ーイベントうらかたのひとりごとー
 50歳から人生の再スタートを切った福本、
入社当初の大きな目標は20年イベントに
ゆめ風スタッフとして参加することだった。
コンサートチケット販売の任務を遂行した夏だった。
慣れない作業で知らぬ間に歯を食いしばり、今は少し顎が痛い
脳性まひ者は無理がきかない(-_-;)。
でも、なんだか、すがすがしい秋口だ。
今も郵便局に行けば切手をちぎる局員の手元に目が行く。
チケットぴあでは電話対応の声に聴き耳を立てる。
職業体験を終えた子供のような自分に笑ってしまう。
当日はゆめ風Tシャツや書籍を販売。
手を貸してくれる初対面の方々と、
落ち着いて丁寧にお客様に向き合う。
働くことは、みんなで一つのことを成し遂げることだと目の当たりに学んだ。
そして「伝えることより、つながること」朝、電車の中で見た広告が、頭にふと思い浮かんだ。
アンケート用紙には、出演者の主催者に対する愛情を感じた。
スタッフの気配りで一番よかったコンサートなどのコメントがあった。
聞こえてこないお叱りの声に少しびくつきながら清算業務中の福本です。
ここから、また・・・。
(ふくもと ちなつ) 

振込用紙のコメントご紹介

朝夕吹く風がここちよく感じられますが、まだお昼の太陽は元気です。
夏の疲れ、出てませんか?
事務局は、20年コンサートが終わり、ほっとする間もなく、
それぞれの業務に追われています
みなさんのご支援におこたえし続けます。
◆みんながお互いに助け合って強く生きていきたいと思います。(大阪府高槻市)
◆次々起きる災害に、この基金が必要ですね、(大阪市東淀川区)
◆あちこちで地震や噴火が起きています。これ以上ひどいことがないようにと願うばかりです。(滋賀県甲賀郡)
◆たまにですが、応援しています。(熊本市)
◆近頃、災害が多いですが、皆様、長い活動を元気で頑張ってください。(広島県安芸郡)
◆災害は止むことはありません。が、被害がへることを祈ります。(三重県四日市市)
◆困難な立場に立たされた方々に、ずっと心を寄せたいと思いつつ。毎日の暮らしの中で忘れてしまっている時間があります。(神奈川県藤沢市)
◆実母が去年亡くなりました。母の故郷(福島)に思いを込め、わずかな金額ですが、寄付させていただきます。(埼玉県越谷市)
◆大切な情報がぎっしり詰まったお便り、ありがとうございます。日本はこれからどうなるのでしょうか?心配がつのります。(東京都荒川区)
◆第七回ドルフィーチャリティーライブ~福島支援への基金に(神奈川県横浜市)
◆災害・事故・事件で落ち着かぬ昨今、貴会の一言は、頼もしく安心いたします。(滋賀県甲賀郡)
◆国は来年で集中復興期間を終えるつもりですって?いままで集中復興してきたようには思えませんが。(兵庫県加古川市)
◆いつもとても内容のある新聞の送付をありがとうございます。(和歌山市)
◆いつも誠実な活動・報告・頭がさがります。戦争する国にならないよう、国民一人ひとりがしっかりしなければ。弱い立場の人が生きにくい社会は、だれにとっても生きづらい社会です。(大阪市淀川区)
◆おばさんになって若い時より幸せです。年をとると、生きていることのうれしさや楽しさやありがたさを知りました。(東京都江戸川区)
◆必要なところに適切に敏速に。そうした活動を20年、つづけてくださったことに感謝です、(大阪市平野区)
◆東日本大震災で被害を受けた地域生活者・ハンセン病回復者等、多くの人々に。(神奈川県相模原市)
◆お便り70号でゆめ風の成り立ちをうれしく拝見しました。(神奈川県秦野市)
◆応援しています。ぼちぼち前進してくださいね。(奈良県橿原市)
◆まだ暑い日が続きますが、みなさんお身体に気をつけて。(愛知県岡崎市)
◆20年来のリンパ浮腫で歩くのが大変です。これからも、寄付金が送れるように頑張ります。(群馬県前橋市)
◆猛暑お見舞い申し上げます。「ゆめ風」の活動が末永く続きますように。仙台七夕に願いを込めて。(宮城県仙台市)
◆お盆には命のつながりを感じます。平和な世界へとつなげていけたらいいですね。核も戦争もいらない。思いあえる社会こそ必要なのですね。(大阪市平野区)
◆残暑お見舞い申し上げます。暑さに負けず、一緒に頑張りましょう。(大阪府大東市)
◆大阪中央公会堂のコンサート感動しました。(兵庫県川西市)
◆8・16イベントとても良かったです。(大阪市此花区)
◆インターネット・新聞・テレビ。選ぶ情報で見える世界が違う。上手に活用しなければなりません。(滋賀県甲賀郡)
◆先日の中央公会堂の集いは、とても楽しかったです。坂田さんと林さんからは勇気をいただき、小室さん親子の歌声に癒されて帰りました、ありがとうございました。(大阪市東淀川区)
◆不正が多い世の中、今まで信じてこなかった私。ここなら信じられると感じました。(大阪府高槻市
◆今年も暑い夏でした。まだ油断できません。お身体大切に。(さいたま市)
◆8月16日大阪に行きたかったのですが・・・。次回の東京のイベントにいきます。よろしくお願いします。(神奈川県横浜市)
あたたかいお言葉、ありがとうございます。
信じてくれる人がいるから、がんばれます。
ありがとうございます。
(福本千夏)

