「繋がる」ことの喜び  柴島高等学校文化祭

柴島高校文化祭
「繋がる」ことの喜び
大阪府立柴島高等学校 チーム繋 代表顧問 和田一幸
 わたしたちが今年の文化祭で東日本大震災の被災者支援の募金活動をやろうと思い立ったのは7月初旬だったと思います。本校にはボランティア系の部活動として、「ボランティア部」と「地域子ども交流会」という2つの団体があります。大半の部員が3年生で、3年間の活動の集大成という意味もありました。
 募金先をいろいろ探しましたが、最終的に選ばせていただいたのが、日ごろわたしたちの活動でご縁のあるノーマライゼーション協会からご紹介いただいた「ゆめ風基金」でした。わたしたちの学校のこんなに近くに、阪神大震災のときに創設された被災障がい者支援団体の事務局があることをはじめて知り、このたび連携させていただくことにしました。
 活動を始めるにあたり、わたしたちは、夏休みに被災地気仙沼に救援活動に出向いた本校生とも協同し、プロジェクトチームを結成しました。今年の本校の文化祭の統一テーマが「繋ぐ」であったこともあり、ゆめ風基金を通じて、わたしたち大阪の高校生と被災地の障がい者の方々とが少しでも繋がることができれば、という思いから、14名の高校生有志で「チーム繋(KEIと読みます)」を立ち上げました。PTAや本校後援会の協賛もいただけました。
 募金当日までの間、生徒たちのモチベーションを高めることに努めました。募金を募る以上、生徒たち自身が震災と障がい者の置かれている現状に対して正しい認識を持っておくべきだと感じたからでした。生徒たちは、ゆめ風基金の橘高事務局長にもお会いして被災地のパネル等を見せていただいたり、被災地の障がい者の実情を紹介したNHKの放送を見たりして、彼女たちなりに認識を新たにしてくれたと思います。
 しかし、2日間の、しかも高校の文化祭という限られた場所での募金なので、正直なところあまり多くの額のお金を集めることはかなわないだろうと予想していました。ところが実際は終わってみると、本校の生徒やその保護者、その他来場者のみなさまから、わたしたちの予想を大きく上回る募金をいただくことができました。中には家で貯めていたと思われる小銭の詰まった空き瓶をそのまま持ってきてくれた生徒もいました。
 「チーム繋」の生徒たちも、それぞれに舞台発表や催しなど、ほかの仕事の合間を縫って交代で募金ブースの当番をし、当番の間は精一杯声を出して募金を呼びかけてくれて、わたしとしても本当によくがんばってくれたと感謝しています。生徒たち自身も予想以上の反響と、集まった義捐金の多さに「やってよかった」と喜んでいました。
 これからもこうした活動を機会あるごとに行っていこうと考えています。「ゆめ風基金」の橘高様はじめ、スタッフの皆様には、大変お世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。また、生徒たちに貴重な体験の場を与えていただき、ありがとうございました。わたしたちの集めたお金が少しでも被災地の障がい者の皆様のお役に立てば幸いです。
 以下に、生徒たちの生の感想を掲載させていただきます。
 「この募金活動をして、いろいろな人が募金をしてくれるのがこれほどまでに嬉しいとは思わなかったです。一生懸命に募金の呼びかけをして、お金を入れてくれたときはとてやりがいを感じました。こういう機会があればまたしてみたいです。良い思い出を作らせてくださりありがとうございました。」(1年 H.R.)
 「今回、初めて募金活動という貴重な体験をさせていただきました。正直なところ、自分が得するわけではないのですが、大きな声を出して呼びかけて、子どもからお年寄りの方まで、いろんな方が募金をしてくださり、とても嬉しいかぎりでした。このような形でボランティア活動に参加できて本当に良かったと思っています。」(1年 N.S.)
 「募金活動をしたのは今回が初めてで、最初は声を出すことにも抵抗があったけど、友達や先輩が募金箱を持って呼びかけるのを手伝ってくれて、それが嬉しくて自分も大きな声で呼びかけるのを頑張ることができました。初めて箱にお金を入れてもらったとき、なんだかすごく嬉しくて、それからも入れてくれた人に笑顔でお礼を言うことができました。たくさんの人とコミュニケーションをとることもできて楽しかったです。なかなか実感できないけど、少しでも東北の人のためになれたら嬉しいです。」(1年 F.K.)
柴島高校文化祭
柴島高校文化祭

