いよいよ明日、映画「オハイエ!」の上映会を開きます。

いよいよ明日、映画「オハイエ!」の上映会を開きます。
映画「オハイエ!」は、とっておきの音楽祭の感動のドキュメンタリーです。
ステージで生き生きと輝く障害のある出演者たち、笑顔にあふれた街、魂を揺さぶるこの感動のひとつひとつを丁寧に紡ぎ、映像化しました。障害も音楽も個性です。映画を観た観客のお一人お一人が、「ハンディとは、人間とはなにか」と自問することでしょう。
みなさんのご参加をお待ちしています。
とっておきの音楽祭 映画「オハイエ」上映会
とき 8月19日(金)6時半~
ところ パーティパーティ
大阪市浪速区敷津東3-6-10
大国町駅3番出口より徒歩4分!(車椅子のかたは5番出口にエレベーター)
TEL・FAX  06-6649-0455
映画の予告編をごらんいただけます。

団六さん自ら募金箱を持って浄財を集めてくださいました。

露の団六さんのバリアフリー寄席
NPO法人 ゆめ風基金
 代表 牧口 一二 様
 前略
 先日メールさせていただきました (財)日本ダウン症協会の平井万里子です。
 昨日16日、繁昌亭での露の団六さんのバリアフリー寄席は無事終了しました。
 お陰様で、ゆめ風基金の募金をステージから呼びかけていただき、添付の写真の通り
 団六さん自ら募金箱を持って浄財を集めてくださいました。
 合計 22,528円 私がお預かりしております。後日、責任を持って寄付に伺います。
 昨日のバリアフリー寄席の模様は、関西テレビさんが取材してくださいました。
 以下の番組サイトで<一緒に笑おう バリアフリー寄席><バリアフリー寄席>で
 写真入記事と動画で御覧いただけます。
   http://www.ktv.co.jp/news/date/20110816.html  まずは ご報告まで。 草々
   
      平成23年 8月17日      JDS(財)日本ダウン症協会 奈良北支部
                                 支部長  平井万里子 拝
                           (昭和プロダクション 加藤万里子)
露の団六さんのバリアフリー寄席

