コメントご紹介

日本列島まるごと、雲の中に入っているみたいですね。今日も、白とグレーの空模様。
頬には秋風、足元には温風。いつ、どこで降り出すかわからない激しい雨。
テレビからは、連日土砂災害の映像が流れて・・・。淀川は大丈夫?って思います。
地価やファッション性よりも、まず市民の命を考えた街づくりを、考えてほしいと思います・
みなさんの幸せを願ったコメントを、ご紹介させていただきます。
◆暑さが厳しいので、お体に気をつけてください。(大阪府高槻市)
◆大人も子供もお年寄りも健常者も障害者も安心して生活できますように。(静岡県磐田市)
◆風だより64号の井上ひさしさんの歌詞、とてもいいです。子供たちにも教えます。(千葉県松戸市)
◆チャリティーライブの基金です。(神奈川県横浜市)
◆以前、何人かでコンサート等企画したときのものです。(東京都杉並区)
◆グループの方々に感謝申し上げます。みんなが幸せに暮らせるよう願っております。(大阪府大東市)
◆毎日暑い日が続いています。皆さん健康には充分気をつけてください。(千葉県市川市)
◆イベント参加者からの寄付金です。(千葉県四街道市)
◆共にがんばる!(山口県岩国市)
◆お盆には、受け継がれてきた命のことを思います。同じ時代を生きる被災地の方々、今月も小さな力を受け取ってください。(大阪市平野区)
◆いつも、ゆめ風のお便りを楽しみにしています。これからも、頑張ってください。(北海道北見市)
◆災害は、時、場所、人を選ばずやってきます。人ごとではないので、コツコツ続けます。(滋賀県甲賀郡)
◆「武器 これを防衛装備と言い換えて儲け企む言霊の国」7/28付の朝日歌壇で読みました。いつも思っていたことで
す。(栃木県佐野市)
◆大雨の被害を受けた人たちにお見舞い申し上げます。(千葉県四街道市)
◆何からどこから手をつければいいのか、わからないです。託すことしかできません。よろしくお願いします。(島根県松江市)
◆天災・人災は時・場所を選ばない。後悔、先に立たず。(神奈川県横浜市)
◆主人が脳の手術のため、40日程入院。無事、退院の感謝を込めて、送金します。(静岡県御殿場市)
◆大変な災害が起きてしまいました。その中でも、大変な思いをしている方々へぜひ、少しでも、お役に立てますように。
(東京都江東区)
◆広島もよろしくお願いします(埼玉県鶴ヶ島市鶴ケ丘)
いつも、変わらぬご支援を
ほんとうに、ありがとうございます。
広島土砂災害の写真を見ながらの
「ゆめ風として、なにができるかなー」事務局長のつぶやきを胸に
スタッフ一同、精いっぱい、任務にあたります。