障害当事者ボランティアレポート

障害当事者ボランティアレポート
2011年10月4日
精神障害者当事者団体「いこいの場ひょうご」
高瀬 建三
ゆめ風基金御中
「被災地障がい者センターみやぎ」をご紹介くださり、有難うございました。
お礼申しあげると共に、上記センターでの5日間を報告させていただきます。
9月29日(木)
宝塚市の自宅より宮城県O市のWさんの自宅へ直行。途中、仙台空港上空より目にしたのはまだ地震と津波の爪あとがくっきり残る光景だった。付近は水をかぶり、JRから代替バスによる1時間弱でJR仙台駅着。仙台駅近辺は私の知る30年前とは別の町に変ぼうし、高層ビルが林立していた。
 仙台からWさん宅まではJRバスで1時間弱。バス停で待っていてくれていたWさんと固い握手。市営住宅のWさんの自宅へ徒歩10分。「下戸」な二人は鍋を囲んで歓談。さまざまな分野の話に及んだ。
 Wさんは宮城県内の精神病院(今は精神科病院)に30年間社会的入院。現在63才だから人生の半分を精神病院で過ごしたことになる。Wさんは病院時代の事を殆ど語らない。
 Wさんの「今」は自由に尽きる。1、2階共有のメゾネット住宅が長屋のように10戸くらい並んでいる。それが数棟。Wさんはそこの自治会長を数年つとめている。往き交う人々が声をかける。人望が厚い。モダンジャズが好きで「BOSE」で流している。静かに夜が更けていき、明日は仙台市内の精神障害者の団体へ連れて行ってくれる約束をして、私の最初の目的であるピア・サポートを果たして就寝した。
9月30日(金)
 仙台市太白区の「宮精連」(宮城精神しょうがい者団体連絡会議)のYさんに会う。精神医療、福祉問題を長時間話し合った。
 その後、太白区長町の「ピアサポートセンターそら」のKさんと会った。Kさんとはまだ暑さの残る東京で会った病友の女性だ。お互いに「震災ネットワーク」を作ろうと「阪神・淡路」「新潟・中越」「東日本」と仲間が集い、力強いネットワークを築いていく固い約束をし、2つ目の「ネットワーク」作りの目的を果たし、別れた。
 話は変るが、この夜「センターみやぎ」で食事作りをした。「かぼちゃのいんげん炊き」、「茄子とピーマンの煮びたし」、「冷奴の甘みそがけ」の3品だ。思ったより好評で、日頃のヘルパーの経験が活かせた事をうれしく思った。夜は近くのマンションでボランティア3人と計4人、6畳2間で就寝。
10月1日(土)
 少し風が強いが快晴。Tさんの運転でSさんと山元町方面へ向かった。途中、常磐線の亘理(わたり)町から山下駅の間、ガレキの山と使えなくなった住宅が数棟建ち残っている現場を見せていただいた。まだ新築の家も多い。
 近くの「ささえ愛山元」の開所記念式典に参加した。盛大だった。昼食をいただき、山元町の仮設住宅へ。「パラソル・カフェ」を楽しむためだ。もちろん主人公は仮設住宅の方々。風が強くパラソルは使えなかったが、多くの人々に参加してもらい、成功裡に終わる事ができた。「近くで沢山とれる」という「いなごの佃煮」を仮設住宅の方にもらった。おいしかった。
 この日はTさんが被災各地を案内して下さり、テレビや新聞でしか知らなかった被災地の現状を目のあたりにして、惨状を前にしてカメラを押す指も心なしか震えた。福島県境まで行き、立ち入り禁止の札と太平洋の荒波を前に足がすくんだ。私はこの日、山元町の仮設住宅でピアサポートをするためにやってきた。しかし、家族を、家を、仕事を失った人々の前で私は無力だった。「阪神・淡路」の体験を、「仮設住宅での実体験」を共に語ろう、傾聴しようと思ったが、被災地の方々は明るい希望の持てる話題を心から欲していた。これまで多くの関西系の「阪神・淡路」体験者の来場に「心」はどう動いたのか。私はどう話しかけ、どのように接して良いのかわからなくなり、現状を叩きつけられ、つきつけられた思いがした。
 「仮設住宅住民とのピアサポート」は実現しなかったが、被災地をこの目で見たという強い感覚は忘れない。TさんとSさんに感謝しつつ、仙台へと帰路についた。
 夜、宿舎近くの銭湯へ。一人で行ったので道に迷い、冷や汗をかいた。初めての土地では慎重な行動を、と改めてそう思った。
10月2日(日)
 休日。青葉区の図書館で情報収集。朝日新聞(東京本社)縮刷版の2011年3月分を何枚かコピーした。気のせいか「3・11」の記事は関西で目にしたものとは違って見えた。精神科医の中井久夫先生の記事もあった。
10月3日(月)
 来仙最後の日。朝からセンター事務所でミーティング。私は昼食の炊事当番に手をあげた。メニューは親子丼、サラダ、吸い物。早速、隣のスーパーへ買い出し。事務所近くは被災地の修理工事の最中だった。20世紀梨をむきながらTさんといろいろ話をした。「閖上(ゆりあげ)」地区の惨状をまとめた写真集を買って読んだ。前日の夜、NHKで「閖上」の特集をしていた。とても哀しい、忘れてはならない貴重な「時」を刻んだ本だった。
 9月29日に来仙してから多くの人達に会った。本当に良い人達に出会え、忘れられない日々を過ごした。帰路の仙台空港へのアクセス(JR線)が全線開通して仙台~仙台空港間が30分、630円だった。帰るのが寂しい。忙しい関西へ帰るのがしんどい。ゆるやかな「東北ペース」でボチボチと暮らして行こう。