障害者派遣プロジェクト7

障害者派遣プロジェクト7
岩手プロジェクトチーム報告
平岡文華、藤田可奈子
8月 6日(土)岩手到着 平田・楠ペアから引き継ぎ
   7日(日)宮古被災状況田老町の仮設状況見学
   8日(月)10日の納涼焼肉大会の打ち合わせ
   9日(火)ハックの家のOさん訪問
  10日(水)納涼焼肉大会 被災地センターいわてとCIL盛岡初の交流会
  11日(木)ハックの家Oさんの買い物に同行 個人ILP(自立生活プログラム)
  12日(金)CIL盛岡訪問
  13日(土)帰宅
平岡・藤田の活動報告
①9日のOさん訪問と11日の買い物同行
 Oさんと初対面しました。このときに話した内容は、平岡が事前にメインメンバーから引き継いでいた個人ILP(自立生活プログラム)で買い物に同行することを伝えました。彼女はハックの家と自宅程度の外出しかしたことがなく、自分で買い物をしたことがないそうです。彼女の希望は「自分で見て選び、好きなものを買いたい」という内容でした。そこで、買いたい物のリストをあげ、かばん・ファスナーにつけるキーホルダー・服(年齢相応の落ち着いた色)などいろいろ要望が出てきました。会話をしている最中彼女の表情がすごく笑顔でした。
障害者派遣プロジェクト7
 2日後の11日当日は、まず第一希望のかばんを見るということでした。選ぶ基準は色、金額、どの程度のものが入るかなどを考え、何カ所かの店をまわりました。買ったのは、緑色の仕切りがある使いやすそうなかばんでした。そのあと、いろんな店をまわりましたが、買うことはなく「ファスナーにつけるキーホルダーが欲しい」と言ったので見に行きました。彼女の買い物中の様子は、わりと冷静で「今何時?」「かばん買ったけどお母さんに怒られないかな」など、気にしていました。初めてなのにいろいろ考えているな、と私は思いました。限られた時間でしたが、購入したいものが買えたのでよかったのではないかと思います。
障害者派遣プロジェクト7
②10日の納涼焼肉大会、被災地センターとCIL盛岡の交流会
 参加者は40人ほどでした。この日のために急遽、畑くんが来ました。宮古市のAくん、田野畑町のOさん、山田町のSさんなど、私たちメインストリーム協会メンバーが関わった人たちがほぼ初めての外出というかんじで参加されました。被災地センターとCIL盛岡のスタッフの協力で用意された食事は焼肉、流しそうめん、おにぎり、飲物でした。司会はメイクも衣装もばっちりの自立の王様に扮した畑くんで、始まりの挨拶、乾杯の音頭と、にぎやかに始まりました。
 宴会の途中で、気分が良くなったのか突然Sさんが「私歌いまーす!」と言いだし、アカペラで歌っていました。Sさんは歌い終えた後、周りの人にマイクをまわして「歌って歌ってー!」と楽しそうでした。スイカ割りなどもしてとても盛り上がりました。最後には、みんなで花火を楽しみました。
障害者派遣プロジェクト7
障害者派遣プロジェクト7
その日の夜は、平岡が中心となり、田野畑町のOさんと山田町のSさんは初めての外泊を体験しました。 今回の外泊を通して自分の意思を介助者に伝えること、一日を通して介助者にどういう風に自分の意思を伝えることを学んでもらえたらと思って、取り組みました。
入浴介助以外では介助者を使うことがなかったOさんですが、宿泊と買い物に付いた介助者に自分の意思をしっかり伝えることはできていていました。介助者を使いなれていないため、なんでも時間をかけやろうとしてしまうところがあるため、時間や体力を有効に使えるためにもうまく介助者を使うことも学んでいってもらえればいいかと思います。
積極性はあってやる気もあったので、これからいろいろ体験してもらうことで、自立ができそうな気がしました。
③まとめ
 この活動をきっかけに、出会った人たちが自立へ少しずつでも進んでもらえれば嬉しく思います。私自身もこの活動は自分自身をまた一歩成長する良い経験となりました。一つ残念だったのが、障害当事者と話すだけでなく介助で関わる健常者の人たちとも自立についての話をしたり、当事者と健常者の関わりについてもう少し話ができたらと思いました。
障害者派遣プロジェクト第7組のレポートをお送りします。
メインストリームからの派遣は、いったんここで小休止となります。
8月30日に私と夢宙センターのH君とで岩手に行き、
今後のプロジェクトについて話し合うことになっています。
その結果を受けて、9月以降のプログラムを考えて、再開したいと思います。
佐藤 聡
メインストリーム協会
〒662-0844
兵庫県西宮市西福町9-3
TEL:0798-66-5122 FAX:0798-66-5133
HP:http://www.cilmsa.com/