広島避難所訪問ー被災地NGO恊働センターからのご報告を転載ー

被災地NGO恊働センターからのご報告を転載いたします。
土砂災害にあわれ避難所でお暮しの方の声を聞き、
私たちのすべきことを教えてくれる報告文です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8月29日・広島県安佐南区にある八木小学校に行きました。
八木小学校はピーク時で200人以上の方が避難していましたが、
現在は半数の100人ほどです。
日中は、お仕事に行かれる方、自宅を片付ける方など、様々です。
でも、まだ避難指示区域やライフラインの確保などが優先され
片付けたくても片付けられなかったり、お年寄り一人ではなかなか作業もできず
ボランティアも少ないので、片付けが思うように進まず、
避難所で悶々と一日を過ごしている方もいらっしゃいます。
土石流や濁流が家の中まで押し寄せ、60センチくらいまで足が水の中に埋まり、
4時間くらい水の中にいたという人もいらして、
水が恐いからずっと半ズボンでいるという人もいらっしゃいました。
「ほんとに水は恐ろしいよ」「恐ろしかった」という声が聞こえてきました。
土砂や岩が凄く、家の中にまで岩が入ってきて、
隙間が数十センチくらいしかなく、掘り出せず、何もせずに帰ってきたという人も。
避難所では、何もすることがなく、最初に逃げてきたときのズボンが入らなくなった。
お酒もここへ来てから一滴も飲んでなのに、太っちゃってね。こんなの初めてだよといわれる方も。
小さなお子さんを持つ若い女性の方は、足湯をしながら、「足湯で便秘が治るかしら」と。
避難所では、毎日お弁当や炭水化物ばかりで野菜がないからずっと便秘だとか。
彼女は「一度野菜たっぷりの豚汁が炊き出しに来たとき、それが一番おいしかった」とつぶやきました。
ちょっとでも煮炊きができれば、インスタントのお味噌汁にネギをはなって、
サラダをあいているお店で買って・・・。
避難所の改善をまだまだ求めていかなくては。
被災者の疲労も、すでに限界を超えています。
もちろん家の片付けなどを、優先的に行わなければなりませんが、
それも、休憩をしながらでないともちません。
一日二日で終わるような土砂の量では到底ないのですから。
避難所には地元の多くのボランティアのみなさんもたくさん関わっています。
しかし、一週間も続くと疲労の色は隠せません。
ボランティアも、交代の時期にさしかかっています。
被災された住民の中でも、被災翌日から自宅前にイスやテーブルを並べて
一瞬でも被災を忘れるように、憩いの場を提供している住民もいるそうです。
いっしょに足湯をした女の子は「あ~幸せじゃ~」と言ってくれました。
まけないぞうをプレゼントすると「きゃーかわいい」と、遊んでくれました。
(まけないぞうは、被災地NGO協慟センターのタオル型自主製品です)
こんな出来事が、辛い災害をほんの一瞬忘れさせてくれます。
2日の速報で、
大規模な土砂災害で安佐南区のおよそ3万人を対象に出していた避難指示と避難勧告のうち、
午前11時半ですべての避難指示が解除、、
八木地区と緑井地区の一部を除いて避難勧告を解除されました。
一段とボランティア活動が、展開されることを願います。
被災地NGO恊働センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL:078-574-0701/FAX:078-574-0702  E-mail:info@ngo-kyodo.org

広島土砂災害 速報

広島土砂災害  速報が
ゆめ風ネットひろしま(広島市西区の障害者生活支援センター・てごーす)から入りました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8月20日未明、広島市安佐北区、南区で大規模な土砂災害が起こりました。
345戸以上の家屋損壊、
亡くなった方72人、行方不明の方2人という大惨事となりました。(8月30日現在)
安佐南区の障害者作業所八木園が
半壊で事業継続困難な状況です。
アンダンテ作業所は床上浸水で、
安佐北区の可部つちくれの家が土砂流入でしたが、
現在は運営を再開しています。
利用障害者は全員無事とのことです。
作業所など障害者拠点の安否確認はできますが、
在宅障害者の安否確認はまだされていないようです。
避難所をまわっても障害者の姿を見つけることはできないとのこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゆめ風基金では3拠点に救援申請書をお渡ししています。
申請が届き次第、支援を決定します。
引き続き、情報提供をお願いいたします。
災害の犠牲になり、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに
被害にあわれた方の生活再建を願い、
みなさまのお力をお借りして、支援をさせていただきます。
ご協力・ご理解・よろしくお願いいたします。
広島土砂災害
救出作業が最も遅れている八木8丁目。 てごーすが8月21日朝に撮影