ヒデの救援レポート、10月24日

ヒデの救援レポート、10月24日:43
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、10月19日までに、186582469円です。これまでに支援した団体、個人への金額は10月17日までに、100832600円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 そよ風特集取材・被災地宮城県へろへろコンビ珍道中レポート・その3
3日目の朝が訪れた。宿舎でヒデはヨロヨロと目覚めたけれども、牧口さんが、いつもは早く目覚めがいいのに、時間目一杯、いびきをかきながら、眠っていた。移動、移動で疲れているんやろなぁと感じた。なんせ74歳やもんなぁ。
 ふたりして、ゴソゴソと宿舎を後にして、例のように、コンビニで朝食を買い込み、事務所に向かう。本日の予定は、仙台たすけっとの法人定期総会に参加し、取材すること。総会で、へろへろコンビが少し話すことだった。11時になると、センターのスタッフが、件の軽自動車を差し向けてくれ、総会会場の県立NPOセンターへ、へろへろコンビは、向かう。
 会場に入ると、代表の及川さんは、明日のプロレス試合に備えて、頭をツルツルに剃り上げていた。議長は、正装した、事務局長の井上朝子さんだった。会場の県立NPOセンターの内部は、震災の影響で、壁にひびが走り、トイレのタイルが剥がれたままにあった。仙台たすけっとの総会は、どこの法人の総会もそうであるように、淡々と進行していた。
 他との違いは、活動方針の大きな部分が、救援活動にさかれていたことだ。総会の最後の時間に、及川さんから声がかかり、牧口さんと、ヒデに発言の機会が与えられた。そして、牧口さんが、ゆめ風基金の救援への考え方を発言して、ヒデは、障害者問題総合誌そよ風のように街に出ようの取材意図を発言させてもらった。
 驚いたことに、総会参加者の障害者のひとの大半のひとが、そよ風誌の存在を知らなかった事実だ。もう、40年も発行しているんだじぇ。ヒデの話の中で、みなさんにお目にかかった昨日が、奇しくも、ボクの誕生日だったと話すと、全員が一斉に拍手をしてくれて、口々におめでとー、おめでとうございますと祝福をくれた。この年になっての誕生日なんかと思っていたヒデは、なんとはなしに、忸怩とした。
 やっぱり、長幼を尊んで、礼儀を行う文化が、まだここでは生きているんだと、実感させられた。ヒデの会った人たちが、総じて礼儀正しかったことに、合点できた。縄文時代からの自然との縁を結んできたであろう文化の歴史と、西から来た文化に生きるヒデたちとは、どちらが優れているかではなく、違いを認め合う絆を構築する事が、これからの、人々の未来を担保するのではありますまいか。へろへろコンビの発言を最後に、ヒデたちは、会場を辞した。その前に、写真をパチパチ。
 会場から、仙台駅までは、2キロ程の道のり。地下鉄を使わずに、テコテコと歩く。歩くとやっぱり遠い。駅に着いた時間から、予約してある列車まで、2時間あった。牧口さんが、時間を無駄にしないよう、早い列車に変更しようと、みどりの窓口に行くが、ああでもない、こうでもないと、たらい回しにされて、例のごとく、駅構内を上がったり、下がったり。やっぱり仙台駅は、ややこしい。
 やっと駅長室にたどり着いて、変更を交渉するが、東北新幹線は変更できても、東海道新幹線は、管轄外なので、東京駅で変更交渉をしてくれとぬかす。まぁ、仕方がないかと、変更した列車に乗り込んだ。
 列車が通過する、郡山駅、福島駅のホームマークを目にすると、言い得ぬ気持ちが湧いた。そして、やっぱり牧口さんが事前に電話しておいた効果があって、東京駅のホームには、駅員が待機しており、すんなり、変更列車に乗り込めた。日常に戻った東京駅を発して、日常にある、新大阪駅に帰り着いたのが、夕方の7時ころ。ここで、へろへろコンビそよ風特集取材班は、めでたく解散した。
 今回のへろへろ珍道中には、ピリオドが打たれたが、次回の特集取材先は岩手を予定しているのだ。仙台から、まだ、200キロも先なんだじぇ。へろへろ。
 後日談、壊れたカメラをメーカーに修理に出したのだが、修理費用は、2万1千円也!そして、原稿書き作業が残されたのだった。
レポート終わり。
諸日程
被災障害者救援本部・大阪の会合。
11月11日午後6時から。
パーティ&パーティにて。地下鉄大国町駅下車、すぐ。
救援本部支援統一合同カンパ活動。
11月12日、26日の2日間。各々、午後1時から5時まで。大阪難波、高島屋前にて。短い時間でも、いいです。ご参加を!
011年障害者相談支援事業職員研修会。
11月21日(月)午後1時~22日(火)午前9時30分~
仙台国際センターにて。仙台市青葉区青葉山無番地 
参加費、4千円。
基調講演・障害者相談支援事業は、どう変わるか
茨木尚子明治学院大学教授
シンポジウム・災害に強い地域作りをかんがえる
今井洋・新潟県新潟学園指導課主査
宮下三紀子・あいえるの会
八幡隆司・ゆめ風基金理事
問い合わせ NPO法人当事者エンパワメントネットワーク
電話FAX042-646-5177
ひょうご地域福祉政策研究集会 震災と障害者シンポジウム
11月26日(土)午前1時から5時まで。
新長田勤労市民センターにて。JR新長田駅南側すぐ。
今川幸子・被災地障害者センターいわて
菅野良子・ILセンター福島
橘高千秋・ゆめ風基金事務局長
福永年久・障害者問題を考える兵庫県連絡会議
野橋順子・生活支援研究会連絡・ひょうご地域福祉政策研究会担当
大賀・電話090-3712ー7557FAX079-288-5693
東日本大地震被災障害者救援・大チャリティーバザー
売上は、ゆめ風基金へ!
主催・国障年豊中市民会議
11月3日午後1時から3時まで桜塚公園にて。
雨天の場合、公園向かいの福祉会館にて。
福祉会館では、音楽イベント、ぞうさん寄席・笑福亭純瓶さんの落語ライブを同時開催。阪急電車岡町駅下車、東へ五分。
連絡電話FAX06-6845-4618
NPO法人で・あ・いまで。
鈴木一郎・復興支援コンサート
11月6日(日)午後2時より
神戸朝日ホール
参加費3500円
復興支援コンサート実行委員会
ホール電話・078-331-6362
出演・オクサナ・ヘラシメンコバンドーラ 寺島夕沙子ソプラノ
復興支援コンサート実行委員会では、3月27日に行った緊急支援コンサートの第二弾として、鈴木一郎コンサートを実施し、兵庫県下に避難された被災者の方々をご招待させて頂くほか、被災地の文化復興を支援いたします。
ずーっと続けてく被災障害者支援11・23
東北-関西ポジティブ生活文化交流祭in扇町公園
運営ボランティア大募集中!
東北-関西のつながりを一層深めて、対話を重ね、息の長い活動を。
問い合わせ先・ポジティブ生活文化交流祭
事務局NPO法人、日常生活支援ネットワークパーティ&パーティ
担当・椎名電話FAX06-4396-9189
以上。