20年イベントプログラムより~②

東日本大震災被災地からのメッセージ
「あの時からここまで、そしてこれから」NPO法人 多夢多夢(たむたむ)中山工房(宮城県仙台市)
「とにかく、のんびりしよう」。あの地震があって、幸い施設自体の被害は少なかったものの、いつも通りに仕事なんかできない。「のんびりすること」が、震災直後の仕事になりました。
ゆっくりのんびり、絵を描いたり、踊ったり、お昼寝をしたりして、ひと安心。ゆめ風基金からの援助があって、建物が直せて、もうひと安心。アートの力を借りて、少しずつ安心をためていった日々。
そのうちに、震災バブルが、福祉施設にも押し寄せました。
「被災地を応援したい!」と、たくさんの注文を頂いて、作って、作って…。
ふと気づいて、これでいいのかな?と。
こんなに素敵で面白いメンバーと、製品ばかり作っていてはもったいない!
だから、今の仕事は「笑顔を作ること」。
ご依頼を頂いて、イラストを描いたり、絵を展示したり、パフォーマンスも!震災を経て充実したアート活動が、仕事として花ひらいて。
一人ひとりの魅力が、輝き始めています。


助成金が、希望を与えてくれました!!
NPO法人みやぎ身体障害者サポートクラブ サポートセンターころんぶす(宮城県くりはらし) 
理事長 のざわ たきこ 
3月11日PM2:46 ゴーという地鳴り音と共に、施設の建物が突然左右に大きく揺れだし、木造の施設はギーギー、バリバリという柱の歪む音と割れるような音が鳴り響き、施設内は騒然となりました。
が、この時、2年前(平成20年6月)に発生した「岩手宮城内陸地震」(震度6強)がよみがえり、あわてるな! 大丈夫!! と、利用者さんもスタッフも意外と冷静に行動した事を今でも鮮明に覚えております。
しかし、度重なる余震で、浴槽は毎日数㎝づつ沈み、フロアの隙間もだんだん大きくなり、雨漏りも始まる等、倒壊こそ免れましたが施設は日々危険性が増し、人命を預かれる建物ではありませんでした。
その年の1年間は、必死で支援してくださる団体を探し続け「ゆめ風基金」様に出会いました。
250万円という多額の助成金が、諦めかけていた施設の再建に希望を与えてくれたのです。
お陰様で翌年には新しい施設での支援活動が再開でき、隣接する障害福祉サービス事業所と共に、若年の中途障害者、要介護者の生活支援活動を展開しております。


「震災による家族の会 再結束」         
本吉絆つながりたい 障がい児・者を抱える家族の会(宮城県気仙沼市)
当会員の中には3・11の震災で家族や親戚を亡くした方々、家や仕事を失った方々が大勢います。
ライフラインが完全に止まり、障がい児者を抱える私達の暮らしはとても辛く不自由なものでした。
障がいへの理解が得られず、避難所での居場所もなく、車中で過ごしたり、親戚宅で肩身の狭い思いをしながら暮らす日々・・・ その思いを相談する場所が欲しいと切実な気持ちで精神的にも身体的にもギリギリの生活を送る1年間でした。
その間全国からのボランティアの方々には大変お世話になりましたが、未曾有の大震災という言葉でくくられ、私達にとって本当に必要な支援は届きませんでした。
仮設住宅から被災した街並みを通り、学校や施設に通っている中で、4年が過ぎた今尚、精神面・身体面で不調を訴えている会員家族の現状があります。
これからこの問題にどう対処していくべきかが大きな課題です。
私達のこの経験が今後の有事の際に活かされる対策を講じて欲しいものです。