ヒデの救済レポート

◆奈良県ひまわりの家・社会福祉法人ひまわりを支える会機関誌:ひまわりだより:NO、48号からの転載
ー連絡TEL、0745-42ー2919ーFAX0745-42ー2921
◎被災地支援活動報告・廣田
H25年度は、約1年間に渡り関西の有志法人で、福島県アドバイザー派遣事業:被災地における障害福祉サービス基盤整備事業:に関わらせてもらいました。
地域相談支援事業所や浜通り:福島県の太平洋沿いの地域:の各県域相談支援アドバイザー:いわき県域・双葉県域・相双県域:と連携しながら<、24年度の活動で明確になった資源不足という課題をふまえ、 いわき市・双葉郡川内村・南相馬市・相馬市・新地町にて、社会資源の状況把握と立ち上げ支援・拠点づくり、福祉関係従事者のモチベーション維持に対する側面支援、各自立支援協議会の活性化を促すなど、被災地支援をおこなってきました。 川内村ではH24年4月に帰村宣言をおこないましたが、避難先から完全に川内村へ帰って生活している人は約450人:震災前の人口は約2800人:。 帰村している方の中には避難生活にストレスを抱く高齢者や障害者が多く、此内では高齢者の介護ニーズも急増しています。 震災前からも、村内には障害のある方が過ごす場がなかったため村外の事業所を利用されていましたが、 これまで利用していた事業所も警戒区域内で休止していることもあり、行き場がなく家で閉じこもって過ごす方が多いです。 そんな状況のなか、障害のある方の居場所をつくることとなり、双葉県域相談支援アドバイザーや川内村保健福祉課の皆さんと、川内村で暮らしている障害のある方を訪問してニーズ調査を実施しました。 活動場所やスタッフの確保も並行しておこない、H25年6月1日から:サロンどじょう:・拠点整備事業・が立ち上がり、今後はここを拠点として村内のコミュニティーを築こうとされています。 いわき市では、避難者が多いために福祉事業所に空きがなく、仮設住宅や借り上げ住宅での生活のしずらさや将来への不安を抱えながら、常に子どもと向き合っているお母さんがしんどさを抱え、精神科への受診や安定剤等の服薬をしながら生活されている方も多数おられます。 また、子どもへの虐待の告白や、虐待をするかもしれないという強い不安の声も多数耳にする状況がありましたが、それらの状況を把握するなかで、いわき市の法人や避難先から新たな児童支援事業所が複数立ち上がるなど、地域の方が主となって避難されている方と向き合いながら、暮らしやすさを築きつつあります。 南相馬市では、戻ってきている人は被災前の人口:H23年3月1日現在・70752人:の約60バーセントで、放射線量の影響で若い人が市外に避難されている事もあり、働きざかりの年齢層が少ないです。 また賠償金が入ることにより、労働意欲が低下していたり、2~3ケ月除染作業で働きお金を貯めて、無くなったらまた除染作業をするという働き方も増えていると言われています。 そのため、福祉事業所では慢性的な職員不足が続いており、必要な支援がおこなえずに見守ることで精一杯の状況。 人材確保や人材育成が大きな課題となっているため、新人職員が抱える悩み等の聞き取り調査や、中堅職員研修実施のお手伝いをおこなってきましたが、具体的な打開策を見出すには至っていません。 また、南相馬市・飯館村など、避難生活を経験している1歳半・3歳児検診では、8割の幼児が経過観察となっており、落ち着きのない児童が急増している状況です。静かにしろと制限をかけられ続ける仮設住宅での生活や働かない親を見て育つ等、これから20年後に、そのような環境・経験で育った子ども達が社会を担う時期に大きな不安が高まっているため、児童に対する支援体制の充実が急務となっています。 被災から3年が経つなか、被災者でもある福祉関係者は、県外の応援者の力を得ながらその日をしのぐ活動をおこなってきた段階を脱し、自らの手で希望を築こうと力の限り取り組んでおられます。 今後も、生きづらさを抱えた福島の人たちに寄り添いながら、福島の人たちの手で希望を築くお手伝いをおこなっていければと思います。以上 ●被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、309701224円:014年8月12日現在: ○東日本関連救援金、金額は、264292139円です。:014年8月12日現在: 只今の基金残高!254988305円:014年6月末日現在:です。 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、〓郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。 ー東日本大震災救援活動の中のhideの風景ー ●広島での大雨による土石流災害は多くの被災者を出し、現在も行方不明者の雨中捜索が続けられています。 災害警報の出し遅れの:人災:の一面もありますが、被災者の明日へのための、救援、支援が求められています。 ゆめ風ネットワーク広島の方々による調査では、3ケ所の障害者事業所、作業所が土砂の流入の被害を受け、閉鎖されているとのこと。また、障害者市民の安否確認は、継続中とのこと。続報をお待ちください。 日本という土地柄では、どんな所に住もうとも、自然災害からは逃れられません。命の安心が何にも増して必要です。 hideの住まいする、大阪北部の街、箕面市にも、24日、大雨洪水警報が出され、ものすごい叩きつける大雨が降りました。夜にかけて、hideの住む所の、道路一本挟んだ地域が、:避難指示区域:になり、多くの住民が避難されました。 明け方には、解除されたのですが、ものすごい雨の音と、道路が川のようになっていました。 くれぐれも、自然災害には備え、用心する事が必要ですね…。 以上!