基本計画も社会モデルに―第36回推進会議―

障害連事務局FAXレター No.229 2011.10.24(月)
基本計画も社会モデルに
―第36回推進会議―
10月24日(月)の第36回推進会議のテーマは「基本計画」。
冒頭に東室長から現在の障害者基本計画がつくられていった経過説明があった。
まずはじめに現行の基本計画の到達点について議論されたが「他の市民との平等という観点からどの程度が目標達成されているか」「基本計画を政策実現のツールとして使うことを考えるべき」などの意見があった。
 各論に議論はうつり、「現行の基本計画は差別の視点が入ってない。また、インクルーシブ教育という観点もない」という意見や、「精神障害者についてはその施策の推進、社会的入院の解消などがあげられているが、実態は変わっていない」あるいは「防災についてかかげられていたにもかかわらず、東日本大震災で、障害者は他の市民より約2倍の犠牲がでている。計画は生かされていたのか」などの意見も出された。
 また、数値目標などが10年前かわっている部分もあり、数値目標がどこからはじきだされているのか、などの疑問もだされた。
 さらに、「ユニバーサルデザインといいながら盲ろう者には最近のATMは使いにくくなっている」や「情報コミュニケーションについてもっと重点をおくべきだ」とする意見、「情報コミュニケーションという定義をもう少し明確にしないと何か抜け落ちるものがあるのではないか」というような発言もあった。
また、雇用・就業に関して「もっとデータが必要でそれに基づいた計画がたてられるべきである」などの意見もあった。
 最後のコーナーでは、新しい基本計画をどのようにつくっていくか、について議論された。理念としては、権利条約や改正障害者基本法と同じように、社会から分け隔てられることのない共生社会の実現、すなわち社会モデル的な考え方を示し、具体的には、「女性障害者の問題」「地域資源整備の具体化」などなどについてあげられた。
 また、新しい基本計画が改正障害者基本法にある障害者政策委員会によってつくられていくことから、早めにそのフレームをつくっていくことが重要、との意見も出された。
次回11月21日(月)
10月28日(金) 正午開場で、日比谷野外音楽堂で、
「創ろう みんなの障害者総合福祉法を!10.28JDF大フォーラム」を行います。
今年はJDF(日本障害フォーラム)主催で、ほぼすべての障害者団体が取り組みます。
多くの皆さまのご参加をよろしくお願いします。
ホームページはhttp://www.normanet.ne.jp/~1028/です。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.46

