センター「ACRC」に参画する内外の研究者を中心に執筆されています。
これはまた、私たちの試みている現代社会科学の再検討のためのデッサンの一部です。
とりわけ、数年前から続けられてきました天津理工大学や、国内各地の研究者たちとの交流を通じて、アジア共同体研究センターの担当者なりに感じてきたことについて、一応の中間総括を試みようとするものです。
本書は、学術書としてではなく、教養書としてまとめられています。
このため綿密な参考文献の記載や引用注は付してはありません。
とくに国内で得られる資料や文献につきましては、本文中での説明にとどめている箇所が多くなっています。
また、専門用語の使用を極力避け、平易な表現を心掛けておりますが、理解の便宜のために、一部にルビを付してあります。
歴史的な事項については、その後にカッコを付して発生した年を、人物については生没年を付記した箇所があります。
それは関連する時代の確認に便宜を図るためです。
同時に、そうした事件や災害、事項や人物等につきましては、現在ではインターネットでの検索が容易です。
読者のみなさんは是非とも関連情報を集められて、それぞれに考察をお進めください。
本書を単に情報として集められるのではなく、そのことで、私どもとの新たな対話が生まれるなら、それこそ本望というところです。
以上