永六舗さん、小室等さんと話そう会 イン 長町

 8月23日(火)、仙台のあすと長町仮設住宅に、永六輔さんと小室等さんが来てくださることになりました。
 6月4、5日の「とっておき音楽祭」に小室等さんの出演をお願いしたところ、快く引き受けてくださり、被災地の市民の方々に大変喜んでいただきました。
 前日に岩手でライブをされていたこともあり、詰まった日程の中で時間をつくっていただいたのでお疲れのことと思いましたが、小室さんの方から「被災地障害者センターみやぎ(CILたすけっと)」に行こうと言ってくださり、及川智さん、井上朝子さん、「被災地障害者センターいわて」の今川幸子さんをはじめ、被災障害当事者と交流されました。
 それ以後、小室さんのFM番組への電話出演などを依頼されたりと、被災地の障害者に思いを深めていただいています。
 小室さんが永さんに被災地障害者センターのことをお話され、「それじゃ、二人で行こう」ということになり、小室さんからゆめ風基金に電話がありました。
 ゆめ風基金の事務局からその話を仙台の「被災地障害者センターみやぎ」にしたところ、どうしても津波の被害の大きい場所にみなさんの目が行ってしまうけれど、センターの近所にある「あすと仮設住宅」に来ていただきたいということで、このイベントが実現したのでした。
 わたしたちは永六輔さんと小室等さんの、ゆめ風基金への深い思いに感謝しつつ、被災地の障害者が地域の人たちに元気になってもらいたいと願う気持ちに、心が洗われる思いです。
 永六輔さん、小室等さんと、たくさんの人たちの心が重なって実現したこのイベントが、被災地の方々にとって心休まる時間になることを願ってやみません。
 ゆめ風基金からも3名がスタッフとして参加させていただきます。
永六舗さん、小室等さんと話そう会 イン 長町
2011年8月23日(火)17:30~19:30
あすと長町仮設住宅 交流広場 入場無料