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.46
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.46
日時:2011年10月24日(月) 天気:曇り
報告者: I(育成会)
9:00~12:00 Wさん送迎、Sさん訪問
12:00~17:00 Oさん訪問、Yさん訪問、事務処理
活動した上で感じたこと<Wさん送迎>
 仮設の入り口で、一人で待っている。こちらの車がつくと、笑顔で迎えてくれる。搭乗中は、先日よりこちらからの話しかけに返答をする事、笑顔でいることが多い。前回は知らないスタッフが多く緊張されていたことも多かったのかも。
帰りはのぞみの園の情報を聞くため、こちらが職員室の中で園のスタッフと話をしていたところ、自分の事を話しているのかなと気になったのか、何度かのぞきに来られるといったことがあった。帰りも、こちらの問いかけに笑顔で答えられることもあった。
<Sさん訪問>
 2度目の訪問。お母様、ご本人のニーズや情報を聞きに行く。現在在宅で、母が毎日ずっと見ているといった状態。母のニーズとしては、本人のレスパイトで、出来れば通うところが欲しいとの事。
 ただ、衝動なのか、こだわりなのか、ストレスなのか、単に物の使い方を理解できていないのか、物を壊してしまうことがあり、以前通ってたところで、他の利用者の携帯電話を3台も壊してしまったことがあって、そのことから、少し福祉サービスに信頼をなくしているように感じた。
 そのため、もし、福祉サービスの利用をするにしても、失敗をしないように、誰かが見ていると物を壊さないらしいので、状況がつかめるまではスタッフの目が行き届くように、少しずつ福祉サービスにつなげていくことが必要と感じた。
<Oさん訪問>
 チラシをみて連絡があり訪問。ご本人は聴覚に障がいのある方。電話をくれた姪から話を聞く。訪問時ご本人は魚をさばいていて、姪の話では、以前は東京で働いていて大工の仕事をしていたとの事。
仮設に移ってからは特に何もしていないが、以前は家のはなれに住んでいて、自分で生活をしていて、手先が器用なのでいろんなものを作ったりしていたとの事。今はする事もなく家でずっといるため、何かしてくれたらと思っているとの事。
 とりあえず行くところと話をしていたが、家にもいくらか入れてくれればともはなしていて、就労支援などの必要も出てくるかもと感じた。
<Yさん訪問>時間をかえて2度訪問するが不在。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
 就労支援、他、現在機能している社会資源についての情報集め、繋がりは必要。
備考
 引き続き登米市等の社会資源のある場所のマップを作成していて、現在機能している社会資源の情報を集めて整理している。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.45

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.45
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.45
日時:2011年10月23日(日) 天気:晴れ
報告者: O(育成会)
9:00~12:00 ケース会議、検討
12:00~17:00 環境整備、社会資源のマップ作成
活動した上で感じたこと
<ケース会議、検討>
 今までのケースの確認、整理これからの支援の予定について話し合う。
 Eさん・・・JDFの支援を受けておられるが来週水曜日様子確認。家族に依頼があれば対応していく。
 Yさん・・・月水金に入浴サービスを受けておられる。土日の話をしていくと共に震災前の話を詳しく聞く。保健師や生活支援員との確認もしていく。
 Oさん・・・精神障害の疑いがあり、うつ的な様子でもあるため保健師さんにつないでいくように対応する。
 Yさん・・・聴覚障害であるが仕事につきたいという希望にこたえるために就労生活支援センター等の情報提供をしていく。
 その他、障がい者、高齢者共に送迎、移送のニーズが多く、社会資源の確認、発掘のため関係機関がすぐわかり、敏速に対応できるようにとの案がでたため社会資源のマップを作成することとなる。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.44

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.44
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.44
日時:2011年10月22日(土) 天気:雨
報告者: I(育成会)
9:00~12:00 事務処理、Sさんレスパイト
12:00~17:00 Nさん送迎、事務処理
活動した上で感じたこと
<Sさんレスパイト>
ルート・・・自宅→「平成の森」のカフェ→三滝堂方面→自宅
 自宅にお出迎えに行くと、待っていたようですぐにポータブルCDで音楽を聴きながら出てくる。体の動きは軽やかだが、目がよく見えていないようで、歩行には危険がともなう。こちらのご挨拶などの声掛けには気付かれず、そのまま無言で車に乗り込まれる。
車の中では始めは静かに音楽を聴いておられたが、少しずつテンションが上がっていき、体をゆすったり、車の窓を指ではじいて音を出すなどされている。
 「平成の森」のカフェでは冷たいジュースを飲む。ぶどうジュースを2杯飲まれ、お菓子もいくつか食べられている。その際、机のものを手探りで確認するため、スタッフが飲んでいた熱いコーヒーを触りそうなことがあり危険であったため、気をつける必要がある。
 飲んで食べてしばらくすると、自分からスタッフの手を引いて出たいとのアピールをしてくる。またそのあと、トイレに促すが、体をはって行きたくないとアピールされていて、自分がしたいこと嫌なことへの意思表示はできるようだ。三滝堂方面に行くが、ついても車から降りるのを嫌がり、結局トイレにも行かずであった。
 本日の支援の中でご本人への配慮がすぐに分かるものが必要と感じ、報告書だけでなくパーソナルがすぐに分かるものも必要と思われた。現地スタッフも必要といわれていて、現地スタッフがフェイスシート、アセスメントシート等の作成をされるお手伝いをさせていただいている。