飛騨の夏祭り 林英哲さんと小室等さん

飛騨の夏祭り 林英哲・小室等
 8月10日、飛騨高山へ林英哲さんの太鼓を聴きに行きました。正確には了徳寺というお寺で「飛騨の夏祭り」のメインイベントとして開かれたもので、林英哲さんと英哲風雲の会の田代誠さん、辻祐さんの和太鼓演奏と小室等さん、こむろゆいさんのユニットとの共演でした。
 ゆめ風基金が来年の20年記念イベントに和太鼓の林英哲さん、サックスの坂田明さん、そしてゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さん、こむろゆいさんのライブをすることになりました。
 きっかけは2011年7月11日に東京新宿の「スペース・ゼロ」で開かれたスーパーセッション「小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」でした。このライブは震災の渦中で小室さんが「音楽をすることの無力感」に襲われ、一時は取りやめようと思われたそうですが、小室さんとかかわりの深いアーティストたちのはげましによって開催されたのでした。
 1960年代から日本の音楽シーンを牽引し、疾走してきた小室等さんの膨大な作品の中から選ばれた名曲を、その場に結集した20人を越えるアーティストが単なるお祝いとしての演奏ではなく、小室さんの根源的な問いかけを自らへの問いとして受け止め、理不尽に奪われたいのちへの鎮魂と、明日へ旅立つ決意を持って演奏されたすばらしいライブでした。
 そのライブで演奏された「老人と海」は林英哲、坂田明、李政美、谷川賢作、吉野弘志、渡嘉敷裕一によるスーパーセッションでしたが、まずは坂田明さんが見事なアドリブを聴かせた後、一瞬静まった後に林英哲さんの太鼓の独奏が入りました。それは見事な演奏で、会場に地響きとともに海が一気に押し寄せるようでした。この演奏を聴いたゆめ風基金代表の牧口一二さんが、林英哲、坂田明お2人にゆめ風基金のライブに出演してもらえないものかと、小室等さんにお願いしていました。
 それから早や3年の月日が流れましたが、来年の8月16日、大阪中之島の中央公会堂での20周年のライブという形で、念願の計画が実現することになりました。
 そんな事情から、いち早く林英哲さんに正式な日程をお知らせし、お礼とお願いを兼ねてこのイベントに参加することになったのでした。
 ところがその一週間前ぐらいから台風11号の進路が日本列島を縦断する気配でした。しかも日が近づくととともにますます「危ない」状況で、イベントが中止にならないかと心配しながら会場のお寺・了徳寺に着いた時はすでに開場が始まっていました。
 土砂降りの中、若いボランティアスタッフがとても丁寧な対応でわたしたちをお寺のお堂にまで案内してくれました。お堂の中はこの天候にかかわらず満員で、続々お客さんがやって来るので、急きょ中堂開放するほどでした。
 このお祭りは永六輔さんの発案ではじまったと、司会をされていた稲本正さん(木製家具で有名なオークヴィレッジ社長)が話されていました。全国各地に散在する様に、ここでも地域の生活文化を育てるひとびとが永さんと出会い、永さんとともにささえ、続けてこられたのがこの「夏祭り」なのでした。
 林英哲さんは1982年に太鼓独奏者として活動を開始、1984年、初の和太鼓ソリストとしてカーネギー・ホールに出演されたのですが、永さんは早くから林英哲さんを応援していて、この夏祭りでも永さんの紹介で出演し、その後も何度も出演されてきたそうです。今年、9年ぶりに「夏祭り」が復活し、林英哲さんの太鼓が久しぶりに飛騨の森に響きわたり、風に溶けるこの日をむかえたのでした。
 いよいよ時間となり、風も雨もますますはげしくなってくる中、林英哲さんと英哲風雲の会の2人が登場しました。