6月5日 仙台 とっておきの音楽祭 小室等さん、こむろゆいさん
ユーチューブにたくさん、アップされています。

ヒデの救援レポート、8月15日

ヒデの救援レポート、8月15日:33
 ゆめ風基金ネットワークかがわの正木美幸さんが、仲間の3人の教師とともに、四国、香川県から、8月1日から1週間、被災地仙台の障害者センターに入りました。
 当初、救援の方法を巡って、波が立ちましたが、話し合いの結果、支援学校名簿を元に、学校、地域、避難所、仮設住宅などを回り、障害者市民への調査活動をすることになりました。途中経過では、たくさんの素敵な方々に出会えて、ずいぶん学ぶことになり、嬉しいとのメールが届きました。
 ところで、ボランティア派遣のことですが、被災地3県の障害者センターでは、派遣受け入れには、慎重になっています。救援ボランティアのお世話に回す余力が無く、活動方針の指示も滞りがちになっています。大震災後、半年を迎えようとしている今、被災地の人たちの疲労は、すでにピークに達しているので、短期ではなく、なるべく長期のひと、自立して活動出来るひとを条件に、ゆめ風基金と相談しながら、派遣を決めようとなっています。 もし、ゆめ風基金ネットワークのひとで、救援ボランティアを志望するひとは、ゆめ風基金事務所に連絡を取り、ご相談ください。電話06-6324-7702
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、8月11日までに、172637802円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
言葉を信じないものは、言葉に滅ぼされ、言葉を信じるものは、言葉でひととしてのゆめが語れる。ヒデ語録
ヒデの自宅の近くに、小さな、夫婦ふたりで経営している呑み屋さんがあります。ヒデも時折利用しているのですが、その呑み屋さんで、時折、顔を合わす青年がいるのですが、常は、他愛のない会話、挨拶を交わす程度の付き合いでした。
ところが、台風が接近中の夜。店に顔を出すと、他に客がいなくて、件の青年が独りきりでぽつねんと呑んでいるだけでした。青年の隣に席を取り、呑み始め、ポツポツと会話を交わし始めたのですが、その内に、だんだんと青年は、饒舌になったのです。それによると・・・・。
俺は、今年、24歳になるんやけど、家が貧乏で、その上、頭が悪い。勉強も嫌いですねん。ほいで、中学校しか出てへん。いろんな仕事を探したんやけど、俺に合う仕事はあれへん。それで今の仕事仮枠大工をやってますねん。明日は、台風みたいやから、現場仕事は、パーやね。風が強いと転落事故になるからなぁ。月収は、手取りで月30万円ちょっとになるんやけど、まぁ、大卒のヤツらよりは多いように見えるけども、ボーナスも退職金も、なんの保障もないし、怪我なんぞしたら、労災だけが頼りやな。
でも、一生懸命、仕事はやってるんやで。でもなぁ、世間のヤツらは、俺らのことを、まともには見てへん。俺らの仕事は汚れ仕事やからなぁ。でも、誰かがやらなアカン仕事やろ?先日、昼飯の弁当を買うために、コンビニに行ったんやけど、店の若い姉ちゃんが、足を洗ってから入ってくださいってぬかすんや。腹立つでぇ。
腕を怪我して、病院に通院してた時もそうやった。治療のために解いた俺の包帯を見て、看護師が誰や、こんな汚い包帯を持って来たんはって、俺の目の前で、包帯をハシでつまんでほかしよんねん。俺らのことを人間として見てへん。汚れた虫くらいにしか思うてへんねん。やっぱ腹立つでぇ。と。
そして、青年とヒデは、焼酎をゴクリと飲み下した。続けて青年は、言葉を継いだ。
俺、今悩んでんねん。元請けの会社が、大震災復興工事を請け負ったから、俺らも被災地に行かないかんねんけど、行き先が、岩手県なんか、宮城県なんか、福島県なんか、知らされてへんねん。被災地で困っている人たちのことを考えたら、行きたいのは、山々なんやけど、俺らは、将棋の駒ちゃうんやから、行き先くらい教えてくれたらなぁ。と。
ヒデは、どんな言葉を吐けばいいのか、ためらいが口を占拠して、沈黙でした。青年も長い沈黙に入り、ふたりの沈黙が宙を舞い、黙ったまま、呑むだけでした。店のノレンが、台風の前触れの風の中で、激しく乱舞しているだけの夜です。これを読んだ方は、どう感じますか?
被災者障害者支援センターいわて活動報告の3
5月に訪問した時よりガレキが撤去されていた。岩手県沿岸部の障害者と接してエ沿岸部の障害者は健常者の復興ムードとは違いまだまだ悲惨な状況を強いられているように感じました。地元近所の社会資源、医療が完全に津波で流され、今まで送ってきた日常は全くおくれていない状況でした。
人工透析をしている方は通院が不可欠ですが、通院するための病院が流されため遠くの病院までタクシーを使わなくてはいけません。それにかかる費用が莫大になり生活していくうえで多大な負担になっていました。家族も付き添う必要があるため、仕事探し、日常の生活を送るのにも大きな負担がかかっていました。
公共の交通手段がなくなり、町にあった買い物をする市場、髪を切る理髪店、薬などを買う薬局等、すべてが津波によって流され、物資を調達するにも役所やボランティアまで取りにいったり、連絡をしてしばらく待たなくてはいけない状況もあるそうです。
物資は本人が来ないともらえないという対応の悪さもあるとか保守的な傾向のある岩手ではまだまだ障害者の権利という考え方が浸透していないため、なかなか近所との関わりがもてない人が多く、数少ない知人との交流も、デイサービス等での活動も外に出ていけない状況によってもんもんと家の中で暮らしている人が多くいました。