震災から7ヶ月 被災地の救援活動はいま

ゆめ風基金機関紙NO.54より
震災から7ヶ月 被災地の救援活動はいま
                                  ゆめ風基金理事 八幡隆司
 早いもので震災から7ヶ月が過ぎました。見知らぬ土地で車のカーナビを頼りに沿岸部へいくものの、当初は沿岸部の道路が浸水や瓦礫でほとんど通れなくなっており、随分目的地に着くのに苦労した覚えがあります。今はほとんどの道が復旧し、瓦礫の撤去も進んで場所によっては以前の状態が想像つかないところもあります。
 しかし徐々に地域間の状況に格差が出始めてきています。
 津波被害の大きさ、地形の問題、行政の取り組みの違いなどによって、見た目の復興度合いにも、被災者の生活状況にも格差が広まりつつある感じがします。
 8月末時点の避難所の状況は、岩手県がピーク時に5万4千人が避難していた避難所をすべて解消したのに比べ、宮城県では仮設住宅の建設が遅れているため、いまだ3675人が避難所生活を続けています。
 福島県では最大約2500人が避難していたビッグパレットが8月31日に閉所となったものの346人の避難生活が続いているほか、県外避難をしている障がい者も含めて、劣悪な環境のまま避難所生活が続いているところが存在しています。
大船渡の仮設住宅
大船渡の仮設住宅
 一方でどこの自治体においても仮設住宅のバリアフリー化について十分な配慮がされず、障害者、高齢者を中心に仮設住宅での生活のしんどさが続いている状態です。
 先日も「障害者用の仮設と聞いて入ったのに、トイレも風呂も狭くて使えない。台所にはまともに入れない」と仮設住宅の環境の改善を訴える連絡が被災地障がい者センターいわてに届きました。
 仮設住宅の巡回体制はできつつあるものの、そこで要求される移送サービスや障害者への支援体制は何もできていないといって過言ではありません。
でしゃばらず、離れすぎず
 現在ゆめ風基金が支援できているのは岩手県・宮城県の沿岸部と福島県に限られています。それでもその範囲はあまりに広大で、現地スタッフが支援のために移動する距離は200キロ、300キロが当たり前のようになっています。少しでも移動距離を減らすために様々なところに拠点づくりを進めていますが、なかなか物件を見つけることができない地域もあり、まだ全ての計画が順調に進んでいるとはいえません。
 ただ当然のことながら東北の冬はかなり厳しく、県外のボランティアが雪道を運転して支援を続けることは避けなければと思っています。冬が来る前にどれくらい地元の人と協力関係を結び支援を続けるかが大きな課題であり、私たちのような県外ボランティアがでしゃばり過ぎないようにすることが大事だと考えています。
 しかし雪の少ない地域では私たち自身も活動を続けるなど、全てのことが地元任せにできるわけでもないので、バランスを考えた支援をしていきたいと思っています。
 岩手県の北部から説明すると、田野畑村というところについては「ハックの家」という障がい者団体に委託業務という形で障がい者支援をお願いすることにしました。
宮古市は自分たちが継続して活動できる穏やかな気候であるため、活動拠点を新たに設けることとし、場所も決まって改修工事を進めています。
 山田町大槌町では地元の福祉団体が障害者支援活動を進めているところで、連絡をとりあっています。
 釜石市にはこの間協力関係を持っているAJU自立の家という障がい者団体が支援拠点を設置予定です。
被災地障害者センター大船渡の事務所
大船渡の事務所。苦労してようやくこの物件に辿りついた。
 大船渡市では地元の人と連携して支援を進めることを決め、8月末から仮事務所で活動が始まっており、9月中には正式な事務所がオープンします。
 陸前高田については「すずらんとかたつむり」という地元の障害者団体に支援をお願いし、協力関係を進める準備をしています。
 宮城県の北部については登米市に既に拠点があり、南三陸を中心に活動を継続していますが、石巻にも新たな活動拠点を作り、地元の障害者スタッフとともに継続した支援を行っていきます。
 福島については県外避難をしたいという障害者のために、新潟で避難者を支援していることに加え、県外の人たちが連携してどう避難生活を支えるかという会議をするなど、具体的な方法を模索しているところです。
同じ過ちを繰り返さないために
 前回の新潟での2回の大地震も含め、災害時の支援活動として「障害者を探すところから始めなければならない」「避難所や仮設住宅の問題も全く改善されていない」など、過去の災害がきちんとした教訓となり、次の災害の備えになっていないことは本当に悲しいことだと思います。大災害の犠牲に学ぶ教訓が、また次の災害に役立たないのでは亡くなられた方に申し訳ないとしか言いようがありません。
 その意味では今の支援も大切ですが、今後それぞれの町の中で災害にどう向き合うかということが一番問われているのだと思います。
 ゆめ風基金としてこの5年あまり大規模災害に備えた障害者の防災・減災活動を展開してきましたが、そのことが浸透していればどれだけ今回の災害支援がスムーズに行えたかと思ってしまうのです。
 だから現地での支援活動も続けながら、ゆめ風基金として「東北で障害者が苦しんでいるのは人ごとではない、みなさんの地域でも取り組んでもらいたいことがいっぱいある」ということを訴えていきたいと思っています。
 安否確認や避難所の問題は単に災害に備えるということだけでなく、日ごろのコミュニティに関わることが大きくあります。災害が起きたときにできることは普段からのつながりでできる通常のことであって、決して災害が起きたからといって特別なことが急にできるわけではないということです。
 もちろん今の支援についてできるだけ全力で挑みたいと思っています。
 「みなさんの支援があって本当に助かった。でもまだ困っている人がたくさんいる。申し訳ないがまだまだみなさんにがんばって欲しい」という手紙をいただきました。この方は行政支援のあり方に悔しい思いをしたという思いとせっかく支援を頂いたが、その夫は既に亡くなったということも綴っていました。
 東北の思いを何とか全国に届けるため、これからもしっかり活動を続けていきたいと思います。