 林英哲さんと英哲の会の田代誠さん、辻祐さんの3人が登場し、最初は小さな太鼓をたたきながらだったと思うのですが、やがて真ん中の大太鼓の前に林英哲さんがたち、たたき始めるとその地響きが御堂の外で激しくなる一方の雨と風にとけて行きました。
 最初にびっくりしてしまうのは、どんなにはげしく叩いてもまたどんなに小さな音を紡ぎ出しても、3人の呼吸もバチさばきも言葉通り一糸乱れないことでした。そして、若い二人はもちろんのこと、60才を越えた林英哲さんの筋肉隆々の後ろ姿をみて、わたしたちには想像もつかない体力の鍛練と、とても厳しい太鼓の訓練を毎日続けられていることがわかりました。
 今回の演奏を聴き、あらためて太鼓のすばらしさを感じ取ることができました。湿気をきらう太鼓にとって最悪な環境であるにもかかわらず、大太鼓の大きな音ですら空気を切る音がクリアで、その前にたたいた音や別の人がたたいた音とが混ざらないまま共鳴するのです。そして、ぴったりと息のあった演奏には100分の1秒もずれがなく、余程の訓練の裏付けがないとこんな演奏はできないと思います。
 林英哲さんが大太鼓の周辺をバチでなでるように、それでいてしっかりとしたリズムで静かに小さく、時にはさするようにして生まれる音は海の波打ち際のようでもあり、また深い森で生まれる音楽の泉の湧き出る音のようでもあり、あるいは木々を揺らし路地を抜ける一陣の風のようでもありました。和太鼓はいくつもの時代の空間を縫い合わせ、人間と自然の遠い記憶の彼方に忘れられていた静かな音たち、いくつもの時代に生まれ、去って行った星の数ほどの愛おしいいのちたち、その無数のいのちたちを励まし、癒し、勇気づけてきた音楽と歌をよみがえらせる祈りの楽器であることを知りました。
 太鼓演奏の2曲の後、小室等さん、こむろゆいさんのユニットが登場しました。この親子ユニットの演奏は最近ますますユニゾンコーラスがとても密になっていて、そのぶんハーモニーが心地よくなります。「心地よさ」といえば、小室さんの歌は「年を重ねること」ですばらしい進化を遂げていて、古くからのファンであるわたしはほんとうにびっくりしてしまいます。
 フォークシンガーとしてもシンガー・ソングライターとしても、今のJポップスへとつながる偉大な道筋を切り開いてきたひとですが、全国どこへでも誰かが望めば出向き、小さなイベントでも大きなイベントでも変わりなく、ギター一本で歌う小室さんは年を重ねることで「心地よさ」を届けてくれるのでした。
 その上に昨今のゆいさんとのユニットではより自然で、またより正直に世の中の哀しいでき事や理不尽な事件、国の暴力への怒りを静かなメロディーに乗せて歌っていて、説得力というのは声高に叫ぶだけではなく、静かな言葉とやさしい決意、時には声にもならない小さな吐息によっても語られ、歌われることでもあると、しみじみ感じます。
 その後、太鼓と小室さんとの共演で「老人と海」、「ヴェトナミーズ・ゴスペル」が歌われました。小室さんの歌心と声の質感は林永哲さんの太鼓と共鳴し、歌や音楽はジャンルや言葉、国境を越えて、人と人とのつながり、人と自然とのコミュニケーションの大切なツールの一つなのだと教えてくれました。
 映画監督の大林宣彦は「映画は風化しないジャーナリズム」と言いましたが、「音楽もまた風化しない希望の物語」であることを、今回のライブは教えてくれたのでした。
 林英哲さん、坂田明さんをむかえ、小室等さん、こむろゆいさんとの夢の共演が1年後に実現することになり、今からドキドキ、ワクワクします。
                                  (文責 事務局員・細谷常彦)
飛騨の夏祭り サイン会
終演後のサイン会にて。左から、林英哲さん、小室等さん、こむろゆいさん。