介助制度も乏しいうえに、非常時ということもあってか役所の対応もかなり悪く、人によっては家族と生活をしている人には派遣しないということもありました。
このままでは障害のある人のいる家は一家共倒れになってしまうということは目に見えているのに、その状況を把握するだけの余裕は行政にはない状況でした。それに緊急事態だから自分は我慢しなければというような傾向も少なからずあり、困っていることを強く言えない状況にもあるように思います。
仮設住宅もいたるところで 建設が進んでいますが、私たちが訪問したところすべて仮設住宅の周りは砂利が敷き詰められて、スロープはついていませんでした。残念ながら内装は見ることができませんでしたが、支援者の中には入浴ができない、家の中が車いすを利用できないくらい狭いため這って生活をしなくてはいけない、洗面台にいけない、トイレに入れないため簡易トイレが必要な人もいました。
非常時であることは仕方がないことかもしれませんが、こういった避難生活をおくらなくてはいけない障害者たちはなかなか情報も得られず、どこに伝えればそれが解決できるのかということも知らない人が多く、また今は無理だろうとあきらめている人も相当いるという状況でした。
そんな状況下被災地に当事者が行くことは本当に意味があることだと思いました。支援や情報提供だけでなく、ちゃんと要望していこうということを伝え、悲惨な生活状況を一人や家族が抱え込むのではなく、一緒に解決していこうということが訪問するというだけで伝えられます。
被災している障害者の共通することは孤立化していることだと思います。外出もままならず、地域の交流もできず、普段もんもんとしている生活状況を解決する原動力になるのは障害当事者が訪問し一緒に解決をしていくネットワークを作っていくことだと強く感じました。以上
奈良県に住む、ヒデの先輩友人のひとりで、吉田智弥さんという人物がいます。その人が出している、ミニコミ紙蛇行社通信からの、奈良からの視線 がんばろう日本てか。連絡電話FAX0742-49-0170
日本人の多くは、日頃から全能の神を信じる習慣をもたないので、今回の大惨事を神が自分たちに与えた試練であるとは受け取らなかった。地の隅々から神仏に助けを求める祈りの大合唱も湧いてこなかった。代わりにがんばろうの声が広がった。
がんばろうに対しては一般的にはそうだ、がんばろうと返される。誰も反対しない。事実、反対しにくい。しかし、世の中にはがんばらねばと思えば思うほど精神的な病状を悪化させる人もいれば、がんばりたいけれど基礎的な条件が整わない人、いくらがんばっても成果の現れが遅い人もいるだろう。
またがんばろうは、それを言う側からは100バーセント善意にもとづくとしても、同じ言葉を何度も聞かされる側、被災地の人たちの耳にはもっと我慢せよと響いたりもする。これ以上、どうがんばるのだと言いたい気持ちが抑圧されたまま。それらの人たちが置き去りにされる。心からがんばりたいと思っているのに。
それでも、避難所にいる人たちの場合にはがんばる方向はハッキリしている。体育館から出て自立することであり、もとの生活を再建することである。悲しみはいったん脇に置いてでも、挫けずにがんばろうということになる。
だががんばろう+日本になると、日本中の人たちが力を合わせての意味は分かるけれど、その場合には、この国に住む・外国籍を含む・全ての人たちに、これから先の日本は、どういう方向に向かって・がんばる・のかが問われる。我が運命共同体のめざす先・行き着く先が必ずしも自明ではないことに気付かされる。
果たして、ふたたび原発を稼働させるためにがんばるのか。そうではなく、これまでとは別の豊さを求めて方向転換をするのか。がんばるためには何よりも失敗から学ぶことが先決だろう。すでに大量の放射能を大気中や海洋に向けて排出させたことで、諸外国の人たちと、これから先に生まれてくる生命に対して、がんばっても償えない失敗を犯してしまったのだから。
むろん、その前に、政府と電力会社には、最悪の事態を回避させるためにがんばってもらわねばならない。彼らに声援を送るためではない。責任をとらせるためにである。逆に原発建屋内で、時々刻々に放射能を浴びながら危険作業を担わされている人たちに対してはあまりに申し訳なくて、とてもがんばれとは言えない。
がんばろう日本の声は、現に対立する現実の諸関係を隠蔽し、本来のなすべき議論を遠ざける役割を果たしている。ボランティアの多さには・可能性としての・社会の復元力を感じさせたが、根本的な原発論争が盛り上がらないことへの不安は大きい。
もしかしたら、目の前にあるのは地獄への道は善意で敷き詰められている場面か、2度目の「安らかにお眠り下さい。過ちはくりかえしません」からの場面か。以上。
大平洋戦争敗戦の日。いのちの軽重を問うてはならぬ考
2007年7月に、連れ合いが亡くなり、8月には、母方の最後の叔母を亡くしました。また、今日のヤクザなヒデの生き方を決定づけた、中国東北部での父親の戦死という事実があります。この僅か70年有余の間に、人間社会は、驚くばかりの、大勢のいのちを失ってきました。
ヒデにとっては、7月、8月は、いのちの記憶の季節です。世界大戦の中で、戦災死したひと、戦死者。日本の侵略によって死んだひとたち。沖縄地上戦、広島原爆、長崎原爆。阪神淡路大震災他の自然災害。ボクたちは、数え切れないいのちを失いながら、歴史を形作ってきたのです。
そして、今回の東日本大震災です。黙然と首を垂れ、被災地支援に走り回るしかありませんが、でも、記憶の季節に、少し立ち止まり、来し方、行く行方に視線を放ち、考えることが必要ではありますまいか。あまりよく考えなくても、いのちの死には、人間の力が及ばないものもありますが、人間のせいでのものや、人間の力で止めることが出来るものもあります。以上!