近畿ろうきん・「ゆめ風基金・募金プロジェクト」、700万円近くの募金

 近畿ろうきん・「ゆめ風基金・募金プロジェクト」により、700万円近くの募金を寄せていただきました。
 このプロジェクトでは、近畿ろうきんの全支店にゆめ風基金の募金箱を設置し、募金の呼びかけをしていだだきました。
 ろうきんは労働組合や生活協同組合(生協)などが会員となる非営利組織(協同組織)であり、株式会社である銀行とは組織形態が異なるとはいえ、ひとつの金融機関が大きな後ろ盾もないNPO法人のゆめ風基金の障害者救援活動に支援していただくことは、前例のない画期的なことで、並々ならぬ思いで企画された担当者の方々のご熱意と、それを受け止め、決済された近畿ろうきんに深く感謝します。
 ほんとうにたくさんの方々がその思いに応えてくださり、700万円近くの募金になりました。ほんとうにありがとうございます。
 地震発生から7ヶ月がすぎ、厳しい冬に向けて新しい拠点をつくるなど、まとまった支援金が必要になる一方、寄せていただく募金の方は少なくなる中、この募金はほんとうにありがたいです。
近畿ろうきん・「ゆめ風基金・募金プロジェクト」に応えて、
力強いご支援をいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。

                        NPO法人ゆめ風基金 代表理事 牧口 一二
 近畿ろうきんのお力添えにより生まれた「ゆめ風基金・募金プロジェクト」、その企画に応えて、絶大なお金を募金てくださった皆々さま、ほんとうにありがとうございました。 
 私どもは阪神淡路大震災の折、障害者の仲間がさまざまな場面で後回しになってしまった教訓から、ふだんからお金を蓄えてこうと募金活動をはじめて16年のNPOです。近畿ろうきんは陰に日向に私どもの活動を支えてくださっています。そんな中から「ゆめ風基金・募金プロジェクト」は生まれました。
 今回の、みなさまからお寄せいただいた貴重なお金は間違いなく確かに私ども「ゆめ風基金」のところで有効に活用させていただきます。私どもは「ほんとうに必要としているところに、手渡すように確実に届ける」をモットーにしていることから、運営委員で話し合った結果、このお金も届け先が具体的なほうがどのように活用されているか、イメージしていただきやすいだろうと考えました。
 そこでタイミングよく計画が進んでいる、甚大な被害が出てしまった石巻市の障害者センターと陸前高田市の障害者作業所の再建費用に使わせていただこう、と話し合っています。そうすれば、ろうきんの募金プロジェクトでのお金がこのような形で具体的に使われていることが伝えられ、ご安心いただけると思いました。
 あの東北関東大災害から7か月が経過し、被災地ではあちこちで大変な状況が続いていますが、地元の人々の復元力も目を見張るものがあり、単なる復興ではなく、悲しみを土台に据えて、この機会こそすべての人々にとって快適な人間のまちづくり、新しいまちづくりをしよう、との気概もふくらみ始めています。
 どうぞ、いつまでも東北・関東の人々を見守っていただきますように。
                   