夏期休業のお知らせ

夏季休業期間のお知らせ
暑―い夏、ゆめ風事務局も
下記日程、お休みをいただきます。
8月13日(水)~8月18日(月)
夏休み、街にはお子達がたくさん。
車いすとベビーカーは、目の高さが同じ。
こちらは、にこって笑っているつもりが、
お子達にはわかって頂けず。(-_-;)
防災アプリや天気予報を参考にし、
台風などによる、雨や風には、充分気をつけて
みなさまの夏が、楽しいものになりますよう。

にょっきりフェスタ

みちのくにょっきりフェスタ イン石巻2014年7月27日
こんにちは。
【小西寿一(ノーマライゼーション協会)】の
にょっきりフェスタ報告文です。
みなさま、感動を分かち合っくださいませ。
7月26日(土)午後6時30分大阪空港発のプロペラ機に乗り、
仙台空港から仙台駅⇒仙石線経由で石巻行き最終電車で、
午後10時40分頃あたりに石巻駅に到着。
ヘロヘロになりながら、翌日7月27日(日)の「みちのく にょっきりフェスタin石巻」
「公式写真記録」担当の僕は、某宿泊先でシャワーを浴び、倒れるように寝ました(笑)
27日(日)は、ものすごい晴天
石巻や南三陸、仙台のメンバーなど、同志や関係者が次々集まってのオープニング、
手作り舞台に、中瀬公園自由広場の風が心地よく通り抜けました。
「ピアノ演奏」「ダンス」この日に向けて練習し、思い切り、楽しく、のびのびと披露されました。
この後、レイ・ドロシーさんによるノリノリの歌は、会場全体が盛り上がりました。
イベント中は、司会者の出展の紹介で、買い物やご当地グルメを満喫。
私は、写真撮影に集中してしまい、お腹がグー(苦笑)。
午後からは、障害者プロレス団体「ODAZUNA」の「戦い」
おちゃらけに見せながら、すさまじい「全身全霊のバトル」
会場は感動と笑いとリスペクトの渦に包まれました。
HM(ボーカル&ギター・仙台市)はさわやかな歌声!!
「西村組」は歌う「介護福祉士」西村茂樹さんが今回のためにセッション。
!ソウル・フラワー・ユニオンは、今回はソロギターで登場。
中川さんの魂の歌声と西村さんのコラボ!は、「これを見れるとは、ほんま幸せです」と涙しました。
これで終わるかと思いきや、なんとなんと、レイ・ドロシーさんが、みんなと歌いたいと。
うれしい~!!と、会場参加者全員で炎天下の熱さを忘れて、歌い踊りました。
大感動の「みちのく にょっきりフェスタin石巻」でした
総合司会の方、手話通訳の方、本当にありがとうございました。
この熱き思いを、11月23日の「第5回東北⇔関西ポジティブ生活文化交流祭」につなげたい。
みんな、1人ひとりが心に思いを刻んだことだろう。