放課後になると元気な子供たちの声が聞こえてきます         NPO法人泉里会 ケアホームめぐみ(宮城県気仙沼市)
余震や日々の生活ストレスで疲弊していく利用者、それに対応しきれない職員。今迄営んできた生活が一変したあの日‥。そんな失意の中、数え切れないボランテア希望の連絡。経験豊かで頼りになるボランテア支援はとても心強いものでした。ケアホームの再建やキッズハウスの開設、復興にあたっては団体、企業、個人の皆様から多大な支援を頂きました。皆さまからの支援に感謝の念でいっぱいです。
ホームの余暇活動のめぐみクラブでは、カラオケ、時には全員で周辺の草取り作業に汗を流しております。以前よりも利用者さん同士の交流も深まり笑顔が多くみられるようになりました。キッズハウスでは、放課後になると元気な子供たちの声が聞こえてきます。
当たり前の日常が戻りつつあります。震災で失うものも多かったのですが、それ以上にいろいろな方々に支えてもらいました。頂いた支援を活かし、今度は地域の利用者の方々を支え共に歩んでいきたいと思います。


あらためての御礼と今後の決意  
NPO法人 ひびき (放課後等デイサービス)  岩手県一関市
東日本大震災では、地震による内外装の破損や備品の損壊、また、停電による給湯設備の破損などの被害がありました。
ただ幸いなことに、当施設を利用している子どもたちやスタッフに怪我はありませんでした。
しかしながら、ガソリン・灯油の品薄に加え給湯設備の破損によりお湯が使えない状態が長く続いたため、16日間活動休止を余儀なくされました。
活動再開後も余震が続き、早く改修工事をしたいと考えておりましたところ、ゆめ風基金さまのご支援をいただき、建物の修繕等をさせていただくことが出来ました。
本当にありがとうございました。
その後も余震が頻繁に起きておりますが、避難訓練などを定期的に行い冷静に行動しております。
平穏な日常がいかにありがたいかということを忘れずに、毎日の活動を一所懸命に継続して行くことが、ご支援いただいた皆様の恩義に報いることだと思っております。
今後とも変わらぬご支援を、どうぞよろしくお願い致します。


落成式
特定非営利活動法人 さんりく・こすもす(岩手県大船渡市)
平成27年5月、地元の木材をふんだんに使った「共生型事業所とまり」の落成式が行われました。
私の父が残してくれた農地に、ゆめ風基金さんからの支援もいただき、震災後三つのグループホームを含め、四つめの建物が完成しました。
多くの来賓を迎え職員だけが緊張する中、開会の言葉は利用者のMさん。その後皆さんお一人お一人が完成の感謝とこれからの抱負を述べ、S子ちゃんが閉会の言葉を言って式は無事終わりました。
震災で私たちは多くのものを失いました。
復興といっても元いた場所に戻ることはできません。
けれど、何があっても人はこんなにも強く優しくなれること、人の生きる力は何物にも侵されないことも知りました。
それは、障害を持つ人も誰も変わりがありません。
それぞれの持場で力を発揮して乗越えてきたことの、この日は集大成でした。
障害を持つ人が中心になり、大きく被災したこの地の復興のシンボルとして「とまり」はスタートしました。


全国の皆様のお力とすまいる全員の力で復興に頑張ろう!」
特定非営利活動法人 コスモスクラブ すまいる作業所(宮城県仙台市) 
      
2011年3月11日14時46分に東日本大震災が発生しました。
その時間、作業中だった利用者は、2分を超える長く強い揺れにパニックになりながらも、咄嗟に安全な場所へ移動、周りでバタバタと倒れていく機械に怯えながら、揺れが収まるのを待ちました。
今回の震災では、400㎏を超えるボイラーが横倒しになった他、冷蔵庫、製氷機、パッケージ機など、ほとんどの機械が転倒、使用不能となりました。
利用者の多くは動揺して、ぼう然としておりましたが、帰るときは元気になり、無事に送る事が出来ました。
人的被害が無かった事が幸いでした。
そういった絶望的な状況の中、夢風基金様をはじめ、多くのご支援を頂き、震災から1カ月で営業を再開することが出来ました。
4年が経つ現在でも、全国からのたくさんの支援は続いております。
皆様の温かいご厚意のおかげで、すまいる作業所は震災前と変わらぬ運営ができる状況まで回復いたしました。
授産製品の売り上げも震災前より1.5倍に増えて事業は順調に回復しております。
今後は地域の皆様に愛される施設を目指し、より一層の発展を目指して頑張っていきたいと思います。