東日本大震災における被災障害者等の支援と復興に関する要望書

日本障害フォーラム(JDF)の国への要望書です。
                                   2011年10月 日
内閣総理大臣  野田 佳彦 様
内閣府特命担当大臣  細野 豪志 様
内閣府特命担当大臣  蓮舫 様
厚生労働大臣  小宮山 洋子 様
総務大臣  川端 達夫 様
国土交通大臣  前田 武志 様
                                  日本障害フォーラム(JDF)
                                   代表 小川 榮一 
東日本大震災における被災障害者等の支援と復興に関する要望書
 東日本大震災における被災障害者等の支援について日頃よりご尽力されていることに心より敬意を表します。
 さて震災の発生から6か月余が経過した現在、被災地や避難先においてなお厳しい生活を強いられる被災障害者への早急な支援が必要とされる一方、これまでの実態に関する検証や、今後の復興に向けた具体的な対策の実施が求められます。
 このことから、下記の諸点について、速やかな実施を要望します。

1.以下の点について、迅速かつ精緻な検証を行なってください
(1)障害者の犠牲者数、行方不明者数について、障害者手帳所持者をベースに速やかに検証してください。
(2)被災直後からの生活実態について、次の事項を検証してください。
 ・ライフラインの遮断やガソリンの欠乏による影響
 ・避難所・福祉避難所の問題点や課題
 ・在宅生活の問題点や課題
 ・在住地域以外への避難実態(特に福島県在住者、県外避難者を中心に)
 ・障害者への情報伝達・情報保障の課題
(3)既存の「災害時要援護者」対策・防災指針の有効性について検証してください。(個人情報保護と避難支援計画に関する課題を含む)
2.被災障害者の生活実態やニーズを踏まえたうえで、障害関係団体とも連携しつつ、以下の支援を早急に行ってください
(1)仮設住宅(みなし仮設住宅を含む)で暮らす障害者に関して、過去の震災の経験を十分に踏まえ、次の対応を行ってください。
・仮設住宅のバリアフリー化(設計・発注時の対応。および入居後の改修と、その手続き(国庫負担等)の仕組みの明確化を含む)
・仮設住宅への円滑な入居の支援と、入居後の必要な福祉機器や生活支援の提供
・それらの前提となる、仮設住宅(みなし仮設住宅を含む)利用障害者の実態の把握
(2)被災障害者の生活を支える次のような対策を講じてください。
・情報保障の徹底(テレビ放送をはじめとするマスメディア等の手話、字幕、解説音声付与、点字化、分かりやすい説明等や、手話通訳者、要約筆記者、盲ろう通訳介助者派遣等)
・相談支援の充実、福祉等サービスの柔軟な支給、避難先地域との医療等サービスの連携など、必要な対応
・障害者支援事業所(特に支援の行き届きにくいNPO法人や小規模法人、小規模事業所を含む)の被災状況の把握と、特別加算等を含む支援
(3)仕事の支援について、次のことを行ってください。
・就労継続支援事業A型・B型ならびに小規模作業所に対して官公需の優先発注を含む応急的な仕事の確保策を図ること
・障害者を雇用する企業の支援、ジョブコーチ等の充実
3.原発事故で多くの障害者が被災していることに関し、以下の対応を行ってください。
(1)県外避難を希望する障害者のサポートを行ってください。(介助者、相談等支援者、教育の機会の保障等を含む)
(2)原発事故による賠償と、賠償を受けることに対する支援を行ってください。(障害当事者、事業所を含む)
(3)元の地域に住み続けるための、住まい、職場、事業所を中心とした除染を行ってください。
(4)被災地での障害者の暮らしを支える仕事おこしについて、具体的な対策を講じてください。
4.今後の復興に向けて、被災障害者の暮らしを守る以下のような対策を講じてください。
(1)仮設住宅入居期限以降を見据え、障害者が住みやすい復興住宅、公営住居の確保等、住宅支援の対策を講じてください。
(2)住まいの確保と併行して、移動支援を確保してください。移動が確保されなければ住み続けることができません。
(3)当面の被災者支援や義援金等を受けた後の暮らしに不安を抱く被災障害者が少なくありません。中長期的な視点に立って、仕事や所得の支援等の対策を講じてください。
5.障害者権利条約を指標に、当事者参加の復興計画を策定してください。
(1)今後の復興に向けては、障害者権利条約を指標のひとつとし、排除や分け隔てのない、誰もが安心して暮らせる「インクルーシブな社会」の構築を旨としてください。
(2)国、都道府県、市町村のそれぞれにおいて、復興構想に関する協議体や、計画策定の過程に、障害当事者を参加させてください。
(3)「災害時要援護者」対策の見直しや、障害者に関する防災マニュアル・ガイドライン等の作成にあたっては、障害当事者を参加させてください。
以上
日本障害フォーラム(JDF)
日本身体障害者団体連合会
日本盲人会連合
全日本ろうあ連盟
日本障害者協議会
DPI日本会議
全日本手をつなぐ育成会
全国脊髄損傷者連合会
全国精神保健福祉会連合会
全国社会福祉協議会
日本障害者リハビリテーション協会
全国「精神病」者集団
全国盲ろう者協会
全日本難聴者・中途失聴者団体連合会
JDF事務局
 東京都新宿区戸山1-22-1
 TEL: 03-5292-7628 FAX: 03-5272-1523 E-mail: jdf_info@dinf.ne.jp