ヒデの救済レポート 2014年8月5日 NO163 

●先にお知らせした、7月27日・みちのくにょっきりフェスタin石巻
被災地障がい者センター石巻他実行委員会主催は、人口の割には、大盛況・
参加人数500人以上で成功裡に終了しました。
全国から、仲間が40人以上が駆けつけました。
また、前日の26日には、震災時に東北3県の障害者拠点で
救援活動を行ったボランティアが40名以上集まり、
同窓会もどきの情報交換の場を持ちました。
石巻では、初めての障害当事者団体主催のイベントでしたが、
市民に広く知られ、親しまれ、これからの足がかりとなりました。
●東北関東大震災障害者救援本部通信NO11からの転載
てんかんの電話相談から気付いたこと:萩原せつ子:前回からの続き、その2
一つめは、震災時に安心して避難できるところがなかったことです。
発作を隠している人は、避難所へ行けません。
発作を理解してもらえず、避難所から出なければならない人たちがいました。
病気や障害のある人たちが、が避難できる場所が必要です。
二つめは、情報を得る場所、緊急時の相談場所がなかったことです。
病院のこと、薬の入手方法、医療機器の電源などです。
三つめは、抗てんかん薬の備蓄がなかったことでした。
緊急時には外科内科精神科の順で医療チームが入るそうですが、
慢性疾患の薬も精神疾患の薬もありませんでした。
四つめは、てんかんが周りの方に理解されていないことです。
医療支援で入ったドクター「避難所を回ったけど、てんかんの人だれも来なかったよ。
困った人いないんじゃない:」と言われました。
いないのではなく行けなかったのです。
誤解や偏見を恐れ、てんかんを隠している人が、SOSも出さず、
避難所へも行かなかったのです。:
{もう一週間以上も薬がない」:との電話を受けて、
「私が:何とかして届けます」:と言いましても、
その方は、住所も名前も最後まで言いませんでした。
絶対に知られたくないと言うのです。
命に関わるかもしれないのに、隠しておきたいのです。
それだけ偏見が強いと言うことです。
五つめは、てんかんのことを相談する場所が足りない。
今でも一人で悩みを抱えている人はたくさんいます。
六つめは、てんかん専門医師や病院が足りない。
きちんとした医療が受けられないまま、あきらめている人が多いのです。
「何十年も同じ薬を飲んでいるのに直らない」と、あきらめている人がいました。
専門の医療を受ければ、直る人もたくさんいるはずなのに。
七つめは、発作のある人は、通所施設も入所施設も足りない。
相談の中では、10年以上も待機待ちしている人もいました。
待機するのも断られたという人もいます。居場所がないのです。
八つめは、公的な支援が必要なのに、福祉サービスを受けられずにいる人が多いことです。
手帳も取らずに、公的な支援につながっていないのです。
隠している場合はもちろん、家族だけで抱え込んでいるケースがとても多い。
家族がいて住む家があって、何とか家族に支えられてきた人がいました。
親が残った家で何とか生活してきた人たちがいました。
でも、震災で家族も住む家もなくしてしまったとき、途方にくれてしまったのです。
九つめは、地域でのネットワークづくりが遅れていたことを、本当に悔やみました。
てんかんのことを隠していても、支援は必要なのです。
病気や障害のある人たちとの連携、地域・医療、行政などとの連携が本当に遅れていました。
防災に関して、宮城県支部で力を入れていることが、3点。
一つめは、薬や薬の情報管理など自分でできる備えの呼びかけです。
薬を管理させておく緊急カードです。
このカードはてんかんの方だけでなくどなたにも使えるものです。
薬の名前も難しいですから、自分ではなかなか覚え切れません。
名前だけでなく何ミリグラムという分量もとても大事です。
ちゃんと書いておいて、自分で持つ、家族が持つ、家に置く、学校に置く等
分散して持つように呼び掛けています。
そして、いざという時の支援者を絶対に作っておくことです。
誰か一人でも、てんかんのことをわかってくれる人がいるだけで、非難所にいることができたのです。
二つめは、てんかんを正しく理解してもらうことが必要たと思ています。
いろいろ課題がありますが、つきつめていくとやっぱり私達の活動の発信が足りず・・・
三つめは、その他の障害者団体等と情報の交換と連携です。
今必死でやっていることで、今日もここでお話しさせていただいてとてもありがたく思っています。
また同じような災害が起こって欲しくありませんが、もう後悔したくありません。
そのための取り組みです。:
仙台市民シンポジウム要約:以上
●現在の基金残高、243283069円:014年3月31日現在
:東日本大震災救援金額は、014年5月19日までに、255832139円です。
これまでに支援した団体、個人への金額。301241224円です。2014年5月19日現在
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;
とうほく;と書いてください。
東日本大震災救済活動の中のボクの風景