「超現実の災害を乗り越えて」
特定非営利活動法人 みどり会 みどり工房若林 (宮城県仙台市)
海から700m。あの日から私達の生活は一変しました。
事業所、畑、居場所等すべて失い、明日が見えないあの日からスタート。
その状況でも利用者は、懸命に力強く歩みました。
避難所の厳しい環境の中、症状と闘いながらも、高齢者のために食事を運び、また薪わり等も行いました。
障害を抱えるとどうしても支援を受ける立場になりがちですが、震災では支える立場になりました。
この経験はとても大きい事でした。
また新たな物件を探すのが困難でした。
不動産業者の事業所への偏見が強く、その中で利用者・職員一丸で物件探しを行い、ようやく見つけた物件で活動を行っています。
震災前は農業がメイン。
津波で畑を失い作業の主を手芸に切り替えました。
利用者は以前と勝手が違い戸惑う声もありましたが、自分達の居場所があることに感謝しながら過ごしています。
課題として、現ビルの老朽化がひどく雨漏りや水の滲みがありいつまでこのビルで過ごせるのか心配です。


被災前行っていた農作物や竹炭作りなど、風評被害で出来ない
NPO法人ひまわりの家(福島県相馬市) 
平成23年3月11日、私たちは東日本大震災を経験し、それから今日まで、県内外の方々から様々なご支援をいただきながら、復興への道を歩んできた。
日一日と状況が改善されていく中で、震災の記憶もまた少しずつ薄れていくのを感じている。
被災時の状況は、放射能汚染により、2軒ある精神病院が休業となった為、実質医療崩壊となり、隣接する相馬市の患者も行き場を失い、精神疾患を患う人には環境の変化と服薬できないことが一番悪影響を与えると思った。
そういった精神疾患患者を支えるため、ひまわりの家は、閉鎖された病院のスタッフと協力し、当時ガソリンもなく自転車や徒歩などで通所している利用者全員の家に確認し安定確認や薬の在庫確認等を行った。
現在、利用者が明るく前向きに通所している。
少しずつ就労の場や内職等が増えてきているが、被災前行っていた農作物や竹炭作りなど、風評被害で出来ないのが現実である。


「震災があって今がある」
障がい児放課後支援ゆうゆうクラブ(相馬市)
震災後、障がい児の児童デイサービス等の事業所も閉鎖状態となり、行き場をなくした子供たちも大勢出ていました。
津波で家を失った事により、発達障害を抱えるお子さんが、心の安定に欠かせなかったモノを失った事によって、情緒的に落ち着かなくなって問題行動を起こしてしまったり、原発事故による避難によって不安定な状況になってしまったり。
という事も多くありました。
避難所では過ごすことができずに、被災したままの家や、車の中で過ごさなければならなかったお子さんもいました。
そんな中、私はボランティアで放課後支援を始めたのですが、ニーズは増すばかりで、ボランティア活動の限界を感じるようになった時に福島県の「被災した障がい児の相談・援助事業」で活動できるようになったことで、より多くの障がい児への支援を行う事ができるようになりました。
次年度から、津波で被災した自宅を改装し、場所を移して事業を行うとなった時に、ゆめ風基金さまから、送迎用のワゴン車と、敷地の周りにフェンスを作るための資金を提供いただき、より安全に放課後支援を行えるようになりました。
ありがとうございました。
被災地復興のための予算は、被災から年月が経つにつれ減らされていく中、まだまだ地元の力が足りていないというのが現状で、慢性的な人材不足、支援者も疲労がたまり、精神的な問題を抱える方々も増えています。
特に、福島県は原発事故によって、目に見えない放射能問題と終わりの見えない不安が心の奥深くに漫然とあり、日々ジレンマとストレスを抱えた状態となっています。
そんな中でも、私の方は今NPO法人を立ち上げて、放課後デイサービスとして自立していく方向で動いています。
今後も自分たちができることを精いっぱいやっていきたい、少しでも障がい児・者の未来が明るくなるように頑張っていきたいと思っています。
(代表  かんの ゆみこ)
③に続きます