なぜ合理的配慮は必要か

障害連事務局FAXレター NO.223 2011.8.12(金)
なぜ合理的配慮は必要か
―難しい直接差別と間接差別の境目、差別禁止部会(第7回)―
8月12日(金)差別禁止部会(7回)が行われた。
はじめに、差別類型をめぐって議論した。
合理的配慮の必要性については、機会の平等を実質的に保障するという観点では委員の意見はほぼ一致していた。
太田は、車イスの入店拒否や、新幹線の自由席でデッキに乗せないなどの例を挙げ、大袈裟なことをしなくても少し柔軟な対応をすれば差別されなくても済む場合が多い、ことを言った。
また、他の委員からも文明や科学の発展から取り残されたマイノリティーの人たちへの配慮というか「義理」みたいなことが求められている、という意見があった。
直接差別・間接差別・合理的配慮の不提供など、差別類型については、直接差別に重きを置いたほうが裁判がしやすくなるという意見も出た。
一方で類型はシンプルにしたほうがわかりやすい、立証責任などとからめた議論にしないほうが良いと、いう意見もあった。
さらに、ひとつのルールで考え、ルールから外れた対応をする差別と、そのルール自体が不公平な差別とがあり、それは直接、間接という考え方では割り切れないものである、という意見もあった。
あるいは、類型化していく意味が本当にあるのか、という疑問も提起された。
差別の正当化事由(差別しても仕方がないと思われること)については大方の委員の意見は公的支援のあるなしによって正当化事由は認められない、でまとまっていたように思う。
企業や団体などの組織運営にあたって、当初から障害者の存在を前提とすべきという意見があった。
立証責任については、差別類型毎に、受けた側にあるかした側にあるかが、変わってくるという意見が出た。
太田はなるべく簡単に障害者が問題提起できるような仕組みが必要であると、強調した。
さらに差別禁止規定のあり方については包括規定と同時に各分野ごとの規定も必要だと主張した。
 最後に、池田直樹弁護士からのヒアリングがあり、鉄道会社を相手にしたエレベーター設置訴訟や、車いす用トイレ整備訴訟などの報告を受けた。障害者基本法はガイドライン的性格を持つので、争いにくかった。差別禁止法は個人救済に焦点が当てられるので、政策論的な法律と、個人救済的法律と両方が必要であると述べた。
次回、9月12日(月)
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【お知らせ】
障害者・患者9条の会企画
2011年 9月3日(土)「白熱教室2011」
平和に生きる権利を
いま、何を学び、何を行動するか
 日時 2011年9月3日(土) 13時受付 13時30分~16時
 会場 東京都障害者福祉会館(田町)
記念講演 中澤正夫(精神科医)
     「ヒロシマとフクシマ -目を背けてはいけない史実と事実」