にょっきりフェスタ

石巻にょっきりフェスタ 2014年7月27日(日)

石巻にょっきりフェスタ 2014年7月27日(日)
石巻にょっきりフェスタ 2014年7月27日(日)
みちのくにょっきりフェスタin石巻へ行ってきました。
日常生活支援ネットワーク 椎名保友
“出会い・つながり・感謝”そして”出会い・衝撃・Love”
<仲間、サイコ~これだけの仲間がいるのだから、そりゃいろんなこと出来るわけだ!!>
7月27日、にょっきりフェスタ無事終了。
炎天下のなか、広場いっぱいに多くの方がこのお祭りに集まり、1日中踊って、歌って、しゃべって、食べて。
石巻の福祉団体さんから東北各地の被災地障がい者センターの面々、東京や名古屋からも応援があり、
我が関西からは総勢40人で押しかけ、ホーム感たっぷりにお手伝いしてきました。
石巻や奏海の杜(南三陸)の子供たちの晴れ舞台に、
管能的で土着的なベリーダンス。
ステージで笑顔いっぱいに踊り、演奏し、歌う。会場も一体になって盛り上がる。
予測不可能な障害者プロレスは、身体を張っているからこそ。
HMさんに癒され、西村組に励まされ、ソウルフラワーの中川さんに奮い立たされる。
地元石巻の様々な団体さんによる製品や名物。
NPOちゅうぶが大阪を代表して、お好み焼きを出展。
毎度おなじみの大阪市従業員労働組合のみなさんによるバルーンボランティアなど、
東北⇔関西を十二分に堪能することができました。
フィナーレは、地元在住であのスタンドバイミーなどでおなじみの「ドリフターズ」のメンバーでもあった、
レイ・ドロシーさんとソウルフルに、燃え上がりました。
“出会い・つながり・感謝”この言葉から始まり、この言葉に尽きたお祭りでした。
もちろん、背景には震災、障害者の生活があります。
けれども、仲間たちが誠実に自分たちで出来ることを積み重ねて
ひとつのカタチになれた!!
今、これだけの人たちが周りにいることを実感できた。
仲間たちと。
東北⇔関西、これまでもそしてこれからも
・・ということで大阪へ帰って、「東北⇔関西ポジティブ生活文化交流祭」の準備に取り掛かります。
本当に「みちのくにょっきりフェスタ@石巻」
みなさん、お疲れ様でした。

7月12日の街頭募金ありがとう

ゆめ風基金 街頭募金 20140712
 
なんば 高島屋前は、影がありません。
ビルとビルの間なので、風も通りません。
七月の太陽と、仲良くなんてできません。
でも、大阪の勇姿は、この日もここにありました。
津波で流された小さなしあわせ
地震や原発で壊された暮らし 
少しでも取り戻せたら
新しい何かを手に入れることができたらと
街頭に立ってくれたかた
立ち止まり、チラシを受け取ってくれたかた
基金をしていただいたかた
街頭カンパ協力員   24人
       基金総額 53229円
本当にありがとうございました。