20年イベントプログラムより~①

20年イベント、本当に皆様ありがとうございました。
当日までには紆余曲折があり、チケット販売の協力や当日ボランティアの手伝いなど、たくさんのお力を借りました。
本当にありがとうございました。
当日、ご来場頂いた皆様にお配りしたパンフレットには、この20年の歩みや、東日本大震災で被災し、皆様のご寄付をお渡しした事業所がたくさんあります。
そのみなさんが書いてくださった文章などを、数回に分けて掲載します。
お時間があるときに、お目通しくだされば幸いです。
ここから
(点字に変換途中の文章で、一部漢字がひらがなになっています。
お許しくださいませ)


夢のまた夢が実現することもある……今日この日を満喫してください
 
ようこそ、よくお出でくださいました! ボクは今日この日をちょうど丸4年前から夢見ていました。というのは、思いがけない災害に見舞われて困っている障害者市民を支援したいと、阪神淡路大震災を機に発足した「ゆめ風基金」。その呼びかけ人代表を10年間続けてくださったえいろくすけさんから2006年に引き継いでくださったこむろ ひとしさんの、音楽生活50年のコンサートが2011年(たまたま東日本大震災大津波原発の大事故の年)7月に東京・新宿の全労済ホールで催されました。
 もちろんのこと、この日の催しは盛大でこむろ ひとしさん長年のお付き合い、たにがわ しゅんたろうさんをはじめ次から次と音楽のオの字も分からないボクでも圧倒され続けていたのですが、なかでも小室さんとサックスのさかた あきらさん和太鼓のはやし えいてつさん3人の演奏を聴いている内に、その響きがボクの身体の隅々に呼応し、鳥肌ってほんとうに立つことを実感できたのでした。
この感じ、関西の人々にも味わっていただきたいなぁ……でもでも、様々なことを考えると夢のまた夢…。
 そんなある日、別件で小室さんとの電話のおしまいに「3人のコラボを関西でもできないかなぁ」とつぶやいてしまったのです。それが小室さんからお2人に伝わり、ナントナント坂田さんも林さんも「ゆめ風基金」の呼びかけ人になってくださり、今日この日の3人によるボランティイア出演が(夢のまた夢が)実現することになったしだいです。
 どうぞ、20年を迎えた「ゆめ風基金」をよろしくとお願いするとともに、林英哲さん、坂田明さん、小室等さんによるコラボレーションによって、鳥肌がほんとうに立つことを実感していただきますように。
(認定NPO法人(寄付金が免税対象になる法人)ゆめ風基金 代表理事・まきぐち いちじ)
「ゆめ風20年に敬意をあらわすため大阪にやって来た坂田さん、英哲さんのこと」
 70年代、山下洋輔トリオを聴きに行くと、そこに坂田明さんがいた。その凄まじいサックスは滋味が加味されて健在。一方で、市井のミジンコ研究第一人者として名を馳せる。凄まじいサックスとミジンコ、その連立方程式を解くのは楽しい。僕が音楽担当した記録映画「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」に参加してくれた坂田さんは、沖縄の米軍基地辺野古移設計画での辺野古の人たちの、悲しさ悔しさと希望をサックスにこめてくれた。
 30年は前のこと、永六輔さんを座頭として、伊奈かっぺい、林英哲、三上寛、おすぎとピーコというものすごい面々で、青森市内の初代高橋竹山さんの弟子が女将をしている酒場に繰り出した。女将の三味線弾き語りが始まる。永さんのいたずら心で、この子は太鼓の修行中なんだが叩かせてやってほしいと言う。店にあった締め太鼓で英哲さんは女将が歌うどの民謡にも、その唄の定型の太鼓を難なくつけてゆく。女将は目をまん丸くして驚くが、驚くにあたらない、英哲さんは、遠の昔に民謡の太鼓も一通り勉強していたのだ。そんなことの上で確立した英哲太鼓。英哲さんは自分の太鼓を和太鼓と言わない。そう、和太鼓ではなく、英哲の太鼓なのだ。
 お二人には、2011年、僕の音楽活動50周年ライブにも出ていただいた。その時の演奏をゆめ風20周年で再現できないかと言っていただき、ゆめ風呼びかけ人メンバーでもあるお二人の快諾があって今回となった。みなさまの心に残る演奏をと、張り切っています。
準備段階では、英哲さんの事務所[遙(はるか)]に多大な尽力をいただいたことを付記しておきます。
(認定NPO法人ゆめ風基金 呼びかけ人代表  小室 等)