とっておきの音楽祭 映画「オハイエ」上映会

今週の金曜日の夜、映画「オハイエ!」の上映会を開きます。
お知らせがおそくなったことをお詫びします。
映画「オハイエ!」は、とっておきの音楽祭の感動のドキュメンタリーです。
ステージで生き生きと輝く障害のある出演者たち、笑顔にあふれた街、魂を揺さぶるこの感動のひとつひとつを丁寧に紡ぎ、映像化しました。障害も音楽も個性です。映画を観た観客のお一人お一人が、「ハンディとは、人間とはなにか」と自問することでしょう。
急なお知らせで申しわけありませんが、みなさんのご参加をお待ちしています。
とっておきの音楽祭 映画「オハイエ」上映会
とき 8月19日(金)6時半~
ところ パーティパーティ
大阪市浪速区敷津東3-6-10
大国町駅3番出口より徒歩4分!(車椅子のかたは5番出口にエレベーター)
TEL・FAX  06-6649-0455
映画の予告編をごらんいただけます。

被災地のゆめ風基金会員様よりの手紙

被災地のゆめ風基金会員様よりの手紙
暑中お見舞い申し上げます。
暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
震災では床上浸水になり、友人、知人と多くの人達が、亡くなったり、いまだ不明の人もおり、悲しみの中におります。
私も水に流されたりと大変な思いをしました。
暑さ厳しき折ご自愛くださいませ。

第26回リハ工学カンファレンスin大阪 障害者当事者セッションのお知らせ

片岡です。
中之島公会堂大集会室って、1000人入れるあの講堂でしょ?
前方の座席をしまい込めば車いすもたっぷり入れるあの講堂。
ともかく座席は心配ない?
ちょいと調べてみました。
名 称 第26回リハ工学カンファレンス
主 催 日本リハビリテーション工学協会
主 管 第26回リハ工学カンファレンス実行委員会
開催日 2011年8月24日(水)~26日(金)
一日参加(論文集なし)
・非会員  5,000円
・学生  3,000円
3日間で参加費15000円の「覚悟がいる」「学会」です。
宣伝するのは一般公開で無料です。
有料部分でこんなのがありました。
(資料なしなら、黙って無料で入り込める?)
特別講演
テーマ:権利としての「合理的配慮」におけるリハ工学の役割
講師:尾上 浩二氏(内閣府障害者制度改革審議会 総合福祉部会 副部会長)
日程:平成23年8月26日(金)13:50~15:50
以下、定藤研MLからの貼り付けです。
一部編集しています。
メインストリーム協会は西宮市にある自立生活センターです。
第26回リハ工学カンファレンスin大阪 障害者当事者セッションのお知らせ
(大阪大会実行委員会 委員長 古井 透 大阪河崎リハビリテーション大学教授)
日本リハビリテーション工学協会の第26回リハ工学カンファレンスin大阪では障害者当
事者セッションとして下記のセッションを行ないますので、ご参加ください。
8月25日(木曜日)
時間 15:15~17:10
中之島公会堂1F大集会室
一般公開、手話通訳付き、事前登録不要
参加費無料で会員以外の方も参加していただけます。
報告とディスカッション
「東日本大震災への障害者被災の実態と支援活動および、障害当事者派遣プロジェクト
について」
座長
日本リハ工学協会理事、(有)車座 代表取締役社長:巴 雅人 氏
報告者1
特定非営利活動法人 ゆめ風基金 理事:八幡 隆司 氏
報告者2
自立支援センター メインストリーム協会 事務局長:佐藤 聡 氏
派遣障害者当事者:藤原 勝也 氏
司会進行(担当実行委員)山名 勝
<概要>
震災など災害時では、障害者の被災はより強くあらわれ、避難生活でも非常な困難を強
いられます。
震災発生後すぐに現地入りし、いち早く障害者支援に取り組まれてきた「ゆめ風基金(
阪神淡路大震災を期に災害時の障害者支援を目的に設立)」の八幡さん、障害者当事者
派遣プロジェクトの企画に携わり、支援活動をおこなっている「メインストリーム協会
」の佐藤さん、実際に現地に行って来た派遣障害者当事者の藤原さんを迎え、現地の障
害者被災の実情や問題点、支援活動について、報告とディスカッションを行います。
★このセッションは一般公開とし
「被災障害者の実態と支援について」
「新しい試みの当事者派遣プロジェクについて」
この二つに絞って報告とディスカッションをして頂きます。