希望の場所、自立の家がのうなってしもたんやろ
20年かけて建てた作業所、
あっという間につぶれてしもたんやろ
人間は、自然の力にかないっこあれへんけど
こんな時こそ人の力を借りよ、
それが人間なんやから。
人と人とが絆をむすべる豊かな場所を
一日も早よ創ろう!
この【ゆめ・風・10億円基金】は
ひとりが10年間に1万円、
そんな人が10万人集まったら10億円!
子どもから老市民まで参加できる、
ムリせんでええリズムでゆめを風にたくして
この基金活動は広がってほしい。
一方に、10年も待たれへん今を抱えて
とにかく始めてみよ、
できるだけ早よお金が集まるよう歩き出そう。
今回のことだけやない
いつ、どこで大災害が起こるか、わからんのや
しんしんと寄せられた、
やわらかな絆のかがやく結晶・・・・10億円。
いざ!という時、必要なところへ、
しっかり届けたい
誰にでもわかる、活きたお金として・・・・
と、こんなふうに呼びかけて、
長い旅路に船出します。
みなさんの応援の風を
帆いっぱいに受けながら・・・・
ゆめ風基金発足時の呼びかけ文(1995年3月 牧口 いちじ)
当初は【ゆめ・風・10億円基金】と名乗っていた。
●ゆめ風基金の活動
被災障害者救援・復興支援 
被災地の救援活動に、ボランティアや活動支援金を届ける。
災害で被害を受けた障害者作業所や活動の場所に救援金を届ける。
防災活動支援・・障害者の防災、減災活動を支援する。
活動助成金、学習会、講演、ワークショップ、避難シミュレーション、シンポジウム開催、BCP、防災調査・研究、防災提言集、事例集の発行、中学生プロジェクト(8年間でのべ3500人以上の生徒が参加、障害者と共に避難体験を重ねている)。
ゆめ風基金を広く知らせる
「ゆめごよみ風だより」季刊発行(1万7千部)、
コンサート、イベント開催
「ゆめ風応援歌」CD、提言集、DVD「逃げ遅れる人々」などの販売
ゆめのたね・・「日ごろから障害者の地域活動が活発に行われることが、いざという時の防災力につながる」こうした考えから、2006年7月から近畿ろうきんと提携して活動支援融資制度「ゆめのたね」ができました。8年間で50団体に総額1億4千万円の融資を実施。介護給付金支給までのつなぎ資金、トイレ、スロープなどの改修工事費や設備資金、事業暦の短い団体の初期費用に役立てられています。
②に続く

改めまして20年イベントの御礼です

8月16日、1年以上前から準備をしてきた、ゆめ風基金20年イベントが、
大盛況のうちに終わりました。
まずは、この20年、ゆめ風が活動してこられたのは、寄附を寄せてくださった、多くの、とても多くの方々の応援のおかげです。
改めまして、ゆめ風に貴重な寄附をありがとうございました。
心から御礼申し上げます。
そして、無名であった「ゆめ風基金」に力を貸してくださり、いろんなところで「ゆめ風基金」を広めてくださった、
初代呼びかけ人代表の永六輔さん、現呼びかけ人代表の小室等さん、そしてたくさんの呼びかけ人の皆様に、
ありがとうございます!とお伝えしたいと思います。
イベントは、近畿ろうきんさんから頂いたご支援「サポートV報告会」や、東北にボランティアで行った人たちの同窓会など、
盛りだくさんの内容でありました。
そして17時開始のコンサートは、小室等さん、サックス奏者の坂田明さん、太鼓奏者の林永哲さん、こむろゆいさんという、超豪華な顔ぶれでスタート!
スタッフは、ほとんど見られなかったのですが、会場から響いてくる勇壮な太鼓の音と、舞うがごとく吹かれるサックスの音色が重なり絡み合い、人が唄い時に叫び、ギターが加速しまたゆるやかに・・・と、絵巻物をみるごとく、音と音のコラボレーションを、
ご来場頂いた900人以上の皆様と堪能することができました。
素人が企画・運営したものですから、プロの皆様やご来場頂いた方々には、本当に不手際ばかりお見せして、申し訳なかったです。
それでも、「ゆめ風のために」と、いろんな立場や職業の方が、力を貸してくださり、無事、終わりました。
軽々しく「人の命」が奪われ奪いあう今の時代。
ともすれば、「障害者」の命が誕生することすら許さない、または軽んじられる時代が来るかもしれません。
その不穏な流れに「どっこいここで生きてるぞ」と言い続ける一障害者としての「在り方」をも教わったような・・・
今こそしっかり大地に立ち、生きていくぞ!と気を引き締めた一日だったようにも思えます。
感謝の言葉を述べれば述べるほど、嘘くさく聞こえるかもしれません。
しかし、この日を終えて、これから新たな幕開けを迎え、積み重ねていく。
誠実にこれからも活動してまいります。
関わってくださったすべてのかたに、お詫びと御礼を。
ありがとうございました。
こむろゆいさんから頂いたびーだまドロップを大事に大事に夕日にかざしてみる日々です。
(長崎圭子)

8月8日 街頭募金活動のご報告

おそくなってすみません><

酷暑真っ盛りの8月8日、恒例の「なんば街頭募金」が行われました。
この日は夕方から「なにわ淀川花火大会」があるため、浴衣姿の人がたくさんいらっしゃいました。
4時頃、雨が降ってきたので、早めに終わりました。
参加人数  25人
募金額  21,841円
いつも参加してくれる皆様、募金を託してくださる皆様、本当にありがとうございました!
次回は、9月12日の予定です。
あなたの一声が、被災地へ届きます、きっと。

ヒデの救援レポート 2015年8月19日№181

皆さん、ありがとうございました!
被災障害者支援ゆめ風基金設立20周年記念イベントを、8月16日、大阪市立中之島中央公会堂にて開催したところ、客席は、ほぼ満席の1200名のご参加がありました!
呼びかけ人代表の小室等さん&こむろゆいさん、サックス奏者の坂田明さん、太鼓奏者の林英哲さんの鬼気迫る、魂のこもった演奏は、参加者の心を打ち、『感動した』と評判になり、事後のアンケートでも、多くのひとが、『感動した』と記入されていました。
やっと20年の峠を超えることができました。
これも皆さんの応援があってのことです。
日本は、自然災害のカタマリ。
これからも災害と向き合い続けねばなりません。
20年の峠は、新しい30年のスタートラインです!
これからもゆめ風基金運動を支援してください!
更なる自然災害が起こらないことを願いつつ、ボクたちも、かなわないけれど、踏ん張り続ける覚悟です!
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
hide拝


●美浜・高浜原発に反対する大阪の会機関誌「美浜の会ニュース」№135号からの転載
連絡先
TEL 06-6367-6580
FAX    6367-6581
○独自の避難者支援策を打ち出す鳥取県訪問記
『鳥取にはスタバは無いですけれども、日本一のスナバ・砂場・があります』という、平井伸治県知事の発言が話題になった鳥取県ですが、避難者受け入れの支援策が他県より充実しているため、関西から5名で実情を聞きに行ってきました。
7月10日、兵庫県西宮を朝9時に出発して、車で何と3時間弱で着きました。
鳥取、近い!
まず、エネルギーの未来を考える会「えねみら・とっとり」の山中さん、森本さん、米子市議会議員土光均さん、倉吉の松井さんと交流しました。
鳥取市は、島根原発から100キロ、県内米子や境港は30キロ圏ということで、鳥取で脱原発活動を行う上で、日頃から関西の各自治体への申し入れ等の活動を参考になさっているそうです。
今は安定ヨウ素剤の備蓄・配布を求めていく活動をされており、情報を共有しました。
避難者支援に関しては、場所を移動して、とっとり震災支援連絡協議会代表・川西さん、事務局長佐藤さんから伺いました。
川西さんが一時期東北で勤務されたご縁から、震災直後「東北県人会」として支援を始められ、その後、県にかけ合い、県から委託を受けて避難者をつなぐ役割を担う団体となりました。
避難者の声を聞き取ることを大切にし、出前講座やフォーラムなどでの啓発にも力を入れています。
また、中国5県支援ネットワーク会議を立ち上げ、避難者の方々のニーズに合ったより広い支援を目指して、前進しています。
さて、鳥取県の支援策では、被災者生活支援金支給や県営住宅棟の提供など「り災証明書」を取得していなくても福島県内からの自主避難者にも適応されます。
特に、国や福島県に歩調を合わせる他の自治体が2017年3月までとしている家賃全額免除を、この2月に独自に「2019年3月末まで」延長しました。
これは、まだ支援は必要で、避難者の方々からの1年毎の更新では不安だという声が強かったためです。
必要ならばそれ以降も続けることを検討するそうです。
気になるその財源は、「とっとり支え愛基金」と県の財政から半額ずつ。
県営住宅入居者17世帯が支援策を受けているとのことでした。
住民票は鳥取県に移すことになり、子どもの医療費は無償になりませんが、中学校卒業までは全員に医療費助成制度が有ります。
甲状腺がん検査は年に1回、医療生協関係で3000円で受けることができるそうです。
2012年3月に強いリーダーシップを取る知事が避難者の声を直後聞く機会を持ち、その声に応えた結果がこれらの支援策であり、とっとり震災支援連絡協議会の県内震災避難者支援事業への支援で、条例などで定められていないことや財源の枯渇が不安材料ではありますが、元々人権教育を大切にしている県とあって、条件つきながら教育支援:高校生への無利子の奨学金貸与、小中学生徒への通学費、学校給食費、医療費等の支援、幼稚園・保育所への保育料の軽減:もありまた避難者個々の事情に合わせだ相談の体制も整備されています。
「日本初」が好きな知事だとのことです。
事故から4年過ぎても、最近、関西での保養に応募者が増えているケースもあるとのことです。
今後も避難希望はあると予測され、交通の不便などマイナス条件もありますが、新規避難を受け入れる鳥取はさらに注目されるのではないでしょうか。
私たちは、人権を無視している「避難者への住宅支援打ち切り」の動きに反対すると同時に、鳥取の事例を広く知らせ、関西各地でも避難者の方々と一緒に、自治体に対して住宅支援延長など独自の施策を求めていきたいと思います。
そして、4年経って尚、避難者が不安を募らせる状況を生み出すばかりの法律、施策と再稼働を許してはなりません。
以上
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これまで届けた救援金
354,650,649円(2015年7月3日現在)
内・東日本大震災救援金総額
290,442,139円(2015年6月12日現在)
ただいまの基金残高
260,535,032円(2015年3月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い「吾亦紅」』と咲くのです。
以上