障害者派遣プロジェクト6

障害者派遣プロジェクト6
障害者派遣プロジェクト6
被災地障がい者センターいわて 活動報告
2011年8月9日
 平田・楠の2人は7月30日~8月6日まで活動してきました。
被災地センターでは、ピアサポート部門として被災された方や施設に居られる方など色々な方にお会いして来ました。
被災地障がい者センターいわてでのスケジュール。
7月30日(土) 岩手到着、茂上・中来田ペアと引継ぎ。
7月31日(日) 大槌町にある障害者入所施設、四季の郷の夏祭りにボランティアとして参加する。頚椎損傷の方に出会う。 
8月 1日(月) 休み 岩手さんさ踊りを見に行く
8月 2日(火) CIL盛岡に行く。
8月 3日(水) 田野畑町のハックの家に来ている脳性マヒの方に会いに行く。
8月 4日(木) 大槌町の四季の郷に入所している頚椎損傷の方に会いに行く。
8月 5日(金) 大船渡の仮設住宅に住んでいる胸椎損傷の方、陸前高田に住んでいる筋ジストロフィーの方に会いに行く。
被災地障がい者センターいわてでしてきたこと。
①7月31日に大槌町にある障害者入所施設にボランティアとして行きました。そこでたまたまセンターの専従スタッフの方が介助に入ったのが頚椎損傷(C3)の男性で、西宮から同じ障害を持った人が来ていると伝えると、是非話したいとのことでお会いすることが出来ました。
 その方は施設に入って6年になるそうで、地域で生活したいと話されていました。7年前に自立に向けて盛岡市と話をしたのですが、1日4時間しか出ないと言われ諦めていたそうです。施設では地域で生活する話が出来ないので後日会うことにました。
 8月4日に大槌町で改めてお会いし、昼食とお茶にしながら自立の話やCIL、ILPの話などしました。その方は地域で生活をしたいと強く願っているようですが、それをどうすれば実現できるのかが分かっていないようでした。私たちもできる限りは伝えてきましたが、今後地域生活に向けてさらにサポートが必要と感じました。
②8月2日に田野畑町にあるハックの家に来ている脳性マヒの女性に会いに行きました。前回茂上・中来田がお会いしていてその時には携帯の使い方を教えて欲しいとのことで聞いていましたが、使い方をお客様センターに電話して自分で調べて使っていました。
 その他にもお金を自由に使いたいことや、外出はハックの家しかしていないので他に行く場所を見つけたいなど今後の自分の生活について考えていました。今後も同じ障害を持った人と話すことで世界も広がるのではと感じました。
③大船渡の仮設住宅に住んでいる胸椎損傷の男性にお会いしました。その方はいち早く仮設住宅にスロープを付けた方で家族4人住まれていました。震災当日の話から現在までの話をしながら市の対応への不満や生活のしにくさ(周りが砂利で移動しにくいことや、仮設が小さく車椅子で移動しにくく床ずれが出来た話など)をされていました。
障害者派遣プロジェクト6
④陸前高田の筋ジストロフィーの男性にお会いしてきました。その方は藤原と1度会っていて、藤原に会ったことがとても大きかったようでまた会いたいといってました。今後どういう生活をしていきたいか、将来どんな風になりたいかの話など沢山してくれました。今後はその方がどんな風に進んで行きたいか聞きながらサポートしていく必要があると感じました。
感想
私が西宮で社会資源を活用して当たり前に生活していることが、岩手では実現されていないと感じました。この地域はまだまだ社会資源が少ないですが、その前にその少ない社会資源を知らなかったりどう使っていいか分からない人たちが沢山居ると思いました。社会資源を伝えていくことも支援の一つと感じました。地域で生活することにつながるにはまだまだ時間がかかったりすると思いますが、今後施設等を回ったり地域で生活することに向けての支援をしていくことが私たちの役割であり、被災地の方々が地域で当たり前に生活できる道になるのではないかと思います。