岩倉生涯学習市民の会主催「逃げ遅れる人々」上映会での募金を頂きました!

7月18日に、愛知県岩倉市で、映画「逃げ遅れる人々」の上映会と、その中に登場する小野さんの講演会が行われ、
主催者の「岩倉生涯学習 市民の会」様から、無事に終わったとのご報告を頂きました。
当日は、台風の影響も受けたそうですが、80名も参加してくださったそうです。
募金活動も実施して21,4133円、ゆめ風基金に託してくださいました。
確かに、お預かりいたしました。
大事に、けれど必要なところには素早く、手渡すごとく、被災障害者にお届けします。
ありがとうございました!!

田辺三菱製薬労働組合様からご寄付を頂きました!   

7月22日、田辺三菱製薬労働組合様が、来所され、寄付金を持ってきてくださいました。

(左が、中央副執行委員長・福田様です。笑顔がとってもステキな知的で優しい、憧れの女性です!)
2012年3月に、ご寄付のお話を頂いてから、年に一回、東日本大震災への復興事業にと、従業員の皆様から集まった額と同額を、会社・労組が上乗せして、寄付を続けて下さっています。
去年一年の活動などをご報告し、私たちからの感謝をこめて、感謝状を進呈しました。
本当に、ありがとうございます。
つながっていてくださることに、
一人の人として接してくださることに、
社会で生きる仲間として私たちといてくださることに、
改めて御礼申し上げます。
深謝。
(長崎 圭子)

菅原地区で防災講習会、やりました!

猛暑日が続いていますが、皆様、体調を崩してませんか?大丈夫ですか?
ブログ更新が滞っていまして、すみません。
まとめていくつかUPします。
7月12日の日曜日、東淀川区の菅原地区で、「防災講習会」を行いました。
この地区の皆さんは、防災活動に熱心で、「障害のある人への対応」講習会を、過去にも何度か開いてくれています。
この日も体育会にびっしりと、地域住民のかたが集まってくれました。

最初に、東日本大震災において、障害者はどう過ごしたのか、などを、パワーポイントを使い、長崎がお話しさせてもらい、
そのあとは、「視覚」「聴覚」「車いす」の人、それぞれの対応などを班ごとに実習。
赤星さん、手話サークル・ほたるの皆さん、ご協力ありがとうございました!
10時開始、12時前には終了したのですが、長崎、くらくらめまいがして・・・軽い熱中症になってしまいました。
暑い中、参加くださった皆さん、本当にお疲れさまでした。
皆さんのお住まいの地域でも、障害のある人と一緒に、「防災」を考えてみませんか?
お問い合わせは、「ゆめ風基金」まで!!
(長崎 圭子)